倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 … 倉田 弘(くらた ひろし、1930年〈昭和5年〉9月21日 - 2018年〈平成30年〉4月15日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。茨城県新治郡桜村長、つくば市長。 茨城県新治郡桜村栗原(現つくば市栗原)出身。1948年(昭和23年)茨城県立土浦中学校卒業。桜村助役を経て、1983年(昭和58年)桜村長に就任した。村長在任中は合併協議が難航する中で、6町村の合併を呼び掛け、協議をまとめ上げ、新市誕生に尽くした。1987年(昭和62年)11月30日、筑波郡谷田部町、大穂町、豊里町、新治郡桜村の3町1村が新設合併しつくば市が誕生。当初の市役所は旧第一圏民センター(現市民ホールやたべ)に置かれ、市長職務代理者には木村操旧谷田部町長が就任し、倉田は稲葉勝行旧大穂町長、野堀豊定旧豊里町長とともに副市長に就任した。
小池 正胤(こいけ まさたね、1930年9月21日 - 20… 小池 正胤(こいけ まさたね、1930年9月21日 - 2014年1月26日)は、日本の日本文学研究者。専門は日本近世文学、特に近世後期の草双紙・黄表紙。 小池藤五郎の子として、東京都新宿区に生まれる。1953年東京学芸大学国語科卒業、1963年同大学大学院博士課程単位取得退学。豊田工業高等専門学校、東京学芸大学文学部助手、金沢大学助教授を経て、1972年東京学芸大学助教授、同教授。1994年定年退官、名誉教授、富士フェニックス短期大学教授。 東京学芸大学出身の大学教員としては草分けの存在だった。また「叢の会」を創設して草双紙研究に大きな足跡を残した。
田口 健二(たぐち けんじ、1930年9月20日 - 200… 田口 健二(たぐち けんじ、1930年9月20日 - 2006年1月18日)は、日本の政治家。元日本社会党、社会民主党衆議院議員。 満洲国(現中華人民共和国)大連市出身、長崎県大村市育ち。長崎県立大村高等学校卒業。 大日本帝国海軍退役後、長崎県大村町から満洲国へ渡り、土木工事請負会社である合名會社義合祥(本店:奉天)に勤務した父(田口周二)と母(浜崎チサ)の5男(健二、繁、寛治、周造、英彦)3女(カネ子、マス子、マサ子)の長男として大連市に生まれる。 大村市役所、自治労長崎県本部委員長を経て、日本社会党の中村重光衆議院議員(連続当選9回)の地盤を引き継ぎ、1986年の第38回衆議院議員総選挙で旧長崎1区から日本社会党公認で立候補、初当選。
高木 多喜男(たかぎ たきお、1930年(昭和5年)9月20… 高木 多喜男(たかぎ たきお、1930年(昭和5年)9月20日 - 2019年(令和元年)8月29日)は、日本の法学者。専門は民法。担保物権の権威。神戸大学法学部教授・大阪学院大学法科大学院教授を経て、神戸大学名誉教授。指導教官は柚木馨。瑞宝中綬章受章。叙正四位。兵庫県神戸市生まれ。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、法学者に関連した書きかけの項目です。
中村 洪介(なかむら こうすけ、1930年9月20日 - 2… 中村 洪介(なかむら こうすけ、1930年9月20日 - 2001年2月25日)は、日本の音楽評論家、近代日本洋楽史家、物理学者。 東京生まれ。1961年東京大学大学院理学研究科物理学専攻博士課程満期退学。65年「重イオン核反応において射出されるα粒子の角度分布並びにエネルギー分布に関する考察」で理学博士。1965-67年カリフォルニア大学で学び、68-70年ブリュッセル自由大学研究員。筑波大学理学系助教授、教授、1993年定年となり、中央大学教授を務め、定年直前に肝不全のため死去。1988年『西洋の音、日本の耳』で芸術選奨文部大臣賞受賞。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
古川 宏(ふるかわ ひろし、1930年9月20日 - 202… 古川 宏(ふるかわ ひろし、1930年9月20日 - 2022年8月23日)は、日本の経営者。日本写真印刷社長、会長を務めた。 岐阜県出身。1953年に東京大学経済学部を卒業し、同年に日本勧業銀行に入行。1980年11月に日本写真印刷に転じ、1981年に常務に就任し、1985年に専務を経て、1989年に副社長に就任し、1992年4月に社長に昇格。2007年6月に会長に就任。 2022年8月23日老衰のために死去。91歳没。
青木 謙一郎(あおき けんいちろう、1930年 <昭和5年>… 青木 謙一郎(あおき けんいちろう、1930年 <昭和5年> 9月19日 - 2009年 <平成21年> 2月28日)は、日本の地球科学者。専門は岩石学。理学博士。東北大学名誉教授。位階は従四位。 1953年、熊本大学理学部地学科卒業、1959年、東北大学大学院理学研究科地学専攻博士課程修了。東北大学 理学博士 「壱岐島及び東松浦地域のアルカリ岩の岩石学的研究」。 1973年から1994年に退官するまで東北大学理学部教授。カリフォルニア大学サンディエゴ校スクリプス海洋研究所客員研究員、ニューメキシコ大学客員教授、パリ大学客員教授を務め、また、日本岩石鉱物鉱床学会会長、日本火山学会会長、日本学術会議会員を歴任した。
香西 昭夫(こうさい あきお、1930年9月19日 - 20… 香西 昭夫(こうさい あきお、1930年9月19日 - 2012年8月25日)は、日本の実業家。住友化学社長を務めた。香西精の長男。香西泰は弟。 兵庫県神戸市出身。1954年に東京大学法学部を卒業し、同年に住友化学工業に入社。 1983年3月に取締役に就任し、常務、専務を経て、1993年3月から2000年6月までに社長を務め、2000年から会長を務めた。社長在職時には、シンガポールの石油化学プロジェクトの拡張などを行い、クローバルカの推進と収益基盤の強化を行った。 2000年から2004年までに日本経済団体連合会副会長を務め、日本企業が国際競争に勝ち抜くための提言をまとめ、映画やゲームなどのコンテンツ産業の振興に尽力した。
三浦 昭(みうら あきら、1930年(昭和5年)9月19日 … 三浦 昭(みうら あきら、1930年(昭和5年)9月19日 - 2018年(平成30年)9月11日)は日本の実業家。三菱化学代表取締役社長や、同社代表取締役会長、三菱化学生命科学研究所代表取締役社長、日本知的財産協会会長などを務めた。 山形県出身。旧制山形高等学校を経て、1953年東北大学工学部卒業。1955年、同大学院を修了。三菱石油に入社し、1956年、三菱油化に転じた。 その後、三菱油化代表取締役社長を務め、1994年の三菱化成との合併を実現した。合併後の三菱化学代表取締役社長や、同社代表取締役会長、相談役、特別顧問を歴任した。2004年安全工学会玉置功労賞受賞。
太田昭臣(おおた あきおみ、1930年9月18日- )は、日… 太田昭臣(おおた あきおみ、1930年9月18日- )は、日本の国語教育学者。 茨城県生まれ。日本大学芸術学部文藝学科卒。茨城県の民間会社勤務後、竜ケ崎市立城西中学校教諭など、茨城県内中学校教師として39年間勤務、退職。1991年琉球大学教授となり1996年退官。社会福祉法人栗の実福祉会理事。
杉浦 宏(すぎうら ひろし、1930年9月18日 - )は、… 杉浦 宏(すぎうら ひろし、1930年9月18日 - )は、日本の水族館員、水生生物研究者。 東京都出身。日本大学農学部水産学科を卒業。恩賜上野動物園水族館に勤務したのち、井の頭自然文化園水生物館長、上野動物園飼育課に勤めた。国際学院埼玉短期大学教授を務めた。ラジオ「全国こども電話相談室」の回答者としても活動した。幼年向けの書籍(絵本・紙芝居)を含めた、水生生物に関する多くの著作がある。 2000年「国際的視野から見た水族館の役割 技術的進歩について」で日本大学から博士 (国際関係)を授与される。
石川 喬司(いしかわ たかし、1930年9月17日 - 20… 石川 喬司(いしかわ たかし、1930年9月17日 - 2023年7月9日)は日本の作家、評論家。愛媛県出身。 愛媛県伊予三島市(現・四国中央市)出身。曾祖父は松山藩主の剣道御指南番。幼稚園から中学時代までを新居浜市で過ごす。戦時中は、住友の化学工場に学徒動員していた。旧制愛媛県立松山中学校(現・愛媛県立松山東高等学校)を経て旧制第六高等学校に進み、旧制高校時代は織田作之助や太宰治に傾倒し、詩やエッセイを発表。東京大学文学部仏文学科に進み、渡辺一夫や鈴木信太郎に師事し、飯島耕一や東野芳明、村松剛、栗田勇らと同人誌『カイエ』を作る。 1953年大学を卒業し、同年、毎日新聞社に入社。新聞記者・『サンデー毎日』編集者の傍ら文筆生活に入る。
齋藤 史郎(さいとう しろう、1930年9月16日 - 20… 齋藤 史郎(さいとう しろう、1930年9月16日 - 2016年2月19日)は、日本の医学者。徳島大学名誉教授。徳島健祥会福祉専門学校校長。 新潟県三条市出身。1959年に東京大学大学院生物系研究科第一臨床医学専門課程博士課程を修了。東京大学医学部付属病院助手などを経て、1981年に徳島大学医学部教授となり、付属病院長、1992年に医学部長を歴任、1996年3月に退官した。1997年に同大学学長に就任し、その間に徳島大学埋蔵文化財調査委員長などを歴任した。2003年に同大学学長を退任し、同年4月に徳島健祥会福祉専門学校校長に就任。2007年、瑞宝重光章受章。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
原野 広太郎(はらの こうたろう、1930年9月16日 - … 原野 広太郎(はらの こうたろう、1930年9月16日 - 1994年2月9日)は、日本の教育心理学者。
平野 拓夫(ひらの たくお、Takuo Hirano、193… 平野 拓夫(ひらの たくお、Takuo Hirano、1930年9月15日 - 2025年4月23日)は1953年に東京藝術大学美術学部工芸科卒業後、特許庁審査官在職中にグッドデザイン商品選定(Gマーク)制度を提案、1957年の創設にて中心的役割を果たした。1970年には、株式会社平野拓夫デザイン設計事務所(現:平野デザイン設計)を設立。現在は名誉会長。また、金沢美術工芸大学、多摩美術大学、清華大学(北京)各校名誉教授、金沢工業大学客員教授など、デザインの教育機関にて要職を務めている。日本造船学会シップ・オブ・ザ・イヤー選定委員 1930年9月15日に北海道にて生まれ、北海道函館中部高校卒業後、東京芸術大学 美術学部工芸科へ進学。
山田 雄一(やまだ ゆういち、1930年9月15日 - 20… 山田 雄一(やまだ ゆういち、1930年9月15日 - 2012年4月7日)は、日本の心理学者、元明治大学学長(2000年〜2004年)・経営学部名誉教授。専門は経営心理学。 静岡県生まれ。旧制沼津中学校、旧制第一高等学校を経て東京大学入学。1953年、東京大学文学部心理学科卒業。人事院勤務を経て、1959年、富士製鐵(現在の日本製鐵)入社。入社後は1969年に退職するまで、教育部教育課長などを務める。その後、茨城大学助教授、明治大学助教授、教授、経営学部長を経て、2000年から2004年まで明治大学学長を務める。
山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月1… 山岸 純(やまぎし じゅん、1930年 <昭和5年> 9月14日 - 2000年 <平成12年> 12月17日)は、日本画家、日本芸術院会員。位階は正四位。 京都市生まれ。1953年京都市立美術大学日本画科卒。1955年同研究科修了、徳岡神泉に師事。1955年日展初入選。1961年日展特選・白寿賞。1966年日展菊花賞。1974年京都市立美術大学助教授、日展評議員。1975年日展文部大臣賞、京都市立芸術大学教授。1990年京都府文化賞功労賞受賞。1992年日本芸術院賞受賞。1993年日展理事。1996年京都市立芸術大学を退職、名誉教授、京都市文化功労者。1997年名古屋芸術大学教授。1999年日本芸術院会員。
続 訓弘(つづき くにひろ、旧字体: 續 訓弘、1930年〈… 続 訓弘(つづき くにひろ、旧字体: 續 訓弘、1930年〈昭和5年〉9月14日 - )は、日本の政治家。東京都副知事、参議院議員(2期)、総務庁長官(第23・24・25代)を歴任した。 熊本県生まれ。中央大学法学部卒業、専修大学大学院修了。1953年8月、東京都庁に入庁した。東京都財務局主計部長、財務局長などの役職を歴任し、1983年5月に東京都知事鈴木俊一の下で東京都副知事に就任。1991年に副知事を退任した。 1992年、第16回参議院議員通常選挙に公明党公認で比例区から立候補し、初当選を果たした。1994年、新進党結党を控え、公明党が公明新党、公明に分裂した際は公明新党に参加し、その後新進党に参加した。
上田 利正(うえだ りせい、本名=としまさ、1930年9月1… 上田 利正(うえだ りせい、本名=としまさ、1930年9月13日 - 2023年12月8日)は、日本の政治家。元日本社会党衆議院議員(2期)。 山梨県甲西町(現南アルプス市)出身。1950年甲府工業高校卒業。同年電電公社に入社。全電通山梨県委員長、山梨県労連議長などを経て、1986年の総選挙で山梨県全県区から立候補して初当選。2期務めた。1993年の総選挙に立候補せず、政界から引退する。 2001年4月の春の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する。 2023年12月8日、老衰のため山梨県の介護施設で死去した。93歳没。
竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 201… 竹内 宏(たけうち ひろし。1930年9月13日 - 2016年4月30日)は、日本の経済学者(日本経済・中東アジア経済)、評論家、キャスター。静岡県立大学グローバル地域センターセンター長(初代)・特任教授、株式会社価値総合研究所特別顧問、株式会社静岡新聞社客員論説委員、竹内経済工房主宰、上海師範大学名誉教授。 財団法人静岡総合研究機構理事長(初代)、株式会社日本長期信用銀行専務取締役調査部部長、株式会社長銀総合研究所理事長(初代)、静岡文化芸術大学文化政策学部特任教授、静岡県公立大学法人理事長(第2代)などを歴任した。 1930年、静岡県清水市(のちの静岡県静岡市)にて生まれた。旧制静岡県立清水中学校(静岡県立清水東高等学校の前身)を経て、旧制静岡高等学校(静岡大学の前身)を卒業した。
有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日… 有馬 朗人(ありま あきと、1930年〈昭和5年〉9月13日 - 2020年〈令和2年〉12月6日)は、日本の物理学者(原子核物理学)、俳人、政治家。位階は正三位。旭日大綬章。学位は理学博士(東京大学、1958年)。東京大学名誉教授、財団法人日本科学技術振興財団会長、科学技術館館長、武蔵学園学園長、公立大学法人静岡文化芸術大学理事長(初代)。文化勲章受章者。 国立大学協会会長(第14代)、東京大学総長(第24代)、理化学研究所理事長(第7代)、参議院議員、文部大臣(第125代)、科学技術庁長官(第58代)などを歴任した。 主に、原子核物理学の分野で国際的に知られ、原子核構造論などで多くの業績を上げた。
遠藤 光男(えんどう みつお、1930年(昭和5年)9月13… 遠藤 光男(えんどう みつお、1930年(昭和5年)9月13日 - 2016年(平成28年)5月16日)は、日本の法曹。元最高裁判所裁判官、弁護士。位階は正三位。 1930年(昭和5年)9月13日、東京に生まれる。1952年(昭和27年)に法政大学法学部を卒業し、司法試験に合格する。大在学中は法政大学弁論部に在籍し活動した。1955年(昭和30年)に弁護士登録し、法政大学の講師を兼務する。1981年(昭和56年)、司法研修所民事弁護教官を務め、1984年(昭和59年)に法制審議会委員に就任する。1986年(昭和61年)に東京弁護士会司法修習委員長、1988年(昭和63年)に日弁連司法修習委員長を務める。
佐野 哲也(さの てつや、1930年9月13日[要出典] -… 佐野 哲也(さの てつや、1930年9月13日[要出典] - 1983年2月9日)は、日本の俳優。東京都出身。立教大学卒業[要出典]。劇団手織座に所属していた。 1981年、舞台「楢山節考」で芸術祭賞奨励賞を受賞。 1982年、「楢山節考」の名古屋公演中に倒れ、1983年2月9日に死去。52歳没。
鈴木 章(すずき あきら、1930年〈昭和5年〉9月12日 … 鈴木 章(すずき あきら、1930年〈昭和5年〉9月12日 - )は、日本の化学者。 理学博士(1960年)(学位論文「ヒドロフェナンスレン誘導体の合成」)。北海道大学名誉教授、倉敷芸術科学大学特別栄誉教授。日本学士院会員。2010年ノーベル化学賞受賞。文化功労者・文化勲章受章。 パラジウムを触媒とする、芳香族化合物の炭素同士を効率よく繋げる画期的な合成法を編み出し、1979年に「鈴木・宮浦カップリング」を発表、芳香族化合物の合成法の一つとしてしばしば用いられるようになった。 北海道勇払郡鵡川町(現・むかわ町)出身。北海道江別市在住、むかわ町特別名誉町民。 1930年(昭和5年)北海道鵡川村に生まれる。
大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日… 大野 明男(おおの あきお、1930年〈昭和5年〉9月12日 - )は、日本の思想家、社会運動家。社会評論家。 東京生まれ。旧制東京都立第三中学校、東京陸軍幼年学校、旧制群馬県立桐生中学校、旧制浦和高等学校を経て、東京大学に入学。東京大学教養学部の学生自治会委員長としてレッドパージ反対闘争を指揮し、退学処分を受ける。東大を中退後、東大生協、業界紙記者を経てフリーになる。自らの全学連(全日本学生自治会総連合)の経験を踏まえた学生運動や世代論に関する発言を中心に新中間層、経済、経営の分野に及ぶ幅ひろい評論活動を展開する。兄の評論家・大野力と共に思想の科学研究会を活動の拠点とし、思想の科学研究会の事務局長、会長もつとめた。
岡本 文良(おかもと ぶんりょう、1930年9月12日 - … 岡本 文良(おかもと ぶんりょう、1930年9月12日 - 2008年1月21日)は、日本の児童文学作家、ノンフィクション作家、翻訳家。 茨城県生まれ。本名の読みは「ふみよし」。東京大学文学部卒。学研編集部勤務。書籍の編集にたずさわったのち、作家生活に入る。1971年より、児童文学、児童向けノンフィクション、海外作品の翻訳などを行う。
伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 202… 伊藤 郁男(いとう いくお、1930年9月11日 - 2020年10月26日)は、日本の政治家、俳人。元民社党参議院議員(1期)。長男は作家・ミュージシャン、タレントのいとうせいこう。 長野県諏訪市出身。長野県岡谷南高等学校を卒業後、1953年日本社会新聞記者を経て、1960年に民社党本部書記局に入り、機関誌局事務長、1977年に組織局次長などを経て、1980年の第12回参議院議員通常選挙に民社党公認で全国区から立候補し初当選を果たす。1986年、第14回、1989年、第15回の各参院通常選挙に比例区から立候補するもいずれも落選した。 2000年11月の秋の叙勲で勲三等に叙され、旭日中綬章を受章する 2020年10月26日、老衰のため、東京都八王子市の老人ホームで死去した。
梅内 敏浩(うめない としひろ、1930年9月11日 - … 梅内 敏浩(うめない としひろ、1930年9月11日 - )は、日本の銀行家。青森銀行頭取を務めた。 青森県青森市出身。1953年に東北大学経済学部を卒業し、同年4月に青森銀行に入行。1977年に取締役に就任し、1983年6月に常務、1987年6月に専務を経て、1991年6月に副頭取に就任し、1995年4月には頭取に昇格。1997年5月に会長を経て、2002年6月には相談役に退いた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月1… 井川スミス 史子 (いかわ スミス ふみこ、1930年9月10日 - )は、カナダの考古学者、文化人類学者。専門は日本など東アジア先史考古学。マギル大学名誉教授。 1930年、兵庫県神戸市長田村房王寺谷(現・神戸市長田区房王寺町)に生まれる。 1948年、奈良女子高等師範学校附属高等女学校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業後、1953年に津田塾大学学芸学部英文学科を卒業し、東京都立大学社会学研究室助手補となる。 1954年に、東京都立大学大学院社会科学研究科社会人類学専攻修士課程に入学する。1955年からフルブライト奨学生としてハーバード大学に留学した。1958年、ラドクリフ・カレッジで修士号(M.A.)を取得し、ラドクリフ・カレッジ博士課程を修了する。
稲垣 吉彦(いながき よしひこ、1930年9月10日 - 2… 稲垣 吉彦(いながき よしひこ、1930年9月10日 - 2013年4月8日)は、日本の言語学者、評論家、アナウンサー。 神奈川県生まれ。本名・文男。慶應義塾大学経済学部卒業。NHKアナウンサー、NHK放送文化研究所主任研究員、文教大学情報学部教授を歴任。2001年退職。流行語などについて著作を多く著し、1971年から2013年まで『現代用語の基礎知識』の執筆にも携わった。2013年4月8日、肺炎のため死去。82歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
三浦 清宏(みうら きよひろ、1930年9月10日 - )は… 三浦 清宏(みうら きよひろ、1930年9月10日 - )は、日本の小説家、心霊研究者、元明治大学理工学部教授。 北海道室蘭市に出生。東京大学文学部英文学科に進んだものの学生運動で休講続きの東大を嫌って21歳で中退し渡米、聴講を含めて3つの大学に通い、アメリカ・サンノゼ州立大学卒業後、アイオワ大学ポエトリー・ワークショップ修了。ヨーロッパを巡った後、1962年、31歳で帰国。1957-1958年、アイオワ時代に米国留学中の小島信夫と知り合い、帰国して半年小島と同居。 1967年から2001年まで、明治大学助教授、教授として英語を教える。1970年、『群像』に小説「立て、座れ、めしを食え、寝ろ」を発表する。
荒牧 重雄(あらまき しげお、1930年9月9日 - )は、… 荒牧 重雄(あらまき しげお、1930年9月9日 - )は、日本の地球科学者。東京大学名誉教授。“pyroclastic flow” という用語に対し火山砕屑流(火砕流)という訳語をあてた。日本における火山学の第一人者。英文学者荒牧鉄雄の長男。 主要な研究分野は火山岩石学、火山地質学。1961年 “Geology of Asama Volcano” により学位を取得。浅間山、熊野酸性火山岩類に始まり国内外の多くの火山を研究対象としている。近年では富士山ハザードマップ検討委員会の委員長を務めた。 荒牧重雄 - KAKEN 科学研究費助成事業データベース論文一覧(KAKEN、CiNii) この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。
原 實(はら みのる、1930年9月9日 - 2021年11… 原 實(はら みのる、1930年9月9日 - 2021年11月1日)は、インド古典学者、東京大学名誉教授、日本学士院会員。スウェーデン・アカデミー外国人会員(文学、歴史、古代学部門)。1966年、ハーバード大学大学院サンスクリット学専攻博士課程を修了、Ph.Dを受ける。1978年、ケンブリッジ大学修士号を授与される。 1930年、東京生まれ。1953年東京大学文学部印度哲学科[疑問点 – ノート]、同大学院で辻直四郎に師事。1960年に博士後期課程[疑問点 – ノート]満期退学し、同学文学部専任講師となる。1964年12月より同助教授、1973年オーストラリア国立大学客員教授を経て、1975年より東京大学教授に昇進。
筑波 常治(つくば ひさはる、1930年9月9日 - 201… 筑波 常治(つくば ひさはる、1930年9月9日 - 2012年4月13日)は、日本の農学史学者、科学評論家。専門は日本農業技術史、自然科学史。 東京府豊多摩郡代々幡町代々木(現・東京都渋谷区元代々木町)の3000坪の自邸で生まれる。侯爵筑波藤麿の長男。父方祖母・菊麿王妃常子の常と明治神宮の治から「常治」と命名される。母は子爵毛利高範の娘。弟に真言宗山階派大本山勧修寺門跡筑波常遍。父方祖父は山階宮菊麿王。父の兄弟に山階宮武彦王、山階芳麿、浅野安子、鹿島萩麿、葛城茂麿。義理の伯父に近衛文麿・近衛秀麿兄弟(いずれも母の姉らの配偶者)がいる。明仁上皇ははとこにあたる(香淳皇后の母と筑波藤麿の母、つまり祖母同士が姉妹)。
須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日… 須川 栄三(すがわ えいぞう、1930年〈昭和5年〉9月8日 - 1998年〈平成10年〉10月2日)は、日本の映画監督、脚本家。代表作に『野獣死すべし』『君も出世ができる』『蛍川』など。 大阪府大阪市西区新町で石綿(アスベスト)製造販売業の家に生まれ、旧制大阪府立八尾中学校(現・大阪府立八尾高等学校)、旧制姫路高等学校(現・神戸大学)を経て、1953年(昭和28年)東京大学経済学部を卒業し、東宝に入社。映画界入りのきっかけは、終戦直後の日本に大量に輸入された外国映画の洗礼を受けたことだった。 助監督時代に執筆したシナリオ『危険な英雄たち』が、1957年に鈴木英夫監督、石原慎太郎主演によるピカレスク(悪漢小説)・ドラマ『危険な英雄』として製作・公開され、シナリオも書ける助監督の有望株として評価を受ける。
西村 京太郎(にしむら きょうたろう、1930年9月6日 -… 西村 京太郎(にしむら きょうたろう、1930年9月6日 - 2022年3月3日)は、日本の推理小説家。本名は矢島 喜八郎(やじま きはちろう)。人気シリーズである十津川警部シリーズや、トラベルミステリーで知られる。 東京府荏原郡荏原町(現東京都品川区)生まれ。国民学校卒業後、東京府立電気工業学校(東京都立鮫洲工業高等学校の前身)に進むが中退し東京陸軍幼年学校に挑戦。100倍の競争率を突破して入学するが、在学中の15歳で終戦を迎えたため、工業学校へ復学し、卒業後、臨時人事委員会(後の人事院)に就職する。11年勤務後に退職し、トラック運転手、保険外交員、私立探偵、警備員などを経て作家生活に入る。 初期は社会派推理小説を書いていた。
鈴木 大吉(すずき だいきち、1930年〈昭和5年〉9月5日… 鈴木 大吉(すずき だいきち、1930年〈昭和5年〉9月5日 - 2023年〈令和5年〉3月29日)は、日本の実業家、ITコンサルタント。日本団体生命(現、アクサ生命保険)の副社長等を歴任した。 宮城県遠田郡小牛田町(現:美里町)出身。旧制中学校の宮城県古川中学校(現:宮城県古川高等学校)、旧制山形高等学校を経て、1953年(昭和28年)に東京大学法学部を卒業。同年に日本団体生命へ入社した。 同社では本店第二営業部長、営業推進部長を経て1974年(昭和49年)5月に取締役に就任した。その後、常務取締役、専務取締役を経て1994年(平成6年)7月6日に副社長に就任し、翌年に副社長を退任した。 副社長退任後の1995年(平成7年)9月、「ビジネス情報ネット」を設立。
長沼 健(ながぬま けん、1930年9月5日 - 2008年… 長沼 健(ながぬま けん、1930年9月5日 - 2008年6月2日)は、広島県広島市中区袋町出身の元サッカー選手・日本代表選手、元日本代表監督である。位階は正五位。 1994年より第8代日本サッカー協会会長を4年務め、その後同協会最高顧問のほか日本フットサル連盟名誉会長、日本ハンディキャップサッカー連盟会長、日本体育協会副会長、埼玉スタジアム2002場長。 生年の1930年はW杯の第1回大会が開催された年でもあった。 実家は広島の老舗電気工事業・長沼電業社。祖父の長沼鷺蔵は賀茂郡御園宇村(現・東広島市)出身の広島藩士で、戊辰戦争の際に結成された「神機隊」の参謀。明治維新後、廣島県警察部に奉職し刑事係を務めた後、数々の事業を起こしその一つが長沼電業社であり、のち広島有数の実業家となり、広島市議会議員などの要職を務めた。
外山 高士(とやま たかし、1930年〈昭和5年〉9月5日 … 外山 高士(とやま たかし、1930年〈昭和5年〉9月5日 - 2022年〈令和4年〉8月28日)は、日本の俳優・声優。 拓殖大学商学部貿易学科卒業。在学中は新聞部で大学の先輩である佐佐木隆を取材したのが機縁となり、劇団文化座に入る。1952年に同劇団の『陽気な地獄』で初舞台。中里事務所に所属していた。 『怪傑黒頭巾』で正義役をしていたが、その後は時代劇で悪代官・悪徳商人、現代劇でも悪役を中心に出演した。一方で『燃えよ剣』の伊東甲子太郎、刑事ドラマ『西部警察 PART-III』の第9話「白銀に消えた超合金X! -福島・前篇-」では善人役の冷静に状況説明する科学者など、悪役に限らず演じている。 吹き替えにおいては日本で初めての吹き替え海外ドラマ『ロビンフットの冒険』で主人公のロビンフット役を担当。
杉野 直道(すぎの なおみち、1930年9月5日 - 201… 杉野 直道(すぎの なおみち、1930年9月5日 - 2015年11月5日)は、日本の実業家。テレビ東京の社長・会長を務めた。 福岡県出身。杉野直幹、ケンの二男。1953年、東京大学法学部卒業。同年、日本経済新聞社に入社。1980年3月に取締役データバンク局長、1983年3月に常務総合情報担当・社長室長、1988年3月に専務総合情報・事業担当・社長室長などを歴任し、「日経ビジネス」の創刊や日経電子版の原型となるデータバンクの設立などにも携わっていた。1989年6月にテレビ東京社長に就任。1996年6月会長、1999年6月に相談役を経て、2000年6月には顧問に就任。 2015年11月5日、急性肝不全で死去。
松下 裕(まつした ゆたか、1930年9月5日 - 2020… 松下 裕(まつした ゆたか、1930年9月5日 - 2020年8月17日)は、日本のロシア文学の翻訳家、文芸評論家。 朝鮮鎮南浦府生まれ。早稲田大学文学部露文科卒業。19世紀から20世紀のロシア文学研究者として、チェーホフ作品を翻訳。中野重治研究、二度の『中野重治全集』編集・校訂も行なった。 1998年、「評伝中野重治」で第7回やまなし文学賞受賞。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日… 藤岡 琢也(ふじおか たくや、1930年〈昭和5年〉9月4日 - 2006年〈平成18年〉10月20日)は、日本の俳優、声優。 兵庫県姫路市出身。身長165cm、体重71kg。兵庫県立姫路西高等学校卒業、関西学院大学文学部中退。 1930年、姫路市にて会社員の父・憲一の第一子として誕生。当時としては裕福な家庭に育ち、成績は優秀だった。 旧制姫路中学校(現:兵庫県立姫路西高等学校)から広島陸軍幼年学校に進学するが、終戦により姫路中に復学後、関西学院高等部に編入。慶応義塾大学への進学を志望していたが、不合格となり明治大学商学部に進学するも父親の意向で関西学院大学に移り、翌年に結核を患い中退。 1953年、関西学院大学文学部社会学科に再入学。
澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日… 澤地 久枝(さわち ひさえ、1930年9月3日 - )は、日本のノンフィクション作家、社会運動家。東京都港区青山出身。 編集者を経て『妻たちの二・二六事件』(1972年)で作家に。綿密な取材で、真実に迫る作品を執筆。作品に『火はわが胸中にあり』(1978年)、『もうひとつの満州』(1982年)、『滄海よ眠れ』(1985~86年)など。 大工の長女として生まれる(下に妹と弟)。父親は小学校卒業後伊豆での見習修業を経て大工となり、久枝が4歳の時、家族で満洲へ移住し、吉林市の満鉄社宅で暮らした。1945年、吉林で敗戦を迎え1年間の難民生活の後に日本に引き揚げ山口県立防府高等学校に編入した。1947年夏に東京に移り焼野原の原宿に建てた6畳のバラックで育つ。
阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 … 阿部 寿美子(あべ すみこ、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2023年または2024年)は、日本の女優・声優。東京府豊多摩郡代々幡町(現:東京都渋谷区)出身。夫は映画評論家の深沢哲也。 俳優座養成所の第1期生。 1952年俳優座準劇団員となり、同年映画「慟哭」でデビューする。1954年青年座に参加するがすぐに脱退、同年新東宝と専属契約。1957年劇団現代座に入るがまもなく脱退。同年、深沢哲也と結婚。 以前はプロダクションMAY・25に所属していた。 声優としては、NHKの人形劇『新八犬伝』の玉梓役が有名。登場時の「我こそは玉梓が怨霊」という決まり文句は、辻村ジュサブローによる迫力ある造形の人形と相まって、当時の視聴者の子どもに強い印象を与えた。
伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023… 伊藤 裕司(いとう ひろし、1930年9月3日 - 2023年7月6日)は、日本の漆芸家、日本藝術院会員。 京都市出身。本名は裕允(ひろのぶ)。京都市立日吉ヶ丘高等学校卒。山崎覚太郎に師事。1953年「山海譜」で日展初入選。1964年「触」で日本現代工芸美術展初入選。京蒔絵を習び色漆を主な素材にした作品を発表している。2004年「スサノオ聚抄」で日本芸術院賞受賞。2011年芸術院会員。2018年秋の叙勲で旭日中綬章を受章。 1953京都市立美術工芸学校漆芸科卒業山崎覚太郞(東京)に師事、色漆技法を修得する(~‘57)第9回日展初入選('66,'68特選,'83会員賞、審査員4回)1962第3回日本現代工芸美術展初入選('66大賞、'97文部大臣賞)1970漆芸作家集団〔フォルメ〕創設同志とともに前衛活動'79まで1978第8回世界クラフト会議・京都国際会議漆分科会コーディネーター1985紺綬褒章受章(以降四度受章)1990京都府文化賞功労賞受賞1995京都市芸術功労賞2000文化庁長官表彰―漆芸功労により表彰を受ける2002林野庁長官賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」2004農林水産大臣賞受賞 日本漆工協会主催「漆の美展」、日本藝術院賞受賞2011日本漆工協会(総裁・桂宮宣仁親王)漆工功労賞表彰、日本藝術院会員に就任2018旭日中綬章受章コレクション日本藝術院、東京国立近代美術館工芸館、京都国立近代美術館京都府京都文化博物館、京都市美術館、伊勢神宮、熱田神宮、明治神宮 他現在日本藝術院会員、公益社団法人日展顧問、現代工芸美術家協会常務理事
成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日… 成瀬 正俊(なるせ まさとし、1930年〈昭和5年〉9月3日 - 2008年〈平成20年〉4月4日)は、日本の俳人。国宝・犬山城の元城主であり、旧所有者。称号としては愛知県犬山市初の名誉市民を贈られている。角川書店やテレビ朝日にも勤務していた。 父は尾張藩付家老・犬山藩主成瀬正成の末裔で、成瀬家11代当主の成瀬正勝。母は旧松尾藩主太田資美の長男で子爵である資業の娘、文子。東京都生まれ。学習院大学文学部卒業。学位は文学士。1972年(昭和47年)に父の正勝の死去に伴い第12代城主をつとめる。犬山城は2004年(平成16年)4月に成瀬家が設立した財団法人の犬山城白帝文庫に移管された。 長女は財団法人犬山城白帝文庫理事長の成瀬淳子、長男は成瀬正浩。
大野 順一(おおの じゅんいち、1930年9月3日 - 20… 大野 順一(おおの じゅんいち、1930年9月3日 - 2015年4月27日)は、国文学者。 東京生まれ。明治大学文学部国文科卒、同大学院修士課程中退。明治大学文学部助教授、同教授、2001年定年退任。筆名・大野純。日本文芸思想史専攻。中世文学が専門だが、日本近代文学も論じた。
佐橋 慶女(さはし けいじょ、1930年9月2日 -2020… 佐橋 慶女(さはし けいじょ、1930年9月2日 -2020年12月27日)は、日本のエッセイスト。 愛知県出身。本名・恆苑(浄土宗僧侶)。愛知県立女子専門学校(現・愛知県立大学)英文科卒。中日新聞記者となり、1963年3月に日本で初めての女だけの会社「アイディア・バンク」を設立。 1969年より佐橋慶の名で著書を刊行、のち慶女と名乗る。 1971年に日本の生活文化を伝承するための「傳承塾」を始める。1976年出家、1984年『おじいさんの台所』で日本エッセイストクラブ賞を受賞し、3回にわたってテレビドラマ化された。 後年は高齢問題に取り組み、「オパール・ネットワーク」を主宰した。
今井 宏(いまい ひろし、昭和5年(1930年)9月2日 -… 今井 宏(いまい ひろし、昭和5年(1930年)9月2日 - 平成14年(2002年)10月16日)は、日本の歴史学者。専門はイギリス近代史。東京女子大学名誉教授。 1930年、大阪府で生まれた。。東京大学大学院文学研究科西洋史学専攻に進み、1958年に博士課程を満期退学。 1958年より41年間、東京女子大学で教鞭をとった。1999年に東京女子大学を定年退職し、名誉教授となった。2002年10月16日、リンパ腫のため死去 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、… 吉野 良彦(よしの よしひこ 1930年9月1日 - )は、日本の大蔵官僚。大蔵事務次官。