スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
橋本 英郎(はしもと ひでお、1979年5月21日 - )は… 橋本 英郎(はしもと ひでお、1979年5月21日 - )は、大阪府大阪市阿倍野区出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、実業家。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。大阪市立大学経済学部卒業。 株式会社BorderLeSS代表取締役兼CCO。 3人きょうだいの末っ子として生まれ、6歳年上の兄がサッカーをしていた影響で幼稚園の頃から公園で一緒にボールを蹴っていた。小学校1年から自身も地元の街クラブ・大阪スポーツマンクラブ(大阪SC)に入団してサッカーを始める。9番をつけた攻撃の選手で主将でもあり、チームではお山の大将だった。小学6年の時点で進学する中学にサッカー部がないことが分かっていたため、兄も中学時にプレーした釜本邦茂のチーム「釜本FC」に入ることにした。
犬塚 力(いぬづか りき、1959年4月15日 - )は日本… 犬塚 力(いぬづか りき、1959年4月15日 - )は日本の実業家。トヨタファイナンシャルサービス代表取締役社長、中部国際空港代表取締役社長を経て、同社相談役、名古屋フィルハーモニー交響楽団理事長、トヨタ財団会長、あいおいニッセイ同和損害保険取締役。 大阪府大阪市出身。大阪府立天王寺高等学校を経て、1982年京都大学法学部卒業、トヨタ自動車工業(現トヨタ自動車)入社。長く人事を担当し、2006年人材開発部部長に就任。2009年人事部部長。同年総合企画部部長。2011年常務役員調査部統括。2013年常務役員商品・事業企画部統括、第1トヨタ企画部統括。 2015年からトヨタファイナンシャルサービス代表取締役社長を務め、トヨタインシュランスマネジメントソリューションズUSA, LLCの設立などを行った。
小野 直樹(おの なおき、1957年1月14日 - )は、日… 小野 直樹(おの なおき、1957年1月14日 - )は、日本の実業家。 愛知県名古屋市出身。1979年京都大学工学部卒業後、三菱鉱業セメント(現在の三菱マテリアルおよびUBE三菱セメント)入社。 三菱マテリアルの常務、副社長等を経て、2018年代表取締役社長、2019年指名委員会等設置会社に移行し、取締役代表執行役社長。社長就任後は月1回、社員向けに音声配信を行っており、匿名で送られた様々な質問に答えている。 2022年から、UBE三菱セメントの取締役(非常勤)を兼任。 座右の銘は「千思万考」。 サッカー日本代表元監督の岡田武史は大阪府立天王寺高等学校時代の同級生。
福岡智彦(ふくおか ともひこ、1954年10月29日 - )… 福岡智彦(ふくおか ともひこ、1954年10月29日 - )は、日本の音楽プロデューサー、実業家。大阪府出身。「福岡知彦」の名義を使用することもある。妻は歌手の太田裕美。太田との間に息子が2人いる。
岩根 茂樹(いわね しげき、1953年5月27日 - )は、… 岩根 茂樹(いわね しげき、1953年5月27日 - )は、日本の経営者。元関西電力社長、元電気事業連合会会長。 森山栄治(元部落解放同盟福井県連合会書記長)との間の金品受領・便宜供与問題で、関西電力社長を引責辞任し、善管注意義務違反により損害を与えたとして、関西電力から総額19億円を超える損害賠償請求訴訟を受けた。 大阪府富田林市在住。 大阪府出身。1972年大阪府立天王寺高等学校卒業、1976年京都大学法学部卒業、関西電力入社。美浜原子力発電所3号機事故後の2005年に原子力保全改革推進室長となり、再発防止策のとりまとめなどで頭角を表し、2007年に執行役員(従業員)企画室長となる。2010年常務取締役、2012年副社長。
岡野 雅夫(おかの まさお、1953年4月25日 - )は、… 岡野 雅夫(おかの まさお、1953年4月25日 - )は、京都府宮津市出身の日本の実業家。大阪サッカークラブ株式会社(セレッソ大阪)元代表取締役社長。Jリーグ理事。 大阪府立天王寺高等学校、早稲田大学卒業。1978年3月、ヤンマーディーゼル株式会社入社。ヤンマードリームエージェンシー取締役社長、ヤンマーエネルギーシステム支店長、ヤンマー本社ブランドマネジメント部長を歴任。2012年1月に大阪サッカークラブ株式会社代表取締役社長に就任。 13年3月にJリーグ理事に就任した岡野は、近年のリーグ問題点であったスポンサー離れや視聴率低迷の解決策として打ち出された「2ステージ制及びプレーオフの復活」に懐疑的であった。
谷所 敬(たにしょ たかし、1948年2月26日 - )は、… 谷所 敬(たにしょ たかし、1948年2月26日 - )は、日本の経営者。日立造船(現:カナデビア)社長、会長を務めた。大阪府出身。 天王寺高等学校、京都大学工学部数理工学科をへて、1973年に京都大学大学院を修了し、同年に日立造船に入社した。2010年に取締役に就任し、2012年に常務を経て、2013年4月に社長に就任。後に会長も兼任し、2020年4月には会長に専任。
町田 勝彦(まちだ かつひこ、1943年6月22日 -)は、… 町田 勝彦(まちだ かつひこ、1943年6月22日 -)は、日本の実業家。営業畑出身で姻族継承者。前・シャープ社長、2007年4月から会長。2012年4月から相談役。二代目社長・佐伯旭は岳父。佐伯旭は娘の結婚に反対したが、知人の説得により町田勝彦と結婚を認めた。 最初の夫人(佐伯旭の娘)は病気により50代にて他界している。現在は再婚し、京都市内に住んでいる。 1943年(昭和18年)6月22日、大阪府で誕生。大阪府立天王寺高等学校卒業、京都大学農学部に進学。在学中スキー部主将を務めた。 1969年(昭和44年)、早川電機工業(翌年シャープに社名変更)に入社。営業畑を歩み、1987年(昭和62年)に取締役、1990年(平成2年)に常務取締役、1992年(平成4年)には代表取締役専務取締役に就任し、1998年(平成10年)には、代表取締役社長に就任する。
泉井 純一(いずい じゅんいち、1936年(昭和11年)11… 泉井 純一(いずい じゅんいち、1936年(昭和11年)11月5日 - 2024年(令和6年))は、日本の実業家。元泉井石油商会代表。大阪府大阪市出身。 大阪府大阪市出身。大阪府立天王寺高等学校、早稲田大学政経学部卒業。宝酒造に入社するが、家業を継ぐために退社し、27歳の頃に大阪にてガソリンスタンドの経営に成功。急速に経営を拡大する。 しかし、1995年に大阪国税局の査察が入り、1996年末には東京地検特捜部の捜査が開始される。国税当局によると、1992年から1994年にかけて、三井鉱山から24億円、三菱石油と三井鉱山の石油取引きの仲介手数料名目として30億円、三菱石油と中堅商者の石油取引きの仲介手数料名目で10億円の総額約64億円の資金提供を受け、政官界への接待や賄賂に使っていたとされる(泉井事件)。
内藤 千百里(ないとう ちもり、1923年6月10日 - 2… 内藤 千百里(ないとう ちもり、1923年6月10日 - 2018年1月27日)は、日本の経営者。元関西電力(関電)代表取締役副社長。旧姓は竹内。 大阪府出身。天王寺中学校、旧制松江高等学校を経て、1947年、京都帝国大学経済学部卒業と同時に関電前身の関西配電に入社。1962年に芦原義重社長の秘書になり、政財界とのパイプ役を約30年間務めた。1970年に芦原は会長に退き、さらに相談役名誉会長に退いたが、その後も腹心であった内藤を用いて社内に強い影響力を持った。ところが、1986年に『朝日ジャーナル』誌で連載されていた「企業探検」で関電が取り上げられ、その一種恐怖支配とも取れるワンマンぶりが公となった(なお、この記事を執筆したのは当時龍谷大学教授だった奥村宏であった)。
上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2… 上山 善紀(うえやま よしのり、1914年9月21日 - 2009年8月25日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)元社長(大阪電気軌道創業から10代目)・会長、近鉄グループの元代表者。
木下 昌雄(きのした まさお、1914年 <大正3年> 7月… 木下 昌雄(きのした まさお、1914年 <大正3年> 7月3日 - 1995年 <平成7年> 7月19日)は、日本の経営者、工学博士。日立造船社長を務めた。位階は正四位。運動生理学者・木下東作の次男。兄は動物生理学者の木下治雄。妻・敦子は東京都知事・日本赤十字社社長を務めた東龍太郎の長女。 大阪府出身。1937年に東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業。海軍造船大尉を経て、1940年に東京帝国大学工学部助教授に就任し、1946年に鉄道技術研究所での勤務を経て、1949年に日立造船に入社。1964年11月に取締役に就任し、1967年11月に常務を経て、1973年11月に副社長に就任し、1979年6月に社長に昇格。
八村 信三(はちむら のぶぞう、1908年〈明治41年〉12… 八村 信三(はちむら のぶぞう、1908年〈明治41年〉12月29日 - 1990年〈平成2年〉6月2日)は、日本の実業家。鳥取銀行元頭取。鳥取ガス元監査役。鳥取商工会議所元会頭。鳥取県経済同友会元代表幹事(東部)。旧姓・山田。位階は正五位。 大阪府布施市(現:東大阪市)の素封家・山田勝太郎の次男として生まれる。大阪府立天王寺中学校 、静岡高等学校を経て、1934年(昭和9年)東京帝国大学経済学部を卒業。 1934年(昭和9年)7月、鳥取市の素封家・八村八太郎の養嗣子となる。 1936年(昭和11年)鳥取市収入役となり、同市助役を経て、1944年(昭和19年)退任。1949年(昭和24年)鳥取銀行常務、1959年(昭和34年)専務、1961年(昭和36年)副頭取を経て、同年11月頭取に就任。
杉村 正三郎(すぎむら しょうざぶろう、1907年8月16日… 杉村 正三郎(すぎむら しょうざぶろう、1907年8月16日 - 2000年7月3日)は、日本の会社役員、サッカー選手。 父は杉村倉庫創業者の杉村正太郎、兄は上智大学教授などを務めた野村正二郎であり、大阪商工会議所初代会頭の五代友厚が母方の祖父に当たる。 旧制大阪府立天王寺中学校(現・大阪府立天王寺高等学校)を経て早稲田高等学院に進学。早稲田高等学院3年次の1927年に上海で開催された第7回極東選手権競技大会のサッカー日本代表に選出されたが出場機会は無かった。同年9月14日に平壌での崇実専門学校との親善試合で代表初出場を果たした。 早稲田高等学院卒業後は早稲田大学理工学部電気工学科に進学。ア式蹴球部に所属し、在学中の1930年5月開催の第9回極東選手権大会の日本代表に選出されるも第8回大会同様に出場機会は無かった。
村上 実(旧字体表記:村上 實、むらかみ みのる、1906年… 村上 実(旧字体表記:村上 實、むらかみ みのる、1906年8月12日 - 1999年5月4日)は、兵庫県出身のプロ野球監督、実業家。 小学校時代の友人に、関西大学野球部監督、大阪タイガース二軍監督などを歴任する森田忠勇がいる。旧制天王寺中学で三塁手を務める。 慶應義塾大学野球部マネージャを経て、1932年にに阪神急行電鉄(現:阪急阪神ホールディングス・阪急電鉄)に入社する。1936年にはプロ野球球団阪急軍の創設に尽力する。球団代表に就任して25年間球団経営に携わった。 1937年には、秋季シーズンの監督を務める。初代阪急軍の監督である三宅大輔がこのシーズンも指揮を執るはずであったが、三宅の一切の妥協を許さぬ厳格な姿勢が選手達からの猛反発を受けてしまい、三宅は解任に追い込まれたために4試合目からの途中就任であった。
佐島 敬愛(さじま よしなり、1904年〈明治37年〉2月2… 佐島 敬愛(さじま よしなり、1904年〈明治37年〉2月23日 - 1990年〈平成2年〉7月20日)は、日本の実業家。日本の民族学の初期を第16代日本銀行総裁の渋沢敬三とともに資金的に支えた。また、大日本帝国陸軍と国策を動かす仕事をし、第二次世界大戦後は知的人脈や優れた語学センスで、歴史の裏舞台で日本済の発展に心血を注ぐなど、スケールの大きな行動力からアジア版アラビアのロレンスと呼ばれる。 太平洋戦争前は岩畔豪雄(陸軍中野学校設立者)に協力し、国策会社「昭和通商」運営に深く関わる。また第三高等学校 (旧制)に今西錦司とともに山岳部をつくり、加藤泰安の就職に関与するなど、のちに京都大学が探検大学と呼ばれるような基礎となる多くの探検には佐島の影響があった。
阿川 幸寿(阿川 幸壽、あがわ ゆきひさ、1901年〈明治3… 阿川 幸寿(阿川 幸壽、あがわ ゆきひさ、1901年〈明治34年〉1月5日 - 1968年〈昭和43年〉8月26日)は、満州国官吏、日本の実業家。阿川機工、構造物コンサルタント各社長。 長崎県・田中良蔵の甥。大阪府立天王寺中学校を経て1924年、第七高等学校造士館を卒業。1927年、京都帝国大学経済学部を卒業。 満鉄に入社する。安東、奉天各地方事務所に勤務。瓦房店、四平街各地方事務所庶務係長、大石橋地方事務所長を経て満州国に転じ、審計局審計官第一處勤務。後に四平街市長となる。1940年、安東市長に就任する。 1950年に阿川機工を設立、社長に就任。1962年に構造物コンサルタントを設立、社長を兼務。
上田 常隆(うえだ つねたか、1900年〈明治33年〉7月4… 上田 常隆(うえだ つねたか、1900年〈明治33年〉7月4日 - 1980年〈昭和55年〉10月14日)は、日本の新聞社経営者。毎日新聞社社長(1961年1月 - 1968年1月)。 大阪府大阪市出身。祖父は盛岡藩士で、母は原敬の姪に当たる。天王寺中学校(旧制)、佐賀高等学校を経て、1926年に京都帝国大学法学部を卒業、大阪毎日新聞社(後の毎日新聞大阪本社)に入社。販売一筋でキャリアを築き、1951年大阪本社営業局長、監査役、取締役(経理担当)、常務などを経て、1961年代表取締役社長に就任。在任中はアジア調査会の設立などに関わった。またこの間、日本新聞協会の会長も務めた。1968年退任し、最高顧問になる。
豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8… 豊田 貞次郎(とよだ ていじろう、1885年(明治18年)8月7日 - 1961年(昭和36年)11月21日)は、日本の海軍軍人、政治家、実業家。最終階級は海軍大将。従二位勲一等。 和歌山県出身。紀伊田辺藩士・豊田信太郎の次男。海兵33期首席、海大甲種17期首席。 旧制天王寺中学校より東京外語学校英語科を経て海軍兵学校に入校し第33期を首席卒業。同期に卒業順位第26位の豊田副武大将がいるが、大分県出身の副武とは兵学校入学まで面識がなかった他人同士である。苦労人の副武と天才肌の貞次郎はタイプこそ正反対だが、将官に昇進する頃は「両豊田」と呼ばれ、将来を嘱望された。日露戦争が終わったばかりの1905年(明治38年)11月に第33期は卒業し、東南アジア方面へ遠洋航海に出た。