スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
奥田 宗久(おくだ むねひさ、1952年4月5日 - 200… 奥田 宗久(おくだ むねひさ、1952年4月5日 - 2001年10月7日)は日本の財務官僚。 山口県出身(父母も山口県)。東京都立立川高等学校、一橋大学経済学部経済学科卒業。1976年 大蔵省入省(主計局総務課)。1981年7月 弘前税務署長。1982年7月 国税庁長官官房総務課長補佐。 1990年7月 大臣官房会計課長補佐。1991年6月 大阪国税局調査部長。同年7月 大阪国税局調査第一部長。1993年7月 沖縄開発庁振興局振興総務課長。1997年7月 経済企画庁調整局財政金融課長。1999年9月 造幣局東京支局長。2000年7月 理財局国有財産第一課長。2001年1月6日 財務省理財局国有財産企画課長。
古川 あんず(ふるかわ あんず、本名:古川 杏子、1952年… 古川 あんず(ふるかわ あんず、本名:古川 杏子、1952年2月 - 2001年10月23日)舞踏家、振付家。 東京都生まれ。東京都立立川高等学校在学中に学園闘争に参加し退学処分となる。定時制高校を経て、桐朋学園大学作曲科卒。 大学在籍中の1973年に、明治大学、早稲田大学、東京大学、東京工業大学、東京造形大学、国際基督教大学といった様々な大学の学生達と共に「少女過激団」を旗揚げ、麿赤児の大駱駝艦に参加し、1974年5月16・17日 東京ゲーテ・インスティトゥート主催、第13回現代音楽実験コンサートで『大観念オペラ・猿女譚』公演。 大駱駝艦で出会った田村哲郎と「ダンス・ラブマシーン」を結成して独立。
荒巻 健二(あらまき けんじ、1952年1月17日 - )は… 荒巻 健二(あらまき けんじ、1952年1月17日 - )は、日本の経済学者。勲等は瑞宝中綬章。東京大学名誉教授。専門は国際金融、日本経済。 財務省財務総合政策研究所特別研究官、東京女子大学特任教授を歴任した。 1974年一橋大学社会学部卒業。1976年一橋大学法学部卒業。大蔵省に入省し、官僚としての道を歩み始める。 その後、オックスフォード大学に留学し、1980年 Master of Philosophy in Economics(経済学修士)の学位を取得している。 もともと一橋大学の卓球部出身でもあった彼は、この留学時代にオランダで開催された卓球の国際大会に出場し、そのプレイスタイルから『カミカゼケンジ』と渾名された。
荻野 博司(おぎのひろし、1952年 - )は、東洋学園大学… 荻野 博司(おぎのひろし、1952年 - )は、東洋学園大学教授、多摩大学客員教授、元朝日新聞社論説副主幹。
倉川茂行(くらかわ しげゆき、1952年 - 1988年10… 倉川茂行(くらかわ しげゆき、1952年 - 1988年10月29日)は日本の大蔵官僚。 東京都出身。東京都立立川高等学校、東京大学法学部第1類(私法コース)卒業。1975年 大蔵省入省(主計局総務課)。立川高校時代から大蔵省入省を目指していた。 大阪国税局や大臣官房調査企画課調査第一係長の後、1980年7月 鶴岡税務署長。1985年6月 主計局主計官補佐(厚生第三係主査)。中島義雄主計官に仕えていた。1988年7月 主計局主計官補佐(通商産業第一、二係主査)。1988年10月29日 東京都世田谷区池尻の自宅で急性心不全のため死去。 主計局での勤務が長く、1975年入省では勝栄二郎らと並んで事務次官候補と見られていた。
河端 真一(かわばた しんいち、1951年8月4日 - )は… 河端 真一(かわばた しんいち、1951年8月4日 - )は、元社団法人経済同友会幹事。株式会社学究社の代表取締役社長。首都圏に進学塾enaを展開。京都府京都市出身。
二ノ宮 秀明(にのみや ひであき、1951年2月13日 - … 二ノ宮 秀明(にのみや ひであき、1951年2月13日 - )は、日本の実業家。三菱ロジスネクスト取締役会長や、日本産業車両協会会長などを歴任した。 東京都八王子市出身。東京都立立川高等学校を経て、1974年一橋大学社会学部卒業、三菱重工業入社。2002年三菱重工業汎用機・特車事業本部経営管理総括部長。2003年三菱重工業汎用機・特車事業本部副事業部長。2003年三菱キャタピラーフォークリフトアメリカ社代表取締役社長。2007年三菱重工業執行役員。 2009年ニチユ顧問。同年ニチユ専務取締役。2010年ニチユ管理本部担当管理本部長。2011年ニチユ代表取締役社長。2013年ニチユ三菱フォークリフト代表取締役社長。
河林 満(かわばやし みつる、1950年12月10日 - 2… 河林 満(かわばやし みつる、1950年12月10日 - 2008年1月19日)は、日本の小説家。福島県いわき市に生まれる。 東京都立川市や昭島市で育ち、東京都立立川高等学校定時制を卒業した。卒業後は郵便局員として昭島郵便局にて2年間勤務したのち、1973年、立川市職員に就職。27年間の勤務を経て、文筆業に専念すべく1998年、立川市役所を退職。 市役所職員として勤務するかたわら創作活動を行い、1986年に「海からの光」で第9回吉野せい賞奨励賞、1988年「ある執行」で第七回自治労文芸賞を受賞した。1990年「渇水」で文學界新人賞を受賞し、『文學界』1990年6月号に掲載した。同作品は103回芥川賞候補にもなった。
鶴間 和幸(つるま かずゆき、1950年12月 - )は、日… 鶴間 和幸(つるま かずゆき、1950年12月 - )は、日本の歴史学者、学習院大学名誉教授、淑徳大学客員教授。専攻は中国古代史。秦漢時代が専門。 東京都生まれ。東京都立立川高等学校を経て、1974年東京教育大学文学部東洋史学科卒業。1980年東京大学大学院人文科学研究科東洋史博士課程単位取得退学。1980年4月~1981年3月日本学術振興会奨励研究員、1981年茨城大学教養部講師、1982年助教授、1985年4月~1986年1月中国社会科学院歴史研究所外国人研究員、1994年~1996年茨城大学教養部教授、1996年学習院大学文学部教授、2021年名誉教授。 1998年「秦帝国の形成と地域」で、東京大学より博士(文学)の学位を取得。
若林 義春(わかばやし よしはる、1950年〈昭和25年〉7… 若林 義春(わかばやし よしはる、1950年〈昭和25年〉7月26日 - )は、日本の政治活動家。日本共産党東京都委員長を務めた。現在は党常任幹部会委員、党建設委員会責任者代理。
渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまの… 渡辺 千明(わたなべ ちあき、男性、本名・山内 千明(やまのうち ちあき)、1950年4月19日 - 2021年3月31日)は、日本の脚本家、劇作家、演出家。野田高梧記念蓼科シナリオ研究所理事。 兵庫県出身。横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)卒業。1999年『ニーセーター(若者たち)』で第2回日本シナリオ大賞準入選。 父は国文学の大学教授。2人の兄は共に東京大学を卒業し、それぞれ弁護士と公務員になったという一家であるが、本人曰く「25歳になるまでぶらぶらしていた」とのこと。都立立川高校を卒業後、1976年横浜放送映画専門学院(現・日本映画大学)に進学。 1978年同校卒業。講師だった田村孟、馬場当、富田義朗の助手を経て、テレビドラマ『からっ風と涙』、映画『夜叉が池』などを手伝う。
石井 公成(いしい こうせい、1950年 - )は、日本の仏… 石井 公成(いしい こうせい、1950年 - )は、日本の仏教学者。学位は、博士(文学)(早稲田大学・乙種〈論文博士〉・1994年)。駒澤大学名誉教授。専門はアジア諸国の仏教と周辺文化。華厳宗・地論宗・禅宗・『大乗起信論』・聖徳太子などを柱として、インド・中国・韓国・日本・ベトナムなどにおける仏教教理について研究するほか、アジア諸国の文学におよぼした仏教の影響、近代アジア諸国のナショナリズムと仏教の関係、音楽・芸能・酒・遊び(冗談・言葉遊び・悪ふざけ)と仏教の関係、N-gramに基づくNGSMシステムを用いたコンピュータ処理による著者判定その他について研究。コンピュータを利用した仏教典籍研究の第一人者。
矢嶋 泉(やじま いづみ、1950年 - )は、日本上代文学… 矢嶋 泉(やじま いづみ、1950年 - )は、日本上代文学研究者。神奈川県生まれ。本姓・矢島。学位は、文学博士(東京大学・2011年)(学位論文『古事記の文字世界』)。青山学院大学名誉教授(2019年)。
村山 貢司 (むらやま こうじ、1949年10月25日 - … 村山 貢司 (むらやま こうじ、1949年10月25日 - )は、気象予報士。NHKへの出演、花粉症の専門家としての活動で知られる。財団法人気象業務支援センター振興部専任主任技師。有限会社気象環境サービスにも所属。 東京都出身。東京都立立川高等学校、東京教育大学農学部卒業。1972年、財団法人日本気象協会入社、1996年に気象予報士資格を取得。2003年に日本気象協会を退社して気象業務支援センターに移籍。 気象、生気象、地球環境が専門分野で、特に花粉症の専門家として著名。東京都花粉症対策検討委員会委員、林野庁スギ花粉動態委員会委員、花粉学会評議員等を務める。 1980年代よりNHKニュース7をはじめNHKの主要なニュース番組のキャスターを歴任し、2000年~2007年まで、NHKニュースおはよう日本やNHK週刊ニュースの気象キャスターを担当していた。
村木利雄(むらき としお、1949年7月19日 - )は日本… 村木利雄(むらき としお、1949年7月19日 - )は日本の大蔵官僚。血液型はAB型。 東京都福生市出身。東京都立立川高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1972年 大蔵省入省(銀行局総務課)。1995年6月 銀行局銀行課長。1996年7月12日 大臣官房金融検査部管理課長。1997年7月15日 札幌国税局長。1998年7月1日 国税庁長官官房国税審議官(酒税担当)。2000年6月30日 国税不服審判所次長。2001年7月9日 退官。同年7月 特殊法人雇用・能力開発機構理事。2005年7月 南都銀行顧問。2012年6月 佐賀銀行代表取締役副頭取。2014年4月 同行代表取締役会長(〜2017年6月29日)。
秋田 建三(あきた けんぞう、1949年3月12日 - )は… 秋田 建三(あきた けんぞう、1949年3月12日 - )は、NHKの元チーフアナウンサー。 広島県出身。東京都立立川高等学校を経て横浜市立大学卒業後、1971年入局。 初任地は室蘭局で、その後大津局→山口局→東京アナウンス室→富山局→津局→名古屋局→大津局→岐阜局→名古屋局(2006年6月〜)と、全国を転々とした。 大津局のFMリクエストアワーを担当していた当時のニックネームは「大津の海老蔵」。 最後の地となった2度目の名古屋時代はデスク業務を担当した。 ◦ アナウンス統括
松本 富子(まつもと とみこ、1947年8月 - )は、日本… 松本 富子(まつもと とみこ、1947年8月 - )は、日本の体育学者・教育学者。元群馬大学教育学部教授。専門領域は表現運動。 現在に至る。趣味はエステ・クラシック。若さを保つため、日々トレーニングと美容を欠かさずおこなっている。 ダンス(表現運動)(特に初等教育のダンス)
石阪 丈一(いしざか じょういち、1947年(昭和22年)6… 石阪 丈一(いしざか じょういち、1947年(昭和22年)6月29日 - )は、日本の政治家。元東京都町田市長(5期)。 5人兄弟の末っ子として東京都南多摩郡鶴川村(現在の町田市野津田町)出身。 町田市立鶴川小学校(現在の町田市立鶴川第一小学校)、町田市立鶴川中学校、東京都立立川高等学校を経て横浜国立大学経済学部卒業後。 1971年4月に横浜市役所に就職。総務局に配属され、以後横浜市企画財政局での勤務や総合研究開発機構、横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)への出向を経て、2004年4月1日に横浜市港北区長に就任し、2005年9月30日まで港北区長を務める。 横浜市職員を退職後、2006年2月26日に町田市長選挙に出馬し、自由民主党の伊藤公介衆議院議員(当時)の支援も受けて初当選を果たした。
荒井 晴彦(あらい はるひこ、1947年1月26日 - )は… 荒井 晴彦(あらい はるひこ、1947年1月26日 - )は、日本の脚本家・映画監督。日本映画大学教授。季刊誌『映画芸術』発行人、編集長。東京都生まれ。母方の祖父は日本画家の石井林響。若松プロダクション出身。 東京都立立川高等学校卒業。早稲田大学第一文学部除籍。脚本家の田中陽造に師事。若松孝二作品の脚本を出口出名義で、足立正生とともに執筆した。新宿乱れ街 いくまで待って(1977年)が初脚本作品となった。その後、脚本家としてピンク映画や日活ロマンポルノなどの脚本を多数執筆している。1997年、『身も心も』が初監督作品となった(脚本も執筆)。「シナリオはシナリオ作家の著作物である」とのスタンスから、監督やプロデューサーが自身に無断で自作シナリオを改変したとして、『時代屋の女房』『眠らない街 新宿鮫』『KT』の公開時に、『月刊シナリオ』や『映画芸術』誌上で強い不快感を表明している。
時実 早苗(ときざね さなえ、1947年 - )は、日本のア… 時実 早苗(ときざね さなえ、1947年 - )は、日本のアメリカ文学者、千葉大学名誉教授。 アメリカ文学・文学理論。フォークナーが専門。 東京都立立川高等学校卒、1970年東京教育大学文学部英文科卒、1973年同大学院文学研究科修士課程修了。1995年「The politics of authorship」で文学博士(筑波大学)。1973年立正女子大学助手、1974年東京成徳短期大学講師、1976年名古屋大学教養部講師、1981年同総合言語センター助教授、1987年東京農工大学助教授、1993年教授、1998年千葉大学文学部教授。2013年定年退任、名誉教授となり、大妻女子大学文学部教授。2018年退職。
須崎 愼一(すざき しんいち、1946年12月11日 - )… 須崎 愼一(すざき しんいち、1946年12月11日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史。神戸大学名誉教授。 1946年東京都生まれ。1965年、北海道大学医学部に入学したものの、自己の適性に合わなかったことから進学課程の2年間で中退した。 1969年、早稲田大学第一文学部に入学して、鹿野政直に学んだ。その後、早稲田大学文学研究科修士課程に進学して鹿野政直や由井正臣に学び、修士論文を作成する中で法政大学大原社会問題研究所所蔵の『信州郷軍』に出会い、信州郷軍同志会を通して軍部・ファッショ勢力の研究を行うこととなった。 1975年、一橋大学大学院社会学研究科博士課程に進み、藤原彰に学んだ。
須崎 愼一(すざき しんいち、1946年12月11日 - )… 須崎 愼一(すざき しんいち、1946年12月11日 - )は、日本の歴史学者。専門は日本近現代史、神戸大学名誉教授。
浦田 一郎(うらた いちろう、1946年 - )は、日本の法… 浦田 一郎(うらた いちろう、1946年 - )は、日本の法学者(憲法学)。専門は、フランス憲法・平和主義。学位は、法学博士(一橋大学・論文博士・1988年)。一橋大学名誉教授。前明治大学法学部教授。民主主義科学者協会法律部会理事長、全国憲法研究会代表、憲法理論研究会運営委員長等を歴任。 大阪府豊中市生まれ。一橋大学法学部在学中に旧司法試験に合格。フランス憲法などが専門の杉原泰雄教授の指導の下、一橋大学大学院法学研究科を修了し、一橋大学大学院法学研究科教授を務めた。 ヨーガや落語、自転車、ファッションが趣味で、大学では憲法の講義の他、ヨーガの授業なども行った。指導学生に多田一路(立命館大学教授)、齊藤笑美子(茨城大学准教授)など。
馬場 弘融(ばば ひろみち、1944年(昭和19年)12月1… 馬場 弘融(ばば ひろみち、1944年(昭和19年)12月17日 - )は、日本の政治家。東京都日野市長(4期)、東京都市長会会長、日野市議会議員(2期)を務めた。 東京都出身。東京都立立川高等学校ではバスケットボール部所属で、中井洽が先輩にいた。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、日野市消防団に入団し、1993年まで所属した。日野市商工会理事、日野青年会議所理事長を経て、日野市議会議員に当選。市議を2期務めた後、1997年から2013年まで市長。2012年からは東京都市長会会長も務めた。2015年春の叙勲で旭日小綬章受章。2018年から立川高校の同窓会である一般社団法人紫芳会の理事長。 趣味は読書(歴史小説)、ギター演奏、オペラ・ミュージカル鑑賞、ソフトボール。
井之上 喬(いのうえ たかし、1944年11月20日- )は… 井之上 喬(いのうえ たかし、1944年11月20日- )は、日本のパブリック・リレーションズ(PR)の専門家/教育者、実業家。「自己修正モデル」の提唱者。PR研究で日本初の博士号授与、博士(公共経営)。株式会社井之上パブリックリレーションズ 代表取締役会長兼CEO。日本パブリックリレーションズ研究所 代表取締役所長。一般社団法人グローバルビジネス学会 顧問、京都大学経営管理大学院 特命教授、神戸情報大学院大学 客員教授、一般社団法人日本パブリックリレーションズ学会 代表理事兼会長、北海道大学大学院経済学研究院 客員教授。 旧満州・大連市にて、井之上理吉・順子の5男として誕生。父・理吉は内務官僚で、大連市副市長も務めた(のちに弁護士)。
中村 維夫(なかむら まさお、1944年11月11日 - )… 中村 維夫(なかむら まさお、1944年11月11日 - )は、NTTドコモの前代表取締役社長。
田勢 康弘(たせ やすひろ、1944年10月8日 - 202… 田勢 康弘(たせ やすひろ、1944年10月8日 - 2023年2月8日)は、日本の政治ジャーナリスト、日本経済新聞客員コラムニスト。
並木 心(なみき しん、1944年(昭和19年)8月7日 -… 並木 心(なみき しん、1944年(昭和19年)8月7日 - )は、日本の政治家。元東京都羽村市長(5期)、元東京都市長会会長(1期)。 東京都西多摩郡西多摩村(羽村町を経て、現・羽村市)に生まれる。父親は衆議院議員を務めた並木芳雄。東京都立立川高等学校を経て、日本社会事業大学社会福祉学部児童福祉学科卒業。 1968年(昭和43年)4月、東京家庭裁判所調査官となる。1990年(平成2年)6月、元青梅市長で自由民主党の衆議院議員石川要三の私設秘書となる。 1991年(平成3年)5月、羽村町議会議員に就任。同年11月1日、羽村町は市制施行し羽村市となり、羽村市議となる。 2001年(平成13年)4月22日に行われた羽村市長選挙に自民党・民主党・公明党の推薦を受けて出馬し初当選。
竹内 俊夫(たけうち としお、1944年(昭和19年)5月2… 竹内 俊夫(たけうち としお、1944年(昭和19年)5月2日 - )は、日本の元政治家、元建設官僚。元東京都青梅市長(4期)、日本財団理事。旭日小綬章。 東京都立立川高等学校、東京大学工学部卒業。東大卒業後、建設省に入省した。関東地建道路部道路企画官、岡山県土木部長、日本道路公団本社計画部長等を経て1999年11月、青梅市長選挙に出馬し、初当選。2003年、2007年、2011年の市長選で再選。2016年 秋の叙勲で地方自治功労により旭日小綬章を受章。
星野 信夫(ほしの のぶお、1944年(昭和19年)2月28… 星野 信夫(ほしの のぶお、1944年(昭和19年)2月28日 - )は、日本の政治家。元東京都国分寺市長(3期)。 東京都国分寺市出身。国分寺市立第一小学校、国分寺市立第二中学校、東京都立立川高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。 大学卒業と同時に、国分寺市内に学習塾「薬師塾」を開設。国分寺青年会議所の創設に参画したほか、国分寺の名にふさわしい文化都市を築く会初代会長、東京都生活会議連絡協議会副会長、国分寺まつり実行委員会副会長などを歴任。 2001年6月に行われた国分寺市長選挙で、現職の山崎真秀を破り初当選。市長を3期12年務めた。2013年7月任期満了に伴い退任。退任後は国分寺市観光協会会長を務める。
時實 象一(ときざね そういち、1944年 - )は、日本の… 時實 象一(ときざね そういち、1944年 - )は、日本の図書館情報学者(理学博士、乙種、大阪大学、1987年)。元Chemical Abstracts Serviceアジア太平洋地区長、愛知大学元教授、学術情報XML推進協議会(XSPA)代表理事、一般社団法人情報科学技術協会(INFOSTA)前会長。専門は電子ジャーナル、デジタルアーカイブ、ウィキペディア。 1944年、岡山県に生まれる。東京都立立川高等学校卒業後、東京大学に進学。1966年に同大理学部化学科を卒業、同大学院理学系研究科化学専門課程修士課程進学。1968年同課程修了。1987年、理学博士、乙種。 修士修了後、東洋レーヨン株式会社入社、基礎研究所で化学研究・開発に従事。
杉井 静子(すぎい しずこ、1944年 〈昭和19年〉- )… 杉井 静子(すぎい しずこ、1944年 〈昭和19年〉- )は、日本の弁護士、評論家。 中国・青島生まれ。東京都立立川高等学校卒業、中央大学法学部卒業。1969年弁護士登録。平和・民主・革新の日本をめざす全国の会代表世話人。都留文科大学ジェンダー学入門非常勤講師。日弁連・両性の平等に関する委員会委員長、家事法制委員会委員長、第二東京弁護士会副会長、関東弁護士会連合会理事長などを務めた。2009年にひめしゃら法律事務所を設立・所長。
白澤宏規(しらさわ ひろのり、1943年12月16日 - )… 白澤宏規(しらさわ ひろのり、1943年12月16日 - )は日本の建築家。東京造形大学名誉教授。元東京造形大学学長。 東京都立立川高等学校卒業。東京工業大学(篠原一男研究室)卒業。住宅建築の設計を中心とする建築計画・意匠を専門分野とする。同高校、同大学の同研究室を卒業した者に、建築家の坂本一成、紀行作家の稲葉なおとがいる。 環境計画:「地標」(東京都文化のデザイン)など。 所属学会:日本建築学会
坂本 一成(さかもと かずなり、1943年(昭和18年)7月… 坂本 一成(さかもと かずなり、1943年(昭和18年)7月19日 - )は、日本の建築家。東京工業大学名誉教授。アトリエ・アンド・アイ主宰。日本建築学会賞作品賞、村野藤吾賞など受賞。
浦部 和好(うらべ かずよし、1942年11月25日 - )… 浦部 和好(うらべ かずよし、1942年11月25日 - )は、日本の外交官。富山県警察本部長、外務省欧亜局長、外務省大臣官房長、内閣官房副長官補、在エジプト特命全権大使等を務めた。 東京都出身。東京都立立川高等学校を経て、1966年に一橋大学法学部を卒業し外務省入省。フランス語研修を受ける。条約局、在ベルギー大使館、在フランス大使館一等書記官、在大韓民国大使館参事官、富山県警察本部長、ストラスブール総領事などを歴任。 1995年外務省欧亜局長就任。1997年にロシアのイリューシン第一副首相が予定されていた訪日を突然中止し、スイスを訪問していた問題では、アレクサンドル・パノフ駐日ロシア大使を呼び出して説明を求めたが、パノフ大使は「本国の事情については知らない」と説明するのみであり、その後橋本宏外務報道官は「理解に苦しむ。
中井 洽(なかい ひろし、1942年〈昭和17年〉6月10日… 中井 洽(なかい ひろし、1942年〈昭和17年〉6月10日 - 2017年〈平成29年〉4月22日)は、日本の政治家。位階は正三位。 衆議院議員(11期)、国家公安委員会委員長(第80・81代)、拉致問題担当大臣、内閣府特命担当大臣(防災)、法務大臣(第54代)、衆議院予算委員長、民社党副委員長、自由党副党首、民主党副代表などを歴任した。父は元衆議院議員の中井徳次郎。 満洲国新京市(現在の中国吉林省長春市)に生まれた。終戦後の1946年(昭和21年)9月に三重県上野市(現在の伊賀市)に引き揚げた。上野市立白鳳幼稚園・上野市立西小学校・上野市立崇広中学校を経て、東京都へ父と引越して東京都立立川高等学校、1969年(昭和44年)3月慶應義塾大学経済学部経済学科を卒業した。
木村 富美子(きむら ふみこ、1942年5月1日‐2008年… 木村 富美子(きむら ふみこ、1942年5月1日‐2008年1月7日)は、東京都出身の随筆家。旧姓山下。幼少より結核、呼吸不全などの闘病生活のかたわら、三浦綾子、遠藤周作、藤沢周平らの影響を受け、数多くのエッセイを執筆。 1942年、東京都池袋に生まれる。父は書道学院を経営する書家で、華族の人びとにも教えていた。1945年、東京都西多摩郡霞村(現青梅市)に疎開。1949年、霞村小学校分教場入学。小学5年の時に疎開先から国立市に移転。小学6年になって間もなく肺結核を発病し休学・留年。その後もたびたび療養所に入所。 1961年、3年遅れで東京都立立川高等学校入学。同じ高校に入学した3歳下の妹と同時入学となる。
高村 正彦(こうむら まさひこ、1942年〈昭和17年〉3月… 高村 正彦(こうむら まさひこ、1942年〈昭和17年〉3月15日 - )は、日本の政治家、弁護士(登録番号:10863)。公益財団法人日本武道館会長(第9代)。自由民主党憲法改正実現本部最高顧問。 衆議院議員(12期)、経済企画庁長官(第50代)、法務大臣(第70代)、防衛大臣(第3代)、外務大臣(第122・135代)、衆議院農林水産委員長、番町政策研究所会長(第3代)、自民党副総裁(第13代)、日中友好議員連盟会長、武道議員連盟会長、少林寺拳法振興議員連盟会長、自民党たばこ議員連盟顧問などを歴任した。 元衆議院議員高村坂彦の四男。息子は衆議院議員の高村正大。 山口県徳山市(現・周南市)出身。
渡邊 紀征(わたなべ のりゆき、1940年(昭和15年)10… 渡邊 紀征(わたなべ のりゆき、1940年(昭和15年)10月10日 - )は、日本の実業家。ファミリーマート副社長や西友の社長・会長を務め、セゾングループ成長の牽引役の一人として知られた。日本チェーンストア協会会長、スギホールディングス取締役、エステー取締役等も歴任。 東京都出身。東京都立立川高等学校を経て、1963年に一橋大学社会学部を卒業した。野村證券に入社するも、自分に合わないと考え退社、客の喜びが直接伝わってくる小売業への就職を希望し、1968年に西友ストアーに入社、営業畑を歩む。営業企画部長、小売事業本部長を経て、1982年に取締役、1986年に常務、1992年代表取締役専務に就く。
後藤 卓也(ごとう たくや、1940年8月19日 - )は、… 後藤 卓也(ごとう たくや、1940年8月19日 - )は、東京都出身、日本の経営者。元花王株式会社代表取締役社長、元花王株式会社取締役会長。現在は、日本マーケティング協会会長、オリンパス株式会社の社外取締役などを務める。
石坂 芳男(いしざか よしお、1940年1月9日 - )は、… 石坂 芳男(いしざか よしお、1940年1月9日 - )は、日本の実業家。米国トヨタ自動車販売社長や、トヨタ自動車副社長を歴任。藍綬褒章受章。 東京都町田市生まれ。東京都立立川高等学校を経て、1963年に一橋大学法学部を卒業。大学では堀口亘ゼミナールと自動車部に所属。1964年3月トヨタ自動車販売入社。入社直後から海外営業畑を歩み、オーストラリアと米国に駐在する。 1996年、米国トヨタ自動車販売社長に就任。値下げに踏み切った97年型トヨタ・カムリや、SUVを中心に、アメリカ合衆国でのトヨタ車販売量を増やした。また1997年からはカリフォルニア州で電気自動車の電力会社や地方自治体への販売を開始させた。
大谷 俊昭(おおや としあき、1940年(昭和15年) - … 大谷 俊昭(おおや としあき、1940年(昭和15年) - )は、日本の農業経済学者・農学者。専門は農業経済学。酪農学園大学名誉教授。元酪農学園大学学長。元酪農学園大学短期大学部学長。恩師は桃野作次郎。東京都目白出身。 東京都立立川高等学校卒業。1966年北海道大学農学部農業経済学科卒。1968年同大学院農学研究科修士課程修了。同年、酪農学園大学酪農学部助手。1975年同酪農学部助教授。1983年同評議員。1989年同酪農学部教授。同酪農学部農業経済学科長(~1995年)。1995年同学生部長(~1999年)。学校法人酪農学園理事。2001年酪農学園大学9代学長に就任。2005年酪農学園大学短期大学部学長。
吉増 剛造(よします ごうぞう、1939年(昭和14年)2月… 吉増 剛造(よします ごうぞう、1939年(昭和14年)2月22日 - )は、日本の詩人。文化功労者、日本芸術院会員。東京出身。 独特の手法を用い、現代詩壇の先鋭的な詩人として高く評価されている。詩の朗読パフォーマンスの先駆者としても知られる。作品に『黄金詩篇』(1970年)、『オシリス、石ノ神』(1984年)、『怪物君』(2016年)などがある。 東京府下(現杉並区)阿佐ヶ谷に生まれ、福生市に育つ。慶應義塾大学在学中から詩作を試みていた。 現代日本を代表する先鋭的な詩人の一人として高い評価を受けている。『黄金詩篇』『王國』などの初期作品では、エクスクラメーション・マークを連打した疾走感あふれる詩を多数発表した。
高向 巖(たかむき いわお、1938年(昭和13年)12月1… 高向 巖(たかむき いわお、1938年(昭和13年)12月11日 - )は、日本の銀行家。日本銀行情報サービス局長を経て、北洋銀行頭取や、同行会長、札幌北洋ホールディングス社長、同社会長、第二地方銀行協会会長、札幌商工会議所会頭、日本商工会議所副会頭等を歴任した。 東京府生まれ。東京都立立川高等学校を経て、1962年東京外国語大学外国語学部中国学科卒業、日本銀行入行。1967年コロンビア大学大学院経済学科修士課程修了。国際通貨基金出向、日本銀行香港事務所長等を経て、1987年日本銀行札幌支店長。1989年インベスターズサービス常務取締役。1991年日本銀行情報サービス局長。1993年から北洋銀行代表取締役副頭取を務め、1997年には破綻した北海道拓殖銀行の引き受けを行った。
鈴木 日出男(すずき ひでお、1938年〈昭和13年〉4月7… 鈴木 日出男(すずき ひでお、1938年〈昭和13年〉4月7日 - 2013年〈平成25年〉10月3日)は、日本の国文学者。東京大学名誉教授。中古文学専攻。
清水 哲男(しみず てつお、1938年〈昭和13年〉2月15… 清水 哲男(しみず てつお、1938年〈昭和13年〉2月15日 - 2022年〈令和4年〉3月7日)は、日本の詩人。 東京府東京市中野区(現在の東京都中野区)鷺宮出身。花火研究者の清水武夫は父、詩人の清水昶は弟。 東京都立立川高等学校から、各2年の浪人と留年を経て京都大学文学部哲学科卒業。 京大在学中、大野新らとともに、詩誌『ノッポとチビ』に参加。大学卒業後は、芸術生活社、河出書房、ダイヤモンド社などで編集者として活躍する。 H氏賞を受賞した『水甕座の水』に収録されていた4篇から発展して成立した『スピーチ・バルーン』は、タイトルがすべて「チャーリー・ブラウン」、「ミッキー・マウス」などマンガのキャラクターという当時としては異色の詩集で話題になった。
東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30… 東海林 さだお(しょうじ さだお、男性、1937年10月30日 - 2026年4月5日)は、日本の漫画家、エッセイスト。本名は庄司 禎雄(読み同じ)。1974年6月16日から2014年12月31日にかけて毎日新聞朝刊に13,749回連載した4コマ漫画の『アサッテ君』で、一般全国紙の連載漫画の最多掲載記録を作った。他の漫画・エッセイの連載においても、ほとんどが40年超のロングランとなっている。 東海林は1937年10月30日、東京府東京市杉並区高円寺南で生まれた。父は小西六(現在のコニカミノルタ)の社員だった。小学生時代に戦火を避け、父以外の家族で山梨県大月市に疎開。終戦後も東京には戻らず、母方の実家のある栃木県那須郡武茂村(のちの馬頭町)に移り、中学2年時まで過ごす。
太田 真一(おおた しんいち、1937年9月 - )は、元日… 太田 真一(おおた しんいち、1937年9月 - )は、元日本放送協会(NHK)、テレビ朝日のアナウンサーである。早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。アメリカ野球学会会員。日本スポーツ経営学会会員。東京都出身。
市原 清彦(いちはら きよひこ、1936年5月5日 - )は… 市原 清彦(いちはら きよひこ、1936年5月5日 - )は、東京都出身の日本の俳優、声優。身長170 cm。体重63 kg。血液型はB型。 東京都立立川高等学校卒業後、俳優座養成所に11期生として入所。1962年に劇団三期会(現 - 東京演劇アンサンブル)に入団。初舞台は『日本人民共和国』の矢田部一役。 かつては東京演劇アンサンブル、独立企画、アクターズ・カンパニー、希楽星に所属していた。 特技はジョギング。趣味は野球。
若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 200… 若林 奮(わかばやし いさむ、1936年1月9日 - 2003年10月10日)は、日本の彫刻家。 東京都町田市出身。東京都立立川高等学校、東京芸術大学美術学部彫刻学科卒業。 鉄、銅、鉛などの金属素材を用いて自然をモチーフとした彫刻を制作した。1980年、1986年のベネチア・ビエンナーレに出品。武蔵野美術大学、多摩美術大学教授を歴任した。詩人の吉増剛造や河野道代と共同制作を試みている。また700点の銅版画作品も制作しており、吉増剛造は没後に銅板を譲り受けてオブジェ作品を制作している。