スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
牧田 実夫(まきた じつお、別表記 : 牧田 實夫、1919… 牧田 実夫(まきた じつお、別表記 : 牧田 實夫、1919年(大正8年)11月18日 - 2011年(平成23年)7月23日)は、昭和から平成時代の政治家。鳥取県倉吉市長。位階は正五位。 鳥取県久米郡倉吉町(現・倉吉市)出身。1937年、鳥取県立倉吉農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)を卒業。 1951年、倉吉町議会議員に初当選。町議会議員1期、市議会議員5期、鳥取県議会議員3期を務めた。1982年、倉吉市長に当選。1983年、市制施行30周年にあたり第5次総合開発計画、新広域市町村圏計画およびモデル定住圏計画を基本に「中部中核都市づくり」「活力と潤いのあるまちづくり」を目指し、「水と緑と文化のまちづくり」を目標に掲げる。
米谷 雄二(こめたに ゆうじ、1905年〈明治38年〉12月… 米谷 雄二(こめたに ゆうじ、1905年〈明治38年〉12月16日 - 没年不明)は、日本の政治家、地主。鳥取県西伯郡中浜村会議員。中浜農協組合長。鳥取県酪農協組連、鳥取県畜産会各監事。曹洞宗龍泉寺責任役員。 鳥取県西伯郡中浜村(現・境港市)の長山家に生まれ、米谷家の養子となる。倉吉農学校卒業後は祖父の遺業の肥料商を家業とするも、感ずる所あってその経営を断つ。1943年、農業会長。また中浜村学務委員、中浜村会議長、境港市教育委員会委員、境港市農業委員会委員などをつとめる。 趣味は読書。住所は境港市新屋町。 消防施設事業に私有地を提供したため、感謝状を贈呈される。 先考の光造は学務委員、米川水利組合会議員。
佐賀 省三(さが しょうぞう、明治38年(1905年)5月8… 佐賀 省三(さが しょうぞう、明治38年(1905年)5月8日 - 平成2年(1990年)以降)は日本の俳人、政治家。元境港市議会議員。号榎村。佐賀家の12代目。 俳人鹿島平堂は大おじにあたる。 鳥取県西伯郡上道村(現・境港市上道町)の農家に生まれる。 鳥取県立農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)、正則英語学校(現・正則学園高等学校)を経て、大正14年(1925年)3月に東京府立園芸学校(現・東京都立園芸高等学校)卒業。大正15年(1926年)3月、早稲田大学専門部中退。 帰郷して農業に従事する。上道村会議員、境港市会議員などをつとめた。 元農業会理事、村会議員、境港市農業委員等務め農業多角経営の指導、実践に努力、養鶏の大家として三十年の経験と共に県下に有名である。
長山 英一(ながやま えいいち、明治30年(1897年)10… 長山 英一(ながやま えいいち、明治30年(1897年)10月14日 - 没年不明)は、日本の陸上競技選手、登山家、政治家。元境港市議会議員。 鳥取県西伯郡中浜村大字佐斐神(現・境港市佐斐神町)出身。長山善完の長男。長山家は大農家だった。鳥取県立農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)卒業。 大正8年(1919年)日本体育会主催の第7回全国オリンピックに出場した英一は、1,500メートル、4分28秒(日本新記録)で第1位、同タイムの早大・麻生武治と優勝を分け合い、優勝カップを夫々受賞した。 大正11年(1922年)松本秀松(渡村出身)と鳥取県で初めて冬山大山登山に挑んだ。 戦後、村会議員、市会議員などをつとめた。
米原 章三(よねはら しょうぞう、明治16年(1883年)1… 米原 章三(よねはら しょうぞう、明治16年(1883年)11月16日 - 昭和42年(1967年)10月19日)は日本の実業家、政治家。鳥取県多額納税者。鳥取県会議員、貴族院議員。鳥取市名誉市民。旧姓藤縄。 鳥取県八頭郡河原町(現・鳥取市)に生まれた。実父の範七は1885年に県会議員となったが1890年に病没、その後家運は衰退した。国英村の八上高等小学校を終えると鳥取県立簡易農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)に入った。17歳の春に同校を卒業すると、若桜小学校で代用教員として短期間勤務した。 1900年9月、大日本農会附属私立東京農学校(現・東京農業大学)に入学、1903年に卒業。続いて早稲田大学専門部政治経済科に入学。
松本 倭重(まつもと わじゅう、1881年〈明治14年〉10… 松本 倭重(まつもと わじゅう、1881年〈明治14年〉10月9日 - 1943年〈昭和18年〉11月13日)は、日本の会社役員、地主、政治家。鳥取県会議員(政友会)。鳥取県西伯郡県村長。米子共立検番監査役。合資会社米子均一タクシー自動車商会有限責任社員。 鳥取県西伯郡県村(現・米子市)出身。鳥取県立農学校卒業。郡会議員、県村会議員、学務委員、鳥取県会議員、参事会員等を歴任。1923年、県村長に就任。 大日本國粹会鳥取県米子支部長である。住所は鳥取県西伯郡県村大字日下。
本城 藤造(ほんじょう とうぞう、明治13年(1880年) … 本城 藤造(ほんじょう とうぞう、明治13年(1880年) - 昭和7年(1932年))は、日本の政治家。第34代鳥取県会議長。元鳥取県気高郡大和村長。農業。 鳥取県気高郡大和村横枕(現・鳥取市横枕)に生まれる。大和村長を務めた本城竹次郎の長男。 1895年、鳥取県立農学校(現・鳥取県立倉吉農業高等学校)卒業。 1901年から農業技術員として鳥取・大分・群馬・新潟県下に勤務。 1919年に大和村長、1923年から鳥取県会議員となり、1932年に第34代鳥取県会議長に就任したが、2ヵ月足らずで任期中に死去。 民政党鳥取県支部幹事長、鳥取県一心会評議員も務めた。