田辺 光彰(たなべ みつあき、1939年2月15日 - 20… 田辺 光彰(たなべ みつあき、1939年2月15日 - 2015年3月30日)は、日本の彫刻家。 1939年(昭和14年)、神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、多摩美術大学彫刻科を卒業後、イサム・ノグチと出会い、影響を受ける。巨大なステンレス鋼製のモニュメント作品を数多く手がけ、農業、野生稲、種の保全などをテーマに活動した。2015年(平成27年)3月30日、肺炎のため川崎市の病院で死去。76歳没。
谷本 誠剛(たにもと せいごう、1939年2月15日 - 2… 谷本 誠剛(たにもと せいごう、1939年2月15日 - 2005年1月22日)は、日本の児童文学研究者、翻訳家。関東学院大学名誉教授。博士(文学)(筑波大学・論文博士・2004年)(学位論文「昔話と児童文学の文体と表現 昔話から創作昔話へ」)。1998年より2004年まで日本イギリス児童文学会会長などを務めた。息子に生理学研究者の谷本道哉がいる。 兵庫県神崎郡福崎町西谷生まれ。兵庫県立福崎高等学校を卒業後、1964年に東京教育大学大学院英米文学科修士課程を修了し、静岡大学教養部で講師、助教授、教授、筑波大学で教授をそれぞれ務める。1992年に関東学院大学文学部で教授に就き、在職中の2005年に死去。
梶 慶輔(かじ けいすけ、1939年2月14日 - 2020… 梶 慶輔(かじ けいすけ、1939年2月14日 - 2020年4月6日)は、日本の化学者。京都大学名誉教授。元繊維学会副会長。 1963年神戸大学工学部卒業。1968年京都大学大学院工学研究科博士課程単位取得退学、京都大学工学部高分子化学教室助手。1977年京都大学化学研究所助手。1981年京都大学化学研究所助教授。1988年京都大学化学研究所教授。1999年繊維学会副会長。2002年定年退職、京都大学名誉教授。日独文化研究所評議員、東京大学物性研究所附属中性子散乱施設運営委員会委員等も歴任。高分子物理学の未解決問題の研究を行い、先駆的な研究成果を上げ、高分子学会賞や、繊維学会功績賞を受賞した。
水谷 千加古(みずたに ちかひさ、1939年2月14日 - … 水谷 千加古(みずたに ちかひさ、1939年2月14日 - 2022年2月1日)は、日本の実業家。INAX、住生活グループ(現在のLIXILグループ)代表取締役社長を務めた。 愛知県出身。1958年、名古屋大学工学部を卒業した。同年、伊奈製陶(INAXの前身)に入社した。営業部門、専務取締役等を経て1996年、INAX代表取締役社長に就任した。2001年、INAXトステム・ホールディングス(住生活グループを経て、現在のLIXILグループ)代表取締役社長を務めた。
福本 直之(ふくもと なおゆき、1939年2月13日 - )… 福本 直之(ふくもと なおゆき、1939年2月13日 - )は、日本のフランス中世文学者。創価大学名誉教授。フランス中世文学、語学専攻。『狐物語』が専門。妻は福本秀子。日本文体論学会常任理事。国際動物叙事詩学会名誉会長。 京都府生まれ。1963年大阪市立大学文学部仏文科卒、1970年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。パリ大学文学博士。創価大学助教授、教授。2010年定年退任、名誉教授。
関口 祐弘(せきぐち ゆうこう、1939年〈昭和14年〉2月… 関口 祐弘(せきぐち ゆうこう、1939年〈昭和14年〉2月12日 - 2005年〈平成17年〉2月9日)は、日本の警察官僚。第17代警察庁長官(在任1997年 - 2000年)。東京都出身。従三位瑞宝重光章。 都立大学附属高校を経て、1963年に東京大学法学部卒業。同年、警察庁に入庁。山梨県警察本部長、警察庁刑事局保安部長、大阪府警察本部長、警察庁長官官房長、警察庁次長などを歴任。警察庁長官狙撃事件を受け、國松孝次の後任として1997-2000年まで警察庁長官を務めた。 オウム真理教事件の捜査を指揮、通信傍受法を成立させた。1999年には覚醒剤を使用した警察官の隠蔽を初めとする神奈川県警察の不祥事が明らかになるなど、全国で警察不祥事が相次いだ。
山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は… 山田 勝麿(やまだ かつまろ、1939年2月11日 - )は、日本の政治家。元北海道小樽市長(3期)。 小樽市出身。後に砂川市に移る。砂川南高等学校を卒業後、1960年に小樽市役所に入る。1962年に小樽商科大学短期大学部を、1966年に日本大学経済学部(通信教育部)を卒業。教育委員会社会教育部長、学校教育部長、小樽市役所経済部長、総務部長、収入役を歴任する。 1999年の小樽市長選挙に、新谷昌明の後継として立候補して当選。2003年の選挙で再選。2007年の選挙でも三選した。北海道市長会副会長などを務めた。2011年に市長を退任した。
土肥 隆一(どい りゅういち、1939年2月11日 - 20… 土肥 隆一(どい りゅういち、1939年2月11日 - 2016年1月22日)は、日本の牧師、元政治家。衆議院議員(7期)を務めた。
谷 福丸(たに ふくまる、1939年2月11日 - )は、日… 谷 福丸(たに ふくまる、1939年2月11日 - )は、日本の官僚、国会職員、画家。瑞宝大綬章。55年体制の終焉の後、羽田、村山、橋本、小渕、森、小泉の6代の政権の傍ら、国会で史上最長(退任時)の約9年5か月、衆議院事務総長を務めた。その退職後は、国土緑化推進機構副理事長を務めた。 福岡県出身。福岡県立田川東高等学校(現・福岡県立東鷹高等学校)を経て(1957年卒業)、九州大学法学部卒業(1963年)。上野英信が著した『追われゆく坑夫たち』に感銘を受け、大学卒業後、福岡県庁に入庁し、既に衰退期に入っていた筑豊炭田の炭鉱を抱える鞍手福祉事務所にケースワーカーとして勤務した。県庁勤務中、国家公務員採用のため上京が決まったが、その挨拶回りの道すがら、仕事上世話をしていた家庭の子供から「好かん人が来たよー」と言われたことで「物事は半分、努力は半分分かってもらえれば十分なのだ」と思うようになったという。
内田 弘(うちだ ひろし、1939年2月11日- 2024年… 内田 弘(うちだ ひろし、1939年2月11日- 2024年2月2日)は、日本の経済学者・思想史学者、専修大学名誉教授。専門は『資本論』形成史・自由時間・三木清。 群馬県で日本国有鉄道職員の子として生まれ、満州と栃木県で育つ。1962年横浜国立大学経済学部卒業。長洲一二に師事。高等学校教諭在職中長洲の『現代の理論』誌で論文を発表するなど研究活動を行い、専修大学経済学部講師、助教授、教授。2009年定年、名誉教授。1991年「『経済学批判要綱』の研究」で専修大学経済学博士。 「北海道アララギ」に所属する歌人の内田弘は同姓同名の別人。石川啄木関連の著書があるため、混同されることがある。
鈴木 健介(すずき けんすけ、1939年2月11日 - )は… 鈴木 健介(すずき けんすけ、1939年2月11日 - )は、日本の映画監督(ドキュメンタリー)、プロデューサーである。同姓同名の俳優の鈴木健介とは無関係の別人である。 1939年(昭和14年)2月11日、東京市豊島区巣鴨(現在の東京都豊島区巣鴨)に生まれる。 1963年(昭和38年)日本大学芸術学部映画学科演出コースを卒業。在学中には当時同大学で教授をつとめていた牛原虚彦に師事して演出の基本を学ぶ。50分の劇映画『明るすぎて暗い』を卒業製作として脚本、監督した。卒業後はフリーランスとして映画やテレビの仕事につく。 1966年(昭和41年)から3年間、中川信夫の助監督をつとめて強い影響を受け、中川が1984年(昭和59年)に死去するまでの18年間にわたり人生の師と仰いで交流した。
辻 亨(つじ とおる、1939年2月10日 - )は、日本の… 辻 亨(つじ とおる、1939年2月10日 - )は、日本の実業家。丸紅代表取締役社長や、同社代表取締役会長を務めた。 大分県出身。1961年東京大学法学部卒業、丸紅飯田(現丸紅)に入社。1991年取締役に昇格。1995年常務取締役。1996年代表取締役常務取締役。代表取締役専務取締役物資・建設部門統括役員を経て、1999年から代表取締役社長を務め、アジア通貨危機後の不況への対応を行った。2003年代表取締役会長。2004年取締役会長。2008年相談役。2011年大成建設取締役。2012年丸紅名誉理事。2020年11月、旭日重光章受章。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
松熊 信義(まつくま のぶよし、1939年2月10日 - )… 松熊 信義(まつくま のぶよし、1939年2月10日 - )は日本の俳優。福岡県出身。現代制作舎所属。劇団新人会出身。 日本大学芸術学部演劇科卒業。1962年4月、文化座に入団。『炎の人』の中年紳士役が初舞台。 特技は殺陣。舞台を中心に活動しており、演出も手掛ける。
松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月… 松下 忠洋(まつした ただひろ、1939年〈昭和14年〉2月9日 - 2012年〈平成24年〉9月10日)は、日本の政治家、建設官僚。 内閣府特命担当大臣(金融担当)・郵政民営化担当大臣(野田第2次改造内閣)、復興副大臣兼内閣府副大臣(野田第1次改造内閣)、経済産業副大臣(鳩山由紀夫内閣・菅直人内閣・菅直人第1次改造内閣・菅直人第2次改造内閣・野田内閣・野田第1次改造内閣)、内閣府副大臣(規制改革、男女共同参画、国民生活、栄典などの担当)(第1次小泉内閣)、衆議院内閣委員長、衆議院議員(5期)、国民新党副代表、同鹿児島県支部代表を歴任。 鹿児島県薩摩郡川内町(のちの川内市、現:薩摩川内市)出身。
式場 壮吉(しきば そうきち、1939年(昭和14年)2月9… 式場 壮吉(しきば そうきち、1939年(昭和14年)2月9日 - 2016年5月17日)は、日本の実業家、自動車評論家、元レーシングドライバー。 伯父は精神科医で精神病理学者の式場隆三郎。妻は歌手の欧陽菲菲。 千葉県市川市国府台の精神科病院「式場病院」の理事長であった父の元に生まれる。 成城大学文芸学部在学中より輸入車をドライブし、同郷の後輩であった浮谷東次郎や、生沢徹、本田博俊、杉江博愛(後の徳大寺有恒)、福澤幸雄など日本のモータースポーツ草創期を支えたドライバー達と親交があった。 音楽にも親しみ、アマチュアのジャズマンとしてホテルオークラや東京・飯倉のイタリア料理店「キャンティ」などに出入りし、ミッキー・カーチス(のちにレーサーとしても活躍)やムッシュかまやつ、堺正章などの芸能人とも親しかった。
今泉 利拓(いまいずみ としひろ、1939年〈昭和14年〉2… 今泉 利拓(いまいずみ としひろ、1939年〈昭和14年〉2月9日 - 2024年〈令和6年〉6月16日)は、日本の元政治家。元茨城県行方郡潮来町(現在の潮来市)長(3期)。元潮来市議会議員(6期)。 1962年に明治大学法学部を卒業した。同年、NHKに入り、報道局社会番組ディレクターとなる。 1983年に退職し、同年行われた潮来町長選挙に立候補し、当選する。潮来町長を3期務める。 1995年に団体役員の今泉和に敗れて落選した。同年10月に町内の業者から賄賂を受け取った贈賄容疑で妻と逮捕された。翌年6月水戸地裁で懲役2年6か月、執行猶予3年、追徴金400万円の判決を受けた。控訴しなかったため、刑が確定した。
前田川 克郎(まえだがわ かつろう、1939年2月9日 - … 前田川 克郎(まえだがわ かつろう、1939年2月9日 - 1998年11月4日)は、岩手県江刺市稲瀬(現役当時、現・同県奥州市)出身で高砂部屋に所属した大相撲力士。本名は高橋 勝郎(たかはし かつろう)。最高位は西関脇(1961年7月場所・1962年7月場所)。現役当時の体格は170cm、117kg。得意手は左四つ、寄り、突き、押し。大相撲の黄金時代の一つである、「柏鵬時代」に活躍した力士の1人である。 実家は農家。地元の草相撲で活躍していたが、中学2年生の時上京して高砂部屋に入門し、1952年9月場所にて13歳で初土俵を踏んだ。1954年春までは、中学に通いながら相撲を取っている。走るのは非常に苦手であったようであり、本人曰く「みんなが行くのの半分」との事であった。
田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 200… 田中 正大(たなか まさひろ、1939年2月8日 - 2009年4月16日)は、日本のホルン奏者。NHK交響楽団首席奏者、武蔵野音楽大学教授を務めた。日本におけるホルン界の草分けとして、ソロ奏者、また室内楽の先駆者として常に指導的な立場にあった。 福岡県嘉穂郡二瀬町片島(現:飯塚市)にて、旧制嘉穂中学校の数学教師であった田中親(ちかし)と妻ハルキの次男として生まれる。嘉穂高校の吹奏楽部でトランペットを吹いていたが、3年生の時に楽器庫にあったホルンを見付けて、武蔵野音楽大学にホルンで入学した。なお、嘉穂高校逍遥歌を作曲している。 武蔵野音大在学中、1960年秋に近衛秀麿率いるABC交響楽団のヨーロッパ演奏旅行に参加した。
三好 孝彦(みよし たかひこ、1939年2月8日 - 201… 三好 孝彦(みよし たかひこ、1939年2月8日 - 2018年7月8日)は、日本の実業家。日本製紙グループ本社代表取締役社長や、同社代表取締役会長、日本製紙連合会会長を務めた。 福井県の酒屋の子として生まれる。灘高等学校を経て、1961年東京大学経済学部卒業、十條製紙(現日本製紙)入社。1992年から取締役企画本部副本部長兼企画部長を務め、山陽国策パルプとの合併に関し公正取引委員会との折衝にあたった。1993年合併後の日本製紙で取締役企画本部長代理に就任。1996年常務取締役企画本部長兼営業管理本部長。1987年常務取締役石巻工場長。1998年専務取締役石巻工場長。1999年専務取締役情報用紙営業本部長。
小泉 正昭(こいずみ まさあき、1939年2月8日 - )は… 小泉 正昭(こいずみ まさあき、1939年2月8日 - )は、日本のアナウンサー、ジャーナリスト、ニュースキャスター。 神奈川県出身。早稲田大学政治経済学部卒業。 1962年4月、TBSにアナウンサー8期生として入社(同期入社には清水将夫・鈴木史朗・梅田早苗・古村朋子・佐藤紀子・塩田光代・清水恵子・富田幸子・山口紘子)。 主にニュースや報道番組を担当し、1963年11月1日に報道局ニュース部アナウンサー。1967年11月15日にアナウンサー研修室設置に伴い報道局ラジオニュース部兼アナウンサー研修室付に。その後、テレビ本部報道局ラジオニュース部(1970年7月)、テレビニュース部兼ラジオ局ラジオニュース部(1972年11月)、報道局報道センターに在籍し、中でも1966年2月に起きた全日空羽田沖墜落事故、1972年9月の日中国交回復などの取材、中継リポートに携わった。
中村 睦男(なかむら むつお、1939年2月7日 - 202… 中村 睦男(なかむら むつお、1939年2月7日 - 2020年4月17日)は、日本の法学者。専門は憲法。学位は、法学博士(北海道大学・論文博士・1973年)(学位論文「社会権法理の形成――フランス法を素材にして」)。北海道大学名誉教授。学校法人北海学園理事。財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長。元・旧司法試験第二次試験考査委員(北海道大学総長就任につき離任)。北海道出身。 北海道札幌市に生まれ、後室蘭市に移る。北海道大学大学院法学研究科教授を経て、2001年5月から2007年4月まで北海道大学総長。 著書の中でも、特に野中俊彦・高橋和之・高見勝利と共に著した『憲法I・II』は、執筆者が4人であることから「四人本」、「四人組」などと称され、憲法学習者に人気がある。
三井所清典(みいしょ きよのり, Kiyonori Miis… 三井所清典(みいしょ きよのり, Kiyonori Miisho 1939年2月7日- )は、日本の建築家。株式会社アルセッド建築研究所代表取締役。公益社団法人日本建築士会連合会名誉会長。芝浦工業大学名誉教授。佐賀県生まれ。 佐賀県立佐賀西高等学校から東京大学工学部建築学科に進学し1963年卒業。1965年、同大学大学院数物系研究科建築学専攻修士課程修了。1968年、同大学院工学系研究科建築学専攻博士課程修了。工学博士。 1963年、RAS建築研究同人に参加。1968年から芝浦工業大学講師。1970年にアルセッド建築研究所を設立。1982年に芝浦工業大学教授就任。2007年に東京建築士会会長。
間野 英二(まの えいじ、1939年2月7日 - )は、日本… 間野 英二(まの えいじ、1939年2月7日 - )は、日本の東洋史学者。学位は、文学博士(京都大学・論文博士・1986年)(学位論文「14-16世紀中央アジア史研究」)。京都大学名誉教授。日本学士院会員。 愛知県生まれ。1961年に京都大学文学部史学科東洋史専攻を卒業、1966年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。 1968年~72年の大阪大学文学部助手、1969年~72年のハーバード大学大学院留学を経て、1972年京都大学文学部西南アジア史学専攻助教授、1986年教授。同年「14-16世紀中央アジア史研究」で京都大学より文学博士の学位を取得。 1996年~1998年に史学研究会理事長、2001年~02年に東洋史研究会会長を歴任。
秋山 昇(あきやま のぼる、1939年〈昭和14年〉2月7日… 秋山 昇(あきやま のぼる、1939年〈昭和14年〉2月7日 - )は、日本の牧師、神学博士。キリスト教ガリラヤ福音教団代表。ガリラヤ聖書神学校校長。教会と国家学会副会長。 香川県出身。少年の頃より「新約聖書」(文語訳)を愛読していた。絶対愛の詩「ナザレのイエス」に不思議を感じキリスト教に入信するが、家族、親族の猛反対を受け、ただ聖書と讃美歌を携えて上京する。 東京神学大学で学び、北森嘉蔵より「神の痛みの神学」を学び、渡辺善太・岡村民子より「聖書聖典論」「聖書解釈論」「聖書神学論」を学ぶ。板橋常盤台において独立開拓伝道に献身する。かたわら、今官一より文学を学ぶ。 1958年(昭和33年)1月オズワルド・スミス博士、テモテ・オ博士より按手礼を受ける。
松原 正之(まつばら まさゆき、1939年2月7日 - )は… 松原 正之(まつばら まさゆき、1939年2月7日 - )は、宮城県出身の元レスリング選手で現在は日本レスリング協会評議委員。1960年ローマオリンピックレスリング男子フリースタイルフライ級銀メダリスト。日本大学卒業。 この項目は、スポーツ関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル スポーツ/プロジェクト スポーツ人物伝)。
桂 竜也(けい たつや、1939年〈昭和14年〉2月7日 -… 桂 竜也(けい たつや、1939年〈昭和14年〉2月7日 - 2019年〈平成31年〉3月26日)は、元文化放送アナウンサー。 本名は永峰 康雄(ながみね やすお)。千葉県市川市出身。O型。 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。1961年4月、文化放送にアナウンサーとして入社。 1972年10月9日から10年間 パーソナリティを務めた『桂竜也の夕焼けワイド』は「ベルベットボイス」と称する落ち着いた語りで人気を博した。担当番組で用いたマイクネームの「桂」は桂文楽 (8代目)から。「竜也」は黒岩重吾の小説に出てくる人物からもらったという。 2004年9月、同社を定年退職。その後はアルツハイマー型認知症を発症。
若鳴門 清海(わかなると きよみ、1939年2月7日 - 2… 若鳴門 清海(わかなると きよみ、1939年2月7日 - 2011年4月18日)は、兵庫県三原郡三原町(現役当時、現在の同県南あわじ市)出身で春日野部屋に所属した大相撲力士。本名は居内 徳夫(いうち とくお)。最高位は西前頭6枚目(1966年7月場所)。現役時代の体格は182cm、115kg。得意手は右四つ、突っ張り、投げなど。 中学時代から土地相撲の大関と互角に取れたため、大相撲の世界に入ることを志したが、自宅で待針を踏んで右足の親指を貫通させてしまった。すぐに手術して針を抜いたが、傷が癒える前に農作業に出て破傷風にかかってしまった。あわや右脚切断かという重症だったが、どうにか右足親指切断にとどまった。
重原 久美春(しげはら くみはる、1939年2月5日 - )… 重原 久美春(しげはら くみはる、1939年2月5日 - )は内外両面の金融経済政策の専門家。専門領域外でも、社会厚生、地球環境保全、日本の国際貢献など、幅広いテーマに関する国際的な論客として活躍。 日本銀行における国内政策・国際金融の企画・調査・実践部門で要職を歴任。OECD(経済協力開発機構)に4回招聘され、その主軸である経済政策部門の全ての職階を経て、非英語圏出身者として初めて経済総局長(Head of Economics Department)に抜擢され、長年にわたってOECDチーフ・エコノミストとして活躍した。更に、OECD副事務総長(Deputy Secretary-General)として、経済・社会・厚生・開発などの諸問題に関するOECDの横断的作業を統括した。
浜田 博(はまだ ひろし、1939年(昭和14年)2月5日 … 浜田 博(はまだ ひろし、1939年(昭和14年)2月5日 - )は、日本の政治家。立憲民主党大分県連顧問。2003年4月より2015年4月まで別府市長を務めた。
桑原 庄治(くわばら しょうじ、1939年2月5日 - )は… 桑原 庄治(くわばら しょうじ、1939年2月5日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手。 日向学院高校から1958年に西鉄ライオンズへ入団。4月24日の阪急戦で偵察要員として1軍初出場。
小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静… 小池 兼司(こいけ けんじ、1939年2月5日 - )は、静岡県出身の元プロ野球選手。内野手。
町田 章(まちだ あきら、1939年2月5日 - 2011年… 町田 章(まちだ あきら、1939年2月5日 - 2011年7月31日)は、考古学者。独立行政法人文化財研究所理事長。前奈良国立文化財研究所所長。 1939年、香川県善通寺市生まれ。1962年に関西大学文学部を卒業した後、立命館大学大学院に進み、東洋思想専攻修士課程で学ぶ。1964年に大学院を修了。卒業後は奈良国立文化財研究所に入所し、数々の遺跡発掘調査に携わった。特に1988年に長屋王家木簡を発掘したことが知られる。日本考古学協会、日本考古学会、考古学研究会に所属した。また奈良国立文化財研究所の平城宮跡発掘調査部長や文化庁文化財鑑査官などの要職を務めた。2011年7月31日、肺がんのため奈良市の自宅で死去。
西坂 徹雄(にしざか てつお、1939年2月5日 - 202… 西坂 徹雄(にしざか てつお、1939年2月5日 - 2022年2月14日)は、日本の実業家。総合商社の丸紅の元専務取締役。 1961年、滋賀大学経済学部を卒業。同年、丸紅飯田(現:丸紅)に入社した。丸紅ではプラント関連部門を歩み、プラント本部長を務めた。 1993年6月、丸紅の取締役に就任。1996年6月には常務取締役、1997年6月には専務取締役に昇任した。2001年6月に同社専務取締役を退任し、同社顧問となった。 丸紅退任後、2002年7月に有限会社ケエイ・エヌ・コンサルティング代表取締役に就任した。2012年4月、ストリームの社外取締役に就任した。 2022年2月14日、死去。83歳没。
中野 稔(なかの みのる、1939年2月5日 - 2021年… 中野 稔(なかの みのる、1939年2月5日 - 2021年4月4日)は、日本の光学合成技師。円谷プロダクション、日本現代企画を経て、デン・フィルム・エフェクトに所属していた。東京都出身。 日本大学芸術学部・大学院芸術学研究科出身。同期には佐川和夫、東條昭平、坂本太郎がいた。 1972年、高野宏一、飯塚定雄と共に「デン・フィルム・エフェクト」を設立。 2016年、文化庁映画賞受賞。 2021年4月4日、肝不全のため死去。82歳没。
角田 紘一(つのだ こういち、1939年〈昭和14年〉2月5… 角田 紘一(つのだ こういち、1939年〈昭和14年〉2月5日 - 2014年〈平成26年〉1月14日)は、日本のアニメーター。教授や講師として世界各国で後進の育成に励んだ。 1939年(昭和14年)2月5日、北海道釧路市に生まれる。1963年(昭和38年)、武蔵野美術大学油絵科を卒業した後、同年に東映動画へ入社した。同社では『デビルマン』、『マジンガーZ』、『銀河鉄道999』、『サイボーグ009 超銀河伝説』、『宇宙戦艦ヤマト 完結編』、『オーディーン 光子帆船スターライト』、『トランスフォーマー ザ・ムービー』などの原画、作画監督、キャラクターデザインを手掛けるなど数多くのアニメーション制作に携わった。