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渡辺 満久(わたなべ みつひさ、1956年 - )は、日本の… 渡辺 満久(わたなべ みつひさ、1956年 - )は、日本の地理学者、東洋大学社会学部教授。専門は変動地形学、活断層研究。 新潟県生まれ。新潟県立高田高等学校卒業。1980年、東京大学理学部卒業。1989年、東京大学大学院理学系研究科地理学専攻博士課程修了、「東北日本の火山フロント沿いにおける、活断層・火山の相補的分布と低地帯の分化様式」により、東京大学より理学博士を取得。東京大学では米倉伸之の指導を受けた。 1991年に東洋大学文学部講師となり、1995年に助教授へ昇任、1999年に社会学部へ移籍し、2002年に教授。 活断層の働きによって形成される変動地形について、トレンチ調査やテフロクロノロジーの手法(火山灰の分析による年代の特定法)などを用いた野外調査の成果とコンピュータ上の数値実験を交えた研究を行なっている。
新井 誠(あらい まこと、1950年6月27日 - )は、日… 新井 誠(あらい まこと、1950年6月27日 - )は、日本の民法学者、筑波大学名誉教授、中央大学大学院研究開発機構 機構教授、弁護士。民法・信託法が専門で、民法に関連した成年後見制度を研究。 新潟県上越市生まれ。1969年新潟県立高田高等学校卒業、1973年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、1980年同大学院博士課程満期退学、1979年ミュンヘン大学法学部博士課程修了、法学博士。1981年國學院大學法学部専任講師、1984年助教授、1991年教授、1992年大学院法学研究科教授、1995年千葉大学法学部教授、2001年筑波大学教授、2011年定年退官、名誉教授、中央大学法学部教授(-2021年3月)、同大学院法学研究科委員長(2015年11月 - 2019年10月)。
春日 偉知郎(かすが いちろう、1949年3月9日 - )は… 春日 偉知郎(かすが いちろう、1949年3月9日 - )は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・国際民事手続法。学位は、法学博士(一橋大学・論文博士・1992年)(学位論文「民事証拠法の研究 - 証拠の収集・提出と証明責任 - 」)。筑波大学教授・慶應義塾大学教授・関西大学教授を経て、筑波大学/関西大学名誉教授。カンボジア王国友好勲章受章。弁護士。 ロルフ・シュトゥルナー(ドイツ・フライブルク大学教授)の学説をもとに、主張・立証責任を負わない当事者にも、事案解明義務として一定の場合に主張・立証責任を課すという理論を提唱した。竹下守夫(一橋大学名誉教授、元日本民事訴訟法学会理事長、日本学士院会員)は、この見解が最高裁平成4年10月29日第一小法廷判決・民集46巻7号1174頁により、最高裁に容れられたものとし、このような判例理解が有力説となっているが、松本博之(大阪市立大学教授)等、これとは異なる判例理解をする学者もいる。
石塚正英(いしづか まさひで、1949年 - )は、日本の倫… 石塚正英(いしづか まさひで、1949年 - )は、日本の倫理学者・歴史学者。博士(文学)(立正大学・論文博士・2001年)(学位論文「フェティシズムの思想圏」)。東京電機大学名誉教授。専門は文化史学・歴史知学。 新潟県高田市(現・上越市)生まれ。新潟県立高田高等学校卒業、1浪後、立正大学文学部へ。立正大学大学院文学研究科史学単位取得退学。1982年立正大学講師、1989年東京電機大学理工学部講師、2000年助教授、2001年教授。2020年3月退職。 2001年「フェティシズムの思想圏」で博士(文学)(立正大学)の学位を取得。2008年、NPO法人頸城野郷土資料室(新潟県知事認証)理事長。 ハイティーンの頃はユートピスト、20代はファナティシスト、30代はアソシアシオニスト、40代はフェティシスト、50代はヒストリオソフィスト、その後はふたたびユートピストをもって任じているらしい。
小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年… 小和田 恆(小和田 恒、おわだ ひさし、1932年〈昭和7年〉9月18日 - )は、日本の外交官、国際法学者。第22代国際司法裁判所(ICJ)所長。 国連大使・外務事務次官などを歴任。皇后雅子の実父。愛子内親王の外祖父。 新潟県北蒲原郡新発田町(現:新発田市)生まれ。小和田毅夫・静夫妻の次男で、8人きょうだいの4番目。父・毅夫は新潟県立高田校長を務めた。生家の跡地は現在清水園の駐車場となっている。本籍地は新潟県村上市。 旧制新潟県立柏崎中学校(現:新潟県立柏崎高等学校)2年のとき、父の転勤により旧制新潟県立高田中学校に転校した。高田中学校在学中の学制改革を経て新潟県立高田高等学校を卒業し、東京大学文科一類に進学し、東京大学教養学部教養学科(国際関係論分科)在学中の1954年(昭和29年)に外交官領事官試験に合格、翌年の1955年 (昭和30年)に大学を卒業して(教養学士)、外務省に入省した。
坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年(明治30年… 坂口 謹一郎(さかぐち きんいちろう、1897年(明治30年)11月17日 - 1994年(平成6年)12月9日)は、日本の農芸化学者。発酵、醸造に関する研究では世界的権威の一人で、「酒の博士」として知られた。東京大学応用微生物研究所初代所長および同大学名誉教授、理化学研究所副理事長。日本学士院会員。愛称は「坂謹(さかきん)」。 新潟県高田(現・上越市)出身。正利の長男 。新潟県立高田中学校を中退し上京、神田の順天中学校に編入。同期には中村震太郎もいたが、とくに学友との交流もなかった。同校卒業後、第一高等学校理科に首席で入学。1919年、同校卒業、1922年、東京帝国大学農学部卒業。同助手、講師、助教授を経て、1939年、教授。
長沼 賢海(ながぬま けんかい、1883年(明治16年)3月… 長沼 賢海(ながぬま けんかい、1883年(明治16年)3月26日 - 1980年(昭和55年)7月14日)は、日本史学者。九州大学名誉教授。 1883年、新潟県高田(現上越市)浄興寺山内の正光寺に生まれた。長沼賢明の長男。旧制新潟県立高田中学、旧制第四高等学校を経て、1907年、東京帝国大学文科大学国史学科を卒業。 1912年、東京府立第一中学校教諭となった。東京府立第一中学校教諭時代の教え子に、小林秀雄、河上徹太郎がいる。1920年、広島高等師範学校教授に転じた。1924年、史学研究のため欧州留学を命じられ、英・仏・独・蘭・印・伊などに滞在・留学した。1925年、九州帝国大学法文学部国史学科の初代教授に就任。
中村 進午(なかむら しんご、明治3年7月21日(1870年… 中村 進午(なかむら しんご、明治3年7月21日(1870年8月17日) - 昭和14年(1939年)10月21日)は、日本の法学者。専門は国際法。学位は、法学博士(1901年)。東京商科大学名誉教授。「七博士意見書」により日露戦争開戦を主張した学者の一人。 1870年、越後国高田(のちの新潟県高田市、現上越市)において、旧高田藩士・中村九朗の三男として生まれた。高田中学校を卒業し、第一高等中学校に入学。1891年に第一高等中学校を卒業して東京帝国大学に入学。1894年、東京帝国大学法科大学を首席で卒業。卒業後は同大学院に進んだ。 大学では、初め末岡精一に師事して国法学を研究したが、実兄である国際法学者前田盛江が夭逝すると、ドイツ・イギリス・フランス各国に留学して、国際法、外交史等の研究に転じた。
関野 貞(せきの ただし、1868年1月9日(慶応3年12月… 関野 貞(せきの ただし、1868年1月9日(慶応3年12月15日)- 1935年(昭和10年)7月29日)は、日本の建築史学者、建築家・美術史・考古学者。東京帝国大学名誉教授。 高田藩士関野峻節とヤエの次男として生まれた。旧制一高を経て、1895年に東京帝国大学工科大学造家学科(建築学科)を卒業。卒業論文は平等院の研究であった。辰野金吾の指揮下に日本銀行の工事に参加する。古社寺保存法が立案された1896年に伊東忠太の勧めで内務省技師、奈良県技師となり、奈良の古建築を調査し、建築年代を判定していった。 1889年に平城宮址を発見した。1922年、国の史跡(のちに特別史跡・特別名勝)に指定された。
水澤 英洋(みずさわ ひでひろ)は、日本の医師、医学者。東京… 水澤 英洋(みずさわ ひでひろ)は、日本の医師、医学者。東京医科歯科大学名誉教授。国立精神・神経医療研究センター(NCNP病院脳神経内科 併任) 理事長特任補佐。専門は神経病理学、神経内科学など。 日本神経感染症学会 第3代理事長、日本神経学会 第7代 代表理事なども務めた。 新潟県立高田高等学校を経て、1976年、東京大学医学部医学科を卒業。同年、東京大学医学部附属病院内科系研修医となる。1984年、筑波大学臨床医学系神経内科の講師。1990年、同助教授。1986年、アメリカ合衆国のアルベルト・アインシュタイン医学校モンテフィオーリ病院に留学。1996年、東京医科歯科大学医学部神経内科(後の東京医科歯科大大学院医歯学総合研究科 脳神経病態学) 教授。