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岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月2… 岸田 俊輔(きしだ しゅんすけ、1930年〈昭和5年〉7月29日 - )は、日本の大蔵官僚、銀行家。国税庁調査査察部長、大阪国税局長、国税庁次長、証券局長、広島銀行副頭取、同行会長などを務めた。 衆議院議員岸田正記の二男。衆議院議員岸田文武の弟。第100代・第101代内閣総理大臣岸田文雄の叔父。 広島県広島市出身。東京都立第一中学校、東京高等学校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。東大法学部第1類在学中に国家公務員六級職試験を合格。1955年 大蔵省に入省(大臣官房財務参事官室)。 1962年7月 萩税務署長。1963年7月 国税庁調査査察部調査査察課長補佐。
岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月1… 岸田 文武(きしだ ふみたけ、1926年〈大正15年〉8月19日 - 1992年〈平成4年〉8月4日)は、日本の通産官僚(中小企業庁長官)、政治家。元自由民主党所属の衆議院議員(5期)。位階は正四位勲二等、勲章は旭日重光章。 父は元自由党衆議院議員の岸田正記、弟は大蔵省証券局長・広島銀行会長・相談役を務めた岸田俊輔。妻は元日東製粉社長井口良二の次女。長男は衆議院議員で第27代自民党総裁、第100・101代内閣総理大臣の岸田文雄。派閥は宏池会に所属した。 広島県広島市南区段原町出身。1945年、旧制東京高等学校(現:東京大学教育学部附属中等教育学校)卒業後、東京帝国大学へ進学。しかし、戦争末期のころであり、入学早々から勉強どころではなく、連日の勤労動員に続いて、終戦間近の同年7月には、学徒動員で旭川の師団に入隊した。
三角 哲生(みすみ てつお、1926年(大正15年)7月19… 三角 哲生(みすみ てつお、1926年(大正15年)7月19日 - 2016年(平成28年)4月15日)は、日本の官僚。元文部事務次官。 旧制東京高等学校、東京大学法学部卒業後、文部省に入省した。文部省大臣官房会計課長、大学局審議官を経て、1977年(昭和52年)管理局長、1980年(昭和55年)初等中等教育局長に就任した。1982年(昭和57年)、文部事務次官に就任した。 1983年(昭和58年)に退官後は、1983年(昭和58年)日本育英会理事長、1990年(平成2年)国立西洋美術館長、1992年(平成4年)ユネスコアジア文化センター理事長、2003年(平成15年)新国立劇場運営財団理事長を歴任した。
濃野滋(こいの しげる、1925年1月26日 - 没年不明)… 濃野滋(こいの しげる、1925年1月26日 - 没年不明)は、日本の通産官僚。通産事務次官、川崎製鉄副社長、同社副会長などを務めた。 東京府出身。旧制東京高等学校から東京帝国大学法学部政治学科に入学。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年6月、海軍主計少尉に任官して終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1947年 東京帝国大学法学部政治学科を卒業。東京帝大時代の仲間に大蔵省に入省する渥美謙二がいた。同年11月 商工省に入省。振り出しは総務局総務課(現在の大臣官房総務課)。 通商局輸出振興部輸出保険課長、通商局経済協力部資本協力課長、企業局産業立地部工業用水課長、在中国日本大使館一等書記官などを務める。
松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24… 松浦 功(まつうら いさお、1923年〈大正12年〉4月24日 - 2002年〈平成14年〉12月28日)は、日本の内務及び自治官僚、政治家。法務大臣(第63代)、参議院議員(3期)。 東京都出身。旧制東京高等学校卒業後、東京帝国大学法学部政治学科に入学。東京帝大在学中の1946年に高等試験行政科に合格。1947年、東京帝大を卒業し、旧内務省に入省(地方局配属)。自治省大臣官房総務課長、北九州市助役、消防庁長官、自治事務次官などを歴任した後、1980年の参議院議員選挙に全国区から自民党公認で出馬し初当選。1995年、自民党地方自治関係団体委員長。1996年、第2次橋本内閣の法務大臣として初入閣。
土田 國保(つちだ くにやす、1922年〈大正11年〉4月1… 土田 國保(つちだ くにやす、1922年〈大正11年〉4月1日 - 1999年〈平成11年〉7月4日)は、日本の警察官僚、警視総監(第70代)、防衛大学校長(第4代)。愛称は「ミスター警視庁」。剣道7段(居合)。位階は正四位。 父・土田誠一、母・敬子の長男として東京府生まれ。小学校6年間は学習院初等科で学び、5年生より生涯の趣味となる剣道を始める。旧制東京高校を経て、1943年(昭和18年)、東京帝国大学法学部を卒業し、内務省に入省。同年9月に短期現役主計科士官(第10期)に採用されて海軍経理学校で短期間の教育を受け、1944年(昭和19年)3月に同校を卒業して海軍主計中尉に任官した。戦艦武蔵にも乗り組み、主計大尉で終戦を迎えた。
赤羽 桂(あかはね かつら、1922年1月22日 - 197… 赤羽 桂(あかはね かつら、1922年1月22日 - 1972年11月3日)は、日本の大蔵官僚。理財局次長(理財担当)、関税局長などを歴任。 長野県出身。東京高校を経て東京帝国大学法学部法律学科卒業。1944年9月 大蔵省入省。総務局文書課属。 1945年5月 大臣官房文書課。1947年5月8日 水戸税務署長。1950年11月15日に主計局法規課長補佐となって以降は主に主計局でキャリアを歩んでいく。この間、経済企画庁や防衛庁への出向も経験する。1966年7月22日 主計局総務課長。1967年8月4日 経済企画庁調整局参事官。1969年8月 大蔵省大臣官房審議官(大臣官房担当)。1970年6月25日 理財局次長(理財担当)。
吉國 二郎(よしくに じろう、1919年6月11日 - 19… 吉國 二郎(よしくに じろう、1919年6月11日 - 1997年9月5日)は、日本の大蔵官僚、実業家。位階は従三位。国税庁長官(第11代)、大蔵事務次官、横浜銀行頭取を務めた。 神奈川県出身。旧制東京高等学校を経て1941年11月、東京帝国大学法学部法律学科卒業後、大蔵省に入省(預金部兼大臣官房文書課)。短期現役海軍主計科士官(8期)を志願し、1942年1月、海軍主計中尉に任官し海軍経理学校に入校。同年5月に卒業。1943年6月、海軍省調査課勤務となる。同年11月、海軍主計大尉に昇進。1945年9月に予備役に編入された。 1945年10月に下京税務署長。主税局税制第二課長、理財局証券第二課長、理財局証券第一課長、主税局総務課長、主税局総務課長兼主税局国際租税課長、主税局総務課長、大臣官房文書課長、大臣官房財務調査官(主税局担当)、東京国税局長などを経て、1967年8月に証券局長、同年11月に主税局長、1969年より国税庁長官に就任。
大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月3… 大村 襄治(おおむら じょうじ、1919年〈大正8年〉3月30日 - 1997年〈平成9年〉12月15日)は、日本の政治家、官僚。衆議院議員(8期、自由民主党)、防衛庁長官(第39代)。父も防衛庁長官を務めた大村清一。 東京府出身。旧制東京高等学校卒業。1940年10月に高等試験行政科合格。1941年に東京帝国大学法学部法律学科を卒業し、内務省に入省。土木局属。短期現役海軍主計科士官(6期)を志願し、1941年4月、海軍経理学校に補修学生として入校し海軍主計中尉に任官。同年8月、経理学校を卒業。古鷹に配属。同年11月、南西方面艦隊所属・第3設営班主計長に転じ、ダバオ、ホロ、メナド、アンボン方面で飛行場等の設営に従事。
鈴木 秀雄(すずき ひでお、1917年6月4日 - 2015… 鈴木 秀雄(すずき ひでお、1917年6月4日 - 2015年8月21日)は、日本の大蔵官僚。 父・鈴木商店(味の素の前身)第2代社長鈴木忠治と母マスの七男として神奈川県三浦郡葉山村に生まれる。 大蔵入省後まもなく短期現役海軍主計科士官(4期)を志願し、1940年5月、海軍経理学校に入学して海軍主計中尉に任官。同年9月に卒業。1942年3月、主計大尉に進む。1945年5月、海軍主計少佐に昇進して終戦を迎えた。戦後、B級戦犯容疑者として逮捕された。裁判では検事から死刑を求刑され、禁固15年の判決が下る。長い拘禁状態の後、サンフランシスコ講和条約の直前に仮釈放された。この間に公職追放も受けた。 釈放後は大蔵省に復職。
吉國 一郎(吉国 一郎、よしくに いちろう、1916年9月2… 吉國 一郎(吉国 一郎、よしくに いちろう、1916年9月2日 - 2011年9月2日)は、日本の商工・法制官僚。位階は正三位。 内閣法制局長官。第9代プロ野球コミッショナー。神奈川県出身。 旧制東京高等学校を経て、東京帝国大学卒業。 1940年、商工省入省。同期に熊谷典文、国井真、小島慶三、加藤悌次(鉱山局長)等。 戦後は新制通商産業省から出向で内務省解体後の総理府において、主に法令審査畑を歩む。法制局長官総務室主幹、法制局第三部長、内閣法制局第一部長、内閣法制次長等を歴任。 1972年、第1次田中角榮内閣の下において内閣法制局長官に就任。その後、田中角栄・三木武夫の2人の首相に合計4年半仕えた。
米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月… 米沢 滋(よねざわ しげる、1911年 <明治44年> 2月1日 - 1999年 <平成11年> 5月2日)は、日本の逓信官僚、工学者。日本電信電話公社総裁、経済団体連合会理事、電気通信協会長などを歴任。位階は正三位。 米沢与三七の子として生誕。富山県下新川郡入善町出身。1933年、東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、逓信省に入省。電気通信省業務局計画部長、日本電信電話公社保全局長、電気通信研究所長、総務理事などを歴任。1965年から1977年にかけて日本電信電話公社の総裁を務める。 超短波電波による無線多重電話方式を提唱し、1940年に世界に先駆けて実用化。また、通信設備の保全を合理化するため、初めて統計的品質管理方式を導入。
林 修三(はやし しゅうぞう、1910年1月1日 - 198… 林 修三(はやし しゅうぞう、1910年1月1日 - 1989年6月21日)は、日本の官僚。大蔵・法務官僚を経て法制局に移り、鳩山・石橋・岸・池田の4内閣(10年弱)にわたって法制局長官(内閣法制局長官)を務めた。位階勲等は正三位勲一等旭日大綬章。『時の法令』誌連載の判例解説でははやし しうぞうの別名を用いた。 著作の一部はデジタル化されており、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 … 村井 順(むらい じゅん、1909年〈明治42年〉2月5日 - 1988年〈昭和63年〉1月12日)は、日本の内務・警察官僚、実業家。初代京都府警本部長、初代内閣総理大臣官房調査室長(現・内閣情報調査室)、綜合警備保障の創業者で、社長・会長。 東京出身。東京高等学校 (旧制)を経て東京帝国大学法学部政治学科を卒業。1935年(昭和10年)内務省に入省し、1939年(昭和14年)に福岡県警防課長から、汪兆銘の南京政府を実質的に支配していた上海の興亜院に転出し、中国大陸における特高警察活動や、思想文化統制に従事。 敗戦後は、青森県警察部長を務めている最中に吉田茂に才気を見出され、第1次吉田内閣で内閣総理大臣秘書官に抜擢されるも、のちに内務省に戻り、廃止された特高警察の代わりとして設立された、内務省警保局公安一課(公安警察)の課長として、情報関係業務に従事。
平井 富三郎(ひらい とみさぶろう、1906年12月13日 … 平井 富三郎(ひらい とみさぶろう、1906年12月13日 - 2003年5月20日)は、日本の商工官僚。経済審議庁次長や通商産業事務次官を経て、退官後新日本製鐵(現日本製鉄)社長。東京府(現東京都)出身。1973年に藍綬褒章、1979年に勲一等瑞宝章を受章。2003年、脳梗塞のため死亡。 旧制東京高校(現東京大学教育学部附属中等教育学校)を経て、東京帝国大学法学部を卒業後、1931年に商工省(現 経済産業省)へ入省。製鉄所書記。同期には、長村貞一(ジェトロ副理事長、経済審議庁次長、特許庁長官)、山地八郎など。 第二次世界大戦後の1949年、石炭庁管理局長から商工省化学局長(1949年2月12日 - 同年5月24日)に。