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若林 辰雄(わかばやし たつお、1952年9月29日 - )… 若林 辰雄(わかばやし たつお、1952年9月29日 - )は日本の実業家。勲等は旭日重光章。三菱UFJ信託銀行代表取締役会長。三菱UFJフィナンシャル・グループ取締役。 広島県尾道市出身。広島県立福山誠之館高等学校を経て、1977年一橋大学法学部卒業。大学では誕生日が同じ高校の後輩枝廣直幹(のちに財務官僚を経て第13代福山市長)を可愛がったという。2年間の大学受験浪人生活をしていたため、大学卒業後は、最初に内定が出た三菱信託銀行(現三菱UFJ信託銀行)に入社。1984年から1990年までニューヨーク勤務。1997年三菱信託銀行ロンドン支店次長、1999年三菱トラストインターナショナル(現:三菱UFJトラストインターナショナル)社長、2003年に帰国して三菱信託銀行営業第三部長。
竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日… 竹鶴 威(たけつる たけし、1924年〈大正13年〉3月6日 - 2014年〈平成26年〉12月17日)は、広島県福山市出身の日本の実業家で、ウイスキー製造者、技術者、会社経営者。ニッカウヰスキー(アサヒビールグループ)の元社長であり、同社の2代目マスターブレンダー。 叔父、後に養父は竹鶴政孝。息子はブランディングコンサルタントの竹鶴孝太郎。従妹は竹鶴リマ。
稲葉 侃爾(いなば かんじ、1920年 <大正9年> 10月… 稲葉 侃爾(いなば かんじ、1920年 <大正9年> 10月31日 - 2017年 <平成29年> 1月14日 )は、日本の経営者。中国銀行頭取を務めた。位階は従四位。 岡山県出身。福山誠之館中学(現:広島県立福山誠之館高等学校)、旧制姫路高等学校を経て、1946年に京都帝国大学法学部を卒業し、同年に中国銀行に入行した。1970年9月に取締役に就任し、1975年12月に常務、1978年4月に専務を経て、1985年6月に副頭取に就任し、1987年6月には頭取に昇格した。1997年6月には会長も兼任し、1999年4月には会長に専任。2000年3月から6月までには再び頭取を兼任し、2001年6月に相談役を経て、2005年4月から参与を務めた。
小林 政夫(こばやし まさお、1914年 <大正3年> 2月… 小林 政夫(こばやし まさお、1914年 <大正3年> 2月16日 - 2000年 <平成12年> 9月15日)は、日本の実業家、政治家。日東製網社長、参議院議員(1期)、福山商工会議所会頭などを歴任した。位階は従四位。孫に衆議院議員の小林史明がいる。 広島県福山町(現・福山市西町)に生まれる。1931年(昭和6年)、広島県立福山誠之館中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)卒業。1938年(昭和13年)に東京商科大学(現・一橋大学)を卒業。 三洋証券社長の土屋陽三郎、新日本証券社長の鷹尾寛、東京銀行頭取の横山宗一、鹿島建設副会長の原明太郎、マツダ会長の岩沢正二、丸井今井社長の今井道雄、三井不動産社長の坪井東、一橋大学学長の小泉明らとともに大学の同期会を結成。
荒木 茂久二(あらき もくじ、1907年7月25日 - 19… 荒木 茂久二(あらき もくじ、1907年7月25日 - 1991年6月25日)は、日本の官僚、経営者。広島県福山市引野町出身。 農家の次男として生まれる。父の茂市は引野町長、広島県会議員を務めた。 誠之館中学(現広島県立福山誠之館高等学校)、第六高等学校を経て、1932年に東京帝国大学法学部を卒業し、同年に鉄道省に入省した。仙台鉄道局書記。 鉄道省大臣官房文書課、広島鉄道局総務部長、東京鉄道局総務部長、運輸省大臣官房文書課長(途中まで大臣秘書官兼務)などを務める。 1949年6月に運輸省官房長に就任。在任中に下山事件、三鷹事件、松川事件の三大公安事件が続発した。1952年1月に鉄道監督局長に就任。
八杉 角五郎(やすぎ かくごろう、1890年(明治23年)3… 八杉 角五郎(やすぎ かくごろう、1890年(明治23年)3月4日 - 1977年(昭和52年)1月25日)は、日本の実業家。八杉商店社長、会長を務めたほか、広島地方裁判所司法委員、福山家庭裁判所調停委員、福山商工会議所副会頭などを歴任した。位階勲等は従五位勲五等。藍綬褒章受章。 現在の広島県府中市にて、小川良平の子として生まれた。旧制福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)に入学し、1907年(明治40年)に卒業した。中学校では剣道部に所属した。1910年(明治43年)に長崎高等商業学校(現・長崎大学経済学部)を卒業し、教員となった。 福山市深津町の八杉家の婿養子となって八杉商店6代目社長に就任、福山ガス(株)、ニコニコバス(株)、福山合金(株)、福山興業(株)の取締役を務めた。
河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 -… 河内 源一郎(かわち げんいちろう、1883年4月30日 - 1948年3月31日)は、日本の官僚、科学者、実業家。 「河内菌」の発見により焼酎の品質を飛躍的に向上させた近代焼酎の父。広島県深津郡吉津村(現・福山市吉津町)生まれ。 河内は、代々続く醤油屋の家に生まれた。幼少期から麹や醪に馴染み、広島県立福山中学(現・福山誠之館高校)を経て大阪高等工業醸造科(現・大阪大学工学部発酵工学科)を卒業。家業が不振となったため、1909年に大蔵省入りし、熊本税務監査局鹿児島工業試験場へ技師・酒の鑑定官として赴任した。同年秋、造り酒屋の技術指導員として訪れた巡視先で、鹿児島焼酎と出会う。当時の焼酎はとても不味く、また暑い時期はすぐに腐っていた。
守屋 松之助(もりや まつのすけ、1877年(明治10年)2… 守屋 松之助(もりや まつのすけ、1877年(明治10年)2月16日 - 1951年(昭和26年)12月23日)は、明治末から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、岡山県岡山市長、小田郡矢掛町長。旧姓・石井。大原財閥の四天王と称された。号・覚堂(かくどう)。 広島県深津郡深津村(深安郡深津村を経て現福山市東深津町)で、石井治郎右衛門の二男として生まれる。11歳で父を亡くし、苦学して深津小学校、尋常中学誠之館(現広島県立福山誠之館高等学校)を卒業。三菱合資会社三菱造船所(現三菱重工業長崎造船所)に勤務。日清戦争、日露戦争に従軍。1901年(明治34年)小田郡矢掛町の守屋忠作長女(火+禾)の入夫となり家督を相続。
杉山 金太郎(すぎやま きんたろう、明治8年(1875年)9… 杉山 金太郎(すぎやま きんたろう、明治8年(1875年)9月19日 - 昭和48年(1973年)3月10日)は、日本の実業家。豊年製油(現J-オイルミルズ)会長。
三谷 一二(みたに いちじ、1871年12月4日(明治4年1… 三谷 一二(みたに いちじ、1871年12月4日(明治4年10月22日)- 1965年(昭和40年)10月26日)は、日本の政治家、銀行員、実業家。第2代三菱鉱業会長を経て、第4代福山市長(1期)を務めた。 福山県沼隈郡山手村(現・広島県福山市山手町)に生まれる。1889年(明治20年)4月12日、広島県福山中学校(現・広島県立福山誠之館高等学校)初等科第四級を修了。1896年(明治29年)に高等商業学校(現・一橋大学)を卒業し、三菱合資会社銀行部に入社。 1900年(明治33年)、義和団の乱に出征。1904年(明治37年)、日露戦争に出征。その後、三菱合資会社銀行部上海支店長、長崎支店長兼唐津支店長、東京本社営業部石炭課長兼東京支店長などを務めた。
大平 駒槌(おおだいら こまつち、1870年1月25日(明治… 大平 駒槌(おおだいら こまつち、1870年1月25日(明治2年12月24日)- 1957年(昭和32年)4月11日)は、日本の農商務官僚、実業家、政治家。貴族院勅選議員、枢密顧問官。 広島県で大平儀右衛門の二男として生まれる。第三高等学校を経て、1896年7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。1897年3月、農商務省に入省し、鉱山監督官輔に任じられ福岡鉱山監督署に在勤。 以後、農商務属・鉱山局勤務、札幌鉱山監督署鉱政課長、東京鉱山監督署鉱政課長、大阪鉱山監督署長を歴任し、1906年3月に退官した。 その後、大阪藤田組に入り、鉱山部庶務課長、兼小坂鉄道 (株) 専務取締役、藤田組証券課長、兼大阪合同紡績 (株) 監査役を務め、1908年12月に退社した。
井上 角五郎(いのうえ かくごろう、万延元年10月18日〈1… 井上 角五郎(いのうえ かくごろう、万延元年10月18日〈1860年11月30日〉 - 昭和13年〈1938年〉9月23日)は、日本の実業家、政治家。東京府平民。 壬午事変後に朝鮮政府の顧問となる。1883年10月に「漢城旬報」を発刊、1886年1月には「漢城周報」を創刊。甲申政変に深く関与し、金玉均・朴泳孝と関係を持った。第1回の帝国議会衆議院議員に当選以来連続当選14回、第47回まで14回代議士を務める。北海道炭礦鉄道社長、日本製鋼所設立者、会長、国民工業学院理事長、慶應義塾評議員等を歴任し、大正9年(1920年)緑綬褒章下賜。京釜鉄道、南満州鉄道の設立にも関わった。号は閔妃の実甥・閔泳翊から贈られた琢園。
井藤 勲雄 は、日本の経営者、銀行家。位階は正五位。
山本 謙 は、日本の経営者。UBE(旧・宇部興産)会長。広島… 山本 謙 は、日本の経営者。UBE(旧・宇部興産)会長。広島県出身。