スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
高橋 聡(たかはし そう、1977年4月26日 - )は、日… 高橋 聡(たかはし そう、1977年4月26日 - )は、日本の実業家。アスク工業株式会社代表取締役社長。株式会社トランビ代表取締役。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校卒業後、アメリカに留学をする。米デポール大学情報システム学科を卒業した後、2001年アクセンチュア株式会社に入社。2005年に、父が創業したアスク工業株式会社に入社。2010年に、アスク工業株式会社の代表取締役社長に就任。入社以来、毎年のように後継者不在を理由に廃業していく仕入先・取引先を目の当たりにする中で、事業承継問題に大きな危機感を感じるようになった。2011年には、日本初となる中小企業による中小企業のための事業承継・M&Aプラットフォーム『TRANBI(トランビ)』をスタート。
石坂 弘紀(いしざか ひろのり、1973年 - )は、日本の… 石坂 弘紀(いしざか ひろのり、1973年 - )は、日本の実業家。元株式会社LDH(旧 ライブドアホールディングス)代表取締役社長。長野県長野市出身。
土屋 龍一郎(つちや りゅういちろう、1961年(昭和36年… 土屋 龍一郎(つちや りゅういちろう、1961年(昭和36年)9月16日 - )は、長野県出身の実業家・政治活動家。 長野県長野市出身。長野市立朝陽小学校に入学し、信州大学教育学部附属長野小学校を卒業。信州大学教育学部附属長野中学校卒業。1980年3月、長野県長野高等学校卒業。1986年3月、成蹊大学法学部法律学科卒業。同年10月、株式会社ツチヤ・エンタプライズ(現・株式会社北信臨床)に入社。 1998年、長野青年会議所理事長として、長野冬季オリンピック表彰式に従事。2001年、公益社団法人日本青年会議所会頭(第50代)に就任。 2012年1月、長野市オリンピック記念アリーナの運営管理を行う株式会社エムウェーブ代表取締役社長に就任。
小坂 壮太郎(こさか そうたろう、1961年9月13日 - … 小坂 壮太郎(こさか そうたろう、1961年9月13日 - )は日本の実業家。信濃毎日新聞株式会社代表取締役社長。長野県出身。 信濃毎日新聞創業家である小坂家の出身。小坂健介の長男にして小坂家最後の国会議員である小坂憲次の又従弟。 長野県長野高等学校(32期)を経て、早稲田大学法学部卒業。同年、朝日新聞社入社。 2000年信濃毎日新聞社入社。 2002年同社取締役、2009年代表取締役専務に、それぞれ就任。 2011年より現職。
山内 雅喜(やまうち まさき、1961年 - )は、日本の実… 山内 雅喜(やまうち まさき、1961年 - )は、日本の実業家、ヤマトホールディングス㈱社長。長野県出身。
竹内 茂樹(たけうち しげき、1959年1月5日 - )は、… 竹内 茂樹(たけうち しげき、1959年1月5日 - )は、日本の企業創業者、実業家。株式会社ギャガ(以後ギャガ)の共同創業者の一人。 父は信州大学、愛知学院大学の名誉教授の竹内亨。長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1983年日本大学藝術学部映画学科演出コースを卒業。 1986年1月、パイオニアレーザーディスク入社(現ジェネオンユニバーサル)。国内外のメジャー映画レーベル導入を手がける。後、未公開ホラー映画のビデオ化のブームの火付け役の一人して、ジョージ.A.ロメロの「ゾンビ」(完全版)「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」「マーティン」のビデオ化を手がける。 同社在籍中にギャガ創業に参画。
曲渕 文昭(まがりぶち ふみあき、1954年10月30日 -… 曲渕 文昭(まがりぶち ふみあき、1954年10月30日 - )は、日本の実業家。アルピコホールディングス代表取締役社長。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1978年横浜国立大学経済学部卒業、八十二銀行入行。2000年小布施支店長。2002年東京事務所長。2004年南松本支店長。2006年リスク統括部長。2007年執行役員本店本部長。2008年常務執行役員本店営業部長。2009年常務取締役に昇格。2011年代表取締役専務。2013年代表取締役副頭取。2017年からアルピコホールディングス代表取締役社長を務め、日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況に対応して経営改革を進めるなどした。
柄澤 康喜(からさわ やすよし、1950年〈昭和25年〉10… 柄澤 康喜(からさわ やすよし、1950年〈昭和25年〉10月27日 - )は、日本の実業家。MS&ADインシュアランスグループホールディングス株式会社取締役会長。 長野県長野市出身。長野県長野高等学校を経て、1975年京都大学経済学部卒業。住友海上火災保険株式会社(現:三井住友海上火災保険株式会社)に入社した。
市村 良三(いちむら りょうぞう、1948年5月31日 - … 市村 良三(いちむら りょうぞう、1948年5月31日 - 2023年6月14日)は、日本の政治家、実業家。元長野県上高井郡小布施町長(4期)。 1982年(昭和57年)から市村が親族とともに始めた町並み修景事業は観光まちづくりの成功例として知られている。観光庁から観光カリスマ百選に認定された。 長野県小布施町上町に生まれる。長野県長野高等学校卒業。1973年(昭和48年)3月、慶應義塾大学法学部政治学科卒業。同年、ソニーに就職。27歳で帰郷。 1979年(昭和54年)12月30日、おじの小布施町長の市村郁夫が任期途中で死去。1980年(昭和55年)、市村郁夫の息子の次夫とともに和菓子店「小布施堂」の経営を引き継ぐ。
加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8… 加藤 久雄(かとう ひさお、1942年(昭和17年)11月8日 - )は、日本の政治家、実業家。元長野県長野市長(2期)。現在は日本会議NAGANO会長を務める。 長野県長野市出身。1961年、長野県長野高等学校卒業。1965年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。内田産業株式会社を経て、1967年に株式会社本久入社。1985年に同社社長、2009年に本久ホールディングス社長に就任。インフラ整備、外食事業、ホテル国際21等のレジャー事業を手掛ける。 2007年から長野商工会議所会頭・長野県商工会議所連合会会長を務め、2009年には、しなの鉄道取締役会長にも就任した。 2013年10月27日に行われた長野市長選挙に立候補。
鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)1… 鷲澤 正一(わしざわ しょういち、1940年(昭和15年)11月8日 - 2022年(令和4年)3月5日)は、日本の政治家、実業家。位階は正五位。元長野県長野市長(3期)。 長野県長野市生まれ。長野県長野高等学校、早稲田大学第一商学部卒業。大学在学中から生家が経営する炭平鷲澤(現炭平製作所)に入社し、1963年から代表取締役社長を務める。大学を卒業後、1965年長野陸送、1966年炭平運輸、1968年三国コンクリートの各代表取締役に就任。会社経営の傍ら、長野市及び長野県のPTA連合会会長、長野市教育委員会委員、長野商工会議所副会頭、東北信生コン事業協同組合理事長、長野市青年会議所理事長、長野県経営者協会常任理事などを歴任した。
依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27… 依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27日 - )は、日本の男性実業家で、ドリーミュージック代表取締役会長、エイベックス元会長兼社長。元日本レコード協会(RIAJ)会長、元音楽産業・文化振興財団理事長。業界、政界や海外への強い影響力を持っている。エイベックスの実質的な創業者として経営の中心を担ってきたが、同じく創業者である松浦勝人との経営方針の確執が深刻化、2004年8月3日付けで会長兼社長を辞任。同日、日本レコード協会の会長も辞任し、エイベックス名誉会長に(2004年中に退任)。
塚田 佐(つかだ たすく、1936年(昭和11年)3月3日 … 塚田 佐(つかだ たすく、1936年(昭和11年)3月3日 - 2023年2月22日)は、日本の実業家、政治家。長野県長野市長(4期)。 長野県上水内郡安茂里村(現・長野市)で、塚田之安、とみ の長男として生まれた。長野県長野高等学校を経て、1958年(昭和33年)早稲田大学商学部卒業。家業の白土製造業に従事し、長野白土産業の専務取締役となる。 1967年(昭和42年)から長野市議会議員を2期、1975年(昭和50年)から長野県議会議員を3期務め、長野県地方社会福祉審議会長を兼任。 1985年(昭和60年)の長野市長選挙に立候補して初当選した。市長在職中には北陸新幹線関係都市連絡協議会会長の他、長野冬季五輪招致委員会会長を務め、招致運動を展開して1998年の長野冬季五輪大会の開催に力を尽くし、実現させた。
小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日 - … 小坂 雄太郎(こさか ゆうたろう、1920年3月18日 - 1990年8月21日)は、日本の経営者。信越化学工業創業者小坂順造の甥で、信越化学工業社長を務めた。勲二等瑞宝章受章。 長野県上水内郡柳原村(現長野市)出身。地元の地方財閥の信越化学工業創業家小坂一族に生まれる。旧制長野中学・旧制松本高校を経て、1943年に京都帝国大学工学部機械工学科を卒業。海軍技術大尉を経て、1945年に信越化学工業に入社。 取締役、常務を経て、1975年8月に専務に就任し、1983年8月に社長に昇格。 1990年8月21日、肝不全のために死去。70歳没。同日勲二等瑞宝章受章。従兄に小坂善太郎、小坂徳三郎、従弟に小坂健介(信濃毎日新聞社社長)、岳父に舞出長五郎がいる。
田中 太郎(たなか たろう、1919年(大正8年)6月4日 … 田中 太郎(たなか たろう、1919年(大正8年)6月4日 - 2001年(平成13年)10月9日)は、昭和戦後から平成前期の実業家、政治家。長野県須坂市長。 長野県上高井郡須坂町(現須坂市)で、田中新十郎、田鶴の長男として生まれた。生家は代々須坂藩の御用達を務めた豪商「田中家」。長野中学校(現長野県長野高等学校)を経て、1942年(昭和17年)9月、早稲田大学商学部卒業。翌月に召集され1946年(昭和21年)7月に復員した。 1947年(昭和22年)須坂町議会議員となる。1953年(昭和28年)田中殖産 (有) を設立し社長に就任した。1964年(昭和39年)11月、長野県議会議員となり5期在任し、土木住宅委員長、農政林務委員を務める。
深澤 俊勇(ふかざわ としお、1917年11月11日 - 没… 深澤 俊勇(ふかざわ としお、1917年11月11日 - 没年不明)は、日本の経営者。日野自動車社長を務めた。長野県長野市出身。 旧制長野中学を経て、1937年に名古屋高等工業学校を卒業し、同年に東京自動車工業に入社。1965年11月に日野重工業(のちの日野自動車)取締役に就任し、常務、専務を経て、1980年6月に副社長に就任し、1983年6月に社長に昇格。1987年6月に相談役を経て、1993年7月から顧問を務めた。 1986年11月に藍綬褒章を受章し、1992年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。
丸田 芳郎(まるた よしお、1914年12月16日 - 20… 丸田 芳郎(まるた よしお、1914年12月16日 - 2006年5月30日)は、日本の実業家。京都大学工学博士。花王の社長、会長を歴任した。 長野県更級郡信田村(現長野市)で教師の両親の元に生まれる。1932年旧制長野中学(後の長野県長野高等学校)卒業、1935年桐生高等工業学校(後の群馬大学工学部)卒業。花王の前々身、大日本油脂株式会社に入社。1948年3月、京都大学工学博士の称号を得る。学位は丸田たちが研究した航空潤滑油の合成に関する功績による。 1954年取締役。1956年常務、1968年専務を経て、1969年、副社長に就任。1971年、伊藤英三の死去にともない社長に就任。バイヤスドルフとの提携でニベア花王を設立し、1982年には「ソフィーナ」を発売して化粧品事業に進出するなど経営の多角化・省力化を進め、公害防止にも努めた。
中山 善郎(なかやま よしろう、1914年(大正3年)2月1… 中山 善郎(なかやま よしろう、1914年(大正3年)2月12日 - 1996年(平成8年)1月25日)は、日本の実業家。東京市荒川区生まれ、長野県古間村育ち。
宮入 潔(みやいり きよし、1914年1月26日 - 200… 宮入 潔(みやいり きよし、1914年1月26日 - 2004年12月22日)は、日本の経営者。長野県長野市出身。 旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、1934年に山梨高等工業学校機械工学科を卒業し、同年に久保田製作所に入社し、豊田自動織機製作所、トヨタ自動車工業での勤務を経て、1959年4月に豊田通商に移り、同年5月には常務に就任した。 1961年11月に専務に就任し、1968年5月に社長に昇格した。1977年7月から相談役を務めた。 1978年11月に藍綬褒章を受章し、1983年4月に勲三等旭日中綬章を受章した。 2004年12月22日急性心不全のために死去。90歳没。
小田切 新太郎(おだぎり しんたろう、1907年8月12日 … 小田切 新太郎(おだぎり しんたろう、1907年8月12日 - 1997年4月17日)は、日本の経営者。信越化学工業社長、会長を務めた。長野県上高井郡須坂町(現・須坂市)出身。 旧制長野中学(現・長野県長野高等学校)を経て、1932年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に信越化学工業に入社。 1948年6月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1971年7月に副社長に就任し、1974年7月に業界不況の状況で社長に就任する。 経理・財務担当常務時代は、数字を綺麗に書くこと、判子は伝票に書かれている内容をよく見て、グッと力を入れてまっすぐ縦に押すこと、ソロバンで加減乗除の計算ができるようにすることを経理担当に厳命、管理部門の強い権限を変革して販売、製造、研究各部門に権限を振り分けた。
坂口 幸雄(さかぐち ゆきお、1901年2月24日 - 20… 坂口 幸雄(さかぐち ゆきお、1901年2月24日 - 2002年3月18日)は日本の実業家。日清製油元会長。長野県上高井郡川田村(現長野市)生まれ。 その他、日本油脂協会会長、世界製油協会副会長、日本経済団体連合会常任理事などを歴任した。
小林 周蔵(こばやし しゅうぞう、1899年〈明治32年〉3… 小林 周蔵(こばやし しゅうぞう、1899年〈明治32年〉3月31日 - 1984年〈昭和59年〉10月9日)は、昭和時代の日本の実業家である。信越化学工業の第5代社長を務めた。現在の長野市出身。 1899年(明治32年)3月31日、小林太一郎の三男として生まれる。出身地は長野県上水内郡朝陽村(現・長野市)。長野中学校を卒業したのち、東京商科大学(現一橋大学)大学予科を経て1924年(大正13年)3月同大学本科を卒業した。 大学卒業後は前年に設立されたばかりの電機メーカー富士電機製造(現・富士電機)へと志願入社し、川崎工場に配属された。1931年(昭和6年)秋、富士電機製造から退社し、郷里長野県の電力会社信濃電気に入社する。
小出 隆(こいで たかし、1896年 <明治29年> 8月2… 小出 隆(こいで たかし、1896年 <明治29年> 8月21日 - 1982年 <昭和57年> 12月11日)は、日本の経営者。八十二銀行頭取を務めた。位階は従四位。 長野県更級郡稲荷山町(現・千曲市)出身。旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、1918年に早稲田大学商学部を卒業し、同年に六十三銀行(のちの八十二銀行)に入行。1937年に常務を経て、1951年2月に頭取に就任。1973年5月には会長に就任。1973年5月に会長を経て、1975年12月に相談役に就任。信越化学工業監査役も務めた 1957年に黄綬褒章を受章し、1966年に勲四等瑞宝章を受章し、1975年4月に勲三等旭日中綬章を受章。
14代 藤井 伊右衛門(ふじい いうえもん、1890年 (明… 14代 藤井 伊右衛門(ふじい いうえもん、1890年 (明治23年)2月2日 - 1974年(昭和49年)5月8日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、長野市長。初名・邦太郎。 長野県上水内郡長野町西之門町(現長野市)で、醸造業・「吉野屋」の13代藤井伊右衛門の長男として生まれる。生家は紀伊国発祥で、慶長3年(1598年)に善光寺町に移住し、代々にわたり町年寄を務めた。 長野県立長野中学校を経て、1912年、大阪高等工業学校醸造科を卒業。1926年、家督を相続して14代藤井伊右衛門を襲名し吉野屋を継いだ。 1934年12月7日、長野市長に就任し、1937年5月23日まで在任。1942年4月の第21回衆議院議員総選挙で翼賛政治体制協議会の推薦を受け長野県第1区から出馬して当選。
春日 弘(かすが ひろむ、1885年(明治18年)8月8日 … 春日 弘(かすが ひろむ、1885年(明治18年)8月8日 - 1970年(昭和45年)9月12日)は、長野県下高井郡穂波村佐野(現・山ノ内町)出身の日本の実業家。 住友本社理事、取締役。住友金属工業初代社長。ダイキン工業初代会長。JOC日本オリンピック委員会委員。1964年東京オリンピック大会組織委員会委員及び同財務委員。日本陸上競技連盟2代目会長。ヘルシンキオリンピック大日本選手団総監督。ローマオリンピック日本選手団長。大阪府公安委員長。正四位勲二等瑞宝章。国際陸連IAAF功労賞。 長野県会議員(第1回県議選から第4回県議選)を務めた春日与市の長男の春日喜一郎の長男として生まれる。春日与市は、約12キロに及ぶ引き水工事である屏風堰を松代藩に一切費用を頼らず自己・有志資金のみで建造 した北信濃の名士で、その長男の春日喜一郎の代では、所有する田畑は60町歩(180000坪)、山林は現在の佐野の8割に達していた。
南沢 宇忠治(みなみざわ うちゅうじ、明治7年(1874年)… 南沢 宇忠治(みなみざわ うちゅうじ、明治7年(1874年)3月21日 - 昭和7年(1932年)4月6日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。 長野県更級郡石川村(現長野市)に旧松代藩士・南沢忠正の長男として生まれる。旧制長野県尋常中学、旧制第一高等中学を経て、明治34年(1901年)東京帝国大学工科大学電気工学科卒業。大倉組に入社したが、同38年(1905年)に日光電力に技師長として招聘され、その後は独立し 東京に八重洲商会を創立し、電気器具の販売の他、東京市電気局や東京電燈等各社の電気工事の請負を手掛けた。また藤田組と協力し、北安曇郡大町に明治水力電気を創立して重役となった。 大正6年(1917年)第13回衆議院議員総選挙に当選し、千曲川の堤防構築による治水問題に取り組んだ。
七沢 清助(ななさわ せいすけ、旧字体: 七澤 淸助、187… 七沢 清助(ななさわ せいすけ、旧字体: 七澤 淸助、1873年〈明治6年〉8月17日 - 1967年〈昭和42年〉2月28日)は、大正・昭和期に活動した日本の政治家、実業家である。長野県出身。旧姓は井口。 井口家から長野で菓子商「凮月堂」を営む七沢家に養子入り家業を継ぐ。長野市会議員(当選3回)や信濃電気支配人を務めたのち1934年(昭和9年)には第6代長野市長に選ばれた。晩年は長野信用金庫役員を長く務めた。 七沢清助は、1873年(明治6年)8月、長野県人・井口常治郎の次男として生まれた。出身地は長野県更級郡原村(後の中津村、現・長野市)。長野中学校を経て上京し東京物理学校で学んだのち、長野県に戻り北佐久郡志賀小学校で教諭となった。
小田切 磐太郎(おたぎり いわたろう、明治2年10月3日〈1… 小田切 磐太郎(おたぎり いわたろう、明治2年10月3日〈1869年11月6日〉 - 1945年〈昭和20年〉9月22日)は、明治後期から大正初期にかけての日本の内務官僚・官選県知事、昭和戦前期にかけての弁護士・政治家・実業家である。 現在の長野県須坂市の出身で、政界では衆議院議員(当選2回)、実業界では信濃電気の副社長や長野商工会議所会頭を務めた。 小田切磐太郎は、明治2年10月3日(新暦:1869年11月6日)、小田切豊太郎の長男として生まれた。父・豊太郎は長野県上高井郡須坂町、現在の須坂市の豪商小田切家(屋号は「東糀屋」)の一族で、3代目小田切新蔵の弟にあたる。1875年(明治8年)より須坂の地場産業である製糸業(山ヨ製糸所)を経営していた。