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岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4… 岩瀬 勝輔(いわせ かつすけ、1921年(大正10年)8月4日 - 1942年(昭和17年)5月31日)は、日本の海軍軍人。特殊潜航艇「甲標的」艇長としてマダガスカル攻撃に参加し、戦死。二階級特進により最終階級は海軍大尉。 香川県綾歌郡山田村出身。税務署職員であった父が勤務していた愛媛県松山市に生まれる。四人兄弟妹の次男であった。岩瀬は父の転勤により、小中学校で三度の転校を経験した。入学した中学は滋賀県立膳所中学で、徳島県立池田中学に転入し、1938年(昭和13年)、中学4年で陸軍士官学校と海軍兵学校に合格した。海兵進学を選択し、1941年(昭和16年)3月に卒業した。岩瀬は海兵69期生で、このクラスは343名の同期生中223名が戦死している。
上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年〈明治25年〉10月… 上阪 香苗(こうさか かなえ、1892年〈明治25年〉10月8日 - 1974年〈昭和49年〉12月10日)は、日本の海軍軍人。最終階級は海軍少将。滋賀県大津市出身。 旧制滋賀県立膳所中学校より海軍兵学校第43期入校。当時の海軍兵学校は受験を3度までしか認めておらず、上阪は兵学校の受験に2度失敗し、最後の受験で入校が認められた。海軍砲術学校高等科卒業後は砲術畑を歩んだが、大佐進級後は航空に移った点で、戸塚道太郎海軍中将や同期生の有馬正文海軍中将と似た経歴をたどる。太平洋戦争中は一時的に航空戦隊司令官を務めた以外は、一貫して航空本部補職が続いた。 練習航海で同じ艦に乗組んだ同期生の高木惣吉海軍少将は、死去するまで大親友だった。
山内 正文(やまうち まさふみ、1891年(明治24年)10… 山内 正文(やまうち まさふみ、1891年(明治24年)10月8日 - 1944年(昭和19年)8月6日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は中将。旧姓・秋山。 滋賀県出身。裁判官・秋山正義の息子として生まれる。膳所中学校を経て、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同期に青木重誠、武藤章、富永恭次、佐藤幸徳、田中新一、山崎保代らがいる。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第60連隊付となる。 1924年(大正13年)11月、陸軍大学校(36期)を卒業。綾部橘樹、有末精三、斎藤義次、小畑信良らが同期。陸軍きっての逸材と評されたが、中学出身であるため傍流とみなされていた[要出典]。1925年(大正14年)3月、歩兵第39連隊中隊長に就任。
菅 晴次(かん はるじ、1891年(明治24年)2月28日 … 菅 晴次(かん はるじ、1891年(明治24年)2月28日 - 1985年(昭和60年)4月20日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。旧姓は石塚。評論家の菅孝行は息子。 滋賀県の没落農家に生まれる。滋賀県立膳所中学校を経て、1913年(大正2年)5月26日、陸軍士官学校(25期)を卒業。士官学校の教官だった菅孝の養子となり石塚姓から改姓する。同年12月25日、陸軍砲兵少尉に任官。1916年(大正5年)11月30日、陸軍砲工学校高等科を首席で卒業し、東京帝国大学工学部造兵学科に派遣された。1920年代後半からフランスの軍需工場に5年派遣されてフランス語を習得する。 1936年(昭和11年)8月1日陸軍砲兵大佐に昇格すると共に陸軍造兵廠東京砲兵工廠精機製造所長に就任、同年12月1日陸軍省兵器局鉄砲課長となり、1939年(昭和14年)3月9日陸軍少将・陸軍省兵器局長兼大本営野戦兵器長官に就任した。
原田 宇一郎(はらだ ういちろう、1890年(明治23年)1… 原田 宇一郎(はらだ ういちろう、1890年(明治23年)10月16日 - 1973年(昭和48年)2月3日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。 滋賀県出身。原田宇之助の長男として生れる。膳所中学校卒業後、1913年(大正2年)5月、陸軍士官学校(25期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官し歩兵第66連隊付となる。1919年(大正8年)11月から翌年10月まで、シベリア出兵に出征。1925年(大正14年)11月、陸軍大学校(37期)を優等で卒業し歩兵第15連隊中隊長に就任した。 1926年(大正15年)12月、陸軍省軍務局付勤務となり、軍務局課員を経て、1928年(昭和3年)8月、歩兵少佐に昇進し歩兵第61連隊付となる。
喜多 誠一(きた せいいち、1886年〈明治19年〉12月2… 喜多 誠一(きた せいいち、1886年〈明治19年〉12月20日 - 1947年〈昭和22年〉8月7日)は、日本の陸軍軍人。陸士19期・陸大31期。最終階級は陸軍大将、栄典は正三位[要出典]勲一等功四級。 滋賀県出身。喜多三郎の子として生まれる。滋賀二中(現・滋賀県立膳所高等学校)を経て、1907年(明治40年)5月、陸軍士官学校(19期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官し歩兵第36連隊付となる。天津駐屯歩兵隊付などを経て、1919年(大正8年)11月、陸軍大学校(31期)を卒業した。 1920年(大正9年)2月、歩兵第68連隊中隊長となり、参謀本部付勤務、参謀本部員、参謀本部付(支那駐在)、歩兵第19連隊大隊長などを歴任。