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平林 和幸(ひらばやし かずゆき、1948年5月15日 - … 平林 和幸(ひらばやし かずゆき、1948年5月15日 - 2014年1月20日)は日本のフランス文学者、美学者。武蔵大学教授。専門はフランス近・現代詩、ヨーロッパ美術工芸。 フランスの詩人ギョーム・アポリネールなどヨーロッパ詩文学を中心に絵画、モニュメントを含める近代芸術・芸術革命、象徴性についての研究に努めた。所属学会は、日本フランス語フランス文学会と日本比較文学会である。2006年に武蔵大学出身者として同大学学長に就任し、ゼミナールを軸とした大学運営を進めた(2010年に退任)。趣味は陶磁器の鑑賞・作成。 2014年1月20日、多臓器不全により東京都内の病院で死去した。65歳没。
笹尾 哲夫(ささお てつお、1942年 - )は日本出身の天… 笹尾 哲夫(ささお てつお、1942年 - )は日本出身の天文学者、理学博士。元国立天文台教授。専門は地球回転運動、固体地球物理学など。 1972年に東京大学理学系研究科博士課程を修了する。大学院では天文学を専攻し海野和三郎に師事した。同年に文部省緯度観測所研究員となり、1978年~1979年にコロラド大学環境科学協同研究所客員研究員を経て、1988に国立天文台地球回転系教授に就任する。VLBIによる高精度天体位置計測、大気モデルと位相補償方式、地球回転運動などを研究分野として活動した。VERA計画(VLBI Exploration of Radio Astrometry、天文広域精測望遠鏡)を統括責任者として推進した。
江村 洋(えむら ひろし、1941年8月6日 - 2005年… 江村 洋(えむら ひろし、1941年8月6日 - 2005年11月3日)は、日本の比較文学・ドイツ文学者。 東京生まれ。1965年東京大学教養学部ドイツ分科卒、70年同大学院比較文学比較文化博士課程中退、同年「若き日のゲーテとヘルダー」で日本ゲーテ協会ゲーテ賞を受賞、ドイツ留学。75年頃より東洋大学文学部助教授、教授。在職中に病床に伏しそのまま死去した。 歴史が専門ではないが、ハプスブルク家に関する一般向け読物の著者として人気がある。1990年の『ハプスブルク家』はロングセラーとなっている。平易で分かりやすい文章が特徴であった。
柿沼 孝子(かきぬま たかこ、1937年 - )は日本の文学… 柿沼 孝子(かきぬま たかこ、1937年 - )は日本の文学者。立正大学名誉教授。専門は米文学、意味論。 東京女子大学英米文学科を卒業後、法政大学大学院英文学専攻修士課程を修了する。後に立正大学経済学部教授となる。専門の米文学ではマーク・トウェインを主に研究した。2007年に立正大学を定年退任し名誉教授となる。
野々山 真輝帆(ののやま まきほ、1934年 - 2016年… 野々山 真輝帆(ののやま まきほ、1934年 - 2016年3月8日)は、日本のスペイン文学者、翻訳家。筑波大学名誉教授。獨協大学名誉教授。本名・ミチコ。 東京外国語大学スペイン語学科卒業。イリノイ大学博士課程修了後、ハーバード大学に学ぶ。 1981年『スペイン内戦』で毎日出版文化賞受賞、1993年『リスボンの春 ポルトガル現代史』でロドリゲス通事賞(ポルトガル)受賞。1995年イサベルカトリック女王勲章(スペイン語版、英語版)受章。 1998年まで筑波大学教授、のち獨協大学教授。文学だけでなく現代史も論じた。
近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )… 近藤 耕人(こんどう こうじん、1933年1月16日 - )は、日本の英文学者、写真評論家、明治大学名誉教授。 東京生まれ。東京大学文学部英文科卒。1962年戯曲「風」で文芸賞佳作入選。明治大学教授を経て名誉教授。多摩芸術学園、多摩美術大学などで英語、文学、映像論等を教える。 甥はクリエイティブプロデューサーの近藤ヒデノリ(1971 - )。
浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、19… 浜川 祥枝(はまかわ さかえ、正式には、濱川祥枝、男性、1923年12月18日 - 2006年9月25日 )は、ドイツ文学者。東京大学名誉教授。 東京府(現東京都)で、実業家・浜川友十郎(三菱倉庫社長)の長男として生まれた。旧制府立高等学校を卒業。短期現役海軍主計科士官(12期)を志願。1944年9月、海軍経理学校に入学し1945年に卒業。同年4月、佐世保施設部付となり、同年6月、海軍主計少尉に任官して第325設営隊付に転じ終戦を迎え、その後、解員(復員)した。 1946年9月、東京帝国大学法学部政治学科卒業。南海電鉄勤務ののち、1952年東京大学文学部独文科卒業。ドイツ学術交流会の奨学金を受けて、西ドイツ・ミュンヘン大学へ留学ののち、1955年中央大学文学部助教授、1967年東京大学文学部助教授、1973年教授。
山下 肇(やました はじめ、1920年5月2日 - 2008… 山下 肇(やました はじめ、1920年5月2日 - 2008年10月6日)は、日本のドイツ文学者、東京大学教養学部名誉教授。 現在の東京都目黒区下目黒に生まれる[要出典]。幼少期に時習学館で戸田城聖の教えを受ける。府立高等学校在学中、学生歌『青春という』を作詞した。[要出典]1942年9月に東京帝国大学文学部独文科を繰り上げ卒業し、陸軍に[要出典]入隊して出征した。 第二次世界大戦後に軍隊から復員し、旧制浦和高等学校教授ののち、1950年東京大学教養学部ドイツ語助教授となる。のち教授に昇進し、1969年から評議員に就任して、1971年 - 1972年には教養学部長を務めた。1981年に定年退官して、名誉教授となる。
徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 20… 徳永 康元(とくなが やすもと、1912年4月2日 - 2003年4月5日)は、日本の言語学者、ハンガリー文学者。 東京府豊多摩郡大久保町字百人町(後の東京都新宿区百人町)に生まれ育つ。父徳永重康は東大動物学科出身の古生物学者・地質学者で理学博士・工学博士、早稲田大学教授、東大地質学教室非常勤講師。実弟の徳永重元も地質学者。徳永家は元の苗字を吉原と称し、薩摩藩士の家系だった。重康が高島鞆之助の三女と結婚した時に徳永と名乗り始め、その後離婚に至ってからも苗字はそのままになった。日本銀行初代総裁吉原重俊は父方の祖父の弟にあたる。母方の祖父柴田承桂は薬学者で東京大学教授をつとめた。 東京高等師範学校附属小学校(現・筑波大学附属小学校)から同中学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)を4年修了で卒業し、府立高等学校文科乙類で実吉捷郎や石川道雄に師事。
杉谷 恭一(すぎたに きょういち)は、日本のドイツ文学者であ… 杉谷 恭一(すぎたに きょういち)は、日本のドイツ文学者である。熊本大学文学部教授。