スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
橘 あんり(たちばな あんり、Anri Tachibana、… 橘 あんり(たちばな あんり、Anri Tachibana、1987年7月10日 - )は、日本の女優、声優。京都府京都市出身。身長156cm。血液型A型。 京都府立鴨沂高等学校を卒業後、2008年劇団青年座入団。 青年座主催の舞台をはじめ、他劇団の舞台や、ミュージカル・テレビドラマ・映画などにも出演。吹き替えやアニメで声優としても活動している。 2010年、スピードラーニング主催のブロードウェイドリームで優勝し、NYへ3ヶ月留学。 2019年6月よりコミュニティラジオ局の東京府中FM(ラジオフチューズ)理事を務め、自身も出演番組を持ち、声優が出演する番組を多く制作・放送している。 太字はメインキャラクター。
加茂 さくら(かも さくら、1937年7月16日 - 202… 加茂 さくら(かも さくら、1937年7月16日 - 2024年12月21日)は、日本の女優。東京市(現:東京都港区)出身、京都府育ち。本名・大谷 照子(おおたに てるこ)、公称身長160cm。血液型A型。宝塚時代の愛称は本名の照子よりテル(ちゃん)。 東京市麻布区飯倉町(現:東京都港区飯倉)生まれ。小学2年生から疎開先の静岡県熱海市で、中学からは父親の転勤先の京都府京都市で育つ。京都府立鴨沂高等学校中退。 1955年に宝塚歌劇団に花組公演『春の踊り』で入団。宝塚入団時の成績は36人中20位。42期生。1956年、花組配属。1961年から1968年まで主に主演娘役として(主に雪組の明石照子や眞帆志ぶきの相手役)、声楽専科組替えを経て1971年に退団するまで活躍した。
団 令子(だん れいこ、1935年〈昭和10年〉3月26日 … 団 令子(だん れいこ、1935年〈昭和10年〉3月26日 - 2003年〈平成15年〉11月24日)は、日本の女優。京都府出身。長男は同じく俳優の団優太。京都府立鴨沂高等学校卒業。 1956年、ミス日本コンテスト「ミス着物」に選ばれる。これがきっかけとなり東宝のプロデューサー藤本真澄から映画界へと誘われる。 1957年に東宝へ入社。芸名は藤本真澄が作曲家の團伊玖磨から取って名付けた。 1959年より始まった「お姐ちゃんシリーズ」で健康的な現代娘をコミカルに演じて、人気を得る。同時期の映画では、中島そのみ、重山規子と共演することが多かった。また、クレージーキャッツ主演のクレージー映画シリーズにおいては、初期マドンナとして多数の作品に出演する。
山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - … 山本 富士子(やまもと ふじこ、1931年12月11日 - )は、日本の女優。本名は同じ。愛称はお富士さん。身長159 cm。日本のミス・コンテストでも最も古い歴史を持つ「ミス日本」の初代優勝者である。 1931年(昭和6年)、大阪市西区立売堀(いたちぼり)生まれ。母は船場の綿花問屋山重の主人の長女。少女時代、花柳禄寿門下の花柳禄之助について日本舞踊を習う。自宅が進駐軍に接収されたため引越し、大阪府立大津高女(現・大阪府立泉大津高等学校)から京都府立第一高女(現・京都府立鴨沂高等学校)に転入し、1949年(昭和24年)卒業。 1950年(昭和25年)、読売新聞社・中部日本新聞社・西日本新聞社が主催し、700人近い応募者があった第一回ミス日本において、満場一致でミス日本の栄冠に輝いた。
森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - … 森 光子(もり みつこ、1920年〈大正9年〉5月9日 - 2012年〈平成24年〉11月10日)は、日本の女優、歌手、マルチタレント、司会者。日本俳優連合名誉副会長、第6代日本喜劇人協会会長、フジテレビジョン番組審議会名誉顧問。国民栄誉賞受賞。栄典は従三位・勲三等瑞宝章・紫綬褒章・文化功労者・文化勲章。東京都名誉都民・京都市市民栄誉賞・京都名誉観光大使。 1920年、京都府京都市出身。京都府立第一高等女学校(現・京都府立鴨沂高等学校)中退。俳優の嵐寛寿郎の従妹である。長らく「寛寿郎の姪で1923年生まれ」としていたが、1984年の紫綬褒章受章にあたり事実を公表し、訂正している。芸名は嵐の母(伯母)から、女優の森静子と伯母の旧姓・森端にちなんで「森」、本名の美津より「光子」とつけられたことによる。