押川 文子(おしかわ ふみこ、1950年 - )は、広島県出… 押川 文子(おしかわ ふみこ、1950年 - )は、広島県出身の歴史学者。専門はインド近代社会史。京都大学名誉教授。元日本南アジア学会理事長。 1976年ジャワハルラール・ネルー大学大学院修了、M.A.(歴史学)。1977年お茶の水女子大学大学院修了、文学修士、アジア経済研究所入所。1995年国立民族学博物館地域研究企画交流センター助教授。1999年国立民族学博物館地域研究企画交流センター教授。2002年国立民族学博物館地域研究企画交流センター長。2006年京都大学地域研究統合情報センター教授。2012年日本南アジア学会理事長。2015年京都大学名誉教授。専門はインド近代社会史。
逢坂 恵理子(おおさか えりこ、1950年 - )は、東京都… 逢坂 恵理子(おおさか えりこ、1950年 - )は、東京都出身のキュレーター。2019年10月から国立新美術館館長。2021年7月から国立美術館理事長。 東京都立三田高等学校、学習院大学文学部哲学科卒業。国際交流基金、ICA名古屋を経て、1994年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員。1997年から2006年まで同センターで芸術監督を務めた。 その後、2007年から2009年1月まで森美術館のアーティスティック・ディレクターを務め、2009年4月より横浜美術館館長。2019年10月より国立新美術館館長(2020年3月までは横浜美術館館長との兼務となる)。2021年7月より国立美術館理事長。
中根 史郎(なかね しろう、1950年 - )は、日本の造園… 中根 史郎(なかね しろう、1950年 - )は、日本の造園家、作庭家。中根庭園研究所代表取締役所長。技術士(建設部門)、樹木医、京都市立芸術大学非常勤講師。日本庭園協会理事/評議員。中根金作は父親[要出典]。 学習院大学文学部哲学科を卒業。1995年に株式会社中根造園研究所代表取締役所長就任。 作品は、神勝寺庭園賞心庭、京都公園 (キエフ) 、天台宗三千院庭園などがある。
平野久美子(ひらの くみこ、1950年 - )は、日本のノン… 平野久美子(ひらの くみこ、1950年 - )は、日本のノンフィクション作家。 東京都出身。学習院大学文学部仏文科卒業。出版社勤務を経て文筆家。2000年『淡淡有情―日本人より日本人の物語』で小学館ノンフィクション大賞受賞。アジアを対象としたものが多い。
中村 不二夫(なかむら ふじお、1950年 - )は、日本の… 中村 不二夫(なかむら ふじお、1950年 - )は、日本の詩人。 神奈川県横浜市生まれ。神奈川大学法学部卒業。1974年より東京都在住。恵泉女学園短期大学非常勤講師を務める(1992年から1999年)。 1979年に第一詩集『ベース・ランニング』、1984年に第二詩集『ダッグ・アウト』と、スポーツをタイトルとする独自の詩世界で颯爽と登場し、第三詩集『Mets』は第一回日本詩人クラブ新人賞を受賞した。 一方で日本聖公会信徒であり、日本キリスト教詩人会に所属する。信仰、愛、平和を現代に問う詩世界を構築する詩集『People』、『使徒』を刊行、2007年の第六詩集『コラール』は第33回地球賞を受賞した。
牧野 常夫(まきの つねお、1950年 - )は、日本の実業… 牧野 常夫(まきの つねお、1950年 - )は、日本の実業家。パソコン教育サーヴィスのアビバジャパン創業者、元代表取締役社長。学院長。2003年教育訓練給付金制度見直しを境に経営悪化し産業再生機構が支援、アビバジャパン経営権を譲渡。別法人JAGAT株式会社にて教育サーヴィスを継続。JAGAT株式会社代表取締役社長。 パソコン教育の必要性を感じ、日本パソコン学院アビバを立ち上げ、急成長を遂げた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
三藤 達男(みとう たつお、1950年 - )は、日本の実業… 三藤 達男(みとう たつお、1950年 - )は、日本の実業家。神奈川大学法学部法律学科卒業。2015年時点で岩手県から鹿児島県まで日本各地に約80店舗を展開する製パン会社ポンパドウル社長。
掛水 通子(かけみず みちこ、1950年 - )は、日本のス… 掛水 通子(かけみず みちこ、1950年 - )は、日本のスポーツ学者、東京女子体育大学名誉教授。 広島県福山市生まれ。1973年東京学芸大学特別教科教員養成課程保健体育科卒、1975年東京教育大学大学院修士課程体育学研究科体育学専攻修士課程修了、2012年鹿屋体育大学大学院博士後期課程体育学研究科体育学専攻修了、「日本における女子体育教師史研究」で体育学博士。1975年東京女子体育大学体育学部助手、79年講師、85年助教授、94年教授。2019年定年退職、名誉教授。
岸 隆司(きし たかし、1950年 〈昭和25年〉- )は、… 岸 隆司(きし たかし、1950年 〈昭和25年〉- )は、日本の実業家。株式会社総合資格および株式会社中部資格の前代表取締役。建築士、宅地建物取引士、建築施工管理技士などの資格試験予備校「総合資格学院」の創業者。「総合資格学院」は一級建築士試験で多数の合格者を輩出している、建築・不動産分野の大手予備校。 2012年より建築専門誌「建築知識」で<トップが語る これからの建築 これからの人材>の連載スタート。国内主要ゼネコントップや著名建築家、大学関係者などと対談を行い、建築を志す学生に向けたメッセージを発信。
黒田 彰(くろだ あきら、1950年 - )は、日本の国文学… 黒田 彰(くろだ あきら、1950年 - )は、日本の国文学者。佛教大学教授。 三重県生まれ。1976年愛知県立大学文学部国文学科卒業。81年関西大学大学院文学研究科国文学専攻博士課程後期課程単位取得退学。85年日本古典文学会賞受賞。88年「中世説話の文学史的環境」で関西大学より文学博士の学位を取得。愛知県立大学助教授、教授、2000年佛教大学教授。
大内 啓治(おおうち けいじ、1950年 <昭和25年> -… 大内 啓治(おおうち けいじ、1950年 <昭和25年> - )は、日本の政治家。自由民主党、大阪維新の会所属の元大阪市会議員 (6期)、元大阪市会議長 (107代)。旭日小綬章受章。 愛媛県生まれ。大阪市立梅香小学校、大阪市立春日出中学校、大阪府立港高等学校、関西学院大学社会学部卒業。衆議院議員・中山正暉秘書を経て1999年の大阪市会議員選挙に自由民主党公認で出馬し初当選。2010年 大阪維新の会に鞍替えし、2011年5月から1年間、青江達夫副議長とともに第107代大阪市会議長を務めた。2017年 吉村洋文市長 (当時) が24行政区をより権限の強い8つの「総合区」に再編する区割り素案を提示した際には市会議員団幹事長として公明党との調整を担った。
八木 康幸(やぎ やすゆき、1950年/1951年 - )は… 八木 康幸(やぎ やすゆき、1950年/1951年 - )は、日本の民俗学者、人文地理学者。関西学院大学教授を長く務めた。おもに民俗学と人文主義地理学にまたがる領域で活動した。 1973年に関西学院大学文学部史学科地理学専修を卒業し、1975年に同大学院文学研究科修士課程を修了して、大阪府立布施工業高等学校全日制課程教諭となったが、引き続き大学院博士課程に在籍した。 1978年に博士課程を単位取得満期退学して、関西学院大学文学部助手となった。以降、1980年に専任講師、1982年に助教授、1988年に教授へと昇任した。2000年1月には、関西学院大学から博士(地理学)を取得した。2007年から2009年にかけては文学部長を務め、2019年に定年退職した。
横山 文博(よこやま ふみひろ、1950年 - )は、日本の… 横山 文博(よこやま ふみひろ、1950年 - )は、日本の防衛官僚。初代防衛省装備施設本部本部長。 香川県出身。大阪府立北野高等学校を経て、1974年関西学院大学法学部卒業。1975年防衛庁入庁、長官官房総務課配属。1975年5月人事教育局人事第一課。1980年防衛局運用第一課部員。1991年資源エネルギー庁石油部備蓄課長。1993年経理局施設課長。1995年人事局厚生課長。1997年運用局運用企画課長。1999年防衛庁装備局管理課長。2000年防衛庁長官官房防衛審議官。2002年防衛医科大学校副校長。2004年防衛参事官。2005年防衛庁管理局長。2007年防衛省装備施設本部長。2008年1月退官。
田代 健一(たしろ けんいち、1950年 - )は、日本の実… 田代 健一(たしろ けんいち、1950年 - )は、日本の実業家。1969年関東学院大学経済学部経営学科入学。大学時代の部活動は関東学院ESSクラブ所属。鎌倉駅前で外国人観光客に対し無料英語観光案内を部活動として行なった経験を持つ。大学3年次に日本航空パイロット訓練生(大学2年教養課程修了者対象試験)を受けるも不合格。1973年関東学院大学経済学部経営学科卒。1973年帝国ホテル入社。帝国ホテル入社後茶室で茶道を学んだ。1990年帝国ホテル初の海外リゾートとなる「ホテル・インペリアル・バリ」開業総支配人となる。その後帝国ホテル統括総支配人に就任し、定年退職したのち2017年現在は帝国ホテル特別社員兼迎賓館赤坂離宮支配人となる。
立石 泰則(たていし やすのり、1950年(昭和25年) -… 立石 泰則(たていし やすのり、1950年(昭和25年) - )は、日本のノンフィクション作家、フリージャーナリスト。 福岡県北九州市生まれ。北九州大学商学部経済学科卒業、中央大学大学院法学研究科修士課程修了。経済誌編集者を経て『週刊文春』記者となり、白石一文、鈴木洋嗣(のち文藝春秋取締役)と机を並べた。 しかし、立石は30歳で急性胆嚢炎で入院して以来、ほとんど毎年のように急性胃炎や急性膵炎で入退院を繰り返していた。そんな健康状態を心配した白石が、不規則な生活をどうしても強いられる週刊誌記者を辞めて、自分で健康管理のできるフリーランスの生活を勧め、1988年に独立。 企業経営者が主な取材対象で、松下幸之助が決断したコンピュータ事業からの撤退をひとつのメルクマークとしながら、松下経営の問題点を論じた『復讐する神話 松下幸之助の昭和史』(文藝春秋)が処女作。
上田 純一(うえだ じゅんいち、1950年 - )は、日本の… 上田 純一(うえだ じゅんいち、1950年 - )は、日本の日本史学者、京都府立大学特任教授。 熊本県熊本市生まれ。京都府立大学文学部卒業、九州大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。1995年「九州中世禅宗史の研究」で九大文学博士。九州大学文学部助手、福岡市教育委員会(博物館準備室)などを経て、京都府立大学文学部歴史学科教授。2016年定年退任、特任教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
占部 賢志(うらべ けんし、1950年 - )は、日本の教育… 占部 賢志(うらべ けんし、1950年 - )は、日本の教育学者、元中村学園大学教育学部教授。 福岡県生まれ。九州大学大学院人間環境学府博士後期課程単位取得退学、福岡県の高校教諭、中村学園大学教育学部教授。NPO法人アジア太平洋こども会議イン福岡「世界にはばたく日本のこども大使育成塾」塾長、古典輪読会「太宰府斯道塾」塾長、一般財団法人日本教育推進財団顧問。
川本 芳昭(かわもと よしあき、1950年 - )は、日本の… 川本 芳昭(かわもと よしあき、1950年 - )は、日本の東洋史学者、九州大学名誉教授。 長崎県生まれ。1972年九州大学文学部東洋史学科卒。1978年同大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。 1981年より佐賀大学教養部助教授。その後1994年から九州大学文学部助教授、1998年より教授。2016年に九大を定年退任し名誉教授。
清野 良榮(せいの よしえい 1950年 - )は、日本の経… 清野 良榮(せいの よしえい 1950年 - )は、日本の経済学者。専門は、経済理論・現代資本主義分析。現代の資本主義体制への批判的視角から、市場化・グローバル化のもたらす経済社会のひずみを主たる研究テーマとしている。松山大学経済学部教授。「憲法9条をまもる愛媛県民の会」の呼びかけ人の一人として名を連ねる。 福島県出身。1973年(昭和48年)立命館大学経済学部卒業。1977年(昭和52年)九州大学大学院経済学研究科修士課程修了。1980年(昭和55年)九州大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。1981年(昭和56年)松山商科大学経済学部講師。1982年(昭和57年)松山商科大学経済学部助教授。
高橋 信雄(たかはし のぶお、1950年 - )は、日本のノ… 高橋 信雄(たかはし のぶお、1950年 - )は、日本のノンフィクション作家、ジャーナリスト。 1950年生まれ。九州大学経済学部卒業。長崎新聞社に入社。原爆平和報道等に取り組み、論説委員長、特別論説委員を経て2016年退職。2002年から14年間執筆を続けた長崎新聞1面コラム「水や空」抜粋のコラム集『信の一筆』1~4を2007年から16年にかけて出版。1990年、「天皇に戦争責任はあると思う」と発言した当時の長崎市長本島等が右翼の男に狙撃された事件現場のスクープ写真で日本新聞協会賞を受賞。2019年「東洋日の出新聞 鈴木天眼~アジア主義もう一つの軌跡」(長崎新聞社出版協力)で第23回日本自費出版文化賞・研究評論部門賞。
守 明子(もり あきこ、AKIKO MORI、1950年 -… 守 明子(もり あきこ、AKIKO MORI、1950年 - )は、日本の研究者。名古屋工業大学大学院教授。 専門は、建築材料、人間工学。 1950年生まれ。九州大学卒業。九州大学大学院修了。通商産業省工業技術院九州工業技術研究所主任研究官を経て、名古屋工業大学大学院工学研究科社会工学専攻教授。
伊藤 秋男(いとう あきお、1950年 - )は、日本の物理… 伊藤 秋男(いとう あきお、1950年 - )は、日本の物理学者である。京都大学名誉教授。専門は原子・分子衝突、原子力学。 1974年、埼玉大学理工学部物理学科卒業。1979年、京都大学大学院工学研究科博士後期課程修了。工学博士(京都大学)。学位論文 「Charge-changing collisions of energetic helium projectiles penetrating through gases(気体中での高速ヘリウム粒子の荷電変換衝突)」。京都大学工学部教授。 この項目は、科学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝/Portal:自然科学)。
江里 昭彦(えさと あきひこ、1950年 - )は、山口県出… 江里 昭彦(えさと あきひこ、1950年 - )は、山口県出身の俳人。京都大学卒。「京大俳句」編集長、同人誌「日曜日」を経て「未定」「鬣」同人。ニューウェイブの旗手として俳句・評論の両面で活躍。1997年、第16回現代俳句評論賞受賞。上野千鶴子とは学生時代からの俳句仲間である。2012年、オウム真理教元幹部の中川智正死刑囚と同人誌「ジャム・セッション」を創刊。句集に『ラディカル・マザー・コンプレックス』『ロマンチック・ラブ・イデオロギー』『クローン羊のしずかな瞳』『去勢歌手』がある。
太田 仁樹(おおた よしき、1950年 - )は、日本の経済… 太田 仁樹(おおた よしき、1950年 - )は、日本の経済学者。岡山大学名誉教授。専攻は社会思想史。 愛知県生まれ。1973年京都大学経済学部経済学科卒業。1980年名古屋大学大学院経済学研究科経済学史専攻博士課程単位取得退学。1985年岡山大学経済学部講師、助教授、教授。1993年「レーニンの経済学」で博士(経済学)(名古屋大学)。2004年岡山大学大学院社会文化科学研究科教授。2016年退職、名誉教授。
木佐 茂男(きさ しげお、1950年 - )は、日本の法学者… 木佐 茂男(きさ しげお、1950年 - )は、日本の法学者。行政法学専攻。学位は、博士(法学)(北海道大学・1990年)(学位論文「人間の尊厳と司法権 - 西ドイツ司法改革に学ぶ」)。北海道大学名誉教授、九州大学名誉教授。弁護士。 島根県出身。2016年4月以降、九州リーガル・クリニック法律事務所、赤坂協同法律事務所、向原総合法律事務所勤務弁護士を経て、2020年3月木佐法律事務所代表弁護士。マスメディアで報道された重要取扱事件として、福岡市屋台訴訟および自由民主党福岡県大牟田支部名誉毀損損害賠償請求事件がある。 1973年島根大学文理学部法学科卒業。1978年京都大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学。
木下 哲夫(きのした てつお、1950年 - )は、日本の翻… 木下 哲夫(きのした てつお、1950年 - )は、日本の翻訳家。 千葉県生まれ。京都大学経済学部卒業。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・作詞家・作家・放送作家・随筆家(コラムニスト)・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ:作家)。
櫻井 潔(さくらい きよし、1950年- )は、日本の建築家… 櫻井 潔(さくらい きよし、1950年- )は、日本の建築家。 株式会社櫻井潔建築設計事務所・ETHNOS代表。神戸市生まれ。
志賀 健二郎(しが けんじろう、1950年(昭和25年) -… 志賀 健二郎(しが けんじろう、1950年(昭和25年) - )は、日本の著作家。学校法人田中千代学園副理事長。 渋谷ファッション&アート専門学校(前・田中千代ファッションカレッジ)校長。兵庫県出身。 1974年、京都大学文学部史学科卒業。卒業後、小田急百貨店入社。文化催事(小田急グランドギャラリー)、宣伝、販売促進などを担当。小田急美術館館長(兼務)。 2006年、川崎市の公募で採用され、川崎市市民ミュージアム館長に就任。 2011年から2014年まで、川崎市市民ミュージアムアドバイザー。日本映画大学にて、非常勤講師(博物館経営論)として勤務。 俳優志賀廣太郎(2020年死去)は実兄。 1987年10月、小田急美術館の前身である小田急グランドギャラリーが『光太郎 智恵子の世界展』(主催読売新聞社)を開催することになり、戦時中、岩手県花巻に疎開していた高村光太郎が、敗戦直後に移り住み、戦意高揚の詩を作っていたことへの反省から晩年の7年間独居していた高村山荘の粗末な空間を、会場演出としても効果的であるため、再現することになった。
篠原 資明(しのはら もとあき、1950年 - )は、日本の… 篠原 資明(しのはら もとあき、1950年 - )は、日本の哲学者・詩人(日本文芸家協会会員)・美術評論家(国際美術評論家連盟会員、2014~2015年 日本美術評論家連盟常任委員)。京都大学名誉教授。京都市立芸術大学客員教授。専門は、哲学・美学。 1950年、香川県生まれ。1975年、京都大学文学部哲学科を卒業。1980年、同大学院文学研究科美学美術史学専攻博士課程を単位取得満期退学し、京都大学文学部助手となった。 その後は大阪芸術大学助教授、東京芸術大学専任講師となった。京都大学総合人間学部助教授となり、後に教授昇進。学外では、2005年4月から2015年3月まで国立美術館外部評価委員をつとめた。
田窪 行則(たくぼ ゆきのり、1950年 - )は、日本の言… 田窪 行則(たくぼ ゆきのり、1950年 - )は、日本の言語学者。専門は理論言語学、日本語学、琉球語学。京都大学名誉教授。 1950年、岡山県で生まれた。中学生の頃、金田一京助の随筆「北の人」に出会い、感動したという。1969年、京都大学文学部文学科に入学。しかし、折しも1969年は大学紛争の真っ最中であった。西田龍雄に師事して言語学専攻で学び、1975年3月に卒業。卒業後は、同大学大学院に進んだ。1980年、京都大学大学院文学研究科博士課程を単位取得退学。 同1980年より大韓民国東国大学校慶州分校招聘専任講師を務めた。1982年、神戸大学教養部専任講師となった。1984年、同助教授に昇格。
田中 義廣 (たなか よしひろ、1950年 - 2012年)… 田中 義廣 (たなか よしひろ、1950年 - 2012年)は、日本のフランス文学者、翻訳家。 兵庫県生まれ。京都大学文学部卒、同大学院博士課程中退。久留米大学文学部教授。専門はフランス幻想文学・エゾテリスム思想。 妻は、出版・編集企画制作集団「エディシオン・アルシーヴ」でともに活動した、生田智恵子(生田耕作の姪)。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
坪香 伸(つぼか しん、1950年または1951年 - )は… 坪香 伸(つぼか しん、1950年または1951年 - )は、日本の国土交通・環境技官。東北地方整備局長、国土技術政策総合研究所長、日本建設情報総合センター理事を歴任。瑞宝中綬章受章。 1976年 (昭和51年) 3月 京都大学大学院工学研究科土木工学専攻修了。同年 建設省入省、1988年 奈良県河川課長、1991年 (平成3年) 4月 近畿地方建設局 (現・近畿地方整備局) 姫路 工事事務所長、19947月 同局企画部調査官、1995年 建設省河川局防災・河岸課海洋開発官、1997年 近畿地方建設局淀川工事事務所長、1999年 同河川部長、2004年1月 同職を宮本博司と交代し岡山和生の後任として河川局河川環境課長、2005年8月 環境省環境管理局水環境部長、大臣官房審議官、2006年7月 森永教夫の後任として国土交通省東北地方整備局長、2007年10月 同職を久保田勝と交代し望月常好の後任として国土技術政策総合研究所長。
福井 幸男(ふくい ゆきお 1950年 - )は、工業技術研… 福井 幸男(ふくい ゆきお 1950年 - )は、工業技術研究者。筑波大学名誉教授。博士(工学)。福岡県出身。研究分野は、設計支援システム、ヒューマンインタフェース、形状処理、バーチャルリアリティ等。2015年から幸福の科学の無認可校ハッピー・サイエンス・ユニバーシティ未来産業学部のプロフェッサー(教授)と学部長を務めている。
福嶋 雅夫(ふくしま まさお、1950年 - )は、日本の数… 福嶋 雅夫(ふくしま まさお、1950年 - )は、日本の数理工学者。京都大学名誉教授。京都情報大学院大学教授。専門は、オペレーションズ・リサーチ。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
嶺 秀樹(みね ひでき、1950年 - )は、日本の哲学者、… 嶺 秀樹(みね ひでき、1950年 - )は、日本の哲学者、関西学院大学文学部名誉教授。 福井県生まれ。1974年京都大学文学部卒業。1979年同大学院文学研究科(西洋哲学史専攻)博士課程修了。1983年西ドイツ・テュービンゲン大学にて哲学博士号取得。関西学院大学文学部助教授、教授を歴任し、2019年退職。名誉教授となる。2024年『絶対無の思索へ:コンテクストの中の西田・田辺哲学』で第36回和辻哲郎文化賞を受賞。
宮森 洋一郎(みやもり よういちろう、1950年〈昭和25年… 宮森 洋一郎(みやもり よういちろう、1950年〈昭和25年〉 - )は日本の建築家。宮森洋一郎建築設計室主宰。吉岡賞など受賞。 1950年に広島県呉市に生まれる。1973年に京都大学工学部建築学科を卒業後、大学院へと進み1975年に修士課程を修了した。その後、東急設計コンサルタントおよび美建設計事務所に勤務するも実家の都合で広島へと戻り、1982年に宮森洋一郎建築設計室を設立した。1999年以降は広島工業大学で非常勤講師も務めている。
村上 宣寛(むらかみ よしひろ、1950年 - )は、日本の… 村上 宣寛(むらかみ よしひろ、1950年 - )は、日本の心理学者、富山大学名誉教授。専門は教育心理学、教育測定学、認知心理学、統計分析、性格測定など。 愛媛県生まれ。大阪府堺市で育った。同志社大学を卒業後、1976年に京都大学大学院修士課程を修了した。1977年に京都大学大学院教育学研究科教育方法学専攻博士課程を中途退学した。同年、富山大学教育学部助手となった。富山大学教育学部で、講師、助教授、教授を歴任した。2005年から富山大学人間発達科学部教授を務めた。 教育心理学、教育測定学を専門とする。認知心理学、統計分析、性格測定に関するプログラム開発も専門とする。学習障害児の学習意欲と学力の関係に関する研究に携わり、学習意欲を測定する尺度の作成を担当した。
吉村 良一(よしむら りょういち、1950年 - )は、日本… 吉村 良一(よしむら りょういち、1950年 - )は、日本の法学者(民法・環境法)。立命館大学教授。博士(法学)(立命館大学・論文博士・1991年)。奈良県出身。第24期民主主義科学者協会法律部会理事長。 不法行為法および環境法の研究で著名。特に公害と不法行為についての研究を行っており、公害被害者救済の観点から古典的な過失責任論の再評価を主張していることで注目される。一般的な考えでは、過失責任主義は前近代社会にあっては個人の自由を保障するものとして妥当であったが、近代では被害者救済のために例外的に無過失責任主義が認められるようになったとされる。この立場からは、無過失責任主義は注意しても防げない損害について公平の見地から特別に責任を負わせるためのものであると位置付けられるが、吉村は無過失責任主義はその例外性ゆえに、被害者救済の面ではあまり機能していないことを主張する。
大野 栄一(おおの えいいち、1950年(昭和25年)- )… 大野 栄一(おおの えいいち、1950年(昭和25年)- )は日本の数学教師。大阪に生まれる。1972年(昭和47年)、京都産業大学理学部計算機学科を卒業。大谷中学校・高等学校の数学教師を勤める。趣味は自転車、パソコンいじり、計算道具・計算機の収集。
白波瀬 誠(しらはせ まこと、1950年- )は、日本の実業… 白波瀬 誠(しらはせ まこと、1950年- )は、日本の実業家。京都中央信用金庫会長。 京都府出身。1972年京都産業大学経済学部卒業。1972年4月、京都中央信用金庫入り。西陣、堀川各支店長などを歴任し、2008年に理事就任。本店営業部長を経て13年に専務理事。15年11月から現職。 2025年11月、旭日小綬章を受章。 この項目は、まだ閲覧者の調べものの参照としては役立たない、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:人物伝/PJ:人物伝)。
赤瀬 美穂(あかせ みほ 1950年 - )は、元甲南大学特… 赤瀬 美穂(あかせ みほ 1950年 - )は、元甲南大学特任教授。司書課程担当。京都産業大学でも長年、事務職員(図書館配属)、非常勤講師、情報センター長を歴任した。 1950年愛媛県生まれ。1973年3月京都女子大学文学部国文学科卒業。1974年4月京都産業大学事務職員(図書館配属)。2007年4月京都産業大学文化学部非常勤講師(兼務)(~2012年、2014年)。2008年4月京都産業大学図書館事務部長を兼ねて情報センター長(~2011年3月)。2011年3月京都産業大学退職。同年4月甲南大学特任教授。2021年3月甲南大学定年退職。
清水 信行(しみず のぶゆき、1950年(昭和25年) - … 清水 信行(しみず のぶゆき、1950年(昭和25年) - )は日本の画家。京都府出身。 1950年(昭和25年)、京都府に生まれる。1972年(昭和47年)、日展初入選し、以降4回連続入選。1974年(昭和49年)、京都市立芸術大学日本画科卒業。1976年(昭和51年)、京都市立芸術大学専攻科修了。1984年(昭和59年)、日仏現代美術展出品、第二席、同フランスソワール賞受賞。1985年(昭和60年)、個展(東京セントラル絵画展)。1986年(昭和61年)、東京セントラル美術館日本画大賞展に招待出品。1987年(昭和62年)、京都画壇日本画秀作展選抜出品。2001年(平成13年)、画文集「心の山河 心の森」(芸艸堂)発刊。
多田 善昭(ただ よしあき、1950年 - )は、日本の建築… 多田 善昭(ただ よしあき、1950年 - )は、日本の建築家。 社団法人日本建築学会四国支部長を歴任。香川県近代和風建築総合調査委員会委員、善通寺市旧善通寺偕行社整備検討委員会副委員長として国重文の旧善通寺偕行社保存修復ほか、歴史的建築物の保存・修繕に努める。まちづくりにも従事、「宇多津まちづくり」では 2007年(平成19年)国土交通省まちづくり交付金事業 まち交大賞プロセス賞を受賞。 香川県善通寺市出身。 「静修館」で1988年(昭和63年), 社団法人日本建築士会連合会 奨励賞。「飛翔の館」で1991年(平成3年), 社団法人香川県建築士会 優秀作品賞。「龍の医院」(安藤医院)で1996年(平成8年), 社団法人日本医療福祉建築協会医療福祉建築賞。
徳永 洋(とくなが ひろし、1950年 - )は、日本の歴史… 徳永 洋(とくなが ひろし、1950年 - )は、日本の歴史学者。横井小楠研究家として知られる。熊本県熊本市出身。 熊本商科大学卒業。日本銀行に勤務。仕事のかたわら横井小楠に関する資料収集・研究にいそしむ。また、熊本・福井両市で小楠に関する展覧会も企画した。著書に『横井小楠-維新の青写真を描いた男』(新潮新書)、共著に『横井小楠のすべて』(新人物往来社)がある。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
浅羽 俊一郎(あさば しゅんいちろう、1950年 - )は、… 浅羽 俊一郎(あさば しゅんいちろう、1950年 - )は、元・国連難民高等弁務官事務所駐日本韓国事務所副代表。同パキスタン・クェッタ事務所長 東京都立秋川高等学校卒業。1974年、慶應義塾大学経済学部卒業、東京YMCAへ就職。1983年、青少年育成国民会議へ就職、1984年国連難民高等弁務官事務所(UNHCR )へ就職 。UNHCRの主な勤務地:パキスタン(ペシャワール)、ソマリア、モザンビーク、スイス(ジュネーブ本部)、タジキスタンとチェチェン緊急支援チーム、ボスニア・ヘルツエゴヴィナ、駐日本・韓国事務所(東京)副代表を経て、パキスタン・クェッタ事務所長にて2007年退任。Y’s Men International 東日本区ユース事業主任・100周年事業アジア太平洋地域音楽委員会議長、東京YMCA国際委員長、世界YMCA同盟難民問題専門委員会メンバーとして奉仕、2021年さいたま市内にて地域活動「き咲きてらす」開設 東京山手クラブの会長。
新井 清一(あらい きよかず、1950年 - )は、日本の建… 新井 清一(あらい きよかず、1950年 - )は、日本の建築家。京都精華大学デザイン学部建築学科客員教授。アライ・アーキテクツ一級建築士事務所主宰。 神奈川県横浜市生まれ。1980年中央大学商学部卒業。1983年南カリフォルニア建築大学(SCI-Arc)大学院修士課程修了。2004年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程修了。 1979年から1991年の間、米国のモーフォシス建築設計事務所に所属。1991年にアライ・アーキテクツ事務所を設立。 2014年より京都精華大学客員教授を務める。 主な作品に「くまもとアートポリス」(1988年)、「京都精華大学自習棟」(自在館)、「大連医科大学新校区総体計画設計」、「杖立温泉会館」など。
井上 勇一(いのうえ ゆういち、1950年(昭和25年) -… 井上 勇一(いのうえ ゆういち、1950年(昭和25年) - )は、日本の外務省官僚、法学者。東京都出身。専門は日本外交史、国際関係論。法学博士。 東京都生まれで父は都市計画家の井上孝。1974年(昭和49年)、慶應義塾大学法学部卒業。 ロンドン大学LSE助手、在カナダ日本国大使館書記官(広報・文化担当)を経て外務事務官となり、外務省外交史料館において『日本外交文書』を編纂した。
岩田 達七(いわた たつしち、1950年 - )は、日本の実… 岩田 達七(いわた たつしち、1950年 - )は、日本の実業家、マドラス代表取締役社長である。 1950年に岩田孝七の長男として愛知県に生まれる。慶應義塾大学経済学部卒業後、73年にマドラス(旧亜細亜製靴株式会社)入社。80年に同取締役、84年に同代表取締役、2010年に現職。関連会社の代表取締役も務める。弟の岩田栄七は同会長、岩田工機代表取締役社長を務めた。 次男は三代目J soul brothersのパフォーマーでアーティストの岩田剛典がいる。
大島 春行(おおしま はるゆき、1950年- )はNHK解説… 大島 春行(おおしま はるゆき、1950年- )はNHK解説委員。担当分野は経済。 大阪市出身。大阪市長を務めた大島靖氏の長男。 1975年慶應義塾大学商学部卒、NHK入局。横浜放送局を経て経済部記者となる。経済部では通産省、大蔵省、日銀、自動車、電機、エネルギーなどを担当。1989年-1993年ワシントン特派員、1995年大阪放送局デスク、1997年経済部デスク、2000年ニューヨーク特派員などを経て2003年から解説委員となり現在に至る。 経済記者時代は、三光汽船破綻、 日米貿易交渉、日米鉄鋼業界合併など数々のスクープを連発、日米構造協議では全議事録を単独入手し、日米双方の経済学者などからいまだに照会を受けている。
小島 健輔(こじま けんすけ、1950年 - )は(株)小島… 小島 健輔(こじま けんすけ、1950年 - )は(株)小島ファッションマーケティング代表取締役。日本のファッションビジネス/流通コンサルタントである。 洋装店やブティックを経営していた家に生まれて幼少時から生地や衣料品に囲まれて育ち、オーナーバイヤーだった母から感化された。慶応義塾大学商学部在学中には百貨店研究会に所属して米国ファッションビジネスを研究し、新宿デリカ(後のセシルマクビー)で販売アルバイトも経験した。 卒業後は当時の大手婦人服専門店・鈴屋に入社して銀座のベル・ブードワ店に勤務。上田稔夫(現ファイブフォックス社長)に付いて川久保玲など著名クリエーターとの商談に立ち会ったり売場でVMDを工夫して販売効果を研究した。