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左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年… 左近允 尚敏(さこんじょう なおとし、1925年(大正14年)2月11日 - 2013年(平成25年)6月30日)は、大日本帝国海軍の軍人、海上自衛官。最終階級は海軍大尉、海将。鹿児島県出身。海兵72期。 海軍中将左近允尚正の次男。多号作戦で駆逐艦「島風」砲術長として「島風」沈没時(多号作戦)に戦死した海軍大尉左近允正章(まさふみ)は兄にあたる。 兄の正章と同じく旧制横須賀中(30期)から海軍兵学校へ入校。1943年(昭和18年)9月に卒業(第72期)、海軍少尉候補生。伊勢型戦艦1番艦「伊勢」乗組。乗艦実習の後、11月15日附で最上型重巡洋艦4番艦「熊野」乗組を命ぜられる。なお、兄の正章も太平洋戦争開戦時に海軍少尉として「熊野」に勤務している。
伊東 孝一(いとう こういち、1920年(大正9年)9月28… 伊東 孝一(いとう こういち、1920年(大正9年)9月28日 - 2020年(令和2年)2月19日)は、日本の陸軍軍人。 最終階級は陸軍大尉。 宮城県大崎市で出生、生後間もなく一家が神奈川県横須賀市へ転居し当地で育った。横須賀中学校を経て陸軍予科士官学校に進み、1938年(昭和13年)末、同校を卒業。歩兵第32連隊付となる。1939年(昭和14年)、陸軍士官学校に進み、1940年(昭和15年)9月、同校(第54期)を卒業。同年10月、歩兵少尉に任官。 1941年(昭和16年)10月、陸軍中尉に昇進。歩兵団司令部、第5軍司令部における勤務を経て、原隊である歩兵第32連隊へ復帰し、第2大隊第8中隊長に就任。
横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11… 横山 保(よこやま たもつ、1909年(明治42年)8月11日 - 1981年(昭和56年)3月)は、日本の海軍軍人、航空自衛官。海兵59期。最終階級は海軍で中佐、空自で空将補。 1909年8月11日、神奈川県横須賀市で海軍軍人の次男として生まれる。横須賀中学校を経て、1928年4月、海軍兵学校に59期生として入校。1931年11月7日兵学校を卒業。1934年11月、第26期飛行学生拝命。1935年7月、同課程修了、戦闘機搭乗員となる。1936年11月、佐伯空。 1937年2月、大分空分隊長。7月、支那事変の勃発に伴い、十三空分隊長として上海の公大飛行場に着任。哨戒任務を行う。9月19日、南京の中国空軍機殲滅を目的とした南京第一次空襲に第1大隊(制空隊、九六式艦戦13機)第3中隊長として参加。
大橋 勝夫(おおはし かつお、1905年(明治38年)1月1… 大橋 勝夫(おおはし かつお、1905年(明治38年)1月11日 - 1945年(昭和20年)7月16日)は、日本の海軍軍人(海兵53期卒)。太平洋戦争において四艦の潜水艦長を歴任し、交通破壊戦に戦果を挙げた。その一方で漂流していた連合国将兵を攻撃せず、戦後になってこの大橋の行為が明らかとなった。神龍特別攻撃隊を構成した「伊13」潜水艦長として戦死し、一階級昇進により最終階級は海軍大佐。 大橋は三重県出身で、横須賀中学校を経て海軍兵学校に入校した。1925年(大正14年)に卒業した(53期)の同期生には海軍青年士官運動の中心人物である藤井斉がおり、他の10名が特別高等警察作成のブラックリストに掲載されているが、大橋の名はない。
荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月1… 荒尾 興功(あらお おきかつ、1902年(明治35年)3月18日 - 1974年(昭和49年)8月22日)は、日本の陸軍軍人、官僚。最終階級は陸軍大佐。 高知県出身。荒尾大吉海軍大尉の長男として生まれる。 横須賀中学、仙台陸軍地方幼年学校、中央幼年学校を経て、1923年(大正12年)7月、陸軍士官学校(第35期)を卒業。 同年10月、陸軍少尉に任官し歩兵第61連隊付となる。 1930年(昭和5年)11月、陸軍大学校(42期)を優等で卒業した。 1931年(昭和6年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員(徴募課)を経て、1934年(昭和9年)11月からソ連駐在。 1936年(昭和11年)3月から1937年(昭和12年)5月までポーランド公使館附武官補佐官に在任。
和智 恒蔵(わち つねぞう、旧姓・大野、1900年7月24日… 和智 恒蔵(わち つねぞう、旧姓・大野、1900年7月24日 - 1990年2月2日)は、日本の海軍軍人、僧。最終階級は海軍大佐で、硫黄島では海軍警備隊司令を務めた。二男三女の父。僧名は恒阿弥。 和智熊太の養子となる。横須賀中学を経て、1922年6月、海軍兵学校(50期)を卒業。海軍大学校選科学生の時に、東京外国語学校にてスペイン語を学んだ。この学生時代の休暇中に陸軍騎兵第一連隊付になり、馬術を修める。1931年、1932年の二度、海軍通信学校高等科学生として学ぶ。「大泊」航海長、「那珂」通信長などを歴任。1934年11月、第三艦隊付となり上海に駐在して特務機関に勤務。その後は、東京無線電信所付兼軍令部出仕(大和田傍受所長)、東京通信隊分隊長兼軍令部出仕、練習艦隊参謀などを務める。
鹿目 善輔(かのめ ぜんすけ、1893年(明治26年)11月… 鹿目 善輔(かのめ ぜんすけ、1893年(明治26年)11月22日 - 1960年(昭和35年)9月21日)は、日本の海軍軍人。太平洋戦争開戦前の出師準備にあたった兵備局課長で開戦時の軍令部先任副官、北方部隊の幹部、大湊警備府参謀長を歴任し、終戦後は大湊地方復員局長、横須賀地方復員局残務処理部長を務めた海軍少将で、後に米海軍横須賀基地(横須賀海軍施設)警備隊の初代隊長に就任。 1870年(明治3年)に浦賀に移住した会津藩士 鹿目常吉(幸之助)の孫として、1893年(明治26年)神奈川県三浦郡浦賀町(現・横須賀市浦賀)で生まれた。横須賀中学校を経て、1916年(大正5年)に海軍兵学校を卒業後、少尉候補生として軍艦「常磐」に乗り組み、北米および南洋諸島を回航。
北郷 格郎(ほんごう かくろう、生年不詳 - 1982年(昭… 北郷 格郎(ほんごう かくろう、生年不詳 - 1982年(昭和57年)7月7日)は、日本の陸軍軍人。 沖縄戦において、米軍に多大な損害を与えた歩兵第32連隊の連隊長として知られる。最終階級は陸軍大佐。 宮崎県出身。横須賀中学校を経て、1915年(大正4年)5月25日、陸軍士官学校(27期)を卒業。同年12月25日、歩兵少尉に任官。 第5国境守備隊、第15軍高級副官等を歴任。1942年(昭和17年)8月1日、陸軍大佐に昇任し、独立歩兵第24大隊長に就任。1942年(昭和19年)3月1日、歩兵第32連隊長に就任。 1944年(昭和19年)7月、歩兵第32連隊を含む第24師団主力は沖縄戦へと転用され第32軍隷下に配属された。