スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
大南 拓磨(おおみなみ たくま、1997年12月13日 - … 大南 拓磨(おおみなみ たくま、1997年12月13日 - )は、愛知県刈谷市出身のプロサッカー選手。ベルギー・ファースト・ディビジョンA・OHルーヴェン。ポジションはディフェンダー(センターバック、右サイドバック)、ミッドフィールダー(右ウイングバック)。 元日本代表。 愛知県刈谷市出身。刈谷市立日高小学校時代は愛知県内の強豪サッカークラブである愛知FCに、刈谷市立刈谷東中学校時代も強豪サッカークラブである名古屋FCに在籍した。小中学生時にはサッカーに並行してフットサルも楽しみ、小学校高学年クラスから中学生クラスまで名古屋オーシャンズフットサルスクールに在籍した。小学生の時は標準的な背の高さだったが、中学生の時は大柄な体格となり躍動的なプレーを見せていたという。
井上 黎生人(いのうえ りきと、1997年3月9日 - )は… 井上 黎生人(いのうえ りきと、1997年3月9日 - )は、島根県出身のプロサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。ポジションはディフェンダー(DF)。既婚者 祖母がスペイン人でクオーターである。 雑賀JSCキッカーズにおいてサッカーを始める。滋賀県RESTA FCで個人技を磨く。 2015年に鹿児島実業高等学校からガイナーレ鳥取に加入。2018年からレギュラーに定着し、同年のJ3第12節・秋田戦から2020年J3第34節熊本戦までのリーグ89試合連続で先発出場した。 2021年、ファジアーノ岡山に移籍。J2全42試合先発フル出場した。 2022年、京都サンガF.C.に移籍。 2024年、浦和レッズに移籍。
福島 立也(ふくしま りゅうや、1996年9月5日 - )は… 福島 立也(ふくしま りゅうや、1996年9月5日 - )は、滋賀県守山市出身のサッカー選手。ポジションは、FW。 鹿児島実業高校時代は、背番号10番をつけていた。同期に井上黎生人が在籍していた。 2015年に鹿児島実業高校を卒業後、鹿児島ユナイテッドFCに入団。第17回日本フットボールリーグの開幕戦(奈良クラブ戦)にて、後半途中出場ながらアディショナルタイムに劇的な決勝点を挙げ、華々しくデビューする。2015年シーズンは途中出場のみだったが、鋭いドリブルによる攻撃参加が持ち味。 2016年4月、鈴鹿アンリミテッドFCへ期限付き移籍。 2017年よりヴェルスパ大分に完全移籍。同年7月、ヴェルスパ大分を退団。
山之内 優貴(やまのうち ゆうき、1994年9月18日 - … 山之内 優貴(やまのうち ゆうき、1994年9月18日 - ) は、鹿児島県出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 鹿児島実業高校3年次には、ナイキのスカウトプロジェクト「THE CHANCE」で第2次選考(26人)まで残った経歴を持つ。 その後はJ1・J2各クラブの練習に参加していたが、2013年にギラヴァンツ北九州に入団。 2015年4月から東海リーグ1部のFC鈴鹿ランポーレに期限付き移籍。シーズン終了後に北九州を契約満了になり、同年12月28日に大分トリニータへの加入が発表された。 2017年からアルビレックス新潟シンガポールに完全移籍により加入した。2018年1月1日に現役引退を自身ツイッターより発表した。
阪本 一仁(さかもと かずと、1991年9月24日 - )は… 阪本 一仁(さかもと かずと、1991年9月24日 - )は、奈良県橿原市出身のプロサッカー選手。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。 高校まではFWとして、プロ入り後は主にサイドのプレーヤーとして起用されている。
谷口 功(たにぐち いさお、1991年2月16日 - ) は… 谷口 功(たにぐち いさお、1991年2月16日 - ) は、大阪府大阪市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。 大阪市生野区出身。鹿児島実業高校に越境留学後、楚輪博が監督を務める桃山学院大学に進学。 3年次には全国大学選手権に出場するも、準々決勝で慶応義塾大学の前に0-1で敗れる。 4年次にも同選手権に出場。牟田雄祐・岸田翔平・清武功暉らを擁する福岡大学に初戦で0-1で敗れた。 2013年、ギラヴァンツ北九州に入団。リーグ戦3試合でベンチ入りを果たすも、この年北九州に所属したフィールドプレイヤーで唯一公式戦出場機会が無かった。 2014年、JFL所属の鹿児島ユナイテッドFCへ期限付き移籍。
赤尾 公(あかお あきら、1988年2月15日 - )は、鹿… 赤尾 公(あかお あきら、1988年2月15日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。ディフェンダー。 鹿児島実業高校時代には2度の全国高等学校サッカー選手権大会に出場。2年時の第83回大会には優勝を経験。キャプテンを務めた3年時の第84回大会には決勝に進出したものの、乾貴士・青木孝太・楠神順平を擁する滋賀県立野洲高校に延長戦の末に敗れ準優勝に終わる。 高校卒業後は鹿屋体育大学に進学。4年時にはキャプテンを務めるなどチームの中心選手として活躍。 大学卒業後の2010年から、ガイナーレ鳥取に入団。前期16節の金沢戦で交代出場によりJFL初出場を果たすと、その1分後に初ゴールを決めチームの勝利に貢献した。
諏訪園 良平(すわぞの りょうへい、1987年10月23日 … 諏訪園 良平(すわぞの りょうへい、1987年10月23日 - )は、鹿児島県指宿市 出身のサッカー選手。JFL・ホンダロックSC所属。 ポジションはMF。
西岡 謙太(にしおか けんた、1987年4月15日 - )は… 西岡 謙太(にしおか けんた、1987年4月15日 - )は、愛媛県松山市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(MF)。 鹿児島実業高等学校の2年時に出場した全国高校サッカー選手権準決勝の国見高校戦にて50メートル、最高到達点約30メートルの大きな弧を描いた超ロングシュートを決めた。2020年1月8日、現役を引退して鹿児島ユナイテッドFCのU-15コーチに就任した。
豊満 貴之(とよみつ たかゆき、1987年4月2日 - )は… 豊満 貴之(とよみつ たかゆき、1987年4月2日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
岩下 敬輔(いわした けいすけ、1986年9月24日 - )… 岩下 敬輔(いわした けいすけ、1986年9月24日 - )は、鹿児島県伊集院町(現:日置市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表。 鹿児島実業高等学校在学中の2005年に全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を経験。この年、清水エスパルスに入団。中学年代までは攻撃的なポジションで鹿児島県選抜に選ばれた。足元の技術も高さを当時の監督長谷川健太に買われ、5月1日の大宮戦でボランチとしてデビューし、その後も本職のセンターバックだけでなくサイドバックなども任された。3年目の2007年J1第22節 対アルビレックス新潟戦に先発出場し、後半17分にCKからプロ入り初ゴールとなるヘディングシュートを決めた。
山下 真太郎(やました しんたろう、1986年4月2日 - … 山下 真太郎(やました しんたろう、1986年4月2日 - )は、東京都出身のサッカー選手。ポジションはFW。 2003年、鹿児島実業高等学校2年時に出場した全国高校サッカー選手権で2得点した。2004年、3年時にも同大会に出場し、得点王(4得点)を獲得する活躍で鹿児島実業の9年ぶりの優勝に貢献した。同期に岩下敬輔がいる。進学した駒澤大学ではなかなか出場機会に恵まれなかったが、4年次にリーグ戦初出場を果たした。 2009年に横河武蔵野FCに入団し、同年のリーグ戦5試合に出場した。 2013年に東京開催の国体の青年部のサッカーチームのキャプテンに任命される。
伊野波 雅彦(いのは まさひこ、1985年8月28日 - )… 伊野波 雅彦(いのは まさひこ、1985年8月28日 - )は、宮崎県宮崎市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)、ミッドフィールダー(ボランチ)。元日本代表。 実家は宮崎市波島にある豆腐屋。幼少時は水泳や器械体操を習っていたが 9歳の時に全てを辞め、サッカーを始める。生目台中学では同期の上田常幸と共に宮崎県選抜に選ばれていた。この頃、同郷の増田誓志を伴いブラジル・リオデジャネイロに2度の短期留学を経験。また、当時から鹿島アントラーズのファンで、鹿島ユース入りを図って直談判を申し出たが、遠方のクラブに入る負担などを理由に断られた。スカウト担当の平野勝哉は当時の伊野波について「まだ小柄でどんなタイプの選手かも分からなかった」と述懐している。
森 洋介(もり ようすけ、1985年7月25日 - )は、鹿… 森 洋介(もり ようすけ、1985年7月25日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。ポジションはDF。 鹿児島実業高校出身で高校時代には伊野波雅彦らと共に、第82回高校サッカー選手権でベスト4に進出した。 2008年8月、FC岐阜SECONDからJ2・FC岐阜に加入。FC岐阜がJリーグ加入して以降初めてBチームから昇格した選手である。 2009年はFC岐阜SECOND(2012年に行われる岐阜国体を目指して編成されたチーム)に所属し、2010年からヴォルカ鹿児島に移籍したが、2012年シーズン限りで退団。
柳崎 祥兵(やなぎざき しょうへい、1984年6月11日 -… 柳崎 祥兵(やなぎざき しょうへい、1984年6月11日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
赤嶺 真吾(あかみね しんご、1983年12月8日 - )は… 赤嶺 真吾(あかみね しんご、1983年12月8日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロサッカー選手。駒澤大学出身。ポジションはフォワード(FW)。 小学校3年生の時に従兄の影響でサッカーを始める。1999年、中学の先輩からの勧誘と全国高校選手権への憧れから、鹿児島実業高校に越境進学。それまで主にMFとしてプレーしていたが、高校に入ってからFWを志望した。2001年(高校3年次)には、同期の立石飛鳥、登尾顕徳、松下年宏らと共にインターハイ及び選手権に出場し、共にベスト4入りした(選手権では準決勝で国見に敗れたが、大会優秀選手に選出されている)。 2002年に駒澤大学へ進学。1年次は、3期先輩の深井正樹と巻誠一郎がFWに定着していたため 出場機会が限られたが、2年次からは滞空時間の長いヘディングシュートを武器に エースとして活躍。
登尾 顕徳(のぼりお けんとく、1983年11月30日 - … 登尾 顕徳(のぼりお けんとく、1983年11月30日 - )は、鹿児島県出水郡長島町出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時のポジションはディフェンダー。 鹿児島実業高校出身。高校では1学年上に田原豊、上本大海、同級生に赤嶺真吾、松下年宏らがチームメイトにいた。福岡大学時代には2005年夏季ユニバーシアードの日本代表に選出された。 2006年に京都パープルサンガに加入。2006年は、ルーキーながら、リーグ戦20試合に出場。2008年、当初は京都に登録されていたが、2月に徳島ヴォルティスに期限付き移籍。2009年、徳島に完全移籍した。 2012年より、ギラヴァンツ北九州へ完全移籍。 2013年より、選手兼任コーチとしてヴォルカ鹿児島に加入。
松下 年宏(まつした としひろ、1983年10月17日 - … 松下 年宏(まつした としひろ、1983年10月17日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー及びディフェンダー。 兄の影響でサッカーを始める。 1999年に鹿児島実業高校に進学。3年時のインターハイ及び選手権では、同期の赤嶺真吾、立石飛鳥、登尾顕徳と共にベスト4入り。同年、明治大学サッカー部のセレクションを受け合格していたが、ガンバ大阪からオファーを受け、高校卒業後の2002年、G大阪に入団。主に右サイドバックとしてルーキーイヤーから多くの試合にベンチ入りし、Jデビューも果たした。 2005年には自己最多の14試合に出場するも、2006年は右WBに加地亮が加入したことなどにより出場機会に恵まれず、公式戦の出場機会確保と気持ちをリセットするために 同年6月から2007年12月までの1年半という長期の期限付き移籍でアルビレックス新潟へ移籍した。
立石 飛鳥(たていし あすか、1983年6月9日 - )は、… 立石 飛鳥(たていし あすか、1983年6月9日 - )は、鹿児島県枕崎市出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダー。現在は大阪市内の焼き肉店「飛牛」店長。
諏訪園 一吉(すわぞの かずよし、1983年3月4日 - )… 諏訪園 一吉(すわぞの かずよし、1983年3月4日 - )は、鹿児島県指宿市出身のサッカー選手。ポジションは、ミッドフィールダー。 中学時代から年代別日本代表に招集され、1998年に鹿児島実業高校へ進学。1999年度の全国高校選手権では準優勝に入った。 2001年に高校を卒業しJリーグ・FC東京へ加入したが、リーグ開幕直後に長年苦しんでいた左肩の脱臼を再発し、半年近くをリハビリに費やした。シーズン終盤に復帰し、翌2002年にかけてU-18 及びU-19日本代表候補に選出された。高校の先輩である藤山竜仁からはマッチデープログラム誌上において「(自身が着けている)背番号8は将来、諏訪園に譲りたいから相応しい選手になって欲しい」と期待を寄せられていた。
久留 貴昭(ひさどめ たかあき、1982年12月22日 - … 久留 貴昭(ひさどめ たかあき、1982年12月22日 - )は、鹿児島県出身の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー。 上背はあまりないが、センターバックとしてディフェンスを統率している。 2006年から2年間は養護学校の臨時教員を務めた。2008年にはV・ファーレン長崎とプロ契約を結んだ。また、2007年はチームの主将を務めた。 2010年、シーズン終了後、契約満了となりプロを引退。創成館高校(長崎)の保健体育教諭とサッカー部監督に就任。長崎県サッカーリーグ1部、多良見ドランカーズで選手生活を継続中。岐阜国体成年男子サッカー長崎代表。
税所 義博(さいしょ よしひろ、1982年11月20日 - … 税所 義博(さいしょ よしひろ、1982年11月20日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。ポジションはディフェンダーだが、センターフォワードでプレーするときもある。 チームのスポンサーである親和銀行の行員である。 2010年2月11日付けの長崎新聞の報道によると、2009年をもって引退することがチームより発表された。なお、今後もチームの地域活動には関わる模様。
萩原 達郎(はぎはら たつろう、1982年8月6日 - )は… 萩原 達郎(はぎはら たつろう、1982年8月6日 - )は、鹿児島県出身のサッカー選手。ポジションはゴールキーパー。 2001年、鹿児島実高からJリーグ・ベガルタ仙台に加入。しかし高橋範夫・小針清允・高桑大二朗等実力者とのポジション争いに敗れ、長く第2・第3GKという立場で公式戦の出場機会はなかった。 高橋と高桑が退団し、小針の負傷でシュナイダー潤之介が加入しても控えが続いたが、2007年10月7日の天皇杯3回戦(対順天堂大学)でようやく公式戦初出場。2008年5月6日にはリーグ戦初出場を果たし、この年に圧倒的な成績で優勝したサンフレッチェ広島を好プレーの連続で完封、広島にこの年の初黒星をつけた。
上本 大海(うえもと たいかい、1982年6月1日 - )は… 上本 大海(うえもと たいかい、1982年6月1日 - )は、鹿児島県指宿市出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。現在はJリーグ・大分トリニータの強化部スカウトを務める。 高校時代は鹿児島実業高校サッカー部で活躍。同期の選手に田原豊や萩原達郎、諏訪園一吉らがおり、2年次の1999年度には全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝を果たした。 高校卒業後の2001年にジュビロ磐田に入団。磐田では出場機会に恵まれず、2005年に大分トリニータに期限付き移籍で加入。移籍当初はプレーの不安定な部分が目立ったが、程なく大分にとって欠かせない選手の一人となった。 2006年より大分に完全移籍した。
田原 豊(たはら ゆたか、1982年4月27日 - )は、鹿… 田原 豊(たはら ゆたか、1982年4月27日 - )は、鹿児島県姶良市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 2008年の京都がJ1昇格後は大型CFとして期待されたが、好不調の波が大きいことなどからチームから戦力外通告を受けて同年限りで退団となった。 京都退団後にJリーグ合同トライアウトへ参加。2009年には韓国の大田シチズンやオーストラリアのアデレード・ユナイテッドのキャンプに参加するも契約には至らず。その後、J2・湘南ベルマーレの練習に参加。新たな攻撃の軸を探す湘南の思惑と一致し、開幕2日前になって入団が決定した。得点だけでなく、ポストプレーはもちろん、激しいチェイシングや相手コーナーキック時には高さに不安を抱えた湘南のディフェンスをカバーする[要出典]など、チームに欠かすことの出来ない選手として活躍。
那須 大亮(なす だいすけ、1981年10月10日 - )は… 那須 大亮(なす だいすけ、1981年10月10日 - )は、日本の元プロサッカー選手、YouTuber。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック、サイドバック)、ミッドフィールダー(ディフェンシングハーフ)。守備的ポジションであればどこでもこなせるユーティリティプレイヤーであった。 神奈川県横浜市生まれ、鹿児島県南さつま市出身。鹿児島実業高等学校、駒澤大学文学部地理学科卒業。 高校の同期に松井大輔、2学年上に遠藤保仁、1学年下には田原豊、上本大海、2学年下には赤嶺真吾らがいた。 駒澤大学2年生の時に全日本大学サッカー選手権大会優勝に貢献。年代別カテゴリーの日本代表に選出される。 2002年、大学3年時に大学生Jリーガーとして横浜F・マリノスに入団。
松井 大輔(まつい だいすけ、1981年5月11日 - )は… 松井 大輔(まつい だいすけ、1981年5月11日 - )は、京都府京都市山科区出身の元プロサッカー選手、元フットサル選手、元サッカー日本代表。サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー・フォワード、フットサルのポジションはアラ。 元妻はタレントの加藤ローサ。 姉2人の末っ子長男である。寺西幼稚園卒園。京都市立大宅小学校進学。同級生の兄がサッカーをやっていたこともあり、小学3年生より大宅サッカースポーツ少年団に18期生(大宅小学校の生徒のみのチーム)で入団。同チーム内には同級生の山崎雅人も在籍し、他にも後にJリーグや実業団で活躍した同級生も多く在籍していた。特に松井と山崎は多くの大会で優秀選手賞を受賞した。
椎原 拓也(しいはら たくや、1980年7月9日 - )は、… 椎原 拓也(しいはら たくや、1980年7月9日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはMF。 高校時代は、名門鹿児島実業高校で10番を背負い、高校総体などに出場した。その後、大阪ガスに入社し、関西サッカーリーグに所属する同社のサッカー部でアマチュア選手として仕事とサッカーを両立していた。 2001年、Jリーグディビジョン1(J1)・ジェフユナイテッド市原が実施していたアマチュアチームのセレクションに合格するものの、安定した生活を捨てきれず大阪ガスに残留。その後は、大阪ガスサッカー部に在籍しながら市原のキャンプや練習に参加してきた。なお、2002年には国体サッカー成年男子の部で優勝を飾っている。
森 惠佑(もり けいすけ、1980年4月17日 - )は、佐… 森 惠佑(もり けいすけ、1980年4月17日 - )は、佐賀県武雄市出身の元プロサッカー選手。現在は、サガン鳥栖U-15監督。 1999年〜2004年の6シーズン、サガン鳥栖でプレー。ルーキーイヤーの1999年4月14日、セレッソ大阪戦でJリーグ初出場。2001年8月3日、湘南ベルマーレ戦でJリーグ初ゴール。2004年9月、サガン鳥栖からアローズ北陸へ期限付き移籍。2005年8月から水戸ホーリーホックに練習生として参加し、2006年に正式加入した。同年はリーグ戦12試合に出場。
田ノ上 信也(たのうえ しんや、1980年2月5日 - )は… 田ノ上 信也(たのうえ しんや、1980年2月5日 - )は鹿児島県薩摩川内市出身の元サッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。 選手時代は攻撃的な中盤の選手だが、ベガルタでは主に左サイドバックとしてプレーしていた。両足が使えるため、ポジションの左右を問わずプレーできた。 鹿児島実業高等学校では、10番を付けて遠藤保仁らと共にプレーしていた。横浜F・マリノスから戦力外通告を受けた後、テスト生として練習に参加していたベガルタ仙台への入団が決まった。柏レイソル時代、ブラジル留学をしていたり、やって来るブラジル人選手とコミュニケーションをとっていたためポルトガル語が堪能。 2008年12月1日、契約期間満了に伴い同年限りでベガルタ仙台を退団。
遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )… 遠藤 保仁(えんどう やすひと、1980年1月28日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。元日本代表。現在はガンバ大阪のコーチを務める。 実兄の遠藤彰弘も元プロサッカー選手。日本代表国際Aマッチ出場数最多記録保持者。2009年アジア年間最優秀選手。2014年JリーグMVP。また、Jリーグではアシストの統計をとっていないため、公式記録ではないが、2018年シーズン終了時点での通算Jリーグ最多アシストを記録している。 鹿児島県鹿児島郡桜島町に三人兄弟の三男として生まれ、6つ年上の長男・拓哉と4つ年上の次男・彰弘に影響され、物心ついた頃から自宅の庭でボールを蹴り、高校選手権やワールドカップのビデオを見ては、気に入ったプレーを真似していたという。
石谷 吾一(いしたに ごいち、1979年7月6日 - )は、… 石谷 吾一(いしたに ごいち、1979年7月6日 - )は、鹿児島県出身の実業家、元プロサッカー選手。ポジションはFW。 鹿児島実業高等学校では1年生でありながら、平瀬智行と2トップを組み、第74回全国高等学校サッカー選手権大会で優勝した。高校卒業後、1年半ブラジルのユースチームにサッカー留学。2000年にサガン鳥栖に入団。得点源として期待されたが故障が多く数試合の出場に留まった。現在は引退し、実家の建築業、株式会社イシタケで代表取締役をつとめている。
田畑 輝樹(たばた てるき、1979年4月16日 - )は、… 田畑 輝樹(たばた てるき、1979年4月16日 - )は、元プロサッカー選手、元ビーチサッカー選手であり、元ビーチサッカー日本代表であった。現在はビーチサッカー日本代表監督を務める。 以前はサッカー選手としてアルビレックス新潟、かりゆしFC、FC琉球、静岡FCに所属し、2005年引退。その後はビーチサッカーに活動の場を移す。2016年11月9年在籍した東京レキオスBSを退団し2017年4月ヴィアティン三重BSに所属 監督兼選手を務める。FIFAビーチサッカーワールドカップに8度出場。ビーチサッカー日本代表ではフィールドプレーヤーとしては初めて国際Aマッチ100試合を達成した。2021年時点ではビーチサッカー日本代表のフィールドプレーヤーとして国際Aマッチ出場数最多記録保持者。
山下 一弥(やました かずや、1979年4月2日 - )は鹿… 山下 一弥(やました かずや、1979年4月2日 - )は鹿児島県出身の元サッカー選手(ディフェンダー)、サッカー指導者。 鹿児島実業高では第77回天皇杯全日本サッカー選手権大会に出場、コンサドーレ札幌戦でゴールを決めている。同級生に遠藤保仁や田ノ上信也ら。 1998年4月にサンフレッチェ広島F.Cに途中から入団したがJリーグ出場はなかった。 広島退団後は将来Jリーグ入りを目指した石川県のクルゼイロジャパンFC、同様にJリーグ入りを目指したプロフェソール宮崎FCに入団。その後は佐川急便京都へ在籍。 現役引退後は、バニーズ京都で指導者として活躍。2016年時点で鹿児島市AリーグのLONDO BELLに所属している
久永 辰徳(ひさなが たつのり、1977年12月23日 - … 久永 辰徳(ひさなが たつのり、1977年12月23日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 1977年、鹿児島県姶良郡姶良町(現・姶良市)生まれ。1976年夏に高校野球で東海大学付属相模高等学校の原辰徳の活躍が有り全国的に新生児に「辰徳」と言う名前を付けることが流行った。 鹿児島実業高等学校在学時に第74回全国高等学校サッカー選手権大会に優勝。 松澤隆司監督から同校卒業後の東京ガスサッカー部への加入を持ちかけられたものの就職試験がうまくいかなかったため、1996年よりアビスパ福岡へ入団。2002年、横浜F・マリノスに1年間の期限付き移籍。
牛鼻 健(うしばな たけし、1977年9月21日 - )は、… 牛鼻 健(うしばな たけし、1977年9月21日 - )は、鹿児島県薩摩郡樋脇町(現薩摩川内市)出身のサッカー選手。ポジションはミッドフィールダー。
平瀬 智行(ひらせ ともゆき、1977年5月23日 - )は… 平瀬 智行(ひらせ ともゆき、1977年5月23日 - )は、鹿児島県出身 の元サッカー選手。ポジションはFW。 鹿児島市立西陵小学校、鹿児島市立西陵中学校を卒業。1993年、鹿児島実業高等学校に入学。1年生時は2学年上の城彰二と2トップを組む。3年時の第74回高校サッカー選手権で優勝(静岡学園高と両校優勝)を果たすと、1996年に鹿島アントラーズへ入団。同期に柳沢敦や池内友彦がいる。1998年にはブラジルのCFZ・ド・リオへ留学を果たし、1999年、当時の代表監督フィリップ・トルシエに見込まれ、シドニーオリンピック予選の代表に選出された。アジア予選ではゴールを量産し、チーム最多の17得点を挙げる活躍を見せ、本戦出場の原動力となった。
遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )… 遠藤 彰弘(えんどう あきひろ、1975年9月18日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現:鹿児島市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー(MF)。 実弟の遠藤保仁も元プロサッカー選手。横浜在籍時、ガンバとの対戦は兄弟対決として注目されることも多かった。 1994年にJリーグの横浜マリノス(後の横浜F・マリノス)に入団。長きに渡りレギュラーとして活躍した。2004年には中村俊輔の移籍で空いた10番も付けたが、2005年には故障に加え、補強選手や若手の台頭もあって出場機会が激減。7月にヴィッセル神戸へ完全移籍。2008年に契約満了で退団後、5月13日に引退を発表した。
城 彰二(じょう しょうじ、1975年6月17日 - )は、… 城 彰二(じょう しょうじ、1975年6月17日 - )は、北海道室蘭市生まれ、鹿児島県姶良郡加治木町(現:姶良市)育ちの元プロサッカー選手。現役時代のポジションはフォワード(FW)。元日本代表。 1998年ワールドカップフランス大会日本代表メンバー。 北海道に生まれる。小学生時代にサッカーのビデオを借りてフランク・オルデネビッツ(後にチームメイトとなる)のプレーに熱中していた。中学生の時に名古屋市立日比野中学校を経て両親の出身地である鹿児島県へ引っ越す。 姶良市立加治木中学校、鹿児島実業高等学校卒業。 鹿児島実業高校サッカー部では松澤隆司監督の指導を受け、2年先輩に前園真聖や藤山竜仁や遠藤拓哉(遠藤彰弘・遠藤保仁の兄)、同学年に遠藤彰弘や横山博敏、2年後輩に平瀬智行などがいた。
藤崎 義孝(ふじさき よしたか、1975年5月16日 - )… 藤崎 義孝(ふじさき よしたか、1975年5月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはDF。日本サッカー協会公認S級コーチ。 鹿児島実業高校3年次には城彰二や野見山秀樹らと共に高校総体準優勝、全日本ユース準優勝、高校選手権ベスト4進出に貢献した。 鹿屋体育大学を経て1998年にアビスパ福岡へ入団。2002年には主将を務めるが、そのオフに解雇。現役を引退後は福岡の下部組織を指導し、2014年からはアカデミーダイレクターを務めた。2019年6月からは福岡のトップチームのコーチに就任した。
横山 博敏(よこやま ひろとし、1975年5月9日-)は、鹿… 横山 博敏(よこやま ひろとし、1975年5月9日-)は、鹿児島県姶良市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 長男の横山歩夢(ベルギー・チャレンジャープロリーグ・ヨング・ヘンク所属)、次男の横山夢樹(セレッソ大阪所属)、共にプロサッカー選手。 加治木町立加治木中学校、鹿児島実業高等学校、大阪商業大学を経て1998年にJリーグのジェフユナイテッド市原へ入団。2年間所属したのち2000年に日本フットボールリーグ(JFL)・横浜FCに移籍し、Jリーグ入りに貢献した。その後も横浜FCの主力として活躍したが、若手の台頭で出場機会が減少したため、活躍の場を求めて2004年にヴァンフォーレ甲府にレンタル移籍。
野見山 秀樹(のみやま ひでき、1975年4月28日 - )… 野見山 秀樹(のみやま ひでき、1975年4月28日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。 小学3年時からサッカーを始めて、鹿児島市立明和中学校を卒業後、鹿児島実業高校へ入学。城彰二、遠藤彰弘らが高校の同級生に当たる。第72回全国高等学校サッカー選手権大会で5得点をあげ、得点王に輝いた。その後九州産業大学へ進学するが1年で中退し、1995年にガンバ大阪へ入団。リーグ戦2試合に出場するも、1997年にケガのためにG大阪を退団。1998年に京セラへ入社した。 2018年6月、京都サンガF.C.のスポーツダイレクターに就任した。
笹原 義巳(ささはら よしみ、1974年4月2日 - )は、… 笹原 義巳(ささはら よしみ、1974年4月2日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手。
仁田尾 博幸(にたお ひろゆき、1973年11月27日 - … 仁田尾 博幸(にたお ひろゆき、1973年11月27日 - )は鹿児島県出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはゴールキーパー(GK)。 1989年、鹿児島実業高校に入学。2年次に出場した全国高校選手権では大会を通して好セーブを連発し、準決勝武南戦のPK戦では相手の3人目までのキッカーを全員止めて鹿実高初の決勝進出及び準優勝に貢献。同期には前園真聖、藤山竜仁らがいた。1992年に福岡大学へ進学し、4年次の1995年にはユニバーシアードに参加。掛川誠とポジションを争った。 1996年に横浜フリューゲルスへ入団。しかしレギュラーには加われず、同年中にジェフ市原へ移籍。1998年には横浜Fの解散と天皇杯優勝を経験した。
前園 真聖(まえぞの まさきよ、1973年10月29日 - … 前園 真聖(まえぞの まさきよ、1973年10月29日 - )は、鹿児島県薩摩郡東郷町(現:薩摩川内市)出身の元プロサッカー選手、サッカー解説者、タレント。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元日本代表。所属事務所はサニーサイドアップ、ジャパンエフエムネットワーク。 長年Jリーグを担当している英国人記者は全盛期の前園をジョージ・ベストに例えた。血液型はO型。 Kリーグ時代の登録名は前園(ハングル: 마에조노)。 日本が28年ぶりに出場した1996年アトランタオリンピックの予選突破の最大の功労者で、本大会でブラジルに勝利した「マイアミの奇跡」のU-23サッカー日本代表キャプテン。
藤山 竜仁(ふじやま りゅうじ、1973年6月9日 - )は… 藤山 竜仁(ふじやま りゅうじ、1973年6月9日 - )は、鹿児島県鹿児島郡桜島町(現 鹿児島市)出身の元プロサッカー選手。ポジションは主にディフェンダー(DF)。 小学校3年生のときに兄の影響でサッカーを始める。1989年に鹿児島実業高へ進学。1990年度の全国高校選手権で準優勝。在学中、鹿児島県選抜として3年連続で国体に出場した。この頃学んだスライディングに頼らずにボールを奪う守備が後々ディフェンダーとして活かされることになった。同期に前園真聖、仁田尾博幸。 1992年に高校を卒業し東京ガスに入社。ジャパンフットボールリーグ所属の同社サッカー部(1999年よりFC東京)に加入した。午前にガスメーターの検針を担当し、午後に練習をこなすという社員選手として活動を続けていたが、1994年からはJリーグ参画に向けて体制作りを進めるチームの方針に沿ってプロ契約を締結。
笛 真人(ふえ まさと、1973年3月22日 - )は、鹿児… 笛 真人(ふえ まさと、1973年3月22日 - )は、鹿児島県の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはFW/MF。 鹿児島実業高等学校出身。同級生に若松賢治、2期先輩に岩元洋成、1期先輩に片野坂知宏、1期後輩に前園真聖・仁田尾博幸・藤山竜仁、2期後輩に笹原義巳がいる。高校3年の時に第69回全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝した。 1991年、マツダSC(現サンフレッチェ広島)に入団する。同期に森山佳郎・森秀昭・柳本啓成・路木健・松山大輔・小倉一浩。しかし、トップチームであるマツダSCでの出場機会はなく、サテライトチームであるマツダSC東洋でプレーした。1992年サンフレッチェ広島発足後プロ契約し、創成期には俊足で鳴らしたスーパーサブ的ストライカーとして、その後は主に右のアウトサイドとして活躍した。
若松 賢治(わかまつ けんじ、1972年8月16日 - )は… 若松 賢治(わかまつ けんじ、1972年8月16日 - )は、鹿児島県出身の元サッカー選手(FW)、指導者(JFA B級コーチ)。登録名は「若松 賢治」 小学3年生から本格的にサッカーを始め、当初はゴールキーパーとしてプレーする。中学2年時からFWに転向、以降現役時代はポストプレーを得意とした。 鹿児島実業高等学校出身。同級生に笛真人、2期先輩に岩元洋成、1期先輩に片野坂知宏、1期後輩に前園真聖・仁田尾博幸・藤山竜仁、2期後輩に笹原義巳がいる。高校3年の時にエースとして第69回全国高等学校サッカー選手権大会準優勝に導いた。 1991年に福岡大学へ進学し、バルセロナ五輪代表候補にも選ばれている。 1991年から練習参加していたものの、1992年ヤマザキナビスコカップではサンフレッチェ広島の選手として登録されていない。
岩間 竜一(いわま りゅういち、1972年4月25日 - )… 岩間 竜一(いわま りゅういち、1972年4月25日 - )は、鹿児島県出身(東京都八王子市生まれ)の元サッカー選手。ポジションは主にディフェンダー(DF)。 1988年、鹿児島実業高校に入学。1990年度の全国高校選手権では同期の笛真人、若松賢治、1期下の藤山竜仁、前園真聖、仁田尾博幸と共に決勝戦進出を果たすも、国見高校に敗れ準優勝。 1991年に高校を卒業し、東京ガスサッカー部に社員選手として加入。1995年に東京ガスを退社し、父親の下、地元鹿児島で損害保険代理業に従事。2003年からは父から会社を引継ぎ、イワマジャパンライフ(後のLife map Japan)代表取締役として各種生命保険及び損害保険の代理業を行っている。
片野坂 知宏(かたのさか ともひろ、1971年4月18日 -… 片野坂 知宏(かたのさか ともひろ、1971年4月18日 - )は、鹿児島県鹿児島市出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者(JFA Proライセンス所持)。現役時代のポジションはディフェンダー。 鹿児島市立錦江台小学校、鹿児島市立和田中学校出身。鹿児島実業高等学校から1990年、マツダSCへ入団。当初はサテライトチームであるマツダSC東洋で鍛えられると、左SBとして頭角を現す。1994年のサンフレッチェ広島のステージ制覇にも貢献した。スチュワート・バクスター体制では不動のレギュラーだったが、1995年に就任したビム・ヤンセン体制では路木龍次に取って代わられるようになり、同年シーズン途中に柏レイソルへの移籍を決断。