杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は… 杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 北海道小樽潮陵高等学校→早稲田大学→国鉄北海道 1968年グルノーブルオリンピックの代表に選ばれたものの、競技では補欠に回り出場しなかった。
北海道小樽潮陵高等学校:10人
杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は… 杉本 政徳(すぎもと まさのり、1946年2月6日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 北海道小樽潮陵高等学校→早稲田大学→国鉄北海道 1968年グルノーブルオリンピックの代表に選ばれたものの、競技では補欠に回り出場しなかった。
板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は… 板垣 宏志(いたがき ひろし、1945年4月27日 - )は、北海道出身の元ノルディック複合・スキージャンプ選手。北海道小樽潮陵高等学校、明治大学商学部卒業後、国土計画入社。 1968年グルノーブルオリンピックから3大会連続出場。グルノーブルオリンピックは複合で出場し、得意のジャンプで2位につけたがクロスカントリーでは30位のタイムでトータル10位。 1972年札幌オリンピックでは笠谷幸生、金野昭次、青地清二、藤沢隆らと共に“7人の侍”と呼ばれたジャンプメンバーの1人で、70m級ジャンプは前日にメンバーが7人から4人に絞られ出場できなかったが、90m級ジャンプでは70m級銅メダルの青地に代わって出場。
松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日… 松井 孝(まつい たかし、1940年2月27日 - )は、日本の元スキージャンプ選手。 北海道小樽市出身。小樽潮陵高校-早稲田大学-羽幌炭鉱。 1960年のスコーバレーオリンピックに出場し30位。1962年のノルディックスキー世界選手権ザコパネ大会では65m級21位、90m級25位。同年のユニバーシアード冬季大会では5位入賞を果たした。
佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は… 佐藤 耕一(さとう こういち、1931年9月21日 - )は、1950年代に活躍した日本の元ノルディック複合、スキージャンプ選手。北海道小樽市出身。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)-明治大学卒業後、クロバー乳業入社。1958年会社合併により雪印乳業に移籍。 1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは2種目に出場、ノルディック複合で33位、ジャンプで39位の成績を残した。 1960年スコーバレーオリンピックではジャンプで22位。 1955年第33回全日本スキー選手権複合優勝。1959年第37回全日本スキー選手権ジャンプ競技優勝。
吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 201… 吉沢 広司(よしざわ ひろじ、1931年5月5日 - 2013年4月7日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 ジャンプの名門北海道小樽潮陵高等学校で本格的にジャンプを始め、早稲田大学教育学部卒業後、同和鉱業で競技を続ける。冬季オリンピックに2回連続で出場した。 初出場の1952年オスロオリンピックでは36位タイ。旗手を務めた1956年コルチナ・ダンペッツオオリンピックでは1本目9位に付けたものの2本目18位で結局13位に終わった。 全日本スキー選手権を1953年第31回、1955年第33回、1958年第36回、1960年第38回と合計4回制している。
川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )… 川島 弘三(かわしま こうぞう、1926年9月26日 - )は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。 スキーの名門旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)入学時は野球の選手で1年からセカンドのレギュラーとなったが、3年の冬にスキー部へ移り本格的にジャンプを始める。戦後明治大学に進学し、1948年の全日本学生スキー選手権大会(インカレ)で優勝、1952年のオスロオリンピック代表(42位)。
久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 194… 久保 登喜夫(くぼ ときお、1921年10月2日 - 1945年4月28日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合選手。大日本帝国海軍軍人。神風特別攻撃隊隊員として戦死した悲劇のジャンプ選手として有名である。 1921年10月2日に北海道小樽市で生まれた。実家近く(小樽市奥沢・眞栄地区)にゲレンデが多かった影響もあり、少年時代よりスキーの才能を開花させた。1935年に旧制小樽中学(現・北海道小樽潮陵高等学校)入学後は、校内にジャンプ台・山小屋風ヒュッテ・夜間照明など恵まれた環境を活かし、メキメキ実力を上げていった。そして4年生だった1939年の第17回全日本スキー選手権大会ノルディックスキー・スペシャルジャンプ少年の部で65.5m,60mのジャンプを見せ、総合点222.5の成績で優勝を果たした。
龍田 峻次(たつた しゅんじ、1914年12月23日 - 1… 龍田 峻次(たつた しゅんじ、1914年12月23日 - 1991年1月1日)は、北海道小樽市出身の元スキージャンプ選手。「竜田」という表記もあり。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)を経て、早稲田大学専門部商科卒業。 1936年のガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピックに出場し、73.5m、77.0mを飛ぶがいずれも転倒、46位に終わる。2本目の77.0mはこの大会最長の飛距離だった。 引退後はスコーバレー・グルノーブル両オリンピックでスキーチームの監督をつとめ、その後も全日本スキー連盟の常任理事を務めるなど、スキー界に携わった。実弟の龍田鳳三も元ジャンパーでスキー連盟常任理事などを歴任。
宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005… 宮嶋 巌(みやじま いわお、1914年5月2日 - 2005年6月21日)は、北海道小樽市出身のスキージャンプ選手。宮島の表記もある。 旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)4年時にジャンプを始めた。中学卒業後、小樽高等商業学校(現:小樽商科大学)に進む。 高等商業学校在学中の1936年にガルミッシュ・パルテンキルヒェンオリンピックに出場、31位だった。本人は「恥ずかしいばかりの成績」と不本意な結果だった。 当時主流だった両腕を前に伸ばして前傾するフォームではなく、現在において主流になっている両腕を身体に添えるフォームを用いていたという。
安達 五郎(あだち ごろう、1913年1月1日 - 1999… 安達 五郎(あだち ごろう、1913年1月1日 - 1999年9月13日)は、1930年代に活躍した日本の元スキージャンプ選手。 1913年、北海道余市郡赤井川村出身で牧場を営んでいた安達正平(のちに第17代赤井川村村長)の5男として生まれる。旧制小樽中学(現:北海道小樽潮陵高等学校)- 鉄道省札幌鉄道局(札鉄、現・JR北海道鉄道事業本部)、伊黒正次は旧制小樽中学の同期生である。 オリンピックに2大会連続で出場、19歳で出場した1932年のレークプラシッドでは8位に入賞するも、1936年ガルミッシュ=パルテンキルヒェンでは45位と振るわなかった。1936年のホルメンコーレン大会では3位に入賞している。