小堀 紀久生(こぼり きくお、1940年6月15日 - 20… 小堀 紀久生(こぼり きくお、1940年6月15日 - 2003年11月17日)は、日本の行政官。元人事院事務総長。石川県金沢市出身。 金沢大学法文学部卒業。人事院事務総局給与第三課長、人事院給与局長等を経て、1997年1月16日より人事院事務総長(~1998年12月26日まで)。退官後は社団法人日本人事管理協会理事長を務めたが、2003年11月17日、腎臓癌のため東京都内の病院にて死去。享年63。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
加納 喜光(かのう よしみつ、1940年6月15日 - 20… 加納 喜光(かのう よしみつ、1940年6月15日 - 2025年10月24日)は、日本の言語学者。茨城大学名誉教授。 1940年に鹿児島県に生まれる。東京大学文学部中国哲学科を卒業。同大学院をへて、茨城大学助教授、教授を務めた。中国文化論の担任であった。2006年に定年退官、名誉教授となった。 藤堂明保の学説を引き継ぎ、中国思想、中国文学、中国博物学などについて研究を行っている。字源分類方式を生み出し、多くの著書を著し、講演活動なども行っている。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 202… 野田 暉行(のだ てるゆき、1940年6月15日 - 2022年9月18日)は、日本の作曲家。東京藝術大学名誉教授。 三重県津市に生まれる。高校時代、放送委員としてさまざまなクラシック音楽のレコードに触れたことがきっかけとなって作曲家になることを決意し、独学でピアノ練習や交響曲などの作曲を試みる傍ら、1959年、池内友次郎の許を訪ねて本格的に作曲理論の勉強を開始する。1964年、東京藝術大学音楽学部作曲科卒業、1967年、東京藝術大学大学院修了。池内友次郎、矢代秋雄、島岡譲に師事。在学中の1963年、日本音楽コンクール第1位。 類いまれな和声感や構造性、真髄を捉えた旋律は国内外からも非常に高く評価され頻繁に演奏されている。
鈴木 重令(すずき しげよし、1940年(昭和15年)6月1… 鈴木 重令(すずき しげよし、1940年(昭和15年)6月15日 - 2007年(平成19年)5月1日)は、昭和時代後期から平成時代の政治家。青森県三沢市長。 青森県上北郡三沢村(現在の三沢市)に生まれる。日本大学法学部を経て、同大大学院法学研究科公法学を修了する。柴田女子高等学校教諭、東北女子大学専任講師、同大学助教授兼学務課長を経て、1976年(昭和51年)三沢市議会議員に当選。1979年(昭和54年)より青森県議会議員を務め、1987年(昭和62年)三沢市長に就任した。 任期中の2007年(平成19年)5月1日、肺炎と消化管出血のため三沢市内の病院で死去、66歳。死没日をもって旭日中綬章追贈、従四位に叙される。
出谷 啓(でたに けい、1940年〈昭和15年〉6月14日 … 出谷 啓(でたに けい、1940年〈昭和15年〉6月14日 - )は、日本の音楽評論家。 大阪府豊中市出身。関西大学文学部独文科卒。 高校生から大学生の頃に、東映京都撮影所で時代劇のサウンドトラックの写譜のアルバイトに従事する。関西大学文学部独文学科を卒業後、1964年に京都の楽器・レコード店の十字屋(現JEUGIA)に入社する。1971年に退社、独立しフリーの音楽評論家となる。 当時きわめて人気の高かった晩年のカール・ベームの演奏を、リズムの硬直した凡演と酷評した。晩年のベームを神格化するような音楽愛好家全体の雰囲気からすれば傍若無人ともいえる批評活動を行ったが、今日のベームの評価からすれば、そのスタンスはあながち的外れではなかった。
高木 あきこ(たかぎ あきこ、1940年6月14日 - )は… 高木 あきこ(たかぎ あきこ、1940年6月14日 - )は、日本の児童文学作家、作詞家。 東京都出身。父親は、芥川賞を辞退したことで知られる小説家・ドイツ文学者の高木卓。祖母の安藤幸はヴァイオリニストで、その兄姉には郡司成忠、幸田露伴、幸田成友、幸田延がいる。 東京学芸大学学芸学部国語科卒業。大学在学中よりサトウハチロー主宰の木曜会にて童謡を学ぶ。 1972年、「たいくつな王様」で第5回日本児童文学者協会新人賞受賞。2002年、「おやつのうた」で日本童謡賞受賞。2007年、詩「どこか いいところ」で第25回新美南吉児童文学賞、第54回産経児童出版文化賞産経新聞社賞受賞。
近藤 達夫(こんどう たつお、1940年(昭和15年)6月1… 近藤 達夫(こんどう たつお、1940年(昭和15年)6月13日 - 令和3年8月 )は、日本の言語学者。 大阪外国語大学(現・大阪大学)名誉教授。滋賀県犬上郡多賀町出身。 1959年(昭和34年)、滋賀県立彦根東高等学校卒業。1966年(昭和41年)、大阪外国語大学外国語学部英語学科卒業。1968年(昭和43年)、京都大学大学院文学研究科言語学専攻修士課程修了。1974年(昭和49年)、同博士課程単位取得満期退学。 1974年(昭和49年)、神戸市外国語大学外国語学部講師(言語学、音声学)、1975年(昭和50年)助教授、同時に神戸市外国語大学大学院外国語研究科において授業、研究指導にあたる。
水野 彌一(水野 弥一、みずの やいち、1940年6月13日… 水野 彌一(水野 弥一、みずの やいち、1940年6月13日 - )は、日本のアメリカンフットボール指導者、京都大学アメリカンフットボール部元監督。元京都市教育委員。 京都市生まれ。京都市立西京高等学校卒後、パイロットを目指し、防衛大学校に入学するも、アメリカンフットボールで腰を痛め1年で中退し、1961年京都大学工学部に入学。ラグビー部に入るつもりだったが部員が足りないからとアメリカンフットボール部に入部。1965年同部コーチに就任。1968年同大院工学研究科修了後、コロラド鉱山大学留学を経てトヨタ自動車に勤務の傍ら1974年より監督となった。アメフトの経験のない初心者を猛練習で鍛える手技で京大アメフト部を強豪チームに育て上げた。
高口恭行(正確には髙口恭行。たかぐち やすゆき(僧侶としては… 高口恭行(正確には髙口恭行。たかぐち やすゆき(僧侶としては"きょうぎょう")1940年6月13日 - )は、大阪にある浄土宗寺院一心寺の長老。工学博士。大阪を代表する建築家の一人であったが、現在は引退。元奈良女子大学家政学部教授。長男は現住職の高口恭典(元獣医)。次男は早稲田大学教授の高口洋人。三男は俳優の高口真寤。
牛久 崇司(うしく たかし、1940年6月12日 - 201… 牛久 崇司(うしく たかし、1940年6月12日 - 2010年8月29日)は、日本の実業家。キッコーマン元社長(11代目)兼COO。創業家以外から初めてトップに就任。栃木県栃木市出身。
松田 治(まつだ おさむ、1940年6月12日 - 2006… 松田 治(まつだ おさむ、1940年6月12日 - 2006年)は、日本の古典古代文学者。 奄美大島生まれ。鹿児島県大島郡笠利町宇宿(現奄美市笠利町宇宿)出身。東京教育大学文学部卒業。東京大学大学院西洋古典学修士課程修了。 流通経済大学教授、つくば国際大学教授。
熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 202… 熊井 明子(くまい あきこ、1940年6月11日 - 2024年9月21日)は、日本のポプリ研究家、エッセイスト。夫は映画監督の熊井啓。 日本にポプリを紹介し、1980年代前半に起きたブームの火付け役。現在でもポプリの研究においての第一人者。実妹のハーブ研究家の桐原春子とともにハーブなどの香草にも造詣が深い。愛猫家として、猫に関するエッセイも多い。日本ペンクラブ会員。
延吉 正清(のぶよし まさきよ、1940年〈昭和15年〉6月… 延吉 正清(のぶよし まさきよ、1940年〈昭和15年〉6月11日 - )は、日本の医師。前小倉記念病院院長、京都大学医学部循環器内科臨床教授、日本心血管インターベンション学会名誉理事長。 福岡県北九州市小倉南区出身。福岡県立小倉高等学校卒業後、京都大学医学部卒業。1974年より社会保険小倉記念病院内科に勤務。 1981年に心臓のカテーテル治療(血管内治療)を日本で初めて行った医師として知られる。普通の医師ならカテーテルを心臓まで送るのに数分かかるが、延吉は同様の処置を10秒ほどで行うため、通常であれば1時間かかる治療を10分程度で済ませることができるという。 多い時は1日に20件以上、年間3,000件に上る心臓カテーテル治療を行い、これまでに5万人以上もの心臓疾患の患者を救ったことから「心臓カテーテルの神様」と呼ばれる。
徳光 彰二(とくみつ しょうじ、1940年6月11日 - 2… 徳光 彰二(とくみつ しょうじ、1940年6月11日 - 2023年2月24日)は、日本の実業家、銀行家。元中京テレビ放送代表取締役社長、会長、東海銀行(現・三菱UFJ銀行)会長。 兵庫県出身。1964年に東京大学法学部を卒業し、同年に東海銀行に入行、副社長を務めたのち1998年に藤和不動産(現・三菱地所レジデンス)に代表取締役社長として出向。1999年に副頭取として東海銀行に復帰。2000年東海銀行取締役会長。2002年より中京テレビ放送代表取締役副社長、2003年より代表取締役社長に就任。2004年UFJセントラルリース監査役。2007年三菱UFJリース監査役。2013年から2019年までは中京テレビ放送代表取締役会長。
小菅 泰雄(こすげ やすお、1940年〈昭和15年〉6月8日… 小菅 泰雄(こすげ やすお、1940年〈昭和15年〉6月8日 - )は、日本の作曲家。現代音楽を中心に活動し、弦楽四重奏や歌曲、オペラなど多様なジャンルの作品を手がけている。 埼玉県秩父市に生まれる。埼玉大学卒業。 1976年、ピアノ組曲《十二支》により、第30回全国学芸コンクール(社会人の部・作曲部門)において第二席を受賞。翌1977年には、弦楽四重奏曲第1番で同コンクール第一席を受賞し、文部大臣奨励賞も併せて授与された。 1977年10月14日には、室内楽作品《シンメトリア1》が、第2回埼玉県新人演奏会オーディションに合格し、同演奏会にて初演された。 1968年6月より現代音楽グループ「葵の会」に所属、2001年3月まで会長を務めた。
勲(いさお、1940年(昭和15年)6月7日 - 1995年… 勲(いさお、1940年(昭和15年)6月7日 - 1995年(平成7年)5月11日)は、大相撲の十両呼出。本名は佐々木 勲。大阪市出身。小野川部屋→出羽海部屋所属。
城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日… 城山 昇(しろやま のぼる、1940年6月5日 - )は、日本の脚本家。栃木県宇都宮市出身。早稲田大学演劇科卒。日本放送作家協会会員。 テレビアニメ『サザエさん』など、主にアニメの脚本家として活動している。 三人兄弟の長男として、東京都に生まれる。実家は商家で、栃木県宇都宮市で育つ。 少年時代から学芸会の劇で脚本・演出・主演を全て務めるなど活躍。大学生の頃から脚本の仕事に惹かれ、アメリカ製アニメの脚本の翻訳のアルバイトをしていた。 早稲田大学演劇科卒業後、日本テレビジョン株式会社(TCJ)に入社し、テレビアニメの企画書制作に従事。退社後に、フリーの脚本家へ転身した。 2014年、東京アニメアワード2014にて功労賞を受賞。
黒沼 ユリ子(くろぬま ゆりこ、1940年6月4日 - )は… 黒沼 ユリ子(くろぬま ゆりこ、1940年6月4日 - )は、日本の女性ヴァイオリニスト。東京都出身。兄は元テレビ東京プロデューサーの黒沼昭久(1933年3月29日 - )。
岸 宏一(きし こういち、1940年(昭和15年)6月3日 … 岸 宏一(きし こういち、1940年(昭和15年)6月3日 - 2017年(平成29年)10月16日)は、日本の政治家。自由民主党所属の元参議院議員(3期) 。位階は従三位。旭日重光章。 参議院厚生労働委員長・政治開発援助等に関する特別委員長・予算委員長、厚生労働副大臣(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、総務大臣政務官(第1次小泉第1次改造内閣)、山形県最上郡金山町長(7期)、金山町議会議員(1期)を務めた。 山形県最上郡金山町の山林地主である岸家の一族に生まれる。1964年に早稲田大学政治経済学部卒業。大学卒業後、金山中学校助教諭や町教育委員会の事務嘱託を務めた。 1967年(昭和42年)、故郷・金山町の町議会議員に初当選する。
矢田 美英(やだ よしひで、1940年〈昭和15年〉6月2日… 矢田 美英(やだ よしひで、1940年〈昭和15年〉6月2日 ‐ 2024年〈令和6年〉10月5日)は、日本の政治家。位階勲等は従四位旭日中綬章。元東京都中央区長(8期)。 東京都中央区新富町出身。 中央区立京橋小学校(現在の中央区立京橋築地小学校)、中央区立明正中学校(中央区立第二中学校を経て、中央区立銀座中学校)、東京都立江北高等学校、慶應義塾大学法学部法律学科卒業。大学卒業後はアメリカ合衆国に留学し、ミズーリ州立大学ジャーナリズム学科を卒業する。 帰国後は共同通信社に入社。国際局海外部の報道記者を務める。 1987年(昭和62年)4月、中央区長選に立候補し初当選。その後、連続8期務めた。2001年(平成13年)に特別区長会会長。
西 修(にし おさむ、1940年(昭和15年)6月2日 - … 西 修(にし おさむ、1940年(昭和15年)6月2日 - )は、日本の法学者。駒澤大学名誉教授。博士(政治学)(早稲田大学)、博士(法学)(日本大学)。専門は憲法・比較憲法学。 富山県出身。2011年(平成23年)3月、駒澤大学法学部教授を退任。防衛法学会名誉理事長。比較憲法学会副理事長。 1953年(昭和28年)、国立富山大学教育学部附属小学校卒業。1956年、国立富山大学教育学部附属中学校卒業。1959年、富山県立富山中部高等学校卒業。1964年、早稲田大学第一政治経済学部卒業。1966年、同大学院政治学研究科修士課程(憲法専修)修了。1970年 同博士後期課程(憲法専修)単位取得満期退学。
伊藤 正(いとう ただし、1940年6月2日 - )は日本の… 伊藤 正(いとう ただし、1940年6月2日 - )は日本のジャーナリスト。産経新聞特別記者兼論説委員。前中国総局長。中国報道で知られる。
勝呂 誉(すぐろ ほまれ、1940年6月1日 - 2026年… 勝呂 誉(すぐろ ほまれ、1940年6月1日 - 2026年1月23日)は、日本の俳優。兵庫県芦屋市出身。 兵庫県立芦屋高等学校卒。俳優座で演劇勉強中の1961年、テレビドラマ「青年の樹」でデビュー。 1962年に松竹に移籍、『下町の太陽』で倍賞千恵子と共演。公募で決まった「サニー・カップル」の愛称で青春スター路線で数本製作。歌手としてもキングレコードと契約し、倍賞とのデュエットで「二人で胸を張れ」(横井弘作詞・安部芳明作曲)を発売、他にもソロ曲「銀座浪漫」(結城忍作詞・伴謙介作曲)を発表。後年もディナーショーなどで歌い続けていた。1965年の日米合作映画『勇者のみ』では監督・主演のフランク・シナトラと共演した。
稲田 利徳(いなだ としのり、1940年〈昭和15年〉6月 … 稲田 利徳(いなだ としのり、1940年〈昭和15年〉6月 - )は、日本の国文学者。専攻は中世文学。学位は、文学博士(広島大学・1979年)(学位論文「正徹の研究 中世歌人研究」)。岡山大学名誉教授。 愛媛県生まれ。1963年広島大学文学部国文科卒。1968年同大学院文学研究科博士課程単位取得満期退学。1976年日本古典文学会賞受賞、1979年「正徹の研究 中世歌人研究」で広島大学より文学博士の学位を取得。広島大文学部助手、岡山大学教育学部助教授、教授、2005年定年退任、名誉教授。2005年『西行の和歌の世界』で角川源義賞受賞。2020年、瑞宝中綬章受章。
野中 勉(のなか つとむ、1940年6月 - 2022年2月… 野中 勉(のなか つとむ、1940年6月 - 2022年2月27日)は、日本の化学工学者。東京工業大学名誉教授。元鶴岡工業高等専門学校校長。元電気化学協会編集委員長。 1963年東京工業大学工学部化学工学科卒業。1969年東京工業大学大学院理工学研究科化学工学専攻博士課程修了、工学博士、東京工業大学工学部助手。1973年東京工業大学工学部助教授。1986年東京工業大学大学院総合理工学研究科教授。1987年電気化学協会理事。1992年アメリカ電気化学会理事。 1993年日本化学会理事、電気化学協会関東支部長。同年から1999年まで東京工業大学大学院総合理工学研究科長、東京工業大学評議員を務め、改組拡充構想にあたった。
尾池 和夫(おいけ かずお、1940年5月31日 - )は、… 尾池 和夫(おいけ かずお、1940年5月31日 - )は、日本の地球科学者(地震学)。勲等は瑞宝大綬章。学位は理学博士(京都大学・1972年)。瓜生山学園理事、京都大学名誉教授。 京都大学総長(第24代)、京都造形芸術大学学長、静岡県公立大学法人理事長(第4代)、静岡県立大学学長、高知県公立大学法人理事、学校法人京都精華大学理事、公益財団法人日本イタリア会館顧問を歴任。 京都大学防災研究所助教授、京都大学大学院理学研究科・理学部教授、京都大学大学院理学研究科研究科長、京都大学理学部学部長、京都大学副学長(教育・学生担当)、2003年から2008年まで京都大学総長(第24代)、公益財団法人国際高等研究所所長(第5代)などを歴任した。
秦野 裕(はたの ゆたか、1940年5月31日 - 199… 秦野 裕(はたの ゆたか、1940年5月31日 - 1997年8月17日)は、日本の官僚。海上保安庁長官、帝都高速度交通営団副総裁を務めた。 東京都出身。1963年に東京大学法学部を卒業し、同年に運輸省に入省。1988年6月に大臣官房審議官を経て、1994年7月に海上保安庁長官に就任。1996年7月には帝都高速度交通営団副総裁に就任。 1997年8月17日に肺炎のために死去。57歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三浦 新(みうら あらた、1940年〈昭和15年〉5月30日… 三浦 新(みうら あらた、1940年〈昭和15年〉5月30日 - 2013年〈平成25年〉3月12日)は、日本の銀行家。山形銀行頭取、会長を歴任した。2010年(平成22年)旭日小綬章受章。位階は従五位。 三浦弥太郎山形銀行頭取の長男として、山形県山形市に生まれる。東京商科大学(現一橋大学)学長や両羽銀行(現山形銀行)頭取を務めた三浦新七は祖父。 慶應義塾大学商学部卒業後、三菱銀行勤務を経て、山形銀行入行。常務、専務を歴任し、45歳で頭取に就任するが、これに対しては行内外から若すぎるとの声も出た。 頭取在任中は、金融の自由化や国際化に対応し、事務センターの建設、第三次オンライン計画の策定のほか1988年(昭和63年)には、総預金1兆円を達成した。
柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月3… 柳澤 紀子(柳沢 紀子、やなぎさわ のりこ、1940年5月30日 - )は、日本の版画家、美術家、学者。武蔵野美術大学造形学部教授。 静岡県浜松市にて誕生。浜松市立高等学校を経て、1965年、東京藝術大学大学院を修了。その後、アメリカ合衆国ニューヨーク州に渡り、デザイン、版画といった美術への造詣を深める。帰国後は静岡県掛川市に居を構えアーティストとして活躍し、精力的に作品を発表する。 東京芸術大学では林武に油彩を学び、当時「最も影響を受けたのはゴーギャン」「版画の様々な制約の中自分が日常感じている矛盾、情念的なものをどれだけ表現出来るか」に意欲がわき、版画を志す。(「出会い」 静岡新聞 1982年1月12日) 東京芸術大学四年から大学院時代に、駒井哲郎に銅版画のてほどきをうける。
塩原 明(しおばら あきら、1940年5月30日 - )は、… 塩原 明(しおばら あきら、1940年5月30日 - )は、長野県出身の元プロ野球選手。ポジションは内野手。
四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 20… 四宮 鉄男(しのみや てつお、1940年5月30日 - 2025年3月9日[要出典])は、福岡県福岡市生まれ、ドキュメンタリー映画監督、テレビ演出家。 早稲田大学第一文学部社会学科を卒業。講談社に勤務するが、友人の泉田昌慶が黒木和雄監督の助監督だったことから、岩波映画製作所の演出家たちを中心にした同人組織「青の会」に入会。 1965年に講談社を退社し、フリーの助監督として土本典昭に師事する。1969年に岩波映画で『カラーの眼』を初演出。 のち、「日本リクルートセンター」、小泉修吉の「グループ現代」などで、教育・環境・障害者などに関わる、多数の作品を演出。 また、1970年代初期には「ある日のヨーロッパ」(フジテレビ)などのテレビのミニ番組も制作。
大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月2… 大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町出身(出生地は樺太敷香郡敷香町、現在のロシア極東連邦管区サハリン州ポロナイスク市)で二所ノ関部屋に所属した大相撲力士。第48代横綱。優勝32回(6連覇:2回)・45連勝などを記録した。昭和時代の大横綱。位階は正四位。本名は納谷 幸喜(なや こうき)、出生名はイヴァーン・マルキャノヴィチ・ボリシコ(Іван Маркіянович Боришко)で、ウクライナ人の父親を持つ。母親の再婚により住吉 幸喜(すみよし こうき)と名乗っていた時期もあった。 1940年(昭和15年)、ウクライナ人の元コサック騎兵将校、マルキャン・ボリシコの三男として、日本の領有下にあった南樺太の敷香町(ロシアの呼び名サハリン州ポロナイスク)に生まれた。
森戸 祐幸(もりと ゆうこう、1940年5月29日 - 20… 森戸 祐幸(もりと ゆうこう、1940年5月29日 - 2020年11月20日)は、日本の実業家。モリテックスの創業者。学位は、博士(工学)(東京理科大学・論文博士・2003年)。東京理科大学名誉博士。 1940年、栃木県塩谷郡泉村(現・矢板市)の造り酒屋に生まれる。泉中学校2年の頃に父が他界。栃木県立矢板高等学校を経て東京理科大学理学部応用物理学科に入学。医師を志し、東北大学医学部を受験したが1年浪人しても合格することはなく理科大は滑り止めだったという。卒業後は、1964年に丸紅飯田(現・丸紅)に入社。1968年からは海外出張を経験し、当時の日本では知られていなかった光ファイバーの普及に努めた。
小野 了代(おの さとよ、1940年5月29日 - )は、日… 小野 了代(おの さとよ、1940年5月29日 - )は、日本の国際協力NGO 公益社団法人 日本国際民間協力会(NICCO)の前理事長である。兵庫県出身。
立仙 順朗(りっせん じゅんろう、1940年(昭和15年)5… 立仙 順朗(りっせん じゅんろう、1940年(昭和15年)5月29日 - )は、日本のフランス文学者、慶應義塾大学名誉教授。専攻は近代フランス文学。サルトル、ブランショの研究を経て、マラルメにおけるポエジーを研究。千葉県船橋市在住。
立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和… 立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年〈昭和15年〉5月28日 - 2021年〈令和3年〉4月30日)は、日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。執筆テーマは、生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験など多岐にわたり、「田中角栄研究」・「臨死体験」・「日本共産党の研究」など、詳しくは下に書いてあるが、多くの著書がベストセラーとなっている。その類なき知的欲求を幅広い分野に及ばせているところから「知の巨人」のニックネームを持つ。 1974年(昭和49年)、『文藝春秋』に「田中角栄研究~その金脈と人脈」を発表して田中金脈問題を暴いて田中角栄首相退陣のきっかけを作り、ジャーナリストとして不動の地位を築く。
石 弘之(いし ひろゆき、1940年5月28日 - )は、日… 石 弘之(いし ひろゆき、1940年5月28日 - )は、日本の環境ジャーナリスト、環境問題研究者。専門は地球環境論。朝日新聞編集委員を経て東京大学教授、駐ザンビア特命全権大使等を歴任した。 その他にも、国連環境計画上級顧問、国連開発計画上級顧問、東欧環境センター常任理事、国際協力機構参与、通商産業省産業構造審議会委員、運輸省運輸政策審議会環境部会長、持続可能な開発のための日本評議会議長などを務めた。 東京市(現東京都豊島区)生まれ[要出典]。1953年、東京教育大学附属小学校(現・筑波大学附属小学校)卒業、1959年同中学校・高等学校(現・筑波大学附属中学校・高等学校)卒業[要出典]、1965年東京大学教養学部教養学科卒業。
片山 洋(かたやま ひろし、1940年5月28日 - )は、… 片山 洋(かたやま ひろし、1940年5月28日 - )は、東京市目黒区(現:東京都目黒区) 出身の元サッカー選手。選手時代のポジションはディフェンダー(右サイドバック)。父は日産・フェアレディZの生みの親として知られる片山豊。また、義父は元毎日映画社社長の対馬好武。親戚に森永製菓第7代代表取締役社長の矢田雅之、第14代相模鉄道社長の対馬好次郎がいる。 目黒区自由ヶ丘(現:自由が丘)で生まれ、戦時中は伊豆に疎開していた。終戦後は再び自由が丘に戻り、東京第一師範学校男子部附属小学校(現:東京学芸大学附属世田谷小学校)でサッカーを始めて、東京学芸大学附属世田谷中学校および慶應義塾高等学校ではサッカー部に所属したが全国規模の大会への出場経験は無かった。
槙坪 夛鶴子(まきつぼ たづこ、新字体:多鶴子、本名:光永 … 槙坪 夛鶴子(まきつぼ たづこ、新字体:多鶴子、本名:光永 夛鶴子、1940年〈昭和15年〉5月28日 - 2011年〈平成23年〉9月24日)は、日本の映画監督、スクリプター。 1940年、日野夛鶴子として広島県呉市に生まれる。1945年の広島市への原子爆弾投下の際には、爆心地から25キロ離れた、当時の安佐郡久地村(現在の広島市安佐北区)の父親の実家で被爆する。1950年に大阪へ転居し、後に大阪府立北野高等学校に進む。この間、両親が離婚し、高校の頃から母の槙坪姓を名乗るようになる。 早稲田大学第一文学部演劇科卒業。在学中に最初の結婚をし、出産する(後に離婚)。24歳ころに関節リウマチを発症するが、27歳ころに俳優の米倉斉加年に紹介され、スクリプター(記録係)として民芸映画社で働くことになり、映画界に入る。
筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日 - )… 筒美 京平(つつみ きょうへい、1940年5月28日 - )は、日本の作曲家、編曲家。本名は渡辺栄吉(わたなべ えいきち)。東京府東京市牛込区(現・東京都新宿区)出身。青山学院大学経済学部卒業。弟は音楽プロデューサーの渡辺忠孝。筒美音楽事務所(個人事務所)代表(神奈川県逗子市所在)。2003年、紫綬褒章受章。
依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27… 依田 巽(よだ たつみ、Tom Yoda、1940年5月27日 - )は、日本の男性実業家で、ドリーミュージック代表取締役会長、エイベックス元会長兼社長。元日本レコード協会(RIAJ)会長、元音楽産業・文化振興財団理事長。業界、政界や海外への強い影響力を持っている。エイベックスの実質的な創業者として経営の中心を担ってきたが、同じく創業者である松浦勝人との経営方針の確執が深刻化、2004年8月3日付けで会長兼社長を辞任。同日、日本レコード協会の会長も辞任し、エイベックス名誉会長に(2004年中に退任)。
大雄 辰實(だいゆう たつみ、1940年5月27日 - )は… 大雄 辰實(だいゆう たつみ、1940年5月27日 - )は、鹿児島県肝属郡大根占町(現在の肝属郡錦江町)出身で井筒部屋に所属した大相撲力士。本名は柳田 辰実(やなぎだ たつみ)→横山 辰実(よこやま - )。現役時代の体格は179cm、115kg。最高位は東前頭筆頭(1968年9月場所)。得意手は右四つ、寄り。 中学を卒業後、上京して井筒部屋に入門し、1956年5月場所で初土俵を踏んだ。序ノ口に付いた時の四股名は、故郷の町名に因んだ「大根占(おおねじめ)」(その後、1961年11月より「大雄」に改名している)。 もろ差し得意の技能力士として知られ、大関・清國に対しては分が良かった(幕内での対戦成績は、4勝1敗)。
関根 賢司(せきね けんじ、1940年5月26日 - )は、… 関根 賢司(せきね けんじ、1940年5月26日 - )は、日本の日本古典学者。静岡大学教授等を歴任。 埼玉県出身。埼玉県立浦和高等学校を経て、1964年國學院大學文学科卒業、1970年同大学院博士課程中退、昭和学院短期大学専任講師、1974年助教授、1975年琉球大学法文学部助教授、1993年樟蔭女子短期大学教授、2000年静岡大学教授、2006年定年退任。物語研究会創設メンバーのひとり。
岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は… 岩崎 信子(いわさき のぶこ、1940年5月26日 - )は、日本のディレクター、プロデューサー、俳人、元アナウンサー。 東京府生まれ。長野県茅野市育ち。1959年長野県諏訪清陵高等学校卒業。信越放送テレビアナウンサー第一期公募試験に合格し入社。アナウンサーとしてテレビ草創期のテレビ・ラジオ番組(「日曜教室」、「暮らしのターミナル」等)担当。1981年上田放送局に転勤し、ディレクター・プロデューサーとして「カクテルトークかるいさわいろ」、「ヒーリングラジオ木の子守唄」、「ぷらっとほーむ小海線」、「里枝子の窓」等の番組を手がける。1994年俳句結社「梟」入会、矢島渚男に師事。2000年信越放送定年退職。
鈴木 宏昌(すずき ひろまさ、1940年5月26日 - 20… 鈴木 宏昌(すずき ひろまさ、1940年5月26日 - 2001年5月21日)は、東京都出身のジャズピアニスト、作曲家、編曲家。ニックネームが「コルゲン」であることから、愛称は「コルゲンさん」。 歯科医の息子として生まれ、慶應義塾大学経済学部に進学。大学在学中はジャズ・ピアノに傾倒し、佐藤允彦、大野雄二と共に「慶應三羽烏」として名をはせる。ニックネームの「コルゲン」はもともとは佐藤のものであったが、佐藤が渡米し、その後を受けた形で参加したグループで「二代目コルゲン」と言われていた鈴木がいつしか「コルゲン」のニックネームとなって定着した。 大学在学中より「ジョージ川口とビッグ4+1」に加入し、プロとして活動を開始。
西木 正明(にしき まさあき、1940年5月25日 - 20… 西木 正明(にしき まさあき、1940年5月25日 - 2023年12月5日)は、日本の小説家。 新潟県生まれ、秋田県仙北郡西木村(現・仙北市)育ち。 1959年秋田県立秋田高等学校卒業。早稲田大学教育学部社会科中退。平凡出版(現マガジンハウス)に入社し『平凡パンチ』『週刊平凡』『ポパイ』等の編集に携わる。 1980年に独立して作家活動開始。デビュー作『オホーツク諜報船』で日本ノンフィクション賞新人賞、1988年にヴィクトル・スタルヒンを題材とした小説「凍れる瞳」及び「端島の女」で第99回直木三十五賞を受賞。以降、綿密な取材に基づくドキュメンタリーライクな作品を数多く発表する。妻は女優の桑原幸子。
荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年〈昭和15年〉5月2… 荒木 経惟(あらき のぶよし、1940年〈昭和15年〉5月25日 - )は、日本の写真家、現代美術家。「アラーキー」の愛称で知られ、丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。 父の長太郎は下駄職人で、アウトローというわけではなかったが若気の至りで刺青を入れていた。長太郎は近所でも有名なアマチュアカメラマンとしても活躍し、荒木がカメラマンになるきっかけを与えた。生家の近所に位置する「投げ込み寺」として有名な浄閑寺が、彼の死生観を決定付けたと語っている。 高校時代からカメラ雑誌やオートバイ雑誌への写真投稿を始め、本人曰く「大学の学費は全て写真投稿による賞金で賄った」という。大学は「写真をやっているところ」として日本大学芸術学部、写真短期大学(現・東京工芸大学)、千葉大の3つが候補に上がったが「国立なので学費が安い」ということで千葉大を選んだ。
谷井 博美(たにい ひろみ、1940年(昭和15年)5月24… 谷井 博美(たにい ひろみ、1940年(昭和15年)5月24日 - )は、日本の政治家。元福岡県宗像市長(3期)。 1963年(昭和38年)3月、熊本大学法文学部卒業。同年4月、福岡県庁に入庁。1997年(平成9年)、福岡県企画振興部長に就任。1999年(平成11年)、福岡県庁を退職。同年、空港周辺整備機構福岡空港事業本部理事に就任。2001年(平成13年)、旧宗像市の助役に就任。 2003年(平成15年)4月1日、隣接する宗像郡玄海町と合併し、新制の宗像市が発足。引き続き助役を務める。 2006年(平成18年)4月4日、原田慎太郎宗像市長が在職中に死去。これに伴って5月に行われた市長選挙に自由民主党と公明党の推薦を受けて出馬し、無投票で初当選した。
湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、… 湯浅 浩史(ゆあさ ひろし、1940年5月24日 - )は、日本の植物学者、文筆家。前東京農業大学教授。 神戸市生まれ。1963年、兵庫農科大学(現・神戸大学)農学部農林生物学科卒業。1968年、東京農業大学大学院農学研究科博士課程修了、農学博士。1968年、同大学育種学研究所所員、1975年、進化生物学研究所研究員、2000年、東京農業大学短期大学部教授、2005年、東京農業大学農学部バイオセラピー学科教授、2011年、退任。一般財団法人進化生物学研究所理事長・所長、生き物文化誌学会会長。1994年松下幸之助花の万博記念奨励賞受賞。村田源とともにベンケイソウ科のセトウチマンネングサをツシママンネングサの新変種 Sedum yabeanum var. setouchiense として記載した(後に大場秀章によるツシママンネングサに対応する学名の変更に伴い Sedum polytrichoides var. setouchiense と改められた)。
薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月… 薮内 正幸(やぶうち まさゆき、1940年〈昭和15年〉5月23日 - 2000年〈平成12年〉6月18日)は、日本の動物画家、絵本作家。 絵の技術は独学だが動物学者の今泉吉典の元で標本画の基礎を習得。「僕は毛描き」と言うほど鳥や動物の羽毛や毛の一本一本まで丹念に描くため、図鑑の挿絵は精緻でありながら親しみ深く暖かい。描いた絵は1万点を超える。サントリーによる「愛鳥キャンペーン」の新聞広告で1973年(昭和48年)度朝日広告賞第2部グランプリ、1983年『コウモリ』で第30回サンケイ児童出版文化賞、1989年(平成元年)『日本の恐竜』が第9回吉村証子記念日本科学読物賞、1992年『野鳥の図鑑』で国際児童図書評議会(IBBY)オナーリスト賞受賞。