スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
塚田 桂祐(つかだ けいすけ、1956年 〈昭和31年〉- … 塚田 桂祐(つかだ けいすけ、1956年 〈昭和31年〉- )は、日本の自治・総務官僚。2016年より流通経済大学法学部教授。茨城県筑西市(旧・下館市)出身。 1975年(昭和50年)、茨城県立水戸第一高等学校を卒業。1980年(昭和55年)、東京大学法学部を卒業。自治省に入省。1986年(昭和61年)、ハーバード大学ケネディ・スクール修了。公共経営学修士を取得。 1992年(平成4年)、埼玉県企画財政部次長となる。1997年(平成9年)、徳島県商工労働部長となる。1999年(平成11年)、農林水産省農村整備・活性化対策室長となる。 2001年(平成13年)、一般財団法人自治体国際化協会シドニー事務所 所長となる。
八剱 洋一郎(やつるぎ よういちろう、1955年5月3日 -… 八剱 洋一郎(やつるぎ よういちろう、1955年5月3日 - )は、日本の実業家。AT&Tのアジア太平洋地域プレジデントや、ウィルコム代表取締役社長、SAPジャパン代表取締役社長、ワークスアプリケーションズ副社長執行役員、アルフレッサホールディングス取締役副社長、電気通信事業者協会副会長などを歴任した。 東京都出身。茨城大学教育学部附属中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、1978年、東京工業大学(のちの東京科学大学)理学部応用物理学科卒業、日本IBM入社。1991年米国IBM本社国際ビジネス戦略コンサルタント。1998年日本IBMネットワークサービス事業部長。 1999年AT&Tグローバル・サービス代表取締役社長。
室井 尚(むろい ひさし、1955年3月24日 - 2023… 室井 尚(むろい ひさし、1955年3月24日 - 2023年3月21日)は、日本の美学者、記号学者。横浜国立大学名誉教授。唐十郎を横浜国立大学の教授として招いた。
後藤 和子(ごとう かずこ、1954年 - )は、日本の経済… 後藤 和子(ごとう かずこ、1954年 - )は、日本の経済学者。摂南大学経済学部教授。文化経済学・文化政策・財政学が専門。博士(経済学)(京都大学、1998年)。
平勢 隆郎(平㔟 隆郎、ひらせ たかお、1954年 - )は… 平勢 隆郎(平㔟 隆郎、ひらせ たかお、1954年 - )は、中国史家、東京大学東洋文化研究所教授。本来は勢の字の左上部分が生(㔟)で、隆の字の夂と生の間に一が入る。茨城県出身。
金箱 温春(かねばこ よしはる、1953年 - )は、日本の… 金箱 温春(かねばこ よしはる、1953年 - )は、日本の建築構造家。工学院大学特別専任教授、東京工業大学連携教授。日本建築構造技術者協会元会長。 横山不学、木村俊彦に師事。原広司、安藤忠雄、青木淳、千葉学など著名建築家による作品の構造設計を数多く手掛ける。
柿木 厚司 (かきぎ こうじ、1953年 - ) は、日本の… 柿木 厚司 (かきぎ こうじ、1953年 - ) は、日本の実業家。 JFEホールディングス代表取締役社長CEO。 茨城県出身。1972年、茨城県立水戸第一高等学校卒業。硬式野球部出身。高校の同級生にグローブシップ代表取締役社長の矢口敏和や日本野球機構理事の江幡秀則がおり、江幡とは野球部で共に汗を流した仲。 1977年東京大学経済学部を卒業後、川崎製鉄に入社。人事畑が長く、日本鋼管との経営統合では、統合作業の人事分野で中核を担った。 2007年、JFEスチール常務執行役員。2010年、専務執行役員。2012年、代表取締役副社長。2015年4月、代表取締役社長。同年6月、JFEホールディングス取締役。
山口 那津男(やまぐち なつお、1952年〈昭和27年〉7月… 山口 那津男(やまぐち なつお、1952年〈昭和27年〉7月12日 - )は、日本の政治家、弁護士。公明党常任顧問。 衆議院議員(2期)、参議院議員(4期)、防衛政務次官(第51代)、新進党副幹事長、公明党参議院国会対策委員長、公明党政務調査会長、公明党代表(第3代)を歴任した。 茨城県那珂郡那珂湊町(那珂湊市を経て、現在はひたちなか市)に誕生、高等学校卒業まで日立市で育つ。父の秀男は日立市天気相談所所長、母の政子は小学校教員だった。妹がいる。日立市立中小路小学校、茨城大学教育学部付属中学校、茨城県立水戸第一高等学校卒業後、一浪を経て1972年東京大学文科一類に入学。弁護士を目指して司法試験の勉強を始める。
小田部 雄次(おたべ ゆうじ、1952年6月25日 - )は… 小田部 雄次(おたべ ゆうじ、1952年6月25日 - )は、日本の歴史学者。静岡福祉大学名誉教授。専門は日本近現代史(皇室制度・華族制度)。 東京に生まれ、茨城県水戸市に育つ。茨城県立水戸第一高等学校を経て、茨城大学人文学部卒業。1985年立教大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。静岡精華短期大学国際文化学科助教授、2002年ビジネス情報学科教授、2004年静岡福祉大学 社会福祉学部教授 、2018年静岡福祉大学 名誉教授。 専攻は日本近現代史で、立教大学では粟屋憲太郎に師事し日本ファシズムを研究、その過程で内務官僚松本学の日記や安岡正篤書簡を通じて学習院赤化事件や革新華族の存在に注目する。
寺門 一義(てらかど かずよし、1952年(昭和27年)1月… 寺門 一義(てらかど かずよし、1952年(昭和27年)1月28日 - )は、日本の実業家。常陽銀行代表取締役頭取や、めぶきフィナンシャルグループ代表取締役社長、全国地方銀行協会会長を務めた。 茨城県出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1974年早稲田大学法学部卒業、常陽銀行入行。 審議室審議役、多賀支店長、営業統括部副部長、個人事業部長兼くらしと事業の相談センター長等を経て、2003年執行役員経営企画部長。2005年常務取締役。2009年専務取締役。 2011年から常陽銀行代表取締役頭取を務め、足利銀行との経営統合にあたり、2016年に設立されためぶきフィナンシャルグループの初代代表取締役社長に就任した。
津田 彰(つだ あきら、1951年11月11日 - )は、日… 津田 彰(つだ あきら、1951年11月11日 - )は、日本の臨床心理学者。久留米大学名誉教授。元日本健康支援学会会長、元日本行動科学学会会長。医学博士・臨床心理士。専門は健康心理学、臨床心理学、保健行動科学。 茨城県水戸市生まれ。1970年、茨城県立水戸第一高等学校卒業。1974年、上智大学文学部教育学科卒業。1976年、上智大学大学院文学研究科教育学専攻修士課程修了。1979年、上智大学大学院文学研究科教育学専攻博士後期課程満期退学、日本学術振興会奨励研究員。1980年、久留米大学医学部薬理学講座助手。1986年、久留米大学医学博士。1989年、久留米大学医学部薬理学講座講師。1992年、久留米大学文学部人間科学科教授。
下村 英紀(しもむら ひでのり、1951年9月28日 - )… 下村 英紀(しもむら ひでのり、1951年9月28日 - )は、日本の法学者(租税法)。元財務官僚。明治大学大学院グローバル・ビジネス研究科教授。
篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は… 篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は、日本の編集者、ジャーナリスト、実業家。月刊『創』編集長、『マス読』編集長、創出版社長。「コミック表現の自由を守る会」事務局長、「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長。茨城県出身。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、1976年に一橋大学経済学部卒業。当時の一橋大生は商社や銀行にフリーパスではあったが、篠田はそういった進路に疑問を感じ、雑誌ジャーナリズムを志して政策時報社に入社する。 1980年、政策時報社を退社し総合評論社に入社する。月刊『創』編集部所属となり1981年の月刊『創』編集長就任後、徐々にメディア批評誌化を進める。 1982年、月刊『創』編集者3人で創出版設立。
遠藤 裕之(えんどう ひろゆき、1951年6月26日 - )… 遠藤 裕之(えんどう ひろゆき、1951年6月26日 - )は、日本の実業家。ケーズホールディングス代表取締役社長兼最高経営責任者兼最高執行責任者を経て、代表取締役会長を務めた。 茨城県出身。1970年茨城県立水戸第一高等学校卒業。1973年日本マクドナルド入社。1985年カトーデンキ販売(現在のケーズホールディングス)入社。1995年取締役マルチメディア部長に昇格。1997年取締役営業統括部長。1999年からは大型店の1号店である水戸本店の初代本店長を務めた。2001年東北ケーズデンキ取締役。2003年取締役東京ベイサイド新浦安店長。2004年ギガス取締役。2006年専務取締役営業本部長。2011年代表取締役社長COO、デジックスケーズ代表取締役社長。
藤田 幸久(ふじた ゆきひさ、1950年(昭和25年)4月1… 藤田 幸久(ふじた ゆきひさ、1950年(昭和25年)4月19日 - )は、日本の政治家。民進党所属の参議院議員(2期)、民進党国際局長。
笹澤 豊(ささざわ ゆたか、1950年2月28日 - )は、… 笹澤 豊(ささざわ ゆたか、1950年2月28日 - )は、日本の哲学者。筑波大学名誉教授。 茨城県石岡市生まれ。茨城県立水戸第一高等学校を卒業し、東京大学理科二類に入学。1973年東京大学文学部を卒業し、茨城県庁に入る。1977年から1982年筑波大学大学院哲学・思想研究科修了、文学博士。1982年筑波大学哲学・思想学系助手となり、1986年講師、1991年助教授を経て、1998年筑波大学人文社会科学研究科教授。2011年退任、名誉教授。1983年『ヘーゲル哲学形成の過程と論理』で日本倫理学会和辻賞受賞。
大内 厚(おおうち あつし、1949年7月29日 - )は、… 大内 厚(おおうち あつし、1949年7月29日 - )は、日本の実業家。高砂熱学工業株式会社代表取締役会長CEO。 茨城県出身。茨城県立水戸第一高等学校、東北大学工学部卒業。東北大学大学院修士課程を修了後、1975年高砂熱学工業に入社。東京本店技術1部長などを経て、2005年に大阪支店副支店長に就任。2006年に同社執行役員となり、2008年に同社取締役常務執行役員大阪支店長に就任。2010年から代表取締役社長となり、2015年にエンジニアリング事業本部を兼任。2016年から代表取締役会長社長執行役員を兼務し、2020年に代表取締役会長CEOに就任。
坂場 三男(さかば みつお、1949年 - )は、日本の外交… 坂場 三男(さかば みつお、1949年 - )は、日本の外交官。
足立 吉正(あだち よしまさ、1948年(昭和23年)11月… 足立 吉正(あだち よしまさ、1948年(昭和23年)11月27日 - )は、日本の実業家。JX日鉱日石金属社長兼パンパシフィック・カッパー社長などを務めた。 茨城県東茨城郡小川町(現在の小美玉市)出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1972年3月一橋大学法学部卒業。高校、大学ではラグビー部に所属。進藤孝生(日本製鉄会長)は、一橋大学ラグビー部の1年後輩で、ともにフォワードを務めた。 1972年4月日本鉱業(現在のJX金属)入社。佐賀関製錬所(現在のパンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所)総務部業務課配属。1975年から本社勤務。営業畑を歩み、2000年日鉱金属執行役員金属加工事業部副事業部長、2003年日鉱金属加工代表取締役社長、2004年兼新日鉱ホールディングス取締役、2006年日鉱金属代表取締役副社長。
池田 英男(いけだ ひでお、1948年6月23日 - )は日… 池田 英男(いけだ ひでお、1948年6月23日 - )は日本の農学者。農学博士・技術士・名誉教授。長年にわたり農業に関する研究・教育をおこなっている。研究分野は園芸学、植物栄養学、生物環境調節学、施設栽培学、養液栽培技術など多岐に渡る。 1967年、茨城県立水戸第一高等学校卒業。1971年、東京教育大学農学部農学科(現筑波大学)卒業。1973年、大阪府立大学大学院農学研究科園芸農学専攻修了課程修了(蔬菜の亜硝酸害に関する研究)。1973年、大阪府立大学農学部助手、1988年、筑波大学農林学系助教授、1992年、大阪府立大学農学部教授。この間に農林水産省流動研究員(農業技術研究所、農業工学研究所など)、三重大学大学院・鳥取大学大学院などで講師兼任、福井県農業試験場客員研究員兼任。
三次 真一郎(みつぎ しんいちろう、1948年(昭和23年)… 三次 真一郎(みつぎ しんいちろう、1948年(昭和23年)5月20日 - )は、日本の政治家。元茨城県常陸大宮市長(3期)。 茨城県那珂郡山方町(現在の常陸大宮市)出身。水戸第一高等学校を経て、早稲田大学教育学部を卒業。その後山方町長に就任し、常陸大宮市発足後の2008年の市長選挙で初当選。2012年、2016年とともに無投票当選。常陸大宮市長を3期務め、2020年に退任した。
宮崎 恭一(みやざき きょういち、1948年1月1日 - )… 宮崎 恭一(みやざき きょういち、1948年1月1日 - )は、日本の音楽・映画プロデューサーである。マドンナ、Stingなどの招聘を手掛ける。映画の代表作は「転々」。茨城県水戸市出身。茨城県立水戸第一高等学校、成蹊大学卒業。早稲田大学大学院修了 (MBA)。 河和田工房設立、アクス代表取締役、1987年西武百貨店メディア事業部部長、2003年オメガプロジェクト代表取締役、ザックコーポレーション代表取締役。株式会社ザックコーポレーション2012年倒産。 スーパーロック84、1985年ボン・ジョヴィ、1986年クイーン各日本公演にプロデュース参加。1987年、1990年マドンナ、1988年、1992年Stingを招聘。
八束 はじめ(やつか はじめ、1948年 - )は、日本の建… 八束 はじめ(やつか はじめ、1948年 - )は、日本の建築家、建築史家、建築評論家、芝浦工業大学名誉教授。 ロシア・アヴァンギャルドを中心とする建築史研究や、卓抜な建築論でも知られる。 妹島和世や日埜直彦など多くの建築家を輩出している茨城県立水戸第一高等学校出身。 東京大学工学部都市工学科卒業。丹下健三が東京大学で教鞭を執っていた際の最後の教え子。同大学大学院(大谷幸夫研究室)修了。 2008年3月には、1994年から美術批評家の多木浩二らと編集委員として始めた雑誌10+1が最終号を迎えることとなり、自らNo50『Tokyo Metabolism 2010』(Inax出版)を編纂。
河原 泰則(かわはら やすのり、1948年 - )は茨城県日… 河原 泰則(かわはら やすのり、1948年 - )は茨城県日立市出身のコントラバス奏者。ドイツのケルン放送交響楽団の首席コントラバス奏者などを歴任。ソリストとしても活動している。 茨城県日立市生まれ。11歳のとき小学校の音楽カリキュラムで初めてコントラバスを手にする。茨城県立水戸第一高等学校から一橋大学商学部に進むが、同時に大学5年目の1971年から1975年まで桐朋学園大学音楽部の聴講生となり堤俊作、小野崎充両名に師事する。1973年一橋大学商学部卒業。憲法学者の成嶋隆新潟大学名誉教授は一橋大学管弦楽団の同期で、ともに学生運動に参加するなどした。 1975年、ベルリン音楽大学に留学しライナー・ツェペリッツ(英語版)、ミシェル・シュヴァルベに師事、1977年、最優秀の成績で卒業した。
櫻井 明久(さくらい あきひさ、1948年 - )は日本の地… 櫻井 明久(さくらい あきひさ、1948年 - )は日本の地理学者。駒澤大学文学部地理学科地域文化研究専攻教授。専門は農村地理学、地理教育学。茨城県水戸市出身。 姓の表記は、戸籍上は「櫻井」だが、論文等を含め通常は「桜井」を用いることが多い。
高野 博師(たかの ひろし、1947年〈昭和22年)3月1日… 高野 博師(たかの ひろし、1947年〈昭和22年)3月1日 - )は、日本の政治家。 参議院議員(2期)、環境副大臣、公明党中央幹事、外務省参与などを歴任した。 1947年(昭和22年)3月1日、茨城県大子町に生まれる。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部中国語学科に入学し、1972年(昭和47年)3月に卒業する。同年4月、外務省にノンキャリアとして入省する。外交官としてアメリカ、アルゼンチン、コロンビアなどに赴任し、30ヶ国あまりを歴訪した。1991年(平成3年)にコロンビアで発生した日本人技師2人が左翼ゲリラに誘拐された事件では、当時帰国中で不在だったコロンビア国駐箚特命全権大使塚田千裕に代わり、臨時代理大使としてコロンビア政府や州知事に事件解決の要請を行うなどして対応の指揮を執った。
山本 良一(やまもと りょういち、1946年8月30日 - … 山本 良一(やまもと りょういち、1946年8月30日 - )は、日本の工学者(環境材料科学・環境経営学)。学位は工学博士。文部科学省科学官、東京大学生産技術研究所名誉教授、東京都市大学教授。
村田 省吾(むらた しょうご、1946年(昭和21年)3月4… 村田 省吾(むらた しょうご、1946年(昭和21年)3月4日 - 2017年(平成29年)1月17日)は、日本の政治家。茨城県北茨城市長を3期務めた。 茨城県多賀郡大津町(現在の北茨城市大津町)出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1968年に芝浦工業大学建築学部卒業。卒業後は山下寿郎設計事務所(現在の山下設計)に入り、一級建築士となり、郷里で建築事務所を開く。北茨城市青年会議所理事長、公民館長、保護司などを経て、1995年の北茨城市長選挙に立候補し、初当選する。1999年は無投票で再選。2003年に三選した。北茨城市長は2007年まで務めた。2017年1月17日午後7時57分、日立市の日立総合病院で死去、70歳。
橋本 昌(はしもと まさる、1945年11月19日 - )は… 橋本 昌(はしもと まさる、1945年11月19日 - )は、日本の政治家。自治官僚。茨城県知事(6期)。退任時には、現職の都道府県知事としては石川県知事の谷本正憲と並ぶ最多選者であった。 茨城県那珂郡東海村生まれ。茨城中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、東京大学法学部卒業。 1969年自治省に入省。山梨県総務部長や、国土庁・消防庁などの役職を歴任し、1993年、自治省公営企業第一課長を最後に退官した。 1993年、自由民主党・新生党・新党さきがけ・日本新党の推薦を得て、不祥事(汚職事件)による竹内藤男の辞職に伴う茨城県知事選に立候補し、前水戸市長の佐川一信を破って初当選。高知県の橋本大二郎に次ぐ戦後生まれの知事となった。
柳町 光男(やなぎまち みつお、1945年(昭和20年)11… 柳町 光男(やなぎまち みつお、1945年(昭和20年)11月2日 - )は、日本の映画監督。社会派映画、文芸映画の分野の作品が多い。1985年に芸術選奨文部大臣賞受賞。監督した劇映画6作品のうち、5作品を世界三大映画祭(カンヌ国際映画祭・ベルリン国際映画祭・ヴェネツィア国際映画祭)に出品している。東京国際映画祭では2回受賞(1992年、2005年)。 茨城県行方郡牛堀町(現在は潮来市)の出身。茨城県立水戸第一高等学校、早稲田大学法学部卒業。大学在学中から映画作家を志望しシナリオ研究所へ通う。卒業後に就職するも、1969年からフリーの助監督として映画撮影に携わる。東映教育映画部では大和屋竺に師事。
種田 誠(たねだ まこと、1945年8月7日 - )は、日本… 種田 誠(たねだ まこと、1945年8月7日 - )は、日本の政治家、弁護士。茨城県水戸市谷田町出身。茨城中学校、茨城県立水戸第一高等学校、中央大学法学部法律学科卒業。元参議院議員(1期)、元日弁連副会長。茨城バングラデシュ友好協会名誉顧問。種田法律事務所所長。学校法人茨城理事長。
磯崎 久喜雄(いそざき くきお、1945年6月26日 - 2… 磯崎 久喜雄(いそざき くきお、1945年6月26日 - 2025年3月18日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元茨城県議会議員(5期)。茨城県議会副議長(2008年 - 2009年)、議長(2011年 - 2012年)を務めた。 那珂湊市(現在のひたちなか市)出身。茨城県立水戸第一高等学校、早稲田大学政治経済学部卒業。日本住宅公団、住宅・都市整備公団勤務を経て、1984年から赤城宗徳の秘書と中山利生の公設第一秘書を務めた。 1994年の茨城県議選に出馬し、初当選。その後には5回連続当選を果たし、茨城県議会議長及び副議長を務めた。 2025年3月18日、多臓器不全のため死去。79歳没。没日付にて従五位に叙された。
日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、… 日高昭二(ひだか しょうじ、1945年5月15日 - )は、日本近代文学研究者、神奈川大学名誉教授。妻は歌人の日高堯子。
神原 秀記(かんばら ひでき、1945年(昭和20年)1月2… 神原 秀記(かんばら ひでき、1945年(昭和20年)1月2日 - )は、日本の化学者。日立製作所フェロー。東京農工大学連携大学院教授、東京大学大学院客員教授、首都大学東京客員教授、南京大学客員教授などを兼任。理学博士。 茨城県生まれ。茨城県立水戸第一高等学校を経て1967年東京大学教養学部基礎科学科を卒業、同大学院理学系研究科化学専門課程博士課程を修了し(理学博士)、1972年に日立製作所に入社した。同社中央研究所で研究開発に携わり、2002年に同研究所技師長、2003年に日立製作所フェローに就任。途中カリフォルニア大学バークレー校客員研究員を務めた。 日立製作所では大気圧イオン化質量分析計の開発で業績をあげた後、DNAシーケンサーの開発に取り組んだ。
小泉 堯史(こいずみ たかし、1944年11月6日 - )は… 小泉 堯史(こいずみ たかし、1944年11月6日 - )は、日本の映画監督。茨城県水戸市出身。 茨城県立水戸第一高等学校、東京写真短期大学(現在の東京工芸大学)写真技術科、早稲田大学卒業。早大卒業後の1970年、黒澤明に師事し、28年間にわたって助手を務める。写真技師出身ということで、市川崑が監督したATG映画『股旅』ではスチル担当も務めたこともあり、平成期デビューの監督としては、この両者に直接仕えることのできた唯一の人物となった。 黒澤の死後、その遺作シナリオ『雨あがる』を映画化し(2000年公開)、監督デビューする。この作品でヴェネツィア国際映画祭の緑の獅子賞、日本アカデミー賞で作品賞をはじめとする8部門で受賞。
鬼澤 邦夫(おにざわ くにお、1944年 - )は、日本の実… 鬼澤 邦夫(おにざわ くにお、1944年 - )は、日本の実業家。常陽銀行代表取締役頭取、同会長、全国地方銀行協会副会長、茨城県経営者協会会長、茨城県公安委員会委員長等を歴任。 茨城県ひたちなか市出身。那珂湊中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、1967年に一橋大学商学部を卒業し、株式会社常陽銀行入行。のちに水戸第一高等学校同窓会知道会第10代会長を務めた。 人事部部長代理、人事部副部長、堀留支店長、総務部長、人事部長を経て、1997年取締役人事部長。常務取締役、副頭取を経て、2005年から常陽銀行代表取締役頭取。2009年社団法人全国地方銀行協会副会長、財団法人常陽地域研究センター会長。2011年常陽銀行代表取締役会長。
高崎宗司(たかさき そうじ、1944年 - )は、日本の歴史… 高崎宗司(たかさき そうじ、1944年 - )は、日本の歴史学者、韓国問題評論家、津田塾大学名誉教授。アジア女性基金運営審議会委員長。
檜山 良昭(ひやま よしあき、1943年9月5日 - )は、… 檜山 良昭(ひやま よしあき、1943年9月5日 - )は、日本の推理作家・SF作家。
深町 章(ふかまち あきら、1943年4月16日 - )は、… 深町 章(ふかまち あきら、1943年4月16日 - )は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサーである。本名は稲生 稔(いのう みのる)。助監督時代の筆名は伊能 実(いのう みのる)、監督デビュー後の筆名は稲尾 実(いなお みのる)、東活では荻西 太郎(おぎにし たろう)の名で作品を発表した。 1943年(昭和18年)4月16日、茨城県水戸市に生まれる。 1959年(昭和34年)4月、茨城県立水戸第一高等学校に進学、1962年(昭和37年)3月に同校を卒業、翌1963年(昭和38年)4月に日本大学藝術学部映画学科に進学した。同期にのちに映画監督・撮影技師になる久我剛(1944年 - )こと斎藤雅則がいた。
村上 達也(むらかみ たつや、1943年 - )は、元茨城県… 村上 達也(むらかみ たつや、1943年 - )は、元茨城県東海村長。 茨城県那珂郡石神村(現在の東海村)生まれ。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1966年に一橋大学社会学部を卒業し、地元の常陽銀行に入行。主に融資業務を担当。融資業務部副部長、ひたちなか支店長を歴任。 1997年に東海村長に就任。 2016年安保関連法の廃止、立憲主義の回復を求める茨城県市民連合共同代表。 2021年7月9日付け朝日新聞投書面に、八街児童5人死傷事故に関連し「道路の安全整備が喫緊に必要」とする意見を寄せた。
持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2… 持丸 博(もちまる ひろし、1943年〈昭和18年〉 - 2013年〈平成25年〉9月24日)は、日本の政治活動家。民族主義者。三島由紀夫の結成した「楯の会」の初代学生長。結婚後に姓が変わり、松浦博となった。茨城県水戸市出身。 1943年(昭和18年)に茨城県水戸市に生れた持丸博は、藤田東湖の流れの水戸学を学び、水戸学派的思想を育んだ。 1963年(昭和38年)、茨城県立水戸第一高等学校を経て早稲田大学へ入学。各地で学園紛争が吹き荒れる中、全学連、全共闘に対抗するため、1966年(昭和41年)11月14日に設立された保守・民族派系の学生組織「日本学生同盟」(日学同)の結成に参加した。 持丸はその趣意書等を起草するなど、理論派として活動し、1967年(昭和42年)2月7日発刊の機関紙『日本学生新聞』の初代編集長を務めた。
諸澤 英道(もろさわ ひでみち、1942年6月28日 - )… 諸澤 英道(もろさわ ひでみち、1942年6月28日 - )は、日本の刑事学者。専門は被害者学、犯罪学、刑事学、刑事政策学、少年法制。日本における被害者学の中心的な人物。常磐大学で理事長を務めた。 茨城県水戸市出身。諸澤正道(1923 - 2003、文部事務次官、常盤大学理事長)の甥。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1966年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。1971年同大学大学院法学研究科博士課程満期退学。 1994年常磐大学人間科学研究科教授、学長、理事長。日本被害者学会理事(設立時の事務局長)。(財)アジア刑政財団学術評議員。全国被害者支援ネットワーク顧問。全国犯罪被害者の会顧問。いばらき被害者支援センター顧問。
鈴木 正誠(すずき まさのぶ、1941年10月13日 - )… 鈴木 正誠(すずき まさのぶ、1941年10月13日 - )は、日本の経営者。NTTコミュニケーションズ(現・NTTドコモビジネス)初代社長を務めた。茨城県人会連合会会長。 1941年に茨城県那珂郡東海村に生まれる。1961年に茨城県立水戸第一高等学校を卒業、1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社。1993年に日本電信電話株式会社(現・NTT株式会社)取締役に就任し、1996年に常務取締役を経て、1999年7月に初代・NTTコミュニケーションズ代表取締役社長に就任。2005年6月に相談役に退いた。 2018年から茨城県人会連合会会長。2019年に旭日重光章を受章。 日本電信電話公社の民営化議論が激化していた時期には、真藤恒総裁の下で労務課長として9万人規模の合理化を担当し、分割・民営化に伴う労組対応の中心を担った。
高久 泰文(たかく やすぶみ、1941年7月2日 - )は、… 高久 泰文(たかく やすぶみ、1941年7月2日 - )は、日本の法学者、行政学者。専門は憲法、行政法。拓殖大学大学院非常勤講師、同大学元教授。茨城県筑西市出身。
立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和… 立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和15年〉5月28日 - 2021年〈令和3年〉4月30日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、「田中角栄研究」・「臨死体験」・「日本共産党の研究」など、詳しくは下に書いてあるが、多くの著書がベストセラーとなっている。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ。 1974年(昭和49年)、『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表して田中金脈問題を暴いて田中角栄首相退陣のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。
金子 義昭(かねこ よしあき、1940年 - )は、日本の財… 金子 義昭(かねこ よしあき、1940年 - )は、日本の財務官僚。 1963年(昭和38年)、大蔵省入省。同期に、小村武(日本政投銀総裁、大蔵事務次官、主計局長)、日高壮平(FISC理事長、国税庁長官)、中平幸典(信金中央金庫理事長、財務官)、西村吉正(銀行局長)、金野俊美(ヒメノ会長、印刷局長)、龍宝惟男(オーミケンシ社長)、米沢潤一(政策研究院大学教授、日銀理事、関税局長)、川嶋烈(茨城銀行頭取)、石坂匡身(大蔵財務協会理事長、損保協会副理事長、環境事務次官、理財局長)、田中寿(造幣局長)ら。
徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉… 徳大寺 有恒(とくだいじ ありつね、1939年〈昭和14年〉11月14日 - 2014年〈平成26年〉11月7日)は、日本の自動車評論家、元レーシングドライバー。 「有恒」は「ゆうこう」とも読む。本名及び旧筆名は、杉江 博愛(すぎえ ひろよし)。 代表作となる「間違いだらけのクルマ選び」を出版する前は、本名で活動していた。「徳大寺有恒」の名前は、「できるだけ偉そうにしよう」と決定したペンネームである。この筆名の姓に関しては、堂上家で清華家7家のうちの一つである公家の徳大寺家と姻戚関係は一切無い。 「NAVI」(二玄社)や「ベストカー」(三推社)、「ENGINE」(新潮社)などの自動車専門誌や「MEN'S EX」(世界文化社)などの男性ファッション誌、テレビ、新聞、各種講演などを中心に幅広いジャンルで活躍していた。
初瀬 龍平(はつせ りゅうへい、1937年6月1日 - )は… 初瀬 龍平(はつせ りゅうへい、1937年6月1日 - )は、日本の政治学者。現在は京都女子大学法学部客員教授、神戸大学名誉教授。専門は、国際関係論。
大矢 敏行(おおや としゆき、1937年 - )は、日本の教… 大矢 敏行(おおや としゆき、1937年 - )は、日本の教育者。学校法人大矢学園創立者。前・代々木ライブアニメイション代表取締役。 茨城県生まれ。茨城県立水戸第一高等学校→千葉大学卒業後、東映に入社し、深作欣二に師事。実写映画・合作アニメに携わったのち、1970年にアニメの通信教育を手がける民話社を設立するも、1974年に倒産。 その後、1977年に株式会社代々木ライブアニメーションを興し、代々木マンガ教室(後の代々木アニメーション学院)を開設。数多くのクリエイターを輩出する業界最大手の専門校にのし上げたが、過大な広告費に加え、類似専門校の乱立による入学者減少から資金繰りが悪化し、2006年12月に民事再生法の適用を申請。
鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年(昭和11年)10… 鳥居 泰彦 (とりい やすひこ、1936年(昭和11年)10月15日 - ) は、日本の経済学者(統計学・経済発展理論)であり教育者。学位は経済学博士(慶應義塾大学・1966年)。日本私立学校振興・共済事業団理事長、財団法人交詢社理事長、慶應義塾学事顧問。