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安藤 高明(あんどう たかあき、1972年〈昭和47年〉3月… 安藤 高明(あんどう たかあき、1972年〈昭和47年〉3月27日 - )は、日本の郵政・総務官僚。 佐賀県佐賀市出身。佐賀県立佐賀西高等学校を経て、九州大学法学部を卒業。1994年(平成6年)、郵政省に入省。入省後、総務省大臣官房総務課課長補佐、内閣官房郵政民営化推進室企画官、総合通信基盤局電気通信技術システム課安全・信頼性対策室長、情報公開・個人情報保護審査会事務局審査官、政治資金適正化委員会事務局参事官、国際戦略局国際展開課長などを歴任。電気通信ネットワークの安全性・信頼性の確保などに携わった。 2022年(令和4年)3月31日、郵便貯金簡易生命保険管理・郵便局ネットワーク支援機構総務部長に就任。
廣瀬 律子(ひろせ りつこ、1967年11月22日- )は… 廣瀬 律子(ひろせ りつこ、1967年11月22日- )は、日本の防衛官僚。防衛省人事教育局長。 佐賀県佐賀市出身。佐賀県立佐賀西高校を経て、九州大学法学部を卒業後、1990年 (平成2年)、防衛庁に入庁 (国家Ⅰ種の女性として2人目)。 民間企業で利益を追求するよりも国家レベルの長期的な観点に立って仕事をしたいと思い、国家公務員を志望したという。 入庁後、防衛庁長官官房秘書課部員、大蔵省大臣官房調査企画課課長補佐、防衛庁人事教育局人事第2課企画班長、防衛庁管理局人事教育局教育課総括班長、防衛省大臣官房秘書課部員 (小池百合子防衛大臣秘書官事務取扱)、防衛省人事教育局人事計画・補任課男女共同参画推進企画室長 (初代)、防衛省防衛大学校教授などを歴任。
松尾 浩則(まつお ひろのり、1965年〈昭和40年〉12月… 松尾 浩則(まつお ひろのり、1965年〈昭和40年〉12月28日 - )は、日本の農林水産官僚。 1965年(昭和40年)12月28日、佐賀県佐賀郡東与賀町(現・佐賀市)に出生。実家は専業農家で、実兄は松尾の母校である佐賀県立佐賀西高等学校の校長を務めた。 佐賀県立佐賀西高等学校を経て、1989年(平成元年)3月、京都大学農学部農林経済学科を卒業。「家業に関係のある仕事に就き、農業に貢献したい」との考えから農水省を志望。「国家公務員試験I種・農業経済」に合格し、同年4月、農林水産省に入省。入省後、生産局農産部農産企画課長、農林水産省大臣官房参事官、政策統括官付参事官、農林水産省大臣官房地方課長、同審議官などを歴任。
坂井 隆憲(さかい たかのり、1947年〈昭和22年〉11月… 坂井 隆憲(さかい たかのり、1947年〈昭和22年〉11月25日 - 2017年〈平成29年〉5月17日)は、日本の政治家、元大蔵官僚。元自由民主党所属。 2021年10月17日に投開票が行われた佐賀市長選挙に初当選し第5代佐賀市長に就任した坂井英隆は長男である。 佐賀県出身。佐賀県立佐賀西高等学校を経て、1970年、国家公務員採用上級甲種試験(行政)合格。1971年、早稲田大学政治経済学部卒業。同年、大蔵省入省、国際金融局短期資金課配属。 入省同期に藤井秀人(日本政策投資銀行副社長、財務次官、京大法卒)、福田進(国税庁長官)、高木祥吉(ゆうちょ銀行副社長、金融庁長官)、吉田和男(経済学者、京大経卒)、坂井建(名古屋国税局長、中大法卒)、志賀櫻(弁護士、東京税関長、岐阜県警察本部長)、森田好則(財務省印刷局長)、窪野鎮治(国土交通省政策統括官、財務省印刷局長)、田村義雄(環境次官)、山本幸三(衆議院議員、地方創生担当大臣)など。
古川 貞二郎(ふるかわ ていじろう、1934年〈昭和9年〉9… 古川 貞二郎(ふるかわ ていじろう、1934年〈昭和9年〉9月11日 - 2022年〈令和4年〉9月5日)は、日本の厚生官僚。 厚生事務次官、内閣官房副長官、株式会社麻生監査役、社会福祉法人恩賜財団母子愛育会会長・理事長を歴任。 村山内閣から小泉内閣にかけて内閣官房副長官を務め(在職日数3133日)、2021年7月25日に杉田和博に更新されるまで歴代最長の内閣官房副長官だった。 九州大学在学中にも国家公務員採用上級甲種試験を受験するが、失敗。郷里でもある佐賀県庁への入庁を希望していたが、当時佐賀県職員の募集が行われていなかったため、長崎県庁へ入庁。また、九州大学入学以前に一年間のみ佐賀大学文理学部に在籍していた。
陣内 孝雄(じんのうち たかお、1933年〈昭和8年〉8月2… 陣内 孝雄(じんのうち たかお、1933年〈昭和8年〉8月24日 - )は、日本の政治家・官僚。元参議院議員(4期)。佐賀県神埼郡神埼町(現・神埼市)出身。佐賀県立佐賀高等学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)、京都大学工学部土木工学科卒。同大学院修了。 1958年、建設省に入省。近畿地方建設局企画部長や九州地方建設局長などを経て、1988年1月12日に建設省河川局長を最後に退官。同年4月10日、三池信元郵政大臣の死去に伴う参議院議員補欠選挙に佐賀県選挙区から出馬し、初当選。以後、当選4回。その間、自民党佐賀県連会長、農林水産政務次官・参議院予算委員長・小渕第1次改造内閣の法務大臣などを歴任。 保守派の政治家であり、靖国神社に替わる国立追悼施設建設に反対し、靖国神社参拝に関しても法相在任中に例大祭で献灯を行っている[要出典]。
下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月2… 下村 治(しもむら おさむ、1910年(明治43年)11月27日 - 1989年(平成元年)6月29日)は、日本の経済学者、大蔵官僚。池田勇人内閣で高度経済成長のプランナーを務めた。 1910年(明治43年)に佐賀県佐賀郡北川副村(現・佐賀市)に生まれる。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1930年に東京帝国大学経済学部へ進学。 1933年、高等試験行政科試験に合格、1934年、東大経済学部を卒業し大蔵省に入省。配属先は専売局。理財局金融課を経て1936年ニューヨーク駐在。1959年退官までの間に経済安定本部物価政策課長、日本銀行政策委員などを歴任したが、病気がちなこともあり大蔵省内ではいわゆる“傍流”にあった。
池田 直(いけだ すなお、1901年 <明治34年> 11月… 池田 直(いけだ すなお、1901年 <明治34年> 11月19日 - 1985年 <昭和60年> 7月13日)は、日本の政治家・官僚。佐賀県知事を5期20年務めた。位階は正三位。 佐賀県佐賀郡川副町出身。旧制佐賀中学校、旧制佐賀高等学校文科甲類を経て、1929年に東京帝國大学(東京大学の前身)法学部を卒業し、会計検査院に入庁。戦時中には南方司政官を務めた。 1952年から1959年2月まで7年以上の間、会計検査院事務総長を務めた。1959年4月に佐賀県知事選に出馬し初当選。1979年まで連続5期にわたり在任した。赤字だった県財政の立て直しや、米作りの推進、若楠国体、佐賀医科大学の誘致などを進めた。
西久保 豊成(にしくぼ とよなり、明治33年〈1900年〉7… 西久保 豊成(にしくぼ とよなり、明治33年〈1900年〉7月8日 - 昭和2年〈1927年〉12月4日)は、日本の陸軍軍人、内務官僚。陸軍歩兵少尉となるが病の為依願退職し内務省に勤める。官位は陸軍歩兵少尉従七位。 父は樺太攻略戦において戦死した歩兵第50連隊第1大隊長の西久保豊一郎陸軍少佐で、豊成が6歳の時に父と死別する。母は佐賀県士族石井忠男の長女秀。明治33年7月に生まれ、明治35年3月には妹の千代子(後に島内源一郎の子、島内砲兵大尉に嫁ぐ)が生まれる。 佐賀市勧興小学校(現・佐賀市立勧興小学校)、佐賀県立佐賀中学校(現・佐賀県立佐賀西高等学校)を夫々首席となり、熊本陸軍地方幼年学校に進む。
石井 龍猪(いしい たつい、1897年(明治30年)9月10… 石井 龍猪(いしい たつい、1897年(明治30年)9月10日 - 1950年(昭和25年)10月10日)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。台北市尹、台南州知事。旧姓は加藤。 加藤十四郎の四男として佐賀県佐賀郡高木瀬村(現・佐賀市)に生まれ、石井力三郎の養子となる。県立中学校、第五高等学校を経て、1921年(大正10年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業。翌年、高等文官試験行政科試験に合格し、台湾総督府に出仕する。 1922年(大正11年)5月に高雄州勧業課長、1924年(大正13年)12月に台中州教育課長、1927年(昭和2年)7月に台南州警務部長、1929年(昭和4年)12月に同府警務局衛生課長、1931年(昭和6年)5月に台南州内務部長、1932年(昭和7年)4月に同府内務局地方課長兼地理課長を経て、1936年(昭和11年)10月、台北市尹に就任した。
梁井 淳二(やない じゅんじ、1897年(明治30年)5月2… 梁井 淳二(やない じゅんじ、1897年(明治30年)5月25日 - 1988年(昭和63年)1月20日)は、昭和時代前期の台湾総督府官僚。台北州知事。衆議院議員。 梁井幾太郎の二男として佐賀県三養基郡基山村大字長野(現・基山町大字長野)に生まれる。旧制佐賀中学校、第一高等学校を経て、1920年(大正9年)10月、高等試験に合格し、1921年(大正10年)4月に東京帝国大学法学部政治学科を卒業する。 卒業後、内務省に出仕し土木局属となり、熊本県葦北郡長、新潟県警察部保安課長、同県内務部商工課長、広島県内務部農務課長、徳島県学務部長、大分県警察部長、滋賀県警察部長、長崎県経済部長、拓務局総務課長を経て、1939年(昭和14年)11月に台湾総督府文教局長、ついで1942年(昭和17年)7月に台北州知事に就任した。
川嶋 孝彦(かわしま たかひこ、1897年〈明治30年〉2月… 川嶋 孝彦(かわしま たかひこ、1897年〈明治30年〉2月23日 - 1958年〈昭和33年〉2月23日)は、日本の官僚。内閣統計局長。位階勲等は従三位勲二等旭日重光章。 太平洋戦争前から戦中にかけて政府上層部に統計制度の刷新を建議した。戦後の1945年11月には人口調査を実施するほか、統計制度改革案を政府および連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) に提出し、戦後の統計制度改革の端緒を開いた。 1897年(明治30年)2月23日、当時富山県師範学校訓導であった父・川嶋庄一郎と母・志まの長男として富山市に生まれる。本籍地は和歌山市。 旧制佐賀中学校から第一高等学校を経て東京帝国大学法学部政治学科に進み、在学中の1922年(大正11年)に文官高等試験に合格。
大井 又次(おおい またじ、1895年(明治28年)1月2日… 大井 又次(おおい またじ、1895年(明治28年)1月2日 - 没年不明)は、大正から昭和時代前期の台湾総督府官僚。彰化市長。 佐賀県佐賀市寺町(現・佐賀市唐人)に生まれる。1914年(大正3年)3月に佐賀県立佐賀中学校を卒業後に渡台し、新竹庁財務課に奉職。 ついで新竹州官房税務課、桃園税務出張所州税係長、台北州税務課州税係長、府財務局勤務を経て、1937年(昭和12年)9月に地方理事官に進み、台北州蘇澳郡守に就任した。のち1939年(昭和14年)7月、台中州大甲郡守を経て、1941年(昭和16年)1月に彰化市長に就任した。
中野 邦一(なかの ほういち、1884年(明治17年)10月… 中野 邦一(なかの ほういち、1884年(明治17年)10月25日 - 1965年(昭和40年)4月13日)は、日本の内務官僚、政治家、弁護士。官選県知事、衆議院議員。位階は正四位。 旧佐賀藩士・木村清の長男として佐賀県佐賀郡西与賀村(現:佐賀市)で生まれる。母が中野方蔵の姪という関係から中野家の養嗣子となった。佐賀中学校、山口高等学校を経て、1909年、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を卒業。1910年11月、文官高等試験行政科試験に合格し、内務省に入り警視庁警部となる。 以後、警視庁警視、芝西久保警察署・本郷駒込警察署・浅草南元町警察署の各署長、高知県・愛知県の各理事官、香川県警察部長、岡山県警察部長、宮城県警察部長、京都府警察部長、愛媛県内務部長、秋田県書記官・内務部長などを歴任。
名尾 良辰(なお よしたつ、1873年(明治6年)6月1日 … 名尾 良辰(なお よしたつ、1873年(明治6年)6月1日 - 1967年(昭和42年)11月9日)は、日本の朝鮮総督府・内務・警察官僚。政友会系官選秋田県知事、台南州知事。 佐賀県佐賀郡、後の高木瀬村(現佐賀市)出身。佐賀藩新陰流師範・名尾良知の長男として生まれる。佐賀県佐賀中学校を経て、第五高等学校を卒業。1900年7月、東京帝国大学法科大学を卒業。1901年、内務省に入省し警視庁警部となる。1905年11月、文官高等試験行政科試験に合格した。1906年5月、内務省試補・地方局勤務となる。 以後、警視庁警視・巡視官、大分県事務官・警察部長、埼玉県事務官・警察部長、秋田県内務部長、青森県内務部長、静岡県内務部長などを歴任。
水町 袈裟六(みずまち けさろく、1864年4月16日〈元治… 水町 袈裟六(みずまち けさろく、1864年4月16日〈元治元年3月11日〉- 1934年〈昭和9年〉7月10日)は、日本の官僚。大蔵次官、英仏駐在財務官、日本銀行副総裁、会計検査院長、枢密顧問官を歴任。横浜正金銀行頭取。法政大学総長。 佐賀藩士水町邦実の次男として生まれる。水町家は佐賀藩の重臣の家系。佐賀変則中学校、大学予備門を経て、1891年(明治24年)に帝国大学法科大学(現東京大学法学部)を卒業後、同年大蔵省(現在の財務省)に入省。 理財局長、大蔵次官、1908年(明治41年)から英仏駐在財務官を歴任する。1911年(明治44年)に大蔵省を退官して日本銀行副総裁に就任した(1919年まで)。