スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
藤崎 斉(ふじさき ひとし、1956年12月23日 - )は… 藤崎 斉(ふじさき ひとし、1956年12月23日 - )は、日本の実業家、日本ホテル株式会社常務取締役、東京ステーションホテル総支配人。 1956年12月23日、東京都生まれ。東京都立両国高等学校、立教大学経済学部卒業。株式会社リクルートの子会社を経て、1984年東京ヒルトンインターナショナル(現ヒルトン東京)開業スタッフとして入社。チーフレセプションクラーク、フロント支配人、宿泊支配人、ヒルトンインターナショナル日本/韓国/グァム/ハワイ地区担当エリア・フロントオフィスコーディネーター。 2002年ウェスティンホテル東京入社。宿泊部長を経て副総支配人に就任。 2006年株式会社JALホテルズ本社(現 オークラニッコーホテルマネジメント)営業本部副本部長として入社。
木山 茂年(きやま しげとし、1942年 - )は日本の実業… 木山 茂年(きやま しげとし、1942年 - )は日本の実業家。株式会社東京デリカを設立し、同社代表取締役社長、代表取締役会長を歴任。シェア50パーセントを占めるカバン業界最大手に拡大させた。 東京都葛飾区新小岩出身。東京都立両国高等学校を経て、1964年一橋大学法学部を卒業し、三井造船株式会社入社。 1969年、父が死去したため商店街のよろず屋を経営する家業の合資会社丸二商会入社。しかし、「商店街のただのオヤジでは終わりたくない」との思いから、1970年からカバン屋の出店を始める。 1974年株式会社東京デリカ設立、同社代表取締役。1977年ころから全国展開を開始。1980年株式会社デリカ総業(現ディーアンドケー株式会社)設立、同社代表取締役。
飯島 延浩(いいじま のぶひろ、1941年7月28日 - )… 飯島 延浩(いいじま のぶひろ、1941年7月28日 - )は、日本の実業家。山崎製パン株式会社代表取締役社長(第3代)として、同社を売上高1,000億円台から、1兆円規模の食品コンツェルンに成長させた。 一般社団法人日本パン工業会会長を20年以上務めているほか、株式会社東ハト代表取締役会長、株式会社不二家取締役相談役、ヤマザキナビスコ株式会社会長、株式会社デイリーヤマザキ会長などを歴任した。 千葉県市川市生まれ。都立両国高校を経て、1964年3月一橋大学経済学部卒業。1964年4月山崎製パンに入社。1966年ボロー・ポリテクニック(現・ロンドン・サウス・バンク大学(英語版))卒業。1993年ロンドン・サウス・バンク大学名誉理学博士。
井上 弘(いのうえ ひろし、1940年(昭和15年)1月5日… 井上 弘(いのうえ ひろし、1940年(昭和15年)1月5日 - )は、日本の実業家、株式会社TBSホールディングス及び株式会社TBSテレビ相談役。社長、会長を歴任した。東京都生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。
平松 一朗(ひらまつ いちろう、1926年〈大正15年〉6月… 平松 一朗(ひらまつ いちろう、1926年〈大正15年〉6月6日 - 2022年〈令和4年〉8月15日)は、日本の実業家。京浜急行電鉄社長、同社会長、横浜新都市センター社長、横浜ポルタ会会長、日本民営鉄道協会会長等を歴任した。位階勲等は従三位旭日大綬章。 東京府品川生まれ。府立第三中学校(現東京都立両国高等学校)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校卒業。海軍兵学校同期にノーリツ創業者の太田敏郎、阪急電鉄社長および平松の後任として日本民営鉄道協会会長を務めた小林公平等がいた。1949年(昭和24年)東京工業大学機械工学科卒業。1950年(昭和25年)京浜急行電鉄入社。経理部長等を経て、1981年(昭和56年)取締役に昇格。
藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 200… 藤田 近男(ふじた ちかお、1926年4月12日 - 2005年2月6日)は、東京府出身の実業家。元キユーピー社長。 府立三中、陸軍幼年学校、陸士を経て、水産講習所(現東京海洋大学)卒業。中島董商店入店。中島董商店から1951年にグループ会社の食品工業(現キユーピー)設立に伴い移動。1971年社長、1993年副会長、1995年取締役相談役、1999年顧問、2001年特別顧問。勲三等旭日中綬章(1996年)。2005年2月6日死去。享年79。
坪井 東(つぼい はじめ、1915年〈大正4年〉5月1日 ‐… 坪井 東(つぼい はじめ、1915年〈大正4年〉5月1日 ‐ 1996年〈平成8年〉7月5日)は、日本の実業家。三井不動産の社長や会長を22年間務め、ツーバイフォー工法の導入や東京ディズニーランド開園事業に携わったほか、三井ホーム社長、世界不動産連盟会長、不動産協会理事長、不動産流通経営協会理事長等の公職も務めた。 千葉県市川市生まれ。旧制東京府立第三中學校(のちの都立両国高等学校)を経て、旧制東京商科大学(のちの一橋大学)を卒業。のちに三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、東京銀行頭取の横山宗一、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、日東製網社長の小林政夫、一橋大学学長の小泉明らとともに大学の同期会を結成した。
澤村 三木男(さわむら みきお、1909年(明治42年)5月… 澤村 三木男(さわむら みきお、1909年(明治42年)5月24日 - 1979年(昭和54年)1月11日)は、文藝春秋四代目社長。 歌舞伎役者七代目澤村宗十郎の四男として生まれる。東京府立第三中学校(現都立両国高等学校)を経て慶應義塾大学文学部卒業。 松竹に入社後、1933年(昭和8年)文藝春秋社に転職。敗戦で菊池寛が文藝春秋を解散したあと、佐佐木茂索、池島信平、鷲尾洋三らと同社を再建、文藝春秋新社を発足される。長年専務を務め、1973年(昭和48年)池島社長の逝去に伴い四代目の社長に就任。75年日本宣伝賞を受賞し現職のまま逝去。
澤村三木男(さわむら みきお、1909年5月24日-1979… 澤村三木男(さわむら みきお、1909年5月24日-1979年1月11日)は、株式会社文藝春秋四代目社長。
大塚 幸之助(おおつか こうのすけ、1906年 - 1987… 大塚 幸之助(おおつか こうのすけ、1906年 - 1987年)は、日本の実業家、プロ野球球団経営者。 東京府東京市本所区(現:東京都墨田区)に生まれる。府立第三中学校を四年生で中退、父と共に家業の大塚製作所に入社。1923年に父が死去したため社長に就任。1925年から1927年まで徴兵検査甲種合格で陸軍第一師団野戦重砲第三旅団輜重兵大隊(国府台)に所属。1935年に軍需工場の指定を受け、ばね等の自動車部品、機関銃部品を製造する軍需産業に転換。1945年に罹災のため千葉県松戸市に移転。戦後は洋傘、洋傘骨製造に転換。 1947年、国民野球連盟の大塚アスレチックスのオーナーに就任。同年秋には宇高勲の後を受け国民野球連盟の会長に就任。
臼井 荘一(臼井 莊一、うすい そういち、1902年〈明治3… 臼井 荘一(臼井 莊一、うすい そういち、1902年〈明治35年〉7月26日 - 1987年〈昭和62年〉10月18日)は、大正から昭和期の政治家、実業家。位階は正三位、勲等は勲一等。千葉興行2代目社長。総理府総務長官。衆議院議員(8期)、参議院議員(1期)。千葉市名誉市民。学位は商学士(早稲田大学)。剣道六段。 東京市深川区越中島(現在の東京都江東区越中島)で建築材料商の家に生まれた。1920年(大正9年)3月、旧制・東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校)を卒業し、1925年(大正14年)3月、早稲田大学商学部商学科を卒業。大日本麦酒に入社した。 父の病のため1925年11月、大日本麦酒を退職して千葉市に転居。
原 善一郎(はら ぜんいちろう、1892年4月21日 - 1… 原 善一郎(はら ぜんいちろう、1892年4月21日 - 1937年8月6日)は大正、昭和の実業家。 横浜の大生糸商の原富太郎(原三渓)の長男として生まれた。東京府立第三中学校を経て早稲田大学卒業。1921年アメリカ留学。 祖父の原善三郎の養子となり、原合名会社の副社長となる。横浜興信銀行、帝国蚕糸の重役を務める。 芥川龍之介とは東京府立第三中学校(現在の東京都立両国高等学校)における同級生で友人であった。他にも美術、文学の後援者として知られ、岸田劉生、阿部次郎、矢代幸雄、和辻哲郎、安倍能成との親交が知られる。
川村 音次郎(かわむら おとじろう、1890年7月15日 -… 川村 音次郎(かわむら おとじろう、1890年7月15日 - 1973年2月12日)は、日本の実業家。キリンビール代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務め、在任中ビール業界トップシェアを実現した。 東京・深川(現在の東京都江東区深川)生まれ。東京府第三中学校(現東京都立両国高等学校)を経て、1915年東京高等商業学校(現一橋大学)専攻部卒業。剣道部出身。 卒業後三菱合資会社入社。1935年三菱商事ロンドン支店長。1942年三菱商事産業部長。 1943年岩崎小弥太の意向による人事で、キリンビール専務取締役に転じる。1951年からはキリンビールで取締役社長を務め、1954年には朝日麦酒、日本麦酒を抜きビール業界トップシェアを実現。
加賀 正太郎(かが しょうたろう、1888年(明治21年)1… 加賀 正太郎(かが しょうたろう、1888年(明治21年)1月17日 - 1954年(昭和29年)8月8日)は、日本の資産家、実業家。加賀証券社長。大阪府多額納税者。 1888年、大阪市東区今橋生まれ。加賀市太郎の長男。加賀家は大阪目抜きの場所、高麗橋通りにあり、大阪屈指の資産家として、又著名の旧家として遠近に知られた。12歳の時に父親が亡くなり、船場にあった江戸時代から続く実家の繊維業・米穀仲買業・両替商「富商加賀商店」を継ぐ。 ヨーロッパに渡り、日英博覧会やキューガーデンの見学、アルプス山脈ユングフラウ登頂を行った。 東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)を経て、1911年、東京高等商業学校(現・一橋大学)卒業。
浮谷 竹次郎(うきや たけじろう、1887年(明治20年)9… 浮谷 竹次郎(うきや たけじろう、1887年(明治20年)9月24日 - 1965年(昭和40年)3月8日)は、大正から昭和時代の政治家・実業家。千葉県東葛飾郡市川町長、初代市川市長。北総鉄道支配人。 浮谷権兵衛の弟として千葉県に生まれる。浮谷家は葛飾郡市川新田で農業を営み、当主は代々権兵衛を名乗っていた。東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)、東北帝国大学農科大学予科を経て、1913年(大正2年)7月に同大畜産科を卒業する。卒業後、志願兵として1年従軍し、1917年(大正6年)陸軍騎兵少尉に進んだ。 ついで、北海道技手、東北帝国大学農科大学予科講師、宮城県農業技師、京成電軌重役秘書、会計・工務課長、北総鉄道支配人、成田鉄道会社取締役建設部長などを歴任。