スポーツ選手、俳優、学者、実業家、芸能人など各界で活躍する人物情報に加え、外の言語(多言語)で紹介されている内容や、その人物にゆかりのある地の観光資源データを集めました。
住谷 春也(すみや はるや、1931年〈昭和6年〉2月5日 … 住谷 春也(すみや はるや、1931年〈昭和6年〉2月5日 - 2024年〈令和6年〉6月9日)は、日本のルーマニア文学者。 ミルチャ・エリアーデやミルチャ・カルタレスクの翻訳を手掛けた。 旧制松本高校文科乙類(ドイツ語選択)在学中に 原口統三『二十歳のエチュード』に感銘を受けフランス語を学ぶ。1953年東京大学文学部フランス文学科卒。 出版社(学研など)勤務のかたわら、直野敦東京大学名誉教授に師事しルーマニア文学研究を志し、1978年にSFファンジン「イスカーチェリ」にトゥードル・ネゴイチァ「最適解」を翻訳掲載。1986年から1990年までルーマニア在住、ブカレスト大学文学部博士課程修了。1989年、反チャウシェスク民衆蜂起をバリケードの内側から見て手記を<Romania literara>1989最終第52号に発表。
中島 昭和(なかじま あきかず、1927年 - 2013年)… 中島 昭和(なかじま あきかず、1927年 - 2013年)は、日本のフランス文学者。中央大学名誉教授。 埼玉県生まれ。松本高等学校文科を経て、1951年東京大学仏文科卒業。1998年まで中央大学教授。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
島田 良二(しまだ りょうじ、1926年4月3日 - 200… 島田 良二(しまだ りょうじ、1926年4月3日 - 2005年7月1日)は、日本の文学者。千葉大学名誉教授。 旧制松本高等学校文科、東京大学文学部を経て1957年、東京大学大学院文学研究科博士課程修了。千葉県立佐倉高等学校教諭、茨城大学人文学部助教授、千葉大学教養部教授を歴任。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
望月 芳郎(もちづき よしろう、1925年12月6日 - 2… 望月 芳郎(もちづき よしろう、1925年12月6日 - 2003年4月5日)は、日本のフランス文学者、翻訳家。中央大学名誉教授。 東京府生まれ。松本高等学校文科甲類を経て、1950年9月東京大学仏文科卒。1956年ころから中央大学に勤務し、教授を1996年まで務めた。ル・クレジオの研究・翻訳で知られるが、ジャプリゾなどの推理小説も訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
北川 悌二(きたがわ ていじ、1914年7月2日- 1984… 北川 悌二(きたがわ ていじ、1914年7月2日- 1984年12月16日)は、日本の英文学者。 東京生まれ。1938年東京帝国大学文学部英文科卒。旧制松本高等学校教授、旧・東京都立大学助教授を経て、東京大学教養学部教授、1975年定年、立正大学教授、獨協大学教授。 エリザベス朝演劇からサマセット・モーム、チャールズ・ディケンズ、ハーマン・メルヴィルなど幅広く翻訳した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
古畑 正秋(ふるはた まさあき、1912年9月18日 - 1… 古畑 正秋(ふるはた まさあき、1912年9月18日 - 1988年11月23日)は、日本の天文学者。元東京大学東京天文台教授。 長野県諏訪郡落合村(現・富士見町)出身。長野県諏訪中学校・旧制松本高等学校理科甲類を経て、1938年東京帝国大学理学部天文学科卒業。 同年からハーバード大学天文台で助手を務め、プログラムによる測定や計算などに従事し、1941年に帰国後は、東京大学東京天文台の助手、1958年に教授、1968年に台長を歴任し、野辺山宇宙電波観測所や木曽観測所設置に尽力した。夜天光研究の権威として知られており、アマチュア天文家による変光星観測の指導も行った。1973年退官。 古畑の門下生には北村正利、田鍋浩義がいる。
古川 久(ふるかわ ひさし、1909年(明治42年)2月2日… 古川 久(ふるかわ ひさし、1909年(明治42年)2月2日 - 1994年(平成6年)8月15日)は、日本の国文学者。東京女子大学名誉教授。 愛知県名古屋市生まれ。東北帝国大学国文科卒、松本高等学校教授、宇都宮大学助教授、東京女子大学教授、68年定年退任、名誉教授、東京農業大学教授、武蔵野女子大学教授。52-81年法政大学能楽研究所兼任所員。能楽・狂言を主として研究。ほか、師の小宮豊隆を助けて戦後の岩波書店『漱石全集』の編纂に携わり、漱石研究も行った。墓所は多磨霊園
吉田 六郎(よしだ ろくろう、1908年5月9日- 1986… 吉田 六郎(よしだ ろくろう、1908年5月9日- 1986年3月8日)は、ドイツ文学者、文芸評論家、東京都立大学名誉教授。 栃木県足利市生まれ。松本高等学校文科乙類を経て、1932年東京帝国大学独文科卒。33年桐生高等工業学校教授。37-38年文部省から派遣されベルリン大学に学ぶ。39年陸軍教授、42年第四高等学校教授、1950年金沢大学助教授、51年東京都立大学助教授、60年教授。 1971年「ホフマン - 浪漫派の芸術家」で東京大学文学博士。72年都立大を定年退官。E・T・A・ホフマンの翻訳・研究と夏目漱石に関する評論を書き、藤代素人、秋山六郎兵衛、板垣直子らの、『吾輩は猫である』がホフマンの『牡猫ムルの人生観』に影響を受けたという説を論駁し、漱石は聞きかじってはいたが『猫である』はオリジナルな作であると論じた(吉田六郎教授略歴「人文学報」都立大、1972年)。