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大久保 勉(おおくぼ つとむ、1961年(昭和36年)3月1… 大久保 勉(おおくぼ つとむ、1961年(昭和36年)3月11日 - )は、日本の政治家。財務副大臣(第3次野田改造内閣)、参議院経済産業委員長、参議院議員(2期)、福岡県久留米市長(第11代)等を務めた。 福岡県久留米市安武町生まれ。久留米市立安武小学校、久留米市立筑邦西中学校、福岡県立明善高等学校、京都大学経済学部卒業。大学卒業後、1984年に東京銀行入行。1994年、モルガン・スタンレー証券に入社した。 2004年、第20回参議院議員通常選挙に民主党公認で福岡県選挙区(定数2)から出馬し、84万票余りを獲得してトップ当選した。2010年、第22回参議院議員通常選挙に民主党公認で出馬し、福岡県選挙区で自由民主党新人の大家敏志に次ぐ2位で再選。
平安 正知(ひらやす まさとも、1960年(昭和35年)7月… 平安 正知(ひらやす まさとも、1960年(昭和35年)7月14日 - )は、日本の政治家。元福岡県小郡市長(3期)、元小郡市議会議員(1期)。 小郡市立三国小学校、小郡市立大原中学校、福岡県立明善高等学校卒業。1983年(昭和58年)3月、山口大学工学部卒業。1984年(昭和59年)7月、新生不燃ボード株式会社代表取締役に就任。 1993年(平成5年)4月、小郡市商工会理事に就任。1999年(平成11年)1月、小郡青年会議所理事長に就任。 2002年(平成14年)の小郡市議会議員選挙に出馬し初当選。 2005年(平成17年)4月24日に行われた小郡市長選挙で初当選。2009年(平成21年)、再選。
古賀 ゆきひと(こが ゆきひと、1959年4月9日 - )は… 古賀 ゆきひと(こが ゆきひと、1959年4月9日 - )は、日本の政治家。民進党所属の参議院議員(1期)。元FBS福岡放送のエグゼクティブアナウンサー。九州地区の局アナ出身者で史上初の国会議員。現在1期目。本名は古賀 之士(読み同じ)。福岡県久留米市出身。
芦刈 茂(あしかり しげる、1949年(昭和24年)10月2… 芦刈 茂(あしかり しげる、1949年(昭和24年)10月21日 - )は、日本の政治家。元福岡県太宰府市長(1期)。 福岡県北九州市出身。久留米市立城南中学校、福岡県立明善高等学校卒業。1975年(昭和50年)3月、九州大学農学部卒業。 2007年(平成19年)4月22日に行われた太宰府市議会議員選挙に立候補。定数20の議席を21人の候補者が争う同選挙において、21位で落選。20位当選者との差は3票にも満たなかった(当選者706.099票に対し、芦刈は704票)。 2011年(平成23年)の市議選で初当選。 2015年(平成27年)4月26日に行われた太宰府市長選挙に立候補。現職の井上保廣を390票差で破り初当選。
内野 哲朗(うちの てつろう、1948年 - )は、日本の元… 内野 哲朗(うちの てつろう、1948年 - )は、日本の元アマチュア野球選手、監督、政治家。ポジションは投手。元・小郡市議会議長。 明善高校で投手としてプレーしたが、1966年の夏の甲子園県予選の2回戦で敗退し、甲子園への出場を果たすことができなかった。 1966年のドラフト会議で中日から3位指名されたが交渉権放棄により早稲田大学に入学した。 大学卒業した後は、大昭和製紙でプレーした。 1984年から1999年までに16年間小郡高校の監督を務めた。 1994年に小郡市議選で初当選。2005年からは小郡市議会議長を務めながら母校である明善高校で指揮を執った。 2010年、小郡市市政功労者。2018年、旭日双光章受章。
古賀 一成(こが いっせい、1947年7月30日 - )は、… 古賀 一成(こが いっせい、1947年7月30日 - )は、日本の政治家。民主党所属の元衆議院議員(7期)。衆議院国家基本政策委員長、衆議院東日本大震災復興特別委員長、衆議院国土交通委員長、衆議院科学技術委員長を歴任。 父は柳川市長を5期務めた古賀杉夫。 福岡県柳川市生まれ。福岡学芸大学久留米附属中学校、福岡県立明善高等学校、東京大学法学部法律学科卒業。 1971年、東大卒業後の4月に建設省(現国土交通省)に入省した。本省での勤務や外務省、静岡県警察本部、福岡県への出向を経験する。1988年、建設省を退官。 1990年、第39回衆議院議員総選挙で前年に死去した元国土庁長官・山崎平八郎の後継者として旧福岡3区から自由民主党公認で初出馬し、初当選した。
泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 … 泉 信也(いずみ しんや、1937年(昭和12年)8月1日 ‐ )は、日本の運輸官僚、政治家。勲章は旭日大綬章。 参議院議員(3期)、国家公安委員会委員長(第75・76代)、内閣府特命担当大臣(防災担当、食品安全担当)などを歴任した。息子は財務官僚の泉恒有。 福岡県浮羽郡吉井町(現・うきは市)出身。福岡県立明善高等学校、九州大学工学部土木工学科卒業。 運輸省に入省、本省港湾局開発課長、同建設課長、第四港湾建設局長などを歴任した。また、和歌山県庁に一時出向しており、土木部港湾課にて課長を務めた。1991年4月、大臣官房審議官を最後に退官。 なお、この間には、中国、フィリピン、ペルー、メキシコなどの発展途上国を訪問しており、技術協力等の活動を展開した。
古賀 正浩(こが まさひろ、1934年(昭和9年)8月5日 … 古賀 正浩(こが まさひろ、1934年(昭和9年)8月5日 - 2002年(平成14年)9月6日)は、日本の政治家。衆議院議員(5期)。 父の任地である朝鮮半島平安北道で生まれる。3歳の時に出征した父が山西省で戦死し、福岡県久留米市で育つ。1941年(昭和16年)4月に日吉国民学校(現・久留米市立日吉小学校)に入学した。1947年(昭和22年)に日吉国民学校を卒業し、初等教育の6年間を一貫して国民学校で過ごした世代の1人となったほか、終戦直後の食糧難が農業や食料行政に関わりたいという決意につながったと回想していた。久留米市立第五中学校(現・久留米市立諏訪中学校)から福岡県立明善高等学校、東京大学法学部を卒業し、国家公務員一種試験に合格し1959年(昭和34年)に農林省(後に農林水産省)に入省。
福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日 - 19… 福田 幸弘(ふくだ ゆきひろ、1924年12月3日 - 1988年12月23日)は、日本の政治家。大蔵官僚。参議院議員(1期)。位階は正四位。勲等は勲二等。 著書に『カナダ経済の旅』、『連合艦隊 - サイパン・レイテ海戦記』があり、後者は秦郁彦から「第一級の史書」という評価を受けた。 映画ファンで、大蔵省の広報誌『ファイナンス』で映画評を連載したり、日本文藝家協会会員でもあった。
孫 権培(ソン・グォンベ、朝鮮語: 손권배/孫權培、1916… 孫 権培(ソン・グォンベ、朝鮮語: 손권배/孫權培、1916年10月6日 - 1990年2月19日)は、大韓民国のジャーナリスト、実業家、政治家。第3代韓国国会議員。 本貫は密陽孫氏(朝鮮語版)。号は民斉(ミンジェ、朝鮮語: 민제/民齊)。 日本統治時代の全羅北道完州郡出身。久留米の明善中学校卒。1954年の第3代総選挙では自由党の候補として国会議員に当選し、裵恩希の一級参謀を務めたが、裵の失脚後は自由党を離党し民主党に移籍した。他には太白新聞主幹、三南日報社社長、大韓独立促成国民会全羅北道支部宣伝部長、独立闘争委員会全羅北道団団長、大韓青年団全羅北道団団長、国民会全羅北道支部委員長、自由党完州乙区党委員長・全羅北道党副委員長を歴任した。
杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1… 杉本 勝次(すぎもと かつじ、1895年11月14日 - 1987年1月2日)は日本の政治家。衆議院議員、福岡県知事などを務めた。 福岡県福岡市出身。1914年、中学明善校(現・福岡県立明善高等学校)卒業。1921年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。 九州帝国大学、福岡高校、福岡女子専門学校の各講師、西南学院専門学校(現・西南学院大学)校長を経て、1946年4月、戦後初の衆議院議員総選挙に福岡1区から社会党所属で出馬し当選、1期務める。1947年4月から2期、福岡県知事を務めて石炭政策を推進した。福岡県知事の任期満了後に両派社会党の推薦で福岡市長選に出馬するが保守系現職の小西春雄に敗れて落選、翌1956年3月から久留米市長となる。
有馬 秀雄(ありま ひでお、1869年5月4日〈明治2年3月… 有馬 秀雄(ありま ひでお、1869年5月4日〈明治2年3月23日〉- 1954年〈昭和29年〉12月10日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、東京府南葛飾郡寺島町長。 筑後国三潴郡久留米城下(現:福岡県久留米市)で、久留米藩重臣・有馬重固の長男として生まれ、同藩重臣・有馬孝三郎の養嗣子となる。1889年(明治22年)、久留米尋常中学校を卒業し、1892年(明治25年)、帝国大学農科大学実科を卒業。 その後、旧藩主・有馬伯爵家の家令となり、同家の財政の立て直しに尽力した。久留米六十一銀行の頭取を務め、旧久留米藩の士族授産企業・赤松社の活動にも貢献した。 1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙で福岡県久留米選挙区から出馬して当選。
内藤 新吾(ないとう しんご、天保12年10月11日(184… 内藤 新吾(ないとう しんご、天保12年10月11日(1841年11月23日) - 大正6年(1917年)8月2日)は、初代久留米市長、衆議院議員。諱は敏樹、字は子敏、号は寒山。 久留米藩国家老有馬氏の臣下の家に生まれ、藩校明善堂で学んだ。真木和泉・水野正名らの尊王攘夷論に傾倒し、福岡藩の平野国臣と交わった。1862年(文久2年)、江戸に出て安井息軒の門に学んだ。翌年に帰郷すると、同志とともに藩の執政有馬監物に尊王攘夷を藩論とするように説いたが、八月十八日の政変で公武合体が藩論となると、幽囚の身となった。 1867年(慶応3年)、5年に及んだ幽囚を解かれた。1868年(明治元年)、明善堂寮長に起用され、翌年には民政判事となった。