スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
玉井 希絵(たまい きえ、1992年10月24日 - )は、… 玉井 希絵(たまい きえ、1992年10月24日 - )は、日本の女子ラグビーユニオン選手。パソナ社員。 小中高はバスケットをやっていて高校3年生の時、ラグビー部監督にラグビー協会のトライアウトに誘われて合格。ラグビーを始めた。 2011年、松阪高校卒業後、関西学院大学に入る。体育会ラグビー部に所属し、100名以上の男子部員に女子選手1人の環境で練習に励む。 関西学院大学卒業後、中学校英語教諭として働きながら女子ラグビーチーム三重パールズに入る。民間企業を経て、2019年にパソナ入社。 2019年7月13日に行われた女子オーストラリア遠征女子オーストラリア代表戦にて先発出場で女子日本代表初キャップを獲得した。
新田 雄史(にった ゆうし、1985年2月19日 - )は、… 新田 雄史(にった ゆうし、1985年2月19日 - )は、三重県松阪市出身の競艇選手。登録番号4344。身長169cm。血液型B型。96期。師匠は井口佳典(登録番号4024)、同期に平本真之、魚谷香織、篠崎元志らがいる。
一色 克美(いっしき かつみ、1974年11月18日 - )… 一色 克美(いっしき かつみ、1974年11月18日 - )は、三重テレビ放送のアナウンサー。
竹内 克(たけうち かつ、1973年1月12日 - )は、日… 竹内 克(たけうち かつ、1973年1月12日 - )は、日本のラグビー指導者。元ラグビー選手。三重県出身。 ラグビーは高校から始めた。 松阪高校卒業後、ニュージーランドへ渡って10年間ノーストン・ユナイテッドPFCでプレーした。 1999年、New Zealand Institute of Sport (NZIS)に入社。2009年、ニュージーランドラグビーリンクス社を設立。 その後、ウェリントン・ウエスト・ロースターズ・U18日本代表などのコーチを経て、2016年、U20日本代表のバックスコーチに就任。 2018年、NTTドコモレッドハリケーンズのアシスタントコーチに就任。
松井 明子(まつい あきこ、1969年6月3日 - )は、三… 松井 明子(まつい あきこ、1969年6月3日 - )は、三重県松阪市出身の元女子競輪選手。現役時代は日本競輪選手会愛知支部所属、ホームバンクは名古屋競輪場。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第102期生。旧姓は尾上。 松阪高校出身、岡山大学中退。母親が松阪競輪場に勤めていた影響で幼い頃から競輪選手に対して憧れがあり、社会人となってからロードレースおよびトラックレースを趣味としていた。女子競輪が始まるというニュースを聞き、1度だけのチャレンジのつもりで競輪学校を受験したという。 2011年2月25日、競輪学校第102回技能試験に合格。在校競走成績は16位(3勝)。 2012年7月6日、当時は旧姓である尾上明子の登録名にて京王閣競輪場でデビューし5着。
井土 紀州(いづち きしゅう、1968年4月 - )は日本… 井土 紀州(いづち きしゅう、1968年4月 - )は日本の映画監督・脚本家。 1968年(昭和43年)、三重県北牟婁郡海山町(現・紀北町海山区)生まれ。三重県立松阪高等学校、法政大学文学部卒業。大学在学中に上映団体「シアター・ゼロ」に所属、さまざまな映画上映の企画運営に関わる。大学卒業後は、アテネ・フランセ文化センターで映写技師として働きながら、キュレーターだった安井豊に師事し、企画運営にも携わる。1993年、新しい映画作家を特集した「新・日本作家主義列伝」という企画で、ピンク四天王(瀬々敬久、佐野和宏、サトウトシキ、佐藤寿保)や河瀬直美らの紹介に関わった。 1992年、法政大学在学中に松阪高校時代からの仲間である吉岡文平と『第一アパート』を製作、東京学生映画祭において崔洋一に絶賛され、特別賞を受賞。
吉岡 文平(よしおか ぶんぺい、1968年 - )は京都府出… 吉岡 文平(よしおか ぶんぺい、1968年 - )は京都府出身の映画プロデューサー。スピリチュアル・ムービーズ代表。 松阪高校在学時より井土紀州と知り合う。法政大学進学後、8mmによる自主映画制作を開始。1992年、井土紀州と共同監督・主演で『第一アパート』を製作、東京学生映画祭で上映され、崔洋一・青山真治などに絶賛される。『百年の絶唱』(井土紀州監督、1998年)においては、製作・上映、全ての工程をプロデュースする側にまわり、同作を異例のロングランヒットに導く。『百年の絶唱』製作時よりスピリチュアル・ムービーズを形成し、2005年には『LEFT ALONE』、2007年には『ラザロ-LAZARUSー』を打ち出す。
岡野 八代(おかの やよ、1967年 - )は、日本の政治学… 岡野 八代(おかの やよ、1967年 - )は、日本の政治学者。専門は政治思想、フェミニズム理論。同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。 三重県松阪市出身。三重県立松阪高等学校、早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。同大学院政治学研究科修士課程修了。藤原保信に師事。トロント大学大学院博士課程留学を経て、大阪市立大学大学院法学研究科博士課程退学。2010年、論文「フェミニズム理論による政治思想批判:「ケアの倫理」再考」にて早稲田大学より博士(政治学)の学位を取得。 立命館大学法学部助教授・教授を経て、2010年から同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科(アメリカ研究クラスター)博士後期課程教授。
濱口 誠(はまぐち まこと、1965年〈昭和40年〉5月18… 濱口 誠(はまぐち まこと、1965年〈昭和40年〉5月18日 - )は、日本の政治家。国民民主党所属の参議院議員(2期)。国民民主党政務調査会長。参議院経済産業委員長。全日本自動車産業労働組合総連合会(自動車総連)組織内議員。 三重県松阪市生まれ。両親は漁業を営んでいた。三重県立松阪高等学校卒業。1988年、筑波大学第三学群社会工学類を卒業後、トヨタ自動車に入社。1996年、全トヨタ労連の専従職員となる。2010年にトヨタ自動車に職場復帰し、2013年からはインドネシアのトヨタアストラ自動車販売株式会社に出向。2015年、自動車総連特別中央執行委員に就任。 2016年、引退を表明した直嶋正行の後継候補として、第24回参議院議員通常選挙に比例区から民進党公認で立候補。
田村 憲久(たむら のりひさ、1964年〈昭和39年〉12月… 田村 憲久(たむら のりひさ、1964年〈昭和39年〉12月15日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)、自由民主党政務調査会長代行、自由民主党三重県支部連合会会長。 厚生労働大臣(第16・23代)、働き方改革担当大臣、総務副大臣(第1次安倍内閣)、文部科学大臣政務官(第1次小泉第2次改造内閣・第2次小泉内閣)、厚生労働大臣政務官(第1次小泉内閣)、衆議院厚生労働委員長、裁判官訴追委員会委員長、自民党副幹事長等を歴任した。 衆議院議長を務めた田村元(伯父)の地盤を引き継いで、1996年の衆院選で初当選。以後、連続11期当選。 三重県松阪市生まれ(現住所は同市船江町)。田村憲司の二男。
石原 壮一郎(いしはら そういちろう、1963年3月12日 … 石原 壮一郎(いしはら そういちろう、1963年3月12日 - )は、日本のコラムニスト。三重県出身。 三重県立松阪高等学校を経て1986年、埼玉大学教養学部卒業。 大学時代にミニコミ誌のサークルを結成した。このサークルで作成した『埼玉ラブホテルガイド』は2000部ほどの売り上げを記録し、2冊目も発行された。 雑誌の取材を受けるなどミニコミが評判になったことなどをきっかけに、月刊誌『QA』(平凡社)の編集者となる。 その後、月刊誌『ID-JAPAN』創刊に関わるが、永遠の若者文化を称揚するような雑誌の方針に違和感を覚え、1992年に「大人養成講座」というページを作成。それが「大人モノ」を始めるきっかけとなった。
竹内 秀樹 (たけうち ひでき、1961年8月29日 - )… 竹内 秀樹 (たけうち ひでき、1961年8月29日 - )は、日本の実業家。クラギ株式会社代表取締役社長。 三重県松阪市に生まれる。三重県立松阪高等学校を経て大阪経済大学経営学部卒業後、クラギに入社した。1997年、14代目社長に就任した。 社長就任後、店舗数を倍増。競合他社との差別化として「社内教育を徹底し、スタッフの育成、接客力、商品知識、高齢者への配達などの心配り、農業アドバイザーとしての資格授与など、単なる販売だけではなくお得意先への心配り」を実践していると述べている。
大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )… 大辻 隆弘(おおつじ たかひろ、1960年8月25日 - )は、日本の歌人、文芸評論家。現代歌人協会会員、現代歌人集会理事、日本文藝家協会会員、中部日本歌人会副委員長、一般社団法人未来短歌会理事長・歌誌「未来」編集発行人・選者、同人誌「レ・パピエ・シアン・Ⅱ」代表、元皇學館大学講師。元津西高等学校教員。宮中歌会始選者。現津東高等学校教員。 三重県松阪市稲木町に生まれ、松阪市に在住。三重県立松阪高等学校卒業後、1979年4月、龍谷大学文学部哲学科に入学。大学院時代に、NHKの短歌番組をきっかけに作歌を始める。1985年3月、龍谷大学大学院文学研究科(哲学)を修了。翌1986年、未来短歌会に入会し、岡井隆に師事した。
東長 靖(とうなが やすし、1960年6月4日 - )は、日… 東長 靖(とうなが やすし、1960年6月4日 - )は、日本のイスラーム学者。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授。 1960年、三重県生まれ。1979年三重県立松阪高等学校を卒業。東京大学文学部で学び、1984年に卒業。東京大学大学院人文科学研究科(宗教学宗教史学)に進み、1989年に博士課程を満期退学し、東京大学文学部助手となった。 1992年、東洋大学文学部専任講師に就いた。1997年に助教授昇進。1998年からは京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科助教授、2010年に教授昇格。2010年、学位論文『イスラームにおける神秘主義哲学と聖者信仰 スーフィズムの包括的理解の試み』を京都大学に提出して博士(地域研究)号を取得。
藤岡 和美(ふじおか かずみ、男性、1946年6月20日 -… 藤岡 和美(ふじおか かずみ、男性、1946年6月20日 - )は、日本の政治家。元三重県久居市(現・津市)長(2期)。旭日双光章受章。 三重県一志郡久居町(のち久居市)出身。三重県立松阪高等学校を経て、1969年、日本大学法学部卒。同年三重県庁に入り、県教育委員会教職員課課長補佐、人事課長となり、1995年退職。翌年2月11日の久居市長選挙で無投票当選した。2000年2月6日に無投票で再選を果たした。2001年に市長を辞職し、同年の参議院議員選挙において三重県選挙区から自由民主党公認で立候補したが落選した。その後、2005年に久居市議会議員選挙に立候補して当選する。同年NPO法人市民風車夢の風理事長に就任。
丸林 久信(まるばやし ひさのぶ、1917年11月17日 -… 丸林 久信(まるばやし ひさのぶ、1917年11月17日 - 1999年)は、日本の映画監督、脚本家、映画プロデューサー、演出家、文筆家である。脚本家としての筆名に栄町 はじめ(さかえまち はじめ)がある。日本映画監督協会元会員、日本放送作家協会会員、日本脚本家連盟信託者。専修大学文学部講師、シナリオ・センター講師を歴任した。黒澤明の『生きる』、『生きものの記録』でチーフ助監督を務めたことでも知られる。 1917年(大正6年)11月17日、三重県多気郡下御糸村(現在の同県同郡明和町)に生まれる。のちに三重県立松阪高等学校の教諭を務めた丸林勝人(1921年 - 2010年)は実弟。 1937年(昭和12年)3月、早稲田第二高等学院(現在の早稲田大学高等学院)を卒業、同年4月には旧制早稲田大学文学部国文科(現在の早稲田大学文学部日本語日本文学コース)に進学、当時の恩師に河竹繁俊(1889年 - 1967年)がいた。
須賀 彦次郎(すが ひこじろう、1889年〈明治22年〉3月… 須賀 彦次郎(すが ひこじろう、1889年〈明治22年〉3月4日 - 1941年〈昭和16年〉2月5日)は、日本の海軍軍人。海軍の中国専門家。最終階級は海軍中将。位階勲等は従四位勲二等。三重県飯南郡松阪町(現・松阪市)出身。 旧制三重県立松阪中学校を経て海軍兵学校第38期入校。入校時成績順位は150名中4番、卒業時成績順位は149名中54番。津田静枝、佐藤脩に続き、日本海軍が養成した中国関係の専門家である。尉官時代は水雷屋で「葦」駆逐艦長在職中は美保関事件に遭遇。部下28名が殉職した。 河川砲艦「堅田」艦長着任後は殆ど中国関係の勤務に限定された。情報活動に携わったが、中国人協力者の信頼が厚く、国民党政権が重慶に移ってからも、須賀のもとには重慶からの情報が絶えずもたらされていた。
甘粕 春吉(あまかす はるきち、生没年不詳)は、明治から大… 甘粕 春吉(あまかす はるきち、生没年不詳)は、明治から大正期にかけての日本の内務官僚、警察官。旧米沢藩士。三重県桑名郡長、飯南郡長、鈴鹿郡長を歴任。 飯南郡長在任中には、女子教育の振興を目指して飯南郡立飯南女学校(現・三重県立松阪高等学校)を創設したほか、国学者・本居宣長の旧宅「鈴屋」の保存事業(鈴屋遺蹟保存会)、飯南郡図書館(現・松阪市立松阪図書館)の設立を主導するなど、地域の教育・文化基盤の整備に多大な功績を残した。 長男は陸軍憲兵大尉、満洲映画協会理事長の甘粕正彦。 春吉は、出羽国米沢(現在の山形県米沢市)出身。戦国武将・甘粕長重(景持)の末裔とされる旧米沢藩士の家系に生まれる。 明治中期、宮城県警察部にて警部を務め、1891年(明治24年)当時は仙台市北三番丁に居住していた。