スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
上原 訓蔵(うえはら くんぞう、1972年没)は日本の教育者… 上原 訓蔵(うえはら くんぞう、1972年没)は日本の教育者、外国語学者。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1909年卒業)を経て、東京外国語学校(現・東京外国語大学)を卒業した。[要出典] マレー語の第一人者として母校である東京外国語学校の助教授、教授の他、太平洋戦争で大日本帝国陸軍がマレー半島に進出するにあたって陸軍教授となり、陸軍兵士にマレー語の指導をおこなった[要出典]。この時期にはマレー語の教本・事典を複数刊行しており、『標準上原マレー語』(全4巻、晴南社、1942年)は初版各巻1万部という売れ行きを示した。戦争中にはジャワ島で、旧慣習制調査委員やインドネシア語整備委員も務めた。
花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7… 花吉 洋一(はなよし よういち、1929年 - 2021年7月17日)は日本の教育者。 熊本県に生まれる。小学2年生の時に両親を失う。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1947年卒業)を経て、東京高等師範学校(現・筑波大学)を卒業した。 卒業後は熊本県の理科の教員となり、母校である熊本県立玉名高等学校に勤務した。1970年から熊本県教育委員会指導主事、主幹を務めたあと再び教職に戻り、熊本県立南関高等学校(1978年着任)・熊本県立玉名高等学校・熊本県立熊本高等学校で校長を歴任した。熊本県教育委員会に戻って教育次長を務める。最後の教職となったのは1988年に新設された熊本県立東稜高等学校の初代校長で、学校のコンセプト作りからかかわり、校歌の作詞・作曲も手がけている。
田辺 哲夫(たなべ てつお、1924年12月1日 - 200… 田辺 哲夫(たなべ てつお、1924年12月1日 - 2000年10月9日)は、日本の考古学者、教育者。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1942年卒業)を経て、広島高等師範学校を卒業した。 教員となり、京都師範学校、母校である熊本県立玉名高等学校で勤務の後、熊本県立小国高等学校で教頭・指導主事・主幹を、玉名高等学校、熊本県立第一高等学校、熊本高等学校で校長を務めた。熊本県庁で初代の文化課長を務めたこともある。 教員業の傍ら考古学者としての活動をおこない、九州各地の古墳などを調査した。県文化課長時代は遺跡の保護に力を尽くした。 1996年には、長年にわたる考古学への功績を評価されて熊本日日新聞社の熊日賞を受賞した。
徳永 春夫(とくなが はるお、1921年 - )は、日本の教… 徳永 春夫(とくなが はるお、1921年 - )は、日本の教育者。 熊本県玉名郡石貫村(現・玉名市)に、石貫村村長も務めた徳永右馬七の三男として生まれる。徳永右馬七は旧制第五高等学校で嘱託教員を務めたことがあり、当時同僚だった夏目漱石とも親交を結んでいた。 熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1938年卒業)、旧制第五高等学校を経て、東京帝国大学文学部を卒業した。卒業後は、海軍兵学校の文部教官となった。 終戦後、母校の玉名高等学校教諭に就いたのち、熊本県立牛深高等学校では教頭・指導主事・主幹、熊本県立大津高等学校・熊本県立八代高等学校(1971年 - 1974年)・熊本県立熊本西高等学校・熊本国府高等学校(1980年 - 1989年)では校長を務めた。
池田 勝(いけだ まさる、1911年3月2日 - 没年不明)… 池田 勝(いけだ まさる、1911年3月2日 - 没年不明)は日本の教育者。 熊本県荒尾市に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1928年卒業)を経て、京城帝国大学法文学部を卒業した。 卒業後は朝鮮・全州師範学校教諭となる。戦後は母校である玉名高等学校の教諭を務めた後、熊本県教育委員会指導委員となる。その後教職に復帰し、熊本県立荒尾高等学校(1956年着任)・熊本県立宇土高等学校(1960年着任)・熊本県立第一高等学校・熊本県立鹿本高等学校で校長を歴任した。荒尾高等学校長就任は、生徒のストーム事件の事後処理がその理由だった。熊本県教育委員会では指導室長も務めている。
竹下 武雄(たけした たけお)は、日本の教育者。 熊本県に生… 竹下 武雄(たけした たけお)は、日本の教育者。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(1911年卒業、同級生に薬師寺尊正がいる)、第五高等学校を経て、東京帝国大学を卒業した。 鳥取高等農林学校(現・鳥取大学農学部)教授、福岡県立女子専門学校教授、熊本県第一高等女学校教授、主任教授などを歴任した。長年にわたり、熊本県区の女子教育に携わった。熊本県立第一高等学校の記念誌[要文献特定詳細情報]によると、時には生徒が驚くような出で立ちで授業をすることもあったとされる。
広瀬 続(ひろせ つづく)は、日本の教育者、官僚。 熊本県に… 広瀬 続(ひろせ つづく)は、日本の教育者、官僚。 熊本県に生まれる。熊本県立玉名中学校(現・熊本県立玉名高等学校・附属中学校、1923年卒業)、広島高等師範学校第二教員養成所を経て、京城帝国大学法文学部を卒業した。 山梨県立日川中学校教諭などを歴任後、朝鮮総督府に入り、総督府警務局編修官となる。 太平洋戦争中は従軍した。戦後は郷里である熊本に引き上げ、母校である玉名高校で教諭や教頭を歴任した。