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石野 芳男(いしの よしお、1896年(明治29年)3月10… 石野 芳男(いしの よしお、1896年(明治29年)3月10日 - 1950年(昭和25年)1月10日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 千葉県出身。東京私立錦城中学校(現錦城学園高等学校)卒業を経て、1916年(大正5年)5月、陸軍士官学校(28期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第33連隊付となる。1926年(大正15年)12月7日、陸軍大学校(38期)を卒業し歩兵第75連隊中隊長に発令された。 1928年(昭和3年)8月、支那駐屯軍司令部付となる。参謀本部員、参謀本部付(支那研究員・南京在勤)を経て、1932年(昭和7年)2月から同年5月まで上海派遣軍参謀として第一次上海事変に出動した。
箕原 勉(みのはら つとむ、1882年〈明治15年〉8月28… 箕原 勉(みのはら つとむ、1882年〈明治15年〉8月28日 – 1964年〈昭和39年〉12月15日)は、日本の海軍軍人、電気工学者。工学博士。最終階級は海軍造兵中将。 兵庫県多紀郡篠山町(現在の丹波篠山市)出身。錦城中学校、第一高等学校を経て、1907年(明治40年)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業。海軍造兵中技士となり、1933年(昭和8年)に海軍造兵中将に至った。その間、舞鶴海軍工廠部員、呉海軍工廠部員、造兵監督官、造兵廠研究部員・海軍大学校教官、航空機試験所所員、海軍技術本部部員・艦政本部部員、海軍技術研究所工作課長、同電気研究部長・艦政本部会議議員、特許局技師、海軍技術研究所所長・海軍技術会議議員、軍令部出仕を歴任した。
新井 亀太郎(あらい かめたろう、1875年〈明治8年〉12… 新井 亀太郎(あらい かめたろう、1875年〈明治8年〉12月8日 - 1932年〈昭和7年〉11月7日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 群馬県出身。新井沢次郎の四男として生まれる。群馬県境野小学校、同山田第一高等小学校、錦城商業学校を経て、1896年(明治29年)11月陸軍士官学校(8期)を卒業。翌年6月、陸軍歩兵少尉に任官される。歩兵第16、9、35の各連隊付を経て、1903年(明治36年)陸軍大学校に入学。 日露戦争の勃発に伴い修学を中退、原隊復帰、第一回旅順攻撃(歩兵第35連隊第12中隊長)、第二回攻撃(歩兵第6旅団副官代理)、第三回攻撃及び奉天の会戦(同副官)に参加。 1907年陸軍大学校(第19期)を卒業。
竹内 十次郎(たけのうち じゅうじろう、1869年12月30… 竹内 十次郎(たけのうち じゅうじろう、1869年12月30日〈明治2年11月28日〉 - 1937年〈昭和12年〉5月15日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍主計少監(主計少佐)。公金費消の嫌疑により免官となった人物である。大仏次郎の小説『帰郷』のモデル。 三重県出身。父は旧桑名藩士、兄は陸軍二等兵から中佐まで昇進した。三田英学校から海軍主計学校に進み、13名の同期生のうち首席・恩賜で卒業。日清戦争では旗艦「松島」の主計官として黄海海戦に参戦した。その後横須賀司計部計算官、「赤城」主計長などを勤め、造船造兵監督官としてイギリス駐在となり、現金前渡官吏を兼務。日本が発注する軍艦について代金支払の実務を担うこととなった。
有馬 良橘(ありま りょうきつ、1861年12月16日〈文久… 有馬 良橘(ありま りょうきつ、1861年12月16日〈文久元年11月15日〉 - 1944年〈昭和19年〉5月1日)は、日本の海軍軍人、神職。最終階級は海軍大将。和歌山県和歌山市出身。養子に海軍中将・有馬寛がいる。 文久元年11月15日(1861年12月16日)、紀州藩の藩医(奥医師)・有馬元函の長男として生まれる。父の元函は紀州徳川家家臣として幕府軍側に参戦転戦したために、良橘が幼少の頃は朝敵扱いされ、良橘の尋常小学校入学が12歳まで遅延する結果を招く。旧制三田英学校より海軍兵学校第12期入校。入校時成績順位は44名中第16位、卒業時成績順位は19名中16位。 有馬の職歴の特徴として明治天皇と東郷平八郎との関わりが深く、日清戦争でも東郷が艦長を務める防護巡洋艦「浪速」の航海長として東郷の指揮下で従軍している。