鈴木 哲司(すずき てつじ、1973年〈昭和48年〉 - )… 鈴木 哲司(すずき てつじ、1973年〈昭和48年〉 - )は、日本の神職(神社本庁明階)、救急救命士。 日本救急救命士協会会長を務める。 日本医師会JMATの隊員として、東日本大震災の現場でも災害救助活動を行った経歴も持つ。
國學院大學:30人
鈴木 哲司(すずき てつじ、1973年〈昭和48年〉 - )… 鈴木 哲司(すずき てつじ、1973年〈昭和48年〉 - )は、日本の神職(神社本庁明階)、救急救命士。 日本救急救命士協会会長を務める。 日本医師会JMATの隊員として、東日本大震災の現場でも災害救助活動を行った経歴も持つ。
花山院 弘匡(かさんのいん ひろただ、昭和37年〈1962年… 花山院 弘匡(かさんのいん ひろただ、昭和37年〈1962年〉9月7日 - )は、日本の神職、教育者。花山院家37代目当主。春日大社宮司。 昭和37年(1962年)9月7日、花山院親忠の長男として、佐賀県に生まれる。昭和61年(1986年)3月、國學院大學文学部神道学科卒業。 昭和62年(1987年)4月、奈良県公立学校教員に採用され、同月より奈良県立富雄高等学校、次いで平成8年(1996年)4月より奈良県立片桐高等学校、平成16年(2004年)4月からは奈良県立奈良高等学校に勤め、地理などを教えた。 平成20年(2008年)4月、春日大社宮司に就任した。同年5月、南都楽所会長・奈良国立博物館評議員に就任。
真木 千明(まき ちあき、1954年〈昭和29年〉 - )は… 真木 千明(まき ちあき、1954年〈昭和29年〉 - )は、日本の神職。日本橋水天宮第5代宮司、福徳神社宮司。 1954年(昭和29年)、久留米水天宮第27代宮司真木保典の次男として、福岡県久留米市に生まれる。真木家は累代水天宮に奉仕する社家であり、父の神明奉仕する姿を見て中学生のときには「神主になりたい」と思ったという。 1974年(昭和49年)上京し、4月、國學院大學神道学科に入学。在学時より水天宮にて毎月5日の「ご縁日」や七五三で奉仕を手伝った。昭和53年(1978年)3月卒業。翌月より赤坂日枝神社に出仕し、宮西惟喬宮司に薫陶を受けた。昭和55年(1980年)1月、権禰宜に就任。 1981年(昭和56年)11月、日本橋水天宮権禰宜に転じる。
打田 文博(うちだ ふみひろ、1953年 - )は、神職。神… 打田 文博(うちだ ふみひろ、1953年 - )は、神職。神道政治連盟会長、日本会議代表委員。 静岡県周智郡森町一宮生まれ。國學院大學神道学専攻科修了。1977年、寒川神社に奉職。1980年、神社本庁に転任。同渉外部長、神道政治連盟事務局長、日本宗教連盟事務局長などを歴任。2000年、小国神社宮司に就任。 神社本庁評議員・人事委員、伊勢神宮評議員、文化庁宗教法人審議会委員、森町文化財保護審議会会長、静岡県神社庁理事、神道政治連盟幹事長などを務める。 2012年5月30日、日本会議の主導の下、「皇室の伝統を守る国民の会」が再設立され、事務総長に就任。 2014年10月1日、日本会議の主導の下、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」が設立され、事務総長に就任。
慶光院 利致(けいこういん よしかず、昭和22年〈1947年… 慶光院 利致(けいこういん よしかず、昭和22年〈1947年〉12月18日 - )は、日本の神職。霧島神宮宮司。 1947年(昭和22年)、東京都渋谷区に於いて、神宮式年遷宮再興に尽力した慶光院院主の遺跡を継承し興された家に生まれる。1970年(昭和45年)3月、國學院大學を卒業した。 卒業後は明治神宮に奉職し、1975年(昭和50年)に同宮権禰宜に就任、1999年(平成11年)には禰宜に昇任した。 2002年(平成14年)4月、伊勢神宮権禰宜に転任した。 2005年(平成15年)、同宮禰宜に昇任した。3月17日、神宮司庁総務部次長として、庭野日鑛立正佼成会会長を外宮に案内した。6月5日から、護山神社に於いて神宮式年遷宮御用材伐採式が執り行われ、神宮司庁から利致らが供奉した。
岡田 光央(おかだ こうおう、男性、1947年10月23日 … 岡田 光央(おかだ こうおう、男性、1947年10月23日 - 、旧名 晃弥(こうや))は、日本・東京都出身の宗教家、崇教真光三代教え主(指導者)、日本宗教連盟(日宗連)理事である。 新宗連第8代理事長。在京都カザフスタン名誉総領事、日本会議代表委員を歴任。筆名八坂 東明(やさか とうめい)。 東京都渋谷区代々木出身。1964年7月、16歳で当時の真光教団(初代教団)に入信し、國學院大學文学部(神道考古学専攻)を卒業後に教団訓練部一期生となる。『八坂東明』の筆名で脚本家小山高男の協力のもと、崇教真光や岡田光玉を紹介した書籍を執筆するなど教団の活動を支えた。その後1993年に結婚した際に岡田姓を名乗るようになる。
真木 大樹(まき おおき、旧字体: 眞木 大樹、1947年〈… 真木 大樹(まき おおき、旧字体: 眞木 大樹、1947年〈昭和22年〉7月17日 - 2024年〈令和6年〉11月5日)は、日本の神職。久留米市に鎮座する水天宮の第28代宮司。 水天宮保育園園長、全国神社保育団体連合会副会長、筑後神職会会長、久留米北ロータリークラブ第21代会長などを歴任した。 1947年(昭和22年)7月17日、真木保孝の子として福岡県に生まれる。 1970年(昭和45年)3月、國學院大學文学部神道学科を卒業し、同年太宰府天満宮主典に就任、翌年権禰宜に昇任した。 1978年(昭和53年)、水天宮に復し宮司に就任した。 神社庁では、宮司就任と同年の1978年(昭和53年)福岡県神社庁協議員、1983年(昭和58年)には福岡県神社庁久留米副支部長に就任。
田中 恆清(たなか つねきよ、1944年〈昭和19年〉 - … 田中 恆清(たなか つねきよ、1944年〈昭和19年〉 - )は、神職。神社本庁総長。そのほか、全国八幡宮連合総本部長、一般財団法人日本文化興隆財団理事長、一般財団法人神道文化会会長、公益財団法人京都文化財団評議員、一般社団法人日本国際文化協会理事長、公益財団法人日本宗教連盟理事、世界連邦日本宗教委員会会長、日本会議副会長、神道政治連盟京都府本部長などを務める。 京都府生まれ。1969年國學院大學神道学専攻科修了。平安神宮権禰宜、石清水八幡宮権禰宜・禰宜・権宮司を経て、2001年より石清水八幡宮宮司。 2002年京都府神社庁長、2004年神社本庁副総長。 2010年、矢田部正巳が神社本庁総長を退任。
橋本 政宣(はしもと まさのぶ、1943年〈昭和18年〉2月… 橋本 政宣(はしもと まさのぶ、1943年〈昭和18年〉2月20日 - )は、日本の歴史学者・神職。東京大学名誉教授、鯖江舟津神社宮司、神社史料研究会代表。 1943年、福井県鯖江市で生まれた。生家は代々舟津神社の神主を務めていた。國學院大學文学部史学科で学び、1965年に卒業。同大学大学院に進み、1969年に博士課程を中退。 その後は東京大学史料編纂所に勤務。のち教授昇格。2003年、学位論文『近世公家社会の研究』を國學院大学に提出して歴史学博士の学位を取得。2003年に東京大学を定年退官した。 専門は日本近世史で、近世の朝幕関係、神道史を専門とする。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8… 角川 春樹(かどかわ はるき、1942年〈昭和17年〉1月8日 - )は、日本の編集者、実業家、映画監督、俳人、宗教家。角川源義の長男で、株式会社角川春樹事務所代表取締役社長、宗教法人明日香宮宮司、俳句結社「河」主宰を務める。角川書店の二代目社長を務め、今日のKADOKAWA、角川映画の礎を築く。1993年に麻薬及び向精神薬取締法違反などの容疑で逮捕され、角川グループ各社の役職を辞任した。釈放後、新たに出版社の角川春樹事務所を設立した。モットーは『生涯不良。何か文句あるか』 富山県中新川郡水橋町に誕生し、東京都杉並区に育つ。父は角川書店創業者の角川源義、母は富美子(旧姓鈴木)。杉並区立杉並第五小学校、杉並区立天沼中学校を経て國學院大學久我山高等学校に入学。
高井 和大(たかい かずひろ、昭和17年〈1942年〉 - … 高井 和大(たかい かずひろ、昭和17年〈1942年〉 - 令和3年〈2021年〉11月13日)は、昭和時代から令和時代にかけての日本の神職。貴船神社宮司。 1942年(昭和17年)、大阪市住吉区に生まれる。 1961年(昭和36年)、熱田神宮神職養成所を卒業。1968年(昭和43年)、國學院大學文学部国文科を卒業。 はじめ生田神社に奉職していた。神社新報社記者、神社本庁録事・主事・参事を経て、1987年(昭和62年)に神社新報社編輯長に就任した。 1992年(平成4年)5月、貴船神社宮司に就任。2011年(平成23年)3月には京都洛北・森と水の会を発足させ、その会長に就いた。その他に神社本庁研修委員、京都府神社庁理事、神道政治連盟京都府本部副本部長、京都古事の森育成協議会会長、貴船観光会会長も務めた。
矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、… 矢野 憲一(やの けんいち、1938年4月10日 - )は、日本の神職、民俗学者、鮫研究家。矢野高陽は子息。 「サメ博士」のあだ名がある。 現在の三重県伊勢市に生まれる(矢野の生誕当時は「伊勢市」は存在しない)。國學院大學文学部国史学科を卒業し、1962年から神宮に奉職する。神宮禰宜、神宮司庁広報課長、奉賽部長、文化部長、総務部副部長、神宮徴古館農業館館長を歴任した。2002年に退職して、特定非営利活動法人の五十鈴塾塾長となる。[要出典] 1977年に『ぼくは小さなサメ博士』で毎日児童小説賞を、1979年に日本旅行記賞を受賞[要出典]。1980年に『鮫の世界』『ぼくは小さなサメ博士』『鮫 ものと人間の文化史』で樋口清之博士記念賞を受賞。
花ヶ前 盛明(はながさき もりあき、1937年〈昭和12年〉… 花ヶ前 盛明(はながさき もりあき、1937年〈昭和12年〉11月2日 - )は、日本の歴史学者、郷土史学者、宮司。元高等学校教諭。 新潟県直江津市(現:上越市)出身。 新潟県立直江津高等学校を経て國學院大學文学部卒業。國學院大學大学院修士課程(日本史学専攻)修了。 越後一の宮居多神社宮司(第44代)。 元新潟県立安塚高等学校、新潟県立柿崎高等学校教諭、新潟県立直江津高等学校教諭。 新潟県文化財保護指導委員、上越市文化財調査審議会委員、上越郷土研究会会長、新潟出版文化賞選考委員などを務める。 大谷吉継や上杉氏に関する著書がある。 2010年(平成22年)、地域文化功労者文部科学大臣賞受賞。
片山 文彦(かたやま ふみひこ、1936年9月18日 - 2… 片山 文彦(かたやま ふみひこ、1936年9月18日 - 2016年7月16日)は、東京都生まれの神職、花園神社名誉宮司、医師、医学博士。神道時事問題研究会を主催。 東京市(現東京都新宿区)に生まれる。昭和医科大学卒業、1971年東京女子医科大学大学院修了(衛生学教室)、「東京女子医科大学病院の診療圏」で医学博士。國學院大學神道研修別科修了。 東京女子医科大学講師、立教大学講師、國學院大學講師を歴任。
田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月1… 田中 弘清(たなか ひろきよ、1934年〈昭和9年〉10月17日 - 2014年〈平成26年〉7月8日)は、日本の神職。石清水八幡宮宮司。 京都府神社庁監事・庁長、京都神社スカウト協議会副理事長、京都國學院院長などを務めた。 昭和9年(1934年)10月17日、田中文清の子として京都府に生まれた。 昭和41年(1966年)、國學院大學文学部神道学科を卒業した。 昭和42年(1967年)、春日大社出仕となり、翌昭和43年(1968年)に同社権禰宜、昭和54年(1979年)に禰宜に就任した。 昭和54年(1979年)、累代社家として奉職していた石清水八幡宮に還り、同宮権宮司に就任。また昭和55年(1980年)から昭和57年(1982年)まで、ボーイスカウト綴喜第1団の団委員長を務めた。
赤司 美知子(あかし みちこ、1932年〈昭和7年〉 - 没… 赤司 美知子(あかし みちこ、1932年〈昭和7年〉 - 没年不明)は、日本の女性神職。日本橋に鎮座する水天宮の第4代宮司。 1932年(昭和7年)、福岡県久留米市に社家ではなく一般家庭に長女として生まれる。家事を手伝いつつも29歳になっても嫁がないさまを見かねた父親が日本橋水天宮で勤めることを勧め、1960年(昭和35年)に上京し、翌年より水天宮に勤務。勤務当初の宮司であった甲斐田有美より神職となることを勧められたが、職員数が少ない中で一か月の休み取らなければならなかったためこれを固辞した。しかし、植田茂宮司時代になると神職数が3人に増え、支援を受けられることを承けて、1978年(昭和53年)に國學院大學に通い始め、神職資格を取得。
富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月2… 富岡 興永(とみおか おきなが、1928年〈昭和3年〉6月26日 - 2012年〈平成24年〉7月20日)は、日本の神職。富岡八幡宮宮司(第19代)。 富岡盛彦・好子の次男として東京都に生れる。別名宰一郎か。1950年、國學院大學の旧制哲学科を卒業。同年、電通に入社。 1959年、京都府宮津市にある籠神社の禰宜となる。時期は不明だが、同神社宮司の海部穀玄の長女と結婚した。 1960年、東京都に戻り富岡八幡宮の禰宜となる。 1974年9月9日、父の富岡盛彦が死去。同年、父の後継として富岡八幡宮第19代宮司に就任。 1994年10月に宮司退任。1995年3月、長男の富岡茂永が宮司となり、興永は名誉宮司となった。
渡部 英麿(わたなべ ひでまろ、1924年9月24日 - 2… 渡部 英麿(わたなべ ひでまろ、1924年9月24日 - 2011年10月12日)は、広島県広島市西本浦町(現南区)出身の宮司。元サッカー選手、指導者。 実家は広島市の黄金山に面した邇保姫神社。國學院大學出身という異色の経歴は神社の神主だからである。 広島似島中学教諭時代に日本代表に選出され、1954年のワールドカップスイス大会予選と第2回アジア競技大会(マニラ)の国際Aマッチ2試合に先発出場した。体格も良く、ゴールキーパーとして安定したプレーを見せ、名ゴールキーパーと謳われた。視力が悪かったためメガネを掛けてプレーした。当時チームでのニックネームはやはり「神主」だったという。 指導者としても活動しており、山陽高校監督として1967年、同校を全国高校選手権優勝に導いた。
高階 成章(たかしな なりあき、大正3年〈1914年〉 - … 高階 成章(たかしな なりあき、大正3年〈1914年〉 - 昭和54年〈1979年〉9月24日)は、日本の神職、神道学者。橿原神宮権宮司。奈良芸術短期大学教授。 大正3年(1914年)、高階研一を父として、兵庫県に生まれた。昭和2年(1927年)、父が諏訪神社の宮司を拝命すると、共に長野県に移ったようであり、このころには#論文に見えるように諏訪信仰に関する論考を著している。昭和12年(1937年)3月、國學院大學史学科卒業。このときの卒業論文題目は「足利氏の郷土に於ける信仰」であった。内務省考証官補、神祇院考証官補、文部省国宝調査嘱託となった。 昭和24年(1949年)6月30日、父が宮司を務める橿原神宮の権宮司に就任した。
河辺 三郎(かわべ さぶろう、旧字体: 河邊 三郞、1913… 河辺 三郎(かわべ さぶろう、旧字体: 河邊 三郞、1913年〈大正2年〉7月24日 - 没年不詳)は、日本の華族(男爵)、神職。 大正2年(1913年)7月24日、河辺博長の三男として、東京都に生まれる。 昭和5年(1930年)4月4日に父博長が帰幽すると、同年7月1日に17歳で家督を継承、男爵となった。昭和11年(1936年)國學院大學付属神道部を卒業すると、同年大洗磯前神社・酒列磯前神社主典に就任、昭和15年(1940年)には伊豆山神社主典に転じた。昭和18年(1943年)からは実業界にて活躍した。昭和23年(1948年)3月28日には長男慶三郎が誕生した。 昭和37年(1962年)、下鴨神社禰宜に就任した。
副島 廣之(そえじま ひろゆき、1913年 - 2007年)… 副島 廣之(そえじま ひろゆき、1913年 - 2007年)は、昭和・平成時代の神職、政治活動家。明治神宮権宮司。「日本を守る会」と「日本を守る国民会議」の両団体の初代事務総長を務め、日本会議に連なる保守運動に挺身した。 広島県広島市生まれ。佐賀藩の須古鍋島家の家臣の副島家に生まれる。父親の副島知一は副島家第13代に当たる。1934年、國學院大學神道部を卒業した。 熊野那智大社、坐摩神社に勤めたのち、1940年に明治神宮に入った。1945年4月の空襲で本殿が焼失すると、戦後、御社殿の戦災復興募金活動や御社殿の復興に尽力したとされる。明治神宮の権宮司をつとめるとともに明治神宮崇敬会の事務局長、理事長、副会長として組織の発展に貢献した。
出雲路 敬和(いずもじ よしかず、1908年12月13日 -… 出雲路 敬和(いずもじ よしかず、1908年12月13日 - 1978年4月19日)は、神職、京都評論家。 京都市出身。出雲路信直の子孫。國學院大學文学部卒、立命館大学教授、成安女子短期大学学長。
黒神 直久(くろかみ なおひさ、1907年〈明治40年〉12… 黒神 直久(くろかみ なおひさ、1907年〈明治40年〉12月5日 - 1987年〈昭和62年〉5月11日)は、日本の政治家、神職。山口県徳山市長(3期)、神社本庁総長を歴任した。 山口県都濃郡徳山町(現・周南市)の遠石八幡宮宮司の家に生まれる。1930年(昭和5年)3月、國學院大學神道部卒業。1932年(昭和7年)3月、県社祐綏神社社司、1933年(昭和8年)5月、県社児玉神社社司、1938年(昭和13年)2月、県社遠石八幡宮社司などを歴任し、この間、徳山町立実業実践学校講師を務めた。1947年(昭和22年)3月、徳山市復興土地区画整理委員会副委員長、同委員長などを務めた。 1952年(昭和27年)8月24日付で徳山市長の池清が健康上の理由により辞職。
牛尾 三千夫(うしお みちお、1907年4月5日 - 198… 牛尾 三千夫(うしお みちお、1907年4月5日 - 1986年9月17日)は、日本の民俗学者、神職、歌人。現代に神がかりを残す大元神楽の伝承者で主に神楽と田植歌の分野で功績を残している。 1907年4月5日、島根県邑智郡市山村(現江津市桜江町市山)に生まれる。実家は神職を家職としていた。 1921年、市山村尋常高等小学校を卒業し島根県立浜田中学校に入学するも、長期の病気療養を経て1925年に退学、広島市の私立山陽中学校に編入し1927年に卒業した。医科大学進学を希望していたが、兄の死により牛尾が家業を継ぐことになり國學院大學神道部に進学する。なお母の死によって上京は1年遅れる。 在学中、鈴木棠三、三谷栄一らとともに方言研究会を創設し会誌「方言」を発刊するも3号で廃刊する。
長尾 薫(ながお かおる、1904年〈明治37年〉10月28… 長尾 薫(ながお かおる、1904年〈明治37年〉10月28日 - 1982年〈昭和57年〉2月22日)は、日本の神職。橿原神宮宮司。劔神社宮司、御上神社宮司、橿原神宮権宮司を歴任し、また滋賀県神社庁参事、奈良県神社庁長、神社本庁常務理事などを務めた。 明治37年(1904年)10月28日、岡山県勝田郡豊並村(現奈義町)大字関本に生まれた。 大正10年(1921年)4月1日、皇典講究所神職養成部(現國學院大學)乙種に入学。大正12年(1923年)3月30日、皇典講究所國學院大學神職養成部乙種を卒業し、同時に雅楽部を修了した。 大正12年(1923年)7月12日、橿原神宮に奉職して出仕となり、八級俸を受けた。
守屋 光春(もりや みつはる、明治37年〈1904年〉2月1… 守屋 光春(もりや みつはる、明治37年〈1904年〉2月1日 - 昭和63年〈1988年〉1月26日)は、日本の政治家、神職。歌人としては花醉(かすい)と号した。 政治家として神奈川県三浦郡葉山町の町議会議員を2期、町長を3期務めたほか、神職としては四條畷神社宮司、森戸大明神宮司、伏見稲荷大社宮司を歴任し、伏見稲荷大社名誉宮司となった。息子は、のちに同じく葉山町長を務めた守屋大光。 明治37年(1904年)2月1日、守屋喜代太郎・ヒデ夫妻の長男として、神奈川県に生まれた。守屋家は森戸大明神の累代の社家である。 地元の旧制中学校を卒業後、大正12年(1923年)國學院大學高等師範部に入学。在学中は折口信夫・武田祐吉らに古典を学び、特に短歌に秀でていた。
高階 研一(たかしな けんいち、明治18年〈1885年〉11… 高階 研一(たかしな けんいち、明治18年〈1885年〉11月25日 - 昭和42年〈1967年〉10月4日)は、明治時代末期から昭和時代後期にかけて活躍した日本の神職。 丹生川上神社宮司、石上神宮宮司、廣田神社宮司、札幌神社宮司、諏訪神社宮司、橿原神宮宮司を歴任したほか、長野県神社協会理事、全国神職会理事、皇典講究所理事、奈良県神社庁初代庁長、神社本庁第3代事務総長、同理事、同顧問を務めた「神社界の重鎮」であった。 明治18年(1885年)11月25日、元豊岡藩士高階幸造を父に、兵庫県城崎郡田鶴野村に生まれた。 大学は國學院大學師範部国語漢文科に進んだ。同期には折口信夫がおり、研一と折口との交流は折口が亡くなるまで続いている。
千家 国麿 は、日本の神職。出雲大社権宮司。
網谷 道弘(あみたに みちひろ)は、日本の神職。近江神宮宮司… 網谷 道弘(あみたに みちひろ)は、日本の神職。近江神宮宮司。明治神宮権禰宜・禰宜・権宮司、大根地神社禰宜を歴任し、明治神宮崇敬会理事長、世界宗教者平和会議日本委員会理事、日本会議理事長などを務めた。 大学卒業後企業に就職した。結婚時、仲人になった明治神宮の宮司に「君みたいな人が神主になるといいんだよね」と言われたことが引っ掛かり、4年ほどのちに神職になることを決め、國學院大學に学んだ。 昭和60年(1985年)、明治神宮に奉職し、平成元年(1989年)に権禰宜に就任、平成19年(2007年)に禰宜に昇任した。 平成21年(2009年)9月27日、小石川大神宮秋季例祭に、明治神宮中島精太郎宮司の代理(来賓)として参列した。
高井 大輔(たかい だいすけ)は、日本の神職。貴船神社宮司。… 高井 大輔(たかい だいすけ)は、日本の神職。貴船神社宮司。 1975年(昭和50年)、高井和大の長男として東京都に生まれる。國學院大學文学部神道学科を卒業した。卒業後は、大阪の建築設計事務所に勤務していた。 2009年(平成21年)石清水八幡宮権禰宜に就任した。さらに父が宮司を務める貴船神社権禰宜に転任、2020年(令和2年)に同社禰宜に昇任した。父の帰幽を承けて2021年(令和3年)12月1日に神社本庁より同社宮司に任命。