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馬場 昭治(ばば しょうじ、1968年(昭和43年)11月2… 馬場 昭治(ばば しょうじ、1968年(昭和43年)11月2日 - )は、日本の政治家、実業家。熊本県天草市長(2期)。 熊本県本渡市(現・天草市)出身。本渡市立本渡南小学校に入学。本渡市立志柿小学校を卒業。本渡市立亀川中学校、熊本県立済々黌高等学校卒業。1992年(平成4年)3月、熊本大学教育学部卒業。同年、家庭教師派遣会社「トライグループ」に入社。 1995年(平成7年)、新進党(秘書を務めている間に自民党に入党)所属の矢上雅義衆議院議員の公設第一秘書となる。1999年(平成11年)、合資会社馬場商店に入社。2003年(平成15年)、同社代表社員に就任。 2020年(令和2年)6月、天草まちづくり株式会社を設立し、代表取締役に就任。
犬童 周作(いんどう しゅうさく、1967年〈昭和42年〉1… 犬童 周作(いんどう しゅうさく、1967年〈昭和42年〉11月10日 - )は、日本の郵政・総務官僚、政治家。全国郵便局長会特別顧問。自由民主党所属の参議院議員(1期)。 熊本県人吉市出身。青雲中学校、熊本県立済々黌高等学校を経て、1992年(平成4年)、東京大学法学部を卒業。同年、郵政省に入省。 郵政省、総務省では情報通信行政や郵政行政に携わり、主に情報通信畑を歩んだ。郵政省入省後、電気通信局電気通信事業部データ通信課課長補佐、情報通信政策局放送政策課課長補佐などを経て、2003年(平成15年)、在フランス日本国大使館一等書記官に就任。2006年までフランスに駐在し、帰国後は、総務省郵政行政局総務課課長補佐(統括補佐)を務め、郵政民営化法成立後の郵政行政を担当した。
幸山 政史(こうやま せいし、1965年(昭和40年)6月1… 幸山 政史(こうやま せいし、1965年(昭和40年)6月10日 - )は、日本の政治家。熊本県熊本市長(3期)、熊本県議会議員(2期)を歴任した。 熊本県熊本市生まれ。父親は熊本県議会議長を務めた幸山繁信。熊本県立済々黌高等学校、九州大学経済学部卒業。大学卒業後、日本債券信用銀行(現あおぞら銀行)に入行。 1995年、熊本県議会議員選挙に出馬し、初当選を果たした。県議時代は自由民主党に所属した。1999年、再選。 2002年、熊本市長選挙に無所属での出馬を表明。現職の三角保之は自民党や公明党の推薦に加え、連合や業界団体の支援も受けて組織型選挙を行っていたが、幸山は規模の大きくない会合やイベントに積極的に参加し、草の根的な選挙運動を展開。
三浦 一水 (みうら いっすい、1954年4月26日 - )… 三浦 一水 (みうら いっすい、1954年4月26日 - )は、日本の政治家。元参議院議員(2期)。 熊本県山鹿市生まれ。熊本県立済々黌高等学校を経て、1979年、早稲田大学商学部卒業。その後、南開大学留学。 1981年にソニー入社。1986年、退社。 1991年、熊本県議会議員初当選。同期当選に坂本哲志がいる。 1995年の第17回参議院議員通常選挙熊本県選挙区で初当選(無所属)。2000年、第2次森内閣で農林水産政務次官を務める。 2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選(自民党)。2006年、第3次小泉改造内閣で農林水産副大臣を務める。 2007年、第21回参議院議員通常選挙で民主党の松野信夫に敗れる。
松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月… 松岡 利勝(まつおか としかつ、1945年〈昭和20年〉2月25日 - 2007年〈平成19年〉5月28日)は、日本の農水官僚、政治家。農林水産大臣(第41代)、衆議院議員(6期、自由民主党)を歴任。 戦前・戦中の旧憲法下も含め、日本の内閣制度発足以後では2人目(日本国憲法下では初)の現職閣僚として自殺により死去した人物である。 第二次世界大戦末期の1945年(昭和20年)2月25日、熊本県阿蘇町(現阿蘇市)に貧困にあった農家の長男として誕生した。 父は日中戦争(支那事変)中、満州(現在の中国東北部)で日本軍の憲兵を務めていた。日本に帰国してからは定職を持たず林業ブローカーのような仕事で糊口を凌ぎ、時には飲酒で泥酔して妻(松岡の母親)に手を上げることもあったという(家庭内暴力)。
三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月… 三角 保之(みすみ やすゆき、1940年(昭和15年)10月23日 - 2021年(令和3年)7月8日)は、日本の政治家。熊本市長(2期)。 熊本県体育協会顧問、熊本県障害者スポーツ・文化協会会長、濟々黌上塚周平顕彰会会長、熊本県柔道整復師連盟顧問、芝浦工業大学校友会熊本支部長、九州・トルコ協会会長、熊本城顕彰会会長、熊本県神社庁総代会副会長を務めた。
三浦 八水 (みうら はっすい、1930年1月23日 - 1… 三浦 八水 (みうら はっすい、1930年1月23日 - 1996年10月22日)は、日本の政治家。参議院議員(1期)。 現在の熊本県山鹿市出身。熊本県立中学済々黌卒業。 1950年、熊本家庭裁判所委託少年補導所「愛隣園」創設。熊本県議会議員3期を経て1979年、三善信二の死去に伴う第11回参議院議員通常選挙熊本県選挙区補欠選挙で初当選。1982年、参議院農林水産委員会委員。 この他、熊本県果実連を創設して同会長を務めた。 1996年、農協運動への功績を讃えて農協人文化賞受賞。同年10月22日、慢性腎不全のため熊本県熊本市の済生会熊本病院で死去、66歳。死没日をもって勲三等瑞宝章追贈、正五位に叙される。
深水 六郎(ふかみ ろくろう、1901年11月19日 - 1… 深水 六郎(ふかみ ろくろう、1901年11月19日 - 1995年1月4日)は、日本の政治家、逓信官僚、実業家。参議院議員(2期)、熊本放送取締役、日本民間放送連盟副会長、熊本県経営者協会会長。
園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日… 園木 登(そのき のぼる、1901年(明治34年)8月16日 - 1962年(昭和37年)12月23日)は、大正から昭和期の官吏、農業協同組合指導者、政治家。参議院議員(1期)。 熊本県鹿本郡山東村大字小野(植木町大字小野を経て現熊本市北区)で生まれる。1914年(大正3年)3月、山東小学校を卒業し、同年4月、熊本県立中学済々黌(現熊本県立済々黌高等学校)に入学したが、1915年(大正4年)9月、肋膜炎となり同校を退学。その後回復して家業の農業に従事した。 1922年(大正11年)11月、朝鮮総督府官吏となり、1931年(昭和6年)6月まで在任。同年11月、満州国官吏に任官し新京警察署に赴任。1937年(昭和12年)10月、満州国官吏を辞任し、同年11月、北京の北支派遣軍嘱託となり特務部総務課に配属。
細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、1900年〈明治33年〉1… 細川 隆元(ほそかわ りゅうげん、1900年〈明治33年〉1月17日 - 1994年〈平成6年〉12月19日)は、日本の政治評論家、衆議院議員。熊本県熊本市出身。 中学濟々黌、旧制第五高等学校大学予科(現熊本大学)を経て1923年、東京帝国大学法学部を卒業、同年朝日新聞社に入社する。記者を務め1936年政治部長、1940年ニューヨーク支局長、1944年編集局長。 1947年朝日新聞社に在籍したまま熊本県知事選に出馬するも落選した。同年、朝日新聞を退社して日本国憲法成立直後の第23回衆議院議員総選挙で日本社会党から熊本2区から出馬して初当選、衆議院議員を1期務めた。 その後、政治評論家に転身し1957年から始まったTBSの『時事放談』で小汀利得(後に藤原弘達)とホストを務めた。
石坂 繁(いしざか しげる、1893年(明治26年)1月24… 石坂 繁(いしざか しげる、1893年(明治26年)1月24日 - 1972年(昭和47年)12月31日)は、日本の政治家、弁護士。衆議院議員(6期)。熊本市長(3期)。 熊本県合志郡西合志村(菊池郡西合志村、西合志町を経て現合志市)出身。熊本県立中学済々黌、旧制五高を経て東京帝国大学法学部を卒業。 1936年の総選挙で熊本1区から国民同盟で立候補し、初当選。以後、途中公職追放によるブランクや落選を挟んで通算6期衆議院議員を務めた。 国政の傍ら、1945年には第12代熊本市長を兼任し翌年まで1期務め、また高橋守雄の懇請によって東洋語学専門学校の初代理事長となる。1958年の第2次岸内閣では農林政務次官を務めている。
林田 正治(はやしだ まさはる、1892年8月3日 - 19… 林田 正治(はやしだ まさはる、1892年8月3日 - 1979年12月14日)は、日本の内務官僚、政治家。 衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)、熊本市長(16代)、新竹州知事。 熊本県下益城郡城南町(現熊本市南区)に生まれる。済々中学、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学法学部卒業し、1918年(大正7年)内務省に入省する。のち渡台し、1939年(昭和14年)新竹州知事を務める。 終戦後の1946年(昭和21年)第22回衆議院議員総選挙に熊本選挙区から日本進歩党より出馬し当選。1948年(昭和23年)熊本市助役を経て、1952年(昭和27年)第16代熊本市長に就任。1956年(昭和31年)第4回参議院議員通常選挙では熊本県選挙区から無所属で出馬し当選する。
小見山 七十五郎(こみやま なそごろう / おみやま しちじ… 小見山 七十五郎(こみやま なそごろう / おみやま しちじゅうごろう、1885年(明治18年)6月28日 - 1948年(昭和23年)3月16日)は、日本の実業家、政治家。衆議院議員。
東郷 彪(とうごう ひょう、1885年〈明治18年〉2月28… 東郷 彪(とうごう ひょう、1885年〈明治18年〉2月28日 - 1969年〈昭和44年〉6月5日)は、日本の農商務官僚、宮内官僚、政治家。爵位は侯爵。東郷平八郎の子。宮内省内匠寮御用掛、貴族院議員などを歴任した。 温厚な人柄、恬淡とした性格で我が道を進み、新宿御苑で菊栽培などを手がけ、菊づくりの拡充強化に大きく貢献した。 東郷平八郎の長男として、1885年(明治18年)鹿児島県に生まれた。学習院に入るがその後中学済々黌を経て、1911年(明治44年)、東京高等農学校(現東京農業大学)を卒業した。卒業後は、農商務省の農事試験場興津園芸試験場(現在の農研機構果樹研究所·カンキツ研究興津拠点)に勤務した。
大塚 惟精(おおつか いせい、1884年〈明治17年〉12月… 大塚 惟精(おおつか いせい、1884年〈明治17年〉12月11日 - 1945年〈昭和20年〉8月6日)は、日本の内務官僚、政治家。貴族院議員。熊本県士族。 栃木・福岡・石川・広島の各県知事を歴任し、中国地方総監在任中に原爆投下により被爆死した。 細川侯爵家に仕えた書家・大塚惟一の長男として熊本県に生まれる。 済々黌中学・五高を経て、1909年(明治42年)7月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業後、11月、高等文官試験に合格し翌12月、内務省に入省、愛知県属(内務部庶務課)となった。そして徳島県・宮城県・神奈川県の警察部長を歴任したのち、栃木県知事(1924年(大正13年)6月 - 1926年(大正15年)9月)、福岡県知事(1926年(大正15年)9月 - 1927年(昭和2年)5月)、石川県知事(1927年(昭和2年)5月、ただし1日のみの在任)を務めた。
木村 尚達(きむら しょうたつ、明治12年(1879年)5月… 木村 尚達(きむら しょうたつ、明治12年(1879年)5月27日 - 昭和22年(1947年)11月1日)は、日本の裁判官、検察官、政治家。検事総長、司法大臣、貴族院議員。 熊本県出身。東秀則の二男として生まれ、木村成苗の養子となる。中学済々黌、第五高等学校を経て、1906年7月、京都帝国大学法科大学を卒業。司法官試補となり奈良地方裁判所詰となる。 1908年4月、検事に任官し東京地方裁判所予備検事に着任。以後、岡崎区裁判所検事、千葉地方裁判所検事を歴任し、1911年4月に退職。翌月、ドイツに留学し、チュービンゲン大学、ミュンヘン大学で学んだ。 1914年に帰国し、同年4月、東京地裁判事に復帰した。
津野田 是重(つのだ これしげ、1873年(明治6年)11月… 津野田 是重(つのだ これしげ、1873年(明治6年)11月25日 - 1930年(昭和5年)9月2日)は、大日本帝国陸軍の軍人、政治家。熊本県出身。最終階級は陸軍少将。衆議院議員。 熊本藩士、陸軍大尉・津野田是秋の長男として生まれる。中学済々黌、陸軍幼年学校を経て、1895年(明治28年)2月、陸軍士官学校(第6期)歩兵科を首席卒業。同年5月、陸軍歩兵少尉任官、近衛歩兵第1連隊付となる。1900年(明治33年)12月、陸軍大学校(14期)を優等で卒業。 1901年(明治34年)6月、参謀本部出仕となり、参謀本部部員、フランス駐在、参謀本部付を経て、1904年(明治37年)5月、第3軍参謀に発令され日露戦争に出征。
山田 珠一(やまだ しゅいち、元治2年1月15日(1865年… 山田 珠一(やまだ しゅいち、元治2年1月15日(1865年2月10日) - 昭和9年(1934年)4月17日)は、日本の衆議院議員(帝国党→大同倶楽部→中央倶楽部→立憲同志会→憲政会)。熊本市長。 豊後国国東郡草地村(現在の大分県豊後高田市)出身。少年時代から漢学を修め、秀才の評判が高かった。済々黌に入学、教師や生徒の間から「今度大分から来た山田は非常に秀才だ。」と喧伝されていた。済々黌で生涯の畏友となる安達謙蔵と出会い、ドイツ語を学び、その学才を佐々友房から高く評価された。卒業後は在学中から手伝っていた九州日日新聞社に入り、主筆を経て、1899年(明治32年)に社長に就任した。また熊本市会議員、市会議長も務め、1902年(明治35年)の第7回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。
井手 三郎(いで さぶろう、文久3年5月15日(1863年6… 井手 三郎(いで さぶろう、文久3年5月15日(1863年6月30日) - 昭和6年(1931年)11月16日)は、衆議院議員(中央倶楽部→立憲同志会→憲政会)、ジャーナリスト。 肥後国飽田郡中島村(現在の熊本県熊本市西区)出身。1887年(明治20年)、済々黌を卒業。中国語を学び、漢口や北京を巡った。日清戦争の際には大本営附となり、第一軍民政庁通訳官を務めた。戦後、海軍軍令部嘱託として北京・天津を視察した。 1897年(明治30年)、福州にて「漢字新報」を創刊。翌年、貴族院議長・公爵近衛篤麿が東亜同文会を創設すると、それに参加し、上海支部長に任命された。上海租界では漢字新聞「同文滬報」を発行、1904年(明治37年)7月には邦字新聞「上海日報」の経営を引き継いだ。
木原 稔 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期… 木原 稔 は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、内閣官房長官 、沖縄基地負担軽減担当大臣、拉致問題担当大臣。内閣総理大臣臨時代理就任順位第1位。