スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
堀江 裕介(ほりえ ゆうすけ、1992年6月3日 - )は、… 堀江 裕介(ほりえ ゆうすけ、1992年6月3日 - )は、日本の実業家。dely株式会社創業者、代表取締役社長。 フォーブス誌のアジアを代表する30歳未満の30人(2018)にメディア・マーケティング・広告部門で唯一の日本人として選出。 1992年、群馬県前橋市に生まれる。高校卒業まで前橋市にて過ごす。群馬県立前橋高等学校進学後は野球部に所属。 2011年、大学入試前日に東日本大震災に見舞われたことがきっかけで起業家を目指す。 卒業後、上京、慶應義塾大学環境情報学部へ進学する。在学中にdely株式会社を創業。複数事業の撤退を経験するなか2016年、レシピ動画サービスのクラシルを開始。
岩上 敦宏(いわかみ あつひろ、1972年2月7日 - )は… 岩上 敦宏(いわかみ あつひろ、1972年2月7日 - )は、日本のアニメプロデューサー、実業家。株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメント取締役執行役員 ビジュアル&キャラクタービジネスグループ統括、株式会社アニプレックス代表取締役執行役員社長、株式会社ラセングル代表取締役執行役員会長。群馬県前橋市出身。 群馬県立前橋高等学校を経て、東京外国語大学を卒業。大学卒業後は映画監督を目指しつつフリーターであったが、参加していた映像講座を契機に、1997年にSPE・ビジュアルワークス(現・アニプレックス)に入社し白川隆三の薫陶を受ける。2016年に代表取締役社長に就任。2021年に渡辺晋賞、藤本賞を受賞。
土屋 裕雅(つちや ひろまさ、1966年9月 - )は、日本… 土屋 裕雅(つちや ひろまさ、1966年9月 - )は、日本の実業家で、カインズ及びベイシア会長。群馬県生まれ。父はベイシアグループ創業者の土屋嘉雄、ワークマン専務の土屋哲雄は親戚。 群馬県立前橋高等学校を経て、1990年早稲田大学商学部卒業。新卒で野村證券に入社して六年後に家業の『いせや』に入社。1998年に傘下のカインズに入社し取締役就任、2000年に同社常務取締役就任。2002年に同社取締役社長就任。2016年より取締役、2019年、社長を高家正行に譲って、代表取締役会長に就任。2022年4月25日に父・嘉雄がベイシア名誉会長に退き、裕雅が同社代表取締役会長に就任 父・嘉雄は、埼玉県深谷市出身で、渋沢栄一と同郷。
角田 克(つのだ かつ、1965年 - )は、日本の新聞記者… 角田 克(つのだ かつ、1965年 - )は、日本の新聞記者、実業家。朝日新聞社代表取締役社長CEO。 群馬県勢多郡赤城村(現・渋川市)出身。群馬県立前橋高等学校、早稲田大学法学部卒業。早大在学中は登山に打ち込んだ。1989年朝日新聞社入社。東京本社社会部長、執行役員編集担当兼ゼネラルマネジャー兼東京本社編集局長などを経て、2023年6月に専務取締役。コンテンツ・デジタル政策統括を務め、コンテンツ発信の改革などを推進した。2024年6月に代表取締役社長。2025年6月に代表取締役社長CEO。
福田 尚久(ふくだ なおひさ、1962年7月21日 - )は… 福田 尚久(ふくだ なおひさ、1962年7月21日 - )は、日本の実業家。日本通信代表取締役社長兼CEO、元Apple本社副社長、前橋工科大学理事長。 大学生の頃から、地元群馬県で語学塾に入社したり、ITベンチャーを起業したりしていた。 前橋市が推進するスーパーシティ構想でアーキテクト(計画の統括者)を務める。
井田 純一郎(いだ じゅんいちろう、1962年〈昭和37年〉… 井田 純一郎(いだ じゅんいちろう、1962年〈昭和37年〉3月10日 - )は、日本の実業家。サンヨー食品株式会社代表取締役社長。元一般社団法人日本即席食品工業協会理事長。一般社団法人アフリカ協会副会長。藍綬褒章受章。先代社長の井田毅は父。 1962年、群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1985年、立教大学社会学部卒。同年、富士銀行(現みずほ銀行)入行。 1992年、サンヨー食品へ社長室長として入社。 1998年、サンヨー食品、大平食品工業、サンヨー食品販売の代表取締役社長に就任。康師傅(中国)、サンヨーUSA、KingLion(ロシア)など海外展開を積極的に進めている。趣味は裏千家茶道 2016年日本即席食品工業協会理事長に就任。
野中 正人(のなか まさと、1960年〈昭和35年〉7月22… 野中 正人(のなか まさと、1960年〈昭和35年〉7月22日 - )は、日本の実業家。株式会社しまむら元会長。 群馬県出身[要出典]。群馬県立前橋高等学校卒業。1984年中央大学法学部卒業後、しまむら入社。1985年9月商品部第2課コントローラー、1987年2月商品部第3課バイヤー、1992年2月商品部第7課長。1994年2月経理部経理課長、1998年2月商品部第4部長、1999年2月経理部長。2003年5月取締役人事部・総務部・経理部統括。2005年5月代表取締役社長に就任。 2006年5月、思夢樂股份有限公司董事[要出典]。2011年6月、飾夢楽(上海)商貿有限公司董事[要出典]。2018年、体調不良を理由にしまむらの代表取締役、取締役会長、会長執行役員職を全て辞任した。
腰髙 博(こしだか ひろし、1960年〈昭和35年〉4月2日… 腰髙 博(こしだか ひろし、1960年〈昭和35年〉4月2日 - )は、日本の実業家。株式会社コシダカホールディングス代表取締役社長兼最高経営責任者。カラオケ本舗まねきねこ創業者。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校卒業後、1986年に東北大学経済学部卒業後、実家のラーメン屋・新盛軒へ入社。1990年カラオケ事業に進出し、1995年から新盛軒代表取締役社長を務め、2000年にコシダカに商号変更。2007年にはジャスダック上場を果たした。2010年コシダカホールディングスに商号変更し、同社代表取締役社長兼CEO及びコシダカ代表取締役社長に就任。 2016年東京証券取引所市場第一部に市場変更。2018年には子会社・カーブスホールディングスを通じてカーブスを買収し、2020年にスピンオフ税制を利用したスピンオフ第1号として、カーブスホールディングスを分離し、東京証券取引所市場第一部に上場させた。
江利川 宗光(えりかわ むねみつ、1960年 - )は、日本… 江利川 宗光(えりかわ むねみつ、1960年 - )は、日本の実業家。東京外国語大学理事、株式会社良知経営取締役専務執行役員。元株式会社ジャルパック代表取締役社長。 1960年、群馬県前橋市の青果店を営む家に生まれる。高校時代、父親が海外で働く同級生の写真を見たことをきっかけに、外国での仕事に憧れを抱くようになった。群馬県立前橋高等学校ではラグビー部に所属。同級生には、高校野球の全国大会史上初の完全試合を達成した松本稔がいる。 その後、東京外国語大学外国語学部ポルトガル・ブラジル語学科に進学。大学でもラグビー部に所属し、4年次には主将を務めた。在学中の1981年から1982年にかけて、日本ブラジル青少年交流協会の派遣留学生としてブラジル南部ポルト・アレグレに留学した。
大川 正男(おおかわ まさお、1956年9月8日 - )は、… 大川 正男(おおかわ まさお、1956年9月8日 - )は、日本の実業家、公認会計士。元日本エム・ディ・エム社長、元中央青山監査法人代表社員。 群馬県伊勢崎市生まれ。前橋高等学校を卒業し1982年に横浜国立大学経営学部経営学科を卒業後、公認会計士第二次試験に合格し、監査法人中央会計事務所(当時)に入所した。 1986年、公認会計士として登録された。1987年3月、Coopers&Lybrandに出向した。2000年8月には、中央青山監査法人代表社員になった。日本エム・ディ・エムの創業者から「後継社長に」と請われ、2001年に入社し、同社取締役 管理本部長兼財務部長に就任した。2002年に取締役海外担当(米国駐在)、2003年に同社子会社のOrtho Development Corporation代表取締役社長、2009年株式会社日本エム・ディ・エム代表取締役社長に就任した。
吉澤 和弘(よしざわ かずひろ、1955年〈昭和30年〉6月… 吉澤 和弘(よしざわ かずひろ、1955年〈昭和30年〉6月21日 - )は、日本の実業家。株式会社NTTドコモ相談役。群馬県出身。 1955年6月21日に群馬県で生まれる。岩手大学工学部情報工学科で電気システム工学を学んだ後、1979年4月に日本電信電話公社に入社。1985年に民営化に伴い日本電信電話に入社。グループ会社の設備投資業務に関わった時期もあるが、主に黎明期からの移動体通信事業に携わった。「ショルダーホン」市場投入時には、吉澤が係長、のちに吉澤の一代前のNTTドコモ社長となる加藤薫が課長として共に取り組んだ。 NTT移動通信企画(現・NTTドコモ)の設立前年より準備室に配属され、1992年に設立と共に移籍。
安藤 伸樹(あんどう のぶき、1954年〈昭和29年〉4月3… 安藤 伸樹(あんどう のぶき、1954年〈昭和29年〉4月30日 - )は、日本の実業家。東和薬品社外取締役。全国健康保険協会理事長、流通経済大学校友会会長(第4代)、日本通運健康保険組合理事長、日本通運常務執行役員を歴任。 群馬県立前橋高等学校卒業。 1974年、10期生として流通経済大学経済学部に入学。在学中は国際物流に関心を持ち、中島勇次教授(交通論)のゼミナールに所属する。 1978年日本通運株式会社に入社し、国際航空貨物輸送部門(代々木航空支店)に所属。後に、ボストン、サンフランシスコ、シアトル、ロサンゼルスと、米国日本通運の海外拠点での勤務を経験する。 在職中の想い出として、サンフランシスコでのアメリカンチェリーの日本への輸出業務、シアトルでの日本人メジャーリーガーへの海外引越業務をあげている。
櫻井 俊(さくらい しゅん、1953年〈昭和28年〉12月1… 櫻井 俊(さくらい しゅん、1953年〈昭和28年〉12月14日 - )は、日本の郵政・総務官僚、実業家。総務事務次官、株式会社電通グループ代表取締役副社長などを歴任し、マルチメディア振興センター理事長。 群馬県前橋市出身。父は上毛新聞元専務の櫻井三男。群馬大学教育学部附属中学校、群馬県立前橋高等学校を経て、1977年(昭和52年)に東京大学法学部第2類(公法コース)を卒業。新卒で旧郵政省に入省した。その後、電気通信局電気通信事業部事業政策課長などを歴任し、日本電信電話の再編などの通信事業の自由化を主導した。 2001年(平成13年)に総務省が発足したのち、情報通信政策局総合政策課長、大臣官房参事官、総合通信基盤局電気通信事業部長、総合通信基盤局長、情報通信国際戦略局長などを歴任。
吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9… 吉田 慎一(よしだ しんいち、1950年(昭和25年)1月9日 - )は、日本のジャーナリスト、実業家。朝日新聞社上席執行役員を経て、テレビ朝日ホールディングス(テレビ朝日HD)、テレビ朝日社長などを務めた。群馬県出身。 群馬県立前橋高等学校卒業。1974年(昭和49年)東京大学法学部卒業後、朝日新聞社に入社。福島支局に配属となり、県政担当記者となる。木村守江福島県知事の土地開発に絡む収賄汚職事件を取材。それにより、78年度の日本新聞協会賞を受賞。その後、東京本社浦和支局を経て、79年政治部に異動。 1990年(平成2年)ハーバード大学ケネディ行政大学院修了(行政学修士)。同大では新芝宏之(岡三証券グループ社長)と一緒に勉強した。
糸井 重里(いとい しげさと、1948年〈昭和23年〉11月… 糸井 重里(いとい しげさと、1948年〈昭和23年〉11月10日 - )は、日本のコピーライター、エッセイスト、タレント、作詞家、実業家。 株式会社ほぼ日代表取締役社長。株式会社エイプ代表取締役。フィールズ株式会社社外取締役。妻は女優の樋口可南子。日本モノポリー協会会長。 群馬県前橋市出身。生誕後に両親が離婚し、司法書士であった父親の元に引き取られ祖母に育てられる。その後、実母と1981年に再会した。 小学校3年の時に父親が再婚。幼少時から漫画好きで漫画家に憧れていた。中学時代は北杜夫に熱中した。 群馬県立前橋高等学校に入学。文学青年の友達ができ、アングラ文学などに目覚める。また、バンカラを気取って一本歯の下駄で学校に通った。
甘利治夫(あまり はるお、1947年9月18日 - )は、奈… 甘利治夫(あまり はるお、1947年9月18日 - )は、奈良新聞社の元代表取締役。東京都出身。 東京都八王子市生まれ。1957年に父親の仕事の関係で群馬県伊勢崎市に。群馬県立前橋高等学校を経て、1974年に早稲田大学社会科学部を卒業、同年、大和タイムス社(翌年、奈良新聞社に社名変更)に入社。報道部長、編集局長代理、販売局長などを経て、1989年に取締役。生駒支社長、総務局長、編集局長などを歴任し、1992年に専務取締役、翌年2月に代表取締役兼主筆に就任。2019年6月に代表取締役を退任し、現在は取締役主筆兼企画推進部長。 この間、明仁天皇の即位10年記念京都茶会(1999年11月)、皇居での歌会始(2000年1月)、秋の園遊会(2001年11月)、皇居での郵政表彰(2003年4月)、即位30年記念京都茶会(2019年3月)にそれぞれ招かれる。
青木 哲(あおき さとし、1946年 - )は、日本の実業家… 青木 哲(あおき さとし、1946年 - )は、日本の実業家で、本田技研工業会長。日本自動車工業会会長、NPO法人日本防災士機構評議員も務める。 群馬県立前橋高等学校卒業。1969年東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業、同年ホンダ入社。管理部門が長く、イタリア現地法人2社の社長、ホンダ財務部長、取締役、常務、専務、副社長を経て2007年から会長。2008年自工会会長にも就任。趣味はモータースポーツの観戦とヒストリックカーの鑑賞。
髙山 允伯(たかやま まさのり、1943年2月4日 - 20… 髙山 允伯(たかやま まさのり、1943年2月4日 - 2018年5月11日)は、群馬県出身の日本の会社経営者。東京コンピュータサービス株式会社(現:TCSホールディングス株式会社)の創業者。 1943年群馬県生まれ。1961年群馬県立前橋高等学校卒業。1966年早稲田大学商学部卒業。 1971年に東京駿河台にて東京コンピュータサービス(TCS、現:株式会社マーブル)を創業。 2018年5月11日、肝不全にて75歳で急逝。
富澤 秀機(とみざわ ひでき、1942年〈昭和17年〉8月2… 富澤 秀機(とみざわ ひでき、1942年〈昭和17年〉8月26日 - )は日本の新聞記者、実業家。日本経済新聞社記者を経てテレビ大阪代表取締役社長。 群馬県前橋市出身。群馬県立前橋高等学校を経て、1967年早稲田大学第一政治経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。ワシントン特派員として3年間米国に滞在。政治部長、大阪本社編集局長を歴任する。2001年、常務取締役となり、2002年に大阪本社代表。 2003年6月、テレビ大阪代表取締役社長に就任し、2007年6月に同社会長となる。2012年現在は日本経済新聞社客員、テレビ大阪顧問。
三村 明夫(みむら あきお、1940年〈昭和15年〉11月2… 三村 明夫(みむら あきお、1940年〈昭和15年〉11月2日 - )は、日本の実業家。日本製鉄社友名誉会長。過去に、新日本製鐵(新日鉄)社長および会長、日本鉄鋼連盟会長(第11代:2003年 - 2006年5月)、日本経団連副会長、中央教育審議会会長、日本商工会議所会頭(第19代:2013年11月-2022年10月)等を歴任。東京大学経済学部卒業。 群馬県前橋市出身。群馬大学学芸学部附属小学校、群馬大学学芸学部附属中学校、群馬県立前橋高等学校を経て、東京大学経済学部を卒業後、富士製鐵(現日本製鉄)に入社。その後の1970年、八幡製鐵と富士製鐵が合併し新日鉄が誕生した。 入社後、社内教育でハーバード大学へ留学し、1972年に同経営大学院のハーバード・ビジネス・スクールを修了。
新井 裕(あらい ひろし、1929年〈昭和4年〉11月6日 … 新井 裕(あらい ひろし、1929年〈昭和4年〉11月6日 - 2018年〈平成30年〉8月18日)は、群馬県出身の実業家。第一勧業銀行副頭取、オリエントコーポレーション社長などを務めた。 1929年、群馬県前橋市出身。1947年旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業。1953年に明治大学商学部を卒業し、第一勧業銀行入行。1973年赤羽支店長となり、以降は神保町、堂島、昭和通、京橋支店の各支店長を歴任した。1982年に取締役営業第二部長、1984年に常務取締役、1987年に代表取締役専務、1988年に代表取締役副頭取に昇進。1992年に山万アーバンフロント代表取締役社長、翌1993年にオリエントコーポレーション社長に就任。
水野 繁(みずの しげる、1929年〈昭和4年〉9月16日 … 水野 繁(みずの しげる、1929年〈昭和4年〉9月16日 - 2014年〈平成26年〉9月17日)は、日本の官僚、実業家。大蔵官僚として国税庁長官などを務め、日本たばこ産業社長、整理回収銀行社長、東京経済大学理事長などを歴任した。 群馬県桐生市に、桐生警察署長だった水野栄・タヨの三男として生まれる。群馬師範附属小学校から前橋中学校に進学。戦闘機乗りを志して仙台陸軍幼年学校に学び、終戦後に前橋中学校に復学し1947年卒業。旧制浦和高等学校文科甲類から東京大学へ進む。 1953年に東京大学法学部法律学科を卒業して大蔵省に入省。入省同期に吉野良彦、大場智満、宮下創平、津島雄二、楢崎泰昌らがいる。銀行局検査部管理課に配属。
中里 良彦(なかざと よしひこ、1927年〈昭和2年〉12月… 中里 良彦(なかざと よしひこ、1927年〈昭和2年〉12月17日 - 2022年〈令和4年〉6月12日)は、日本の経営者。富士電機社長を務めた。 群馬県渋川市出身。1945年、群馬県立前橋中学校卒。1951年に東京大学第一工学部機械工学科を卒業し、同年に富士電機製造(のちの富士電機)に入社。1981年8月に取締役に就任し、1983年6月に常務を経て、1987年2月に副社長に就任し、1992年6月に社長に昇格。1998年6月に相談役に就任。 1991年11月に藍綬褒章を受章。 2022年6月12日老衰のために死去。94歳没。
田邊 誠(田辺 誠、たなべ まこと、1922年〈大正11年〉… 田邊 誠(田辺 誠、たなべ まこと、1922年〈大正11年〉2月25日 - 2015年〈平成27年〉7月2日)は、日本の政治家、実業家。位階は従三位。 衆議院議員(11期)、日本社会党委員長(第11代)、裁判官弾劾裁判所裁判長(第61代)を歴任。 1922年(大正11年)、群馬県前橋市芳町(現・三河町)に生まれる。父・熊蔵は老人ホーム院長を勤めていた。熱心なクリスチャンであった父の影響を受け、自身もキリスト教徒となった。中川小学校、城東小学校、群馬男子師範学校附属小学校へと転校。1939年(昭和14年)旧制前橋中学(現・群馬県立前橋高等学校)を卒業した。旧制高校への進学を希望していたが、父が経営する養老院の運営がおもわしくなく、やむなく学費無料の逓信官吏練習所に進学した。
町田 業太(まちだ ぎょうた、1911年〈明治44年〉4月2… 町田 業太(まちだ ぎょうた、1911年〈明治44年〉4月27日 - 1993年〈平成5年〉8月18日)は、日本の実業家。兼松社長、会長を務めた。ボリビア国名誉総領事。 群馬県前橋市出身。旧制前橋中学校を経て、1932年に横浜高等商業学校を卒業し、同年に兼松商店に入社した。1952年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1964年に副会長に就任し、1965年には社長に昇格した。1976年に会長に就任し、翌年から相談役を務めた。 1965年兼松副社長の時にボリビア国名誉領事、1978年には同名誉総領事となる。 1968年にブラジルよりカブラル勲章授与。1974年にはボリビアよりコンドル勲章を授与される。
齋藤 尚一(さいとう しょういち、1908年6月1日 - 1… 齋藤 尚一(さいとう しょういち、1908年6月1日 - 1981年10月30日)は、日本の技術者、実業家。位階は正四位。勲等は勲二等。 トヨタ自動車工業株式会社会長(第3代)、社団法人自動車技術会会長(第9代)などを歴任した。 愛知県出身。1927年、旧制前橋中学校卒業。1931年、第八高等学校理科甲類卒業。1935年、東北帝国大学工学部機械工学科卒業、豊田自動織機自動車部入社。 創業期には数少なかった大学出身の技術者として、トヨタ自動車創業者豊田喜一郎の日本車生産構想を補佐し、日中戦争中、菅隆俊のもと、岩岡次郎、豊田英二と挙母工場(のちのトヨタ自動車本社工場)建設構想にあたった。第3代トヨタ自動車工業会長、第9代自動車技術会会長などを歴任。
鈴木 強平(强平、すずき きょうへい、1898年〈明治31年… 鈴木 強平(强平、すずき きょうへい、1898年〈明治31年〉4月28日 - 1969年〈昭和44年〉3月3日)は、昭和期の実業家、政治家。衆議院議員(2期)、参議院議員(1期)。 群馬県前橋市連雀町(現・本町)で、鈴木留太郎の長男として生まれる。群馬県立前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)を経て、慶應義塾大学部理財科に進んだが、父の病により帰郷して家業を継承した。 1934年(昭和9年)群馬林業社長、全国燃料組合理事組合長に就任。その他、群馬県木炭連合会長、同燃料林産組合長、全国燃料組合連合会副理事長、前橋商工会議所商業部長、群馬県商工倶楽部理事長、全国燃料会館副理事長、前橋文化服装学院(現前橋文化服装専門学校)理事、日本燃料機社長、鈴木商会社長などを務めた。
木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・正一(まさかず)、18… 木暮 武太夫(こぐれ ぶだゆう、旧名・正一(まさかず)、1893年〈明治26年〉2月17日 - 1967年〈昭和42年〉7月10日)は、日本の政治家、実業家、群馬県多額納税者。位階は正三位。衆議院議員(8期)、参議院議員(2期)、運輸大臣。伊香保温泉の旅館業、木暮旅館主。群馬県観光協会、日本温泉協会各会長。群馬銀行取締役会長、関東いすゞ自動車販売社長、群馬バス社長。25代目武太夫。 群馬県北群馬郡伊香保町(現・渋川市)出身。先代・木暮武太夫(元衆議院議員)の長男。 1912年(明治45年)、旧制前橋中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒業。1917年(大正6年)、慶應義塾大学理財科を卒業。はじめ三井銀行に勤めたが、退社して家業の旅館業に従事した。
金井 滋直(かない しげなお、1887年〈明治20年〉2月1… 金井 滋直(かない しげなお、1887年〈明治20年〉2月1日 - 1979年〈昭和54年〉12月3日)は、日本の実業家。興国人絹パルプ社長を務めた。 埼玉県大里郡大寄村(のちの深谷市)生まれ。旧制群馬県立前橋中学校(のちの群馬県立前橋高等学校)を経て、1911年東京高等商業学校(のちの一橋大学)卒業、東洋生命保険入社。同社業務部長、同社総務部長を経て、1931年同社常務。1936年日本曹達常務。1937年日曹人絹パルプ常務。1941年興国人絹パルプ(のちの興人)社長。1946年山陽パルプ発起人。同年同社取締役。1949年マードック賞受賞。1953年矢野恒太記念会理事。1955年経済審議会委員。
大河原 栄之助(おおかわら えいのすけ、1878年(明治11… 大河原 栄之助(おおかわら えいのすけ、1878年(明治11年)5月1日 - 1957年(昭和32年)6月28日)は、日本の実業家。日本特殊鋼、日本特殊金属社長。横浜商工会議所議員。 大河原新七の次男として、群馬県碓氷郡松井田町(現・安中市)に生まれる。なお、大河原家は代々農を業とした群馬県の名家である。群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)、第一高等中学校を経て、1906年(明治39年)東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した。卒業後、東京瓦斯株式会社に入社。その後、渡邊銀行專務取締役、松井田銀行取締役、東海鉛管取締役などを歴任した。
田中 喜代松(たなか きよまつ、1877年(明治10年)4月… 田中 喜代松(たなか きよまつ、1877年(明治10年)4月20日 - 1944年(昭和19年)3月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。旧姓・関原。 群馬県群馬郡新波村(現:高崎市)で関原家に生まれ、田中敬造の養子となる。1899年、群馬県尋常中学校を卒業し、その後、同志社で学ぶ。同志社在学中、日露戦争時に基督教青年会軍政慰問部主事として満州に赴任し慰問事業に二年間従事した。 1907年4月、北海道に移り製材事業を経営。(株) 田中木工場社長、北海興業取締役、北海工業取締役、旭川曲木工芸取締役、北海石炭取締役、昭南電燭取締役などを務めた。 政界では、旭川区会議員、同市会議員、同副議長、同議長、北海道会議員を歴任。
南条 金雄(なんじょう かねお、1873年〈明治6年〉7月1… 南条 金雄(なんじょう かねお、1873年〈明治6年〉7月18日 - 1948年〈昭和23年〉12月30日)は、日本の実業家。大正海上火災保険会長や、三井物産会長、三井合名筆頭常務理事を務めた。 群馬県邑楽郡館林町(現館林市)出身。前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)を経て、1892年に高等商業学校(現一橋大学)卒業後、横浜外国商館に入り、海外貿易に従事し海陸保険の事務につき英国と東京を往来する。 1901年三井物産入社。大阪支店保険掛主任等を経て、1910年大阪支店長。1913年ロンドン支店長。1918年取締役ロンドン支店長。同年安川雄之助、武村貞一郎とともに常務取締役に昇格。大正海上火災保険設立前に小田柿捨次郎の家で飯田義一、馬越恭平、岩原謙三、平生釟三郎、磯村豊太郎らと保険会社設立懇談会に参加し、1924年には大正海上火災保険会長に就任。
稲茂登 三郎(いなもと さぶろう、1866年3月25日(慶応… 稲茂登 三郎(いなもと さぶろう、1866年3月25日(慶応2年2月9日)- 1936年(昭和11年)3月1日)は、日本の政治家、実業家。衆議院議員(2期)。旧姓・木暮。 上野国群馬郡、のちの群馬県西群馬郡伊香保町(現渋川市伊香保町)で木暮武禄の三男として生まれ、1898年(明治31年)東京市神田区の稲茂登カネの入夫となり家督を相続した。 群馬県中学校(現・群馬県立前橋高等学校)卒。東京市会議員、同参事会員、東京商業会議所議員のほか、帝国火災保険株式会社取締役他数社の重役となった。 1908年(明治41年)第10回衆議院議員総選挙において東京市選挙区から無所属で立候補して当選した。1912年(明治45年)第11回衆議院議員総選挙でも再選した。
関口 安太郎(關口、せきぐち やすたろう、慶応元年12月25… 関口 安太郎(關口、せきぐち やすたろう、慶応元年12月25日〈1866年2月10日〉 - 1911年〈明治44年〉7月11日)は、明治期の畜産業者、実業家、政治家(衆議院議員、群馬県会議員)。 上野国勢多郡下大島村(群馬県南勢多郡木瀬村、勢多郡木瀬村を経て現前橋市下大島町)で、代々前橋藩の御蔵番を務めた関口家当主・仲次郎、りせ の長男として生まれた。大島梨の栽培で知られる関口長左衛門は祖父の兄にあたる。その後、前橋曲輪町(現:前橋市大手町)に転居した。前橋中学校(現群馬県立前橋高等学校)を卒業し、1890年(明治23年)東京法学院(現中央大学)を卒業。 1894年(明治27年)群馬県会議員に選出され1896年(明治29年)まで在任。
飯塚 春太郎(いいづか はるたろう、1865年2月6日(慶応… 飯塚 春太郎(いいづか はるたろう、1865年2月6日(慶応元年1月11日)- 1938年(昭和13年)1月8日)は、明治から昭和前期の実業家、政治家。衆議院議員。 上野国山田郡、のちの群馬県山田郡広沢村(現桐生市広沢町)で、賀茂神社祠官・飯塚二葉の長男として生まれる。群馬県中学校(現群馬県立前橋高等学校)を卒業し、1882年(明治15年)家督を相続。1890年(明治23年)東京法学院(現中央大学)英語法科を卒業した。 広巾輸出絹織物製造業を営む。桐生織物同業組合長、渡良瀬水電取締役、日本絹撚取締役、両毛整織社長などを務め、桐生の織物業の近代化に貢献した。 政界では、1893年(明治26年)群馬県会議員に選出され2期在任した。