スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
菅原 潤 (すがわら じゅん、1958年 - ) は、日本の… 菅原 潤 (すがわら じゅん、1958年 - ) は、日本の秋田県出身のフルート、ピッコロ奏者。 1958年秋田市生まれ。秋田市立中通小学校、秋田市立秋田南中学校、秋田高校を経て、国立音楽大学卒業後、 フルートを木下芳丸、斉藤匠、中谷望、小野安広、畠山久雄に師事。 1982年、新星日本交響楽団に入団。現在、NHK交響楽団団員。国立音楽大学講師。洗足学園音楽大学講師。
菅原 実(すがわら みのる、1957年9月27日 - )は、… 菅原 実(すがわら みのる、1957年9月27日 - )は、元秋田放送常務取締役、元同社アナウンサー。秋田経済同友会会員。 秋田県立秋田高等学校(サッカー部所属)、中央大学を卒業し、1980年に秋田放送にアナウンサーとして入社(同期に茜谷幸子)。 2022年6月24日をもって退社したことが、秋田放送広報公式Twitterで告知された。
駒橋 憲一(こまはし けんいち、1957年2月8日 - )は… 駒橋 憲一(こまはし けんいち、1957年2月8日 - )は、日本の編集者、実業家。株式会社東洋経済新報社代表取締役会長。 秋田県出身。1975年秋田県立秋田高等学校卒業。1980年北海道大学法学部卒業、東洋経済新報社入社。1997年会社四季報編集長。2002年会社四季報プロ 500編集長。2003年第二編集局データバンク第一部長。2007年取締役第二編集局長に昇格。2012年常務取締役データ事業局長。2016年専務取締役。2017年代表取締役社長。北海道大学次世代大学力強化推進会議委員等も務めた。
戸田 久和(とだ ひさよし、1956年1月24日 - )は、… 戸田 久和(とだ ひさよし、1956年1月24日 - )は、日本の政治家。元大阪府門真市議会議員(5期)。全日本建設運輸連帯労働組合(連帯ユニオン)近畿地方本部顧問。 秋田県南秋田郡天王町(現潟上市)出身。秋田県立秋田高等学校から大阪大学人間科学部に進学。在学中は新左翼のノンセクト・ラジカルとして学寮廃止阻止などの運動に従事する。 卒業後は連帯ユニオンの委員などを経て、1999年門真市議会議員選挙に「市民派」を掲げて立候補、最下位で当選する。所属会派はないが辻元清美らの支援を受ける。2003年の門真市議会議員選挙ではトップ当選し、二期目を務める。かつては「鮮烈市民派」と称していたが、現在は「鮮烈左翼」と称している。
新谷 明弘(あらや あきひろ、1955年(昭和30年)2月9… 新谷 明弘(あらや あきひろ、1955年(昭和30年)2月9日 - )は、日本の実業家。秋田銀行代表取締役頭取や取締役会長を歴任した。秋田県南秋田郡五城目町出身。
佐藤 光史(さとう みつのぶ、1955年 - )は、日本の材… 佐藤 光史(さとう みつのぶ、1955年 - )は、日本の材料工学者。元工学院大学学長。 秋田出身。1973年秋田県立秋田高等学校卒、1977年東京理科大学理学部化学科卒、1982年東京大学大学院工学系研究科合成化学専攻単位取得満期退学、国立科学博物館工学研究部第3研究室研究員(文部技官)。1985年工学博士。1991年工学院大学工学部共通課程講師。1997年助教授。2002年教授。2013年先端錯体工学研究会副会長。2015年工学院大学学長、東京薬科大学評議員、奈良女子大学共生科学研究センター外部評価委員会委員、大学基準協会理事。2016年東京医科大学評議員、文部科学省大学設置・学校法人審議会特別委員。
豊島 近(とよしま ちかし、1954年7月17日 - )は、… 豊島 近(とよしま ちかし、1954年7月17日 - )は、日本の生物学者(構造生物学)。東京大学定量生命科学研究所教授。秋田県由利本荘市出身。 秋田県立秋田高等学校を経て、1978年東京大学理学部物理学科卒業、1983年同大大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了(理学博士)。1984年同助手となり、1986年にスタンフォード大学博士研究員、1988年にMRC分子生物学研究所研究員となる。1990年に帰国し、東京工業大学助教授に就任。 クライオ電子顕微鏡およびX線回折の手法による、筋小胞体カルシウムポンプなどのP型ATPアーゼのイオン能動輸送機構の解明で知られる。
鳴海 風(なるみ ふう、1953年〈昭和28年〉10月15日… 鳴海 風(なるみ ふう、1953年〈昭和28年〉10月15日 - )は、日本の小説家。鳴海風は筆名で、本名は原嶋茂。新潟県生まれ、愛知県知多郡在住(2023年時点)。和算を題材にした歴史小説を得意とする。デンソーに勤める技術者でもあった。財団法人新鷹会理事。日本推理作家協会会員。愛知工業大学大学院非常勤講師。 代表作は『円周率を計算した男』および『算聖伝』。 新潟県加茂市生まれ。秋田県立秋田高等学校、東北大学工学部卒業。東北大学大学院工学研究科機械工学専攻修士課程修了。学生時代より小説家を志す。1980年、日本電装(現デンソー)入社。生産技術者として、多くの次期型製品や新規製品のコンカレント開発、そして生産システムの開発・立ち上げに従事。
成田 裕介(なりた ゆうすけ、本名裕一、1953年3月21日… 成田 裕介(なりた ゆうすけ、本名裕一、1953年3月21日 - )は、日本の映画監督。大阪芸術大学教授。日本映画監督協会理事。 秋田県出身。秋田県立秋田高校を卒業し、20数種の職業を経験する。1976年に若松孝二の若松プロに参加。その後フリーとなり、工藤栄一、加藤泰、崔洋一らの助監督として活動。1987年にテレビドラマ『あぶない刑事』第20話「奪還」にて監督デビュー。以後同作で多数のエピソードを演出する。 映画監督としては、1989年の『バカヤロー!2 幸せになりたい。』で初めてメガホンを取り、以後は『BE-BOP-HIGHSCHOOL』(Vシネマ版)、『新・湘南爆走族』等シリーズ物も数多く監督した。
堀井 啓一(ほりい けいいち、1952年6月12日 - )は… 堀井 啓一(ほりい けいいち、1952年6月12日 - )は、日本の地方公務員。秋田県総務企画部長等を経て、秋田県副知事。勲等は瑞宝中綬章。 秋田県河辺郡雄和町(現秋田市雄和)出身。1971年秋田県立秋田高等学校卒業。1977年北海道大学経済学部卒業、秋田県庁に入庁、鹿角土木事務所配属。総務部秘書課政策監等を経て、2003年総務部秘書課長。2004年健康福祉部福祉政策課長。2006年総務企画部参事兼財政課長。2008年総務企画部長。2009年から副知事を務め、秋田新幹線の整備等にあたった。2017年の秋田県豪雨災害では、佐竹敬久秋田県知事が宮城県でゴルフをしていたことの道義的責任として、中島英史副知事とともに給与の一部自主返納を行った。
渡部 幸男(わたなべ ゆきお、1952年(昭和27年)3月4… 渡部 幸男(わたなべ ゆきお、1952年(昭和27年)3月4日 - )は、日本の政治家。元秋田県男鹿市長(2期)、元秋田県議会議員(1期)。 秋田県男鹿市出身。秋田県立秋田高等学校、慶應義塾大学商学部卒業。1995年(平成7年)、秋田県議会議員選挙で初当選し、県議を1期務める。1999年(平成11年)の選挙で、当時の旧男鹿市選挙区での定数減(2→1)により、加藤義康との現職同士の選挙戦に敗れて落選。その後、港湾荷役会社長、船川港港湾振興会長などを歴任した。 2009年(平成21年)4月3日付で男鹿市(新制)初代市長の佐藤一誠が、任期満了直前で当時現職県議だった加藤義康が市長選出馬を理由に辞職したことに伴って行われる県議補選出馬のため失職。
嵯峨 隆(さが たかし、1952年2月 - )は、日本の政治… 嵯峨 隆(さが たかし、1952年2月 - )は、日本の政治学者(中国政治史・政治思想史)。学位は、博士(法学)(慶應義塾大学・1994年)。 八戸大学商学部助教授、静岡県立大学国際関係学部教授、財団法人アジア政経学会評議員などを歴任した。 1952年、秋田県男鹿市にて生まれた。男鹿市立船川第一小学校、男鹿市立船川中学校を経て、秋田県立秋田高等学校に入学した。秋田県立秋田高等学校を卒業すると上京し、慶應義塾大学に入学した。慶應義塾大学では法学部政治学科に在籍し、政治学を学んだ。1976年に慶應義塾大学を卒業すると、そのまま慶應義塾大学の大学院に進学した。法学研究科政治学専攻に在籍し、政治学の研究を続けた。
菅原 広二(すがわら こうじ、1951年(昭和26年)10月… 菅原 広二(すがわら こうじ、1951年(昭和26年)10月28日 - )は、日本の政治家。秋田県男鹿市長(3期)。元秋田県議会議員(2期)。 秋田県南秋田郡脇本村(現・男鹿市脇本富永字野田)に生まれる。1967年(昭和42年)3月、男鹿市立脇本中学校卒業。中学時代は相撲部に所属し、全県大会で個人優勝した。1970年(昭和45年)3月、秋田県立秋田高等学校卒業。3年生のときラグビー部キャプテンをつとめた。1975年(昭和50年)3月、日本大学理工学部土木工学科卒業。同年4月、秋田県庁に入庁。1981年(昭和56年)4月、石材の採石加工業の会社に転職。1994年(平成6年)3月、同社代表取締役副社長に就任。
湊屋 隆夫(みなとや たかお、1951年(昭和26年)9月2… 湊屋 隆夫(みなとや たかお、1951年(昭和26年)9月25日 - )は、日本の銀行家。秋田銀行相談役。秋田県出身。
菊池 昇 (きくち のぼる、1951年 - ) は、日本出身… 菊池 昇 (きくち のぼる、1951年 - ) は、日本出身の工学者。ミシガン大学Roger L. McCarthy機械工学名誉教授、全米技術アカデミー外国人会員、トヨタコンポン研究所代表取締役所長、分子科学研究所運営顧問。トヨタ自動車技監、豊田中央研究所代表取締役所長を務めた。 専門は機械工学、航空工学、デジタルエンジニアリング。 秋田県仙北郡神岡町(のちの大仙市)生まれ。1969年秋田県立秋田高等学校卒業。1974年東京工業大学(のちの東京科学大学)工学部土木工学科卒業。1977年テキサス大学オースティン校工学部航空工学科博士課程修了、Ph.D.。 1979年テキサス大学工学部航空工学科助教授。
斉藤 永吉(さいとう えいきち、1950年(昭和25年)4月… 斉藤 永吉(さいとう えいきち、1950年(昭和25年)4月2日 - )は、日本の実業家。北都銀行名誉顧問。秋田経済同友会代表幹事。 秋田県湯沢市出身。中央大学法学部卒業後、羽後銀行入行。長らく企画部門を担当した。 かねてから将来の頭取候補と目されてきたが、荘内銀行との経営統合実現にむけた改革の手腕を見込まれて、2008年6月、加賀谷武夫の後継として頭取に就任した。トップに就任後、従来、地元の直面する諸問題に本腰を入れ、取り組んでこなかったことを猛省し、何よりも地域の信頼を取り戻すことに全力を注ぐ決意を固め、本部最優先の組織体質、形式主義のまかり通る経営、男尊女卑的な企業風土などが象徴的に見られていた北都銀に風穴をあけようと、外部から積極的に人材を登用し改革を進めた。
秋山 正子(あきやま まさこ、1950年 - )は、日本の訪… 秋山 正子(あきやま まさこ、1950年 - )は、日本の訪問看護師、有限会社ケアーズ・白十字訪問看護ステーション代表取締役所長、特定非営利活動法人白十字在宅ボランティアの会理事長、新宿区介護サービス事業者協議会副会長、東京女子医科大学非常勤講師。異名は「市ヶ谷のマザー・テレサ」。 1950年(昭和25年)秋田県秋田市土崎港で9人きょうだいの末っ子として生まれる。1969年(昭和44年)秋田県立秋田高等学校卒業。1973年(昭和48年)聖路加看護大学衛生看護学部卒業。看護師、助産師、保健師の資格を取得。大学卒業後は京都府の日本バプテスト病院で産婦人科病棟に勤務。 大阪大学医療技術短期大学部看護学科助手、日本バプテスト看護専門学校専任教員を経て、1992年(平成4年)8月、医療法人春峰会白十字訪問看護ステーションに勤務。
照井 日出喜(てるい ひでき、1950年 - )は、日本の社… 照井 日出喜(てるい ひでき、1950年 - )は、日本の社会学者、芸術社会学を専攻。2015年3月、北見工業大学教授を定年退職。ヘーゲルの美学、アドルノを中心とするフランクフルト学派、現代ドイツの演劇状況、さらには写真論を研究対象とする。 秋田県美郷町出身。秋田県立秋田高等学校を卒業後、ドイツに留学。1974年にベルリン・フンボルト大学哲学部を卒業し、1978年に一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了。1984年、同大学大学院社会学研究科博士後期課程単位取得退学。指導教官は岩崎允胤。北見工業大学工学部共通講座主任兼各専攻共通主任教授を務めた。
柳沼 慎一(やぎぬま しんいち、1949年11月1日 - )… 柳沼 慎一(やぎぬま しんいち、1949年11月1日 - )は、秋田放送の元アナウンサー。
金田 勝年(かねだ かつとし、1949年〈昭和24年〉10月… 金田 勝年(かねだ かつとし、1949年〈昭和24年〉10月4日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。勲等は旭日大綬章。 衆議院議員(5期)、法務大臣(第97代)、農林水産政務次官(小渕再改造内閣・第1次森内閣)、外務副大臣(第3次小泉改造内閣)、衆議院財務金融委員長、参議院厚生労働委員長、衆議院予算委員長、参議院議員(2期)、自由民主党幹事長代理、自由民主党秋田県連会長、自民党たばこ議員連盟副会長、自由民主党総務会長代行等を歴任。 秋田県南秋田郡昭和町(現・潟上市)生まれ。東北電力に勤務する父親の関係で、昭和町、雄勝町(現・湯沢市)、増田町(現・横手市)で過ごす。増田中学校、秋田高校卒業後、浪人して高校の同級生であった銭谷真美(後の文部科学事務次官)とともに東京大学進学を目指すも東大紛争で東大入試が中止となったため、一橋大学経済学部に入学。
進藤 孝生(しんどう こうせい、1949年9月14日 - )… 進藤 孝生(しんどう こうせい、1949年9月14日 - )は、日本の実業家。新日鐵住金代表取締役社長を経て、日本製鉄代表取締役会長、幕張メッセ取締役会長、日本経団連副会長、世界鉄鋼協会会長、日中経済協会会長、国土交通省社会資本整備審議会会長等を歴任。 秋田県出身。秋田県立秋田高等学校(生徒会長)、一橋大学経済学部卒業(総代)。宮澤健一ゼミ出身。ハーバード大学経営大学院修了(経営学修士)。中学では野球部に所属。高校・大学ではラグビー部でフォワードを担当し、高校では全国ベスト4、ベスト8まで進出、大学でもラグビー部主将を務めた。のちに一橋大学ラグビー部監督や同部OB会長を歴任。前任の会長は杉山武彦。
銭谷 眞美(ぜにや まさみ、1949年6月2日 - 、男性)… 銭谷 眞美(ぜにや まさみ、1949年6月2日 - 、男性)は、日本の文部官僚。第4代文部科学事務次官。2009年から2022年まで、東京国立博物館館長を務めた。 秋田県秋田市土崎港相染町出身。秋田大学附属中学校、秋田県立秋田高等学校を経て、東北大学教育学部卒業。 1973年に文部省に入省し、国際学術課に配属される。その後、施設助成課、総務課、小学校課を経て、1981年から約2年半、三重県教育委員会に出向する。文部省復帰後は中学校課や高等学校課に配属され、高等学校課ではJETプログラムの立ち上げに携わった。1991年、生涯学習局学習情報課長。その後小学校課長、学校健康教育課長、体育課長を歴任。1997年大臣官房総務課長。
佐藤 元英(さとう もとえい、1949年 - )は、日本の歴… 佐藤 元英(さとう もとえい、1949年 - )は、日本の歴史学者。前中央大学教授。専門は日本政治外交史。 秋田県出身。1968年秋田県立秋田高等学校卒業。1973年中央大学文学部史学科卒業。1978年同大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学。1993年博士(文学)の学位を中央大学より取得。外務省外交史料館「日本外交文書」編纂官、宮内庁書陵部編修課主任研究官、駒澤大学文学部教授(1995-2004年)、中央大学文学部教授(2004-2020年)、同大学政策文化総合研究所長等を務め、2020年3月定年退職。 2001年、『近代日本の外交と軍事』で吉田茂賞を受賞。 近年は日米交渉の研究に取り組んでおり、太平洋戦争開戦時の宣戦布告なき奇襲攻撃について、革新派外交官らを中心として、外務省本省が宣戦布告を通知しない形での開戦という方式を意図していた可能性を提示した。
藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本… 藤原隆(ふじわら たかし、1948年11月8日 - )は日本の大蔵・金融官僚。東北財務局長、金融庁総務企画局長、(株)ジャスダック証券取引所会長などを歴任。血液型はB型。 秋田県秋田市出身(父母も秋田県)。秋田県立秋田高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1972年 大蔵省入省(大臣官房文書課)。1977年7月 米沢税務署長。その後は和歌山県総務部財政課長、主計局総務課長補佐(歳入・国債係主査)、主計局主計官補佐(労働係主査)、主計局主計官補佐(厚生第三係主査)などを務める。1987年7月 大臣官房企画官兼大臣官房文書課。1990年7月 三重県総務部長。1996年7月12日 証券局総務課長。1998年7月1日 東北財務局長。
小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日… 小畑 元(おばた はじめ、1948年(昭和23年)7月25日 - )は、日本の政治家、官僚。元大館市長(6期)。叔父は秋田県知事を6期(1955年~1979年)務めた小畑勇二郎。 スピーカー作りが趣味であり自宅に工房を持っている。大館市立中央公民館や大町商店街振興組合に自作の手作りスピーカーを寄贈している。 そして健康に気を使い夜遅い時間帯や土日の休日の朝早い時間帯には、大館市内をウォーキングをしている。 他にストレス解消に皿洗いもする。過去に国政選挙に出馬した際、リーフレットの趣味の欄に皿洗いと書き亡き母に怒られたというエピソードもある。また、市長時代は出勤前に「大館のために」と3回唱えてから出勤していた。
伊藤 秀裕(いとう ひでひろ、1948年2月29日 - )は… 伊藤 秀裕(いとう ひでひろ、1948年2月29日 - )は、日本の映画監督、脚本家、プロデューサー、演出家である。映画制作会社 株式会社エクセレントフィルムズ代表取締役。CINEMA JACK映画塾 塾長。 1948年(昭和23年)2月29日、秋田県秋田市に生まれる。秋田県立秋田高等学校、東京教育大学を卒業後、電通東芝企画製作室を経て、1973年、日活入社。助監督として、神代辰巳、西村昭五郎らにつく。1979年、『団地妻 肉欲の陶酔』で監督昇進。1982年、フリーとなる。1984年、株式会社ビッグバンを設立し、プロデューサーとなる。平成3年には株式会社エクセレントフィルムズを設立し、三池崇史、渡辺武らの監督作品を発表している。
吉村 和就(よしむら かずなり、1948年 - )は、水環境… 吉村 和就(よしむら かずなり、1948年 - )は、水環境問題の専門家である。グローバルウォータ・ジャパン代表。 秋田県立秋田高等学校を経て、1972年に秋田大学教育学部卒業後、ニューヨーク州立大学ビジネスコース修了。大手エンジニアリング会社にて営業、開発、市場調査、経営企画に携わる。その後、国際連合ニューヨーク本部に勤務、環境審議官として発展途上国の水インフラの指導を行う。 また国際標準化機構のISO/TC224技術委員に日本代表として参画し、日本提案をISO標準に登録させた。また、国際連合本部勤務の経験を踏まえ、日本の環境技術を世界に広める努力をしている。最近では、水の安全保障戦略機構・技術普及委員長、経済産業省「水ビジネス国際展開研究会」の委員などを務めている。
工藤進英(くどう しんえい、1947年(昭和22年)7月6日… 工藤進英(くどう しんえい、1947年(昭和22年)7月6日 - )は、日本の外科医。専門は消化器外科、大腸内視鏡。 1947年(昭和22年)秋田県仙北郡西仙北町(現・大仙市)生まれ。1966年(昭和41年)秋田県立秋田高等学校卒業。1973年(昭和48年)新潟大学医学部卒業。同外科に入局し助手を務める。1985年(昭和60年)秋田赤十字病院外科部長。1992年(平成4年)同病院胃腸センター長。2000年(平成12年)昭和大学教授、昭和大学横浜市北部病院消化器センター長。2001年(平成13年)同病院副院長兼務。 1980年代後半、それまでの「大腸癌はポリープから発生する」という定説を覆し、既に日本で数例発見されていたが特殊な事例であるとされていた陥凹型大腸癌を臨床で次々と見出だし、またその治療法としての内視鏡による粘膜切除術の手技と有用性を報告し、大腸癌の初期病変として陥凹型早期大腸癌が重要であることを日本国内の医学界に周知せしめた。
石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本の… 石山 宏一(いしやま こういち、1947年 - )は、日本のジャーナリスト、辞書編纂者、評論家、英語学者、桐蔭横浜大学客員教授。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校卒業。「グル-基金」(米国大学留学制度)奨学生選抜試験合格、渡米。1969年ミドルベリー大学教養学部政治学科卒業。 1970年タフツ大学フレッチャ-法律外交大学院修士課程修了。 1971年サイマル・インターナショナル会議通訳者、1972年東京大学研究生、1973年AP通信(米国)記者、1980年ザ・タイムズ(ロンドン)記者、1983年ストレーツタイムズ(シンガポール)記者、1988年ビジネスタイムズ(シンガポール)記者 (金融担当)、1992年駒沢女子短期大学英文科助教授、1999年桐蔭横浜大学法学部助教授、2004年同教授、2010年客員教授となり、時事英語、ビジネス英語、ジャーナリズム入門等を教えている。
柿崎 明人(かきざき あきと、1947年 - ) は、日本の… 柿崎 明人(かきざき あきと、1947年 - ) は、日本の物理学者。東京大学名誉教授。学校法人筑波研究学園理事長、筑波研究学園専門学校校長。 秋田県大仙市生まれ。1966年秋田県立秋田高等学校卒業。1970年東北大学理学部物理学科卒業。1975年東北大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士。 1976年宮城教育大学理科教育研究施設助手。1979年筑波大学物質工学系講師。1985年東京大学物性研究所助教授。1997年高エネルギー加速器研究機構物質構造科学研究所教授。2000年日本放射光学会評議員。2001年東京大学物性研究所教授。 2006年島津賞受賞。 東京大学物性研究所軌道放射物性研究施設長を経て、2012年から東京大学名誉教授、筑波研究学園専門学校校長。
橋本 五郎(はしもと ごろう、1946年〈昭和21年〉12月… 橋本 五郎(はしもと ごろう、1946年〈昭和21年〉12月29日 - )は、日本の新聞記者、読売新聞特別編集委員。 1946年、秋田県山本郡琴丘町(現・三種町)に生まれ。秋田県立秋田高等学校、慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、1970年4月読売新聞社入社。地方部浜松支局に配属。1975年、 本社(現:東京)社会部に異動。1976年、本社政治部に異動し、政治部次長・論説委員・政治部長を歴任。渡邉恒雄の腹心といわれるようになる。 1998年、編集局次長に就任。1999年3月から読売新聞グループ本社傘下である日本テレビの『ジパングあさ6』、『ズームイン!!朝!』にコメンテーターとしてレギュラー出演し、以降NNN系列の報道番組に出演。
五十嵐 武士(いがらし たけし、1946年(昭和21年)8月… 五十嵐 武士(いがらし たけし、1946年(昭和21年)8月6日 - 2013年(平成25年)5月6日)は、日本の政治学者。東京大学名誉教授。専門はアメリカ政治史、日米関係史。秋田県生まれ。斎藤眞に師事した。 略歴は以下のとおり。
阿部 信泰(あべ のぶやす、1945年〈昭和20年〉9月9日… 阿部 信泰(あべ のぶやす、1945年〈昭和20年〉9月9日 - )は、日本の外交官。2014年4月から2017年12月まで内閣府原子力委員会委員長代理(常勤)。 財団法人日本国際問題研究所軍縮・不拡散促進センター所長、外務省参与、核不拡散・核軍縮に関する国際委員会諮問委員、ウィーン国際機関日本国政府代表部大使、在サウジアラビア日本国大使、国際連合事務次長、在スイス日本国大使、在リヒテンシュタイン日本国大使などを歴任した。 秋田県大館市出身。秋田県立秋田高等学校を経て、東京大学法学部第2類(公法コース)にて学ぶ。東京大学在学中に外交官試験に合格。1967年外務省入省。英語研修としてアメリカ合衆国アマースト大学教養学部で政治学を専攻しを卒業。
粟津 號(あわづ ごう、1945年6月18日 - 2000年… 粟津 號(あわづ ごう、1945年6月18日 - 2000年3月15日)は、日本の俳優。本名は粟津 祐教(あわづ ゆうきょう)。秋田県男鹿市出身。東洋大学法学部卒業。妻は詩人の船木倶子。 日活ロマンポルノの初期から後期にかけて活躍した男優の一人である。 浄土真宗大谷派貴栄山・円応寺の住職で歌人としても活躍した粟津祐逸(1915-1973 俳号・爽明)の長男として生まれる。 船越中学校3年生のとき、東映教育映画『なまはげ』に、地元中学生3000人の中から選ばれ主演した。1961年、県立秋田高等学校入学。1964年、父の母校・東洋大学法学部へ入学する。クラブは吟詠会に所属。 卒業後、寺を継ぐつもりでいたが、「男なら中央で活躍してみろ。
佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 20… 佐藤 嘉尚(さとう よしなお、1943年11月8日 - 2011年11月19日)は、秋田県出身の作家、編集者。筆名に里井鵠治(サトイ コウジ)がある。 秋田県山本郡二ツ井町(現在の能代市二ツ井町)に生まれる(なお、日外アソシエーツ現代人物情報は「秋田県山本郡響村に出生」としている)。秋田県立秋田高等学校を経て、浪人時代に山下力と知り合う。 1966年に慶應義塾大学文学部国文科を中退して東京新宿の小出版社である大光社に入社。最初に企画した丸山明宏(後の美輪明宏)著『紫の履歴書』がベストセラーになったため、1969年、入社3年目で編集長に昇進。金子光晴の『人非人伝』、吉行淳之介『生と性』『なんのせいか』、大岡昇平の『戦争』、泉靖一や西江雅之などの共著『構造主義の世界』、大島渚の『青春』や、中原弓彦の『笑殺の美学』などを刊行。
高田 斉(たかだ ひとし、1943年6月27日 - )は、気… 高田 斉(たかだ ひとし、1943年6月27日 - )は、気象予報士。主にNHKで気象キャスターとして活動した。 秋田県秋田市楢山出身。気象大学校通信教育を修了し、1963年、財団法人日本気象協会に入職後、秋田支部、東北本部を経て、中央本部気象情報部専任主任技師を務める。東北勤務時代の1980年代初頭からNHKに出演、東京に異動してからは同局の主要なニュース番組の気象キャスターを歴任する。2003年、日本気象協会を定年退職。その後有限会社気象環境サービスを経て、2006年4月より株式会社ウイングを経て、現在は南利幸が代表を務める株式会社南気象予報士事務所の顧問。 2002年3月から4年間担当した『NHKニュース10』の気象解説は、「冬将軍」などのキャラクターを活かしたユニークな演出により、視聴率が低迷した同番組では数少ない人気コーナーの一つとなった。
藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月… 藤原 清悦(ふじわら せいえつ、1943年(昭和18年)5月15日 - 2024年(令和6年)12月11日)は、日本の銀行家。秋田銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市出身。慶應義塾大学文学部卒業後、秋田銀行入行。 企画部門を長く担当し、6年あまり頭取を務めた新開卓が、非常勤相談役・秋田経済研究所理事長に勇退したことに伴い、後任として昇格。 2013年(平成25年)には、頭取職を湊屋隆夫に引き継ぎ、相談役に退いた。 2024年12月11日午後9時、心不全のため東京都内の病院で死去。81歳没。
吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は… 吉村 昇(よしむら のぼる、1943年(昭和18年)- )は、日本の工学者。工学博士。専門は基礎電気工学。秋田大学および東北公益文科大学で学長を務めた。 新潟県で生まれ秋田県秋田市で育つ。 秋田県立秋田高等学校を卒業後、秋田大学に進学。1969年3月同大学院鉱山学研究科修士課程電気工学専攻修了。1974年名古屋大学より工学博士(電子・電気材料工学)の学位を受く。 1969年4月秋大鉱山学部助手、1974年4月同講師、1975年同助教授に就き、一度は外国の大学で研究したいと考えていた時、米国ニューヨーク州にあるクラークソン工科大学客員研究員として招かれ、家族とともに渡米。約2年間滞在した。 帰国後の1983年4月、39歳で秋大鉱山学部教授に昇進。
佐々木 毅(ささき たけし、1942年(昭和17年)7月15… 佐々木 毅(ささき たけし、1942年(昭和17年)7月15日 - )は、日本の政治学者(政治学・西洋政治思想史)。勲等は瑞宝大綬章。学位は法学博士(東京大学・1973年)。東京大学名誉教授、日本学士院会員、文化功労者、文化勲章受章者。 東京大学法学部教授、東京大学大学院法学政治学研究科教授、同研究科長、東京大学総長(第27代)、国立大学協会会長(第20代)、学習院大学法学部教授、一般社団法人学士会理事長(第11代、2016 - 2022年)、日本学士院長(第28代)などを歴任した。 秋田県仙北郡千屋村(現:美郷町)出身の政治学者である。政治学、西洋政治思想史を専攻する。東京大学や学習院大学で教鞭を執った。
吉本 高志(よしもと たかし、1942年〈昭和17年〉 - … 吉本 高志(よしもと たかし、1942年〈昭和17年〉 - )は、日本の医学者。元東北大学総長。東北大学名誉教授。医学博士。専門は脳神経外科学。秋田県秋田市土崎港出身。 1961年3月秋田県立秋田高等学校卒業(東京大学総長を務めた政治学者の佐々木毅は同期)。1968年3月東北大学医学部医学科卒業。1977年東北大学より医学博士の学位を取得。 1975年4月東北大学助手。1982年5月同助教授。1988年4月同教授。2002年11月から2006年11月まで東北大学総長。日本学術会議会員も務めた。 2007年4月独立行政法人大学入試センター理事長に就任。2013年まで務める。同年医療法人社団親和会西島病院名誉院長。
新開 卓(しんかい たかし、1941年(昭和16年)9月22… 新開 卓(しんかい たかし、1941年(昭和16年)9月22日 - )は、日本の銀行家。元秋田銀行頭取。秋田県卓球協会名誉会長。 秋田県秋田市出身。早稲田大学教育学部卒業後、秋田銀行入行。職員組合委員長、横手、仙台などの支店長を務め、取締役昇格後は長らく企画担当を務めた。 2001年(平成13年)、2期4年頭取を務めた諏訪純人の退任に伴い頭取に昇格した。トップ在任時は2001年の赤字決算を受け翌年度から経費を16億円削減したほか、秋田市内店舗の統廃合など経営体質のスリム化に努めた。また、法人融資の底上げに取り組むため法人営業チーム、仙台法人営業本部の部署を立ち上げたほか、2007年(平成19年)3月末には1年ぶりに総預金期末残高を2兆円に回復させる施策も講じた。
吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )… 吹浦 忠正(ふきうら ただまさ、1941年3月17日 - )は、日本の旗章学者。 バングラデシュなどのアジア諸国、また、世界各国の国旗事情に詳しい。 秋田県秋田市出身。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学第一政治経済学部卒業。早稲田大学大学院政治学研究科修了。 国際赤十字バングラデシュ・ベトナム各駐在代表、日本赤十字中央女子短期大学助教授、埼玉県立大学教授を経て、ユーラシア21研究所理事長、拓殖大学客員教授、難民を助ける会特別顧問、世界の国旗普及協会理事、日本国際フォーラム評議員などを歴任。 スポーツ関係の仕事も多く、第18回夏季オリンピック東京大会組織委員会国旗担当職員、第18回オリンピック冬季競技長野大会大会組織委員会式典担当顧問を務め、東京パラリンピック(1964年)では組織委員会のメンバーとして大会運営を担当している。
渡瀬 信之(わたせ のぶゆき、1941年- )は、日本のイン… 渡瀬 信之(わたせ のぶゆき、1941年- )は、日本のインド哲学研究者。東海大学名誉教授。 ブラフマニズム世界は紀元前 6 世紀頃から紀元前後ころまでにかけて形成され、後のヒンドゥー教世界の社会的基盤となった。この世界の形成の全体を最初期のダルマシャーストラ(Dharmasaastra 古典期インドにおける倫理・道徳・価値観・法律・社会制度に関する百科全書)を中心資料として解明している。 多様性の中の統一性という言葉によって表現されるインド文明の特徴について、その形成過程および実態を文明論的見地に立って考察している。
木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、… 木村 興治(きむら こうじ、1940年12月11日 -)は、日本の元卓球選手。現役時代は日本代表として世界卓球選手権で金メダル4個を含む計9個のメダルを獲得し、日本卓球界の黄金期を支える選手の一人として活躍した。国際卓球連盟世界ランキング最高位は4位。段級位は9段。元日本卓球協会副会長。 秋田県秋田市生まれ。秋田県立秋田高等学校を経て、早稲田大学法学部卒業。1961年度、北京 (中国) で行われた世界卓球選手権では星野展弥と出場した男子ダブルス準決勝で荘則棟 / 李富荣(英語版)組 (中国) に3-1で勝利。決勝でもゾルターン・ベルシック(英語版) / フェレンツ・シド組 (ハンガリー) を3-1で下し金メダル。
中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は… 中村 和雄(なかむら かずお、1940年12月4日 - )は、日本のバスケットボール指導者である。鶴鳴女子高校、共同石油(後のENEOSサンフラワーズ)、浜松・東三河フェニックス(後の三遠ネオフェニックス)などの監督・ヘッドコーチを歴任し、全国優勝に導いた。またバスケットボール女子日本代表、秋田ノーザンハピネッツ、新潟アルビレックスBBのヘッドコーチも務めた。退任後、秋田県体育協会のゼネラル・アドバイザーとして秋田県のスポーツ振興に取り組む。 渋谷センター街バスケットボールストリートの入り口には、中村の座右の銘である「心をこめて」という言葉が刻まれたモニュメントが設置されている。また日本工学院八王子専門学校が主催する高校バスケットボールの大会「KAZU CUP」は、中村の名前を由来としている。
佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 20… 佐々木 克(ささき すぐる、1940年11月23日 - 2016年7月31日)は、日本の歴史学者。位階は従四位。 京都大学名誉教授。専門は日本近代政治史。秋田県大仙市出身。 立教大学文学部において大久保利謙の指導を受けた。国立国会図書館司書補佐として、憲政資料室において「三条実美関係文書」や「広沢真臣関係文書」の整理や目録編纂を行う。1977年に京都大学人文科学研究所助教授となり、1988年に教授に昇任。2004年に定年を迎える。幕末・維新から自由民権期にかけての政治史や人物史を中心に多数の著書・論文を執筆したほか、『大津市史』など自治体史編さんにも参画した。また2000年から2004年まで明治維新史学会会長を務めている。
西木 正明(にしき まさあき、1940年5月25日 - 20… 西木 正明(にしき まさあき、1940年5月25日 - 2023年12月5日)は、日本の小説家。 新潟県生まれ、秋田県仙北郡西木村(現・仙北市)育ち。 1959年秋田県立秋田高等学校卒業。早稲田大学教育学部社会科中退。平凡出版(現マガジンハウス)に入社し『平凡パンチ』『週刊平凡』『ポパイ』等の編集に携わる。 1980年に独立して作家活動開始。デビュー作『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞新人賞、1988年にヴィクトル・スタルヒンを題材とした小説「凍れる瞳」及び「端島の女」で第99回直木三十五賞を受賞。以降、綿密な取材に基づくドキュメンタリーライクな作品を数多く発表する。妻は女優の桑原幸子。
加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月… 加賀谷 武夫(かがや たけお、1939年(昭和14年)12月28日 - )は、日本の銀行家。北都銀行頭取を務めた。 秋田県秋田市土崎港出身。実家は秋田港近くの鮮魚問屋。3、4年、銀行で経験を積んだら家業を継ぐつもりでいた。 秋田県立秋田高等学校、早稲田大学政治経済学部を卒業後、当時横手市に本店のあった羽後銀行に入行、総合企画部長などを歴任する。 北都銀行に移行後は同期入行であった齋藤隆夫頭取を常務、専務として支え、2003年、齋藤の後任として頭取に就いた。 頭取在任時は、ビジネス商談会を軌道に乗せ、エリアサポートチームを新設したほか、みちのく銀行、荘内銀行、東北銀行と債権流動化で提携をむすんだ。
石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 -… 石川 錬治郎(いしかわ れんじろう、1939年6月22日 - 2021年10月29日)は、日本の政治家。秋田市長(3期)、秋田県議会議員(1期)を務めた。 秋田県南秋田郡五城目町字杉沢生まれ。秋田県立秋田高等学校、早稲田大学文学部を卒業。東京大学大学院農学系研究科農業経済専攻修士課程修了。 千葉大学園芸学部助手などを経て、1983年の第13回参議院議員通常選挙に日本社会党公認で秋田県選挙区より立候補し、落選。1986年の第14回参議院議員通常選挙にも立候補したが、落選。 1989年、秋田市長選挙に立候補したが、現職の高田景次に敗れ落選。1990年、高田の辞任に伴う秋田市長選挙に立候補し初当選。以後3期連続当選する。
栗田 善成(くりた よしなり、1938年〈昭和13年〉10月… 栗田 善成(くりた よしなり、1938年〈昭和13年〉10月6日 - )は、秋田県出身のローカルタレント、ラジオパーソナリティ。 満州の藩陽の奥地で生まれる。両親ともに日本語学校の教師だった。終戦後は秋田へ引き上げ、大学入学とともに上京。秋田県立秋田高等学校を経て、日本大学芸術学部放送学科を卒業後、三木鶏郎の事務所でCMソングのプロデューサーとなる。 事務所の解散後はCMソングなどを作る広告会社を起こすが3年で解散して、1969年に福岡へ拠点を移す(理由はできちゃった結婚)。1971年、福岡県の放送業界で活動を開始した。 2021年3月、『栗田善成の土曜娯楽版』の番組終了を機に、50年に渡るラジオ番組の出演を退き、芸能界を引退した。