スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
山口 廉王(やまぐち れお、2006年5月14日 - )は、… 山口 廉王(やまぐち れお、2006年5月14日 - )は、東京都大田区出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。オリックス・バファローズ所属。 練馬区立田柄第二小学校1年生のときに軟式野球を始め、青森県の『野内ヤンキース』でのプレーを経て、宮城県の多賀城市立高崎中学校時代は硬式野球の『宮城北部リトルシニア』でプレー。小中ともにメインポジションは捕手ながら、成長痛もあって内野手と投手も兼任していた。 仙台育英高校へ進学し、投手一本で勝負してみたいという願望を抱いていたが、中学時代から違和感があった右肘がドクターチェックで緊急手術を要する状態であることが判明。成長する前の軟骨が破損しており、膝の骨を肘に移植するという手術を入学直後の5月に受けた。
山田 脩也(やまだ しゅうや、2005年8月20日 - )は… 山田 脩也(やまだ しゅうや、2005年8月20日 - )は、宮城県仙台市青葉区出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 6歳年上の兄、利輝の影響で仙台広瀬リトルリーグで野球を始め、小学校6年生の時にWBSC U-12ワールドカップの日本代表に選出された。その後仙台東部リトルシニアを経て、利輝も在籍した仙台育英学園高等学校へ進学。 仙台育英学園高等学校では1年春から遊撃手のレギュラーを務める。2年夏の第104回全国高等学校野球選手権大会では2番打者として全試合に先発出場し、東北勢初となる優勝に貢献した。同年秋から主将を務めた。3年春の第95回記念選抜高等学校野球大会ではベスト8に進出。
伊藤 樹(いとう たつき、2003年8月24日 - )は、秋… 伊藤 樹(いとう たつき、2003年8月24日 - )は、秋田県仙北郡美郷町出身のプロ野球選手。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 小学校6年時には東北楽天ゴールデンイーグルスジュニアでプレー。仙台育英高校でのプレーに憧れ、系列の秀光中学校に入学するために小学校卒業後に秋田から転居した。秀光中3年次には全中軟式大会の決勝で高知中の森木大智と投げ合ったが、惜しくも準優勝に終わった。 仙台育英学園高等学校に進学し、1年夏と3年春に甲子園出場。3年夏は宮城県大会で仙台商に1点差で敗れ、3季目の甲子園出場とはならなかった。1学年先輩に入江大樹、同級生に同じ年に埼玉西武へ入団した秋山俊、2学年後輩に山田脩也がいた。
秋山 俊(あきやま しゅん、2003年4月20日 - )は、… 秋山 俊(あきやま しゅん、2003年4月20日 - )は、北海道登別市出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 登別市立富岸小学校に入学し、小学1年から軟式野球を始める。また、小学6年の時には北海道日本ハムファイターズのジュニアチームに入る。登別市立緑陽中学校に進み、中学時代は登別ビッグ・フラップ・オーシャンに所属する。その後、仙台育英学園高等学校に進学し、1年の秋からベンチ入りする。2年の秋からレギュラーに定着し、主に「3番・中堅手」を、3年では4番を務めた。 中京大学では1年の春から中堅手としてレギュラーになり、主に7番で起用される。2年の秋から「3番・三塁手」、3年の春からまた中堅手に戻っている。
入江 大樹(いりえ だいき、2002年6月6日 - )は、大… 入江 大樹(いりえ だいき、2002年6月6日 - )は、大阪府堺市出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。東北楽天ゴールデンイーグルス所属。 中学校時代は堺中央ビッグボーイズに所属し、中学校卒業後は仙台育英高校に進学。 2020年のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスからドラフト5位指名を受けた。11月18日には契約金3000万円、年俸550万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は63。 2021年、1月14日にドラフト会議前から痛めていた左肩の手術(左反復性肩関節脱臼による修復術)を受けた。8月18日に二軍戦で公式戦デビューを果たし、初打席で初安打を放った。最終的に二軍戦で20試合に出場した。
西巻 賢二(にしまき けんじ、1999年4月22日 - )は… 西巻 賢二(にしまき けんじ、1999年4月22日 - )は、福島県会津若松市出身のプロ野球選手(内野手・育成選手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 会津若松市立小金井小学校2年時から小金井ブレーブスで野球を始め、4年時から小名浜少年野球教室、6年時には東北楽天ゴールデンイーグルスのジュニアチームに所属した。 小学校を卒業した後に、宮城県仙台市の秀光中等教育学校へ進学。軟式野球部で3年時に全国制覇を達成した。前期課程の3年間を修了した後に、系列校の仙台育英高校へ進学した。 仙台育英高校では、1年時春からベンチ入りを果たすと、夏には2学年先輩の佐藤世那、平沢大河、郡司裕也などと共に第97回全国高等学校野球選手権大会で準優勝。
郡司 裕也(ぐんじ ゆうや、1997年12月27日 - )は… 郡司 裕也(ぐんじ ゆうや、1997年12月27日 - )は、千葉県市原市出身のプロ野球選手(捕手、内野手、外野手)。右投右打。北海道日本ハムファイターズ所属。 小学校1年から野球を始め(ちはら台ファイターズ)、3年の時に自ら志願し捕手となる。6年の時には津留﨑大成や網谷圭将らとともに千葉ロッテマリーンズジュニアに選ばれる。中学時代は千葉市リトルシニアに所属しキャプテンを務めた。中学3年の春には全国大会優勝を遂げた。同期には網谷圭将、1学年後輩に藤平尚真、齊藤伸治、中村亮太などがいた。 慶應義塾高校への進学を目指したが不合格となり、仙台育英高校に進学。2年秋には明治神宮大会で優勝した。3年春は第87回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦の神村学園戦では3安打の活躍を見せたが、2回戦では平沼翔太擁する敦賀気比高校に敗れた。
平沢 大河(ひらさわ たいが、1997年12月24日 - )… 平沢 大河(ひらさわ たいが、1997年12月24日 - )は、宮城県多賀城市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。埼玉西武ライオンズ所属。 多賀城市立城南小学校時代から軟式野球を始めると、地元球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが運営する「楽天イーグルスベースボールスクール」に所属していた。中学時代は七ヶ浜リトルシニア(現仙台伊達リトルシニア)で野球を続けた。 仙台育英学園高等学校への進学後は、1年時の春から公式戦に出場。1年時の秋から、遊撃手のレギュラーに定着した。2年時の秋に出場した明治神宮野球大会・高校の部では、浦和学院高等学校との決勝戦で2点本塁打を放ち、チームの優勝と翌春の第87回選抜高等学校野球大会への出場権確定に貢献した。
佐藤 世那(さとう せな、1997年6月2日 - )は、宮城… 佐藤 世那(さとう せな、1997年6月2日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙台市立南光台東小学校2年生の時から南光台東小野球愛好会で野球を始め、地元球団の東北楽天ゴールデンイーグルスが運営する「楽天イーグルスベースボールスクール」に所属した。 小学校卒業後は、仙台育英学園系列の中学校・高校に在籍。秀光中等教育学校時代には軟式野球部のエースとして活躍した。 仙台育英学園高等学校への進学後は、同学年のチームメイト・平沢大河、郡司裕也などと共に、2年秋の第45回明治神宮野球大会で優勝。3年時には、春の第87回選抜高等学校野球大会・夏の第97回全国高等学校野球選手権大会に続けて出場。
熊谷 敬宥(くまがい たかひろ、1995年11月10日 - … 熊谷 敬宥(くまがい たかひろ、1995年11月10日 - )は、宮城県仙台市出身のプロ野球選手(内野手、外野手)。右投右打。阪神タイガース所属。 仙台市立南光台小学校2年時の冬に、友人の勧めで軟式野球をスタート。仙台市立南光台中学校在学中には、仙台東部シニアへ所属していた。 仙台育英高校への進学後に硬式野球部へ入部すると、2年時(2012年)夏の全国高等学校野球選手権大会から、春夏を通じて3季連続で甲子園球場の全国大会に出場した。3年時(2013年)には、春の第85回記念選抜高等学校野球大会で通算14打数2安打と振るわなかったものの、チームは準々決勝まで勝ち残った。夏の第95回全国高等学校野球選手権大会では、通算で8打数4安打を記録。
上林 誠知(うえばやし せいじ、1995年8月1日 - )は… 上林 誠知(うえばやし せいじ、1995年8月1日 - )は、埼玉県浦和市(現:さいたま市桜区)出身のプロ野球選手(外野手)。右投左打。中日ドラゴンズ所属。 日本人の父親と韓国人の母親の間に生まれた日韓ハーフ。 小学校1年生の時に「西堀A-1」で野球を始め、矢作公一の設立した野球塾にも在籍。さいたま市立土合中学校時代は「浦和シニア」に所属し、3年生の春に全国制覇を経験した。 仙台育英高校では1年生の秋から4番を務めた。同校には、1学年上に松原聖弥、同学年に熊谷敬宥、馬場皐輔、1学年下に梅津晃大、2学年下に平沢大河、佐藤世那、郡司裕也がいた。2年生時の夏の甲子園・全国大会では3試合に「4番・中堅手」として先発出場し、計11打数5安打2打点1盗塁、打率.455だった。
馬場 皐輔(ばば こうすけ、1995年5月18日 - )は、… 馬場 皐輔(ばば こうすけ、1995年5月18日 - )は、宮城県塩竈市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。横浜DeNAベイスターズ所属。 塩竈市立第三小学校で3年生のときに塩竈ドラゴンズで野球を始める。塩竈市立第三中学校では七ヶ浜シニアに所属した。 仙台育英高校への進学後には、2年秋からベンチ入り。鈴木天斗との2枚看板で秋季東北大会、第43回明治神宮野球大会を制した。3年春の第85回記念選抜高等学校野球大会では、3回戦の早稲田実業戦に先発。7回1失点の好投でチームを勝利に導いた。和田恋を擁する高知との準々決勝では、6回からリリーフでマウンドに上がり、4回1安打無失点に抑えたが、0-2で敗れた。
松原 聖弥(まつばら せいや、1995年1月26日 - )は… 松原 聖弥(まつばら せいや、1995年1月26日 - )は、大阪府大阪市鶴見区出身の元プロ野球選手(外野手)。右投左打。 育成ドラフトで入団した選手としてのシーズン最多本塁打(12本)記録保持者。 小学1年生から野球を始める。最初は兄:侑潔と一緒のチームに入ったが、「より強いチームに行かせた方がいい」という監督の考えで、ボーイズリーグの「八尾フレンドボーイズ」に移籍、中学時代にはボーイズリーグの「大東畷ボーイズ」に所属。小学校の八尾フレンド時代は外野手兼捕手で青山大紀とバッテリーを組む。中学時代で内野手(主に二塁手)に転向。中学の大東畷時代は土肥星也が1学年後輩に在籍していた。 高校は宮城県の仙台育英高校に進学。
佐藤 貴規(さとう たかのり、1993年1月29日 - )は… 佐藤 貴規(さとう たかのり、1993年1月29日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(外野手、右投左打)。 実兄はプロ野球選手の由規(佐藤由規)で、自身が2011年から2014年までNPBの東京ヤクルトスワローズに育成選手として所属していた際には同僚であった。2015年・2016年にはベースボール・チャレンジ・リーグの福島ホープスに所属していた。なお福島時代のみ、名前の「貴規」を登録名に用いていた。 仙台市立北仙台小学校に在学中の5年生の時から、本格的に野球を始め、6年時に全日本リトルリーグ野球大会準優勝。仙台市立北仙台中学校時代は東北シニアに所属し投手兼三塁手。当時は最速138キロを記録し素質は由規以上と言われていた。
木村 謙吾(きむら けんご、1992年4月20日 - )は、… 木村 謙吾(きむら けんご、1992年4月20日 - )は、宮城県塩竈市出身の元プロ野球選手(投手)。左投左打。プロでは育成選手であった。東北楽天ゴールデンイーグルス所属当時のニックネームは「冷蔵庫」「キムケン」「ボブ」。 小学1年時から野球を始める。中学時代は、塩釜中央シニアに所属する。 仙台育英高校に進学すると、1年時の春からベンチ入り。夏の第90回全国高等学校野球選手権記念大会では、宮城代表になったチームの一員として、甲子園球場での全国大会を初めて経験した。1回戦では西勇輝擁する菰野高校戦で初登板を果たし、2回戦の中村悠平擁する福井商業戦では1点リードの5回1アウト満塁から登板し、同点となる押し出しのフォアボールを出すが、後続を打ち取り、直後に打線が2点を勝ち越し。
橋本 到(はしもと いたる、1990年4月28日 - )は、… 橋本 到(はしもと いたる、1990年4月28日 - )は、秋田県秋田市生まれ、宮城県仙台市育ちの元プロ野球選手(外野手)。右投左打。現在は読売ジャイアンツで三軍オフェンスコーチを務める。 小学校2年から鶴が森少年野球クラブで野球を始め、仙台市立鶴が丘中学校時代は東北シニアに所属(部活動は陸上)。2年時に投手兼中堅手として全国大会出場。 仙台育英高校では1年春からベンチ入りし、秋から中堅手としてレギュラーを獲得。2年春・夏、3年夏と甲子園に3度出場。3年夏は6打席連続ヒットを放つなど、甲子園通算で24打数12安打の高打率を残す。打撃に加え、俊足、強肩の走攻守3拍子が揃った選手として「みちのくのイチロー」の異名で呼ばれた。
由規(よしのり、本名:佐藤 由規〈さとう よしのり〉、198… 由規(よしのり、本名:佐藤 由規〈さとう よしのり〉、1989年12月5日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。右投左打。 NPB入り後から一貫して由規の登録名を使用している。実弟の(佐藤)貴規も野球選手で、一時は東京ヤクルトスワローズに兄弟揃って在籍していた。 小学校4年生の時に野球を始める。仙台市立北仙台中学校1年生だった2002年には、リトルリーグの仙台東リーグの一員として全国制覇。その後、仙台東は日本代表としてアジア大会を勝ち進み、世界大会に進出。初戦の対ロシア戦に先発した由規は大会10年ぶりとなるノーヒットノーランを達成し、最終的にチームは決勝でアメリカ代表に0-1で敗れる。
中根 佑二(なかね ゆうじ、1989年9月7日 - )は、宮… 中根 佑二(なかね ゆうじ、1989年9月7日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。従兄弟は元プロ野球選手の中根仁。 小学2年から野球を始める。仙台東リトルで、世界選手権準優勝の経験を持つ。 エース候補として仙台育英高に進学したが、1年時の秋に右肘靭帯を手術。2年時の秋になって復帰するが、3年時の夏も佐藤由規の控えであった。宮城県予選の泉高戦では8回を4安打無失点13奪三振を記録する好投を見せ、チームも第89回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たしたが、甲子園での登板機会はなかった。 高校卒業後は、仙台六大学野球連盟に加盟する東北福祉大学に進学。1年時の春からリーグ戦に登板、秋に初勝利を挙げる。
菊池 俊夫(きくち としお、1984年8月20日 - )は、… 菊池 俊夫(きくち としお、1984年8月20日 - )は、宮城県塩竈市出身の元プロ野球選手(内野手)。 仙台育英高校では2年生の時に第73回選抜高等学校野球大会に出場し、2年生ながら4番打者としてチームの準優勝に貢献した。当時は中谷翼、矢貫俊之とチームメイトだった。 2002年プロ野球ドラフト会議で、オリックス・ブルーウェーブに5巡目で指名され、入団。長打力があり、肩も強いと将来の大型内野手として期待された。 しかし、1年目の成績はウエスタンリーグで51試合出場、打率.101と散々な結果だった。 翌2004年もウエスタンでの出場は39試合と少なく活躍はできなかった。2004年末の球団合併・分配ドラフトを経て、2005年はオリックス・バファローズと契約。
矢貫 俊之(やぬき としゆき、1983年12月15日 - )… 矢貫 俊之(やぬき としゆき、1983年12月15日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ。右投右打。 5歳の時に父親の仕事の都合でフィリピンに移住する。フィリピンのマニラ日本人学校に通いつつ、現地の日本人の子供と共に野球と触れ合うようになる。小学校3年時に日本に帰国。小田倉小学校4年の時に小田倉スポーツ少年団でソフトボールを始め、エースで4番と活躍。その後西郷第二中学校1年から、軟式野球部で野球を始める。 中学2年時に本格的に投手へ転向したが、卒業後に進学した仙台育英高校では、公式戦に登板する機会がなかった。在学中にチームは2001年春の第73回選抜高等学校野球大会で準優勝するなど通算4度の甲子園大会に出場したが、矢貫自身はいずれの大会にも出場メンバーに入れず、甲子園球場のアルプススタンドで太鼓を担当するなど応援団の一員だった。
須江 航(すえ わたる、1983年4月9日 - )は、埼玉県… 須江 航(すえ わたる、1983年4月9日 - )は、埼玉県比企郡鳩山町出身の高校野球指導者、仙台育英学園高等学校情報科教諭。 小学校2年時より野球を始める。鳩山町立鳩山中学校を経て、宮城県の仙台育英高校に進学。2年秋からはグランドマネージャーを務め、3年時には春夏連続で甲子園大会に記録員としてベンチ入りをしている。 高校卒業後は、青森県の八戸大学に進学。入学後は野球部に入部し、学生コーチを務める。 大学卒業後には、地元の埼玉県で高校教員を目指していたが恩師に誘われる形で仙台育英高校の系列校の秀光中等教育学校に着任し、創部間もない野球部の監督に就任。 その後は長く中学野球の指導者として実績を残し続けてきたが、母校・仙台育英高校の野球部内で不祥事が発覚し監督・佐々木順一朗が2017年12月10日引責辞任することと2018年1月1日付で須江が監督に就任することが発表された。
佐藤 貴博(さとう たかひろ、1983年 - )は、宮城県登… 佐藤 貴博(さとう たかひろ、1983年 - )は、宮城県登米市出身の日本の野球指導者。岡山学芸館高等学校社会科教諭。 登米市立中田中学校卒業後は、仙台育英学園高校に進学。高校時代の同級生には後に仙台育英高校野球部の監督を務める須江航がいた。在学時には、1年夏、2年夏、3年春夏の4度甲子園大会に出場。特に3年春の選抜大会では準優勝の成績を収めている。 高校卒業後は、首都大学野球連盟所属の城西大学に進学。2年秋の明治神宮野球大会に出場。 大学卒業後の2006年から2011年迄は岡山県の岡山県作陽高校に勤務。野球部のコーチや部長を務めた。 2013年からは、岡山学芸館高校に赴任。部長を務め、2018年夏の大会終了後からは監督に就任。
星 孝典(ほし たかのり、1982年5月4日 - )は、宮城… 星 孝典(ほし たかのり、1982年5月4日 - )は、宮城県名取市出身の元プロ野球選手(捕手、右投右打)・コーチ。 投手だった兄の影響で小学校1年生の時に、捕手として下増田ブラックホークスで野球を始めた。中学3年生の時には宮城県大会の決勝戦で後に横浜ベイスターズへ入団する後藤伸也が所属していたチームと対戦。相手のスクイズを3回連続で外すなどの好プレーで、優勝に貢献した。 仙台育英高校への進学後は、2年生の夏に第81回全国高等学校野球選手権大会、3年生の夏に第82回全国高等学校野球選手権大会の全国大会へ出場。いずれも2回戦で敗れている。 高校卒業後は地元の東北学院大学へ進学。4年生だった2004年には仙台六大学野球の秋季リーグ戦で打率.529を記録するとともに、捕手部門でベストナインに選ばれた。
眞山 龍(まやま りゅう、1981年6月5日 - )は、宮城… 眞山 龍(まやま りゅう、1981年6月5日 - )は、宮城県豊里町(現:登米市)出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙台育英高校時代には2年夏県大会準決勝で2番手として登板したが仙台高の丹野祐樹に完投されて敗退。秋は県大会決勝を延長10回完投勝利して優勝すると東北大会はベスト4。3年夏は県大会準決勝で仙台高を6回コールド完封で雪辱すると優勝、1999年夏の甲子園にエースとして出場。1回戦の佐賀東高校戦では完封勝利を挙げた。2回戦では正田樹、一場靖弘を要する桐生第一高校戦では四球から崩れ、8回7失点でマウンドを降りた。後続投手も打ち込まれ、結局11-2と大敗を喫した。1999年のドラフト会議にて西武ライオンズから2位指名を受け入団。
新沼 慎二(にいぬま しんじ、1979年6月22日 - )は… 新沼 慎二(にいぬま しんじ、1979年6月22日 - )は、宮城県石巻市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。 現役時代を通じて右投右打だったが、一時は練習でスイッチヒッターに挑戦していた。 仙台育英学園高等学校では2年・3年時に連続で全国高等学校野球選手権大会出場。 1997年のドラフト会議で横浜ベイスターズ、日本ハムファイターズ、ヤクルトスワローズの3球団に2位指名され、横浜に入団。くじ引きの時、横浜・権藤博監督が当たりくじを引き当て交渉権を獲得のはずだったが、ヤクルトからくじ引きの順番が違うと抗議が出る。事務局は協議し不手際を認め、3球団もそれを了承した結果、交渉権はそのまま横浜が獲得した。
志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、… 志田 宗大(しだ むねひろ、1979年6月16日 - )は、岩手県大船渡市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、中日ドラゴンズのアナリスト。 仙台育英高校では1年から3年連続で夏の甲子園に内野手で出場。青山学院大学時代は後に一緒にヤクルト入りする石川雅規と同期で、2年からは外野で4年時の2001年はセンターを守っていた。2年の大学選手権ではレギュラーで優勝。4年生の時には、翌2002年オフに読売ジャイアンツ(巨人)に自由枠で入団することになる木佐貫洋から本塁打を放つ活躍を見せている。東都大学リーグ通算95試合出場、326打数91安打、打率.279、4本塁打、34打点。ベストナイン2回受賞。
中濱 裕之(なかはま ひろゆき、1978年4月10日 - )… 中濱 裕之(なかはま ひろゆき、1978年4月10日 - )は、福島県郡山市出身の元プロ野球選手(外野手)。 仙台育英学園高等学校在籍時、1995年の第67回選抜大会と第77回全国選手権・1996年夏の第78回全国選手権に出場。1996年度ドラフト会議にて近鉄バファローズから4位指名を受けて入団。 プロ5年目の2001年、二軍での成績は打率.347を記録してウエスタン・リーグ首位打者に。同年、1軍初出場初安打を記録。 2002年オフに小野仁、永池恭男とのトレードで吉川元浩と共に読売ジャイアンツへ移籍。翌2003年、1軍初スタメン出場及び初打点を記録。 2005年オフに戦力外通告を受けた。トライアウトを受けるもオファーがなく、埼玉県のクラブチームである一球幸魂倶楽部に入団。
天野 勇剛(あまの ゆうごう、1977年12月11日 - )… 天野 勇剛(あまの ゆうごう、1977年12月11日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(内野手)。 在日韓国人で、千葉ロッテマリーンズ時代の登録名は2002年から2005年まではユウゴー、韓国では本名の金 勇剛(キム・ヨンガン、김용강)。 小学4年で野球を始め、中学2年の時に内野手へ転向。1994年夏・1995年春・夏の甲子園に出場。2年次は内野手(主に遊撃手)で3年では投手でプレーしていた。 1996年に千葉ロッテマリーンズに入団。当初は投手としての入団だったが、1年も持たずに内野手に転向する。俊足かつパワーヒッターの選手として期待されていたが、一軍では満足な成績が残せなかった。さらに入団以来毎年のようにコンバートが行われており、結局9つのポジションすべてを経験したという珍しい選手の一人である。
金村 曉(かねむら さとる、本名:金村 秀雄〈かねむら ひで… 金村 曉(かねむら さとる、本名:金村 秀雄〈かねむら ひでお〉、1976年4月19日 - )は、宮城県気仙沼市出身の元プロ野球選手(投手)・指導者・解説者。右投右打。 愛称は名前が金村曉であること、その漢字をあかつきと読めることから「あかつき」、姓の金村の音読みである「キンソン」。 登録名は本名を使用後、1996年途中から「金村 暁」、2001年からは「金村 曉」へ変更している(読みはいずれも「かねむら さとる」)。現在はロッテ・ジャイアンツ投手統括コーディネーター。 小学生の頃から日本ハムファイターズのファンで西崎幸広に憧れていたという。 仙台育英高等学校進学後、1994年の第76回全国高等学校野球選手権宮城大会決勝で桜井幸博を擁する仙台工高を破り優勝。
鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は… 鈴木 郁洋(すずき ふみひろ、1975年5月23日 - )は、福島県西白河郡西郷村出身の元プロ野球選手(捕手)、コーチ。 仙台育英高校時代は、1992年の第64回選抜高等学校野球大会では遊撃手として、第74回全国高等学校野球選手権大会は捕手でそれぞれ出場。卒業後は東北福祉大学へ進学し、4年時は主将で春秋ベストナイン捕手。大学選手権ベスト8、持ち味の俊足を活かして4年秋は盗塁王も獲得している。1年上の捕手に小野公誠がいた、また中日でも先輩となる門倉健、山田貴志の球を受けていた。山岡洋之(オリックス打撃投手として同僚)とは同期でバッテリーを組んだ。1997年度ドラフト会議にて中日ドラゴンズから4位指名を受けて入団。
高橋 顕法(たかはし あきのり、1975年1月24日 - )… 高橋 顕法(たかはし あきのり、1975年1月24日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は宮城教育大学硬式野球部監督。 大和小2年で野球を始める。蒲町中を経て仙台育英高校に進学する。在学中、同校は春夏の甲子園に4回出場しているものの、高橋自身は肘や腰の故障のためにベンチ入りすら叶わず、3年間で公式戦登板なしに終わる。大学や社会人からも声はかからず、最後の手段として広島東洋カープの入団テストを受験したところ、合格。1992年のプロ野球ドラフト会議で8位指名を受け入団。全体の最後の78番目の指名だった。この時には契約金を辞退している。 3年間で二軍で通算0勝3敗、防御率9.79と結果を残せず、1995年に戦力外通告を受ける。
大越 基(おおこし もとい、1971年5月20日 - )は、… 大越 基(おおこし もとい、1971年5月20日 - )は、宮城県宮城郡七ヶ浜町出身の元プロ野球選手(外野手、投手)、野球指導者。 七ヶ浜町に生まれ、七ヶ浜町立亦楽小学校2年生の時に野球を始める。宮城球場でロッテオリオンズの試合を観戦した際にサインをもらい、嬉しくて変色するまで机に飾っていたという。会社員だった父の転勤に伴い、小学校6年生の時に青森県八戸市に転校。このため一部文献では青森県出身と表記されている。八戸二中では速球派投手として評価され、市内の3つの高校の野球部から勧誘を受けたという。しかし小さい頃からの憧れもあり、寮生活に反対する両親を説得し、仙台育英に進学。 高校ではエースとして第61回選抜大会に出場。
原野 優(はらの まさる、1963年5月31日 - )は、1… 原野 優(はらの まさる、1963年5月31日 - )は、1980年代から2000年代にかけて活躍した元社会人野球選手(外野手、右投げ右打ち)、コーチである。 仙台育英高等学校3年の夏に甲子園に出場するも鹿児島実業に2-3で惜敗。 高校卒業後は専売東北へ入社。パンチ力のある外野手としてルーキーイヤーから活躍した。 入社6年目の1987年にはヨークベニマルの補強として都市対抗野球大会に初出場。また、翌1988年にはチーム名を「日本たばこ東北」を経て「日本たばこ」とした自チームの初出場に大きく貢献し、初出場ながらベスト8入りを果たした。 その後チームは「JT」と改称するが、30代後半まで常に「4番・センター」を守り続け『ミスターJT』と呼ばれた。
大久保 美智男(おおくぼ みちお、1960年7月29日 - … 大久保 美智男(おおくぼ みちお、1960年7月29日 - )は、宮城県塩竈市出身の元プロ野球選手(投手、外野手)。右投右打。 仙台育英高では、エースとして1977年から2年連続で夏の甲子園に出場。同年の大会では、1回戦で高知高に敗退。の1978年の大会は、1回戦で高松商業高の河地良一(西濃運輸)を相手に延長17回を投げ切り1-0でサヨナラ勝ち、予選からの公式戦通算39回連続無失点の記録を樹立する。3回戦に進むが、高知商業高の森浩二に抑えられ敗退。 1978年のプロ野球ドラフト会議で広島東洋カープから2位指名を受け入団。期待の戦力として背番号「1」を背負う。 プロ2年目の1980年に、中継ぎで一軍初登板を含む6試合に登板する。
長島 哲郎(ながしま てつろう、1959年11月9日 - )… 長島 哲郎(ながしま てつろう、1959年11月9日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙台育英高時代は、甲子園常連校に在学しながら(在学中、1年次と3年次に硬式野球部が夏の甲子園出場)、当時は書道部であったという異例の経歴の持ち主。 高校卒業後、東北福祉大学に進学して仙台六大学野球連盟に加盟する同校の硬式野球部に入部し、本格的に野球を始める。在学中はリーグ戦で7回の優勝を果たす。3年秋の明治神宮大会では初戦で近大を相手に完投したが1失点で惜敗。4年秋の仙台大学戦では9連続を含む17三振を奪取し、シーズン5試合で63奪三振を記録して一躍「仙台の怪腕」と注目される。リーグ通算成績23勝4敗。
高橋 正巳(たかはし まさみ、1954年12月10日 - )… 高橋 正巳(たかはし まさみ、1954年12月10日 - )は、宮城県仙台市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 仙台育英高から、社会人野球の仙台鉄道管理局に進む。1979年の都市対抗にヨークベニマルの補強選手として出場。 1979年のプロ野球ドラフト会議で日本ハムファイターズから2位指名を受け入団。 1981年にアンダースローからサイドスローに転向。同年はスライダー、シュートやシンカーを武器に、開幕直後から先発陣に組み入れられ4勝をあげる。 1985年11月に木田勇と共に金沢次男・大畑徹との2対2の交換トレードで横浜大洋ホエールズに移籍。 1986年オフに現役を引退した。 1987年から古巣・日本ハムファイターズに戻って打撃投手を務めた。
関東 孝雄(かんとう たかお、1951年9月2日 - )は、… 関東 孝雄(かんとう たかお、1951年9月2日 - )は、宮城県白石市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ。1979年から1981年まで登録名「関東孝夫」。 仙台育英高では3年次の1969年に夏の甲子園県予選準決勝に進出するが、仙台工業に引き分け再試合の末に敗退。卒業後は1970年に日本通運浦和へ入社し、稲葉誠治監督や初岡栄治監督の指導を受ける。1975年の都市対抗では電電関東に補強されて出場し、決勝の大昭和北海道戦ではエース・加藤英美から2試合連続となる本塁打を放ち優勝に貢献。 同年のドラフト6位で中日ドラゴンズに入団。1年目の1976年から一軍で起用され、左の代打要員、内野のオールラウンドプレイヤーとして活躍。
渡辺 勉(わたなべ つとむ、1949年4月25日 - 202… 渡辺 勉(わたなべ つとむ、1949年4月25日 - 2023年5月29日)は、宮城県出身のプロ野球選手(内野手)。 仙台育英高校では1967年、遊撃手、三番打者として夏の甲子園県予選を勝ち抜き、東北大会決勝に進出するが、八重樫幸雄一塁手のいた仙台商に敗退、甲子園出場はならなかった。 同年のドラフト会議で阪急ブレーブスから5位指名を受け入団。 1968年のジュニアオールスターゲームに選出される。 1971年には控え内野手として一軍に定着、内野ならどこでも守れるユーティリティープレーヤーとして、70年代の阪急で活躍した。1975年には二塁手、遊撃手、三塁手として5月から20試合に先発出場。同年の広島カープとの日本シリーズでは全6試合に三塁の守備固め、代走として起用されている。
加藤 俊夫(かとう としお、1948年1月20日 - )は、… 加藤 俊夫(かとう としお、1948年1月20日 - )は、宮城県仙台市宮城野区出身の元プロ野球選手(捕手)・解説者。ニックネームは「ドン」。 仙台育英では2年次の1964年に夏の甲子園へ出場するが、1回戦で滝川高の芝池博明に0-1で完封負けを喫した。チームメイトでは1期上のエース・倉橋寛、遊撃手の佐藤博廸(南海)、同期の三塁手・石崎一夫がプロ入りしている。3年次の1965年夏は東北大会準決勝で磐城高に惜敗し、2年連続で甲子園には出場できなかった。高校時代から「大物」とうたわれ、通算打率.380をマークした。強肩と強打にプロ球界も目を付け、小さい頃からファンであった巨人から指名の話が来た時は有頂天になったが、同年のドラフトでは巨人の前に大洋から2位で指名されているが、入団を拒否。
石崎 一夫(いしざき かずお、1947年6月2日 - )は、… 石崎 一夫(いしざき かずお、1947年6月2日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 仙台育英学園高等学校では2年生の時、倉橋寛、加藤俊夫のバッテリーを擁し、八番打者、三塁手として1964年夏の甲子園に出場。しかし1回戦で滝川高の芝池博明に完封を喫する。翌1965年夏は東北大会準決勝で磐城高に敗れたが、県予選、東北大会を通じて16打数7安打、4割3分7厘の好打率を記録した。 1965年のドラフト10位で大洋ホエールズに入団。守備位置は三塁手、外野手。しかし3年間の在籍中一度も一軍公式戦に出場できず、1968年限りで退団した。
倉橋 寛(くらはし ひろし、1946年6月2日 - )は、宮… 倉橋 寛(くらはし ひろし、1946年6月2日 - )は、宮城県出身の元プロ野球選手。 仙台育英高校では、エースとして加藤俊夫とバッテリーを組み、1964年夏の甲子園に出場。しかし1回戦で滝川高の芝池博明に完封を喫する。この時のチームメイトに三塁手の石崎一夫がいる。 1965年に南海ホークスへ入団。一軍登板はなく1967年に戦力外となり退団する。 退団後は地元仙台に戻りサラリーマンとして活動していたが、プロ復帰を諦めきれず1971年に大洋ホエールズのテスト入団に合格して復帰する。1972年、1973年とも各1試合に登板するが、1973年限りで引退。