スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
森 吉弘(もり よしひろ、1967年7月2日 - )は、日本… 森 吉弘(もり よしひろ、1967年7月2日 - )は、日本の教育学者。帝京大学准教授。元NHKアナウンサー。 愛知県豊橋市出身。愛知県立時習館高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業。在学中に『森ゼミ』を立ち上げ、就職活動支援のアドバイスを行う。 1993年NHKにアナウンサーとして入局。ニュース番組のリポーターやスポーツ実況、番組制作など幅広く携わる。2008年にNHKを退職。 大阪産業大学経済学部客員教授、文京学院大学非常勤講師を経て、帝京大学総合教育センター特任准教授に就任した。 現在、高崎商科大学にて教授を勤めてもいる。
池上 俊一(いけがみ しゅんいち、1956年10月3日 - … 池上 俊一(いけがみ しゅんいち、1956年10月3日 - )は、日本の歴史学者、東京大学総合文化研究科教授。西洋中世史、特にトスカーナ地方の歴史が専門だが、魔女などについての著作が多い。
松井 茂記(まつい しげのり、1955年10月10日 - )… 松井 茂記(まつい しげのり、1955年10月10日 - ) は、日本の憲法学者。ブリティッシュコロンビア大学教授、大阪大学名誉教授。愛知県出身。
岩瀬 敏(いわせ さとし、1955年(昭和30年)6月20日… 岩瀬 敏(いわせ さとし、1955年(昭和30年)6月20日 - )は神経内科医、医学博士、宇宙医学者である。 豊橋市立豊城中学校、愛知県立時習館高等学校を経て1980年(昭和55年)に名古屋大学医学部を卒業。同大大学院医学研究科に学んだのち名古屋第二赤十字病院神経内科で勤務。1986年から名古屋大学環境医学研究所助手。1990年、スウェーデン王国イェーテボリ大学医学部に留学。1996年名古屋大学環境医学研究所助教授。2007年に愛知医科大学で生理学講座教授職につく。2021年より同大客員教授。 “宇宙総合学研究ユニットNEWS 2020年10月号”. 京都大学. 2024年5月3日閲覧。
土井 正男(どい まさお、1948年3月28日 - )は、日… 土井 正男(どい まさお、1948年3月28日 - )は、日本の物理学者。学位は、工学博士。 愛知県田原町(現在の田原市)出身。専門はソフトマター物理学、レオロジー、計算機材料設計など。北京航空航天大学教授。名古屋大学・東京大学名誉教授。元日本学術会議連携会員。中華人民共和国国務院千人計画に参加。
伊丹 敬之(いたみ ひろゆき、1945年3月16日 - )は… 伊丹 敬之(いたみ ひろゆき、1945年3月16日 - )は、日本の経営学者。一橋大学名誉教授、国際大学前学長、組織学会元会長。経営学分野初の文化功労者。 愛知県豊橋市生まれ。愛知県立時習館高等学校を経て、一橋大学商学部で宮川公男、今井賢一らの指導を受けた。カーネギーメロン大学経営大学院博士課程修了、経営学博士。スタンフォード大学経営大学院客員准教授、一橋大学商学部教授、INSEAD客員教授、ザンクトガレン大学客員教授等を歴任し、日本の経営学界において、日本企業の実証研究を第一世代として行った。東芝取締役、JFEホールィングス監査役、商船三井監査役等も務めた。紫綬褒章受章。日経・経済図書文化賞等受賞。
小川 晴久(おがわ はるひさ、1941年3月8日 - )は、… 小川 晴久(おがわ はるひさ、1941年3月8日 - )は、東洋思想学者、東京大学名誉教授、元二松學舍大学教授。NPO「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」名誉代表。 1941年(昭和16年、愛知県で生まれた。1959年に愛知県立時習館高等学校を卒業し、東京大学文学部に進学。東洋史学科で学び、1963年に卒業。同大学大学院人文科学研究科中国哲学専門課程で学び、1969年に博士課程を中退。 その後は東京女子大学助教授に就いた。1978年より韓国延世大学校国学研究所客員研究員を兼任。1980年、東京大学教養学部助教授に転じ、1988年に同大学教授昇格。2001年に東京大学を定年退官し、同大学名誉教授となった。
藤田 佳久(ふじた よしひさ、1940年(昭和15年)11月… 藤田 佳久(ふじた よしひさ、1940年(昭和15年)11月1日 - )は、日本の地理学者。愛知大学名誉教授。 1940年、愛知県豊橋市生まれ。愛知学芸大学学芸学部で学んだ後、名古屋大学大学院文学研究科へ進み、1967年(昭和42年)に博士課程中退。(後の1976年(昭和51年)「日本における育成林業地域の形成に関する研究」で東京教育大学理学博士号を取得している。) その後は名古屋大学教育学部附属高等学校教諭を務め、その後奈良大学助教授となる。愛知大学文学部助教授を経て、教授。2011年に定年退任し、名誉教授となる。近年は東亜同文書院大学について研究を続けている。
板倉 文忠(いたくら ふみただ、1940年8月6日 - )は… 板倉 文忠(いたくら ふみただ、1940年8月6日 - )は、日本の工学者。専門は情報通信工学。名古屋大学名誉教授。元電子情報通信学会副会長。紫綬褒章受章。愛知県豊川市出身。 専門は音声情報処理、デジタル信号処理。1967年自己回帰過程の漸近的最尤スペクトル推定による音声分析合成方式の発明、1969年偏自己相関係数 (PARCOR) 方式の発明、1973年最小予測残差による音声認識の提案、1975年線スペクトル対 (LSP) による音声分析合成方式の発明と携帯電話等への応用などの業績で知られる。 電子情報通信学会・日本音響学会から多数の論文賞、業績賞、功績賞を受賞。電子情報通信学会フェロー、名誉会員、IEEEフェロー。
稲垣 正浩(いながき まさひろ、1938年3月26日 - 2… 稲垣 正浩(いながき まさひろ、1938年3月26日 - 2016年2月6日)は、日本のスポーツ史学者。 大阪府富田林市生まれ。愛知県豊橋市で育ち、愛知県立時習館高等学校を卒業しており、愛知県出身と紹介されることもある。 東京教育大学体育学部を1960年に卒業して、専攻科に進み、さらに1962年に同大学院教育学研究科へ進学、1969年に博士課程を単位取得退学し、東京教育愛学教務補佐員となった。1974年から愛知教育大学助教授、1976年から大阪大学助教授を経て、1978年から奈良教育大学助教授、1984年から同教授となり、1997年まで在職した。その後、1997年に日本体育大学体育研究所教授、翌1998年に同大学院教授となった。
宮田 和明(みやた かずあき、1937年6月5日 - 201… 宮田 和明(みやた かずあき、1937年6月5日 - 2010年2月5日)は、日本の社会福祉学者。第5代日本福祉大学学長。 愛知県豊橋市出身。豊橋市立福岡小学校、豊橋市立南部中学校、愛知県立時習館高等学校を経て、1961年名古屋大学経済学部卒。1963年同大学院経済学研究科修士課程修了、1966年同博士課程単位取得満期退学。1998年「現代日本社会福祉政策論」で東洋大学より博士(社会福祉学)の学位を取得。名大経済学部助手、1969年日本福祉大学講師、1976年助教授、1983年教授、1991年社会福祉学部長、1993年副学長、2003-09年学長。名誉教授。
高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 19… 高柳 先男(たかやなぎ さきお、1937年4月3日 - 1999年7月16日)は、日本の政治学者。専門は国際政治学。元中央大学法学部教授。平和学研究で知られ、日本平和学会会長を務めた。 愛知県生まれ。1956年愛知県立時習館高等学校卒業。1960年中央大学法学部政治学科卒業、1963年同大学院法学研究科修士課程修了。1966年同大学院法学研究科博士課程中退(指導教授:小松春雄)。中央大学法学部助手、1969年同法学部助教授、1976年同法学部教授。1979年同大学院法学研究科教授。1981年エクス=マルセイユ大学客員教授。1985年社会科学高等研究院客員教授。1987年フランス国立科学研究センター客員教授。
影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年… 影山 健(かげやま けん、1930年8月1日 - 2016年6月16日)は、日本の体育学者、市民活動家。愛知教育大学名誉教授。 管理教育に反対し、様々な市民運動を牽引したことで知られる。学究生活のかたわら、名古屋オリンピック招致反対運動や愛知万博反対運動などにも深く関わった。 静岡県静岡市生まれ。師範学校の教師だった父親の異動に伴い、3歳で静岡市を離れ、福島県、長野県などを転々とした。福島県少年スキー大会で滑降3位を記録した。 6度目の引っ越しとなる16歳のときに愛知県に移住。豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)に入学。1951年(昭和26年)、岡崎高等師範学校卒業。1953年(昭和28年)3月、東京教育大学体育学部卒業。
大林 太良(おおばやし たりょう、1929年(昭和4年)5月… 大林 太良(おおばやし たりょう、1929年(昭和4年)5月10日 - 2001年(平成13年)4月12日)は日本の民族学者。東京大学名誉教授。従四位勲三等旭日中綬章。東京都生まれ、愛知県育ち。
山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年… 山口 恵一郎(やまぐち けいいちろう、1921年(大正10年)1月18日 - 1991年(平成3年)10月9日)は、日本の地理学者、地名研究家。 1921年(大正10年)1月18日、愛知県豊橋市に生まれる。旧制豊橋中学校卒業後、小学校教諭を務めるが、退職して上京。1942年(昭和17年)に法政大学高等師範部歴史地理科を卒業する。渡辺光に師事した。文科省図書局・教科書局を経て、1946年建設省国土地理院地図部研究員に勤務。地図部研究係長、技術院養成所(建設大学校)教官、同研究員などを歴任する。1960年からは国土地理院の代表として、海上保安庁水路部と共同で設立された「地名等の統ーに関する連絡協議会」の委員を勤めた。
中尾 佐助(なかお さすけ、1916年8月16日 - 199… 中尾 佐助(なかお さすけ、1916年8月16日 - 1993年11月20日)は、日本の植物学者。大阪府立大学名誉教授。専門は遺伝育種学、栽培植物学。ヒマラヤ山麓から中国西南部を経て西日本に至る「照葉樹林帯」における文化的共通性に着目した「照葉樹林文化論」を提唱した。
白井 永二(しらい えいじ、1915年〈大正4年〉12月10… 白井 永二(しらい えいじ、1915年〈大正4年〉12月10日 - 2008年〈平成20年〉1月1日)は、日本の民俗学者、神職。神社本庁総長、日本会議顧問、鶴岡八幡宮名誉宮司などを務めた。 愛知県豊橋市花田町西羽田に生まれる。1928年、豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。國學院大學国文科卒業。折口信夫に師事し祝詞を研究。鶴岡八幡宮宮司を務め、かたわら菅江真澄などの研究を行った。 1979年2月24日、国際勝共連合と自民党の国防関係国会議員が中心となり、「スパイ防止法制定促進国民会議」が設立された。呼びかけ人は木内信胤、朝比奈宗源、宇野精一、郷司浩平、宝井馬琴、三輪知雄の6人。サンケイ会館で設立発起人総会が開かれ、白井は発起人に名を連ねた。
近藤 恒次(こんどう つねじ、1910年8月22日 - 19… 近藤 恒次(こんどう つねじ、1910年8月22日 - 1978年8月16日)は、愛知県豊橋市中柴町出身の教育者・郷土史家。文学博士(東洋大学、1972年)。 1910年に豊橋市中柴町に生まれた。建具商である近藤宇一の長男であり、生家は大手通りから諏訪神社に曲がる角にあった。松山尋常小学校(現・豊橋市立松山小学校)、愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)を卒業。教員志望だったため、1928年(昭和3年)には東洋大学専門部倫理学東洋文学科に入学し、1931年(昭和6年)に卒業した。 1934年(昭和9年)に花田尋常小学校(現・豊橋市立花田小学校)代用教員となったのが教職の始まりである。豊橋市立商業学校(現・愛知県立豊橋商業高等学校)、豊橋市立工業学校(現・愛知県立豊橋工業高等学校)、愛知県立時習館高等学校の教員を務め、1971年(昭和46年)に時習館高校で定年を迎えた。
彦坂 忠義(ひこさか ただよし、1902年12月25日 - … 彦坂 忠義(ひこさか ただよし、1902年12月25日 - 1989年3月27日)は、日本の原子核物理学者。新潟大学名誉教授。愛知県渥美郡老津村(現・豊橋市)出身。理学博士(東北大学、1950年)。 長男は社会評論家、翻訳家、社会運動家の彦坂諦。四男は物理学者の彦坂正道。岳父(妻の父)は西洋史学者の阿刀田令造。 愛知県出身。旧制愛知県立第四中学校を経て、旧制第二高等学校を卒業後、1923年に東北帝国大学理学部物理学科に入学した。1926年に同大学を卒業し、当時の同大学教授高橋胖のもとで助手を務めた。1934年に原子核の内部構造を提唱し、当時広く考えられていたニールス・ボーアの液滴模型とは異なった今日殻模型と呼ばれるものに近い模型を発表したが、広く受け入れられることはなかった。
宮川 米次(みやかわ よねじ、1885年(明治18年)2月4… 宮川 米次(みやかわ よねじ、1885年(明治18年)2月4日 - 1959年(昭和34年)12月26日)は、日本の医学者、病理学者、細菌学者。東京帝国大学伝染病研究所所長を務め、伝染病・感染症の拡大防止、撲滅などに寄与した。号は「豊山」。 愛知県渥美郡豊岡村(現:豊橋市)で、今泉七作の四男として生まれる。愛知県第四中学校卒業後、福江町(現:田原市)の資産家・宮川家の養子となる。 その後、第六高等学校を経て、1910年(明治43年)に東京帝国大学医科大学卒業。1917年(大正6年)2月、医学博士の学位を取得。 1934年(昭和9年)から1940年(昭和15年)には、東京帝国大学伝染病研究所所長を務める。
佐野 裕志(さの ひろゆき)は、日本の法学者。専門は、民事訴… 佐野 裕志(さの ひろゆき)は、日本の法学者。専門は、民事訴訟法・法情報学等。鹿児島大学教授を経て、専修大学大学院法務研究科長・教授。元法務省司法試験考査委員。 愛知県立時習館高等学校を経て、1976年一橋大学法学部卒業。1978年一橋大学大学院法学研究科修士課程修了、法学修士。1981年一橋大学大学院法学研究科博士課程単位取得。指導教官は竹下守夫。 1981年鹿児島大学法文学部講師。1982年同助教授。文部省在外研究員としてフライブルク大学に留学後、1987年鹿児島大学法文学部教授及び鹿児島地方裁判所民事調停委員に就任。再び文部省在外研究員としてフライブルク大学に留学後、2003年から鹿児島家庭裁判所家事調停委員兼務。