スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
猿子 恵久(さるこ しげひさ、1957年4月28日 - )は… 猿子 恵久(さるこ しげひさ、1957年4月28日 - )は、日本の政治家。岩手県雫石町長(2期)。元雫石町議会議員(3期)。 岩手県雫石町長山生まれ。岩手県立盛岡農業高等学校卒業。 2003年(平成15年)、雫石町議会議員に初当選。2011年(平成23年)、3期目の当選。同年、議長に就任。 2014年(平成26年)10月19日に行われた雫石町長選挙に立候補。この年の選挙は現職の深谷政光、元職の中屋敷十、猿子の3人の争いとなったが、次点で落選。2015年(平成27年)、岩手県農業法人協会理事に就任。 2018年(平成30年)10月28日に行われた町長選に再度挑戦。現職の深谷政光との一騎打ちを制し、初当選を果たした(猿子:4,881票、深谷:4,326票)。
小笠原 正一(おがさわら しょういち、1946年1月1日 -… 小笠原 正一(おがさわら しょういち、1946年1月1日 - )は、岩手県出身の元プロ野球選手。ポジションは外野手。 岩手県立盛岡農業高等学校から、1964年、日通盛岡へ。4番打者で強肩強打の外野手として活躍。 都市対抗野球で盛岡鉄道管理局の補強選手として後楽園の土を踏んでいる。 1971年のドラフトで阪神から4位指名され入団。「東北のスラッガー」と言われ、ウエスタンでは中軸を打ったが、一軍公式戦に出場がなく、1974年に引退。 引退後、フロント用具係・スコアラーとして活躍した後、阪神園芸でグランド整備を担当した。 鹿島アントラーズの小笠原満男の叔父にあたる。
北畑光男(きたばたけ みつお、1946年 - )は、日本の詩… 北畑光男(きたばたけ みつお、1946年 - )は、日本の詩人。村上昭夫の研究の第一人者。 岩手県岩泉町生まれ。埼玉県上里町在住。岩手県立盛岡農業高等学校、酪農学園大学酪農学部卒。岩手県や埼玉県の公立学校教員を務める。1976年埼玉文学賞準賞。1991年の『救沢まで』で富田砕花賞、2012年『北の蜻蛉』で丸山薫賞受賞。河邨文一郎主宰の詩誌『核』終刊まで同人であり続けた。「撃竹」「歴程」創刊同人。村上昭夫研究誌「雁の声」主宰。2014年日本現代詩人会理事長。
川口 民一(かわぐち たみかず、1931年〈昭和6年〉7月2… 川口 民一(かわぐち たみかず、1931年〈昭和6年〉7月23日 - 2022年〈令和4年〉5月30日)は、日本の政治家。岩手県雫石町長(2期)や岩手県議会議員(1期)を歴任。位階は従五位。旭日小綬章。 岩手県岩手郡雫石町出身。旧制岩手県立盛岡農学校(現・岩手県立盛岡農業高等学校)卒。卒業後の1949年御所村役場に入る(のち合併で雫石町役場勤務)。1971年雫石町議会議員に当選。4期務め、副議長、議長を務めた。 1986年、雫石町長選挙に立候補し、現職を破って当選。1989年に鶯宿温泉開発(株)社長と雫石町観光協会会長に就任した。雫石町長は2期務め、1994年の町長選挙で元岩手県議会議長の川口善弥に敗れた。
工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 20… 工藤 祐信(くどう すけのぶ、1927年9月11日 - 2012年4月17日)は、岩手県盛岡市出身のスピードスケート選手。早稲田大学卒業。 予科練から戻ってからスケートを始めた。1948年の国民体育大会では1500mで2位となった。岩手県立盛岡農業高等学校(当時 岩手県立柏高等学校)教諭を務めていた1952年に、オスロオリンピックに出場。男子500mで15位、1,500mで33位という記録を残した。 現役引退後は、日本スケート連盟スピードスケート委員長を務めたり、1998年から2007年まで岩手県スケート連盟会長を務めた。 盛岡市が1998年冬季オリンピックの開催地に立候補した際、誘致活動に携わっている。
中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 19… 中村 直(なかむら ただし、1912年11月27日 - 1996年8月3日)は日本の政治家。衆議院議員(1976年~)、岩手県知事(1979年~1991年)を務めた。身長180センチ、体重80キロ(1984年の記録)と大柄だった。 1912年、岩手県紫波郡紫波町で生まれる。岩手県農学校、産業組合学校を卒業後、産業組合職員などを経て1938年に岩手県職員となる。岩手県副知事や岩手銀行専務を経て、1976年の第34回衆議院議員総選挙で岩手県第1区から出馬し当選。2年3ヶ月の代議士生活の後、1979年に岩手県知事となって3期12年間を務めた。 鈴木善幸を政治の師と仰ぎ、知事在任中は三陸鉄道を鉄道としては全国で初の第三セクターにしているほか、岩手めんこいテレビの開局に尽力した。
高橋 勝四郎(たかはし かつしろう、1885年(明治18年)… 高橋 勝四郎(たかはし かつしろう、1885年(明治18年)12月9日 - 1972年(昭和47年))は、日本の獣医師。馬産家として名高い。岩手県胆沢郡南下幅村(現在の奥州市)出身。父の高橋音四郎は南都田村の村議会議員。 生家は農家で、馬の飼育も手掛けていた。そのことから勝四郎は幼少の頃から馬と身近に接しながら育った。当時の慣例により5歳の時に南下幅尋常小学校に入学。卒業後農業補習科に3年通い、水沢尋常高等小学校の高等科4年生に編入。卒業後は師範学校に進学するつもりであったが13歳だった勝四郎は入学年齢に達しておらず、入学年齢に達するまでの間、母校の南下幅尋常小学校に代用教員として勤務することになった。
恩田 鉄弥(おんだ てつや、1864年12月16日(元治元年… 恩田 鉄弥(おんだ てつや、1864年12月16日(元治元年11月18日) - 1946年(昭和21年)6月10日)は、明治から昭和時代前期の園芸学者。農学者。農商務技師。園芸試験場場長。 大坂出身。駒場農学校を卒業し、1885年(明治18年)農学士の学位を得、福島県に出仕する。ついで福岡県尋常中学校教諭、埼玉県の埼玉県尋常師範学校教諭、岩手県農事講習所(岩手県立盛岡農業高等学校の前身)教師を経て、1892年(明治25年)岩手県技師を拝命する。1895年(明治28年)岩手県農事講習所長となり、1896年(明治29年)農商務農事試験場技師に任じ、1900年(明治33年)農商務技師を兼ね、初代園芸部長を務めた。
上田 農夫(うえだ のうふ、1848年6月30日(嘉永元年5… 上田 農夫(うえだ のうふ、1848年6月30日(嘉永元年5月30日)- 1895年(明治28年)8月29日)は、明治時代の政治家。衆議院議員(1期)。幼名は馬太郎。 陸奥国岩手郡、のちの岩手県南岩手郡東中野村(現盛岡市)で盛岡藩士・上田長次の二男として生まれる。藩校作人館を経て1872年(明治5年)東京で遊学し、帰郷後の1876年(明治9年)岩手県に奉職する。聴訟課権少属、警部を経て、久慈警察署長、一関警察署長を歴任。1877年(明治10年)の西南戦争では官軍の新撰旅団小警部心得として出征する。自由民権運動に加わり、政治結社・求我社に加わった。1879年(明治12年)には岩手県会議員に当選し、議長を歴任した。