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二川一男(ふたがわ かずお、1956年12月2日 - )は日… 二川一男(ふたがわ かずお、1956年12月2日 - )は日本の厚生・厚生労働官僚。 富山県滑川市出身。東京都立両国高等学校を経て、1980年、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業後、厚生省へ入省。2001年、内閣府政策統括官(経済社会システム担当)付参事官(社会システム担当)。2003年、厚生労働省大臣官房参事官(総務担当)。2004年、厚生労働省医政局経済課長。2006年、厚生労働省医政局総務課長。2008年、厚生労働省大臣官房審議官(年金担当、年金管理組織再編準備担当)。2010年、厚生労働省大臣官房総括審議官。2012年、厚生労働省大臣官房長。2014年、厚生労働省医政局長。2015年厚生労働事務次官。
植村 昭三(うえむら しょうぞう、1946年7月29日 - … 植村 昭三(うえむら しょうぞう、1946年7月29日 - )は、日本の経産官僚、弁理士。世界知的所有権機関(WIPO)事務局次長、特許庁審査第四部長、東京大学先端科学技術研究センター客員教授を歴任。 1998年8月から、WIPOにおける初めての日本人事務局次長として、著作権をはじめとする知的財産権の規範作成や、エンフォースメントを担当した。
及川 耕造(おいかわ こうぞう、1945年〈昭和20年〉10… 及川 耕造(おいかわ こうぞう、1945年〈昭和20年〉10月17日 - )は、日本の通産・防衛官僚。岩手県和賀郡東和町(現:花巻市)出身。 東京大学経済学部経済学科卒業後、通商産業省に入省(通商局通商調査課)。入省同期に、町村信孝(衆議院議員)、太田信一郎(特許庁長官・及川の後任)、藤島安之(駐パナマ大使)などがいる。 通商産業省大臣官房総務審議官、防衛庁装備局長を経て、2000年に特許庁長官となる。退官後は財団法人機械産業記念事業財団参与、野村総合研究所顧問、日本政策投資銀行理事、独立行政法人経済産業研究所理事長、公益社団法人発明協会副会長などを務めている。
佐藤 謙(さとう けん、1943年11月17日 - )は、日… 佐藤 謙(さとう けん、1943年11月17日 - )は、日本の大蔵・防衛官僚。第24代防衛事務次官。公益財団法人日本国際フォーラム評議員、日本テレビホールディングス株式会社・日本テレビ放送網株式会社社外取締役。一般社団法人市ヶ谷論壇会長。 東京都立両国高等学校を経て、1966年東京大学法学部卒業。同年、大蔵省入省。同期に中山恭子、武藤敏郎、中島義雄、長野庬士(証券局長)、松川隆志(北海道開発事務次官)など。元自治庁次官、読売新聞社会長・小林與三次の娘婿。 防衛事務次官在任中は、海上自衛隊スパイ事件で処分を受けたが、紛争地への自衛隊の派遣、アメリカ同時多発テロに対するアフガニスタン侵攻の後方支援のための自衛艦派遣などを実施。
大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月… 大森 義夫(おおもり よしお、1939年〈昭和14年〉12月22日 - 2016年〈平成28年〉9月11日)は、日本の警察官僚。内閣情報調査室長、警察大学校長、日本文化大学学長などを歴任した。 警察大学校長、内閣情報調査室長などを歴任。父は大森寛(陸上幕僚長、防衛大学校長)、弟に大森敬治(防衛施設庁長官、内閣官房副長官補、駐オマーン大使) 2016年9月11日、腎盂癌のために死去。76歳没。
柿澤 弘治(かきざわ こうじ、1933年〈昭和8年〉11月2… 柿澤 弘治(かきざわ こうじ、1933年〈昭和8年〉11月26日 - 2009年〈平成21年〉1月27日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)、外務大臣(第117代)、自由党党首、自由連合代表を歴任。長男は元衆議院議員の柿沢未途。 東京府東京市日本橋区小伝馬町(現東京都中央区日本橋小伝馬町)に柿澤常次郎の子として生まれる。生家は江戸時代創業の葛籠屋「柿澤常次郎商店」。東京都立両国高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1958年、大蔵省(現財務省)に入省。本省勤務の他、外務省や経済企画庁への出向やフランス、ベルギーでの海外勤務を経験し、ベルギーに赴任中には長男の未途が誕生した。
後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - … 後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - 1960年4月13日)は、官僚、官庁エコノミスト、経済評論家。 経済白書執筆にあたり、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた。 現在の東京都墨田区出身。大相撲年寄り、二十山親方(第二代小錦八十吉、本名後藤鶴松)の長子。母、菊。東京府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)卒業。旧制第一高等学校卒業。 1941年12月、東京帝国大学工学部電気工学科卒。電気庁、大東亜省奉職。経済安定本部・経済審議庁・経済企画庁において、第二次大戦後の日本の経済復興政策立案及び景気循環分析にかかわる。直属の上司・先輩に大来佐武郎、部下に宍戸寿雄、金森久雄、内野達郎、丸茂明則等。
後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - … 後藤 譽之助(ごとう よのすけ、1916年10月25日 - 1960年4月13日)は、官僚、官庁エコノミスト、経済評論家。経済白書執筆にあたり、第二次大戦後の日本の経済復興に対する政策立案に方向を与えた。
入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10… 入江 俊郎(いりえ としお、1901年(明治34年)1月10日 - 1972年(昭和47年)7月18日)は、日本の官僚、政治家、裁判官。法制局長官、貴族院議員、衆議院法制局長、最高裁判所判事。東京府出身。 府立三中、第一高等学校、東京帝国大学卒業。1924年に内務省に入り、1927年、法制局参事官となる。 戦後の1945年9月には法制局第一部長、同年11月には法制局次長、1946年3月には法制局長官となり、日本国憲法の立案責任者になった。1946年5月18日、昭和天皇により貴族院議員に勅選され、同和会に所属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任した。 日本国憲法により帝国議会及び貴族院は廃止され、国立国会図書館専門調査員であったところ、芦田内閣期の1948年7月に衆議院の法制局長に任命された。
諸橋 襄(もろはし のぼる、1899年(明治32年)12月1… 諸橋 襄(もろはし のぼる、1899年(明治32年)12月10日 - 1999年(平成11年)1月18日)は、日本の内務官僚。貴族院議員。法学博士。帝京大学法学部長。従四位勲二等。 新潟市出身。新潟中学(後の新潟県立新潟高等学校)から、東京府立三中(後の東京都立両国高等学校・附属中学校)に転校し卒業。そして旧制第八高等学校を経て、1923年(大正12年)に、東京帝国大学農学部農学科を卒業すると、東京帝国大学法学部政治学科に入学した。 同4月30日、新潟県属となり、1924年(大正13年)4月、同大学を卒業した。以後、奈良県、北海道、広島県、富山県、千葉県、福島県の勤務を経て、1937年(昭和12年)7月31日、 行政裁判所評定官となる。
早川 三郎(はやかわ さぶろう、1888年 <明治21年> … 早川 三郎(はやかわ さぶろう、1888年 <明治21年> 4月8日 - 1973年 <昭和48年> 4月19日)は、日本の内務官僚、政治家。県知事、警視総監。位階は正四位。 神奈川県出身。地主・早川耕造の三男として生まれる。東京府立三中、第六高等学校を経て、1915年5月、東京帝国大学法科大学法律学科(独法)を卒業。1914年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1915年8月、内務省に入り宮崎県属となる。 1916年9月、宮崎県警視を兼務。以後、宮崎県東諸県郡長、同県理事官、埼玉県理事官、同県地方課長、同県視学官、香川県書記官・警察部長、岡山県書記官・警察部長、広島県書記官・警察部長などを歴任。