スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
櫻井 久仁子(さくらい くにこ、本名:中林久仁子、1957年… 櫻井 久仁子(さくらい くにこ、本名:中林久仁子、1957年7月24日 - )は、日本の教育者、塾講師で進学塾経営者、著述家。日本では全く例がなかった、講師も生徒も女性だけというユニークな進学塾「アテネ」を運営する。『戦闘系教育論』、『教育にもセカンドオピニオンを!続・戦闘系教育論』など教育関係の著書もある。少林寺拳法有段者、フラワーデザイナー(1級)。神戸新聞カルチャー講師(夏休み読書感想文教室、フラワーデザイン教室)。 兵庫県神戸市出身。神戸大学附属住吉中学校から兵庫県立神戸高等学校、神戸大学卒業。 小学校、中学校時代は優秀な成績を修めた櫻井は第1志望校だけに絞り合格、神戸高校へ進学。順風満帆な高校生活を送るはずが、ほどなく授業内容が理解できない状態に陥り、入学後1年間で試験順位は最下位近くにまで落ち込んだ。
竹中 敏浩(たけなか としひろ、1956年 - )は、日本の… 竹中 敏浩(たけなか としひろ、1956年 - )は、日本の教育者。元兵庫県立神戸高等学校教頭、兵庫県立三木東高等学校第14代校長、兵庫県立北摂三田高等学校第12代校長。 兵庫県立神戸高等学校(27回生)を経て、信州大学理学部地質学科を卒業した。高校時代は、ラグビー部に所属[要出典]。 兵庫県高等学校の教員として、高等学校理科の地学分野で採用される。「以降、40年に渡って、兵庫県では高等学校理科の地学分野での採用がな」かったという。このほか、兵庫県立神戸甲北高等学校在職時の1998年、兵庫県理化学会兵庫県高等学校教育研究会理科部会の会誌に「理科教育の国際比較」という文章を掲載している。同校ではテニス部の監督も務めていた。
高 丈二(こう じょうじ、1938年(昭和13年)11月22… 高 丈二(こう じょうじ、1938年(昭和13年)11月22日 - )は、日本の声楽家、テノール歌手、オペラ歌手、音楽教育者。沖縄県立藝術大学・聖徳大学名誉教授。旧名 黄 耀明と書かれた記録が存在する。 兵庫県神戸市出身。1958年(昭和33年)兵庫県立神戸高等学校卒業。1963年(昭和38年)、東京藝術大学卒業。1965年(昭和40年)、同大学院オペラ科修了。渡邊高之助に師事。1965年(昭和40年)モーツァルト『魔笛』タミーノ役で声楽家としてデビュー後、1968年(昭和43年)イタリアに留学。ヴェルディ音楽院に入学し、エットレ・カンポガッリアーニに師事。1970年(昭和45年)ミラノ・レオーネⅩIII劇場でロッシーニ『セヴィリアの理髪師』のアルマヴィーヴァ伯爵を歌い、好評を博す。
村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月2… 村上雄藏(むらかみ ゆうぞう、1926年(大正15年)3月20日 - 1986年(昭和61年)11月15日)は日本の教育者、日本海軍軍人。 一般的には村上雄蔵と表記。父秋太郎、母繁子の長男として兵庫県神戸市に出生。幼少より困窮に苦しむ。神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)夜間部に通う傍ら、神戸川崎造船所(後の川崎重工業神戸造船所、現在の川崎重工業船舶海洋ディビジョン神戸工場)に勤務。 1944年(昭和19年)、帝国海軍飛行予科練習生(甲飛15期)、三重海軍航空隊から浦戸海軍航空隊(高知)に移り終戦(終戦時2等飛行兵曹)。戦後は神戸に戻り、GHQからの払い下げ品を闇市で販売して生計を立てる。この時実践的な英会話を身に付ける。
福冨 芳美(ふくとみ よしみ、1914年11月23日 - 1… 福冨 芳美(ふくとみ よしみ、1914年11月23日 - 1992年4月22日)は、昭和~平成初期のファッションデザイナー、教育者。旧姓は小田。 岡山県生まれ。兵庫県立第一神戸高等女学校を卒業後、婦人服の仕立て職人に弟子入り。その後上京して杉野学園ドレスメーカー女学院で学び、1937年に神戸ドレスメーカー女学院(現・神戸ファッション専門学校)開校。戦後は大丸神戸店の顧問デザイナーに招聘され、パリやニューヨークへ出かける機会を得る。また、神戸在住のまま飛行機で日本大学芸術学部美術学科に通い、1961年に卒業した。 1967年に明石女子短期大学を創立し、学長兼教授となる。日本家政学会、人間工学会、日本デザイナークラブ、ザ・ファッション・グループ(本部ニューヨーク)等の会員。
井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日… 井深 大(いぶか まさる、1908年(明治41年)4月11日 - 1997年(平成9年)12月19日)は、日本の電子技術者、実業家、教育者、弁理士。位階は正三位。 栃木県上都賀郡日光町(現在の日光市)出身。盛田昭夫とともにソニーの創業者の一人。 祖先は会津藩の家老であり、親戚には飯盛山で自刃した白虎隊の井深茂太郎や明治学院総理を歴任した井深梶之助、ハンセン病に一生を捧げカトリック看護師協会の会長を歴任した井深八重がいる。日露間で樺太・千島交換条約が締結された後、祖父基が公務員として千島列島を巡回し、明治11年に占守島を訪れているが、その際に現地で撮影された集合写真に収まっていた吏員の一人が祖父基であることを後に井深大自身が確認している。
高山 忠雄(たかやま ただお、1904年6月24日 - 19… 高山 忠雄(たかやま ただお、1904年6月24日 - 1980年7月1日)は、東京都出身のサッカー選手、教育者。 東京都生まれ。御影師範附属小時代にサッカーを覚え、兵庫県立第一神戸中学校(神戸一中、現:兵庫県立神戸高等学校)時代には第1回日本フートボール優勝大会(1918年)に出場した。白洲次郎は神戸一中サッカー部の1年先輩に当たる。 1921年に神戸一中を卒業。第八高等学校を経て、東京帝国大学文学部に入学し、快足のフォワードとして活躍。1927年10月に開催された第4回明治神宮競技大会兼ア式蹴球全國優勝競技會(第7回天皇杯全日本サッカー選手権大会)に神戸一中および東京帝大の後輩にあたる若林竹雄らと共に神戸一中クラブのメンバーとして出場して大会優勝に貢献した。
池長 孟(いけなが はじめ/たけし、1891年〈明治24年〉… 池長 孟(いけなが はじめ/たけし、1891年〈明治24年〉11月24日 - 1955年〈昭和30年〉8月25日)は、日本の教育者、美術品収集家。旧姓井上、号は南蛮堂。植物学者である牧野富太郎の研究を経済面で支援したことでも知られる。谷崎潤一郎とも交流があり、1940年春に自らの美術館の開館式に招いた。 1891年(明治24年)11月24日に井上德左衞門の長男として 神戸市に出生。幼少時に叔父で神戸市議会議長を務めた池長通の養子に入り池長姓に改姓。池長家は、江戸時代から続く瓦屋や貸金業を祖父吉佐衛門の代(明治5年)にたたんで、兵庫一帯の土地を買い付け柳原や門口町、白川村などで住宅や不動産の賃貸業を指揮する。