スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
野村 玲子(のむら りょうこ、1961年(昭和36年)8月2… 野村 玲子(のむら りょうこ、1961年(昭和36年)8月21日 - )は、日本のミュージカル女優および浅利演出事務所代表者。北海道旭川市出身。元劇団四季所属。夫は浅利慶太。 北海道旭川商業高等学校卒業後、富士銀行旭川支店の窓口に勤務したが、1年間で退職、ミュージカル女優を志し1981年上京、劇団四季の研究所に入る。 入団前からの憧れの役は『ウエストサイド物語』のマリア役だった。 1983年劇団員に昇格、初舞台は「エビータ」のミストレス役。 その後、『ジーザス・クライスト=スーパースター』のマグダラのマリア、『コーラスライン』のディアナなどを務めて同劇団の看板女優となる。 1988年のオペラ座の怪人では、初演オリジナルキャストとしてクリスティーヌ役を演じ、市村正親のファントムと共にスポーツ新聞で取り上げられるなど大きく注目された。
加藤 喜代美(かとう きよみ、男性、1948年3月8日 - … 加藤 喜代美(かとう きよみ、男性、1948年3月8日 - )は、アマチュアレスリング選手。1972年ミュンヘンオリンピックレスリングフリースタイル・52キロ級(旧フライ級)金メダリスト。北海道旭川市出身。最終学歴は専修大学卒業。4年次に専修大学レスリング部主将。3学年下の1年次に長州力がいた。身長150cm代と小柄だったため、飛び上がってまで長州らを引っぱたいて折檻することもあった(長州談)という。そこから長州ら専修大学レスリング部は4年連続大学日本一になっている。これまでに10人の五輪オリンピアンを輩出。 北海道旭川商業高等学校から専修大学を経て、三信電気に入社。全日本選手権で1968~71年と4連覇を達成したが、1971年の世界選手権では6位。
菅原 功一(すがわら こういち、1944年6月24日 - … 菅原 功一(すがわら こういち、1944年6月24日 - )は、日本の政治家(旭川市議、北海道議会議員、旭川市長)。また、ばんえい競馬を運営する北海道市営競馬組合の管理者も務めた。 北海道旭川市出身。北海道旭川商業高等学校卒。 旭川市議、北海道議会議員(自由民主党所属、当選2回)を経て1994年11月に実施された旭川市長選挙で初当選した。1998年には再選を、2002年には3選を果たしている。 主な功績に、旭山動物園の再生計画の推進(新施設建設)などがあるが、2002年に実施された旭川市長選挙では対立候補の元道議・東国幹に227票差まで詰め寄られる接戦となり、選挙後当時の助役が公職選挙法違反で逮捕されたり、金銭の貸借問題など数多くの疑惑を抱え、2004年にはリコール運動が起こった。
吉田 義勝(よしだ よしかつ、1941年10月30日 - )… 吉田 義勝(よしだ よしかつ、1941年10月30日 - )は、日本の元アマチュアレスリング選手。実業家。1964年東京オリンピックレスリングフリースタイル・フライ級金メダリスト。 北海道旭川市出身。北海道旭川商業高等学校定時制課程でアマチュアレスリングを始め、日本大学に進学。1964年、大学4年の時に全日本選手権で優勝したことで八田一朗(当時の日本レスリング協会会長)の指名で東京オリンピック代表に選出される。代表選出後は当時世界最強と言われ、日本選手が勝てなかった強敵のアリ・アリエフ(ロシア語版)(ソ連)打倒のために、当時のフライ級第一人者だった今泉雄策と徹底的にスパーリングを行ったという。 本番のオリンピックではアリエフ(ソ連)と5回戦で戦い、素早い動きでアリエフを封じ、アリエフが対戦相手を引き寄せる際に踵に体重が乗る癖を見抜いて終了間際にアリエフのバックを取ってポイントを奪い、1-0で勝利。
石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は… 石鉢 勝美(いしばち かつみ、1931年7月26日 - )は、北海道出身の元プロ野球選手(投手)。 旭川商業高校から旭川鉄道管理局を経て、1953年に名古屋ドラゴンズへ入団。同年退団。 1956年から1964年まで旭川協会に所属した。
佐々木 義照(ささき よしてる、1930年 - )は、日本の… 佐々木 義照(ささき よしてる、1930年 - )は、日本の政治家・元地方公務員。北海道紋別郡興部村出身。北海道立旭川第二工業学校卒。1971年自治大学校卒。北海道上湧別町町長(1981年-1993年)。 1967年上湧別町役場に入る。役場に勤めながら自治大学校に通い、1971年に卒業。その後、同町税務課長、総務課長、教育委員会委員長などを経て、1981年上湧別町長選に出馬し、初当選。以後、連続3期務めた。1993年に引退。 アメリカ合衆国のケンタッキー州を視察して地元のトウモロコシでバーボン・ウイスキーを作るなど行動派の首長として有名。また、畑作・酪農・流氷観光のみで過疎に悩む上湧別町を1987年に漫画による「まちおこし」構想を企画し、1990年に日本漫画家協会の協賛を得て「オホーツク国際漫画大賞」を創設し、開催地を上湧別町とする事で町の活性化を図った。
五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - … 五十嵐 広三(いがらし こうぞう、1926年3月15日 - 2013年5月7日)は、日本の実業家、政治家。位階は従三位。勲等は勲一等。 企業組合ほっかい民芸舎理事長、北海道民芸品株式会社代表取締役社長、北海道旭川市長、衆議院議員(5期)、建設大臣(第59代)、内閣官房長官(第58代)、株式会社ほくみん代表取締役会長などを歴任。 1926年生まれ。1943年に北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)を卒業後、愛別村立愛山国民学校の助教として勤務した。その後、陸軍第7師団に入営し訓練を受けていたが、1945年に太平洋戦争が終結した。その後、1953年に民芸品販売店を開き、ほっかい民芸舎の理事長、北海道民芸品の社長などを歴任した。
荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2… 荒 憲治郎(あら けんじろう、1925年11月25日 - 2002年11月10日、76歳没)は、日本の経済学者。一橋大学名誉教授。中山伊知郎門下で専門はマクロ経済学。1974年から1975年まで日本経済学会会長。 今上天皇の学生時代の個人教授としても知られる。 荒ゼミナール出身者としては、時子山和彦(元一橋大学教授)、鈴村興太郎(一橋大学名誉教授・文化功労者・日本学士院会員・元日本経済学会会長・紫綬褒章受章者・日本学士院賞受賞者)、美濃口武雄(一橋大学名誉教授)、伊藤隆敏(一橋大学名誉教授、東京大学名誉教授、元日本経済学会会長、紫綬褒章受章者、コロンビア大学教授)、矢吹雄平(元岡山大学教授)、高橋はるみ(参議院議員)(元北海道知事)、新田八朗(富山県知事)、金田勝年(元法務大臣、外務副大臣)、枝廣直幹(福山市長)、田中正昭(元東京国税局長)、吹野博志(元デルコンピュータ会長)、西條辰義(元一橋大学教授)、山﨑和之(国連大使、元外務審議官)、浅田統一郎(中央大学教授)、戸田学(早稲田大学教授)、鴇田忠彦(東京都立大学名誉教授)、田村紀之(東京都立大学名誉教授)、楠本捷一朗(筑波大学名誉教授)、篠塚友一(筑波大学教授)、皆川正(名古屋大学名誉教授)、武隈慎一(一橋大学名誉教授)、山崎昭(一橋大学名誉教授)、丸山雅祥(神戸大学名誉教授)、小栗誠治(滋賀大学名誉教授)、杉田定大(元経済産業省大臣官房審議官、元東京工業大学特任教授)、矢野康治(元財務事務次官)、瀧本徹(元観光庁観光地域振興部長)などがいる。
石田 孝(いしだ たかし、1918年〈大正7年〉10月15日… 石田 孝(いしだ たかし、1918年〈大正7年〉10月15日 ‐ 1987年〈昭和62年〉)は、日本の政治家。北海道浜頓別町長(1980年 ‐ 1987年)。 北海道枝幸郡頓別村出身。北海道庁立旭川商業学校卒業。戦時中は徴兵により戦地に赴く。復員後、1947年に頓別村村議会議員に初当選。以後、浜頓別町制に移行後も当選を続け、連続8期32年務める。この間、1962年(昭和37年)から1979年(昭和54年)まで浜頓別町議会議長や1962年(昭和37年)から1980年(昭和55年)まで浜頓別町商工会長、1970年(昭和45年)から1980年(昭和55年)まで北海道商工会連合会副会長を務めた。同年、町長が参院選立候補のため辞職したのに伴い実施された町長選に立候補し、前町長の後継者とされた前助役を破って、初当選を果たした。
八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 -… 八匠 衆一(はっしょう しゅういち、1917年3月30日 - 2004年6月21日)は、昭和・平成期の小説家。 北海道旭川市生まれ。本名は松尾一光。北海道庁立旭川商業学校(現・北海道旭川商業高等学校)、日本大学芸術学園卒。講師の伊藤整や東大生だった梅崎春生と知り合う。戦時中は召集により第7師団に入隊。戦後に再上京するが、過度の飲酒とヒロポン中毒のために深夜の路上で刑事事件を起こし、札幌刑務所で服役。そこで女性看守坂東知子と知り合う。仮出所後、上川町の義兄宅に寄宿。1954年、札幌で伝道師となっていた知子と結婚する。 名古屋の同人誌『作家』に「未決囚」を発表、1955年に直木賞候補となる。1958年、再上京し「地宴」で作家賞、1982年、『生命盡きる日』で平林たい子文学賞受賞。