スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大野 暉/Hikaru Ohno(おおの ひかる、1990年… 大野 暉/Hikaru Ohno(おおの ひかる、1990年6月19日 - )は、日本の起業家 、実業家 、投資家である。株式会社サイバーセキュリティクラウドの元代表取締役社長。 1990年、神奈川県横浜市生まれ。横浜市立東山田中学校を第1期生として卒業。 当時16歳、早稲田大学高等学院在学時より起業。複数社の起業・失敗・売却などを経て2016年よりサイバーセキュリティクラウド代表取締役社長に就任。就任から3年4ヶ月経過後2020年3月、当時点では最年少となる29歳で東証マザーズ上場(証券コード:4493)。 2020年4月21日、時価総額1,000億円を突破した。その後、米国法人Cyber Security Cloud ,Incの代表に専念するために2020年12月31日をもって株式会社サイバーセキュリティクラウド代表取締役社長を退任。
石田 健(いしだ けん、1989年10月14日 - )は、日… 石田 健(いしだ けん、1989年10月14日 - )は、日本の起業家、エンジェル投資家、評論家、コメンテーター。インターネットニュースメディア『The HEADLINE』編集長。早稲田大学2023年度招聘講師。未婚。 東京都練馬区出身。早稲田大学高等学院、早稲田大学文学部卒業、早稲田大学大学院政治学研究科修士課程修了。 大学院在学中の2011年9月に、成田修造、中川綾太郎と共同でウェブメディアを手がけるアトコレを設立する。事業は成長しないままチームは解散したが、残って同社の代表に就任。以後はウェブメディア事業やコンテンツマーケティング事業を手掛け、2015年9月にメンバーズがマイナースタジオ(旧アトコレ)の株式を取得して子会社化を発表、子会社代表としてグループ傘下となる。
谷本 陽一(たにもと よういち、1980年 - )は日本の民… 谷本 陽一(たにもと よういち、1980年 - )は日本の民法学者。北海学園大学法学部政治学科教授。 早稲田大学高等学院、2002年早稲田大学法学部卒業、早稲田大学大学院法学研究科民事法学専攻博士後期課程満期退学。2008早稲田大学法学学術院助手。2011年白鴎大学専任講師、2014年北海学園大学准教授、2019年教授(民法を担当)。
秋山 靖浩(あきやま やすひろ、1972年 - )は、日本の… 秋山 靖浩(あきやま やすひろ、1972年 - )は、日本の法学者。早稲田大学大学院法務研究科教授。専門は民法。学位は修士(法学)(早稲田大学、1997年)。 東京都昭島市出身。1991年に早稲田大学高等学院を卒業、早稲田大学法学部に進み内田勝一に学んだ。1995年に卒業後、同大学大学院法学研究科修士課程に進み、1997年に修了。2000年、同研究科後期博士課程単位取得満期退学。 2000年に早稲田大学法学部専任講師となり、2003年に同助教授、2005年に早稲田大学大学院法務研究科助教授、2007年に同准教授を経て、2009年より教授。またこの間の2003年から2005年はドイツ・ミュンスター大学法学部の客員研究員であった。
留目 真伸(とどめ まさのぶ、1971年 - )は、日本の経… 留目 真伸(とどめ まさのぶ、1971年 - )は、日本の経営者・起業家・投資家。 SUNDRED株式会社 代表取締役社長。レノボ・ジャパン株式会社、NECパーソナルコンピュータ株式会社 元代表取締役。株式会社資生堂 元チーフストラテジーオフィサー。 総合商社、戦略コンサルティング、外資系・日系製造業において要職を歴任。 早稲田大学高等学院を経て、早稲田大学政治経済学部を1994年卒業。トーメン(現 豊田通商)に入社。重電プラント部に配属となり、発電プラントの海外営業に従事。 2000年 モニター・カンパニー(現 モニター・デロイト)に移り、戦略コンサルタントとして全社戦略立案、新製品上市マーケティング戦略、販売・チャネル戦略などのプロジェクトに携わる。
大川 茂樹(おおかわ しげき、1969年8月25日 - )は… 大川 茂樹(おおかわ しげき、1969年8月25日 - )は、日本の工学者。博士(工学)(早稲田大学)。千葉工業大学工学部教授。同大学副学長(2015年4月 -)。専門分野は、音声言語処理、信号処理、ヒューマンインタフェース、コミュニケーションロボティクス。 千葉工業大学では吹奏楽部および写真部の顧問を務める[要出典]。アマチュアピアニスト、クラシック音楽評論家としても熱心に活動している[要出典]。2011年、日本テレビ系『なるほどハイスクール』第1回(4月21日放送)および第5回(5月26日放送)に出演し、声の秘密や特殊なスピーカとマイクロホンについて解説し、AKB48と共演する[要出典]。
松澤 伸(まつざわ しん、1968年 - )は、日本の法学者… 松澤 伸(まつざわ しん、1968年 - )は、日本の法学者。早稲田大学法学学術院教授。専門は刑法。野村稔、所一彦門下。東京都出身。
箱井 崇史(はこい たかし、1965年3月 - )は、日本の… 箱井 崇史(はこい たかし、1965年3月 - )は、日本の法学者。早稲田大学教授。
西原 博史(にしはら ひろし、1958年 - )は、日本の法… 西原 博史(にしはら ひろし、1958年 - )は、日本の法学者。早稲田大学社会科学総合学術院教授。専門は、憲法学・比較憲法学・教育法。
笠原 博徳(かさはら ひろのり,1957年7月26日 - )… 笠原 博徳(かさはら ひろのり,1957年7月26日 - )は,日本の計算機科学者。 世界のコンピュータ学会IEEE Computer Society 2018年会長に、北米以外から初めて選ばれた。 専門は、並列処理、グリーンコンピューティング。工学博士(早稲田大学、1985年)。早稲田大学 副総長(2018年11月-2022年9月)。現在、同大理工学術院基幹理工学部情報理工学科教授。 現在、カーボンニュートラルへの貢献を目指し、太陽光等再生可能エネルギーで動作するサーバー、パソコン、スマートフォン、冷却無しで動作する自動車、ロボット等用低消費電力AIアクセラレータ等の研究とその実用化研究を行っている。
藤田 尚志(ふじた たかし、1954年(昭和29年) - )… 藤田 尚志(ふじた たかし、1954年(昭和29年) - )は、日本の免疫学者、京都大学ウイルス研究所教授。理学博士(早稲田大学)。
舛井 一仁(ますい かずひと、1953年3月30日 - )は… 舛井 一仁(ますい かずひと、1953年3月30日 - )は、日本の弁護士、大学教授、起業家、作家。第二東京弁護士会所属。国際魅力学会副会長。日本ペンクラブ所属。早稲田大学法学部卒業、ビジネス法修士(ロンドンギルドホール大学)。元国士舘大学法学部教授。
島田 陽一(しまだ よういち、1953年 - )は、日本の法… 島田 陽一(しまだ よういち、1953年 - )は、日本の法学者。専門は労働法。早稲田大学法学学術院名誉教授。元学校法人早稲田大学副総長、元中央労働委員会公益委員。弁護士。 早稲田大学高等学院を経て、1975年早稲田大学法学部卒業。1983年、早稲田大学大学院法学研究科博士後期課程単位取得満期退学。 1984年、小樽商科大学専任講師、助教授、1994年同教授。1997年から早稲田大学法学部教授。2010年、早稲田大学理事、2014年同大学副総長就任。2018年の総長選挙では落選。2023年3月末をもって定年により退任した。最終講義のタイトルは「早稲田での教員生活を振り返って -労働法研究と教員の4つの役割-」。
田中伯知(たなか のりちか、1951年 - )は日本の社会学… 田中伯知(たなか のりちか、1951年 - )は日本の社会学者。早稲田大学高等学院教諭。専攻はマス・コミュニケーション理論、社会学理論、災害社会学、危機管理の社会学。
千葉 眞(ちば しん、1949年 - )は、日本の政治学者。… 千葉 眞(ちば しん、1949年 - )は、日本の政治学者。専門は政治思想史、プロテスタント神学。国際基督教大学名誉教授。プリンストン神学大学博士。 宮城県生まれ。早稲田大学高等学院を経て、1972年早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。1978年同大学院政治学研究科修士課程修了。1974年米国アマースト大学教養学部政治学科を卒業し、 B. A.(政治学)、1976年英国オックスフォード大学マンスフィールド・コレッジで B. A.[M. A.](神学)取得。早稲田大学学部時代は清水望に憲法学を、大学院進学後は藤原保信と飯坂良明に政治思想を学ぶ。1983年プリンストン神学大学でPh. D.(政治倫理学)の学位を取得。
上村 達男(うえむら たつお、1948年4月19日 - )は… 上村 達男(うえむら たつお、1948年4月19日 - )は、日本の法学者。専門は、商法・金融商品取引法・資本市場法。学位は、博士(法学)(早稲田大学・論文博士・2005年)。早稲田大学名誉教授。元弁護士(牛島総合法律事務所)。東京都出身(本籍千葉県市川市)。 早くからアメリカ合衆国の市場原理主義者追随の安易な規制緩和に反対していた。アメリカでは、各州が規制緩和競争を行ない、最後に租税回避地のケイマン諸島のような、法回避地とでもいうべきデラウェア州の会社法が勝ち名乗りを上げたが、このような自由による弊害を回避するため、連邦証券所による情報開示・監視体系を確立するとともに、強権を発動できる証券取引委員会(SEC)を設置するなど自由も最大なら規律も最大というやり方をとっていた。
岩田 孝(いわた たかし、Iwata Takashi, 19… 岩田 孝(いわた たかし、Iwata Takashi, 1944年 - )は、日本のインド哲学・仏教学者。早稲田大学名誉教授。早稲田大学仏教青年会第9代会長。 1944年東京生まれ。早稲田大学高等学院出身。早稲田大学理工学部・研究科(物理学)で理学修士号を取得後、同大学文学部東洋哲学科に入学。文学研究科(東洋哲学)に進学後、原始仏教・大乗仏教研究の碩学平川彰教授の指導を受ける。博士課程の後半に平川教授の紹介により、ドイツへ留学。そこでディーター・シュリングロフ教授(de:Dieter Schlingloff)の紹介を受け、当時新進気鋭の仏教研究者であったハンブルク大学のランベルト・シュミットハウゼン教授に師事し、後期大乗仏教の認識論を研究、哲学博士号(インド哲学・仏教学)を取得する。
林 洋次(はやし ひろつぐ、1943年 - )は、日本の工学… 林 洋次(はやし ひろつぐ、1943年 - )は、日本の工学者、工学博士、早稲田大学創造理工学部総合機械工学科教授。専門はトライボロジー。
小林 雅夫(こばやし まさお、1940年9月3日 - 201… 小林 雅夫(こばやし まさお、1940年9月3日 - 2016年1月23日)は、日本の西洋史学者。早稲田大学名誉教授。専門は古代ローマ史。 東京都中央区生まれ。1960年早稲田大学高等学院卒業。1964年早稲田大学第一文学部卒業。1971年同大学大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1977年早稲田大学文学部専任講師、1980年同助教授、1985年同教授。2009年定年退職、名誉教授。
秋草 直之(あきくさ なおゆき、1938年12月12日 - … 秋草 直之(あきくさ なおゆき、1938年12月12日 - 2016年6月18日)は、富士通株式会社取締役相談役(2008年6月-)、関西大学政策創造学部客員教授。 栃木県出身。父は日本電信電話公社(現NTTグループ)総裁を務めた秋草篤二。家族は夫人と子供2人。 早稲田大学高等学院を経て、1961年(昭和36年)に早稲田大学第一政治経済学部を卒業し、富士通入社。富士通初の文科系出身のシステムエンジニアとして、入社以来、一貫してシステム開発部門を歩んだ。公共システム事業に部長として携わった際にはオーストラリア統計局とのメインフレーム商談を成功に導いた。システム本部長代理、常務取締役(兼)システム本部長、専務取締役(兼)関西営業本部長、専務取締役(兼)ソフト・サービス部門担当、代表取締役社長、代表取締役会長等を歴任した。
西大立目 永(にしおおたちめ ひさし、1936年7月10日 … 西大立目 永(にしおおたちめ ひさし、1936年7月10日 - 2002年12月16日)は、東京都武蔵野市出身のアマチュア野球選手、審判員、早稲田大学名誉教授。
福井 文雅(ふくい ふみまさ/ぶんが、1934年6月6日- … 福井 文雅(ふくい ふみまさ/ぶんが、1934年6月6日- 2017年5月4日)は、日本の仏教学者および中国学者、僧侶(天台宗勧学で権大僧正)。栃木県日光市、日光山輪王寺内にある唯心院住職、早稲田大学名誉教授。 父の福井康順と、弟の福井重雅も、共に東洋学者であり、天台宗僧侶。
池原 義郎(いけはら よしろう、1928年3月25日 - 2… 池原 義郎(いけはら よしろう、1928年3月25日 - 2017年5月20日)は、日本の建築家、早稲田大学名誉教授、日本芸術院会員。 東京都渋谷区生まれ。明治学院中学校、早稲田大学高等学院を経て1951年早稲田大学理工学部建築学科卒業、1953年同大学院工学研究科建設工学専攻建築計画専修修了、山下寿郎設計事務所勤務、1956年早大理工学部建築学科今井兼次研究室助手、1964年には、多摩美術大学美術学部で講師を務め、1965年早大理工学部建築学科専任講師、1966年助教授、1971年教授、1974年日本建築学会賞、1988年池原義郎・建築設計事務所設立、日本芸術院賞、1989年日本芸術院会員。1995年早大名誉教授。
掛下 栄一郎(かけした えいいちろう、1923年〈大正12年… 掛下 栄一郎(かけした えいいちろう、1923年〈大正12年〉9月13日 - 2011年〈平成23年〉8月6日)は、日本の哲学者、早稲田大学名誉教授。専門は哲学及び美学。 佐賀県大牟田市に生まれ、数ヶ月後に和歌山県和歌山市に移る。和歌山県立和歌山中学校を経て、1942年4月に第二早稲田高等学院文科に入学する。1943年12月、学徒出陣により大阪の高射砲隊に入隊し、満州にて幹部候補生としての教育を受ける。1946年1月、早稲田大学文学部哲学科(西洋哲学専修)に復学する。1947年10月に卒業した後、大学院において樫山欽四郎の指導を受け、また、早稲田大学図書館書記に嘱託される。 1949年4月、早稲田大学高等学院の助手となる。
高島 平蔵(たかしま へいぞう、1922年10月6日 - 2… 高島 平蔵(たかしま へいぞう、1922年10月6日 - 2009年8月21日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(早稲田大学・論文博士・1970年)(学位論文『近代的物権制度の展開と構成』)。早稲田大学名誉教授。東京都生まれ。 物権法・担保物権法を中心に研究し、同分野では確固たる学問的地位を確立した。また、方法論としての民法解釈学についても大きな足跡を残し、早稲田大学法学部の最終講義では「民法解釈学について」というテーマで記念講義をした。法学教育にも熱心で、早稲田大学法学会傘下の学生研究サークル「民法研究会」を30年余りにわたって顧問として指導し、同会の主催する模擬裁判は早稲田大学法学部の伝統を築いた。
佐藤 巧(さとう たくみ、大正11年(1922年)9月20日… 佐藤 巧(さとう たくみ、大正11年(1922年)9月20日 - 平成30年(2018年)3月9日)は、日本の工学者、建築学者。東北大学名誉教授。 飯田須賀斯に師事する。専門は古建築学で、日本住宅および集落史、東北地方を中心とした中近世の古民家、社寺、城郭建築などの調査、保存研究で知られる。戦災で焼失した伊達政宗の霊廟瑞鳳殿の再建、仙台城復元計画なども業績の一部である。宮城県、山形県、岩手県、仙台市それぞれの文化財保護審議委員を長く務めた。
有倉 遼吉(ありくら りょうきち、1914年2月20日 - … 有倉 遼吉(ありくら りょうきち、1914年2月20日 - 1979年6月10日)は、日本の法学者。専門は、憲法学・教育法学。学位は、法学博士(1960年)(学位論文「公法における理念と現実」)。元早稲田大学法学部教授。 厳格な法実証主義による解釈を行った。閣議の議決方法については、多数決説を、憲法判断の回避の問題では、憲法判断先行説をとる。教育基本法の法的性格として、準憲法的法律説を提唱、日本教育法学会の初代会長を務めるなど、教育法学の理論形成に大きく貢献した。中国大連市(当時)生まれ。
小杉 一雄(こすぎ かずお、1908年6月4日 - 1998… 小杉 一雄(こすぎ かずお、1908年6月4日 - 1998年10月22日)は、日本の美術史学者。早稲田大学名誉教授。専門は中国美術史。 当時は洋画家で、後に日本画を多く描いた小杉放庵の長男として東京市本郷区千駄木町に生まれる。1927年に第一早稲田高等学院に入学した後は一貫して早稲田大学系列の学校に在籍し、1929年に早稲田大学文学部史学科東洋史学専攻に入学。大学院進学後は父とも親交があった会津八一の指導を受けた。1945年に早稲田大学講師、1949年には同大学文学部教授となり、美術史を担当。同年設立の美術史学会では10人が加わった発起人のうちの一人となった。1957年に「中国美術史に於ける伝統の研究」で文学博士号を取得。
神原 周(かんばら しゅう、1906年 <明治39年> 9月… 神原 周(かんばら しゅう、1906年 <明治39年> 9月22日 - 1999年 <平成11年> 12月7日)は日本の化学者。ゴムや合成繊維の研究を行なった。教え子には白川英樹らがいる。位階は正四位。 1906年9月22日、東京府東京市本郷区真砂町(現・東京都文京区本郷)で、大蔵省の官僚などを務めた神原伊三郎と夫見子の三男として生まれた。本郷小学校在学中に、第一次世界大戦終結時の株式相場の暴落によって父が破産の危機に直面したが、母のへそくりや父の同級生だった岩垂邦彦の援助もあり、成城中学校に進学することができた。中学時代はロマン・ロランやギ・ド・モーパッサンの作品を愛読する文学少年だったという。
小松 芳喬(こまつ よしたか、1906年4月1日 - 200… 小松 芳喬(こまつ よしたか、1906年4月1日 - 2000年2月7日)は、日本の経済学者、社会経済史学者。1960年社会経済史学会代表理事。1983年日本学士院会員。1979年日経・経済図書文化賞。 東京市神田生まれ。第一早稲田高等学院を経て、1928年早稲田大学政治経済学部卒業、同大学院進学。1960年経済学博士の学位を取得。 1933年早稲田大学政治経済学部助手、1934年同大学講師。東京外国語学校での語学習得や1937年から1939年までロンドン大学留学。1939年早稲田大学助教授、1942年に教授となった。
大野 實雄(おおの じつお、1905年(明治38年)9月10… 大野 實雄(おおの じつお、1905年(明治38年)9月10日 - 1994年(平成6年)11月26日)は、日本の法学者・裁判官だった人物。商法学者。専門は商法全般。早稲田大学名誉教授。「大野実雄」とも表記された。 長野県下伊那郡飯田町(現飯田市)生まれ。旧制飯田中学(長野県飯田高等学校)、第二早稲田高等学院を経て、1930年早稲田大学法学部仏法科卒業。司法官試補(東京地方裁判所)。1931年、東京地方裁判所判事に就任。1948年、東京地方裁判所退官。早稲田大学法学部教授。1951年、教務部長。1958年、早稲田大学図書館長。1964年、第一法学部長。1970年、比較法研究所長。1971年、日本公証法学会理事長。
李 相佰(イ・サンベク、1904年8月6日 - 1966年4… 李 相佰(イ・サンベク、1904年8月6日 - 1966年4月14日)は、朝鮮(大韓帝国)に生まれ、日本および大韓民国で活動した歴史学者・社会学者、バスケットボール選手・指導者。 早稲田大学に留学、日本における黎明期の大学バスケットボール選手となり、スポーツ理論・競技技術の普及や、スポーツ組織の結成・運営に大きな足跡を残した。戦後の韓国においてもスポーツ界の重鎮として活動、国際オリンピック委員会(IOC)委員を務めた。学生バスケットボールの日韓対抗戦である李相佰盃に名を残している。また、学者としてはソウル大学校教授を務め、歴史学・社会学に業績を残している。号は想白(サンベク/상백、発音は本名と同じ)、百無一斎。
栗田 直躬(くりた なおみ、1903年5月10日 - 199… 栗田 直躬(くりた なおみ、1903年5月10日 - 1998年6月12日)は、日本の中国哲学研究者、中国学者。早稲田大学名誉教授。 1903年、茨城県水戸市で生まれた。第一早稲田高等学院を卒業し、早稲田大学文学部西洋哲学専攻に進学。戸川行男と共に津田左右吉の講義を受講したことを機に、以後、津田に師事。 1933年に早稲田大学文学部助手となった。1937年から2年間北京に留学。1939年に帰国し、早稲田大学文学部専任講師に昇格。1948年に早稲田大学文学部教授となった。1974年に早稲田大学を退職し、名誉教授となった。1998年に死去。 近代的な中国思想研究を日本に導入した先駆者として知られ、特に中国古代思想の分野で優れた業績を上げた。
印南 高一(いんなみ こういち、1903年4月30日 - 2… 印南 高一(いんなみ こういち、1903年4月30日 - 2001年12月19日)は、日本の演出家、演劇研究者(大学教授)。印南 喬(いんなみ たかし)の筆名がある。本名の印南高一に、「いんなみ たかいち」のルビを振る著書もある。 長野県飯田市出身。印南は同郷の先輩河竹繁俊を介しての、坪内逍遙の孫弟子である。財団法人逍遙協会理事を40年間務めた。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館の設立初期から、また坪内が創設した早稲田大学文学部(坪内の当時東京専門学校)に新設された芸術科の設立初期から関わり、半生を奉職した。 演劇の研究分野は東洋演劇をはじめとして、日本、西洋の古今の演劇におよぶ。演出においては、坪内逍遙のページェント(野外劇)運動およびヨーロッパの「音と光」のページェント手法を用いた、シェイクスピア演劇の前衛的な活動などをした。
京口 元吉(きょうぐち もときち、1897年(明治30年)2… 京口 元吉(きょうぐち もときち、1897年(明治30年)2月28日 - 1967年(昭和42年)9月3日)は、日本の日本史学者。 兵庫県姫路市出身。朝鮮で小学校教師ののち早稲田高等学院卒。1926年早稲田大学文学部史学科卒。学生時代は尾崎一雄らと同人誌をやっていた。1929年早大附属高等学院講師、1933年教授、1940年早稲田大学文学部助教授。この間明治文化研究会で活動。 警視庁から「反軍国的なマルキスト」「自由主義的」であると問題視され、1941年3月11日付で大学を引責辞職する。1946年2月1日付で文学部講師として復職する。同年5月から助教授となる。1947年教授、1967年定年退職。
大濱 信泉(おおはま のぶもと、1891年10月5日 - 1… 大濱 信泉(おおはま のぶもと、1891年10月5日 - 1976年2月13日)は、日本の法学者(専門は商法)・教育者。第7代早稲田大学総長(1954年 - 1966年)。旧名大濱 信陪。妻は評論家の大浜英子。
金 點坤(キム・ジョムゴン、김점곤)は大韓民国の軍人、教授。… 金 點坤(キム・ジョムゴン、김점곤)は大韓民国の軍人、教授。軍人時代は白善燁の下で活躍した。太極武功勲章授与者。 1923年、全羅南道光州楊林里に生まれる。本貫は金海金氏。光州師範学校付属国民学校卒業。光州師範学校尋常科入学。1年修了後、高卒資格試験に合格し、第一早稲田高等学院に留学。卒業後、早稲田大学文学部に進学。幹部候補生として中国に行き、北支那特別警備隊(中国語版)に配属。北京の同教育隊で1年半ほど特殊教育を受けた後、少尉任官となり、唐山市付近で小隊長を務めた。 終戦後に帰国。1946年2月、京城大学に入学するが、修学途中で警備士官学校第1期に入校。卒業後、任少尉(軍番10115番)。任官と同時に統衛部(国防部の前身)部長補佐官に登用され、軍内部の思想問題と軍と警察間の問題解決に努力した。