姫田 忠義(ひめだ ただよし、1928年9月10日 - 20… 姫田 忠義(ひめだ ただよし、1928年9月10日 - 2013年7月29日)は、日本のドキュメンタリー映画監督、映像民俗学者。株式会社民族文化映像研究所(民映研)名誉所長。特定非営利活動法人「地球ことば村・世界言語博物館」顧問。 中央大学経済学部名誉教授で中国近現代史研究者の姫田光義は弟。長男はフルート演奏家の姫田大。次男の姫田蘭はミュージシャン、プロデューサー、民族文化映像研究所ブログ「民映研ジャーナル」担当。 兵庫県神戸市和田岬(現在は兵庫区内)に生まれる。父はガス会社の工員であった。兄や姉は高等小学校どまりであったが、国鉄(当時は鉄道省)で働いていた9歳年上の兄の援助で、1941年に兵庫県立第四神戸中学校(兵庫県立星陵高等学校の前身校の一つ)に進学。
東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2… 東江 康治(あがりえ やすはる、1928年9月10日 - 2015年4月5日)は、日本の教育心理学者。名桜大学名誉学長。元琉球大学学長。 太平洋戦争末期の沖縄戦で鉄血勤皇隊として動員され、米軍の攻撃で右胸を撃ち抜かれたが、一命を取り留めた。当時、米国生まれの兄フランク・ヒガシが米兵として沖縄に入り、敵味方に分かれた兄弟としても知られた。 戦後、米政府の援助で米国に留学。教育心理学が専門で、1970年に琉球大学教育学部教授、1973年に教育学部長、1984~1990年に学長。沖縄県名護市の名桜大学の設立に携わり、1994~2000年に初代学長を務めた。平和論の講座を設けるなど平和教育に力を入れた。
野田 正穂(のた まさほ、1928年9月10日 - 2008… 野田 正穂(のた まさほ、1928年9月10日 - 2008年3月7日)は、日本の経営学者、法政大学名誉教授。 東京都生まれ。旧制浦和高等学校、東京大学経済学部卒業。1953年東京大学大学院中退、1960年法政大学大学院博士課程中退。1960年法政大学経済学部専任講師、1963年経営学部助教授、1969年より教授。1986年「日本証券市場成立史」で法政大経済学博士。法政大学経営学部教授を1999年に定年、名誉教授。鉄道研究でも知られた。 2008年3月7日、食道癌のため死去。
諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日… 諸田 實(もろた みのる、1928年9月10日 - )は、日本の経済史学者、神奈川大学名誉教授。ドイツを中心としたヨーロッパの経済史が専門。 静岡県静岡市生まれ。1945年旧制静岡県立静岡中学校卒業。1948年旧制静岡高等学校卒業。1952年東京大学経済学部卒業。同大学院修了、1970年「ドイツ初期資本主義研究」で経済学博士の学位を取得。 福島大学経済学部講師、助教授、1965年神奈川大学経済学部教授、1999年定年、名誉教授。
土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年… 土肥 泰(どい ゆたか、1928年9月10日 - 1998年11月14日)は、日本の作曲家、指揮者、ピアニスト、埼玉大学名誉教授。下總皖一、團伊玖磨に師事。 この項目は、音楽家(演奏者・作詞家・作曲家・編曲家・バンドなど)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:音楽/PJ:音楽)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、クラシック音楽に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:クラシック音楽/PJ:クラシック音楽)。
谷本 巍(たにもと たかし、1928年9月10日 - 201… 谷本 巍(たにもと たかし、1928年9月10日 - 2017年5月7日)は、日本の政治家。社会民主党の参議院議員(2期)。位階は従四位。 福島県郡山市出身。早稲田大学中退。1954年に日本大学法学部を卒業。在学中の1951年、日本農民組合に入る。1958年全日本農民組合連合会(全日農)を結成し、米価、酪農などの各運動を指導。全日農青年部書記長、中央常任委員などを経て、1969年書記長に就任。米価審議会委員も務めた。1989年の第15回参議院議員通常選挙で比例区に日本社会党から立候補して当選し、2期務めた。 議員在職中には参議院逓信委員会と懲罰委員会で委員長を務めた。2001年の第19回参議院議員通常選挙で落選した。
横森 久(よこもり ひさし、1928年9月10日 - 198… 横森 久(よこもり ひさし、1928年9月10日 - 1981年4月18日)は、日本の俳優、声優。妻は女優の川口敦子。 東京府豊多摩郡杉並町(現東京都杉並区)出身。劇団俳優座に所属していた。 早稲田大学第一文学部卒業後、劇団俳優座養成所に第2期生として入団。同期には小林昭二、滝田裕介などがいる。1953年の卒業と同時に正式に俳優座に入団。舞台の傍ら映画、テレビにも出演するようになり、インテリタイプの悪役として注目され、悪役を演じる機会が多くなっていった。また、アニメ、洋画吹き替えなど声優としても活動した。ジェームズ・メイソンの声を吹き替えることが多かった。 川口敦子とは1957年に結婚し、一女がいた。
小佐野 政邦(おさの まさくに、1928年(昭和3年)9月9… 小佐野 政邦(おさの まさくに、1928年(昭和3年)9月9日 - 2001年(平成13年)2月18日)は、日本の実業家である。 歌人、小説家、実業家の小佐野彈は血縁上の孫であり、養子。 1982年(昭和57年)、国際興業第四代社長に就任。1986年(昭和61年)、急逝した創業者小佐野賢治の全事業を継承し、グループ総裁となる。 「北海道いすゞ」「馬門温泉」「秋北ホテル」「十和田観光電鉄」「花巻温泉」を任され、一か月の半分は北海道、残り半分は東北というハードスケジュールで、賢治の信頼を勝ち取った。 身長178センチで、当時としては背が高く体操の時は常に先頭であった。 山梨県勝沼町生まれ。幼い頃は家で水田と養蚕をしていた。
楢崎 泰昌(ならさき やすまさ、1928年9月9日 - 20… 楢崎 泰昌(ならさき やすまさ、1928年9月9日 - 2014年10月21日)は、日本の官僚・政治家。自由民主党参議院議員(1期)。
五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 20… 五十嵐 喜芳(いがらし きよし、1928年9月8日 - 2011年9月23日)は、日本の声楽家(テノール歌手)。マネージメント協力はジャパン・アーツ。 日本オペラ振興会の常任理事、昭和音楽大学学長、宝塚音楽学校のカリキュラム編成アドバイザー(声楽)などを歴任し、日本におけるオペラ発展に尽力した。また、音楽活動のみならず、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』の司会やドラマ『コメットさん』に出演し幅広く活躍した。
寺村 秀夫(てらむら ひでお、1928年9月8日 - 199… 寺村 秀夫(てらむら ひでお、1928年9月8日 - 1990年2月3日)は、日本の言語学者・日本語学者。専門は日本語文法。 兵庫県揖保郡龍野町(現・たつの市)生まれ。 1950年に大阪外事専門学校(現・大阪大学外国語学部)英米科を卒業。1953年に京都大学法学部を卒業。1963年にハワイ大学大学院修士課程を修了。 1965年4月から1968年7月まで大阪外国語大学専任講師、留学生別科で日本語教育に従事。1968年8月から1974年1月まで同大学助教授、1968年9月から1970年8月までカンザス州立大学東洋言語文学科客員助教授を兼任。1974年2月から1979年3月まで同大学教授。1979年4月から1987年5月まで筑波大学文芸・言語学系教授。
佐藤敏夫(さとう としお、1928年〈昭和3年〉9月8日‐?… 佐藤敏夫(さとう としお、1928年〈昭和3年〉9月8日‐?)は、日本の弁護士、元・検察官、元・裁判官。元・北海道武蔵女子短期大学教授。北海道出身。札幌弁護士会所属。 1951年北海道大学法文学部卒業。同年、司法試験合格。1954年札幌地方検察庁検事。1954年旭川地方検察庁検事。1957年札幌地方裁判所岩見沢支部判事補。1961年東京地方裁判所判事補。1964年札幌地方裁判所判事補を経て、1968年札幌高等裁判所判事を経て、裁判所を退官。1969年弁護士登録。1970年北海道武蔵女子短期大学教養学科教授(~1983年)。1985年北海道弁護士会連合会理事長。また日本弁護士連合会副会長も兼職。その後、2006年ごろ逝去 この項目は、法曹に関連した書きかけの項目です。
木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月… 木田 元(きだ げん、1928年9月7日 - 2014年8月16日)は、日本の哲学者、翻訳家。専攻は西洋哲学史、現象学の研究。中央大学名誉教授。 モーリス・メルロー=ポンティ、エドムント・フッサール等の、20世紀ヨーロッパ思想で著名な哲学者の代表作を平易な日本語に訳した。ハイデガーの研究でも知られる。 新潟県新潟市生まれ、本籍地は山形県最上郡東小国村(現在は最上町)。 3歳のとき一家で満洲・新京に渡る。新京第一中学校(戦時体制のため4年で繰り上げ卒業)を経て、1945年(昭和20年)海軍兵学校に入学(78期)。同年8月6日、江田島で水泳の訓練中、原爆投下を広島市側の海岸で目撃。8月15日に日本が終戦を迎えると軍海軍兵学校では生徒たちに帰宅の指示が出たが、満州出身であったため本土にいる親戚もよくわからず困っていたところ、教官が自身の佐賀の実家へ行くよう指示してくれる(教官は兵学校での残務処理に残った)。
七代目 市川 門之助(しちだいめ いちかわ もんのすけ、昭和… 七代目 市川 門之助(しちだいめ いちかわ もんのすけ、昭和3年(1928年)9月7日 - 平成2年(1990年)10月13日)は歌舞伎役者。屋号は瀧乃屋。定紋は四ツ紅葉。俳名に白魚がある。また舞踊家として花柳 蔦壽郎(はなやぎ ちょうじゅろう)も名乗った。本名は相馬 孝至(そうま たかし)。 東京市渋谷区宇田川町の生まれ。生後まもなく二代目市川松蔦の養子となる。 昭和10年 (1935年) 4月に初代市川たか志を名乗り初舞台。昭和21年 (1946) 8月、三代目市川松蔦を襲名。この頃は二代目市川猿之助一座で活躍。昭和38年 (1963) 2月に七代目市川門之助を襲名、以後は尾上菊五郎劇団に属した。
水地 宗明(みずち むねあき、1928年9月6日- 2022… 水地 宗明(みずち むねあき、1928年9月6日- 2022年)は、日本の哲学者。滋賀大学名誉教授。 1928年広島県呉市に生まれる。1953年京都大学文学部哲学科卒業。1958年京都大学大学院文学研究科博士課程修了。田中美知太郎に師事。松山商科大学教授等を経て、1973年より滋賀大学教授。同大学で経済学部長・大学院経済学研究科長を務め、1994年に定年退任し名誉教授。同年より皇學館大学教授、1999年に退任。 この項目は、哲学に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(Portal:哲学)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
槇 文彦(まき ふみひこ、1928年〈昭和3年〉9月6日 -… 槇 文彦(まき ふみひこ、1928年〈昭和3年〉9月6日 - 2024年6月6日)は、日本の建築家(一級建築士)。位階は従四位、文化功労者。日本芸術院会員。 1928年(昭和3年)、東京都生まれ。母方の祖父は竹中工務店の会長を務めた竹中藤右衛門。1941年(昭和16年)慶應義塾幼稚舎卒業。慶應義塾普通部を経て慶應義塾大学工学部予科を中退し、建築学科のある東京大学工学部建築学科に入学、1952年(昭和27年)卒業。 丹下健三の研究室で外務省庁舎のコンペを担当した後、アメリカ合衆国に留学。クランブルック美術学院およびハーバード大学デザイン大学院修士課程修了。ハーバード大学院時代はホセ・ルイ・セルトのスタジオで学ぶ。
伊賀 隆(いが たかし、1928年9月6日 - 2013年2… 伊賀 隆(いが たかし、1928年9月6日 - 2013年2月19日)は、日本の経営数学者。 兵庫県神戸市出身。1946戦後第一番目に高等教育授業再開を許された県立神戸経済専門学校(1948神戸商科大学)に入学、先輩である置塩信雄に影響を受ける。1951年神戸商科大学経済学科卒、同助手となり、1953年講師、1958年助教授、1966年教授となる。1969年「ケインズ派および新古典派の動学的分配理論に関する研究」で神戸大学より経済学博士の学位を取得。1971年神戸大学経営学部教授、1991年定年退官、名誉教授、流通科学大学教授。1998-2003年学長を務めた。神戸大学経営学部経営学科では、現総理大臣高市早苗をゼミに迎え、教える。
浜田 幸一(はまだ こういち、1928年〈昭和3年〉9月5日… 浜田 幸一(はまだ こういち、1928年〈昭和3年〉9月5日 - 2012年〈平成24年〉8月5日)は、日本の政治家、タレント。株式会社YAMATO名誉顧問。 衆議院議員を7期務め、衆議院予算委員長、自由民主党広報委員長、自由民主党副幹事長などを歴任したが、国務大臣の経験がないまま政界を引退した。 「ハマコー」の愛称で知られ、「国会(政界)の暴れん坊」の異名をもつ。 政界引退後は「政治活動家」を自称していたほか、『ビートたけしのTVタックル』のレギュラーとなり、「悪党党幹事長」を名乗っていた。 千葉県君津郡青堀町(現:富津市大堀)出身。実家は大地主で、徒歩15分かかる青堀小学校まで他人の土地を踏まずに通学していた。
大澤 正佳(おおさわ まさよし、1928年9月5日 - )は… 大澤 正佳(おおさわ まさよし、1928年9月5日 - )は、英文学者、中央大学名誉教授。 東京市(現東京都中央区)出身。東京大学教養学部イギリス科卒、1959年同大学院英文科修士課程修了、茨城大学専任講師、1961年中央大学文学部専任講師、助教授、教授、1989年日本ジェイムズ・ジョイス協会初代会長。1999年定年退職、名誉教授。ジョイスを専門とする。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三浦 文夫(みうら ふみお、1928年9月5日 - 2015… 三浦 文夫(みうら ふみお、1928年9月5日 - 2015年8月3日)は、日本の社会福祉学者、日本社会事業大学名誉教授。 東京生まれ。1952年東京大学文学部社会学科卒業、1954年同大学院修士課程修了、中部社会事業短期大学助教授、1957年日本福祉大学助教授、1965年社会保障研究所研究部長、1981年日本社会事業大学教授、1991~1995年学長、1997年定年退職、名誉教授、武蔵野女子大学特任教授、2004年武蔵野大学名誉教授。身体障害者福祉審議会会長など政府審議会委員、東京都社会福祉審議会委員長、全国介護養成施設協会理事などを務める。日本地域福祉学会顧問、日本社会福祉学会名誉会員。
迎 靜雄(むかえ しずお、1928年9月2日 - 2010年… 迎 靜雄(むかえ しずお、1928年9月2日 - 2010年11月3日)は、九州工業大学第8代学長で、株式会社北九州テクノセンター代表取締役社長、学校法人九州国際大学理事長を歴任。 1928年福岡県に生まれ、1948年3月明治工業専門学校(現:九州工業大学)冶金科、1952年3月九州大学工学部冶金学科を卒業後、1957年3月九州大学大学院研究奨学生前後期を修了し、1958年7月に九州工業大学講師として母校の教壇に立つ。その後1960年4月助教授、1970年4月教授と、九州工業大学で29年に亘って溶接工学、特に鋼及びアルミニウム合金溶接部の金属学的特性に関する教育研究に尽力する。これらの研究成果は軽金属溶接構造協会賞、溶接学会賞、日本溶接協会業績賞及び嘉村記念賞などで高く評価され、溶接学会会長などの要職を歴任する。
岩佐 義朗(いわさ よしあき、1928年(昭和3年)9月2日… 岩佐 義朗(いわさ よしあき、1928年(昭和3年)9月2日 - 2013年(平成25年)3月20日)は、昭和から平成時代の土木工学者。京都大学名誉教授。専門は水工学、河川工学。 1951年(昭和26年)京都大学土木工学科卒業。 建設省に入省し、河川局治水課、土木研究所を経て、1953年(昭和28年)京都大学助手に転じる。ついで、1954年(昭和29年)同大講師、1955年(昭和30年)助教授を経て、1964年(昭和39年)教授に進んだ。1992年(平成4年)退官し、地球工学研究会会長となった。 ほか、1965年(昭和40年)マサチューセッツ工科大学客員教授、1979年(昭和54年)水理委員会委員長、国際水資源学会副会長、国際水理学会副会長(同名誉会員)、日本学術会議第13・14期会員、土木学会関西支部長、同学会長などを歴任した。
森 納(もり おさむ、昭和3年(1928年)9月1日 - 平… 森 納(もり おさむ、昭和3年(1928年)9月1日 - 平成24年(2012年))は、日本の医師、郷土史研究家。森医院理事長。医学博士。 鳥取県西伯郡夜見村(現・米子市夜見町)に生まれる。鳥取県立米子中学校(現・鳥取県立米子東高等学校)を経て、昭和26年(1951年)米子医学専門学校卒業。昭和27年(1952年)鳥取大学医学部第二内科研究生、西伯病院勤務。 昭和36年(1961年)島根県大田市祖式診療所長。昭和41年(1966年)鳥取県岩美郡国府町糸谷で開業。岩美郡医師会理事、鳥取県東部医師会理事、鳥取県医師会理事を歴任した。 森が20歳になる前、米子医学専門学校3年の時に父が死去。残されたものは先祖伝来の土地の一部、五反ほどの畑と借金だけであった。
高萩 保治(たかはぎ やすはる、1928年9月1日 - 20… 高萩 保治(たかはぎ やすはる、1928年9月1日 - 2016年10月2日)は、日本の音楽教育学者。 東京生まれ。1950年武蔵野音楽学校卒。小・中・高校での音楽教育に従事。1965年米国コロンビア大学ティーチャースカレッジ大学院修士課程修了。1969年武蔵野音楽大学助教授、1973年東京学芸大学助教授、教授、1993年定年退官、名誉教授、国立音楽大学客員教授、日本大学芸術学部教授。日本音楽教育学会、国際音楽教育協会(ISME)の会長を務めた。高萩宏は甥である。
田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31… 田村 高廣(たむら たかひろ、1928年〈昭和3年〉8月31日 - 2006年〈平成18年〉5月16日)は、日本の俳優、田村高広と表記されることもある。阪東妻三郎の長男。弟は田村俊磨(元マネージャー、株式会社タムサプライヤ元社長)、俳優の田村正和、田村亮、田村兄弟の長男である。夫人は日本舞踊家の花柳駒。異母弟に俳優の水上保広がいる。京都府京都市出身。身長170cm。後年は世田谷区三宿に住んでいた。 京都府京都市出生、東京府東京市神田区(現・東京都千代田区)出身。京都府立京都第三中学校(現・京都府立山城高等学校)、同志社大学経済学部卒業。京都三中在学中に、動員学徒として愛知県の中島飛行機半田製作所で働いた経歴を持つ。
永井 浩(ながい ひろし、1928年8月31日 - 2007… 永井 浩(ながい ひろし、1928年8月31日 - 2007年3月29日)は、日本の運輸官僚、経営者。海上保安庁長官などを務めた。位階は正四位。 千葉県出身。1952年に東京大学法学部法律学科を卒業し、同年に運輸省に入省。1980年6月に海運局長、1982年6月に海上保安庁長官を歴任し、1983年6月に日本鉄道建設公団副総裁に就任し、1987年10月には総裁に昇格。1990年6月に日本空港ビル副社長に就任し、1991年6月には社長に昇格し、1997年6月に会長を経て、2001年6月に取締役相談役を退く。 2000年4月に勲二等旭日重光章を受章。 2007年3月29日に肺癌のために死去。78歳没。
荻野 泰正(おぎの やすまさ、1928年8月30日 - )は… 荻野 泰正(おぎの やすまさ、1928年8月30日 - )は、日本の電気工学者。工学博士。大阪工業大学工学部電気工学科元教授・電気クラブ初代会長。元電気工学教室担当。電気学会関西支部元評議員・会計幹事。第3回日本ロボット学会学術講演会1985実行委員。 専門は、電気回路・電気工学、電力工学(インバータ/コンバータ)・パワーエレクトロニクス(特に誘導電動機 /リニアモータ)、ロボット・メカトロニクス。 1952年大阪工業大学工学部電気工学科卒業(第1期生)。1957年大阪大学大学院工学研究科修士課程修了、工学修士(大阪大学)。1959年大阪工業大学工学部電気工学科に着任、電気工学教室を担当。その後、講師、助教授を経て、同学科教授、工学博士。
駒林 邦男(こまばやし くにお、1928年〈昭和3年〉8月2… 駒林 邦男(こまばやし くにお、1928年〈昭和3年〉8月29日 - 2011年〈平成23年〉5月27日)は、日本の教育学者。岩手大学名誉教授。アルゴリズム化教育、ソビエト教育学を研究した。 群馬県高崎市生まれ。高崎中学校を経て、1952年(昭和27年)東京文理科大学教育学科卒業。同年北海道学芸大学釧路分校助手。岩手大学教育学部助教授、教授を経て同附属小学校長。1975年、「現代ソビエト教授 - 学習諸理論の研究」で、東京教育大学より教育学博士の学位を取得。 1994年、定年退官、名誉教授、日本大学工学部教授。没後、正四位。
中園 康夫(なかぞの やすお、1928年8月29日 - 20… 中園 康夫(なかぞの やすお、1928年8月29日 - 2003年11月13日)は、日本の社会福祉学者。兵庫県出身。幼少時は北海道で過ごす。 ノーマリゼーション(英米の発音の違いによりノーマライゼーションとも)理念を日本に初めて紹介した研究者であり、その後も日本における同研究の理論的リーダーとして活躍した。 四国学院大学の学長(2期)、日本社会福祉学会の理事(3期)、また吉備国際大学副学長(1期)を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。
江川 辰三(えがわ しんざん、1928年〈昭和3年〉8月29… 江川 辰三(えがわ しんざん、1928年〈昭和3年〉8月29日 - 2021年〈令和3年〉9月19日)は、日本の曹洞宗の僧侶。總持寺独住第25世貫首。曹洞宗管長、学校法人総持学園主を歴任。 山梨県生まれ。駒澤大学文学部東洋学科卒業。山梨県立の高校に教諭として17年勤めたほか、山梨県清光寺、愛知県宝泉寺、愛知県正栄寺、愛知県吉定寺、石川県芳春院の住職を歴任する。 1996年(平成8年)1月から1999年(平成11年)2月まで、大本山總持寺監院。1999年(平成11年)10月から2003年(平成15年)4月まで、大本山總持寺祖院監院。1999年(平成11年)12月から2003年(平成15年)6月まで、大本山總持寺祖院専門僧堂堂長。
有賀 のゆり(ありが のゆり、1928年8月29日 - 20… 有賀 のゆり(ありが のゆり、1928年8月29日 - 2015年4月26日)は、日本の教育者、バッハ研究者、チェンバロ演奏者、同志社女子大学名誉教授。京都市生まれ。父はキリスト教神学者の有賀鉄太郎。のゆり自身もクリスチャン。オルガニストの木田みな子は妹であり、プラズマ物理学者、カナダ合同教会引退牧師、フルート奏者の有賀誠一は弟である。 同志社女子専門学校英文科卒業、アメリカ合衆国オッターバイン大学音楽学部卒業(ピアノ専攻)、ノースウェスタン大学大学院音楽研究科修了(音楽史専攻)。アメリカからの帰国後、一時、母校に勤務、その後、ドイツに留学し、エディット・ピヒト=アクセンフェルト教授、バロック音楽ブームをつくった大家のフリッツ・ノイマイヤー(de:Fritz Neumeyer (Musiker))教授らに師事、ヨハン・ゼバスティアン・バッハ解釈、チェンバロ演奏などを学ぶ。
安倍 徹郎(あべ てつろう、1928年(昭和3年)8月29日… 安倍 徹郎(あべ てつろう、1928年(昭和3年)8月29日 - 2016年(平成28年)2月23日)は、日本の脚本家・放送作家。安部徹郎、阿倍徹郎とも表記される。 現在の東京都中野区の生まれ。 1948年に日本共産党に入党、入党当初は党の名誉回復運動を行っていたということや、1952年5月1日に発生した血のメーデー事件の時には現場に居合わせていたという一面も持つ。 1951年、早稲田大学第一文学部英文科卒業。カストリ雑誌『りべらる』編集部に入るが2年で倒産、それから約3年間、岩谷書店『宝石』など数社の出版社、編集部を転々としたのち大映脚本家養成所入所。ここにて池波正太郎の指導を受け、以後脚本においても池波作品を得意とするようになる。
入谷 明(いりたに あきら、1928年8月29日 - 202… 入谷 明(いりたに あきら、1928年8月29日 - 2025年9月24日)は、日本の畜産学者。京都大学名誉教授、近畿大学生物理工学研究科名誉教授。兵庫県南あわじ市出身。 専門は家畜繁殖学。哺乳類の子宮や精子の機能構造を解明、体外受精実験の先駆者。 2002年には、岡崎国立共同研究機構基礎生物学研究所教授の村田紀夫らとの共同研究で、ブタにホウレンソウの遺伝子を組み込んだホウレンソウブタを開発した。大型動物に植物の遺伝子を入れ、狙い通りに働くことが確認された事例としては、世界初である。 2011年からは若山照彦、宮下実らと共に絶滅したマンモスをクローン技術で復活される研究に取り組む。凍結細胞からDNAを取り出す技術を確立し、良質なマンモスの組織がロシアの研究所から入手できる見込みがたったことから。
草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 19… 草鹿 外吉(くさか そときち、1928年8月28日 - 1993年7月25日)は、日本のロシア文学研究者、詩人、小説家、翻訳家。 後の神奈川県鎌倉市に生まれる。父は海軍兵学校校長を務めた草鹿任一であり、草鹿龍之介も親戚にあたるという海軍一家に育ち、湘南中学校から1945年海軍兵学校に入学する(77期)も、まもなく終戦を迎え、復員する。 第二次世界大戦復員後は、横浜工業専門学校を卒業後、早稲田大学に編入学して、ロシア文学を学ぶ。その後、早稲田大学や中央労働学院などで教えながら、日本福祉大学の教授となり、副学長も務めた。 また、詩人としては〈詩人会議〉の常任運営委員も務め、詩集も刊行した。 アレクサンドル・プーシキンを中心とした19世紀文学と、エフゲニー・エフトゥシェンコなどの同時代の詩人を中心に研究し、その方面の著書・訳書も多い。
廣重 徹(広重 徹、ひろしげ てつ、1928年8月28日 -… 廣重 徹(広重 徹、ひろしげ てつ、1928年8月28日 - 1975年1月7日)は、日本の科学史家。元日本大学教授。 兵庫県神戸市生まれ。旧制兵庫県立第一神戸中学校、旧制第三高等学校を経て、1952年に京都大学理学部物理学科を卒業(旧制の大学は3年制)。素粒子論を志して大学院に進学したがドロップアウトした。在学中から民主主義科学者協会の活動をした。 1957年、日本大学理工学部講師(物理学教室物理学史研究室)となり、1973年より同教授を務めた。1962年、名古屋大学より理学博士の学位を取得。現代物理学史の研究、および明治以後の日本の自然科学の社会史的研究に業績を上げたが、若くして没した。 反核運動で著名な物理学者武谷三男の三段階説を実証により否定している[要出典]。
水谷 昭夫(みずたに あきお、1928年8月28日 - 19… 水谷 昭夫(みずたに あきお、1928年8月28日 - 1988年12月2日)は、日本近代文学研究者。大阪府大阪市生まれ。キリスト教の観点から日本近代文学を論じた。
森 樊須(もり はんす、1928年8月28日 - 2007年… 森 樊須(もり はんす、1928年8月28日 - 2007年9月21日)は、日本の動物学者。北海道大学名誉教授。 1928年、東京市生まれ。1952年に北海道大学農学部農業生物学科卒業後、同大学農学部助手・助教授、カナダ国立研究所研究員(1963年)、カリフォルニア大学客員研究員(1964年)を経て、1971年教授に就任。1986年に農学部附属博物館館長、1989年から1991年まで北海道大学評議員を務めた。1992年に定年退職し、名誉教授の称号を授与された。 2007年9月21日午前3時40分、脳梗塞のため札幌市厚別区の病院で死去、79歳。 文豪森鷗外の長男森於菟の四男である。 ダニ学が専門。
鳥越 文蔵(とりごえ ぶんぞう、1928年8月28日 - 2… 鳥越 文蔵(とりごえ ぶんぞう、1928年8月28日 - 2021年4月5日 )は、日本の国文学者・日本近世演劇研究者。早稲田大学名誉教授。元早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長。1997年紫綬褒章受章。妻は国語学者の秋永一枝。 1928年、長崎県佐世保市生まれ。早稲田大学文学部演劇科で学び、1955年に卒業。同大学院修士課程に進み、1958年に卒業。 1959年、早稲田大学文学部助手に採用された。1969年に文学部助教授、1974年に教授に昇進。1988年から定年退職する1999年まで 早稲田大学坪内博士記念演劇博物館館長を務めた。演劇博物館館長時代は、所蔵図書の複写を可にするなど同博物館の現代的運営に尽力した。
下村 脩(しもむら おさむ、1928年(昭和3年)8月27日… 下村 脩(しもむら おさむ、1928年(昭和3年)8月27日 - 2018年(平成30年)10月19日)は、生物学者(有機化学・海洋生物学)。 学位は理学博士(名古屋大学、1960年)。位階は従三位。ボストン大学名誉教授、ウッズホール海洋生物学研究所特別上席研究員、名古屋大学特別教授。 有機化学・海洋生物学を専門とする生物学者、中でも生物発光研究の先駆者であり第一人者。旧制長崎医科大学、名古屋大学、プリンストン大学、ボストン大学、ウッズホール海洋生物学研究所などに在籍し、発光生物についての研究を継続。その中の一つ、オワンクラゲの緑色蛍光タンパク質の発見は、その後生命科学、医学研究用の重要なツールに発展して2008年(平成20年)のノーベル化学賞受賞に結びついた。
柳町 隆造(やなぎまち りゅうぞう、1928年8月27日 -… 柳町 隆造(やなぎまち りゅうぞう、1928年8月27日 - )は、日本の生殖生物学者(米国ハワイ州在住)。理学博士。ハワイ大学名誉教授。
橋田 辰夫(はしだ たつお、1928年 <昭和3年> 8月2… 橋田 辰夫(はしだ たつお、1928年 <昭和3年> 8月27日 - )は、日本の経営者。ゼネラル石油社長、会長を務めた。 愛媛県出身。1952年に神戸大学経済学部経済学科を卒業し、同年にゼネラル石油に入社。1981年6月に取締役に就任し、1983年6月に常務、1984年6月に専務を経て、1985年6月には社長に就任。1993年6月に会長を経て、1995年6月には相談役に就任。 1998年11月に勲三等旭日中綬章を受章。
小黒 恵子(おぐろ けいこ、1928年8月27日 - 201… 小黒 恵子(おぐろ けいこ、1928年8月27日 - 2014年4月1日)は、日本の作詞家。 神奈川県川崎市出身。血液型はO型。 サトウハチローに師事。1973年、「ハダシとハダカ」で日本作詩大賞童謡賞を受賞。1982年、「やあ、こんにちは」で赤い靴児童文化大賞。同年、「飛べ、しま馬」「ライオンの子守唄」で日本童謡賞。1990年、川崎市文化賞受賞。1991年には「小黒恵子童謡記念館」を開館した。2001年、勲四等瑞宝章受章。2014年4月1日午後11時23分、慢性呼吸不全のため、川崎市高津区の病院で死去。85歳没。 1897年築の生家(川崎市高津区諏訪)に1991年に開館した。生前の意向に従い、他の資産とともに川崎市に寄贈され、川崎市による再整備後の2017年4月1日に再開館した。
小島 衛(こじま まもる、1928年8月26日 - 2001… 小島 衛(こじま まもる、1928年8月26日 - 2001年3月13日)は、日本のドイツ文学者。京都大学名誉教授。北海道旭川市出身。 1952年に京都大学文学部卒業。1963~65年ミュンヘン大学に留学。北海道大学助教授などを経て、1969年京大教養学部助教授、1976年教授。1992年定年退官、名誉教授。リルケの研究で知られる。訳書に『リルケ名詩選』、ノサック『幻の勝利者に』など。
三條 美紀(さんじょう みき、1928年〈昭和3年〉8月25… 三條 美紀(さんじょう みき、1928年〈昭和3年〉8月25日 - 2015年〈平成27年〉4月9日)は、日本の女優。本名:佐藤 幹子(さとう みきこ)。旧芸名は三条 美紀。京都府京都市右京区出身。血液型A型。父は俳優で大映の部長も務めた佐藤圓治。娘は元女優の紀比呂子。オフィスまとば所属。 京都で生まれ、日活に所属していた父が日活多摩川撮影所へ移るのを機に上京。東京都立桜水女子商業学校(現在の東京都立杉並総合高等学校)卒業。戦時中は、学徒動員により東芝府中工場の経理課で勤務していた。 戦後、大映東京撮影所経理課に勤務していたが、戦後になり大映がスターを発掘する中、永田雅一ら社内上層部の目に留まり演技課へ異動。
吉沢 典男(よしざわ のりお、1928年8月25日 - 19… 吉沢 典男(よしざわ のりお、1928年8月25日 - 1988年3月8日)は、日本の国語学者・音声学者。 長野県長野市出身。長野師範学校付属小学校、旧制長野中学(長野県長野高等学校)を経て、國學院大學文学部国文科卒業、1953年同大学院修士課程中退、同年国立国語研究所に入所、東京医科歯科大学助教授を経て、1963年千葉大学文理学部助教授、1966年東京外国語大学助教授、同音声学研究所教授。 1962年「呼気消費量計による、発声・発音についての音声生理学的研究」で神戸医科大学医学博士。NHK放送用語委員会委員を務めた。
石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 -… 石河内 稔勝(いしごうち としかつ、1928年8月25日 - 2014年6月15日)は、日本の政治家、実業家。広島県沖美町議会副議長、広島県沖美町商工会長、広島県沖美町長を務めた。 広島県沖美町(現・江田島市)に生まれる。広島県立広島第二中学校(現・広島県立広島観音高等学校)を卒業後、外務省・文部省共同所管の南洋協会が運営する南洋学院に入学する。南洋学院在学中に終戦となり、その後内地の新制大学への転校を認められ、中央大学法学部に在籍する。 1977年から広島県沖美町議会議員選挙に5回連続当選を果たす。在任中に町議会の副議長を2度(1985年・1993年)務めた。1991年5月に広島県沖美町商工会長に就任し1998年11月の広島県沖美町長選挙で現職を破り第5代広島県沖美町長となる。
泉 大八(いずみ だいはち、1928年8月25日 - )は、… 泉 大八(いずみ だいはち、1928年8月25日 - )は、日本の小説家。本名は百武 平八郎(ひゃくたけ へいはちろう)。鹿児島県出身。 職業軍人の家庭に生まれ、自身も陸軍予科士官学校へ進学したが終戦後は電電公社(NTTの前身)で組合活動をしながらプロレタリア文学を執筆し、芥川賞候補となる。 1960年代後半に電電公社を退社して専業作家となってからは官能小説に転じ、宇能鴻一郎や川上宗薫と並ぶ「ポルノご三家」と評されていた。 1928年(昭和3年)8月25日、鹿児島県出水郡出水町(現在の出水市)に生まれる。祖父は肥前国佐賀藩の出で、出水へ移り鍛冶屋を営んでいた。元海軍大将・侍従長の百武三郎は祖父の親類に当たる。
板谷 実(いたや みのる、1928年〈昭和3年〉8月23日 … 板谷 実(いたや みのる、1928年〈昭和3年〉8月23日 - 2011年〈平成23年〉11月30日)は、日本の政治家、実業家。北海道苫小牧市長を経て、北海道議会議員(5期)。 北海道苫小牧市出身。実家は「千鳥屋商店」(現・千鳥屋板谷商店)を営み、北海道苫小牧中学校(現北海道苫小牧東高等学校)、海軍兵学校(77期)を経て、1949年(昭和24年)北海道大学農学部農芸化学科を卒業。理学博士。 北大卒業後富士紡績に入社し東京本社科学研究所などに勤務、在京時の1959年(昭和34年)に結婚し3児をもうける。その後新富士エンジンや北海道炭礦汽船に出向の後1972年(昭和47年)に苫小牧へ戻り、岩倉組土建取締役常務を経て、1983年(昭和58年)苫小牧市長選挙で苫小牧市長に初当選するも、次の1987年(昭和62年)市長選挙で鳥越忠行に敗れた。
橋本 敦(はしもと あつし、1928年〈昭和3年〉8月23日… 橋本 敦(はしもと あつし、1928年〈昭和3年〉8月23日 - 2021年〈令和3年〉8月29日)は、日本の元政治家、弁護士。日本共産党所属の元参議院議員(4期)。自由法曹団所属。 大阪府出身。旧制浪速高等学校を経て、1951年、京都大学法学部を卒業。1957年、弁護士を開業。 1971年12月の大阪市長選挙に日本共産党推薦で立候補するも、現職の大島靖に敗れ落選。 1974年の第10回参議院議員通常選挙に大阪府選挙区から立候補し初当選した。ロッキード事件の調査のために訪米し、共産党国会議員団の代表として疑獄事件追及に関わる。 1980年の参院選は次点で落選。1983年の参院選は比例区で立候補し2期目の当選を果たした。
黒羽 亮一(くろは りょういち、1928年〈昭和3年〉8月2… 黒羽 亮一(くろは りょういち、1928年〈昭和3年〉8月23日 - 2023年〈令和5年〉3月28日)は、日本の教育学者、社会学者。大学評価・学位授与機構名誉教授。東京市出身。 1949年(昭和24年)3月、東京高等師範学校卒業。1952年(昭和27年)、東京大学文学部西洋史学科卒業。 1952年(昭和27年)、日本経済新聞社に入社、社会部記者・社会部長・論説委員など歴任し、1986年(昭和61年)退社。その後、筑波大学教育学系教授・大学研究センター長。臨時教育審議会で学位授与機関の創設に関与し、発足とともに審査研究部教授に就任。1997年(平成9年)に退官して同機構の名誉教授第1号となる。その後、常磐大学国際学部教授もつとめた。