大久保 進(おおくぼ すすむ、1930年3月2日 - 201… 大久保 進(おおくぼ すすむ、1930年3月2日 - 2015年7月17日)は、日本生まれのアメリカ合衆国の理論物理学者である。 1949年に東京大学に入学し、1952年に学士号を取得した。1954年にロチェスター大学大学院に入学し、1958年にロバート・マーシャックの指導の下でPh.D.を取得した。その後、1959年から60年にかけてナポリ大学、1960年から61年にかけてCERNに籍を置き、1962年にロチェスター大学に戻って1964年に教授となった。1996年に退職し、名誉教授となった。 主として素粒子物理学を研究し、ゲルマン・大久保の質量公式(英語版)でよく知られている。この公式は、超電荷と同位体スピンの観点から、SU(3)多重項の質量の関係を正確に予測する。
保富 康午(ほとみ こうご、1930年〈昭和5年〉3月2日 … 保富 康午(ほとみ こうご、1930年〈昭和5年〉3月2日 - 1984年〈昭和59年〉9月19日)は、日本の作詞家。和歌山県西牟婁郡すさみ町出身。名前の別表記は苗字が「保冨」、名前に「庚午」がある(庚午が本名)。現在日本で広く知られている「大きな古時計」の日本語訳の詞を作詞したことで著名。 幼少期は千里山に在住し千里第二小学校を卒業した。のちに同志社大学卒業後、詩人である村野四郎に弟子入りしていたが、知人からミュージカルの台本依頼をされたことを機にテレビの仕事に携わるようになる。 構成作家として『サンデーサン』、フジテレビ『ミュージックフェア』などの歌番組を始め、演歌歌手達のショーの舞台も数多く担当。
桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003… 桑原 潤(くわはら じゅん、1930年3月1日 - 2003年2月26日)は、日本の実業家。ヤクルト本社社長、ヤクルトスワローズのオーナーを務めた。 熊本県出身(出生地は福岡県大牟田市)。三池高校、熊本大学工学部を卒業後、ヤクルト本社に入社。副社長時代の1987年7月に社長の松園尚巳が病に倒れると本社の業務を任され、1988年4月にヤクルト本社社長に就任した。 ヤクルトはプロ野球球団(ヤクルトスワローズ)を保有しており、松園がオーナーを務めていたが、球団については球団社長の相馬和夫がオーナー代行を兼任する形で運営を任されており、当初は桑原は球団運営には関わっていなかった。ところが自身が他球団のオーナーであるにもかかわらず大の巨人ファンとして有名だった松園は、この年に長嶋茂雄の息子・一茂の獲得に成功していたこともあり、一刻も早く長嶋監督就任を実現しようと、まだリーグ優勝チームすら決まっていないシーズン途中の10月3日に、桑原に命令して記者会見を開かせ、現監督関根潤三の任期中にもかかわらず(1989年までの3年契約)、現場の相馬の頭越しに「長嶋氏に来年度からの監督就任をお願いする」と表明させ、翌日には相馬が慌ててこれを取消す事態に発展した。
平岡 敏夫(ひらおか としお、1930年3月1日 - 201… 平岡 敏夫(ひらおか としお、1930年3月1日 - 2018年3月5日)は、日本の日本近代文学研究者。筑波大学・群馬県立女子大学名誉教授。 香川県仲多度郡広島村(現丸亀市)生まれ。1945年大津陸軍少年飛行兵学校卒、1954年香川大学学芸学部国語科卒、愛媛県川之江市立金生中学校教諭、1956年東京教育大学大学院入学、吉田精一に師事、1962年同博士課程単位取得満期退学。東京都立一橋高等学校教諭、1966年大東文化大学専任講師、1967年東海大学助教授、1968年横浜国立大学教育学部助教授、1975年教授、1976年筑波大学文芸言語学系教授、1982年「北村透谷研究」で筑波大学文学博士。1988-1992年筑波大文芸言語系研究科長、1992年定年退官して群馬県立女子大学学長を1998年まで務める。
井村 喜代子(いむら きよこ、1930年3月1日 - )は、… 井村 喜代子(いむら きよこ、1930年3月1日 - )は、マルクス経済学者。慶應義塾大学名誉教授。 石川県金沢市生まれ。1947年石川県立金沢高等女学校卒業。1950年津田塾大学教養課程修了、慶應義塾大学3年に編入学。1952年慶應義塾大学経済学部卒業。1955年慶應義塾大学経済学部副手。1958年慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程退学。慶應義塾大学経済学部助手、1961年専任講師、1963年助教授、1972年教授。1979年「恐慌・産業循環の理論」で経済学博士(慶應義塾大学)。1986年4月~1992年3月経済理論学会代表幹事。1995年慶應義塾大学を定年退職。 父は井村徳二(金沢のデパート「大和」創業者、勁草書房創業者、政治家)、兄は井村寿二(大和社長・会長、勁草書房社長)。
畑島 喜久生(はたしま きくお、1930年3月1日 - )は… 畑島 喜久生(はたしま きくお、1930年3月1日 - )は、日本の児童文学研究者、教育評論家、詩人。 長崎県対馬生まれ。15歳で西浦上で原爆に遭う。1949年長崎師範学校卒、五年間教師をして1954年上京、1956年國學院大学文学部卒業。公立学校教師を経て、1982年東京都公立学校教頭、1986年調布市立国領小学校校長、1990年定年退職後、白百合女子大学・東京学芸大学・山梨大学講師、東京保育専門学校長を経て、同校理事・学監。20年余、小学校国語教科書(学校図書)の編集に携わる。現代少年詩の会代表(「少年詩の学校」主宰)。日本児童文学者協会会員。
滝田 文彦(たきた ふみひこ、1930年3月1日 - 199… 滝田 文彦(たきた ふみひこ、1930年3月1日 - 1996年11月11日)は、日本のフランス文学者・翻訳家。東京大学名誉教授。 東京出身。父は実業家の瀧田英二、母は元女優の花柳はるみ。第八高等学校、東京大学文学部仏文科卒、同大学院に学び、1957年東京大学教養学部講師、助教授、教授、1990年、定年退官、名誉教授。現代フランス文学を中心に多くの翻訳をした。妹は瀧田あゆち。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小山 章三(こやま しょうぞう、1930年(昭和5年)3月1… 小山 章三(こやま しょうぞう、1930年(昭和5年)3月10年 - 2017年(平成29年)12月22日)は、日本の音楽家、音楽教育者。専門は合唱曲作曲、合唱指導法。国立音楽大学教授を務め、児童合唱「わたしはだれでしょう」「ともだちはいいな」や、ふるさと長野を歌った「信濃の秋」「千曲川の水上を恋ふる歌」、賛美歌「行けども行けども」「やさしい目が」など長く愛唱されている曲を多く作った。 1930年、長野県丸子町(現・上田市)生まれ。丸子小学校卒業。小さい頃から歌を作るのが好きで、近所の子どもたちを集めては自作の歌で合唱をしていた。丸子実業高校農業土木科(現・丸子修学館高等学校)でも音楽部を作ったりしたが、土地測量の勉強ははだに合わず、技術者の道には進まなかった。
小原 宏(おはら ひろし、1930年2月28日 - 1996… 小原 宏(おはら ひろし、1930年2月28日 - 1996年12月11日)は、日本の経営者。ニッカウヰスキー社長を務めた。神奈川県横浜市出身。 1953年に成城大学政治経済学部を卒業し、同年に朝日麦酒(現在のアサヒビール)に入社。1982年3月に取締役に就任し、1986年8月に常務を経て、1994年3月にはニッカウヰスキー社長に就任。 1996年12月11日肝不全のために死去。66歳没。
菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 20… 菊地 隆知(きくち りゅうち、1930年2月28日 - 2018年11月3日)は日本の版画家。山形県長井市出身。版画家棟方志功の兄弟弟子(版画家平塚運一に師事)。古民家、廃屋などの田舎の風景、子ども、最上川や雪景色など郷土の風景を題材とした作風で知られる。 その他、山形県長井市の文化誌、月刊「芳文」の表紙を長らく担当した。
増田 和彦(ますだ かずひこ、1930年2月26日 - 19… 増田 和彦(ますだ かずひこ、1930年2月26日 - 1992年)は、日本の建築設計・建築計画者。大阪工業大学工学部建築学科元助教授。工学修士。元建築学教室担当。 1953年大阪工業大学工学部建築学科卒業(建築学科一期生:同期にフランク・ロイド・ライト研究の第一人者の谷川正己がいる)。同学部建築学科助手、建築学教室担当。その後、講師を経て(工学修士)、同学科助教授。1990年大阪工業大学退官。1992年逝去。 大阪工業大学工学部建築学科にて30年以上の長きに渡り教鞭を執り、大学初期の建築設計(のちの建築デザイン)での建築教育(手書き製図など)の育成に貢献した。主な所属学会は、日本建築学会、日本建築協会、日本建築士連合会など。
日高 敏隆(ひだか としたか、1930年2月26日 - 20… 日高 敏隆(ひだか としたか、1930年2月26日 - 2009年11月14日)は、日本の動物行動学者。京都大学名誉教授。総合地球環境学研究所名誉教授。日本昆虫学会会長、日本動物行動学会会長を務めた。 1930年、東京市渋谷区(現:東京都渋谷区)生まれ。少年時代から昆虫採集に熱中するいわゆる昆虫少年であった。当時は昆虫少年同士の全国的な文通や同人誌を通じたネットワークがあり、日高も世代の近い養老孟司や同年生まれの矢島稔ら、その後昆虫少年から後に研究者になっていった人々と、その頃から交流があった。小学校時代から昆虫学者を志していたものの両親の無理解に苦しみ、また当時通っていた広尾尋常小学校(現:渋谷区立広尾小学校)のスパルタ教育に馴染めなかったことから不登校に陥り、自殺を考えたこともあるが、担任教師が両親に掛け合ってくれ、日高が昆虫学の道に進むことを承諾させるとともに、より自由な校風の東京市笄国民学校(現:港区立笄小学校)に越境入学させたことで命を救われた。
渡邉 昌美(わたなべ まさみ、1930年2月26日 - 20… 渡邉 昌美(わたなべ まさみ、1930年2月26日 - 2016年6月24日)は、日本の西洋史学者、高知大学名誉教授。フランス中世史、特に異端を研究した。 岡山県生まれ。1953年、東京大学文学部西洋史学科卒業。1991年、「異端カタリ派の研究」で文学博士。高知大学教授、1994年、定年退官、名誉教授。中央大学教授。2000年、退職。
土屋 澄男(つちや すみお、1930年2月26日 - 201… 土屋 澄男(つちや すみお、1930年2月26日 - 2017年11月5日)は、日本の英語教育学者。 1952年東京高等師範学校英文科卒業(同校最後の卒業生)。1955年東京教育大学心理学科卒、東京都公立中学校教諭、東京教育大附属中学校教諭、茨城キリスト教大学教授、東京電機大学教授、文教大学教授を歴任し、2001年定年。1996-2000年語学教育研究所理事長、のち顧問。キリスト教徒。
瀬戸 雄三 (せと ゆうぞう、1930年2月25日 - 20… 瀬戸 雄三 (せと ゆうぞう、1930年2月25日 - 2013年5月13日) は日本の実業家。アサヒビール株式会社の社長時代にアサヒビールを業界ナンバーワンに導いた。2009年11月時点では、旭化成社外取締役を務めていた。慶應義塾評議員・理事。 1930年、兵庫県神戸市で生まれる。父親は貿易商。父親からは「金持ちのときは貧乏な顔を、貧乏なときは金持ちの顔をしろ」と教えられ、母親からは「人に迷惑をかけてはいけない」「人の悪口を言ってはいけない」「自分の自慢話をしてはいけない」と事あるごとに聞かされて育った。昭和13年(1938年)7月5日、豪雨を心配してその日のみ電車通学に付き添ってきた母親が二駅目の住吉駅で「雄三、危ないから家へ帰ろう」と強い力で右腕を引っ張って逆方向の電車に引き込んだ。
山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳〈やまかわ よ… 山川 方夫(やまかわ まさお、本名:山川 嘉巳〈やまかわ よしみ〉、1930年(昭和5年)2月25日 - 1965年(昭和40年)2月20日)は、日本の小説家。 東京都生まれ。慶應義塾大学仏文科卒。父は日本画家山川秀峰。 「三田文学」を編集し、その後自らも筆を執り『日々の死』『その一年』『海岸公園』などの短編集を発表。繊細で都会的な作風によって、敗戦後の青春と死の不条理を自伝的に描いた。『お守り』の翻訳が米「LIFE」誌に掲載されるなど将来を嘱望されたが、交通事故により34歳で死去。没後『愛のごとく』などが出版された。 ショートショートでも活躍し、『お守り』のほか、国語教科書に採用されることの多い『夏の葬列』がとりわけ知られている。
飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2… 飯島 耕一(いいじま こういち、1930年2月25日 - 2013年10月14日)は、日本の詩人、小説家、翻訳家。日本芸術院会員、元明治大学法学部教授。長男は建築評論家の飯島洋一。 岡山市生まれ。旧制第六高等学校時代、シュペルヴィエルに傾倒。1946年、初めて買った詩集は村上菊一郎訳の『惡の華』だった。翌1947年12月に初めて日本の詩人の書いた詩集、朔太郎の『青猫』を買った。1948年10月、創元選書の大岡昇平編『中原中也詩集』を買ったが、ここにはソネットや、四行四連の「定型詩」が多かった。 1949年に東京大学文学部仏文学科入学、1952年同大学を卒業。在学中、栗田勇らと『カイエ』を創刊する一方、1950 - 51年と鈴木信太郎の講義に出て、ヴィヨンの『大遺言詩』、マラルメのソネット、ヴァレリーの『若きパルク』の演習を受ける。
菊地 良輔(きくち りょうすけ、1930年2月25日 - 2… 菊地 良輔(きくち りょうすけ、1930年2月25日 - 2014年6月29日)は、日本の教育評論家。 東京生まれ。1952年東京大学文学部心理学科卒、地方公務員として教員となり、東京都杉並区立神明中学校教諭(国語)など、1983年まで東京の公立中学校教諭。東京経済大学講師などを務めた。 全国進路指導研究会常任委員長歴任。
由井 俊三(ゆい しゅんぞう、1930年2月25日 - ?)… 由井 俊三(ゆい しゅんぞう、1930年2月25日 - ?)は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。 1952年東京大学理学部地学科を卒業し、住友金属鉱山(株)に勤務して、関係する鉱山の調査・開発に従事した。1958年4月東京大学数物系大学院地質学課程修士課程に入学し、1960年修士課程を修了して博士課程に進学したが、6月に退学し、九州大学工学部助手となる。1964年4月秋田大学鉱山学部助教授に転任。6月に東京大学より理学博士の学位を取得(論文表題は「愛媛県基安鉱山の地質と層状含銅硫化鉄鉱鉱床」(英文) )。1978年3月弘前大学理学部教授となり、1986年7月北海道大学理学部教授となる。1993年3月同定年退職。
大脇 照夫(おおわき てるお、1930年2月23日 - 20… 大脇 照夫(おおわき てるお、1930年2月23日 - 2013年4月28日)は、愛知県犬山市出身のプロ野球選手(投手)・監督。 滝実業高校、名古屋鉄道管理局を経て、1952年に国鉄スワローズへ入団。 1956年5月3日の中日戦第2試合(中日)で史上24人目のノーヒットノーランを達成するが、80球で奪三振0という珍記録での達成となった。 球団初の7連勝を達成した5月9日の巨人戦(後楽園)では先発しているが、8回一死の場面で初四球を出し、エースの金田正一に交代している。 引退後は古巣・名古屋鉄道管理局の監督となり、1979年にはチームを20年ぶりの都市対抗出場に導いたほか、地元・犬山に少年野球チーム「犬山リトルリーグ」を創設。
高松 勇(たかまつ いさむ、1930年2月23日 - )は、… 高松 勇(たかまつ いさむ、1930年2月23日 - )は、日本の経営者。ダイドードリンコ社長を務めた。 奈良県出身。1946年に御所工業高等学校を卒業し、同年に大同薬品工業に入社。1955年に常務に就任し、1970年に副社長を経て、1973年から1990年までに社長を務めた。一方で、1975年1月にダイドー(のちのダイドードリンコ)を設立し、社長に就任し、1994年4月までに務めた。1999年4月から2016年4月までに取締役相談役を務めた。
三浦 公亮(みうら こうりょう、1930年2月23日 - )… 三浦 公亮(みうら こうりょう、1930年2月23日 - )は、日本の航空宇宙工学者。専門は宇宙構造物の設計。東京大学名誉教授。東京大学宇宙航空研究所助教授、文部省宇宙科学研究所教授を歴任。
吉岡 剛(よしおか つよし、1930年2月23日 - )は、… 吉岡 剛(よしおか つよし、1930年2月23日 - )は、日本の教育学者。 群馬県出身。京都大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。聖母女学院短期大学助教授、佛教大学教育学部教授。2000年定年退職。
志村 五郎(しむら ごろう、1930年〈昭和5年〉2月23日… 志村 五郎(しむら ごろう、1930年〈昭和5年〉2月23日 - 2019年〈令和元年〉5月3日)は、日本出身の数学者。プリンストン大学名誉教授。専門は整数論。静岡県浜松市出身。 谷山–志村予想によるフェルマー予想解決への貢献、アーベル多様体の虚数乗法論の高次元化、志村多様体論の展開などで知られる。国際数学者会議に招待講演者として4回招聘されているほか、スティール賞、コール賞を受賞した日本を代表する数学者の一人。 また、趣味で中国説話文学を収集しており、中国文学に関しての著作も複数存在する。 2019年5月3日死去、89歳没。
松崎 俊久(まつざき としひさ、1930年〈昭和5年〉2月2… 松崎 俊久(まつざき としひさ、1930年〈昭和5年〉2月23日 - 2004年〈平成16年〉5月24日)は、日本の政治家、医師。参議院議員(1期)。 1930年、福島県会津若松市に生まれる。日本医科大学を卒業し、循環器内科に入局。財団法人東京都老人総合研究所(現東京都健康長寿医療センター)疫学第一研究室長や疫学部長を歴任。定年後、琉球大学医学部保健学科保健管理教室教授となる。1995年、第17回参議院議員通常選挙比例区(新進党)で落選したが、1998年6月、繰り上げ当選。同11月、民主党に入党し、1999年、民主党会計監査を務めた。2001年の選挙には出馬せず引退。 2004年5月24日、心不全のため死去。
江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017… 江副 茂(えぞえ しげる、1930年2月22日 - 2017年5月20日)は、日本の技術者、実業家。東陶機器(現TOTO)元社長江副孫右衛門の甥で、同社社長や会長、九州・山口経済連合会(現九州経済連合会)副会長、福岡県公安委員会委員長などを務めた。正四位勲二等瑞宝章。 関東州大連市生まれ。東陶機器(現TOTO)社長を務めた江副孫右衛門は伯父。愛知県立旭丘高等学校1期を経て、1955年名古屋大学工学部機械学科卒業、東洋陶器入社。水栓金具技術者としてウォシュレット等の開発を手掛けた。 東陶機器常務、専務、副社長を経て、1992年から社長を務め、アジア進出などを進めた。1998年から会長。 2001年勲二等瑞宝章受章。
前田 耕一(まえだ こういち、1930年2月22日 - 20… 前田 耕一(まえだ こういち、1930年2月22日 - 2013年3月7日)は、日本の経営者。時事通信社社長を務めた。東京都出身。 1953年に成蹊大学政治経済学部経済学科を卒業し、同年に時事通信社に入社した。経済記者、解説委員などを経て、1982年7月に取締役に就任し、1988年6月に専務を経て、1990年6月に社長に就任。1996年6月に相談役に就任し、2000年6月には顧問に就任。1985年7月から1997年6月までに電通取締役を務めた。 1993年6月にフランスのレジオン・ドヌール勲章を受章。 2013年3月7日膵臓癌のために死去。83歳没。
有田 光雄(ありた みつお、1930年2月22日 - )は、… 有田 光雄(ありた みつお、1930年2月22日 - )は、日本の労働運動家。島根県出身。子息は立憲民主党の衆議院議員で、参議院議員(2期)・ジャーナリストの有田芳生。 著作の一部はデジタル化されており、国立国会図書館デジタルコレクションなどで公開されている。
木滑 良久(きなめり よしひさ、1930年2月22日 - 2… 木滑 良久(きなめり よしひさ、1930年2月22日 - 2023年7月13日)は、日本の編集者。元マガジンハウス社長。 東京府出身。米沢藩の側用人・木滑要人の子孫。15歳で太平洋戦争の敗戦に遭遇し、進駐軍を通じアメリカの文化に接して強烈な憧れを抱く。1954年3月、立教大学文学部史学科卒業。学生時代から出入りしていた平凡出版(現在のマガジンハウス)に1955年3月に入社し、1965年から1980年まで『週刊平凡』『平凡パンチ』『an・an』『POPEYE』『BRUTUS』の各編集長を歴任した。1980年12月取締役に就任。1982年6月には『Olive』の編集長を兼任する。1984年10月、取締役編集担当副社長に就任し、1988年には『Hanako』を創刊しブームを作るきっかけを与えた。
保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 20… 保田 春彦(やすだ はるひこ、1930年2月21日 - 2018年1月20日)は、日本の彫刻家・画家。武蔵野美術大学名誉教授。 1930年和歌山県生まれ。父は、南方熊楠の肖像彫刻で有名な彫刻家の保田龍門。娘婿は彫刻家の西村浩幸。 東京美術学校(現東京芸術大学)を卒業。1958年2月より10年近くヨーロッパ各地で滞在、制作を行う。オシップ・ザッキン等に師事。1968年、日本に帰国。1975年に武蔵野美術大学教授に就任し、1999年まで在職した。2018年1月20日、老衰のため死去。
飯島 清(いいじま きよし、1930年2月21日 - 199… 飯島 清(いいじま きよし、1930年2月21日 - 1996年4月26日)は、日本の政治評論家、コメンテーター、選挙プランナー。 埼玉県児玉郡児玉町生まれ。中央大学法学部卒業。 商事会社経営、サラリーマンを経たのち、政治研究グループ「山王クラブ」を結成し選挙問題の研究を始めた。また、藤山愛一郎の主催する政治塾「藤山政治大学院」で受講生の指導にあたった。「政治をよくするためには選挙制度をよくしなければならない」という考えの下、「理想の選挙」を掲げ、レポートを国会議員に配布するが、ほとんどの議員から「選挙を実際に知らないから、こんなことが言えるのだ」と冷笑されたという。 1962年7月の自民党総裁選への出馬を見据えた藤山は、この年の参院選全国区の候補者に、いとこでタレントの藤原あきを擁立。
田中 修(たなか おさむ、1930年2月20日 - 1992… 田中 修(たなか おさむ、1930年2月20日 - 1992年9月29日)は、日本の経済学者。経済学博士(北海道大学)。元・北海学園大学学長。 北海道における場所請負制度や炭鉱・炭山における囚人の強制労働・炭山鉄道の経済効果を研究。この他、開拓期から昭和期に至るまでの北海道経済史も研究。 柴田義人とは、北海道大学の同期卒業であり、北海学園大学に於いてもほぼ同年で講師・助教授・教授となった為、よきライバルであり、良き友人であったという。また、田中は、柴田義人らと共に北海学園大学経済学部草創期を支えた一人。 正五位勲三等瑞宝章(1992年) この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。
田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014… 田井 安曇(たい あずみ、1930年2月19日 - 2014年11月2日)は、日本の歌人。本名、我妻 泰(わがつま とおる)。ペンネームの安曇は安曇野よりとっているが出身は飯山市である。クリスチャン。 長野県飯山市出身。旧制飯山中学校(現・長野県飯山北高等学校)、岡崎高等師範学校(現・名古屋大学)社会科卒業。中学校の社会科教師となる。立原道造の影響で詩作を始め、のちに短歌に専念。「花実」を経て、1950年に「アララギ」中部青年の会「環」に参加。1951年には近藤芳美を中心にして創刊された短歌雑誌「未来」の創刊に関わる。岡井隆は同じく創刊メンバーである。秋村功と歌誌「河」を編集。1988年、柳川創造らとともに「綱手」創刊。
宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )… 宮本 憲一(みやもと けんいち、1930年2月19日 - )は、日本の経済学者。専門は、財政学・環境経済学。大阪市立大学名誉教授、滋賀大学名誉教授、大阪市立大学名誉博士、金沢大学名誉博士。元滋賀大学学長。日本学士院賞受賞。 1930年(昭和5年)に日本統治時代の台湾の台北市で生まれで外地で育った。父は台湾電力に勤務する経理課長。海軍兵学校予科在学中、佐世保沖の針尾島を経て、疎開先の山口県防府市で終戦を迎える。台湾の実家と連絡がとれなくなったため復員列車で本籍地の石川県の伯父の家に移り、県学務課長に交渉して金沢二中(石川県立金沢錦丘高等学校)に編入した。極貧の生活状況の中金沢市の引揚者住宅に住み、働きながら学校に通い留年しつつも、1950年第四高等学校文科卒業。
宮本 徳蔵(みやもと とくぞう、1930年2月18日 - 2… 宮本 徳蔵(みやもと とくぞう、1930年2月18日 - 2011年2月2日)は、日本の小説家。 三重県伊勢市生まれ。在日朝鮮人2世として生れるが、生後100日ほどで日本人夫婦の養子となる。父親は大正末期に大邱の近郊農村から渡日し土建業を営んだ。1950年三重県立宇治山田高等学校(2期生)卒業、1954年東京大学文学部仏文科卒業、1958年同大学院修士課程修了(文学修士、東京大学)。家業を継ぐが、1973年、「六十六部」を『新潮』に発表して小説家デビュー。1975年、「浮遊」で新潮新人賞受賞、これを機に上京する。1978年日本に帰化。 1987年、随筆『力士漂泊』で読売文学賞、1991年、『虎砲記』で柴田錬三郎賞受賞。
菊地 昌典(きくち まさのり、1930年2月17日 - 19… 菊地 昌典(きくち まさのり、1930年2月17日 - 1997年5月22日)は、日本のソ連研究者。東京大学名誉教授。 東京出身。東京都立第九中学校、宇都宮高等農林学校を経て1952年東京大学農学部獣医畜産学科卒業。1955年、同大学院農学研究科農業経済学専攻修士課程修了。国立国会図書館勤務を経て、1966年、農学博士、東大教養学部助教授(国際関係論)、1980年、同教授。1990年定年退官、東大名誉教授、千葉敬愛短期大学教授。1992年同短大学長、1997年、敬愛大学教授。在任中死去。
大塚 正富(おおつか まさとみ、1930年2月17日 - 2… 大塚 正富(おおつか まさとみ、1930年2月17日 - 2022年2月5日)は、日本の実業家。アース製薬株式会社元会長。 徳島県生まれ。大塚製薬創設者大塚武三郎の息子で、大塚グループ元総帥大塚正士の末弟にあたる。 1949年徳島工業専門学校製薬工業科(現徳島大学薬学部)卒業、1953年旧制大阪理工科大学(現近畿大学)工学部応用化学科卒業、同年大塚製薬株式会社入社。1954年大塚化学株式会社、1963年同社技術担当常務、1970年アース製薬株式会社社長就任、1998年会長、2005年特別顧問。 1995年黄綬褒章、2001年勲四等瑞宝章を受章。
栗原 雅直(くりはら まさなお、1930年2月17日 - 2… 栗原 雅直(くりはら まさなお、1930年2月17日 - 2024年7月29日)は、日本の精神科医。 東京生まれ。東京大学医学部医学科卒業、東大病院精神神経科に入局。1960年東大大学院生物系研究科博士課程修了。医学博士。2年間のパリ大学留学後、東大病院医局長、1966年虎の門病院勤務。初代精神科部長。川端康成の主治医を務めた。1990年大蔵省診療所長。財務省診療所カウンセラー。。2019年4月ー2022年3月医療法人社団飛白会虎の門山下メンタルクリニック院長 。
浮田 克躬(うきた かつみ、1930年2月17日 - 198… 浮田 克躬(うきた かつみ、1930年2月17日 - 1989年8月30日)は、洋画家。 1930年2月17日、東京都杉並区に江幡寛夫の長男として生まれる。母が病気のため、母方の祖父である政治学者の浮田和民により育てられる。のち離婚のため、浮田姓を名乗る。高座郡茅ケ崎尋常高等小学校の4年時に第1回聖戦美術展を見て感動し、油絵画家を志す。その後、藤嶺学園藤沢中学校に入学。14歳の時には小林萬吾に石膏デッサンの個人指導を受けている。 中学3年修了後に15歳で東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)油画科に特例で入学する。安井教室に入り、安井曾太郎と伊藤廉の指導を受ける。1950年に20歳で東京美術学校油画科を卒業。
佐藤 清彦(さとう きよひこ、1930年2月17日 - )は… 佐藤 清彦(さとう きよひこ、1930年2月17日 - )は、日本のノンフィクション作家。 宮城県生まれ。早稲田大学文学部卒。読売新聞社を経て、ノンフィクション作家。
金原 博(かなはら ひろし、1930年 <昭和5年> 2月1… 金原 博(かなはら ひろし、1930年 <昭和5年> 2月16日 - 2020年 <令和2年> 9月30日)は、日本の政治家。階は正五位。 石川県議会議員(12期)、石川県議会議長、金沢市議会議員(1期)、新進石川会長(初代)、江蘇省栄誉公民などを務め、石川県議会における非自民の中心勢力である新進石川を長らく率いた。元北陸放送アナウンサーで、2019年の石川県議会議員選挙で当選した長田哲也は次女ゆかり (元北陸放送アナウンサー、現フリー)の夫。 金沢市生まれ。石川県立金沢桜丘高等学校卒業。1967年より金沢市議会議員を1期務め、1971年、41歳で石川県議会議員に自由民主党公認で初当選。以後当選を続け県議会議長や自民党県連幹事長などを歴任。
岩元 巌(いわもと いわお、1930年2月16日 - )は、… 岩元 巌(いわもと いわお、1930年2月16日 - )は、日本のアメリカ文学者、翻訳家。筑波大学、麗澤大学名誉教授。 大分県生まれ。1953年東京教育大学卒業。中央大学、東京学芸大学を経て筑波大学教授、1990年退官し麗澤大学教授、2003年退職。 バーナード・マラマッド、セオドア・ドライザーなどアメリカ小説を広く研究し、ジョン・アップダイク、ケン・キージーなどの翻訳で知られる。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
柳瀬 志郎(やなせ しろう、1930年〈昭和5年〉2月16日… 柳瀬 志郎(やなせ しろう、1930年〈昭和5年〉2月16日 - 2021年〈令和3年〉1月4日)は、日本の映画俳優。群馬県出身。旧芸名は萩志郎。本名:柳瀬 堅志郎(やなせ けんしろう)。旧姓:萩原。 群馬県前橋市に、のちに群馬県議会議員をつとめる萩原富士太郎の子として生まれる。日本大学芸術科を卒業。 日活ニューフェイス第2期生としてデビュー。石原裕次郎の出世作「嵐を呼ぶ男」で競演し、その洒脱な演技が注目された。1962年の「男と男の生きる街」では、脇役ながら渋い演技を見せた。この作品は、平成時代のヒットドラマ「僕と彼女の生きる道」に色濃く反映されている。 1971年日活を退社してフリーとなる。
澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003… 澤井 裕(さわい ゆたか、1930年2月15日 - 2003年7月10日)は、日本の法学者。専門は民法。学位は、法学博士(大阪大学・論文博士・1971年)(学位論文「公害の私法的研究 」)。関西大学名誉教授。大阪府出身。 大阪府大阪市生まれ。大阪府立豊中中学(現・豊中高校)、旧制浪速高校を経て、1949年大阪大学医学部に入学。その後、1953年に法学部に転部、1955年同学部を卒業。1957年大阪大学大学院修士課程修了、関西大学法学部助手。1960年同専任講師、1963年同助教授、1969年同教授に昇進。1973年から1974年まで関西大学学生部長を務め、1980年から1981年まで関西大学法学部長を務めた。
3代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、1930年(昭和5年)… 3代坂口 平兵衛(さかぐち へいべえ、1930年(昭和5年)2月15日 - 2012年(平成24年)6月14日)は、日本の実業家。坂口合名会社(坂口財閥)代表社員会長。米子商工会議所会頭。旧名平吉郎。 2代坂口平兵衛の長男として、鳥取県米子市尾高町に生まれる。 1954年(昭和29年)東京大学法学部政治学科卒業後、坂口合名会社入社。1964年代表社員副社長、1965年代表社員社長に就任。 1980年(昭和55年)米子商工会議所会頭に就任。 2012年6月14日、病気のため米子市内で死去。81歳没。
花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労… 花見 忠(はなみ ただし、1930年2月15日 - )は、労働法学者、弁護士。上智大学名誉教授。法学博士(東京大学)。名誉法学博士(ルーヴァン大学)。専門は、労働法及び労使関係。特に、使用者の懲戒権、雇用平等の研究、ILO条約と日本の団結権に関する研究など。東京都出身。
宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2… 宮澤 正幸(みやざわ まさゆき、1930年2月15日 - 2024年2月28日)は、日本のスポーツジャーナリスト。 神奈川県小田原市出身。日本大学を経て拓殖大学卒業。 1953年に大学卒業と同時に東京新聞社に入社し、校閲部にて勤務した後の翌年に日刊スポーツ新聞社へ転職して運動部記者を務めた。 日刊スポーツ時代はアマチュアスポーツ担当記者としてレスリング、柔道、相撲のほかに体操競技の取材・報道を行い、第18回夏季オリンピック東京大会(1964年)では柔道競技の取材を担当した。 また1972年ミュンヘンオリンピック体操競技で日本の塚原光男が鉄棒で初めて披露した大技を「月面宙返り」と命名したのも宮澤であったという。
荒瀬 豊(あらせ ゆたか、1930年(昭和5年)2月15日 … 荒瀬 豊(あらせ ゆたか、1930年(昭和5年)2月15日 - )は、日本の社会学者である。 東京府(現在の東京都)の生まれ。東京大学卒業後、1952年(昭和27年)に朝日新聞社に入社する。翌1953年(昭和28年)に退社後は、母校の東京大学内の新聞研究所職員として活動した。 1972年(昭和47年)には同大学の教授となり、同大学退職後は日本女子大学にて社会学の教鞭を執った。同大学勤務中は日高六郎らと共に天皇制イデオロギーや言論統制、マスメディア等の大衆文化の研究に携わった。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
田中喜美子(たなか きみこ、1930年2月15日 - 202… 田中喜美子(たなか きみこ、1930年2月15日 - 2026年1月11日)は、日本のフェミニズム運動家・編集者。 東京生まれ。早稲田大学文学部フランス文学科卒業。大学院へ進むが、夫の田中昭二(東大名誉教授)の渡米に従い、研究者を断念。グループわいふ代表取締役、政治雑誌『ファム・ポリティク』編集長。1976-2000年主婦の投稿誌『わいふ』編集長。1997年「ニュー・マザリングシステム(NMS)研究会」を創設。 1999年、林道義の『主婦の復権』に関して『諸君!』誌上で論争を行った。
国嶋 一則(くにじま かずのり、1930年2月13日 - 2… 国嶋 一則(くにじま かずのり、1930年2月13日 - 2020年5月1日)は、日本の倫理学者。駒澤大学名誉教授。「伊吹 浄」の筆名をもつ。 1930年、岐阜県大垣市生まれ。愛知県立旭丘高等学校を卒業し、金沢大学法文学部に入学した。しかし、1952年に東京大学文学部倫理学科に転じ、1956年に卒業。同大学大学院に進み、金子武蔵に師事した。1959年、大学院比較文学比較文化課程に転じた。1965年、同博士課程を中退。 その後は、東京農業大学助教授に就いた。1969年より駒澤大学助教授。1970年に教授昇進。2000年に駒澤大学を定年退任し、名誉教授となった。