スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
谷内 美紅(たにうち みく、1999年7月28日 - )は、… 谷内 美紅(たにうち みく、1999年7月28日 - )は、日本の元女子バレーボール選手である。 石川県金沢市出身。中学1年からバレーボールを始める。 石川県立金沢商業高等学校、筑波大学を経て、2022年1月、PFUブルーキャッツ石川かほくの内定選手になる。2022年4月、同チームに正式入団。 2024年10月27日、2024-25シーズンのSV.LEAGUEで、リーグ初出場を果たした。 2025年、2024-25シーズン限りで現役引退。引退後は警察行政職員の道に進むとのこと。2026年4月3日に行われた石川県警察学校の入校式で主事として決意表明の宣誓を行った。
瀬戸 杏華(せと きょうか、1997年12月21日 - )は… 瀬戸 杏華(せと きょうか、1997年12月21日 - )は、日本の女子バレーボール選手。 石川県河北郡内灘町出身。中学1年生のとき、友達と一緒にバレーボール部に入部したのがきっかけでバレーボールを始めた。 金沢商業高等学校、順天堂大学を経て、2019/20シーズン、V.LEAGUE DIVISION1 WOMEN(V1女子)に所属するPFUブルーキャッツの内定選手となった。内定選手としてV1女子の試合に出場し、Vリーグデビューを果たした。 2020年7月31日、背番号が「18」から「2」へ改められた。 2024年、PFUを退団。7月にデンソーエアリービーズ入団が発表された。 V.LEAGUEの個人成績は下記の通り。
島畑 奈緒子(しまはた なおこ、1993年4月10日 - )… 島畑 奈緒子(しまはた なおこ、1993年4月10日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。 石川県金沢市出身。2人姉妹の長女。親がバレーボールチームの監督をしていたことをきっかけにバレーボールを始めた。 2015年12月1日、PFUブルーキャッツの公式サイトにて入団内定が発表された。同期入団は村上華澄。 2020年7月3日、PFUブルーキャッツの2020-21シーズン新体制が発表され、島畑は副キャプテンに就任。 2021年4月27日、チーム公式サイトにて、チームからの退団と選手としての引退が発表。新型コロナウィルス感染拡大の影響で黒鷲旗が中止になったため、PFUブルーキャッツが独自に行った「青桃戦(紅白戦)」に出場し、これを引退試合とした。
橋場 正裕(はしば まさひろ、1984年7月14日 - )は… 橋場 正裕(はしば まさひろ、1984年7月14日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。VプレミアリーグのFC東京に所属していた。 石川県白山市出身。白山市立松任中学校、石川県立金沢商業高等学校を経て、駒澤大学を卒業後の2007年にFC東京へ入団。2008/09でV・チャレンジリーグ3連覇、V・チャレンジマッチ(入替戦)で大分三好と対戦。初のV・プレミアリーグ昇格に貢献した。 2014年3月16日のパナソニックパンサーズ戦をもって現役引退。その後、啓新高等学校の社会科教諭、男子バレー部の監督に就任。
前田 和樹(まえだ かずき、1983年8月17日 - )は、… 前田 和樹(まえだ かずき、1983年8月17日 - )は、日本の元男子バレーボール選手。 石川県七尾市出身。金沢商業高校を経て、早稲田大学卒業後、2006年4月にNECブルーロケッツへ入団。186cmと小柄ながらセッター対角を務め、2008年の第57回黒鷲旗大会準優勝に貢献し、敢闘賞受賞とベスト6に選出された。 2009年5月のNECの無期限休部に伴い、8月にFC東京へ移籍。2009年度全日本代表登録メンバーに初選出され、2009年ワールドリーグで代表デビューを飾った。2012年5月の第61回黒鷲旗大会でもチーム初となる準優勝に大きく貢献し敢闘賞を受賞した。 2014年3月16日のパナソニックパンサーズ戦(フルセットでFC東京の勝ち)をもって現役引退。
田村 裕之(たむら ひろゆき、1981年9月18日 - )は… 田村 裕之(たむら ひろゆき、1981年9月18日 - )は、日本の実業家、元男子バレーボール選手。 石川県金沢市出身。金沢市立西南部中学校1年次からバレーボールを始める。高校は石川県立金沢商業高等学校へ進学、2年下に前田和樹がいた。3年次にはキャプテンに選ばれ、インターハイに出場した。 2000年、中央大学へ進学。同期に松永理生。コーチの栗生澤淳一から指導を受けた。2003年、4年次の黒鷲旗での活躍がVリーグチームのスカウトの目に止まった。 2004年、旭化成スパーキッズへ加入するも、母体の都合で2006年シーズン末にチームは解散となった。 2006年、JTサンダーズへ移籍した。2009-10シーズン開幕前に右ひざ靭帯を損傷、シーズンを棒に振った。
中村 和美(なかむら かずみ、現姓:永田、1971年2月24… 中村 和美(なかむら かずみ、現姓:永田、1971年2月24日 - )は、日本の元女子バレーボール選手。元全日本代表、日本バレーボール協会職員・バレーボール日本女子代表マネージャー。 石川県羽咋郡宝達志水町(旧押水町)出身。小学校5年生の時に母・姉の影響を受け、バレーボールを始める。高校を卒業した1989年ユニチカに入社、同社のバレーボールチームであったユニチカ・フェニックスに籍を置いた。同年8月世界ジュニア女子(U-20)バレーボール選手権に出場し銅メダルを獲得、ベスト6にも選ばれた。このときのチームメイトの一人に多治見麻子がいる。翌1990年アジアジュニア選手権では主将を務め優勝に貢献、MVPにも選ばれた。
東谷 友恵(ひがしたに ともえ、旧姓:本郷(ほんごう)、19… 東谷 友恵(ひがしたに ともえ、旧姓:本郷(ほんごう)、1964年6月19日 - )は、日本の元女子バレーボール選手、指導者。 石川県珠洲市出身。1982年、金沢商業高校在学時に全国高校選抜メンバーに選抜され中国遠征を経験。1983年、ユニチカに入部。 1986年に全日本に選抜され、世界選手権やワールドカップに出場した。一方、国内リーグでも1989年にベスト6・レシーブ賞、翌年もレシーブ賞を獲得した。当時はリベロ制度がなく、センタープレーヤーもレシーブを行う時代だったが、センタープレーヤーが2年連続レシーブ賞を獲得したことは異例だった。ユニチカ監督の吉田国昭は、「攻守ともにバランスのとれた申し分のない選手」と評している。
森 仁美 (もり ひとみ、1939年7月 - ) は、日本の… 森 仁美 (もり ひとみ、1939年7月 - ) は、日本の厚生・環境官僚。元環境事務次官。石川県出身。 公衆衛生局老人保健部計画課長・同局企画課長・薬務局企画課長を経て、 その後、TOKYO金澤CLUB会長、目黒石川県人会会長等の肩書を持つ。
中村志郎(なかむら しろう、1933年 - )は、日本の英文… 中村志郎(なかむら しろう、1933年 - )は、日本の英文学者。金沢大学名誉教授。 石川県生まれ。石川県立金沢商業高等学校卒、1956年金沢大学法文学部英文科英米文学専攻卒、同大学院修了。石川工業高等専門学校助教授、金沢大学教養部助教授をへて、教授。99年定年退官、名誉教授。トマス・ハーディを専門とした。
山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日… 山出 保(やまで たもつ、1931年〈昭和6年〉11月27日 - 2025年〈令和7年〉7月14日)は、日本の政治家。石川県金沢市出身。石川県金沢市長(5期)、全国市長会会長(第26代)、石川県市長会会長、石川県中小企業団体中央会会長を歴任した。位階勲等は正四位旭日重光章。 山出は市長在任中に様々な政策を実行してきた。中でも重点を置いてきたのが「歴史都市づくり」であった。住居表示制度で消滅した旧町名を復活させる「旧町名復活運動」を全国で先駆けて実施したことも知られている。これ以外にも、在任中には以下の政策も実施した。 山出は金沢市と隣接する野々市町(現:野々市市)との合併を念頭にして、金沢市の政令指定都市への昇格を構想していた。
山科 直治(やましな なおはる、1918年〈大正7年〉2月2… 山科 直治(やましな なおはる、1918年〈大正7年〉2月22日 - 1997年〈平成9年〉10月28日)は、日本の経営者。バンダイの創業者。位階は正五位。 石川県金沢市出身。1935年に金沢商業学校を卒業し、兵役予備役中尉を経て、1948年に繊維業の万代産業に入社。 1950年に萬代屋(後のバンダイ)を設立し、社長に就任し、1980年6月には会長に就任。社長時代には、おもちゃ業界で初めて保証玩具制度を実施するなど品質を重視した堅実な経営により、同社を業界トップに育て上げた。1984年に日本おもちゃ図書館財団を設立し、日本玩具協会会長も務め、業界の発展に尽力した。 1979年11月に藍綬褒章を受章し、1989年4月に勲三等瑞宝章を受章。
大島 鎌吉(おおしま けんきち、1908年(明治41年)11… 大島 鎌吉(おおしま けんきち、1908年(明治41年)11月10日 - 1985年(昭和60年)3月30日)は、日本の陸上競技選手。専門は三段跳で、1932年ロサンゼルスオリンピック銅メダリストにして元世界記録保持者だった。 石川県金沢市出身。関西大学卒業。 引退後は大阪体育大学副学長(のちに名誉教授)や日本オリンピック委員会 (JOC)委員(のちに名誉委員)を務めた。 金沢市の手広く履物商を営む商家に生まれ、金沢商業学校(現・石川県立金沢商業高等学校)在学中に第四高等学校(現・金沢大学)主催の中等学校陸上競技大会の三段跳で優勝する。関西大学法律科に進学し、1928年アムステルダムオリンピックの予選会を兼ねた全日本選手権で走幅跳2位、三段跳3位となるも選に漏れた(この時選手に選ばれた織田幹雄は三段跳びで日本人初の金メダリストとなった)。
越村 信三郎(こしむら しんざぶろう、1907年10月16日… 越村 信三郎(こしむら しんざぶろう、1907年10月16日 - 1988年11月27日)は、日本の経済学者・会計学者。第5代横浜国立大学学長。 石川県金沢市出身。1933年東京商科大学(現一橋大学)卒。大塚金之助門下。横浜高等商業学校講師、助教授、教授を経て、太平洋戦争が始まると、1943年に総力戦研究所研究員となる。日本の降伏後、1949年後身の横浜国立大学教授兼横浜経済專門学校教授、1953年評議員。同年「経済循環の原理」で関西学院大学より経済学博士の学位を取得。1956年日本学術会議会員、1961年経済学部長、1969年学長事務取扱、1970年学長。1973年定年退官、名誉教授、和光大学教授、1978年退職、名誉教授。
尾山 篤二郎(おやま とくじろう、1889年12月15日 -… 尾山 篤二郎(おやま とくじろう、1889年12月15日 - 1963年6月23日)は、大正期から昭和期にかけての日本の国文学者・歌人。学位は、文学博士(東京大学)。 石川県金沢市出身。金沢市立商業学校(現:石川県立金沢商業高等学校)に入学するが、1903年に結核に感染し、右足の切断を余儀なくされる。金沢商業学校は中退した。窪田空穂を慕い、のちには空穂の主宰する『國民文學』の同人にもなっている。 1909年上京、前田夕暮、若山牧水らを知る。1911年に夕暮が創刊した『詩歌』に参加し、1912年には自らが金沢において『樹蔭』を創刊、さらに1917年には牧水が主宰雑誌『創作』を復刊した際に加わっている。
林屋 亀次郎(はやしや かめじろう、1886年〈明治19年〉… 林屋 亀次郎(はやしや かめじろう、1886年〈明治19年〉6月1日 - 1980年〈昭和55年〉5月4日)は、日本の実業家、政治家。参議院議員(3期)。 現在の石川県金沢市出身。製茶業を営む父新兵衛の8男として生まれる。金沢商業学校卒業。 1930年(昭和5年)金沢市内に当時としては数少ない鉄筋コンクリートの商業ビルを建設、テナントとして三越金沢店を入居させる。1935年(昭和10年)三越との契約切れを待って同年9月に丸越百貨店を開業するが、1943年(昭和18年)12月21日に戦時統合により宮市大丸百貨店と合併し大和百貨店となり会長に就任。このとき社長に就任したのが後に第3回参議院議員通常選挙では現職閣僚ながら落選した際の相手候補となった井村徳二であった。