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小牧 近江(こまき おうみ、1894年(明治27年)5月11… 小牧 近江(こまき おうみ、1894年(明治27年)5月11日 - 1978年(昭和53年)10月29日)は、日本のフランス文学者、翻訳家、社会科学者・社会運動家。法政大学教授。本名、近江谷 駧(おうみや こまき)。 秋田県の土崎港(つちざきみなと、現在の秋田市土崎港)生まれ。 東京の暁星中学中退後、1910年、第1回万国議員会議に出席する父近江谷栄次に連れられてフランスに渡り、家産が傾きアンリ4世校を放校になったもののパリ大学法学部入学。苦学の末、1918年(大正7年)卒業。この間、ロマン・ロランに傾倒。同地で小説家アンリ・バルビュスの「クラルテ運動」に共鳴し、反戦運動に参加。また、日本大使館に勤務した。
山内 義雄(やまのうち よしお、1894年3月22日 - 1… 山内 義雄(やまのうち よしお、1894年3月22日 - 1973年12月17日)は、日本のフランス文学者。早稲田大学などで教鞭を執りながら、多くの訳業を遺した。日本芸術院会員。 1894年(明治27年)、父通義、母テウの次男として、東京市牛込区(現在の東京都新宿区)市谷田町に生まれた。父は陸地測量部長を経て初代の陸軍砲工学校長を務めた陸軍工兵大佐であった。暁星小学校・同中学校を経て、1911年、東京外国語学校仏語科に進んだ。中学時代、永井荷風と上田敏の訳詩によりヴェルレーヌやボードレールを知り、原書を輸入して読み、また、作歌・詩作も試みた。 1915年(大正4年)、東京外国語学校を卒業し、家庭の事情で、希望の京都帝国大学文学部でなく、[要出典]法学部に入って、文学部上田敏教授の講義をその急逝までの1年余聴いて、直接の薫陶も受けた。
山口 茂(やまぐち しげる、1893年(明治26年)3月5日… 山口 茂(やまぐち しげる、1893年(明治26年)3月5日 - 1974年(昭和49年)8月21日)は、日本の経済学者。金融論、経済学史等を専攻した。一橋大学名誉教授。 神奈川県高座郡大和村(現・大和市)の地主の家に生まれる。暁星中学校を経て、1917年東京高等商業学校(現・一橋大学)本科卒業。1919年同校専攻部卒業。1921年から東京商科大学(現・一橋大学)附属商学部専門部助教授を務め、三浦新七、上田貞次郎のプロゼミに参加。1922年から銀行論の講義を担当し、佐野善作、高垣寅次郎の指導を受けた。1925年からイギリス、ドイツ帝国、フランス共和国、アメリカ合衆国に留学し、1927年に帰国すると東京商科大学助教授を兼任。
佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1890年〈明治23年〉1… 佐藤 惣之助(さとう そうのすけ、1890年〈明治23年〉12月3日 - 1942年〈昭和17年〉5月15日)は、日本の詩人、作詞家。 神奈川県橘樹郡川崎町砂子(現在の川崎市川崎区)にて於いて佐藤慶次郎・うめ夫妻の二男として出生。佐藤家は川崎宿砂子の本陣を預かる家柄であった。 1897年(明治30年)川崎尋常小学校入学。1903年(明治36年)3月、高等科1学年修了。4月、東京市麻布区飯倉町の糸商「万文」に丁稚奉公開始。住み込み、この頃から句作をする。1904年(明治37年)俳句雑誌『半面』に関与し、千家元麿と識り、ともに『新潮』俳句欄に投稿するとともに、同欄選者佐藤紅緑に師事する。1906年(明治39年)渡米を志し、身体検査を受けるも、眼疾のため不合格となる。
三富 朽葉(みとみ くちは/きゅうよう、1889年〈明治22… 三富 朽葉(みとみ くちは/きゅうよう、1889年〈明治22年〉8月14日 - 1917年〈大正6年〉8月2日)は、日本の詩人。本名は義臣。 長崎県石田郡武生水村(現・壱岐市)生まれ。父・道臣は石田郡長を務めた。1896年、本家の伯父三富浄の養嗣子となる。旧制暁星中学校を経て、1908年に早稲田大学予科を修了し、早稲田大学本科英文科に入学する。大学の同期には宇野浩二・廣津和郎がいる。1909年、人見東明、加藤介春、福田夕咲らとともに、自由詩社を結成する。自由詩風で認められ、またフランス文学批評も著した。1911年、早稲田大学英文科を卒業。 1917年8月2日、犬吠埼君ヶ浜で溺れた友人の今井白楊を助けようとして、そのまま水死した。
山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年〈明治10年〉… 山本 信次郎(やまもと しんじろう、1877年〈明治10年〉12月22日 - 1942年〈昭和17年〉2月28日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将、カトリック教会信者。正三位勲二等功五級。族籍は神奈川県平民。 相模国鎌倉郡川口村(現・片瀬)の旧家の山本庄太郎・ミツ夫婦の次男として生まれ、父親が持ち家をマリア会の別荘として貸していた関係から、小学校卒業後、マリア会の暁星中学校に入学した。暁星中学校は禁教令廃止後に開設されたカトリック教会系の学校であるが、当時はキリスト教に対する敵視が根強く、彼も当初は侮蔑を抱いていた。だが学校を運営しているマリア会の修道士と過ごしているうちにキリスト教を次第に理解するようになる。
ベガス味岡(ベガス あじおか、7月22日 - )は、テレビタ… ベガス味岡(ベガス あじおか、7月22日 - )は、テレビタレント、通販マン。血液型はB型。 暁星小学校、暁星中学校・高等学校を経て、成蹊大学経済学部経済学科に進学。卒業後、通信販売会社ディノス(現・DINOS CORPORATION)に入社。フジテレビ「出たMONO勝負!」で、5分間で1億円の売上を出し注目される。 一旦、家業である寿司店の寿司職人に転じるが、2001年より通販マンに転身。数々のテレビ通販番組に出演し、QVCジャパンにおいて輸入化粧品や特殊機能歯ブラシを扱い億単位の売り上げを達成している。 独特な喋り口調と派手な衣装で、「ラスベガスのようなエンターテイメント要素」をふんだんに取り入れたトークを特徴とする通販マン、プロの販売員、バイヤーとして通販番組のショッピング・アドバイザー、MC、タレント活動、講演会など幅広く活躍中。
根岸 浜吉(ねぎし はまきち)は、浅草の興行師である。2人お… 根岸 浜吉(ねぎし はまきち)は、浅草の興行師である。2人おり、初代は浅草六区の大立者として知られる。 根岸興行部の創立者であり、浅草公園六区に初めて劇場をつくったことで知られる。 1827年(文政10年)、常陸国筑波郡小田村西町(現在のつくば市小田)の豪農の長男に生まれる。結婚して家督を継いだが子ができなかったため弟に譲ったのをきっかけに放蕩が始まり、安政年間に、懇ろだった近所の年上後家のおそのと駆け落ちして上京、おそのの兄の中村翫左衛門が猿若町森田座の帳元(会計管理者)をしていたのでそれを頼ったが断られ、実家の下男だった者が麹町で、鰻屋が捨てる鰻の頭をもらい受けて焼き、それで売り食いしているのを聞き、その者から手ほどきを受けて鰻の頭の串焼き商売を始め、極貧ながら所帯を持って夫婦して懸命に働いた。
青井 明(あおい あきら)は、日本の大学教授。国際基督教大学… 青井 明(あおい あきら)は、日本の大学教授。国際基督教大学名誉教授。専門は、フランス語学、言語学。 1966年、暁星高等学校卒業。上智大学文学部フランス文学科卒業。同大学大学院修士課程言語学専攻修了(文学修士)。パリ第7大学博士課程言語学専攻修了(Ph.D)。国際基督教大学教養学部教授言語科学デパートメント長等を経て、同大学名誉教授に就任。日本フランス語学会編集委員、フランス政府給費留学生試験面接委員、日本フランス語教育学会、日本フランス語フランス文学会等の委員を歴任。
米山 優(よねやま まさる、1952年 - )は、日本の哲学… 米山 優(よねやま まさる、1952年 - )は、日本の哲学者。東京都出身。名古屋大学名誉教授。 フランス人の創立した暁星中学校・暁星高等学校卒業。そのため、第一外国語はフランス語であった。一橋大学ではいわゆる教養課程の時にトーマス・マンの研究家である青木順三からドイツ語の語学ゼミでの指導を受け、比較文学の川本皓嗣のフランス語の授業でバンジャマン・コンスタンの『アドルフ』を読んだという。経済学部に進み経済数学の二階堂副包に師事する。同時に、デカルト・スピノザ研究者の福居純に指導を依頼して院生たちが開催していた読書会に参加し、カント『純粋理性批判』・デカルト『哲学原理』・スピノザ『エチカ』を読んでいる。