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福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 20… 福田 正臣(ふくだ まさおみ、1919年3月25日 - 2012年3月28日 )は、日本の医師、医学者。内科医。医学博士。心筋梗塞研究の権威だった。 鹿児島県の奄美大島名瀬の生まれで、大島郡龍郷町出身。1942年第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1945年九州帝国大学医学部を卒業して、操坦道教授の第一内科に副手として入局し、1951年九州大学第一医学部内科助手。1952年鹿児島市立病院内科医長に就く。1953年九州大学より医学博士授与。論文の題は「抗痙攣剤の人体脳波に及ぼす影響について」。1955年1月鹿児島大学医学部第一内科助教授に就任。鹿児島大学助教授を長く務めた後、再び鹿児島市立病院に転じて循環器内科部長。
赤星 進(あかほし すすむ、1918年11月10日 - 20… 赤星 進(あかほし すすむ、1918年11月10日 - 2012年5月18日)は、日本の精神科医。クリスチャンとして「医学と福音」をライフワークのテーマとし精神医学と神学の関係を研究した。また日本ルーテル神学大学や東京神学大学などの神学校で精神医学を講じた。 鹿児島県鹿児島市生まれ、出身。1938年(昭和13年)第七高等学校造士館 (旧制)理科卒業。1943年(昭和18年)東京大学医学部卒業。大槻外科入局、副手。医学博士。 1946年(昭和21年)、国立療養所清瀬病院外科医長。1953年(昭和28年)、東芝林間病院副院長兼外科医長。1961年(昭和36年)、浜松の社会福祉法人聖隷病院院長。1958年、シカゴ大学で「医学と宗教の関係」を研究。
新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 20… 新福 尚武(しんふく なおたけ、1914年3月2日 - 2012年3月12日)は、日本の医学者・精神科医。東京慈恵会医科大学名誉教授。長男は医学者で神戸大学名誉教授の新福尚隆。 鹿児島県鹿児島市生まれ。旧制鹿児島県立第一鹿児島中学校、旧制第七高等学校造士館を経て、1937年九州帝国大学医学部卒業、下田光造に師事。1947年「ショック療法の精神病理学的研究」で九州帝国大学より医学博士の学位を取得。 台北帝国大学医学部精神科助手、陸軍軍医(高雄)、鳥取大学医学部助教授などを経て、1952年同教授。1966年東京慈恵会医科大学教授、1979年定年退職、名誉教授。アルコール医学会長、交通科学会長、心身医学会長、国際老年精神医学会名誉会長など。
若松 有次郎(わかまつ ゆうじろう、1897年(明治30年)… 若松 有次郎(わかまつ ゆうじろう、1897年(明治30年)2月1日 - 1977年(昭和52年)3月23日)は、日本の陸軍軍人、獣医師。最終階級は陸軍獣医少将。旧姓・池田。 香川県出身。農業・池田仲三郎の息子として生まれ、官吏・若松八郎の養子となる。慶應義塾普通部、第七高等学校造士館を経て、1922年(大正11年)4月、東京帝国大学農学部獣医学科を卒業。同年7月、二等獣医に任官し騎兵第13連隊付となる。1924年(大正13年)11月、サガレン州派遣軍軍政部付となり、電信第1連隊付を経て、1926年(大正15年)3月、一等獣医に昇進し騎兵第12連隊付となる。 1928年(昭和3年)4月、東京大学伝染病研究所員に就任し、陸軍士官学校付兼馬術教官、ドイツ駐在、陸軍獣医学校防疫学教官を務め、1934年(昭和9年)8月、三等獣医正に進級した。
西 恒次郎(にし こうじろう、1889年(明治22年)11月… 西 恒次郎(にし こうじろう、1889年(明治22年)11月 - 1971年(昭和46年)2月)は、日本の医師。倫理哲学者西晋一郎の弟。 鳥取県鳥取市出身。士族西昇蔵の二男。 第七高等学校造士館を経て、1915年(大正4年)に東京帝国大学医科大学医学科を卒業、副手となって母校で研修し、その傍ら駒込病院に3年間勤務した。 1918年(大正7年)5月、新潟県吉田病院長として赴任した。 1926年(大正15年)5月、京都府綾部町の郡是製糸の郡是病院長となり、1948年(昭和23年)まで勤務した。
山崎 佐(やまざき たすく、1888年〈明治21年〉7月5日… 山崎 佐(やまざき たすく、1888年〈明治21年〉7月5日 - 1967年〈昭和42年〉7月30日)は、日本の弁護士、法学博士、医学博士、医史学者、医事法制学創始者。日本弁護士連合会会長、日本医史学会理事長、公安審査委員会委員長などを歴任した。 1888年(明治21年)、千葉県君津郡木更津町の医家に生まれる。1909年(明治42年)に旧制第七高等学校造士館を卒業後、1913年(大正2年)、東京帝国大学法科大学法律学科(独法兼修)を卒業した。 1913年(大正2年)7月に医事法制の志を立て、東京地方裁判所予審判事として法曹実務に携わる傍ら、翌1914年(大正3年)春から医学者及び医学史家の富士川游に師事して医史学や医事法制等の研究を開始し、両分野にまたがる独特の地歩を築いた。