德永 俊昭(とくなが としあき、1967年〈昭和42年〉3月… 德永 俊昭(とくなが としあき、1967年〈昭和42年〉3月15日 - )は、日本の経営者。
茨城県立水戸第一高等学校:24人
德永 俊昭(とくなが としあき、1967年〈昭和42年〉3月… 德永 俊昭(とくなが としあき、1967年〈昭和42年〉3月15日 - )は、日本の経営者。
鈴木 定幸(すずき さだゆき、1967年(昭和42年)1月1… 鈴木 定幸(すずき さだゆき、1967年(昭和42年)1月12日 - )は、日本の政治家、実業家。茨城県常陸大宮市長(2期)。元茨城県議会議員(3期)。 茨城県常陸大宮市出身。茨城県立水戸第一高等学校卒業。防衛大学校卒業。コスモ石油に勤務したのち、石油販売会社の代表取締役を務める。 2010年(平成22年)12月の茨城県議会議員選挙に立候補し初当選。県議時代は自由民主党に所属した。 2020年(令和2年)2月27日、任期満了に伴う常陸大宮市長選挙に出馬する意向を表明。同年4月5日告示、4月12日投票の市長選で無投票により初当選した。4月23日、市長就任。 2024年(令和6年)4月44日の市長選で2度目の当選をした。
堀 義人(ほり よしと、1962年3月28日 - )は、日本… 堀 義人(ほり よしと、1962年3月28日 - )は、日本の実業家。グロービス経営大学院大学学長、グロービス・キャピタル・パートナーズ代表パートナー。 祖父は北海道大学教授・電力中央研究所理事の堀義路。曽祖父は日本メソヂスト下谷教会日曜学校長・三光合資会社代表社員の堀卯三郎。叔母(父の妹)は社会学者の杉山明子。従叔父(父の従弟)は政治学者の秋野豊。族伯祖父(祖父の従弟、曽祖母の兄の次男)は政治学者の潮田江次。 茨城県水戸市出身(出生地は愛媛県新居浜市)。茨城県立水戸第一高等学校を経て、京都大学工学部を卒業した。ハーバード・ビジネス・スクール修士課程修了(MBA)。 住友商事を経て、1992年に株式会社グロービスを設立した。
内藤 学(ないとう まなぶ、1960年1月9日 - )は、日… 内藤 学(ないとう まなぶ、1960年1月9日 - )は、日本の実業家。水戸ヤクルト販売代表取締役社長、ヤクルト本社取締役、水戸商工会議所会頭、茨城県商工会議所連合会会長、水戸みやぎん寄席の席亭を務める。 1960年に生まれ、高校まで水戸市で暮らす。県立水戸第一高校在学中は落語研究会の部長を務めた。早稲田大学を卒業後、1983年4月に電通に入社。1987年4月にヤクルト本社に入社したのち、1989年7月に、父が設立した水戸ヤクルト販売の取締役となる。1995年8月、電通九州に入社。2008年5月に水戸ヤクルト販売専務取締役、2010年5月には同社代表取締役社長に就任した。 2022年6月よりヤクルト本社取締役を務める。
笹島律夫(ささじま りつお、1958年3月3日-)は、日本の… 笹島律夫(ささじま りつお、1958年3月3日-)は、日本の実業家、銀行家。常陽銀行取締役会長。常陽銀行代表取締役頭取、めぶきフィナンシャルグループ代表取締役社長や全国地方銀行協会会長を務めた。 現在の茨城県常陸大宮市の出身。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、早稲田大学商学部卒。1980年に常陽銀行に入行し、経営企画部、郡山支店、市場金融部などを経て2013年に同行の常務取締役に就任する。 2016年に常陽銀行と足利ホールディングスの経営統合でめぶきフィナンシャルグループが成立するとその取締役も兼ねる。2017年には常陽銀行専務取締役に昇格した。2018年、寺門一義の後任として、めぶきフィナンシャルグループ社長と常陽銀行頭取に就任する。
八剱 洋一郎(やつるぎ よういちろう、1955年5月3日 -… 八剱 洋一郎(やつるぎ よういちろう、1955年5月3日 - )は、日本の実業家。AT&Tのアジア太平洋地域プレジデントや、ウィルコム代表取締役社長、SAPジャパン代表取締役社長、ワークスアプリケーションズ副社長執行役員、アルフレッサホールディングス取締役副社長、電気通信事業者協会副会長などを歴任した。 東京都出身。茨城大学教育学部附属中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、1978年、東京工業大学(のちの東京科学大学)理学部応用物理学科卒業、日本IBM入社。1991年米国IBM本社国際ビジネス戦略コンサルタント。1998年日本IBMネットワークサービス事業部長。 1999年AT&Tグローバル・サービス代表取締役社長。
柿木 厚司 (かきぎ こうじ、1953年 - ) は、日本の… 柿木 厚司 (かきぎ こうじ、1953年 - ) は、日本の実業家。 JFEホールディングス代表取締役社長CEO。 茨城県出身。1972年、茨城県立水戸第一高等学校卒業。硬式野球部出身。高校の同級生にグローブシップ代表取締役社長の矢口敏和や日本野球機構理事の江幡秀則がおり、江幡とは野球部で共に汗を流した仲。 1977年東京大学経済学部を卒業後、川崎製鉄に入社。人事畑が長く、日本鋼管との経営統合では、統合作業の人事分野で中核を担った。 2007年、JFEスチール常務執行役員。2010年、専務執行役員。2012年、代表取締役副社長。2015年4月、代表取締役社長。同年6月、JFEホールディングス取締役。
寺門 一義(てらかど かずよし、1952年(昭和27年)1月… 寺門 一義(てらかど かずよし、1952年(昭和27年)1月28日 - )は、日本の実業家。常陽銀行代表取締役頭取や、めぶきフィナンシャルグループ代表取締役社長、全国地方銀行協会会長を務めた。 茨城県出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1974年早稲田大学法学部卒業、常陽銀行入行。 審議室審議役、多賀支店長、営業統括部副部長、個人事業部長兼くらしと事業の相談センター長等を経て、2003年執行役員経営企画部長。2005年常務取締役。2009年専務取締役。 2011年から常陽銀行代表取締役頭取を務め、足利銀行との経営統合にあたり、2016年に設立されためぶきフィナンシャルグループの初代代表取締役社長に就任した。
篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は… 篠田 博之(しのだ ひろゆき、1951年9月10日 - )は、日本の編集者、ジャーナリスト、実業家。月刊『創』編集長、『マス読』編集長、創出版社長。「コミック表現の自由を守る会」事務局長、「日本ペンクラブ言論表現委員会」副委員長。茨城県出身。 茨城県立水戸第一高等学校を経て、1976年に一橋大学経済学部卒業。当時の一橋大生は商社や銀行にフリーパスではあったが、篠田はそういった進路に疑問を感じ、雑誌ジャーナリズムを志して政策時報社に入社する。 1980年、政策時報社を退社し総合評論社に入社する。月刊『創』編集部所属となり1981年の月刊『創』編集長就任後、徐々にメディア批評誌化を進める。 1982年、月刊『創』編集者3人で創出版設立。
遠藤 裕之(えんどう ひろゆき、1951年6月26日 - )… 遠藤 裕之(えんどう ひろゆき、1951年6月26日 - )は、日本の実業家。ケーズホールディングス代表取締役社長兼最高経営責任者兼最高執行責任者を経て、代表取締役会長を務めた。 茨城県出身。1970年茨城県立水戸第一高等学校卒業。1973年日本マクドナルド入社。1985年カトーデンキ販売(現在のケーズホールディングス)入社。1995年取締役マルチメディア部長に昇格。1997年取締役営業統括部長。1999年からは大型店の1号店である水戸本店の初代本店長を務めた。2001年東北ケーズデンキ取締役。2003年取締役東京ベイサイド新浦安店長。2004年ギガス取締役。2006年専務取締役営業本部長。2011年代表取締役社長COO、デジックスケーズ代表取締役社長。
大内 厚(おおうち あつし、1949年7月29日 - )は、… 大内 厚(おおうち あつし、1949年7月29日 - )は、日本の実業家。高砂熱学工業株式会社代表取締役会長CEO。 茨城県出身。茨城県立水戸第一高等学校、東北大学工学部卒業。東北大学大学院修士課程を修了後、1975年高砂熱学工業に入社。東京本店技術1部長などを経て、2005年に大阪支店副支店長に就任。2006年に同社執行役員となり、2008年に同社取締役常務執行役員大阪支店長に就任。2010年から代表取締役社長となり、2015年にエンジニアリング事業本部を兼任。2016年から代表取締役会長社長執行役員を兼務し、2020年に代表取締役会長CEOに就任。
足立 吉正(あだち よしまさ、1948年(昭和23年)11月… 足立 吉正(あだち よしまさ、1948年(昭和23年)11月27日 - )は、日本の実業家。JX日鉱日石金属社長兼パンパシフィック・カッパー社長などを務めた。 茨城県東茨城郡小川町(現在の小美玉市)出身。茨城県立水戸第一高等学校を経て、1972年3月一橋大学法学部卒業。高校、大学ではラグビー部に所属。進藤孝生(日本製鉄会長)は、一橋大学ラグビー部の1年後輩で、ともにフォワードを務めた。 1972年4月日本鉱業(現在のJX金属)入社。佐賀関製錬所(現在のパンパシフィック・カッパー佐賀関製錬所)総務部業務課配属。1975年から本社勤務。営業畑を歩み、2000年日鉱金属執行役員金属加工事業部副事業部長、2003年日鉱金属加工代表取締役社長、2004年兼新日鉱ホールディングス取締役、2006年日鉱金属代表取締役副社長。
鬼澤 邦夫(おにざわ くにお、1944年 - )は、日本の実… 鬼澤 邦夫(おにざわ くにお、1944年 - )は、日本の実業家。常陽銀行代表取締役頭取、同会長、全国地方銀行協会副会長、茨城県経営者協会会長、茨城県公安委員会委員長等を歴任。 茨城県ひたちなか市出身。那珂湊中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、1967年に一橋大学商学部を卒業し、株式会社常陽銀行入行。のちに水戸第一高等学校同窓会知道会第10代会長を務めた。 人事部部長代理、人事部副部長、堀留支店長、総務部長、人事部長を経て、1997年取締役人事部長。常務取締役、副頭取を経て、2005年から常陽銀行代表取締役頭取。2009年社団法人全国地方銀行協会副会長、財団法人常陽地域研究センター会長。2011年常陽銀行代表取締役会長。
鈴木 正誠(すずき まさのぶ、1941年10月13日 - )… 鈴木 正誠(すずき まさのぶ、1941年10月13日 - )は、日本の経営者。NTTコミュニケーションズ(現・NTTドコモビジネス)初代社長を務めた。茨城県人会連合会会長。 1941年に茨城県那珂郡東海村に生まれる。1961年に茨城県立水戸第一高等学校を卒業、1965年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本電信電話公社に入社。1993年に日本電信電話株式会社(現・NTT株式会社)取締役に就任し、1996年に常務取締役を経て、1999年7月に初代・NTTコミュニケーションズ代表取締役社長に就任。2005年6月に相談役に退いた。 2018年から茨城県人会連合会会長。2019年に旭日重光章を受章。 日本電信電話公社の民営化議論が激化していた時期には、真藤恒総裁の下で労務課長として9万人規模の合理化を担当し、分割・民営化に伴う労組対応の中心を担った。
新井 欣弥(あらい きんや、1931年(昭和6年) - )は… 新井 欣弥(あらい きんや、1931年(昭和6年) - )は日本の実業家。鹿島建設株式会社代表取締役元副社長、鹿島出版会元社長。 昭和6年茨城県生まれ。昭和21年旧制水戸中学校(現水戸第一高等学校)入学。疎開先の旧制新庄中学(現新庄北高等学校)に在籍した後、昭和25年水戸中学校卒業。昭和28年法政大学経済学部卒業、鹿島建設株式会社入社。建築本部経理部長、東京支店次長兼支店長室長等を経て平成2年より取締役、常務、専務を歴任。平成9年代表取締役副社長に就任。さらに鹿島出版会社長。
難波 靖治(なんば やすはる、1929年7月16日 - 20… 難波 靖治(なんば やすはる、1929年7月16日 - 2013年11月27日)は、日本のラリードライバー、実業家。
長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12… 長谷川 好三(はせがわ こうぞう、1916年(大正5年)12月1日 - 1970年(昭和45年)1月1日)は、日本の政治家・実業家。茨城県議会議員・笠間市長。大泉砕石株式会社・初代代表取締役、茨城放送取締役、茨城新聞取締役、茨城県砕石協会会長。茨城県砕石共同販売理事長。 茨城県笠間市福原出身。県立水戸中学校を卒業し、時事新報・いはらき新聞で記者を務める。その後、日立市議会事務局長を経て1948年に茨城県議に初当選。2期務め、県会財政委員長・運営審査委員長を歴任した。 1963年に笠間市長に当選するも、直後に公職選挙法違反で逮捕。裁判で争うも有罪確定によって1965年に失職。在任中は日動画廊・笠間日動美術館創業者の長谷川仁や洋画家・朝井閑右衛門、小説家・田村泰次郎らと共に特産品の笠間焼による地域振興に取り組み、1964年に笠間市芸術村を開村した。
檜山 廣(ひやま ひろ、1909年(明治42年)12月18日… 檜山 廣(ひやま ひろ、1909年(明治42年)12月18日 - 2000年(平成12年)12月25日)は、日本の実業家である。丸紅の社長や会長を歴任し、同社中興の祖と言われる。国際派の論客でもあったが、ロッキード事件における中心人物のひとりとして有罪となった。 茨城県那珂郡那珂町(現在の那珂市)生まれ。旧制水戸中学校を経て、東京商科大学(現在の一橋大学)卒業。大学在学中は柔道部のエースであった。 大学を卒業した1932年(昭和7年)に大同貿易入社、1952年(昭和27年)に丸紅飯田(現在の丸紅)取締役、1957年(昭和32年)常務、専務、副社長を経て、1964年(昭和39年)に同社長、1975年(昭和50年)に丸紅会長、1976年(昭和51年)に同取締役相談役。
川又 克二(かわまた かつじ、1905年(明治38年)3月1… 川又 克二(かわまた かつじ、1905年(明治38年)3月1日 - 1986年(昭和61年)3月29日)は日本の実業家。日産自動車中興の祖として知られ、同社の社長や会長、日本自動車工業会初代会長、経団連副会長、日経連副会長などを歴任した。 茨城県東茨城郡上大野村大字吉沼(現在の水戸市吉沼町)に生まれる。川又家は、昔はこの集落の庄屋のような家柄だった。明治になって子供がいなかったので、旧水戸藩士の田辺家から養女を迎えた。これが母錦(きん)である。母が17歳のとき、同じ土地の丹下という家から父の操(みさお)が養子にきた。父は水戸の専売局の太子出張所に勤める一役人にすぎず、いわば半農半勤の家計だったので、母は慣れない農事に精を出しながら、しだいに田畑を手放していかざるをえなかった。
田中勇(たなか いさむ、1905年(明治38年)1月20日 … 田中勇(たなか いさむ、1905年(明治38年)1月20日 - 2000年(平成12年)2月12日)は、日本の実業家。東京急行電鉄副社長、伊豆急行社長、東亜国内航空社長。五島慶太・昇父子に仕え「東急グループの大番頭」の異名で呼ばれた。
大高 康(おおたか やすし、1899年(明治32年)1月8日… 大高 康(おおたか やすし、1899年(明治32年)1月8日 - 1969年(昭和44年)1月29日)は、大正・昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(4期)、茨城県多賀郡高萩町長。 茨城県出身。1917年(大正6年)茨城県立水戸中学校(現茨城県立水戸第一高等学校)を卒業した。 高萩町会議員、高萩町長、同消防団長、茨城県会議員、同議長などを務めた。1953年(昭和28年)4月の第26回衆議院議員総選挙に茨城県第2区から改進党公認で出馬して初当選。第27回総選挙で再選されたが、1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙は次点で落選。1960年(昭和35年)11月の第29回総選挙と第30回総選挙で再選され、衆議院議員に通算4期在任した。
根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日… 根津 啓吉(ねづ けいきち、1874年(明治7年)2月15日 - 1954年(昭和29年)12月4日)は、山梨県出身の地主、政治家、実業家。貴族院議員を務めた。 明治7年2月15日、山梨県巨摩郡築地新居村(現在の中巨摩郡昭和町)で、父・内藤宇兵衛(思温)、母・とよの間に四男として生まれた。1893年(明治26年)に同志社普通学校を卒業、この頃にキリスト教の洗礼を受けた。1896年(明治29年)には同志社ハリス理科学校(現在の同志社大学理工学部)を卒業した。京都滞在は通算9年に及んだ。 卒業後、茨城県立水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)、同下妻中学校(現在の茨城県立下妻第一高等学校)で教職を務めた。
井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月… 井坂 孝(いさか たかし、1870年1月9日(明治2年12月8日)- 1949年(昭和24年)6月19日)は、日本の実業家、政治家。貴族院勅選議員、枢密顧問官。 常陸国茨城郡水戸(現在の茨城県水戸市)で水戸藩士・井坂幹の三男として生まれる。茨城県尋常中学校、第一高等学校を経て、1896年(明治29年)7月、東京帝国大学法科大学を卒業し、東洋汽船会社に入社。 以後、東洋汽船会社取締役兼営業部長、横浜海上火災保険 (株) 専務取締役、同社長を務めた。経営破綻した七十四銀行の整理を行い、受け皿となる横浜興信銀行を設立し、副頭取、頭取を務めた。1921年(大正10年)4月、横浜商業会議所会頭に就任し関東大震災の復興に尽力した。
渡辺 治(渡邊、わたなべ おさむ、1856年(安政3年2月)… 渡辺 治(渡邊、わたなべ おさむ、1856年(安政3年2月)- 1893年(明治26年)10月15日)は、明治時代の政治家、新聞経営者。衆議院議員(1期)。 のちの茨城県出身。郷里の私塾で漢学を学んだのち茨城中学校を経て慶應義塾を修了する。時事新報創立と同時に同社に入社し編集や庶務会計に携わった。1888年(明治21年)大阪毎日新聞に主筆として招かれ、同社を株式会社に改組後初代社長に就任した。ほか都新聞社を経営した。 1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙では茨城県第1区から出馬し当選。衆議院議員を1期務めた。