スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県… 岩瀬 健(いわせ けん、1975年7月8日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手、元フットサル選手、サッカー指導者。 1994年に浦和レッズに入団。同期には山田暢久などがいる。1995年に途中出場を果たす。1996年は怪我がちだったバインに代わり、背番号10をつけてスタメン出場を果たし、10節のマリノス戦ではJリーグ初ゴールを決めた。 のちに大宮アルディージャに在籍。引退後はPREDATOR FUTSAL CLUB(現:バルドラール浦安フットボールサラ)でフットサルに転向しフットサル日本代表にも選ばれた。その後、浦和レッズハートフルクラブや下部組織でコーチを務め、2013年からは柏レイソルのアカデミーで指導者を務めた。
鈴木 敬之(すずき たかゆき、1973年10月4日 - )は… 鈴木 敬之(すずき たかゆき、1973年10月4日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 1989年に習志野高校に入学し、1990年(2年生時)には全国高校選手権に出場しベスト8、1991年(3年生時)には千葉県選抜として国体に出場し、準優勝及び優秀選手賞を獲得した。1992年に中央大学に進学。同大学サッカー部では大熊清の指導を受けた。同期に新條宏喜。 1996年より東京ガスに入社。社員選手として、大熊が監督を務めるジャパンフットボールリーグ・東京ガスサッカー部(現 FC東京)に加入した。1997年のリーグ戦では、負傷離脱した正GK・堀池洋充に代わって鈴木が据えられ、広い守備範囲と安定した捕球で 堀池に劣らない活躍を見せ、リーグ2位入りに貢献した。
花島 寛己(はなしま よしき、1973年6月16日 - )は… 花島 寛己(はなしま よしき、1973年6月16日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(投手)。 習志野市立大久保小学校、習志野市立第二中学校出身。地元の少年野球チーム「オール大久保」では投手のほか、一塁手や中堅手も経験したが、第二中学時代は投手に専念し、県大会優勝に貢献した。習志野高校では2年春に県大会優勝すると関東大会準々決勝で先発したが横浜高に敗れる。なお、高校の2学年先輩には野口寿浩がいた。 高校3年生の夏以降、翌1992年から地元・千葉県の千葉マリンスタジアムを本拠地とすることを決めていた千葉ロッテマリーンズ(旧ロッテ・オリオンズ)から同年のプロ野球ドラフト会議で指名することを打診する話があり、花島本人もドラフト会議前からロッテ入団を希望していた。
四方田 修平(よもだ しゅうへい、1973年3月14日 - … 四方田 修平(よもだ しゅうへい、1973年3月14日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。 サッカーを始めたのは横浜市で小学校に入学してからで、千葉県へ引っ越すまで約1年半プレーした。幼稚園時代から小学校2年生の途中までは岡野雅行と同級生として過ごし、同じサッカークラブに所属していた。千葉県へ引っ越した後は、地元にサッカーチームがなかったため野球を始めたが、小学校5年の時から再び部活動でサッカーに復帰した。 習志野市立習志野高等学校を卒業後、順天堂大学へ入学して蹴球部に所属。この頃から将来の指導者を目指し始めた。筑波大学大学院へ進学してコーチ学を学び、1996年から1998年まで筑波大学蹴球部コーチを務めた。
新明 正広(しんみょう まさひろ、1972年7月16日 - … 新明 正広(しんみょう まさひろ、1972年7月16日 - )は、千葉県千葉市出身の元サッカー選手である。ポジションはMF、FW。
野口 寿浩(のぐち としひろ、1971年6月24日 - )は… 野口 寿浩(のぐち としひろ、1971年6月24日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(捕手)、野球指導者。右投右打。野球解説者。PAMSとマネジメント契約を結んでいる。 習志野高時代はチームとしては1年夏に甲子園出場もメンバー外。3年春は県大会準優勝で関東大会ベスト8。夏は千葉大会準決勝で押尾健一を擁する成東高に敗れ、ベスト4。高校通算11本塁打。高校の2学年後輩には花島寛己がいた。 石井好博監督と当時ヤクルトスワローズのスカウトだった安田猛が、早稲田大学野球部の先輩後輩の関係であり、ヤクルト入団意思が固いと他球団は手を引き、1989年オフにドラフト外でヤクルトスワローズに入団。 1年目はドラフト外の高卒ルーキーながら、二軍で59試合に出場し、.292、0HR、23打点を記録するなど、いきなりレギュラーに定着する。
名塚 善寛(なつか よしひろ、1969年10月7日 - )は… 名塚 善寛(なつか よしひろ、1969年10月7日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。元日本代表。 習志野高等学校から1988年、日本サッカーリーグ1部のフジタ工業(後ベルマーレ平塚、現湘南ベルマーレ)に加入。高校時代は全国的にも無名な選手で、卒業後は地元ディズニーランドそばのホテルにホテルマンとして就職が決まっていたが、高校の監督の薦めで練習に参加し実力を認められた。 高い技術と冷静な判断力に加え、読みの深さも併せ持ち、ディフェンスの中心選手として活躍。チームの若返り策もあり22歳にして不動のキャプテンを務め、バルセロナ五輪予選でもU-23日本代表の中心選手として活躍した。
城 友博(じょう ともひろ、1969年4月30日 - )は、… 城 友博(じょう ともひろ、1969年4月30日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。現在はアスリート学生就活サポート「J-SHIP」の代表取締役社長。 中学時代は捕手としてプレーした。習志野高校時代は、3年次の1987年に1番・センターで第69回夏の甲子園に出場し、チームはベスト8まで勝ち進む。俊足を評価され、同年のプロ野球ドラフト会議でヤクルトスワローズから6位指名を受けて入団。 1990年シーズンにはイースタン・リーグで盗塁王と最多安打を獲得し、一軍初出場も果たす。 1991年シーズンにもイースタン・リーグで盗塁王を獲得した。 1992年シーズンに一軍に定着すると83試合に出場し、14年ぶりのリーグ優勝に貢献した。
若闘将 敏男(わかとうしょう としお、1968年10月23日… 若闘将 敏男(わかとうしょう としお、1968年10月23日 - )は、間垣部屋所属の元大相撲力士。千葉市出身。韓国国籍であり本名は黄 敏夫(황민부、ファン・ミンブ)。日本における通名は金本 敏夫(かねもと としお)。身長182cm、体重115kg。血液型B型。最高位は東十両9枚目(1992年9月場所)。得意技は左四つ、上手投げ。 運転手の二男で、千葉市立千草台中学校から習志野市立習志野高等学校では柔道部に所属し、千葉市大会で個人優勝を果たす活躍を見せた。他にも空手・野球も習っており、当初はプロレスラーを志していたのでウェイトトレーニングのジムにも通っていた。しかし、高校2年生の春に「力士になろう」と急に力士を志し、それを知ったジムの会長が間垣部屋を紹介したので、高校を2年で中退して入門した。
大塚 賢一(おおつか けんいち、1968年8月3日 - )は… 大塚 賢一(おおつか けんいち、1968年8月3日 - )は、埼玉県上尾市生まれ・千葉県船橋市出身の元プロ野球選手(投手)。現在は、立川市内の野球用品店「Ken's Glove」店主。 習志野高から1986年のプロ野球ドラフト会議で南海ホークスから4位指名を受け入団。 プロ2年目の1988年に一軍登板を果たす。1990年はマイナーリーグA級のサリナス・スパーズ(英語版)に野球留学した。 1991年12月、ダイエーのドラフト10人指名の余波を受け本村信吾、山田武史とともに保留選手名簿に記載されたにもかかわらず解雇通告を受けた。本村の提訴により本村は参稼報酬同額の補償裁定(1991年の年俸と同額)を勝ち取り、同じく山田は参稼報酬の9割相当額(1991年の年俸の9割)で和解が成立しているが、大塚は現役続行を希望し広島東洋カープのテストを受け合格し入団した。
國分 利人(こくぶん としひと、1968年5月21日 - )… 國分 利人(こくぶん としひと、1968年5月21日 - )は、日本の空手家。千葉県千葉市出身。株式会社強者代表取締役。フィットネスクラブ専門空手道教室を日本で初めて事業化し起業[要出典]。 習志野市立習志野高等学校入学と共に空手道部入部。石川忠に指導を受け拓殖大学に進学。津山克典に師事。ナショナルチーム入りし数々の大会で優勝。
蔭山 弘道(かげやま ひろみち、1967年8月28日 - )… 蔭山 弘道(かげやま ひろみち、1967年8月28日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 千葉県夷隅郡大原町(現・いすみ市)出身。習志野高校在学中に、第16回春の高校バレーでエースとして初優勝に貢献。卒業後は法政大学に進学。法政大学時代の在学中から日本代表に選出され、1988年のソウル五輪に出場。 1989年のワールドカップに出場し卒業後はバレーボールの名門・富士フイルムに入社し、1990年の世界選手権にも出場した。2メートルの長身を武器にエースとして活躍し、第26回日本リーグでは優勝に貢献し、高校、大学、社会人と全て日本一に輝いている。故障やチーム事情もあり、後年はセンタープレーヤーへ転向するも、晩年までチームの主力選手として活躍した。
村口 史子(むらぐち ふみこ 1966年8月30日 - )… 村口 史子(むらぐち ふみこ 1966年8月30日 - )は、日本のプロゴルファーであり、ゴルフ解説者。東京都渋谷区出身。習志野市立習志野高等学校卒業。身長166cm、血液型B型。BSテレビ東京番組審議会委員。 習志野高校ではバレーボール部に所属するも、スパルタ練習にうんざりして高1で退部。高校卒業後、都内の商事会社に3ヶ月勤め退職し、1985年9月には研修生として千葉カントリークラブに入社した。練習場で空振りをするレベルだったが郡司洋トッププロの下で4年間練習に専念し、1990年春にプロテストに合格し、 同年いすゞレディースでツアーデビューした。 1991年は6月にサントリーレディスで初優勝を果たした。
奥山 光広(おくやま みつひろ、1966年7月10日 - )… 奥山 光広(おくやま みつひろ、1966年7月10日 - )は、千葉県習志野市出身の陸上競技選手。専門は中距離走。習志野高校、専修大学卒業。ヤクルト陸上競技部チーフアドバイザー。 1990年代の1500メートル競走にて多くのタイトルを獲得した。 習志野高校三年次の全国高等学校駅伝競走大会にて、1区を担い9位で襷を繋いだ。 高校卒業後は、専修大学へ進学。2年次の箱根駅伝にて1区8位。3年次も1区を担当。3位と好走した。4年次の1988年日本インカレ男子1500mにて優勝。専修大学陸上競技部内でも同年に記録した3分43秒74が令和5年9月1日現在も部内記録となっている。また、5000mでも実業団・学生対抗陸上競技大会にて14分25秒99にて優勝。
大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )… 大野 俊三(おおの しゅんぞう、1965年3月29日 - )は、千葉県船橋市出身の元サッカー選手。ポジションはDF。 習志野高校出身で、同級生に藤川久孝がいる。卒業後に住友金属工業に入社し住友金属工業蹴球団に入部。1992年に同クラブが鹿島アントラーズとなると共にプロ契約を結んだ。鹿島では、奥野僚右や杉山誠とコンビを組み、ヘディングや1on1に強く、パワフルで粘り強いマンマークとロングスローでディフェンダー(センターバック)として活躍し、チームの黄金期を支えた。1993年、Jリーグ1stステージで大きく成長、守備面でチームの優勝に大きく貢献、日本代表にも選出され、国際Aマッチの出場こそ無かったものの、同年10月28日のドーハの悲劇もメンバーの一人として経験している。
藤川 久孝(ふじかわ ひさたか、1964年5月1日 - )は… 藤川 久孝(ふじかわ ひさたか、1964年5月1日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはMF、DF。 習志野高校出身で、大野俊三は同級生である。 ヘディングが強く、また読みの良さと当たりの強さをいかしたプレー で、守備的ミッドフィールダー、センターバック、スイーパーをこなせるため、リーグ創成期の市原や名古屋で活躍した。 現在は愛知東邦大学サッカー部監督を務め、その傍ら中日スポーツ紙上での評論活動やスカパー!のサッカー中継の解説も行なっている。
後関 昌彦(ごせき まさひこ、1963年8月5日 - )は、… 後関 昌彦(ごせき まさひこ、1963年8月5日 - )は、千葉県鎌ケ谷市出身の元プロ野球選手(外野手、一塁手)。左投左打。 習志野高では2年生の時、控え選手ではあるが1980年夏の甲子園に出場。2回戦で東北高の中条善伸に完封を喫する。 1981年オフに、ドラフト外でヤクルトスワローズに投手として入団し、入団後に野手に転向。 1983年にはイースタン・リーグのベストナイン(一塁手)に選出される。一軍では左の代打要員としての出場が主であったが、1988年には17試合に一塁手、左翼手として先発出場。しかし同年オフ、谷宏明との交換で近鉄に移籍。 1989年には指名打者、一塁手として14試合に先発するが、その後は出場機会が減少。
小林 徹(こばやし とおる、1962年4月29日 ‐ )は、… 小林 徹(こばやし とおる、1962年4月29日 ‐ )は、日本の高校野球指導者。千葉県出身。現役時代は投手。 習志野市の生まれ。習志野三中で野球を始め、習志野市立習志野高等学校では石井好博の指導を受けた。1年時の6月に不祥事が発覚して、7月から1年間の対外試合禁止処分を受けた経験がある。1980年、3年生の時に4番エースとして第62回全国高等学校野球選手権大会に出場した。青山学院大学でも投手を務めた。 1985年に商業科教諭として船橋市立船橋高等学校に赴任し、同校の野球部コーチとなった。1990年からは監督に就任。1993年に甲子園春夏連続出場し、1996年からは3年連続で選手権大会出場を果たした。
土岐 大介(とき だいすけ、1961年 - )は、日本の実業… 土岐 大介(とき だいすけ、1961年 - )は、日本の実業家。東京科学大学理事(資産戦略担当)、一橋大学大学院経営管理研究科客員教授、筑波大学大学院客員教授。東北大学総長特別補佐、日本証券投資顧問業協会副会長、金融庁金融審議会専門委員等も歴任した。 千葉県生まれ。YFUで1976年から1年間のジョージア州ワーナーロビンズ高等学校への留学を経て、1980年習志野市立習志野高等学校卒業。1984年筑波大学第三学群社会工学類経営工学主専攻卒業。1986年ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院卒業、オペレーションズ・リサーチ修士。 同年日本鋼管(現JFEスチール、JFEエンジニアリング)入社。1987年日興證券入社。
笠井 喜久雄(かさい きくお、1959年(昭和34年)9月1… 笠井 喜久雄(かさい きくお、1959年(昭和34年)9月14日 - )は、日本の政治家。千葉県白井市長(2期)。 千葉県印旛郡白井村(現・白井市)生まれ。習志野市立習志野高等学校卒業。1982年(昭和57年)3月、中央大学商学部卒業。同年4月、白井町役場に入庁。総務部参事、総務部長。 2018年(平成30年)12月、白井市役所を退職。 2019年(平成31年)1月11日、任期満了に伴う白井市長選挙に立候補する意向を表明した。同年4月14日告示、4月21日執行の市長選で無投票により初当選した。5月23日、市長就任。 2023年(令和5年)4月16日告示、4月23日執行の市長選挙では無投票で再選した。
杉本 公雄(すぎもと きみお、1957年10月15日 - )… 杉本 公雄(すぎもと きみお、1957年10月15日 - )は、日本の元バレーボール選手。 千葉県船橋市出身。習志野高校を経て、1976年に富士フイルムに入社。185センチとアタッカーとしては小柄ながら、サウスポーでの強力なスパイクを武器に活躍した。1984年ロサンゼルス五輪、1988年ソウル五輪に出場し、ソウル五輪では主将を務めた。左利きながらレフトからのオープンスパイクを得意としていた。
小川 淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日 - )は… 小川 淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日 - )は、千葉県習志野市出身の元プロ野球選手(外野手、右投右打)・監督・コーチ、野球評論家。現役引退後に、東京ヤクルトスワローズの一軍監督を2期(通算6年半)歴任。1期目と2期目の間(2015年 - 2017年)にはシニアディレクター、2期目終了後の2020年から2025年までゼネラルマネージャーを務めていた。 中学校在学中は三塁手だったが、目立った実績を残せないまま地元校の習志野高に進学。大柄な体格と強肩の持ち主であったため、進学の直後は捕手に回っていた。チーム内から故障者が出たのをきっかけに、1年時の秋から投手に転向。「肋間神経痛を抱えていても走り込みを休めなかった」というほどの猛練習を経て、エースの座をつかんだ。
鈴木 有(すずき ゆう、1956年(昭和31年)9月23日 … 鈴木 有(すずき ゆう、1956年(昭和31年)9月23日 - )は、日本の政治家。千葉県野田市長(3期)、元野田市議会議員。 千葉県野田市出身。野田市立中央小学校、野田市立第一中学校卒業。父親は野田市議会の議長を務めた人物。習志野市立習志野高等学校、拓殖大学政経学部卒業。 1994年(平成6年)5月、野田市議会議員選挙に初当選。市議会の議長、副議長を務めた。 2016年(平成28年)3月2日、根本崇野田市長が次期市長選に出馬しない考えを表明。同年3月初旬、野田市長選挙への出馬を決断。同年6月12日に行われた市長選において、前市議の遠藤達也、元市議の高梨守ら3候補を相手に戦い、初当選した。7月4日、市長就任。
掛布 雅之(かけふ まさゆき、1955年5月9日 - )は、… 掛布 雅之(かけふ まさゆき、1955年5月9日 - )は、新潟県三条市生まれ、千葉県千葉市中央区出身の元プロ野球選手(内野手、右投左打)、野球解説者・評論家、タレント、YouTuber。大阪府豊中市在住。阪神タイガース現役時代から(4代目)「ミスタータイガース」と称された。 1988年の現役引退後は、野球解説・評論活動を経て、2013年シーズン終了後にゼネラルマネジャー(GM)付育成&打撃コーディネーター→球団本部付 - (Development Coordinator〈略称:DC〉)として阪神に復帰。2016年から2シーズンにわたって二軍監督を務めたのち、2017年11月1日から2年間、オーナー付シニア・エグゼクティブ・アドバイザー(Senior Executive Advisor〈略称:SEA〉)として活動した。
奈良 知彦(なら ともひこ、1954年11月8日 - )は、… 奈良 知彦(なら ともひこ、1954年11月8日 - )は、群馬県出身のサッカー指導者。 前橋市立第五中学校 - 習志野市立習志野高等学校 - 東海大学。習志野高では第50回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝。大学卒業後の1977年、群馬県立前橋商業高等学校に着任し、サッカー部監督に就任。全国高校サッカー選手権大会10回出場。第67、68回全国高等学校サッカー選手権大会では服部浩紀、鳥居塚伸人らを擁して2年連続ベスト4。サッカー不毛の地であった群馬県をサッカーどころへと押し上げた。前橋商監督時代は山田耕介監督率いる前橋育英高と並んで群馬の双璧を築く。 前橋商業で27年間、サッカー部を指導したのち群馬県立藤岡工業高等学校教頭、前橋市立前橋高等学校教頭、校長を歴任。
金坂 克子(かねさか かつこ、現姓:田中、1954年3月1日… 金坂 克子(かねさか かつこ、現姓:田中、1954年3月1日 - )は、日本の元バレーボール選手。1976年モントリオールオリンピックバレーボール女子金メダリスト。 千葉県大網白里市出身。習志野高校を経て、1972年に日本リーグの日立武蔵(当時)に入団。 日立武蔵では垂直跳び68cmのジャンプ力を活かしセンターとしてプレーしていたが1974年のメキシコで行われた世界選手権の直前に怪我をした松田紀子に代わって正セッターとして金メダルを獲得、松田復帰後は控えセッター、1974年に全日本メンバーに選出され、世界選手権やモントリオールオリンピックにおいて金メダルを獲得した。日本リーグでも1977年にレシーブ賞、ベスト6賞を獲得。
森 静雄(もり しずお、1953年8月25日 - )は、日本… 森 静雄(もり しずお、1953年8月25日 - )は、日本のプロゴルファー。第10代日本プロゴルフ協会会長。 1953年8月25日、千葉県出身。習志野市立習志野高等学校卒業後、1980年にプロテストに合格。 プロ入り後は主に海外ツアーを中心に各国を転戦し、海外出場試合数は200試合を数える。特にオーストラリアツアーに初参加した日本人選手として知られる。 2000年に日本プロゴルフ協会理事に就任、2006年~2008年には副会長を務めている。海外ツアー転戦の経験が豊富なことからアメリカ合衆国やオーストラリアのゴルフ界とも関係が深く、アメリカ合衆国オレゴン州の日米ゴルフ親善特使に任命されている。 茨城県坂東市にコースが所在する坂東ゴルフクラブの代表取締役社長。
白田 信夫(はくた のぶお、1952年6月6日 - )は日本… 白田 信夫(はくた のぶお、1952年6月6日 - )は日本の政治家。茨城県議会議員(7期)。第104代茨城県議会議長、第103代茨城県議会副議長、真壁町議会議員(3期)を歴任した。 習志野市立習志野高等学校中退。明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科修士修了。1983年9月から1994年12月まで、真壁町議会議員を3期務めた。同年の茨城県議会議員選挙で初当選を果たす。1998年の県議選では真壁郡選挙区から自由民主党公認で立候補して、再選を果たした。2002年12月8日の県議選では、定数2人中1位で3選を果たした。2006年の県議選は無投票で4選を果たした。2009年12月9日に第103代茨城県議会副議長に就任した。
草間 政一(くさま せいいち、1950年11月11日 - )… 草間 政一(くさま せいいち、1950年11月11日 - )は、日本の実業家、経営者、経営コンサルタント。 新日本プロレスリング株式会社の第4代代表取締役社長を一年間務めたことで世に知られる。さまざまな企業の要職を経て、現在は株式会社草間ビジネスネットワーク代表として千葉県流山市を拠点に草間せいいち名義でも活動している。 東京都葛飾区出身。1969年習志野市立習志野高等学校卒業。高校時代はレスリング部で活躍。1973年3月に法政大学文学部を卒業後、同大学の経済学部に学士入学し1975年3月に卒業。学生時代より、法律と会計を学び、将来は弁護士か会計士の道を望んでいた。 下着メーカーのトリンプ・インターナショナルジャパンでの財務部長を経験した後、渡米する。
醍醐 恒男(だいご つねお、1949年11月22日 - )は… 醍醐 恒男(だいご つねお、1949年11月22日 - )は、千葉県市川市出身の元プロ野球選手(捕手、外野手)・コーチ。 習志野高校では3年次の1967年、捕手・4番打者として同期の石井好博とバッテリーを組み、東関東大会決勝で竜ヶ崎一高を破って夏の甲子園に出場。準々決勝の富山商戦では5安打を記録し、決勝では広陵高の宇根洋介(近大 - 電電中国)から適時三塁打を放ち1-7で勝利、千葉県勢初のチーム全国優勝に貢献。他の高校同期に3番打者の池田和雄外野手がいる。8月末からは全日本高校選抜の一員としてアメリカ西海岸・ハワイ遠征に参加し、打力とインサイドワークに優れた捕手として期待され、1967年のドラフト6位で阪急ブレーブスに入団。
石井好博(いしい よしひろ、1949年4月3日 - 2023… 石井好博(いしい よしひろ、1949年4月3日 - 2023年11月26日)は、日本の高校野球の指導者。東葉高等学校野球部監督。元習志野市立習志野高等学校野球部監督。 1949年(昭和24年)、千葉県安房郡千倉町(現在の南房総市)に生まれる。1965年(昭和40年)4月、習志野市立習志野高等学校に入学し野球部に入部。2年生からエースとなり、1966年(昭和41年)夏の甲子園県予選では準決勝に進出するが、千葉工商の中山孝一投手に抑えられ敗退。翌1967年(昭和42年)は東関東大会決勝で竜ヶ崎一高を破り、夏の甲子園に出場。市原弘道監督の下、決勝で広陵高の宇根洋介(近大-電電中国)に投げ勝ち、千葉県勢初のチーム全国優勝に導く。
鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 -… 鈴木 紀夫(すずき のりお、1949年(昭和24年)4月 - 1986年(昭和61年)11月)は、日本の冒険家。千葉県市原市八幡出身。習志野市立習志野高等学校卒業。法政大学経済学部二部中退。
池田 和雄(いけだ かずお、1949年 - )は、千葉県出身… 池田 和雄(いけだ かずお、1949年 - )は、千葉県出身の元アマチュア野球選手(外野手)。 習志野高校では外野手、三番打者として活躍。1967年に同期の石井好博、醍醐恒男のバッテリーを擁し、東関東大会決勝で竜ヶ崎一高を破って夏の甲子園に出場。準決勝で中京商の川口勉から本塁打、決勝でも広陵高の宇根洋介(近大 - 電電中国)から先制の2点本塁打を放ち1-7で勝利、千葉県勢初のチーム全国優勝を飾る。同年のドラフト会議で東京オリオンズから11位指名を受けるが入団を拒否。 高校卒業後は慶應義塾大学に進学。東京六大学野球リーグでは、萩野友康、長谷部優らの好投もあり、1971年秋季リーグから3季連続優勝。
斎藤 喜(さいとう よし、1948年1月29日 - )は、千… 斎藤 喜(さいとう よし、1948年1月29日 - )は、千葉県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。 習志野高校出身。千葉県の高校では遊撃手No.1の評判だった。また韓国高校選抜軍対全関東高校の試合に選抜され、5打数5安打を放つ。関東球界では大型内野手として注目されていた。高校同期には後に中日ドラゴンズで活躍する谷沢健一がいる(谷沢とは高校時代に3、4番のクリーンアップコンビを形成していた)。1965年夏の甲子園県予選準決勝では、銚子商の木樽正明(後にロッテ・オリオンズ入り)に抑えられ敗退するが、木樽から3安打を放っている。銚子商は夏の甲子園で準優勝。 1965年プロ野球ドラフト会議で阪急ブレーブスへ2位指名で入団。
吉岡 幸男(よしおか ゆきお、1948年(昭和23年)- )… 吉岡 幸男(よしおか ゆきお、1948年(昭和23年)- )は、日本の空手家。男性。極真会館主催の第3回オープントーナメント全日本空手道選手権大会6位入賞。幻の強豪と称された。身長180cm、体重75kg。 千葉県佐倉市出身。習志野市立習志野高等学校では剣道部に所属し、参段を允許された。1968年(昭和43年)に城西大学へ入学して、当時としては珍しい極真会館傘下の空手道部に入部。同期には三浦美幸がおり、主将には同部を創立した当時3年生の添野義二、吉岡の一期上の先輩・二期生には高木薫、後に入部してくる後輩の六期生には花澤明がいる。 添野・高木らから学んだほか、山崎照朝の指導を受け、空手道部が夏合宿を毎年四国で実施していたので芦原英幸にも教わった。
大沢 一治(おおさわ かずはる、1947年(昭和22年)10… 大沢 一治(おおさわ かずはる、1947年(昭和22年)10月2日 - )は、日本の政治家。元八千代市議会議員(2期)。元千葉県八千代市長(2期)、元千葉県議会議員(1期)。 八千代市出身。習志野市立習志野高等学校卒業後、八千代青年会議所理事長を経て、1991年4月、千葉県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し初当選。1995年4月、八千代市長選挙に無所属で立候補し初当選。1999年4月には再選されるも、2期目在職中であった2002年11月、八千代市清掃センター運転管理義務契約に絡む収賄容疑で逮捕・起訴され、同年12月7日、辞職した。千葉地裁で懲役2年6ヶ月、追徴金4600万円の有罪判決を受けて控訴するも、2004年2月、東京高裁で棄却されて実刑判決が確定、服役した(※テスコ (環境施設)も参照)。
谷沢 健一(やざわ けんいち、1947年9月22日 - )は… 谷沢 健一(やざわ けんいち、1947年9月22日 - )は、千葉県東葛飾郡柏町(現:柏市)出身の元プロ野球選手。現在は野球解説者、YouTuber。左投左打、ポジションは一塁手、外野手。1987年に「柏市民特別功労賞」の最初の受賞者となった。現在は神奈川県在住。娘はアリゾナ・ダイヤモンドバックスのアシスタント・アスレティック・トレーナー兼マニュアル・セラピストの谷沢順子。 現役時代は中日ドラゴンズで17年間主軸打者として活躍し、引退後はフジテレビ・ニッポン放送の野球解説者、サンケイスポーツ・毎日新聞野球評論家を歴任。1994年からは西武ライオンズの打撃コーチを歴任。現在はフジテレビ・東海テレビ・J SPORTS野球解説者、YouTuberとして活動している。
田辺 暁男(たなべ あきお、1947年4月20日 - )は、… 田辺 暁男(たなべ あきお、1947年4月20日 - )は、千葉県出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはFW、MF。 習志野市立習志野高等学校、早稲田大学を卒業後、1970年にJSLの古河電気工業サッカー部に入部。シュート力を持ち味に、早稲田大学在学中は日本代表にも選出される。キープ力も兼ね備えた4年目、当時全盛期を迎えていた釜本邦茂と並び、1973年の日本リーグアシスト王に輝く。翌年からは主将としてもチームを引っ張った。30歳を迎えた1977年限りで引退。
古川 牧子(ふるかわ まきこ、1947年1月22日 - )は… 古川 牧子(ふるかわ まきこ、1947年1月22日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 千葉県印旛郡船穂村(現印西市)出身。印西町立船穂中学校時代に実姉の影響でバレーボールを始める。 習志野高校を経て、1965年日紡貝塚へ入社。日本リーグでは最高殊勲選手賞1回、スパイク賞2回、ブロック賞1回と活躍。全日本では1968年メキシコオリンピック、1972年ミュンヘンオリンピックで銀メダルを獲得した。1974年6月引退。引退後、小野沢愛子の兄と結婚した。 ニックネームはロッパ(古川ロッパからきている)。
須藤 和彦(すどう かずひこ、1947年 - )は、千葉県出… 須藤 和彦(すどう かずひこ、1947年 - )は、千葉県出身の元アマチュア野球選手。ポジションは捕手。 習志野高校ではエース東条徹太(東芝)とバッテリーを組み、1965年夏の甲子園県予選準決勝に進むが、銚子商の木樽正明に完封負け。銚子商は夏の甲子園で準優勝。高校同期に中堅手の谷沢健一、遊撃手の斎藤喜がいた。 1966年に日本大学に進学。東都大学野球リーグでは低迷が続き、1968年春季リーグにはチームが二部リーグに降格するが、1969年春季リーグに一部復帰を果たす。同年は同期のエース佐藤道郎の好投もあって春秋連続優勝を果たし、自身もベストナイン(捕手)に連続選出される。同年の全日本大学野球選手権決勝では、佐藤と東海大の上田二郎が互いに無失点で投げ合う。
園田 博之(そのだ ひろゆき、1942年〈昭和17年〉2月1… 園田 博之(そのだ ひろゆき、1942年〈昭和17年〉2月19日 - 2018年〈平成30年〉11月11日)は、日本の政治家。位階は従三位。 内閣官房副長官(村山内閣・村山改造内閣)、厚生政務次官(宮澤内閣)、衆議院法務委員長、衆議院議員(11期)、太陽の党党首、次世代の党顧問、日本維新の会副幹事長、たちあがれ日本幹事長、自由民主党幹事長代理、同政務調査会長代理、新党さきがけ幹事長、同副代表兼総務会長兼党務幹事、同代表幹事などを歴任。 父は内閣官房長官、外務大臣、厚生大臣を務めた園田直、甥はアニメ監督の山崎理。 熊本県天草郡河浦町(現:天草市)生まれ。習志野市立習志野高等学校(野球部1期生)、日本大学経済学部卒業。
桜井 茂尚(さくらい しげなお、1915年(大正4年)1月2… 桜井 茂尚(さくらい しげなお、1915年(大正4年)1月25日 - 没年不明)は、昭和期の文筆家、政治家。衆議院議員、千葉県教育委員会委員長。 千葉県匝瑳郡福岡町(八日市場町、八日市場市を経て現匝瑳市)で生まれる。1940年(昭和15年)東北帝国大学法文学部法科を卒業した。 南満州鉄道に入り経理部勤務、同東亜経済調査局員・副参事を務めた。その後、国民経済研究所農業担当研究員、農林省嘱託、社会主義政治経済研究所参事、九十九里種畜場経営、日本農民組合千葉県連統制委員長、公選の千葉県教育委員、同委員長、労働大学主事、同講師、習志野市立習志野高等学校社会科担当教師、世界芸術協会常務理事、日本社会党千葉県連書記長、同政審会長、同党本部政審会事務局次長、同常任参与、同書記局員などを務めた。
白鳥 義三郎(しらとり ぎさぶろう、1898年(明治31年)… 白鳥 義三郎(しらとり ぎさぶろう、1898年(明治31年)9月21日 - 1965年(昭和40年)12月27日)は日本の千葉県出身の教育者・政治家。千葉県津田沼町長、習志野市初代市長などを歴任。習志野市立習志野高等学校の創立に尽力した。 白鳥与惣左衛門の四男として千葉県千葉郡津田沼町久々田に生まれる。1926年(大正15年)、ベルリン工科大学建築科を卒業、帰国後は東京で教師をつとめた後、合理主義と人道主義の精神に徹した政治活動を展開。 1947年(昭和22年)、公選首長として津田沼町長となり、1955年(昭和30年)、習志野市制が施行されて連続2期市長に当選、文京住宅都市としての習志野市の基礎を築き、大いに地方自治を推進した文化人市長として知られた。
山下 斐紹 は、北海道札幌市西区出身の元プロ野球選手(捕手、… 山下 斐紹 は、北海道札幌市西区出身の元プロ野球選手(捕手、一塁手、外野手)。右投左打。