スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
濱本 豊(はまもと ゆたか、1993年7月5日 - )は、日… 濱本 豊(はまもと ゆたか、1993年7月5日 - )は、日本の元男子バレーボール選手である。 愛媛県西宇和郡出身。バレーボールを始めたのは、入学した中学校にバレーボール部と卓球部しかなく高身長のためバレーボール部を選択したのがきっかけである。 八幡浜高等学校を経て近畿大学に進学。大学在籍中の冬期は近畿クラブスフィーダの選手としてV・チャレンジリーグ(当時のVリーグ2部リーグ)でもプレーした。2015/16シーズンは、近畿クラブスフィーダはV・チャレンジリーグII(当時のVリーグ3部リーグ)在籍となり、V・チャレンジリーグIIでプレーした。 2016年、大学卒業後に、V・チャレンジリーグI(当時のVリーグ2部リーグ)に所属する大分三好ヴァイセアドラーに入団した。
清家 夕貴(せいけ ゆき、1986年 - )は、南海放送報道… 清家 夕貴(せいけ ゆき、1986年 - )は、南海放送報道制作局アナウンス室所属のアナウンサー。愛媛県八幡浜市出身。 愛媛県八幡浜市出身。八幡浜市立松柏中学校、愛媛県立八幡浜高等学校、松山大学を卒業。 大学で放送研究会に出会い、テレビの仕事に興味を持つ。入社試験では、営業志望でテレビ局各社を受けたという。 2009年南海放送に総合職社員として入社。 2013年のアナウンス室への異動までは、同社の八幡浜支所通信部で記者兼カメラマンとして働いていた。 2013年からは、帯番組のNews Ch.4に出演しており愛媛の顔として活躍している。 2024年3月1日付の人事異動でアナウンサーと兼務する形で報道局報道部副部長に就任した。
大森 敬仁(おおもり たかひと、1980年1月29日 - )… 大森 敬仁(おおもり たかひと、1980年1月29日 - )は、日本のテレビドラマ・映画プロデューサー。愛媛県大洲市出身。 愛媛県立八幡浜高等学校卒業。渡米し、カリフォルニア州立大学ロングビーチ校で映画学を専攻。カリフォルニア州立大学ロングビーチ校映画学科を卒業。 日本に帰国し、2003年に東映へ入社。翌年の2004年に『はぐれ刑事純情派 第17シーズン』でプロデューサー補を担当。2005年に『仮面ライダー響鬼』でプロデューサー補を務めて以降、特撮ヒーロー番組に関わる機会が多くなる。 2008年、『仮面ライダーキバ』でプロデューサーに昇格した。日笠淳、白倉伸一郎、武部直美、宇都宮孝明の下で携わるようになる。
菊池 誠晃(きくち まさあき、1978年3月25日 - )は… 菊池 誠晃(きくち まさあき、1978年3月25日 - )は、日本の実業家。株式会社デジタルプラス創業者・代表取締役社長、一般社団法人日本クラウドソーシング検定協会理事。 愛媛県八幡浜市生まれ。1996年愛媛県立八幡浜高等学校卒業、松山大学経営学部進学。大学在学中の1998年に教授の紹介で地元放送局からの委託を受けてホームページの企画・運営を行うための会社 ・ AKARIを起業する。2000年に会社を解散し、松山大学経営学部を卒業して、アイマジック設立に参画。 2001年サイバーエージェントに入社。2004年同社マネージャーに昇格。新規事業に携わったのち、2005年リアルワールド(現:デジタルプラス)設立、代表取締役社長就任。
平田 栄史(ひらた えいし、1978年 -)は、愛媛県八幡浜… 平田 栄史(ひらた えいし、1978年 -)は、愛媛県八幡浜市出身の近代五種選手。1996年に愛媛県立八幡浜高等学校を卒業後、自衛隊体育学校で本格的に近代五種を始める。2006年アジア選手権、2007年世界選手権の日本代表に選出された。現在は引退し、自衛隊体育学校で指導に携わっている。 小学校の時から水泳を始め、中学3年時には愛媛県中学総体200mバタフライで優勝、高校進学後も順調に記録を伸ばし、四国高等学校選手権大会では400m自由形、200mバタフライで優勝を果たす。 その後も全日本実業団選手権で決勝に進出するなど、しばらくは競泳選手として活動していたが、スカウトを受けて自衛隊体育学校入りと同時に近代五種を始める。
レイザーラモンRG(レイザーラモンアールジー、1974年〈昭… レイザーラモンRG(レイザーラモンアールジー、1974年〈昭和49年〉6月8日 - )は、日本のお笑いタレント。本名および旧芸名:出渕 誠(いずぶち まこと)。吉本興業所属。レイザーラモンHG(住谷正樹)とお笑いコンビ「レイザーラモン」を組んでいる。 立命館大学経済学部卒業。身長177cm、体重77kg、血液型O型。NSC大阪校17期と同期扱い。 熊本県上益城郡甲佐町で生まれる。出淵氏は伊予国を勢力圏とした河野氏の支族とされる。先祖には愛媛県伊予市にあった伊福城城主・出淵盛政などがいる。また、同じ出淵氏の遠縁に落語家の初代三遊亭圓朝がいる。 小学4年生の時に、父親の異動に伴って愛媛県八幡浜市に転居。
レイザーラモンRG(レイザーラモンアールジー、1974年6月… レイザーラモンRG(レイザーラモンアールジー、1974年6月8日 - )は、日本のお笑いタレント。レイザーラモンHG(住谷正樹)とお笑いコンビレイザーラモンを組んでいる。本名、出渕 誠(いずぶち まこと)。
宮本 益光(みやもと ますみつ、1972年9月28日 - )… 宮本 益光(みやもと ますみつ、1972年9月28日 - )は、日本の声楽家(バリトン)、オペラ歌手、合唱指揮者、音楽学者、音楽教育者、詩人(作詞家)、翻訳家(訳詞家)、著作家、脚本家、オペラ演出家、舞台演出家、作曲家。 学位は博士(音楽)(東京芸術大学・2005年)。 愛媛県八幡浜市出身。東京藝術大学卒業。同大学大学院修士課程修了。同大学院博士後期課程修了。「オペラの日本語訳詞、その方法論」と題した博士論文を執筆し、博士(音楽)の学位を取得した。声楽を佐藤陽三、高橋大海に師事。 初舞台は大学卒業時の1994年(平成6年)芸大ヘンデル『メサイヤ』のソリスト(東京文化会館大ホール)。その後バッハ『ロ短調ミサ』、ハイドン『ハルモニー・ミサ』等のソリストを務める。
高橋 英行(たかはし ひでゆき、1972年1月17日 - )… 高橋 英行(たかはし ひでゆき、1972年1月17日 - )は、日本の政治家。愛媛県議会議員(3期)。元衆議院議員(1期)。衆議院議員時代は民主党に所属していた。愛媛県八幡浜市出身。 元八幡浜市長の高橋英吾は父。元衆議院議員の高橋英吉は祖父。 愛媛県立八幡浜高等学校、拓殖大学工学部情報工学科卒業。丸三産業大洲本社に勤務。 2009年の第45回衆議院議員総選挙に民主党公認で愛媛4区から出馬。選挙区では自由民主党の山本公一に敗れ落選したが、比例復活で初当選。民主党は世襲政治家の問題点から、2009年衆院選を前に3親等以内の親族の政治家が選挙区から連続して立候補することを禁止しており、高橋は祖父の選挙区が旧愛媛3区で重複しているが、1972年の祖父落選から37年間の空白期間があるため民主党候補として立候補できた。
塩崎 兼一(しおざき けんいち、1968年4月29日 - )… 塩崎 兼一(しおざき けんいち、1968年4月29日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。右投げ右打ち。 八幡浜高では1年秋は先発として県大会優勝に貢献、四国大会も先発したが初戦で池田高に敗れた。3年春は県大会優勝し、夏は県大会準決勝で水口栄二らを擁する松山商に8回コールドで敗退。1986年のプロ野球ドラフト会議で横浜大洋ホエールズから5位指名を受け入団。 プロ1年目の1987年から一軍初登板を果たし、1988年はアメリカルーキーリーグビュート・カッパー キングに野球留学し、4勝4セーブを記録した。1992年限りで現役を引退した。 引退後は、1993年から打撃投手に転身したが同年限りで退団した。
大城 一郎(おおしろ いちろう、1965年〈昭和40年〉3月… 大城 一郎(おおしろ いちろう、1965年〈昭和40年〉3月9日 - )は、日本の政治家。愛媛県八幡浜市長(5期)。 愛媛県立八幡浜高等学校普通科、岡山商科大学商学部産業経営学科卒業。大学卒業後は家業の製材業に従事した他、2000年には八幡浜青年会議所の理事長を務めた。2003年に八幡浜市議会議員選挙に立候補し初当選。2009年に八幡浜市長選挙に立候補し、現職の高橋英吾などを破り初当選を果たした。市長就任後は市の機構改革で部長制を導入した他、道の駅八幡浜みなっとや名坂道路の整備などを進めた。市長選挙の公約では医師不足の深刻な市立八幡浜総合病院に「直ちに医師3人を確保する」ことを掲げたが、実現のめどがたたず市議会で辞職勧告決議案が賛成多数で可決された。
二宮 清治(にのみや せいじ、1965年〈昭和40年〉1月1… 二宮 清治(にのみや せいじ、1965年〈昭和40年〉1月11日 - )は、日本の郵政・総務・デジタル官僚。 愛媛県八幡浜市出身。愛媛県立八幡浜高等学校を経て、1988年(昭和63年)、東京大学経済学部を卒業。同年、郵政省に入省。 入省後、研修を経て郵政事業部門に配属され、簡易保険局資金運用第二課や同局企画課において、簡易保険の資金運用を担当し、簡保資金による外債の運用や資金運用制度の改善に携わった。その後、アメリカのイェール大学へ留学。国際開発経済学を学び、修士号を取得した。 帰国後、郵政省大臣官房国際部国際経済室北米経済係長、同室課長補佐、総合通信基盤局電気通信事業部事業政策課課長補佐、情報通信研究機構ワシントン事務所長、総合通信基盤局国際部国際経済室長、同局電気通信業部消費者行政課長、同部料金サービス課長、内閣官房副長官補室参事官、内閣官房情報通信技術総合戦略室次長、総務省大臣官房会計課長、同サイバーセキュリティ・情報化審議官、内閣官房内閣審議官(内閣官房副長官補付)、内閣官房情報通信技術総合戦略室室長代理(副政府CIO)、総務省大臣官房審議官(国際技術、サイバーセ キュリティ担当)、内閣官房デジタル市場競争本部事務局次長などを歴任。
上田 和明(うえだ かずあき、1962年8月3日 - )は、… 上田 和明(うえだ かずあき、1962年8月3日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元プロ野球選手(内野手)。 ロサンゼルスオリンピック野球の金メダリスト。 愛媛県立八幡浜高等学校を経て慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは優勝に届かなかったが、4年時の1984年春季リーグ早慶戦で3試合連続を含む4本塁打を放ち注目を集める。同年の日米大学野球選手権大会日本代表となり、さらにロサンゼルス五輪野球日本代表(このときは公開競技)に選ばれた。リーグ戦通算105試合に出場し374打数88安打、12本塁打、39打点、打率.235。ベストナイン(遊撃手)1回。 1984年のドラフト会議で明治大学広沢克己、竹田光訓と共に大学球界ビッグ3と呼ばれ、竹田のクジを外した読売ジャイアンツに1位指名され翌1985年入団。
成田 幸洋(なりた ゆきひろ、1961年7月16日 - )は… 成田 幸洋(なりた ゆきひろ、1961年7月16日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手(投手)。 八幡浜高校では3年春の県大会決勝で完投勝利して優勝。社会人野球の丸善石油に進む。1981年の都市対抗には同僚の捕手金田進とともに四国銀行の補強選手として出場。1回戦で大昭和製紙北海道と対戦し、リリーフで好投するが敗退。野球部の休部により1982年東芝に移籍。 1982年のプロ野球ドラフト会議で西武ライオンズから5位指名を受け入団。 1984年はアメリカ1A・サンノゼ・ビーズに野球留学。 1985年にはイースタン・リーグで最多勝を記録。しかし一軍では結果を残せなかった。 1989年オフ、高橋一彦との交換トレードで横浜大洋ホエールズに移籍した。
二宮 清純(にのみや せいじゅん、1960年2月25日 - … 二宮 清純(にのみや せいじゅん、1960年2月25日 - )は、日本の評論家・スポーツジャーナリスト。 愛媛県八幡浜市出身。2000年よりスポーツの情報やコラムを配信し、講演やシンポジウムも手掛ける事業会社、株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役社長。明治大学大学院博士後期課程修了・学術博士(Ph.D.)。広島大学特別招聘教授、大正大学地域構想研究所 客員教授、認定NPO法人健康都市活動支援機構理事、スカパーJSATグループ番組審議会委員、全国外国人雇用協会評議会評議員、一般社団法人高千穂あまてらす鉄道総合研究所理事、伊予観光大使(いよかん大使)なども務める。なお、「せいじゅん」はペンネームであり、本名は「きよすみ」と読む。
礒崎 初仁(いそざき はつひと、1958年〈昭和33年〉11… 礒崎 初仁(いそざき はつひと、1958年〈昭和33年〉11月6日 - )は、日本の政治学者。中央大学法学部教授。専門は行政学、政策法務論、地方自治論。指導教授は、西尾勝および森田朗。 愛媛県八幡浜市生まれ。愛媛県立八幡浜高等学校を経て、1984年3月、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1993年3月、東京大学大学院法学政治学研究科政治専攻修士課程修了。1985年、神奈川県庁に入庁。以後、同県農政部農地計画課、神奈川県自治総合研究センター研究員、同県企画部企画総務室、同県福祉部福祉政策課などを渡り歩き、2002年、神奈川県企画部市町村課を最後に退職。 2002年より中央大学法学部教授。2020年1月から2024年5月まで、中央大学副学長(入試・広報・総合学園推進担当)並びに入試センター所長を兼任。
高門清彦(たかかど きよひこ、1958年〈昭和33年〉8月2… 高門清彦(たかかど きよひこ、1958年〈昭和33年〉8月2日 - )は、日本の政治家。伊方町長(3期)、元愛媛県議会議員(5期)。 1958年8月2日、伊方町川永田で生まれる。1977年3月に愛媛県立八幡浜高等学校普通科を卒業し、1981年3月に明治大学農学部を卒業する。同年6月に第16回派米農業研修生としてアメリカに渡り、1983年6月に帰国。以来農業に従事する。 1987年4月30日、愛媛県議会議員に就任し、愛媛県議会副議長、農林水産委員長、建設委員長、自民党県連政調会長、総務会長、議員会長などを歴任する。 2006年4月16日、愛媛県議会議員を辞職し、新人で伊方町長選挙に出馬したが、同じく新人の山下和彦に敗れ、落選した。
松井 計(まつい けい、1958年7月5日 - )は、愛媛県… 松井 計(まつい けい、1958年7月5日 - )は、愛媛県八幡浜市出身の元小説家、元ホームレス。 横浜市神奈川区六角橋に生まれる。愛媛県立八幡浜高等学校卒。亜細亜大学経営学部を6年かけて卒業後、古書店勤務などを経て作家活動に入る。身長151cm。 1994年ごろ、若桜木虔が主催する作家集団、霧島那智に参加。松井永人(まつい えいじん)名義義で架空戦記小説や時代小説を発表する。2001年、住宅トラブルに、予定していた単行本の出版中止などが一挙に重なったため経済的に困窮し、借金を負い、幼い娘と身重の妻を福祉施設に預け、自らはホームレス生活を余儀なくされる。その後妻とは離婚。その半年間の体験を綴った『ホームレス作家』(幻冬舎刊)を上梓して以降、本名の松井計で作品を発表するようになった(著書の印税の半額を幻冬舎より前借りしたと「ホームレス作家」の続編「ホームレス失格」に記されている)また、「特定非営利活動法人面接交流の会」設立理事長職に就くも「ある事情」により即辞任。
山本 博司(やまもと ひろし、1954年12月9日 - )は… 山本 博司(やまもと ひろし、1954年12月9日 - )は、日本の政治家。 参議院議員、財務大臣政務官、参議院消費者問題に関する特別委員長・総務委員長・災害対策特別委員長、公明党参議院国会対策委員長、厚生労働副大臣兼内閣府副大臣を歴任した。 1954年12月9日、愛媛県八幡浜市に生まれる(現在は香川県高松市在住)。八幡浜市立松蔭小学校、八幡浜市立八代中学校を経て、愛媛県立八幡浜高等学校に入学。中学・高校と卓球に汗を流し、高校ではチームとして四国大会ベスト8に入った。 高校を卒業後、慶應義塾大学に入学。可能性をどこまでも信じ抜いてくれる友人や恩師との出会いが人生の大きな転機となった。 大学を卒業後、日本IBMに入社。
二宮 城光(にのみや じょうこう、1954年(昭和29年)1… 二宮 城光(にのみや じょうこう、1954年(昭和29年)1月27日 - )は、日本の空手家で、国際空手道円心会館の館長である。男性。愛媛県八幡浜市日土町出身。米国コロラド州デンバー在住。 1969年(昭和44年)に極真会館芦原道場(八幡浜)へ入門。並行して高校では柔道の稽古も積む。 第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に初出場し、三回戦で佐藤勝昭と対戦、判定負けした。第5回全日本選手権ではベスト8進出で盧山初雄と対戦したが判定負け、6位入賞。第1回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場し、準決勝まで勝ち上がり、佐藤勝昭に判定負け、3位入賞した。第8回全日本選手権では決勝に進出、秋田支部の佐藤俊和に判定負けし準優勝。
藤沢 公也(ふじさわ きみや、1951年11月29日 - )… 藤沢 公也(ふじさわ きみや、1951年11月29日 - )は、愛媛県西宇和郡伊方町出身(大分県北海部郡佐賀関町〈現:大分市〉生まれ)の元プロ野球選手(投手)。 中学1年の時に陸上競技から野球に転向し、八幡浜高では1968年秋にエース・3番として実質予選である県大会準決勝で河埜和正のいた八幡浜工を完封。決勝では帝京五高の登記欣也に投げ勝って秋季四国大会に進出するが、1回戦で丸亀商の井原慎一朗と投げ合い、延長14回の接戦で惜敗。3年次の1969年には夏の甲子園県予選で準決勝に進出するが、井上明・谷岡潔のいた松山商に敗退。なお、松山商は甲子園で全国制覇を果たしている。 1969年のドラフトでロッテオリオンズから3位指名されるが、入団を拒否。
繁桝 算男(しげます かずお、1946年2月6日 - )は、… 繁桝 算男(しげます かずお、1946年2月6日 - )は、日本の心理学者・統計学者。専門は計量心理学、ベイズ統計学、パーソナリティ理論。東京大学名誉教授、帝京大学教授。 愛媛県生まれ。愛媛県立八幡浜高等学校、東京大学教育学部教育心理学科卒業。1970年に東京大学大学院教育学研究科修士課程修了。1974年アイオワ大学大学院修了 (Ph.D.)。 帰国後は1977年より東北大学助教授、1990年より東京工業大学教授を経て、1996年より東京大学総合文化研究科教授。2009年に定年退任、名誉教授、帝京大学教授となる。 2009年-2011年の間、日本心理学会理事長を務めた。 子に認知心理学者で高知工科大学教授の繁桝博昭や社会心理学者で青山学院大学教授の繁桝江里がいる。
二宮 忠士(にのみや ただし、1945年6月5日 - )は、… 二宮 忠士(にのみや ただし、1945年6月5日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 八幡浜高校では、1963年の春季四国地区高等学校野球大会に初優勝するものの、甲子園には届かなかった。卒業後は東芝へ入社。1966年の都市対抗野球では中心打者として、チームの準々決勝進出に貢献する。 1967年ドラフト2位で東映フライヤーズに入団。100メートル11秒台の俊足、鉄砲肩、ノンプロ通算20本塁打という実績を認められてのプロ入りだった。1968年にはジュニアオールスターに選出され、翌年は16試合に出場するが、打撃面で伸び悩む。病気を患い4年目の1971年限りで引退。 引退後の1979年7月には山田潔団長の下、大友工・大橋勲と共に「日本プロ野球コーチ団」団員として中国で野球指導を行う。
大黒 正一(だいこく しょういち、1941年6月1日 - )… 大黒 正一(だいこく しょういち、1941年6月1日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。 八幡浜高校では2年生の時に夏の甲子園に出場。 1960年に大阪タイガースへ入団。1963年に阪急ブレーブスへ移籍するも一軍試合出場は無く同年で退団した。
山本 武利(やまもと たけとし、1940年7月29日 - … 山本 武利(やまもと たけとし、1940年7月29日 - )は、日本の歴史学者。一橋大学名誉教授、早稲田大学名誉教授。NPO法人インテリジェンス研究所理事長。専門は、近代日本メディア史・インテリジェンス史・プロパガンダ。愛媛県出身。 1959年愛媛県立八幡浜高等学校卒業、1964年一橋大学商学部卒業、1969年一橋大学大学院社会学研究科博士課程満期退学。指導教官は南博。1996年「占領期メディア分析」で博士(社会学)の学位を取得。 1985年、日本出版学会賞と日本広告学会賞を受賞した。 2001年より20世紀メディア研究所を主宰する。2002年、『Intelligence』(紀伊國屋書店刊)を創刊する。
矢野 清(やの きよし、1940年7月3日 - 2014年1… 矢野 清(やの きよし、1940年7月3日 - 2014年11月20日)は、愛媛県出身のプロ野球選手(外野手)。 愛媛・八幡浜高校では1958年の夏の甲子園に中堅手として出場。1回戦で清水東高に敗退。 1959年に阪急ブレーブスに入団。長距離打者として期待され、1962年には外野手として18試合に先発出場。7月1日には四番打者としても起用された。翌1963年も28試合に先発するが、打撃面で低迷が続き出場機会が減少。1967年オフには自由契約選手の候補となる。しかし1968年は6月から先発として起用され、右翼手、四番打者に定着。規定打席には達しなかったが打率.301、本塁打27本の好成績をあげ、「10年目の新人」と呼ばれた。
宇都宮 基師(うつのみや もとし、1939年(昭和14年)9… 宇都宮 基師(うつのみや もとし、1939年(昭和14年)9月27日 - )は日本のアナウンサー。南海放送で長くアナウンサーを務めた。愛媛県八幡浜市出身。通称「よもだのもっくん」。
菊地 彰穂(きくち あきほ、1937年9月1日 - )は、愛… 菊地 彰穂(きくち あきほ、1937年9月1日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。 八幡浜高校から1956年に大映スターズへ入団。1957年に退団。
谷本 稔(たにもと みのる、1937年2月1日 - 2010… 谷本 稔(たにもと みのる、1937年2月1日 - 2010年)は、愛媛県八幡浜市出身のプロ野球選手(捕手)・コーチ・監督。 八幡浜高校1年次の1952年に板前であった父親を亡くし、「母親を楽にするために」と大学進学を諦めてプロを志す。3年次の1954年に行われた夏の甲子園県予選では打率.660と打ちまくったが、準々決勝で宇和島東高に惜敗。1955年、高校の監督が藤本定義監督の兄であった事から大映スターズに入団。1年目の同年は3月27日の東映戦(駒澤)に捕手で開幕戦スタメンデビューを果たすが、これは日本プロ野球史上初の「高卒ルーキー捕手の開幕戦スタメンデビュー」であり、2006年の炭谷銀仁朗(西武)まで51年間なかったという非常に稀な出来事でもあった。
見乗 敏茂(みのり とししげ、1936年4月8日 - )は、… 見乗 敏茂(みのり とししげ、1936年4月8日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。
加戸 守行(かと もりゆき、1934年(昭和9年)9月18日… 加戸 守行(かと もりゆき、1934年(昭和9年)9月18日 - 2020年(令和2年)3月21日)は、日本の政治家。元愛媛県知事(第14 - 16代)、元文部官僚、「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」実行委員長、日本会議愛媛県本部相談役。 関東州大連市に生まれる。愛媛県立八幡浜高等学校、東京大学法学部を1957年に卒業し、文部省(現:文部科学省)に入省[要出典]。 その後、1970年7月から1974年6月まで文化庁著作権課長として著作権法施行令及び同法施行規則を立案、ベルヌ・万国両条約パリ改正会議など著作権関係国際会議に8回出席している。1983年6月、文化庁文化部長。1983年10月、文化庁次長として著作権法一部改正など5本の法案を担当・成立させた。
二宮 政昭(にのみや まさあき、1934年9月8日 - )は… 二宮 政昭(にのみや まさあき、1934年9月8日 - )は、愛媛県西宇和郡三瓶町(現:西予市)出身の元プロ野球選手(外野手)。 愛媛県立八幡浜高等学校から1953年に大映スターズへ入団。 1956年オフに大洋ホエールズへ移籍し、1958年に引退した。
兵頭 冽(ひょうどう ただし、1934年8月9日 - 201… 兵頭 冽(ひょうどう ただし、1934年8月9日 - 2013年8月)は、愛媛県出身のプロ野球選手。ポジションは内野手。 八幡浜高校時代に若林忠志のスカウトを受け、1953年に毎日オリオンズへ入団。毎日時代は2年間で25試合の出場に留まった。 1955年に同年より若林がコーチに就任したトンボユニオンズに移籍。長身を活かした力強スイングを評価され、春のキャンプでは主力級の扱いを受けた。しかし、兵頭は周囲の期待に応えられず一割台の打率に低迷した。なお、8月2日の毎日戦に「高校時代に投手をやっていたから」との理由で敗戦処理ながら投手として初登板し、無失点に抑える。この起用に対しては、兵頭本人も「まさか本当に登板するとは」と苦笑したという。
道上 伯(みちがみ はく、1912年10月21日 - 200… 道上 伯(みちがみ はく、1912年10月21日 - 2002年8月4日)は、日本の柔道家である。講道館七段、フランス柔道連盟九段。 愛媛県八幡浜市出身。1926年、愛媛県立八幡浜商業学校(のちの県立八幡浜高校)入学を機に柔道を始める。1927年に大日本武徳会柔道初段を取得。しかし実際は1926年の時点で既に昇段審査を通過しており、13歳という当時としては異例の若さでの合格だった為、試験官の一存によりこの時点での昇段は見送られていた。その後、15歳の誕生日を迎えた時に改めて正式に初段の段位を与えられている。 1929年、武徳会二段を取得。1930年、アメリカ渡航の夢を抱き、誰にも告げずに八幡浜から出奔。
出口 宇知麿(でぐち うちまる、1903年(明治36年)1月… 出口 宇知麿(でぐち うちまる、1903年(明治36年)1月15日 - 1973年(昭和48年)5月6日)は、日本の宗教家。大本教主補佐。教祖の出口王仁三郎の第三女・八重野の夫。本名は伊佐男で、「宇知麿」は王仁三郎に命名された宗教名。 愛媛県喜多郡大洲村(現・大洲市)の佐賀家に生まれる。1918年(大正7年)8月23日、綾部の皇道大本へ初参拝。10月に愛媛県立八幡浜商業学校(現愛媛県立八幡浜高等学校)本科1年を中退して、綾部へ移住し、大本で奉仕生活に入る。 1922年(大正11年)、王仁三郎の近侍となる。 1924年(大正13年)2月、八重野と結婚して出口家に婿入りする。同年4月、大本教主補佐に任命される。
高橋 新吉(たかはし しんきち、1901年〈明治34年〉1月… 高橋 新吉(たかはし しんきち、1901年〈明治34年〉1月28日 - 1987年(昭和62年)6月5日)は、日本のダダイスト詩人。 愛媛県伊方町出身。母親を少年時代に亡くす。八幡浜商業学校(現・愛媛県立八幡浜高等学校)を中退し、以後、放浪がちの生涯を送った。1920年(大正9年)「萬朝報」の懸賞短編小説に『焔をかゝぐ』で入選、小説家としてデビュー。その後詩作に転ずる。1922年12月、「今から俺はダダを全世界に宣伝するのだ」と言ってタクシーの運転手をステッキで殴る事件(発狂事件)を起こして逮捕される。 1923年(大正12年)、詩集「ダダイスト新吉の詩」は「DADAは一切を断言し否定する」で始まり、「皿」は、食堂の皿洗いをしていた時の心境を「皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿皿/倦怠」と表現した(本来縦書きで、皿が積み重なるさまを示している)。
上原光徳(うえはら みつのり)は、愛媛県出身の経営者である。… 上原光徳(うえはら みつのり)は、愛媛県出身の経営者である。2005年bjリーグ(現B.LEAGUE)大阪エヴェッサを運営するヒューマンスポーツエンターテインメントの代表取締役に就任。リーグ初年度から3連覇を果たす。2010年5月には、スポーツによる大学改革のため芦屋大学入学戦略部長(入学事務室長兼任)、2016年12月学校法人芦屋学園理事・事務局長に就任(2017年8月退職)。2017年8月、プロバスケットボールリーグ(Bリーグ)1部西宮ストークス代表取締役に就任(2018年8月退任)。2018年11月、スポーツと教育をドメインにした事業展開のため株式会社立成社を設立、代表取締役に就任。 1961年愛媛県生まれ。
朝倉 紀行(あさくら のりゆき)は、日本の作曲家、編曲家。株… 朝倉 紀行(あさくら のりゆき)は、日本の作曲家、編曲家。株式会社メガアルファ代表。JASRACメンバー。東京都板橋区出身、愛媛県八幡浜市育ち。愛媛県立八幡浜高等学校、日本大学芸術学部卒業。本名:浅倉 紀幸、旧芸名:朝倉 紀幸(読み同じ)。 1982年、「朝倉紀幸&GANG」のボーカリストとして、TBSドラマ『刑事ヨロシク』の主題歌でデビュー、シングル3枚、アルバム2枚をリリース。 その後は作曲家に転向し、数々のアイドルやアーティストに楽曲を提供。西田ひかる、小比類巻かほる、CoCo等の楽曲を手掛ける。 1991年からは、テレビアニメやゲームソフト、映画などのサウンドトラックにも進出。 1995年、ペンネームを朝倉紀幸から現在の朝倉紀行に変更。
松坂 貴久子(まつざか きくこ)は、日本のフリーアナウンサー… 松坂 貴久子(まつざか きくこ)は、日本のフリーアナウンサー・朗読家。 愛媛県立八幡浜高校・成蹊大学卒。元静岡第一テレビ所属。埼玉県三郷市在住。温かみのある司会やセミナーには定評がある。 主婦経験と資格を活かし「人生100年きらめき続けるために」と銘打ち、朗読・話し方・暮らしのマナー・ヘルシークッキングのサロンを開く他、「アナウンサーが教えるアンチエイジングのための朗読講座」を、複数のカルチャーセンターや三郷市民企画講座・あだち区民大学塾などで開講。 埼玉県立三郷工業技術高校および三郷高校において放送部の指導にも当たっている。特に三郷工業技術高校は、指導を始めた2018年から、毎年連続で県大会決勝進出を果たすようになり、2022年には関東大会に出場。
吉良 愛(きら あい)は、日本の市民活動家。松山大学経営学部… 吉良 愛(きら あい)は、日本の市民活動家。松山大学経営学部中退。NPO法人いよココロザシ大学講師。2023年度松山商工会議所青年部副会長。 愛媛県立八幡浜高等学校普通科卒業、松山大学経営学部中退。2023年度松山商工会議所青年部副会長。 テレビ愛媛主催100人女子会の婚活セミナー、社団法人法皇青年会議所主催100人婚活イベント、四国中央市倫理法人会主催婚活イベントなど多数セミナーやイベントを開催している[出典無効]。 2012年10月には「いよココロザシ大学」にて、自身のアパレルや飲食業での接客経験を元に講義した。どんな男性がタイプかという話から始まる型破りな授業を展開し受講者の関心を引く手法は流石だ。