関根 清三(せきね せいぞう、1950年8月31日 - )は… 関根 清三(せきね せいぞう、1950年8月31日 - )は、日本の倫理学者・聖書学者。専攻は、旧約聖書学・倫理学。 東京大学名誉教授、聖学院大学大学院特命教授。 日本旧約学会会長、日本倫理学会会長、日本基督教学会理事等を歴任、現在、和辻哲郎文化賞選考委員、日本アスペン研究所副理事長。 父は旧約聖書学者の関根正雄。祖父は国文学者の関根正直。 東京都出身。1969年東京都立西高等学校卒業。1974年東京大学文学部倫理学科卒業。1979年、同大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。1980年、ドイツ学術交流会 (DAAD) 奨学生としてミュンヘン大学に留学。1981年から1985年まで、ミュンヘン大学福音神学部にて学術助手。
亜庭 じゅん(あにわ じゅん、1950年8月31日 - 20… 亜庭 じゅん(あにわ じゅん、1950年8月31日 - 2011年1月21日、男性)は日本の漫画評論家。愛知県名古屋市出身。批評集団「迷宮」の主要メンバーであり、MGMの創設者。本名は松田 茂樹(まつだ しげき)。愛称は「あにじゅん」。 1950年8月31日、愛知県名古屋市昭和区で誕生。 1969年4月、京都大学(文学部仏文科)入学。京都市左京区一乗寺に下宿する。1971年、月刊誌『COM』(虫プロ商事)8月号の読者投稿欄に「亜庭じゅん」のペンネームで長文のCOM批判を投稿し掲載される。 1972年、ぐら・こん関西支部長であった中島隆の紹介により、京都工芸繊維大学の学生だった高宮成河と出会い、意気投合。
梅山 秀幸(うめやま ひでゆき、1950年8月31日 - )… 梅山 秀幸(うめやま ひでゆき、1950年8月31日 - )は、日本の国文学・朝鮮文学者。桃山学院大学国際教養学部教授。 熊本県人吉市生まれ。1974年京都大学文学部国文科卒、同大学院博士後期課程満期退学。大阪城南女子短期大学講師、1986年岐阜経済大学助教授、教授、2002年桃山学院大学国際教養学部教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
柚木 真理(ゆのき まり、1950年8月31日 - )は、日… 柚木 真理(ゆのき まり、1950年8月31日 - )は、日本の小説家、児童文学作家である。 東京都出身、山梨県清里在住。東洋大学で国文学、民俗学を学ぶ。大学卒業後、小学校教師と山梨県史編さん専門調査員(民俗編)を勤めるかたわら、小説を書き始める。また、小学校等へ著書の朗読のための訪問も行っている。
岩田 純明(いわた すみあき、1950年8月31日 - )は… 岩田 純明(いわた すみあき、1950年8月31日 - )は、日本の実業家、アイネットグループ代表取締役社長。1970年代に、すみあきくん名義でシンガーソングライターとして芸能活動を行ったことでも知られる。 滋賀県彦根市に生まれる。実家は自転車店で、兄とのふたり兄弟であった。高校時代は、強豪のヨット部の選手となり、琵琶湖で練習していた。 大阪府の大学に進学したが、音楽活動に力を入れ2年で中退して上京し、『スター誕生!』で合格、すみあきくん名義でデビューする。デビュー曲は、自作曲「満員電車」であった。以降、シングル数枚を出し、テレビアニメ『ダメおやじ』の主題歌「ダメおやじの唄」を作詞、作曲した。 芸能界を離れた後、しばらくして滋賀県に戻り、32歳だった1984年に店舗内装や看板を扱うディスプレイ業を起して独立し、後に2006年以降に飲食店のフランチャイズ店に進出し、やがて事業の重点を飲食業に移した。
畑尻 剛(はたじり つよし、1950年8月30日 - 202… 畑尻 剛(はたじり つよし、1950年8月30日 - 2023年1月20日)は、日本の憲法学者。中央大学名誉教授。指導教官は川添利幸。和歌山県田辺市出身。
金子 政則(かねこ まさのり、1950年 〈昭和25年〉8月… 金子 政則(かねこ まさのり、1950年 〈昭和25年〉8月30日 - )は、日本の政治家。岐阜県加茂郡八百津町長(3期)。 岐阜県加茂郡八百津町に生まれる。1968年、岐阜県立多治見工業高等学校を卒業。1972年、中京大学を卒業。 2012年(平成24年)、八百津町長選挙に立候補するも3位で落選した。 ※当日有権者数:10,326人 最終投票率:78.36%(前回比:-pts) 2016年(平成28年)1月17日執行の八百津町長選挙で新人2名を破り初当選した。 ※当日有権者数:9,800人 最終投票率:69.49%(前回比: 8.87pts) 同年1月28日、八百津町長に就任した。 2020年(令和2年)1月15日執行の八百津町長選挙では無投票で再選され、同年1月28日より2期目を務めた。
姫岡 とし子(ひめおか としこ、1950年8月30日 - )… 姫岡 とし子(ひめおか としこ、1950年8月30日 - )は、日本の歴史学者。専門は西洋史、ドイツ近現代史(とくに社会史)、女性史。2016年に東京大学大学院人文社会系研究科(西洋史学)教授を定年退職、東京大学名誉教授となり、奈良女子大学アジア・ジェンダー文化学研究センター協力研究員に就任。別名、住澤とし子。 1973年奈良女子大学理学部化学科卒業。1980年フランクフルト大学歴史学部マギスター(修士課程)修了。84年奈良女子大学大学院人間文化研究科博士課程比較文化学専攻修了。1993年、論文「近代ドイツの母性主義フェミニズム」で奈良女子大学より博士(文学)の学位を取得。 1988年より立命館大学国際関係学部講師、91年同助教授、95年同教授。
石田 信之(いしだ のぶゆき、1950年8月30日 - )は… 石田 信之(いしだ のぶゆき、1950年8月30日 - )は、日本の俳優。本名同じ。
澤田 康文(さわだ やすふみ、1950年8月29日 - )は… 澤田 康文(さわだ やすふみ、1950年8月29日 - )は、日本の薬学者、東京大学特任教授。 高知県生まれ。1974年東京大学薬学部卒、1978年同大学院博士課程中退、1980年薬学博士。1978年東大薬学部助手、1990年東大医学部附属病院助教授、1995年九州大学大学院薬学研究院教授、東大薬学研究科教授、2016年定年退任、特任教授。
高橋 明(たかはし あきら、1950年8月29日 - )は、… 高橋 明(たかはし あきら、1950年8月29日 - )は、宮崎県出身の元プロ野球選手(外野手)。右投右打。 柳川商業からドラフト14位で1969年に西鉄ライオンズに入団。1971年に同姓同名である投手の高橋明が移籍してきたため、スコアボードや新聞では投手の方が高橋明、外野手の方が高橋外と表記された。 一軍ではあまり活躍できず、1972年に引退した。 この項目は、野球選手に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ野球選手/P野球)。
八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日… 八代 亜紀(やしろ あき、1950年〈昭和25年〉8月29日 - 2023年〈令和5年〉12月30日)は、日本の演歌歌手、女優、タレント、画家。熊本県八代郡金剛村出身。 幼少の頃から父親の歌う浪曲を子守唄代わりに聴きながら育つ。この影響もあり歌が好きで、地元の歌唱コンクールに出場していた。 八代亜紀が小学5年生の時、たまたま父親が買ってきたジュリー・ロンドンのレコードを聴き、そのハスキーボイスに魅せられる。ハスキーボイスの持ち主だった八代は、その声に若干のコンプレックスがあったが、ジュリーの声質に勇気づけられ、クラブ歌手になることを意識するようになる。 八代市立第六中学校卒業後、九州産業交通にバスガイドとして就職する。
中村 邦晴(なかむら くにはる、1950年8月28日 - )… 中村 邦晴(なかむら くにはる、1950年8月28日 - )は、日本の経営者。住友商事特別顧問を務めている。日本貿易会会長、経団連副会長、東京商工会議所副会頭、日本商工会議所特別顧問を歴任。 大阪府出身。大阪府立八尾高等学校を経て、1974年に大阪大学経済学部を卒業し、同年に住友商事に入社。 2005年に執行役員に就任し、常務、専務を経て、2012年4月に副社長に就任し、同年6月には社長に昇格した。2018年6月から会長に就任した。2024年4月に特別顧問就任。 2018年から2020年まで日本貿易会会長と2019年から2023年まで日本経済団体連合会副会長を務めている。 2022年11月より東京商工会議所特別顧問、2023年7月より東京商工会議所副会頭に就任。
廣中 邦充(ひろなか くにみつ、1950年8月28日 - 2… 廣中 邦充(ひろなか くにみつ、1950年8月28日 - 2019年4月16日)は、浄土宗西居院第二十一代目住職。教育評論家。愛称は「やんちゃ和尚」。愛知県岡崎市出身。 愛知県岡崎市真福寺町で西居院住職の次男として生まれる。少年時代は、地元ではかなりのワルで何度も警察の世話になっていた。高校時代の恩師の支えによって徐々に更生。 大正大学へ入学。大正大学仏教学部卒業後、ソニーに入社。販売会社へ出向し、そこで全国トップの営業成績を記録した。退職後は独立して複数の企業を経営した。 1990年に、二十代目住職であった父が病気で倒れ、邦充が二十一代目住職に就任した。1996年から10年以上にわたり自らが営む寺で、非行や引きこもり、援助交際等の心の問題を抱えた少年少女達を無償で預かるようになった。
河内 宏之(かわち ひろし、1950年(昭和25年)8月28… 河内 宏之(かわち ひろし、1950年(昭和25年)8月28日 - )は、日本の実業家。栃木県出身。(株)アカデミー代表取締役(ACADEMY・GROUP代表)。 大学卒業後、銀行勤務を経て、学習塾を創業。現在、栃木県を中心に進学塾(「QUALIER」「ACADEMY」など)、幼稚園、大学受験予備校を運営し、自らも教壇に立つ。「子どもたちはダイヤモンドの原石。磨いて輝くダイヤモンドに成長させることが教師の使命」が持論で、生徒の学力を向上させることだけでなく、智力、人間力、体力の3つをバランスよく育ててこそ、未来を切り拓く上質な人づくりが実現できるとして「徳育」にも力を注いでいる。 CSR活動にも力を入れ、カンボジアに小学校2校、ネパールに小学校1校を建設。
池沢 早人師(いけざわ さとし、1950年8月27日 - )… 池沢 早人師(いけざわ さとし、1950年8月27日 - )は、日本の漫画家・小説家でカーマニア、レーシングドライバー。旧ペンネームは池沢 さとし。代表作は『サーキットの狼』『サーキットの狼II モデナの剣』など。 千葉県野田市出身。野田市立南部中学校卒。高校在学中の1969年、『週刊少年ジャンプ』(集英社)にて『怪童のひびき』が新人佳作賞を受賞し、デビュー。週刊少年ジャンプにて1975年に連載が開始された『サーキットの狼』は高い人気を得て社会現象となり、1970年代後半の「スーパーカーブーム」の火付け役となった。 その後も『Beat Shot!!』や『サーキットの狼II モデナの剣』など多数の作品を発表し、多くの熱狂的なファンを獲得。
結城 昭二(ゆうき しょうじ、1950年8月27日 - )は… 結城 昭二(ゆうき しょうじ、1950年8月27日 - )は、日本の元バスケットボール選手である。ポジションはシューター。東京都出身。 バスケットボールの名門校として知られる京北高校で活躍後、中央大学に進学。在学中全日本に選出される。 卒業後は。住友金属に入社。1976年にはモントリオール五輪に出場した。住友でも日本リーグ優勝3回(1973・1974・1977)、オールジャパン 優勝3回(1974・1978・1980)に貢献する。 1981年現役引退。著書に、バスケットバイブル、マイケルジョーダンの最強のテクニック、他 現在はNBA解説者として活躍する一方、全国で普及活動も行っている。
いがらし ゆみこ(1950年8月26日 - )は、日本の漫画… いがらし ゆみこ(1950年8月26日 - )は、日本の漫画家。北海道旭川市出身、現在は北海道札幌市在住。血液型はA型(AO)。 1968年、北海道札幌旭丘高等学校3年のときに『りぼん』増刊号(集英社)に掲載された『白い鮫のいる島』でデビュー。上京し、潤徳女子高等学校に編入・卒業。その後、『なかよし』(講談社)専属作家として活動。幼年誌で執筆の後、レディースコミック誌や女性誌などで活動する。小説やドラマのコミカライズ、漫画原作も行う。五十岸ひとみ、五十嵐優美子、山川虹子(漫画原作者として)などの筆名でも執筆する。日本ペンクラブ会員。 元ジャニーズJr.で、現在は“男の娘(おとこのこ)”として漫画や執筆活動をしているいがらし奈波こと五十嵐慶一は、声優・井上和彦との間にもうけた実子(長男)。
内藤 廣(ないとう ひろし、1950年(昭和25年) 8月2… 内藤 廣(ないとう ひろし、1950年(昭和25年) 8月26日- )は、日本の建築家。株式会社内藤廣建築設計事務所代表。東京大学名誉教授。多摩美術大学学長 海の博物館の設計で日本建築学会賞、第18回吉田五十八賞、芸術選奨新人賞美術部門などを受賞、牧野富太郎記念館で第13回1999年度村野藤吾賞を受賞。『高田松原津波復興祈念公園 国営追悼・祈念施設』の設計で第70回芸術選奨文部科学大臣賞美術部門を受賞。 土木、建築、都市計画、造園、インダストリアルデザインなどの都市景観に関連した異なる職域によるデザイン・コラボレーションを提唱し、2003年には織部賞を受賞。2005年に「GSデザイン会議」(GSはグラウンドスケープの略)を篠原修らと発足、同代表。
多々見 良三(たたみ りょうぞう、1950年〈昭和25年〉8… 多々見 良三(たたみ りょうぞう、1950年〈昭和25年〉8月26日 - )は、日本の医師、政治家。元京都府舞鶴市長(3期)。循環器内科を専門としており、日本循環器学会認定循環器専門医、日本心血管カテーテル治療学会指導医、日本内科学会認定内科医、日本心血管インターベンション治療学会名誉専門医である。 石川県河北郡高松町(現・かほく市)出身。金沢大学医学部医学科卒業・医学士。同大学大学院医学研究科博士課程修了・医学博士。 1980年、同大学第二内科に入局。脂質代謝の研究を行い、1982年に舞鶴共済病院に内科医員として赴任した。以後、舞鶴共済病院で地域医療を支え、専門領域である循環器科心カテーテル術で京都府下1位、近畿地区でも5位の手術を手掛けた。
染谷 泰正(そめや やすまさ、 1950年8月26日 - 2… 染谷 泰正(そめや やすまさ、 1950年8月26日 - 2022年5月20日)は、日本の英語学者。青山学院大学文学部英米文学科准教授 (2002年4月~2006年3月), 同教授 (2006年4月~2010年3月), 関西大学外国語学部教授 (2010年4月~2018年3月)。ウォータールー大学卒業 (School of Urban and Regional Planning, University of Waterloo, Ontario, Canada)。東京大学大学院総合文化研究科言語情報科学専攻修了。専門は通訳翻訳研究、英語ビジネスコミュニケーション論、言語情報科学。 日本通訳翻訳学会 創立理事・会誌編集委員長 (2000年~2008年); (社) 日本時事英語学会 理事(2005年~2008年); (一社) 日本メディア英語学会 代表理事兼会長 (2011年~2014年)・同学会誌 Media, English, and Communication 創刊編集長 (2011年~2014年)。
福島 泰夫(ふくしま やすお、1950年8月26日 - )は… 福島 泰夫(ふくしま やすお、1950年8月26日 - )は、日本の政治家。元栃木県那須郡那珂川町長(3期)、元那珂川町議会議員(3期)。元小川町議会議員(1期)。 2003年(平成15年)4月、小川町議会議員に就任。2005年(平成17年)10月、那珂川町議会議員に就任。那珂川町議会議員2期目在任中には同町の監査委員を務めている。 2013年(平成25年)8月21日、那珂川町長選挙への立候補を表明し、同年9月に町議会議員を辞職。同年10月27日投開票の町長選挙で現職の大金伊一と前町議会議長の鈴木和江を破り初当選した。みんなの党支持層の票が現職町長と前町議会議長の2候補に割れ、それに対し、福島は自民党の支援を受け支持を拡大し初当選につなげた。
吉國 眞一(よしくに しんいち、1950年8月26日 - )… 吉國 眞一(よしくに しんいち、1950年8月26日 - )は、日本の銀行家。国際決済銀行アジア太平洋総代表、金融広報中央委員会会長、早稲田大学総合研究機構客員教授等を務めた。 吉國二郎の長男。弟にはNHK専務理事の吉國浩二、北里大学教授の吉國裕三がいる。1969年東京都立日比谷高等学校卒業。1973年に一橋大学経済学部卒業後、日本銀行入行。1976年から78年までペンシルバニア大学へ留学。1979年経済企画庁出向。 1986年日本銀行外国局調査役。1987年国際通貨基金理事代理。1990年日本銀行国際局調査役。1991年日本銀行国際局国際収支課長。1993年日本銀行国際局国際金融課長。1995年日本銀行国際局参事。
岩瀬 成子(いわせ じょうこ、1950年(昭和25年)8月2… 岩瀬 成子(いわせ じょうこ、1950年(昭和25年)8月25日 - )は、日本の児童文学作家。山口県玖珂郡玖珂町出身。山口県岩国市在住。 山口県立岩国商業高等学校卒業後、公務員として働く。今江祥智の講演を聞いて、京都の聖母女学院短期大学の聴講生として児童文学を学ぶ。1975年、岩国に帰郷後、在住。1977年岩国市内の「ほびっと」をモデルにした作品でデビュー。 1978年『朝はだんだん見えてくる』で日本児童文学者協会新人賞を受賞。『「うそじゃないよ」と谷川くんはいった』で産経児童出版文化賞、小学館文学賞、IBBYオナーリスト賞を受賞、『ステゴザウルス』『迷い鳥とぶ』で路傍の石文学賞を受賞。2008年、『そのぬくもりはきえない』で日本児童文学者協会賞を受賞。
唐仁原 教久(とうじんばら のりひさ、1950年8月25日 … 唐仁原 教久(とうじんばら のりひさ、1950年8月25日 - 2022年7月6日)は、日本のイラストレーター、アートディレクター。太宰治作品をはじめとする新潮文庫の装丁や、無印良品のポスターなど幅広く手掛けた。 鹿児島県薩摩川内市祁答院出身。祁答院町立大村中学校(現:薩摩川内市立祁答院中学校)で美術教諭だった日本画家・水墨画家の芝龍郎に絵を学ぶ。鹿児島県立宮之城高等学校(現:鹿児島県立薩摩中央高等学校)、大阪芸術大学芸術学部デザイン学科卒業。 1984年デザイン事務所「Happy Birthday Company(有限会社ハッピー・バースディ・カンパニー)」設立。1985年HB Gallery開廊。
上岡 信夫(かみおか のぶお、1950年8月25日 - )は… 上岡 信夫(かみおか のぶお、1950年8月25日 - )は宮崎県を拠点に活動する日本のフリーアナウンサーで宮崎放送 (MRT) の元アナウンサー(1975年-2010年)。 Category:宮崎放送のアナウンサー この項目は、アナウンサーに関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(アナウンサーPJ)。
根岸 吉太郎(ねぎし きちたろう、1950年8月24日 - … 根岸 吉太郎(ねぎし きちたろう、1950年8月24日 - )は、日本の映画監督。東北芸術工科大学理事長。 東京都出身。東京都立駒場高等学校、早稲田大学第一文学部演劇学科卒業。 早稲田大学卒業後、1974年日活に入社。同期には池田敏春がいる。なおこの年はにっかつが映画制作再開に伴い10年ぶりに大学卒の新卒採用を再開した年でもあった。藤田敏八、曽根中生に師事。 早稲田卒業時の論文は、野田高梧の脚本における時間経過などがテーマであり「映画監督志望なのになんで小津ではなく野田か」と、仲間内でも笑う者や不思議がる者が多かったという。
久野 綾希子(くの あきこ、1950年8月24日 - 202… 久野 綾希子(くの あきこ、1950年8月24日 - 2022年8月22日)は、大阪府出身の日本のミュージカル女優。本名は中川秀子(なかがわ ひでこ)。最終所属事務所はヤザ・パパ所属。 帝塚山学院中学・高等部→愛知県立芸術大学声楽科卒業。大学在籍中『アプローズ』のオーディションに合格し、1972年劇団四季に入団。入団後1976年までは久野秀子名義として活動していた。 卓越した歌唱力と演技で『ジーザス・クライスト=スーパースター』のマリア役、『ウエストサイド物語』のマリア役、『キャッツ』のグリザベラ役、『エビータ』のエビータ、『コーラスライン』のディアナ役など、数多くのミュージカルで主役を演じ、劇団四季の看板女優として活躍した。
金本 秀雄(かなもと ひでお、1950年8月24日 - )は… 金本 秀雄(かなもと ひでお、1950年8月24日 - )は、日本の工学者、実業家である。川岸工業株式会社の代表取締役社長。 福岡県北九州市出身。九州工業大学工学部を卒業後、昭和48年川岸工業株式会社に入社。同社取締役、常務、専務などを経て、平成28年川岸工業株式会社の代表取締役社長に就任した。 この項目は、企業に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 経済)。
山本 信一郎(やまもと しんいちろう、1950年(昭和25年… 山本 信一郎(やまもと しんいちろう、1950年(昭和25年)8月23日 - )は、日本の自治・総務官僚。内閣府事務次官、宮内庁次長、宮内庁長官を歴任。 福井県今立郡池田町出身。1969年(昭和44年)福井県立藤島高等学校卒業。1973年(昭和48年)京都大学法学部卒業、同年自治省入省。2008年(平成20年)7月から2009年(平成21年)7月まで内閣府事務次官を務めた。のち消防試験研究センター理事長。 2016年(平成28年)7月13日にされた「天皇陛下(現在の上皇)には、次期皇位継承者である皇太子徳仁親王殿下(現在の天皇)へ譲位のご意向を示されている」という報道について、宮内庁次長(当時)として「報道されたような事実は一切ない。
総山 誠(ふさやま まこと、1950年8月23日 - )は、… 総山 誠(ふさやま まこと、1950年8月23日 - )は、日本の実業家。東洋エンジニアリング株式会社取締役会長を務めた。 1973年一橋大学法学部卒業、東洋エンジニアリング入社。経営企画部長を経て、2004年取締役常務執行役員経営計画本部長に昇格。2008年取締役専務執行役員経営統括本部長。2012年代表取締役副社長。2014年から取締役会長を務め、外務大臣のイラン訪問に同行するなどインフラ受注に向けた活動等にあたった。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
山田 訓史(やまだ のりじ、1950年〈昭和25年〉8月22… 山田 訓史(やまだ のりじ、1950年〈昭和25年〉8月22日 - )は、日本の経営者。清水銀行頭取を務めた。 静岡県出身。静岡県立清水東高等学校を経て1950年に立命館大学経済学部を卒業し、同年に清水銀行に入行した。1998年に取締役に就任し、2000年4月に常務、2001年4月に専務を経て、2005年4月には頭取に就任。2012年4月には会長に就任。
古賀 信行(こが のぶゆき 1950年8月22日 - )は、… 古賀 信行(こが のぶゆき 1950年8月22日 - )は、日本の実業家。旭日大綬章受章。野村ホールディングス取締役執行役社長兼CEOを務めたほか、日本経済団体連合会審議員会議長、交通政策審議会会長などを歴任した。 福岡県大牟田市生まれ。 大牟田ルーテル幼稚園[要出典]、大牟田市立中友小学校、大牟田市立松原中学校、ラ・サール高等学校を経て、1970年に東京大学法学部へ入学し、1974年に卒業、野村證券株式会社(現、野村ホールディングス株式会社)へ入社した。 企画畑でMOF担などを務め、同郷福岡出身の自見庄三郎元金融担当大臣とのパイプなどを誇り、現場には疎いが、当局からの信頼が厚い優秀なMOF担とされた。
能勢 豊一(のせ とよかず、1950年8月22日 - )は、… 能勢 豊一(のせ とよかず、1950年8月22日 - )は、日本の経営システム工学・経営情報学者。大阪工業大学名誉教授・校友会副会長、第8代工経会会長・青藍会副会長・名誉教授。学位は、工学博士(大阪大学)。 常翔学園校友会理事、日本学術会議第19期企業行動研究連絡委員会委員長、日本経営システム学会(JAMS)第13・14期会長、日本経営工学会(JIMA)第30期会長、日本情報経営学会(JSIM)元副会長、日本オペレーションズ・リサーチ学会フェロー・元理事、日本品質管理学会元評議員を歴任。 専門は、経営情報学・経営システム工学・経営工学、技術経営(MOT)・技術マネジメント(特にQC、MRP、OR)・経営管理、社会システム工学、マーケティング科学・経済工学。
岡本 哲郎(おかもと てつろう、1950年8月22日- )… 岡本 哲郎(おかもと てつろう、1950年8月22日- )は、日本の経営者。三菱倉庫社長、会長を務めた。 埼玉県出身。1973年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に三菱倉庫に入社。2006年6月に取締役に就任し、2007年6月に常務を経て、2008年6月に社長に就任。2013年4月に会長に就任。 2020年11月に旭日中綬章を受章。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
山城 興英(やましろ こうえい、1950年(昭和25年)8月… 山城 興英(やましろ こうえい、1950年(昭和25年)8月22日 - )は、日本の実業家、銀行家。ユーシーカード代表取締役社長や、センチュリー・リーシング・システム代表取締役副社長等を歴任した。 東京都出身。1973年立教大学経済学部卒業、第一勧業銀行入行。 1999年第一勧業銀行国際総括部長。同年国際企画室長。2000年みずほホールディングス国際地域総括部長。2002年みずほコーポレート銀行執行役員内幸町営業第三部長。2003年みずほコーポレート銀行監査役。2004年ユーシーカード専務取締役。 2005年ユーシーカード代表取締役社長。2007年みずほ銀行理事、センチュリー・リーシング・システム代表取締役副社長。
松下 育男(まつした いくお、1950年8月22日- )は、… 松下 育男(まつした いくお、1950年8月22日- )は、日本の詩人。妻は1984年に群像新人文学賞評論部門優秀作を受賞した文芸評論家・詩人の松下千里。 福岡県遠賀郡に生まれる。東京都立九段高等学校を経て、1974年に早稲田大学第一政治経済学部を卒業した。1975年、上手宰、三橋聡らと同人誌『グッドバイ』を、1976年には個人誌『榊』をそれぞれ創刊した。1979年、詩集『肴』でH氏賞受賞。 1990年代以降は長らく詩作から離れていたが、2005年、阿部恭久、佐々木安美と同人誌『生き事』を創刊する。
河田 晃明(かわた こうめい、1950年(昭和25年)8月2… 河田 晃明(かわた こうめい、1950年(昭和25年)8月21日 - )は、日本の政治家。埼玉県羽生市長(5期)。元羽生市議会議員。 羽生市に生まれる。埼玉県立不動岡高等学校、玉川大学文学部卒業。小学校教員、羽生市学校教育課長、春日部市立藤塚小学校長、羽生市議会議員を歴任した。 2006年6月11日に前市長の逝去に伴い実施された羽生市長選挙に立候補して、自民党・公明党が推薦する候補を破って初当選した。※当日有権者数:-人 最終投票率:54.79%(前回比:-pts) 2010年5月16日、無投票で再選を果たした。 2014年5月18日の羽生市長選挙では自民党・公明党の推薦を得て、新人2人を破って3選を果たした。
武内 健二(たけうち けんじ、1950年8月21日 - )は… 武内 健二(たけうち けんじ、1950年8月21日 - )は、日本の経営者。九州朝日放送社長、会長を務めた。東京都出身。 1976年に京都大学大学院工学研究科を修了し、同年に朝日新聞社に入社した。2009年6月に九州朝日放送専務に就任し、2010年6月には社長に昇格。2016年6月から2017年6月までに会長を務めた。
塩田 邦郎(しおた くにお、1950年8月19日-)は、日本… 塩田 邦郎(しおた くにお、1950年8月19日-)は、日本の農学者・生物学者。農学博士。東京大学名誉教授。元早稲田大学上級研究員・教授(客員)。 1969年3月、鹿児島県立甲南高等学校卒業。1973年春に宮崎大学農学部獣医学科を卒業して東京大学大学院農学系研究科獣医学専門課程に入学し、1975年に修士課程を修了して博士課程へ進学。在籍中の1977年2月から翌年3月の間、ワシントン大学医学部生化学部に留学。1979年3月に東京大学大学院農学系研究科獣医学専門課程博士課程を修了し農学博士号を取得。同年4月に武田薬品工業株式会社へ入社し中央研究所に勤める。1987年に退職し、4月より東京大学大学院農学生命科学研究科応用動物科学専攻および獣医学専攻の助教授に就任して、1998年4月に教授へ昇任。
襟川 クロ(えりかわ くろ、1950年8月19日 - )は、… 襟川 クロ(えりかわ くろ、1950年8月19日 - )は、栃木県足利市出身の映画パーソナリティ。元女優。現在、午前十時の映画祭作品選定委員を担当している。えりかわ恵子(襟川恵子)と名乗っていた時期もある。 父は商事会社の会長を務めていた。3人兄弟の長女。兄はコーエーテクモホールディングス代表取締役社長の襟川陽一。小学2年生の時に『よい歯のコンクール』で学校代表になり、健康優良児の栃木県代表にも選ばれたことがあった。 栃木県立足利女子高等学校を経て、青山学院大学文学部教育学科を卒業。学生時代、1年間アメリカに留学。帰国後はスチュワーデスになるつもりだったが、そのコネも無かった上に受験も出来なかった。
遠藤 結城(えんどう ゆうき、1950年8月19日 - 20… 遠藤 結城(えんどう ゆうき、1950年8月19日 - 2004年6月5日)は、日本の経営者。ゲオの創業者。 岐阜県出身。1974年に名古屋大学農学部を卒業し、ニチレイなどでの勤務を経て、1986年に愛知県豊田市でレンタルビデオ店を開業し、1988年にエー・ブイ・ステーションを創業し、1996年4月にはゲオ社長に就任。 2004年6月5日、交通事故のために死去。53歳没。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
皆川 妙子(みながわ たえこ、1950年8月18日 - )は… 皆川 妙子(みながわ たえこ、1950年8月18日 - )は、日本の元女優。本名同じ。 東京都出身。杉野学園女子大学短期大学部中退。 宝仙学園高等学校在学中、モデルとしてスカウトされるが、家族の反対により断念する。大学進学とともにCMモデルとして活動後、1969年の映画『華麗なる闘い』出演を経て、1970年に東宝テレビ部に所属する。 1970年のテレビドラマ『アテンションプリーズ』に、ヒロインの紀比呂子が演じる美咲洋子のライバル役である香川妙子役でレギュラー出演。『アテンションプリーズ』当時のプロフィールでは「香川妙子の役は自分とは正反対で、最初は「あまりいじめないで」という手紙も来ましたが、最近は「妙子の立場になれば理解できます」という手紙も来るようになり、一生懸命この作品に取り組んでいます」と述べている。
伊佐山 ひろ子(いさやま ひろこ、1950年〈昭和25年〉8… 伊佐山 ひろ子(いさやま ひろこ、1950年〈昭和25年〉8月18日 - )は、日本の女優、作家。本名:伊佐山 博子。 福岡県福岡市出身。福岡女学院高等学校卒業。植物園を経て、女優となる。 1971年、高校卒業後に上京。俳優小劇場付属養成所に入所する。 1972年、村川透監督の『白い指の戯れ』で映画初主演を果たし、神代辰巳監督の『一条さゆり 濡れた欲情』での演技と合わせて高く評価され、第46回(1972年度)キネマ旬報日本映画主演女優賞を受賞。 当初は日活ロマンポルノを中心に活動していたが、徐々に一般作品へも進出。 岡本喜八監督作品には昭和50年代に3本で助演し、遺作となった『助太刀屋助六』(2002年)にも出演した。
夏目 房之介(なつめ ふさのすけ、1950年8月18日 - … 夏目 房之介(なつめ ふさのすけ、1950年8月18日 - )は、日本の漫画批評家、漫画家、エッセイストである。本人の自称は「漫画コラムニスト」。有限会社夏目房之介事務所代表取締役。
尚 衞(しょう まもる、1950年8月18日 - )は、かつ… 尚 衞(しょう まもる、1950年8月18日 - )は、かつて存在した琉球王国の王家第二尚氏の第23代当主。 第22代当主である侯爵尚裕の長男。 三重県伊勢市に在住。 千代田区立永田町小学校、同麹町中学校を経て玉川学園高等部に進み、玉川大学を卒業後、西武百貨店に就職。 数年後に退社しモデルや映画のエキストラを経験。 1982年5月、結婚。 1984年、長男、猛(たける)誕生。 1993年、米アラバマ州サムフォード大学(英語版)に留学しMBAを取得。帰国後離婚。 2017年8月、三重県出身の神職・孝之(たかゆき)と満喜(まき)の夫妻と養子縁組。 2019年5月、一般社団法人琉球歴史文化継承振興会を設立し、代表理事を務める。
島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )… 島田 修三(しまだ しゅうぞう、1950年8月18日 - )は、日本の歌人、日本古典文学研究者。愛知淑徳大学学長。 神奈川県横浜市生まれ。歌誌「まひる野」運営委員。1975年横浜市立大学文理学部日本文学専攻卒業、「まひる野」に入会。1982年早稲田大学大学院博士課程中退。専攻は万葉集。在学中に武川忠一が顧問を務める「短歌研究会」に所属し、内藤明、小島ゆかり、米川千嘉子らと活動した。 愛知淑徳大学文化創造学部教授、副学長を経て、2011年より学長。学生時代に吉野秀雄『寒蝉集』の影響を受け、窪田章一郎に師事。中日新聞歌壇選者。古典の教養を背景としながら、現代の消費社会を露悪的・批評的に表現する過激な歌風が特徴。
西島 三重子(にしじま みえこ、1950年8月17日 - )… 西島 三重子(にしじま みえこ、1950年8月17日 - )は、日本の女性シンガーソングライター、作曲家。東京都中野区出身、静岡県御殿場市在住。1975年にデビュー。『池上線』のヒットで知られる。 絵本やエッセイの執筆も手がける。アオイスタジオ所属。血液型はO型。本名も同じ(デビュー当時)。和光大学デザイン科中退。身長153cm。B83cm、W60cm、H88cm(1976年2月)。 1950年8月17日、東京都中野区の和光大学西武新宿線沿線に生まれる。実家は新井薬師近くの商店街で老舗の精肉商を営む。5人姉弟の三女。 小学校から短大まで、一貫教育で知られる東京都豊島区目白の私立女子校「川村学園」に通う。
山口 隆三(やまぐち りゅうぞう、1950年8月17日 - … 山口 隆三(やまぐち りゅうぞう、1950年8月17日 - )は、日本のプロゴルファー。 1969年に入学した日本大学ゴルフ部では高橋勝成と同期で、高橋信雄の1年後輩、窪田茂の1年先輩に当たる 。 卒業後の1978年5月にプロ入りし 、1980年のアジアサーキット・インドネシアオープンでは2日目に66をマークし呂西鈞(中華民国)、ブライアン・ジョーンズ(オーストラリア)、ミヤ・アエ(ビルマ)に次ぐ4位に着けた。3日目には72を叩き、日本勢では鈴木智美に次ぐ8位とした。 1983年のアジアサーキット・シンガポールオープンでは最終日14番でホールインワンを達成し、賞金5万シンガポールドル、日本円で約1185万円と副賞のスポーツカー(5万5000シンガポールドル相当)を獲得。
今井 俊郎(いまい としろう、1950年8月17日 - )は… 今井 俊郎(いまい としろう、1950年8月17日 - )は、日本の政治家。元岐阜県加茂郡東白川村長(3期)。 東白川村出身。名城大学法学部法律学科卒業後、民間会社に勤める。1994年(平成6年)に東白川村役場に入庁し、東白川村病院(現・東白川村国保診療所)事務局長などを歴任、2011年(平成23年)に退職。その後は東白川村商工会事務局長を務める。 2014年4月8日告示、同年4月13日投票の東白川村長選挙では元村議の村雲辰善との一騎打ちを制し初当選した。 ※当日有権者数:2,155人 最終投票率:88.12%(前回比:6.23pts) 任期満了に伴う2018年4月10日告示の東白川村長選挙、及び2022年4月12日告示の東白川村長選挙では今井俊郎以外の候補は無く、無投票で再選されている。