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松尾 敬宇(まつお けいう / よしたか、1917年〈大正6… 松尾 敬宇(まつお けいう / よしたか、1917年〈大正6年〉7月21日 - 1942年〈昭和17年〉5月31日)は、日本の海軍軍人。海兵66期。太平洋戦争におけるシドニー湾攻撃で特殊潜航艇「甲標的」艇長として戦死。二階級特進により最終階級は海軍中佐。 熊本県鹿本郡三玉村久原(現・山鹿市久原)出身。松尾鶴彦、まつ枝の次男として生まれる。父は八幡小学校校長、母も元小学校教師であり、厳格な家風で育った。 鹿本中学を経て、1938年(昭和13年)9月、海軍兵学校を卒業(66期)。特殊潜航艇(以下「特潜」 )艇長として訓練を受け、日米開戦前に真珠湾を視察している。真珠湾攻撃においては予備指揮官として現地まで赴いた。
立花 止(たちばな いたる、1903年(明治36年)3月29… 立花 止(たちばな いたる、1903年(明治36年)3月29日 - 1954年(昭和29年)6月7日)は、日本の海軍軍人。米国駐在時代に情報活動に従事しFBIに逮捕され国外追放処分を受ける(立花事件)。最後の連合艦隊参謀の一人である。最終階級は海軍大佐。 熊本県出身。鹿本中学を経て海軍兵学校に進む。海兵52期で源田實、内藤雄、淵田美津雄らが同期生である。1925年(大正14年)少尉任官。立花は運用術航海学生を修了した航海科専攻の士官で、駆逐艦「吹雪」、「漣」、軽巡洋艦「川内」、重巡洋艦「三隈」の航海長を務めている。 大尉時代は練習艦隊参謀兼副官として、海兵60期(板谷隆一クラス)らの遠洋航海に参加。
松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月2… 松田 千秋(まつだ ちあき、 1896年(明治29年)9月29日 - 1995年(平成7年)11月6日)は、日本の海軍軍人。海兵44期。戦艦「大和」第3代艦長。最終階級は海軍少将。妻コマは詩人丸山薫の妹。 1896年(明治29年)9月29日、熊本県菊池郡加茂川村大字菰入(現・七城町菰入)に生まれる。旧制熊本県立鹿本中学校を経て、1913年(大正2年)9月3日、海軍兵学校44期に100名中89番の成績で入学。同期に柳本柳作、西田正雄、朝倉豊次、黒島亀人らがいる。1916年(大正5年)12月11日、95名中14番の成績で卒業。少尉候補生となり装甲巡洋艦「常磐」に乗り組み、練習艦隊近海航海に出発し、1917年(大正6年)3月3日に帰着。
坂本 末雄(さかもと すえお、1890年(明治23年)12月… 坂本 末雄(さかもと すえお、1890年(明治23年)12月16日 - 1966年(昭和41)9月28日)は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業 1890年(明治23年)に熊本県菊池郡田島村で生まれた。熊本県立鹿本中学校(現・熊本県立鹿本高等学校)卒業後、海軍経理学校に合格したが陸軍への道を選び、1911年12月に士官候補生として歩兵第53連隊に入隊。なお、この時経理学校に補欠合格した林義秀も同じく入学を辞退し、陸士・陸大で同期となっている。陸軍士官学校第26期、陸軍大学校第35期卒業。1938年(昭和13年)3月1日に陸軍歩兵大佐に進級、6月30日に歩兵第53連隊長(中支那派遣軍・第17師団・第17歩兵団)に就任し、日中戦争では、武漢攻略に参加した。