太田 浩兒(おおた こうじ、1928年8月8日 - 1988… 太田 浩兒(おおた こうじ、1928年8月8日 - 1988年10月13日)は、日本の映画プロデューサー、映画監督、脚本家である。 1928年(昭和3年)8月8日、神奈川県横浜市に生まれる。 東京市大森区調布嶺町(現在の東京都大田区鵜の木)の旧制・東京中学校(現在の東京高等学校)を卒業して旧制・東京高等師範学校に進学、同校は1949年(昭和24年)5月に設立された新制・東京教育大学(現在の筑波大学の母体)に包括されたため、同学哲学科に在籍、1953年(昭和28年)3月に同学を卒業した。「好きな映画で生活していこう」と考え、同年4月2日、定期採用第2期生として東映に入社した。企画本部に配属され、東京撮影所演出部に配転された。
横山 昭市(よこやま しよういち、1928年8月7日 - 2… 横山 昭市(よこやま しよういち、1928年8月7日 - 2023年11月10日)は、日本の地理学者(専攻は人文地理学なかんずく政治地理学)。愛媛大学名誉教授。 1928年(昭和3年)東京都渋谷区生まれ。東京高等師範学校文科(地理・歴史専攻)3年修了、東京文理科大学(後の筑波大学)地理学専攻卒。1965年(昭和40年)『香港工業化の研究』にて理学博士(東京教育大学)。 愛媛大学文理学部助教授、同法文学部教授に就く。 この間、米国ワシントン大学客員研究教授、総理府事務官・国土庁国土審議会特別委員、愛媛県文化の里整備委員長、県史編纂部会長、しまなみ海道イベント企画委員長、愛媛県文化振興財団評議員、愛媛県美術館運営委員などを歴任。
伊津野 朋弘(いつの ともひろ、1928年7月17日- )は… 伊津野 朋弘(いつの ともひろ、1928年7月17日- )は、日本の教育行政学者。東京学芸大学名誉教授。 熊本県山鹿市出身。海軍兵学校、1953年東京文理科大学教育学科卒、千葉県教育研究所研究員、千葉県立千葉東高等学校教諭、北海道教育大学助教授、東京学芸大学助教授、教授、92年定年退官、名誉教授、日本女子大学教授、97年退任。
高橋 華王(たかはし かおう、1928年(昭和3年)7月3日… 高橋 華王(たかはし かおう、1928年(昭和3年)7月3日 - 2003年(平成15年)8月14日)は古武術研究家・武道家(宮本武蔵円明流判官派第14代宗家)、教育者、セルフディフェンスビクス発案者。東京理科大学経営学部教授。 福島県伊達市出身。福島師範学校(現:福島大学)、東京教育大学、日本体育大学を卒業。東京教育大学、東京外国語大学、明治大学、日本女子体育大学講師を経て、東京理科大学経営学部教授。教授を務める傍ら、東京大学医学部解剖学教室にて人体解剖生理学を研究。 宮本武蔵円明流判官派第14代宗家(関西・武蔵円明流、東京・武蔵円明流判官派などとは異なる)。東洋医学に精通し、鍼灸の資格も持っていた。
都筑 卓司(つづき たくじ、1928年6月26日 - 200… 都筑 卓司(つづき たくじ、1928年6月26日 - 2002年7月13日)は、日本の物理学者。横浜市立大学名誉教授(理学博士)。 静岡県浜松市生まれ。東京文理科大(東京教育大学の前身校の一つ)でノーベル賞物理学者の朝永振一郎に師事。 1957年8月に横浜市立大学文理学部講師となり、以後助教授(1961年4月)を経て、1972年4月に教授に就任する。 趣味は「都市探索」で、社交ダンスもたしなんだ。 1970年頃から物理学に関する約40冊以上の著書を残した。講談社ブルーバックスでは17冊の著書を刊行し、2017年現在でもシリーズ中著者として最多(刊行部数はその時点で累計340万部)である。ブルーバックスの編集者からは、都筑の著書は「本が好きであれば科学の知識がなくても読めること」が魅力で、「宇宙・素粒子などの私たちの日常とはかけ離れた世界を題材にして「科学」というものの「驚き」を教えてくれ」、「ブルーバックスの原点ともいえるスタイル」との評価を受けている。
金子 隆芳(かねこ たかよし、1928年〈昭和3年〉5月17… 金子 隆芳(かねこ たかよし、1928年〈昭和3年〉5月17日 - 2022年〈令和4年〉7月2日)は、日本の心理学者。文学博士。専門領域は知覚心理学、色彩学。筑波大学名誉教授。日本心理学会元理事長。社会的活動としては、日本色覚差別撤廃の会会長を務めた。位階勲等は正四位瑞宝中綬章。 その後、日本大学大学院芸術学研究科非常勤講師等を務めた。「石原式色覚異常検査表」に代わる新しい学校教育用色覚検査表「色のなかまテスト」(Color Mate Test、CMT)を眼科医の高柳泰世と共同で開発。自らが色覚異常であることを公表し、日本色覚差別撤廃の会会長として活動した。
宮腰 太郎(みやこし たろう、1928年4月13日 - 20… 宮腰 太郎(みやこし たろう、1928年4月13日 - 2009年5月6日)は、日本の文筆家、放送作家。東京府生まれ。本名:裕(ゆたか)。 生年を昭和4年(1929年)とするプロフィールもある。 (旧制)武蔵高等学校卒業、東京教育大学文学部中退。その後、雑誌編集者、映画脚本家(または映画監督)、コピーライターを経て、フリーライターとなる。1979年から2009年1月まで、TBSラジオの番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』の構成作家(筋書き作家)を務めた。担当番組については、パーソナリティ(口演)・小沢昭一との共著という形で書籍化された。 2009年5月6日、気管支肺炎のため、東京都町田市の病院で死去。
江口 孝夫(えぐち たかお、1928年4月3日- )は、日本… 江口 孝夫(えぐち たかお、1928年4月3日- )は、日本の国文学者。江田 孝二(えだ こうじ)名義での著作もある。 千葉県生まれ。東京教育大学東洋文学科卒、東京成徳短期大学教授を務め、1999年退職。上代から近世までの日本文学・日本漢詩を研究し多数の著作を執筆、後年は特に川柳の紹介に力を尽くした。ほか大学入試の参考書も書いた。
田中 彰(たなか あきら、1928年3月20日 - 2011… 田中 彰(たなか あきら、1928年3月20日 - 2011年11月9日)は、日本の歴史学者。北海道大学名誉教授。専門は、日本近代史。 山口県徳山市生まれ。戦中は陸軍予科士官学校に在籍。1953年、東京教育大学文学部卒業。1959年、同大学院文学研究科博士課程修了。都留文科大学助教授、北海道大学文学部助教授、同教授。1991年、北海道大学停年退官。札幌学院大学経済学部教授。2000年、札幌学院大学退職。 陸軍予科士官学校生徒として終戦降伏を迎えた敗戦体験が、幕末・明治維新史研究の起点となる。明治以降の近代日本史を批判的に取り組み、石橋湛山による小国主義(小日本主義)、近代天皇制を軸とした大日本帝国否定論を基調としている。
光瀬 龍(、1928年〈昭和3年〉3月18日 - 1999年… 光瀬 龍(、1928年〈昭和3年〉3月18日 - 1999年〈平成11年〉7月7日)は、日本のSF作家。本名は飯塚 喜美雄。旧姓は千葉で、結婚する際に妻の姓に改めた。 東京府北豊島郡南千住大字千住南に生まれ、1933年から1945年3月まで板橋区練馬南町に育つ。東京市開進第三国民学校5年生のときに海野十三の短編集『十八時の音楽浴』を読み、強い感銘を受ける。 川村学院中学校在学中、1945年4月、岩手県胆沢郡前沢町(現・奥州市)に疎開する。岩手育ちと自称していたが、実際に岩手ですごしたのは17歳から20歳までの3年間のみである。この間、光瀬は一関中学校(現・一関第一高等学校)に学び、1948年3月に同校を修了するまで青春期のひとときを謳歌している。
垣田 高夫(かきた たかお、1928年2月23日 - 201… 垣田 高夫(かきた たかお、1928年2月23日 - 2018年10月11日)は、日本の数学者。専門は、偏微分方程式論・関数解析学。学位は、理学博士。早稲田大学名誉教授。2015年春瑞宝中綬章受章。 1928年(昭和3年) 岐阜県生まれ。1952年(昭和27年) 東京文理科大学数学科を卒業。早稲田大学理工学部教授。1999年、早稲田大学を停年退職[要出典]。早稲田大学名誉教授。最終講義は「カンタンの枕」[要出典]。2015年春の叙勲で瑞宝中綬章受章。 2018年10月11日死去。
村石 昭三(むらいし しょうぞう、1928年2月7日 - )… 村石 昭三(むらいし しょうぞう、1928年2月7日 - )は、日本の言語教育学者。国立国語研究所名誉所員。埼玉大学教育学部教授・東京家政大学教授を歴任。 静岡県生まれ。東京文理科大学大学院心理学研究科修士課程修了。国立国語研究所所員、同言語教育研究部長。1989年、埼玉大学教育学部教授。1993年、退官、東京家政大学教授。 言葉の誤用を指摘する『お言葉ですが…』という題の本は、高島俊男より先に村石が出していた。
山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月… 山本 正三(やまもと しょうぞう、1928年〈昭和3年〉1月3日 - 2025年〈令和7年〉1月6日)は、日本の地理学者。位階勲等は従四位瑞宝中綬章。 筑波大学名誉教授。筑波大学自然学類長、筑波大学附属高等学校長、第27代日本地理学会会長等を歴任した。学位は理学博士(東京教育大学・1961年)。 静岡市生まれ。1945年(昭和20年)静岡県立静岡中学校卒業。1948年(昭和23年)東京高等師範学校文科4部3年修了。1951年(昭和26年)東京文理科大学地学科地理学専攻卒業。1951年(昭和26年)4月、静岡県立静岡城内高校教諭。1952年(昭和27年)3月、同校教諭退職。1955年(昭和30年)東京文理科大学(研究奨学生)前期修了。
吉野 正敏(よしの まさとし、1928年1月1日 -2017… 吉野 正敏(よしの まさとし、1928年1月1日 -2017年7月4日)は、日本の地理学者・気候学者・気象学者。東京都出身。 東京文理科大学地学科地理学卒。東京教育大学大学院、1953年同助手、1961年「風に及ぼす小地形の影響」で理学博士の学位を取得。1957年に法政大学助教授となり、その後、教授となる。1961-1963年ボン大学研究奨学生。1974年に筑波大学教授となり、1992年に定年退官し名誉教授となる。その後、愛知大学教授となる。1967-1968年ハイデルベルク大学客員教授。 2001年から2010年まで国際連合大学の上席学術顧問をつとめた。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
下平 和夫(しもだいら かずお、1928年1月 - 1994… 下平 和夫(しもだいら かずお、1928年1月 - 1994年3月7日)は、日本の数学史研究者、和算史研究者。 1957年、東京教育大学理学部数学科卒業。1967年、日本大学大学院理工学研究科修士課程修了、前橋市立工業短期大学助教授、のち教授。1978年、「初期円理の発達 関孝和の業績の根源」で日本大学より学術博士の学位を取得。1983年、国士舘大学教授。在職中に死去。
宇田川 宏(うだがわ ひろし、1928年 - 2017年8月… 宇田川 宏(うだがわ ひろし、1928年 - 2017年8月30日)は、日本の教育学者。専攻は教育内容・教育方法。 東京生まれ。旧制城北中学校を経て、1955年東京教育大学文学部哲学科卒業。日本福祉大学社会福祉学部教授、教育科学研究会常任委員、全国民主主義教育研究会副会長、「教育委員の区民投票を成功させる中野区民連絡会」会長。 現代哲学の理論をふまえて道徳を意味の問題であるととらえ、その立場から道徳と道徳教育の本質、内容、方法の検討を試みることが、道徳教育の研究に必要であると呈示した。教育と福祉の制度間接続について研究した。道徳教育、社会科教育、生活指導に関する提言を行った。教育科学研究会の機関誌『教育』、全国民主主義教育研究会の機関誌『未来をひらく教育』への寄稿者となった。
太田 陽子(おおた ようこ、1928年 - 2024年3月3… 太田 陽子(おおた ようこ、1928年 - 2024年3月30日)は、日本の地理学者、横浜国立大学名誉教授、国立台湾大学特任教授。専門は、変動地形学であり、漆原和子とともに日本の地形学における女性研究者の草分け的な存在として知られている。 東京に生まれ、東京文理科大学地理学科を卒業し、東京教育大学大学院理学研究科地理学専攻を修了した。 横浜国立大学教育学部教授を経て、1994年に専修大学文学部教授となる。横浜国立大学名誉教授となっている。 この間、1960年代から活褶曲、活断層、海成段丘などの調査に数多く参加し、特に、国内外各地の現地調査を踏まえた海成段丘の高度分布を手がかりにした最終間氷期以降の地殻変動の研究を展開して、国際的に評価された。
坂東 義教(ばんどう よしのり、1927年10月21日 - … 坂東 義教(ばんどう よしのり、1927年10月21日 - 1978年11月15日)は、北海道旭川市出身の日本の元教育評論家。モーニングショーの子育て講座で知られている。 幼少時を函館市で過ごしたが、遊ぶ環境では津軽地方出身の人も多く、後述のように津軽弁も交えた独特の話し方のもとになっている。 東京文理大卒業。専攻は教育学。主に子どもを取り巻く教育や家庭環境などの記載がみられる。北海道教育大学や函館大谷短期大学で教鞭を執り、また地元・北海道を中心にした講演活動も増えていく。道内各地で講演した内容を太陽出版社から「愛情心理教室」として出版し、三松出版社の政経界月刊誌「ろんだん」にも1977年秋から家庭問題、子どもの非行、自殺などの問題に関する寄稿を連載していた。
千原 光雄(ちはら みつお、1927年9月15日 - 201… 千原 光雄(ちはら みつお、1927年9月15日 - 2016年8月17日)は、日本の藻類学者、筑波大学名誉教授。 千葉県生まれ。1952年、東京文理科大学生物学科卒業、東京教育大学下田臨海実験所助手。1961年、「日本産カギノリ科植物の生活環」で東京教育大学理学博士。 1964年より国立科学博物館植物研究部勤務、1972年、東京教育大学助教授、教授、筑波大学教授、91年定年退官、名誉教授。1991年より1998年まで日本赤十字看護大学教授、1998年より2003年まで千葉県立中央博物館館長。 2016年死去、叙従四位、瑞宝中綬章追贈。
藤野 保(ふじの たもつ、1927年(昭和2年)9月5日 -… 藤野 保(ふじの たもつ、1927年(昭和2年)9月5日 - 2018年(平成30年)5月14日)は、日本の日本史学者。文学博士。専攻は日本近世史。 1927年、長崎県で生まれた。1951年、東京文理科大学史学科を卒業。1959年、東京教育大学大学院の博士課程を修了。 1962年、学位論文『幕藩体制史の研究』を東京文理科大学に提出して文学博士号を取得。同論文は、同時に東京文理科大学賞を受賞した。1965年、九州大学文学部附属九州文化史研究施設助教授となった。1972年に教授昇格。1975年から1983年には九州文化研究施設長を務めた。1986年、中央大学文学部教授に転じ、1998年に退職。 2018年5月14日、多臓器不全のため死去。
坂本 昇一(さかもと しょういち、1927年(昭和2年)8月… 坂本 昇一(さかもと しょういち、1927年(昭和2年)8月18日 - )は、日本の教育学者。千葉大学名誉教授。 神奈川県川崎市生まれ。1945年海軍兵学校中退、1947年(旧制)横浜工業専門学校(のち横浜国立大学工学部)卒業、横浜市の中学校教諭となり、1956年東京教育大学卒、64年同大学院博士課程満期退学後、都立教育研究所員。千葉大学教育学部助教授、教授。1970年「アメリカのガイダンスにおける哲学的前提に関する研究」で東京教育大学より教育学博士の学位を取得。1992年千葉大を定年退官、名誉教授、聖徳大学教授、同児童学研究所長。文部省の「児童生徒の問題行動に関する調査研究協力者会議」主査。1998年「学校は万能ではない」として限界主義の答申を行う。
南原 宏治(なんばら こうじ、1927年〈昭和2年〉6月7日… 南原 宏治(なんばら こうじ、1927年〈昭和2年〉6月7日 - 2001年〈平成13年〉12月20日)は、日本の俳優。本名は伍井 卯和二(いつい うわじ、旧姓は則竹)。神奈川県横浜市出身。最後の所属事務所はアクターズプロモーション。 元妻は、宝塚歌劇団出身で女優の上月左知子。長女は元宝塚歌劇団月組男役の嘉月絵理。長男は俳優の南原健朗、次男は元俳優の山口正朗。 父親が刑務所長だったことから横浜刑務所の官舎で生まれ、東京府八王子市などで育った後、学徒動員で中国に渡り、天津で終戦を迎える。戦後は東京農業教育専門学校を経て、東京大学農学部中退。 1951年、スポーツニッポン新聞社主催の「ミスターニッポンコンテスト」で準ミスターニッポンに選出されたのをきっかけに、第6期ニューフェイスとして大映入りする。
室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 200… 室木 洋一(むろき よういち、1927年6月4日 - 2003年12月8日)は日本の武道家であり、教育者。戦後、北海道に空手を普及した先駆者。 1980年(昭和55年)の和道流、和道会の分裂騒動においては全日本空手道連盟和道会へ所属。北海道大学退官後は、空手道関連の役職から退き、後任に道を譲る。生涯個人の道場を持たず、流派を問わずして空手振興に尽力した。晩年は、合気柔術の大東流合気柔術幸道会の顧問を務め、空手道では全日本清心会(清心流空手道)技術顧問も務めた。
表 章(おもて あきら、1927年4月26日 - 2010年… 表 章(おもて あきら、1927年4月26日 - 2010年9月7日)は、日本の能楽研究者。法政大学名誉教授。能楽史、世阿弥伝書などの研究で知られる。長男の表きよし(1958年 - 、国士舘大学教授)も、能楽研究者である。 石川県金沢市に生まれる。1951年、東京文理科大学卒業。同年、法政大学能楽研究所助手。1956年、法政大学文学部専任講師、1962年、教授。1991年、財団法人観世文庫常務理事。1998年、法政大学を定年退職、名誉教授。 1995年『喜多流の成立と展開』で、法政大学より博士(文学)の学位を取得、同年12月角川源義賞受賞。2005年、瑞宝中綬章受章。2010年、第31回観世寿夫記念法政大学能楽賞受賞、同年6月、能楽史研究で恩賜賞・日本学士院賞を受賞したが、9月7日に自宅で亡くなった。
伊藤 虎丸(いとう とらまる、1927年3月30日 - 20… 伊藤 虎丸(いとう とらまる、1927年3月30日 - 2003年1月31日)は、日本の中国文学者。専門は中国近現代文学、魯迅と日本の比較、郁達夫と創造社など。 東京都生まれ。1944年、旅順工科大学に入学するも、日本が敗戦して帰国。帰国後は肺結核を発病して5年間病床に就き、この間にキリスト教を信仰するようになる。1953年、東京教育大学文学部に入学し、中国文学を専攻する。同大学院を経て東京大学大学院中退。明治学院高等学校教諭、1963年広島大学教授、1973年和光大学教授、1980年東京女子大学教授。1995年明海大学教授、2000年退任、平和学園理事長。 2003年1月31日、肺炎のため死去。
島田 とみ子(しまだ とみこ、1927年3月23日 - 20… 島田 とみ子(しまだ とみこ、1927年3月23日 - 2001年8月10日)は、日本のジャーナリスト・評論家。 埼玉県出身。東京文理科大学英文科卒。朝日新聞記者を経て、東海大学外国語教育センター(英語)教授。1992年退職、名誉客員教授。女性・老人問題について発言した。 2001年8月10日、くも膜下出血のため死去。
久保 義三(くぼ よしぞう、1927年3月4日 - 2014… 久保 義三(くぼ よしぞう、1927年3月4日 - 2014年11月19日)は、日本の教育史学者。武蔵野美術大学名誉教授。 東京出身。1951年東京文理科大学(現・筑波大学)教育学科卒業、同大学特別研究生修了。1958年武蔵野美術大学短期大学部講師、助教授、武蔵野美術大学教授、1969年学長、名誉教授、学校法人武蔵野学院理事長。政治学者の久保文明は長男。
台 利夫(臺 利夫、うてな としお、1927年 - 2023… 台 利夫(臺 利夫、うてな としお、1927年 - 2023年)は、日本の心理学者、筑波大学名誉教授。 東京生まれ。1952年東京文理科大学心理学科卒業、1981年「自発的行為と役割関係の統合的発展に関する研究 慢性分裂病者への心理劇的接近」で早稲田大学文学博士。法務技官(心理)として少年鑑別所に勤務しサイコドラマを実践・研究。國學院大學教授、筑波大学教授、2001年定年退官、名誉教授、文教大学教授。
内山 知也(うちやま ちなり、1926年11月15日 - 2… 内山 知也(うちやま ちなり、1926年11月15日 - 2018年7月29日)は、日本の漢文学者、筑波大学名誉教授。斯文会常務理事、漢字文化振興会常務理事。専門は漢文小説。 1926年、新潟県生まれ。東京文理科大学漢文学専攻で学んだ。卒業後は同大学研究科へ進んだが、太平洋戦争の戦局悪化により応召し、1945年に復学。 その後は、新潟大学教育学部講師に着いた。大東文化大学助教授・教授を経て、1976年より筑波大学教授となった。1980年に学位論文『隋唐小説研究』を筑波大学に提出して文学博士号を取得。1992年に筑波大学を定年退官し、名誉教授となった。同年より大東文化大学教授となり、1997年に退職した。
三枝 孝弘(さいぐさ たかひろ、1926年9月25日 - 没… 三枝 孝弘(さいぐさ たかひろ、1926年9月25日 - 没年不詳)は、日本の教育学者、名古屋大学名誉教授。 長野県松本市出身。東京教育大学教育学部卒業、同大学院教育学研究科教育学専攻修士課程修了。岡山大学教育学部助教授、名古屋大学教育学部教授。同名誉教授、埼玉大学教授、白鷗大学教授。2005年瑞宝中綬章受勲。
岡野 恒也(おかの つねや、1926年9月2日 - 2003… 岡野 恒也(おかの つねや、1926年9月2日 - 2003年7月21日)は、日本の心理学者、動物行動学者。 東京市(現大田区大森)生まれ。1950年東京文理科大学心理学科卒。1956年同大学院修了。1955年松商学園短期大学助教授、1956年東横学園女子短期大学助教授、1967年明星大学人文学部助教授。1972年「類人猿の知能的行動に関する心理学的研究」で東京教育大学文学博士、静岡大学教養部教授、1982年日本女子大学文学部教育学科教授、1990年同人間社会学部心理学科教授、1995年愛知みずほ大学教授、1997年学長、1999年退任。
高野 桂一(たかの けいいち、1926年8月28日 - 20… 高野 桂一(たかの けいいち、1926年8月28日 - 2012年3月31日)は、学校経営を専門とする教育学者。九州大学名誉教授。 栃木県安蘇郡生まれ。別名・晃雨山。1951年東京文理科大学教育学科卒。1976年「学内規程に関する理論的・実証的研究 その形成過程と規範論理の分析を中心として」で東京教育大学教育学博士。秋田大学学芸学部助教授、東京都立教育研究所で『教育社会学研究』の編集に当たる。奈良学芸大学助教授、校名変更で奈良教育大学助教授、九州大学教育学部助教授、教授、1989年定年退官、名誉教授。同年早稲田大学客員教授に着任し、1997年退職。この間、日本教育経営学会大会実行委員長を担った。
奥津 敬一郎(おくつ けいいちろう、1926年〈大正15年〉… 奥津 敬一郎(おくつ けいいちろう、1926年〈大正15年〉8月6日 - 2017年〈平成29年〉9月8日)は、日本の言語学者。東京都立大学名誉教授。文学博士。 神奈川県横浜市出身。1950年に東京文理科大学哲学科卒、1955年に同大学院修了。 米国国務省外務研究所専任講師、1962年に国際基督教大学専任講師、助教授、教授をへて、1973年に東京都立大学教授、1987年に定年退官、名誉教授となり、日本女子大学文学部教授。1992年に神田外語大学教授。1999年に退任。 いわゆる「うなぎ文」という呼称を定着させた人物である。
芳賀 登(はが のぼる、1926年7月30日 - 2012年… 芳賀 登(はが のぼる、1926年7月30日 - 2012年2月26日)は、日本の日本史学者。筑波大学名誉教授。 愛知県豊橋市生まれ。1951年東京文理科大学史学科卒業後、高校教師を経て、大阪教育大学に赴任。東京教育大学が廃止され、筑波大学が設立されるにあたって同大教授に就任。大江志乃夫ら東京教育大学日本史教室の教員は、東京教育大学の廃止に反対して全員が筑波大学に横滑りしなかったため、井上辰雄・田沼睦・岩崎宏之・大濱徹也らは芳賀の招請によって筑波大学に赴任した。副学長を務め、1990年に定年を2年前に退官、東京家政学院大学教授、理事長を務めた。日本風俗史学会会長も務めた。 幕末の国学を専門とするが、著作の分野は多岐にわたる。
平田 博則(ひらた ひろのり、1926年(大正15年)6月2… 平田 博則(ひらた ひろのり、1926年(大正15年)6月20日 - 2024年(令和6年)2月11日)は、日本の数学者、昭和薬科大学名誉教授。囲碁のアマチュア強豪として知られる。アマ四強 (囲碁)と呼ばれる一人。福岡県出身、東京都福生市在住。 福岡県大刀洗生まれ。小学2年の時に一家で上京し、荒川区その後大田区蒲田に移って本屋を始め、囲碁好きの父の影響で碁を覚えた。大森の私立東京中学校に通ううちに囲碁に熱中し、増淵辰子門下の吉原一郎準棋士に指導を受けて二年ほどで二子に上達、15歳の時に増淵辰子の紹介で日本棋院院生となる。1942年の入段試験で岩田正男(岩田達明)らとともに初段を認められるが、戦争のために囲碁を打つ状況ではなかった。
海老原 治善(えびはら はるよし、1926年6月6日 - 2… 海老原 治善(えびはら はるよし、1926年6月6日 - 2005年8月)は、日本の教育学者。 東京出身。東京教育大学卒。国民教育研究所員、関西大学助教授、教授、1983年東京学芸大学教授、1990年定年退官、東海大学教育研究所教授。1997年退職。海後勝雄らの教育史研究会に参加、教育政策史を研究。著作集全8巻がある。
石川 松太郎(いしかわ まつたろう、1926年4月20日 -… 石川 松太郎(いしかわ まつたろう、1926年4月20日 - 2009年5月26日)は、日本の教育学者である。 東京出身。東京文理科大学卒業。和洋女子大学教授、図書館長、日本女子大学教授を経て、昭和女子大学大学院講師を務めた。父は石門心学研究の石川謙。父のあとを継ぐように日本教育史の研究に志す。江戸時代の寺子屋の研究や、そこで使われた往来物と呼ばれる教科書類の研究に力を注ぎ、謙堂文庫と称する、往来物などのコレクションは、近世往来物集成として刊行されるにいたった。 また、時代劇などでの寺子屋が登場する場面などでの、時代考証の指導をすることもあった(NHK『寺子屋ゆめ指南』など)。 なお、謙堂文庫の往来物コレクションは、没後は東京書籍の運営する東書文庫に移管され、その他の近世期の和書は横浜国立大学の図書館に寄贈された。
浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 … 浅野 勇(あさの いさむ、1926年〈大正15年〉3月1日 - 2007年〈平成19年〉1月23日)は、日本の政治家。岐阜市長(3期)。
石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日… 石渡 信一郎(いしわたり しんいちろう、1926年1月16日 - 2017年1月8日)は、日本古代史研究家。東京都出身。 1953年、東京文理科大学(現筑波大学)文学部英文科卒業。1953年~1977年、東京都立千歳高等学校教諭。 主に以下のような説を主張している。
西平 直喜(にしひら なおき、1926年1月13日 - )は… 西平 直喜(にしひら なおき、1926年1月13日 - )は、日本の教育心理学者、創価大学名誉教授。 東京生まれ。東京高等師範学校国語漢文専攻卒、東京文理科大学心理学科卒業。1950年財団法人野間教育研究所勤務、1953年山梨大学講師、助教授、教授、保健管理センター所長・付属中学校校長兼職、1980年「青年心理学の方法論的研究」で九州大学より教育学博士の学位を取得。1988年創価大学教育学部教授。特任教授、名誉教授。日本青年心理学会名誉会員。財団法人野間教育研究所評議員。京大教授の西平直は子。
中野幸次(なかの こうじ、1926年(大正15年) - 20… 中野幸次(なかの こうじ、1926年(大正15年) - 2001年)は、日本の哲学者。学位は、文学博士。昭和女子大学教授を経て、昭和女子大学名誉教授。栃木県出身。栃木県立栃木商業高等学校を卒業後、東京文理科大学哲学科大学院、東京教育大学文学部言語学科を経て、昭和女子大学教授、昭和女子大学名誉教授。 1926年、栃木県に生まれた。1944年、栃木県立栃木商業高等学校商業科を卒業。その後は東京文理科大学哲学科に進み、同大学大学院を1956年に修了。1958年、東京教育大学文学部言語学科を卒業。 1958年10月、昭和女子大学専任講師に就いた。後に同大学教授に昇進。1993年、学位論文『人倫と自然の形而上学』を筑波大学 に提出して博士の学位を取得。
本山 博(もとやま ひろし、1925年12月15日 - 20… 本山 博(もとやま ひろし、1925年12月15日 - 2015年9月19日)は、日本の超心理学者、心理学者、宗教家。国際宗教・超心理学会(IARP)初代会長、宗教心理学研究所初代所長、玉光神社名誉宮司、カリフォルニア人間科学大学院大学(CIHS)創設者。 香川県小豆郡(小豆島)出身。東京文理科大学(現筑波大学)卒業。 本山は、のちに玉光神社を開いた母の指導の下で、幼少の頃より滝行や断食、般若心経の読誦などの修行をしていた。 クンダリニー・ヨーガの研究者であり、立花隆によればその研究は世界的に有名であり、ユネスコ本部は、本山を世界の著名な超心理学者十人の一人に選出したという[要ページ番号]。心霊手術やユリ・ゲラーの超能力、外気功、福来友吉の念写の研究、霊の憑依現象、輪廻転生等に肯定的な発言をしている。
水江漣子(みずえ れんこ、1925年11月5日 - 1993… 水江漣子(みずえ れんこ、1925年11月5日 - 1993年3月13日)は、日本近世史学者。 大分県生まれ。1949年東京文理科大学史学科卒。1971年東京教育大学大学院博士課程中退、1976年「江戸の都市的発達に関する研究」で文学博士。文教大学教授。 1993年3月13日、くも膜下出血による敗血症のため死去。
佐藤 喬(さとう たかし、1925年(大正14年)8月23日… 佐藤 喬(さとう たかし、1925年(大正14年)8月23日 - 2020年(令和2年)8月4日)は、日本の英語学者、慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。1953年東京教育大学文学部卒業。1961 - 62年フルブライト奨学生としてミシガン大学に学ぶ。1964年慶應義塾大学法学部講師、70年助教授、75年教授、1990年定年退任、名誉教授、明海大学教授。日本英語教育研究所所長、日本国連協会理事。 2020年8月4日、脳梗塞のため東京都中野区の病院で死去、94歳没。
白川 清(しらかわ きよし、1925年8月11日 - )は、… 白川 清(しらかわ きよし、1925年8月11日 - )は、日本の農業経済学者、名城大学名誉教授。 岐阜県出身。東京農業教育専門学校卒。1962年「資本の運動と地代」で東京大学農学博士。農林省農業総合研究所、名城大学商学部教授。1998年定年、名誉教授。
梶 哲夫(かじ てつお、1925年(大正14年)8月2日 -… 梶 哲夫(かじ てつお、1925年(大正14年)8月2日 - )は、日本の教育学者。筑波大学名誉教授。社会科教育学専攻。 東京府東京市浅草区田町生まれ。1945年東京高等師範学校卒業、同年4月東京文理科大学倫理学科に入るが、5月に陸軍特別甲種幹部候補生となり、前橋陸軍予備士官学校の士官候補生で敗戦を迎える。1948年、東京文理科大学卒業、副手、東京教育大学助手。1952年、同附属中学高校教諭。1966年、文部省初等中等教科調査官。1972年、東京教育大学助教授、1974年同教授。1976年、筑波大学教授。1989年定年退官、名誉教授。
小玉 正任(こだま まさとう、1925年(大正14年)6月2… 小玉 正任(こだま まさとう、1925年(大正14年)6月27日 - 2016年(平成28年)9月6日)は、日本の官僚、民俗学者。正四位。 秋田県出身。1951年東京文理科大学卒業後、総理府に入庁。1972年の復帰時に沖縄開発庁総務局総務課長、1974年迎賓館次長、1976年沖縄開発庁総合事務局長、1978年内閣広報室長、1979年賞勲局長、1982年に沖縄開発事務次官、1984年退職、公害等調整委員会委員。1995年、勲二等旭日重光章受章。 1995年から2006年まで沖縄協会の4代目会長を務めた。国立公文書館長、統計情報研究開発センター理事長なども務めた。官僚時代には、琉球大学図書館による琉球関係資料の収集予算の確保に尽力。
小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日… 小池 健男(こいけ たけお、1925年(大正14年)4月1日 - )は、日本のフランス文学者。 福島県福島市生まれ。1956年東京教育大学卒、58年同大学院修士課程修了、1966年同助教授、1977年筑波大学助教授、大妻女子大学短期大学部教授。
川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月2… 川本 崇雄(かわもと たかお、1925年〈大正14年〉3月23日- 2020年〈令和2年〉2月8日)は、日本の言語学者、上越教育大学・創価大学名誉教授。 群馬県碓氷郡安中町(現・安中市)生まれ。東京高等師範学校を経て、東京文理科大学英文学科卒。群馬県立太田高等学校教諭、近畿大学講師、奈良教育大学助教授、上越教育大学教授、89年定年退官、名誉教授、創価大学教授、2000年退任、名誉教授。日本語について、アルタイ系の基層語の上に南島系言語が重なったと推定している。 2020年2月8日、肺炎のため八王子市内の病院にて死去。94歳没。叙従四位、瑞宝小綬章追贈。
古田 光(ふるた ひかる、1925年2月8日 - 2007年… 古田 光(ふるた ひかる、1925年2月8日 - 2007年3月17日)は、日本の哲学研究者。横浜国立大学名誉教授。 中国・撫順市生まれ。1944年第三高等学校卒業。1947年東京文理科大学卒業。1954年横浜国立大学講師、1969年助教授、1970年教授。1990年定年退官、名誉教授、唯物論研究協会委員長、富山国際大学教授。 2004年4月瑞宝中綬章受章。2007年3月17日、胃癌のため死去。