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倉田 元治(くらた もとはる、1901年(明治34年)7月2… 倉田 元治(くらた もとはる、1901年(明治34年)7月22日 - 1989年(平成元年)3月19日)は、日本の技術者、実業家。旭硝子(現AGC)社長や、同社会長、日本ソーダ工業会会長などを務めた。 福島県会津若松市で豪商倉田為実の家系に生まれる。会津中学校(現福島県立会津高等学校)を経て、1925年東京高等工業学校(現東京工業大学)窯業科卒業、旭硝子入社。三菱化成工業尼崎工場長在任中の1945年には尼崎工業会初代会長に就任した。1946年尼崎商工会議所副会頭。 1950年旭硝子常務取締役。1961年日本建鉄取締役、日本光学工業取締役。1963年旭硝子副社長。1967年から旭硝子社長を務めた。
牧原 源一郎(まきはら げんいちろう、1897年(明治30年… 牧原 源一郎(まきはら げんいちろう、1897年(明治30年)4月14日 - 1986年(昭和61年)8月3日)は、大正から昭和期の農業経営者、実業家、政治家。衆議院議員、福島県北会津郡荒舘村長、同郡北会津村長。 福島県出身。旧会津藩士の家系、牧原長英の長男として生まれる。1917年(大正6年)福島県立会津中学校(現福島県立会津高等学校)を卒業した。 農業を営む。会津銀行監査役、東邦銀行監査役、保証責任福島県信用販売購買利用組合連合会監事、福島県信用組合連合会幹事、農村協同体建設同盟福島県支部本部長、大政翼賛会福島県支部事務局長、福島県翼賛壮年団副団長などを務めた。 1942年(昭和17年)4月、第21回衆議院議員総選挙に翼賛政治体制協議会の推薦を受け福島県第2区から出馬して当選し、衆議院議員に1期在任した。
荒木 武行(あらき ぶこう、1896年(明治29年)8月5日… 荒木 武行(あらき ぶこう、1896年(明治29年)8月5日 - 1972年(昭和47年)6月12日)は、大正から昭和期のジャーナリスト、実業家、政治家。衆議院議員、福島県耶麻郡駒形村長。 福島県耶麻郡駒形村(塩川町を経て現喜多方市)で、荒木與三郎の息子として生まれる。会津中学校(現福島県立会津高等学校)を中退し、その後は独学した。 18歳で福島民報記者となり、福島民友などを経て、1920年(大正9年)1月に上京し東京日日新聞の地方部記者となる。その後、やまと新聞、時事新報を経て、1925年(大正14年)4月、中外商業新報の編輯局長付となり、同論説委員を務めた。1929年(昭和4年)9月、夕刊会津タイムス社を設立し社長に就任。
中野 友禮(なかの とものり/ゆうれい、1887年2月1日 … 中野 友禮(なかの とものり/ゆうれい、1887年2月1日 - 1965年12月10日)は、日本の実業家。中野 友礼または中野 有礼としている場合もあり、読みも「とものり」ではなく「ゆうれい」としている場合もある。中野式食塩電解法の開発を契機に日曹コンツェルンを築く。 福島県大沼郡川西村(現:三島町)西方の旧会津藩士の家に生まれる。神尾彦之進の二男で、幼児に中野家の養子になった。旧制会津中学校(現:福島県立会津高等学校)を卒業後、一高の臨時中学校養成所に進んだ。その後、1908年(明治41年)、京都帝国大学理学部化学教室助手となり、中野式食塩電解法(電解ソーダ法)を開発し特許を得た。 中野はこの技術を基にして、1920年(大正9年)に日本曹達を設立し、苛性ソーダ、さらし粉の生産を開始した。
村井 八郎(むらい はちろう、1886年(明治19年)12月… 村井 八郎(むらい はちろう、1886年(明治19年)12月24日 - 1970年(昭和45年)10月11日)は、日本の内務官僚、政治家、実業家。衆議院議員、福島県知事、郡山市長、川崎市長、会津若松市長を歴任した。旧姓・阿部。位階は従四位。 福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。阿部又吉の五男として生まれ、村井半之助の養子となる。会津中学、第一高等学校を経て、1912年、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。内務省に入省し福島県属兼警部となる。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。 以後、新潟県東蒲原郡長、同三島郡長、同理事官、長野県警察部長、大分県警察部長、熊本県書記官・警察部長、山形県書記官・内務部長、大阪府書記官・警察部長、北海道庁部長・土木部長などを歴任。
小日山 直登(こびやま なおと、1886年(明治19年)4月… 小日山 直登(こびやま なおと、1886年(明治19年)4月26日 - 1949年(昭和24年)8月28日)は、昭和期日本の実業家、政治家。南満洲鉄道総裁を務め、第二次世界大戦末期の鈴木貫太郎内閣に入閣。ポツダム宣言受諾の意思を示した。 福島県出身。生家は士族出身であったが、生活は貧しく小さな水車小屋で生まれ育つ。会津中学、第二高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学英法科を卒業すると共に文官高等試験に合格して南満洲鉄道株式会社(満鉄)に入社する。塔連炭鉱事件(満鉄疑獄事件)に連座して一時偽証罪で起訴されるが控訴審で無罪となり、満鉄に復帰。理事を経て、1943年(昭和18年)7月、満鉄生え抜きの人材として初めて満鉄総裁となる。
松江 春次(まつえ はるじ、1876年(明治9年)1月15日… 松江 春次(まつえ はるじ、1876年(明治9年)1月15日 - 1954年(昭和29年)11月29日)は、日本の男性実業家。南洋興発の創業者で初代社長。 1876年(明治9年)、現在の福島県会津若松市で旧会津藩士・松江久平の次男として生まれる。 1895年(明治28年)会津中学を卒業(1回生)。特選生として通学していた野口英世と親交があった。 1899年(明治32年)に東京工業学校(東京高等工業学校、東京工業大学を経て、現東京科学大学)を卒業し、大日本製糖(現大日本明治製糖)に入社する。 1903年(明治36年)に農商務省の海外実業練習生試験に合格し、ルイジアナ州立大学に留学。同大学院で修士号(マスター・オブ・サイエンス)を取得した。
川井 源八(かわい げんぱち、1874年〈明治7年〉3月 -… 川井 源八(かわい げんぱち、1874年〈明治7年〉3月 - 1945年〈昭和20年〉6月22日)は、日本の実業家。第2代三菱電機会長。 福島県耶麻郡、のちの翁島村(現猪苗代町)出身。若松中学校(現福島県立会津高等学校)を経て、1894年高等商業学校(現一橋大学)卒業。東京倉庫神戸支店副支配人、東京倉庫大阪支店支配人等を経て、1920年三菱電機代表取締役。1931年から三菱電機常務取締役として退任した武田秀雄前会長に取り替わり社業を統括した。1935年三菱電機取締役会長。三菱電機において消費者向けの家庭用電化製品事業の創設を進め、扇風機、モーターなどの生産の発案や、ショールームの設立などを行った。
白井 新太郎(しらい しんたろう、1862年12月13日(文… 白井 新太郎(しらい しんたろう、1862年12月13日(文久2年10月22日) - 1932年(昭和7年)12月10日)は、日本の実業家、政治家。号は如海。 会津若松城下で家禄500石の上級藩士である白井家の長男として生まれる。父の五郎太夫は林安定とともに藩大砲隊頭を務め、鳥羽・伏見の戦いで討死した。戊辰戦争後に再建された日新館(現会津高校)に学び、上京後は秋月悌次郎門下として勉学を続けた。1884年(明治17年)には東政図(東次郎)の中国赴任に随行。清国改造運動に加わった。一年後には日本へ戻り、井深彦三郎、中野二郎らと同居生活を送った。 中国との貿易に従事し、1891年(明治24年)には東邦協会の設立に関わり、幹事を務める。