平賀 壯太(ひらが そうた、1936年4月15日 - 202… 平賀 壯太(ひらが そうた、1936年4月15日 - 2020年2月12日)は、日本の分子生物学者。熊本大学名誉博士。大腸菌の染色体とプラスミドの分配機構の研究について一貫して取り組み、この分野において長らく世界的なリーダーであった。趣味は昆虫研究と油絵である。
1936年(昭和11年)生まれ:1,204人
平賀 壯太(ひらが そうた、1936年4月15日 - 202… 平賀 壯太(ひらが そうた、1936年4月15日 - 2020年2月12日)は、日本の分子生物学者。熊本大学名誉博士。大腸菌の染色体とプラスミドの分配機構の研究について一貫して取り組み、この分野において長らく世界的なリーダーであった。趣味は昆虫研究と油絵である。
十文字 一夫(じゅうもんじ かずお、1936年4月13日 -… 十文字 一夫(じゅうもんじ かずお、1936年4月13日 - 2024年4月14日)は、日本の教育者。元学校法人十文字学園理事長。祖母は同創設者の十文字こと。母は同二代目理事長を務めた十文字良子、父は金門製作所社長の十文字俊夫。東京都出身。 1955年、東京教育大学附属高等学校を卒業。 1959年、慶應義塾大学法学部卒業。 1984年、学校法人十文字学園理事に就任。1987年に同学園の理事長に就任し、学園の運営に尽力した。 2024年4月14日に東京都内の病院で死去。一夫の死後は妻の十文字佑子が理事長に就任した。
吉田 稔(よしだ みのる、1936年4月13日 - )は、日… 吉田 稔(よしだ みのる、1936年4月13日 - )は、日本の経営者。東京エレクトロン社長、イノテック社長を務めた。東京都出身。 1960年に大阪府立大学工業短期大学部電気学科を卒業し、同年にダイヘンに入社。 1967年に東京エレクトロンに転じ、1974年に取締役に就任し、1977年に常務、1980年に専務を経て、1984年12月から1986年10月までに社長を務めた。1987年にイノテックを設立し、社長に就任。2001年6月に会長を経て、2005年6月には相談役に退いた。
定方 晟(さだかた あきら、1936年4月13日 - )は、… 定方 晟(さだかた あきら、1936年4月13日 - )は、日本の仏教学者。東海大学名誉教授。専攻は仏教学・インド学。 東京大学教養学部卒業、東京大学大学院印度哲学博士課程修了、文学博士。1960~63年にはインド学専攻のためフランス・パリに留学。帰国後は東海大学専任講師、助教授を経て、文学部教授を務めた。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。 この項目は、仏教に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ポータル 仏教/ウィキプロジェクト 仏教)。
前田 隣(まえだ りん、1936年4月12日 - 2009年… 前田 隣(まえだ りん、1936年4月12日 - 2009年2月19日)は、日本のコメディアン。本名:中澤 永一郎(なかざわ えいいちろう)。芸名はMy Darling(マイ・ダーリン)から。後輩芸人らからは「ダーリン先生」の愛称で呼ばれた。 東京都品川区出身。のち浅草に住む。イラストレーター・山藤章二は立正中学校・高等学校時代の同級生。 1956年、東京池袋アヴァンギャルド(後に池袋アバン座に名称変更)を振り出しに、名古屋、大阪の劇場で修行を積み、コロムビア・トップ・ライトの門下として、漫才「青空あれや・これや」で活躍。 1964年、「ナンセンストリオ」に加入。「親亀の背中に小亀を乗せて〜」「赤あげて! 白下げて!」などのギャグでトリオブームの頂点に立つ。
島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、… 島田 光二(しまだ こうじ、1936年4月12日 - )は、三重県四日市市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者。 四日市高校では3年次の1954年に夏の甲子園県予選を勝ち抜くが、三岐大会で森昌彦捕手を擁する岐阜高校に敗退、甲子園出場を逸する。高校同期にエースの巽一がいるほか、1年下の高橋正勝(巨人に入団)は、翌年夏の甲子園で主戦投手として初優勝している。 卒業後の1955年に近鉄パールスに入団し、1年目の同年から一軍出場。内野の準レギュラーが長かったが、1962年に一塁手の定位置を獲得し、規定打席(打率.278、18位)に到達。その後も内野全般をこなすユーティリティプレイヤーとして活躍し、通算1029試合に出場した。
瀬地山 敏(せちやま さとし、1936年4月12日 - )は… 瀬地山 敏(せちやま さとし、1936年4月12日 - )は、日本の経済学者。専門はケインズ経済学であるが、新古典派ではなくピエロ・スラッファを嚆矢とする現代ケンブリッジ学派に属する。京都大学経済学部長、総長特別補佐(副学長に相当)、鹿児島国際大学学長を歴任。京都大学名誉教授。2014年瑞宝中綬章受章。
平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日… 平井 弘(ひらい ひろし、1936年4月12日 - )は、日本の歌人。 岐阜県岐阜市生まれ。実家は金津の遊郭であったという。3歳のときに父を結核で亡くし、9歳で母も亡くし、祖母に育てられる。1944年に遊郭がまるごと岐阜市郊外の長森に移転して疎開するという経験をする。高校生のときに作歌を始め、1954年に新聞歌壇で高安国世に採用される。 1960年に小瀬洋喜が岐阜青年歌人会の機関誌として発行した同人誌「斧」の創刊メンバーとなり、2年ほど同誌に拠って活動。60年代の前衛短歌運動を牽引した。1961年に第一歌集『顔をあげる』を発表。その後しばらく歌作から離れるが、冨士田元彦のすすめで「現代短歌 雁」誌上にて復帰し、1976年に第二歌集『前線』を発表。
柳川 慶子(やながわ けいこ、本名;本郷 慶子、1936年〈… 柳川 慶子(やながわ けいこ、本名;本郷 慶子、1936年〈昭和11年〉4月11日 - )は、日本の女優。京都府京都市出身。 夫は俳優の本郷淳、息子は俳優の本郷弦。父は記録映画作家の柳川武夫、義父は本郷新。同志社大学文学部中退。 俳優座養成所第8期生(同期には水野久美、三木弘子、青樹知子がいた)。 1958年、岡本喜八監督にスカウトされて『結婚のすべて』でデビュー。同年、東宝へ入社。 1963年に東宝を退社すると、劇団雲を経て、1975年の演劇集団 円設立参加以来、同所に所属。 ※ 以下、公式ページを参照。
田中 尊(たなか たかし、1936年4月11日 - 2005… 田中 尊(たなか たかし、1936年4月11日 - 2005年5月12日)は、香川県高松市出身の元プロ野球選手(捕手)・コーチ。
和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 … 和田 誠(わだ まこと、1936年〈昭和11年〉4月10日 - 2019年〈令和元年〉10月7日)は、日本のイラストレーター、グラフィックデザイナー、エッセイスト、映画監督。大阪府生まれ。 実父は築地小劇場の創立者メンバーの1人で、のち、ラジオドラマを多数演出し「ラジオの神様」と呼ばれた和田精。日劇レビューで演出家を担った山本紫朗は伯父にあたる。 妻は料理愛好家・シャンソン歌手の平野レミ。長男はロックバンド・TRICERATOPSの和田唱で、その妻は上野樹里。次男の和田率は元電通勤務で、現在は母・平野レミの料理サイト「remy」のクリエイティブ・ディレクター。率の妻は和田明日香。 父である精が勤務していたJOBK(現在のNHK大阪放送局)の当時の赴任地である大阪市東住吉区で生まれる。
大久保 直彦(おおくぼ なおひこ、1936年(昭和11年)4… 大久保 直彦(おおくぼ なおひこ、1936年(昭和11年)4月10日 - 2014年(平成26年)5月25日)は、日本の政治家。 衆議院議員(7期)、公明党国会対策委員長、公明党書記長、参議院議員(1期)、公明党参議院議員団長、公明副代表などを歴任。 1936年4月10日、現在の東京都千代田区に生まれる。國學院大學久我山高等学校を経て、1959年(昭和34年)早稲田大学政治経済学部を卒業後、証券会社勤務を経て聖教新聞社に入社。民主音楽協会常務理事を歴任し、公明党員となる。 1969年(昭和44年)12月27日、第32回衆議院議員総選挙に旧東京4区から立候補して初当選した。以降、衆議院議員に連続7選。
加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10… 加地 伸行(かじ のぶゆき、1936年〈昭和11年〉4月10日 - )は、日本の中国哲学者。 大阪大学名誉教授、Z会顧問。号は孤剣楼。筆名は二畳庵主人。『漢文法基礎』の著者としても知られる。 大阪市出身。大阪府立北野高等学校を経て、1960年京都大学文学部卒業。卒業論文では『孝経』を扱う。1963年京都大学大学院修士課程修了。修士論文では『史記』を扱う。大学院在学中は重澤俊郎の指導を受ける。 1963年、高野山大学文学部講師。1968年、同助教授。1969年、名古屋大学文学部助教授。1972年から翌年まで、台湾淡江文理学院副教授を兼任。 1982年、大阪大学文学部助教授。同年、博士論文「『公孫龍子』の研究」で東北大学文学博士(主査は金谷治)。
山野 博大(やまの はくだい、1936年(昭和11年)4月1… 山野 博大(やまの はくだい、1936年(昭和11年)4月10日 - 2021年(令和3年)2月5日)は、日本の舞踊評論家。 東京都生まれ。日本のバレエ創生期のスターで、『白鳥の湖』全幕を最初に踊った松尾明美(1919~2013年)に憧れて舞踊の世界に入る[要出典]。慶應義塾大学法学部在学中から新聞や雑誌等に公演批評、作品解説等を執筆するようになった。1959年、慶應義塾大学法学部卒業。1960年、他の批評家、舞踊家らと「二十世紀舞踊の会」を立ち上げる。この会では、うらわまこと、池宮信夫、市川雅などの若手批評家たち、小杉武久らのグループ音楽、そしてさまざまな分野の舞踊家が、新しい表現を追求していたモダンダンスの邦千谷のスタジオに集まって、舞踊やパフォーマンス、トーク、シンポジウムなどを行った。
久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 202… 久保 武士(くぼ たけし、1936年4月10日 - 2025年11月22日[要出典])は、日本の医学者・産婦人科医。筑波大学名誉教授。 専門は産婦人科学。医学博士(東京大学・1968年)。 東京大学附属病院助手・筑波大学臨床医学系産婦人科教授・筑波大学臨床医学系長・龍ケ崎済生会病院初代院長を歴任した。 香川県善通寺市生まれ。善通寺第一高校卒業。 専門は産婦人科学であり、周産期医学、産婦人科ME、新生児・産婦人科疫学、計量診断学などの研究に従事。筑波大学教授として産科医療に従事する他、茨城県周産期医療体制の構築にあたり、母胎搬送等の基準の作成や運用に関する中心的役割を果たした。 1992年から2000年まで日本産婦人科学会茨城地方部会会長を務め茨城県の産科学、婦人科学の進歩・発展に寄与。
寺内 弘子(てらうち ひろこ、1936年〈昭和11年〉4月9… 寺内 弘子(てらうち ひろこ、1936年〈昭和11年〉4月9日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属。参議院議員(1期)を歴任。 山形県山形市出身。1953年山形市立第二中学校卒。生長の家に入り、国会議員秘書や生長の家政治連合本部婦人青少年問題対策部長などを務める。1983年の第13回参議院議員通常選挙で比例区から自民党公認で立候補したが落選。1986年に藤井裕久の衆院選出馬に伴い繰り上げ当選した。1988年竹下改造内閣で沖縄開発政務次官に就任。翌1989年の宇野内閣でも留任した。同年の第15回参議院議員通常選挙で落選。1993年の第40回衆議院議員総選挙で埼玉5区から無所属で出馬したが落選した。
青木初夫(あおき はつお、1936年4月8日 - 2022年… 青木初夫(あおき はつお、1936年4月8日 - 2022年4月11日)は、日本の実業家。元アステラス製薬株式会社代表取締役会長。 群馬県出身。群馬県立渋川高等学校を経て、1960年に東京大学農学部農芸化学科を卒業。同校で1963年に農学修士、1972年に農学博士。研究畑出身であるが、米国支社社長などを経て、1999年藤沢薬品工業の社長に就任。山之内製薬との合併に踏み切り、2005年アステラス製薬を誕生させた。 2022年4月11日午前6時16分、膵臓がんのため死去。86歳没。
巽 一(たつみ はじむ、1936年4月8日 - )は、三重県… 巽 一(たつみ はじむ、1936年4月8日 - )は、三重県多気郡宮川村(現・大台町)出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ。 四日市高校では1954年にエースとして春季中部大会決勝に進み、岡崎高の河井学(のち毎日オリオンズ)と投げ合うが惜敗。同年夏の甲子園三重県予選も勝ち抜くが、三岐大会準決勝で森昌彦のいた岐阜高に敗退し、甲子園には届かなかった。高校同期に島田光二がいた。四日市高校は翌1955年に左腕エース高橋正勝を擁し、夏の甲子園で優勝している。 卒業後は慶應義塾大学へ進学。東京六大学野球リーグでは、1956年秋季リーグで衆樹資宏・中田昌宏らの強力打線に援護され、エースの林薫との二本柱で優勝を果たす。
見乗 敏茂(みのり とししげ、1936年4月8日 - )は、… 見乗 敏茂(みのり とししげ、1936年4月8日 - )は、愛媛県出身の元プロ野球選手。
古屋 健三(ふるや けんぞう、1936年4月8日 - )は、… 古屋 健三(ふるや けんぞう、1936年4月8日 - )は、日本のフランス文学者、文芸評論家、作家、慶應義塾大学名誉教授。 東京生まれ。慶應義塾大学文学部仏文科卒。フランス・グルノーブル大学に留学、博士号取得。慶大文学部助教授を経て教授、2002年に定年退職し名誉教授。 文芸評論家としても、主として内向の世代の作家を論じ、「三田文学」編集長も務めた。60歳になるまで著書を出さない方針だったが、それ以後は旺盛な執筆活動に入り、小説も著した。 この項目は、文人(小説家・詩人・歌人・俳人・著作家・作詞家・脚本家・作家・劇作家・放送作家・随筆家/コラムニスト・文芸評論家)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:文学/PJ作家)。
小松 範任(こまつ のりひで、1936年〈昭和11年〉4月8… 小松 範任(こまつ のりひで、1936年〈昭和11年〉4月8日 - 2018年〈平成30年〉2月22日)は、日本のテレビドラマ監督・脚本家。 香川県高松市出身。声優の小松由佳は娘。DTMerのfkomは息子。 幼少期から榎本健一(エノケン)のファンで、本人曰く、その幼い頃から劇場に行ってエノケンの映画を観て育って来たとのこと。地元・高松では無料だったこともあって東宝の映画をよく観ていたという。早稲田大学第一文学部仏文科卒業を控えた就職試験の時に、映画会社では東宝は縁故のコネが無いと受験できなかったということで、これしか募集が無かった東映を受験、しかし当時東映作品と言えばチャンバラの剣劇以外の作品を知らなかったので、口頭試問の時に困ったという。
岩崎 泰頴(いわさき やすひで、1936年4月7日 - )は… 岩崎 泰頴(いわさき やすひで、1936年4月7日 - )は、日本の地球科学者(男性)。専門は、地質学・古生物学。学位は、理学博士(東京大学・論文博士・1966年)(学位論文「The Shiobara-type molluscan fauna : an ecological analysis of the fossil molluscs(塩原型貝類動物群 : 化石貝類の古生態学的解析)」)。熊本大学名誉教授。 三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の曾孫として生まれた。祖父・康弥は弥太郎の三男で元東京毛布(現・イチカワ)取締役。祖母・としは慶應義塾医学所初代校長・松山棟庵の四女で岩崎康弥に嫁いだ。父・精一郎は康弥・とし夫妻の長男で元三菱銀行員。
佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日… 佐々木 元(ささき はじめ、1936年〈昭和11年〉4月6日 - 2022年〈令和4年〉6月21日)は、日本の実業家。元NEC代表取締役会長。位階勲等は従四位旭日重光章。 1936年(昭和11年)4月6日に愛知県名古屋市で出生。父は佐々木直(第22代日本銀行総裁)で、父が日本銀行名古屋支店勤務の時に出生し、2歳まで名古屋で過ごした。祖父は佐々木藤太郎(朝鮮総督府官僚)。 東京都杉並区立第七小学校から、中高一貫校の成蹊中学校・高等学校へ進学し、卒業。 1959年に東京大学工学部電気工学科卒業後、東京大学大学院数物系研究科で修士課程修了。 1961年4月に日本電気に入社し、1999年に代表取締役会長となる。
大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6… 大輪 靖宏(おおわ やすひろ、1936年(昭和11年)4月6日 - )は、日本の俳人・日本文学研究者。専門は日本近世文学。上智大学名誉教授。公益社団法人日本伝統俳句協会副会長、国際俳句交流協会常務理事、慶大俳句丘の会会長、横浜俳和会顧問、和の句会主宰。 東京府東京市蒲田区生まれ。山梨県、福岡県、大阪府で育ち、大阪府立豊中高等学校を経て、1960年、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。同年、日本テレビに入社するも退職し、1961年、慶應大学大学院文学研究科国文学専攻に進学。1968年、博士課程単位取得満期退学。1970年、同大学附属研究所国際センター専任講師、1973年、上智大学文学部専任講師、1974年、助教授、1981年、教授。
榎本 英雄(えのもと ひでお、1936年4月6日 - )は、… 榎本 英雄(えのもと ひでお、1936年4月6日 - )は、日本の中国語学者、明治学院大学名誉教授。 東京生まれ。1960年東京外国語大学中国語科卒業。1979~1981年上海復旦大学に研究留学。明治学院大学助教授を経て、教授、2016年定年、名誉教授。1981~2001年「NHKテレビ中国語会話」講師。2004年10月~2005年3月「NHKテレビ中国語講座」担当。
黒﨑 晏夫(くろさき やすお、1936年(昭和11年)4月6… 黒﨑 晏夫(くろさき やすお、1936年(昭和11年)4月6日 - 2017年(平成29年)7月23日) は、日本の機械工学者。工学博士。東京工業大学名誉教授。元プラスチック成形加工学会会長。 満洲国生まれ、岡山育ち。1960年東京工業大学理工学部機械工学課程卒業。東京工業大学サッカー部出身。1962年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻修士課程修了。1965年東京工業大学大学院理工学研究科機械工学専攻博士課程修了、工学博士、東京工業大学助手。1974年東京工業大学助教授。パデュー大学留学を経て、1982年東京工業大学教授。1988年日本機械学会熱工学部門長。 1997年定年退官、東京工業大学名誉教授、電気通信大学知能機械工学科教授。
中村 凪子(なかむら なぎこ、1936年4月6日 - )は、… 中村 凪子(なかむら なぎこ、1936年4月6日 - )は、日本の翻訳家。 東京出身。早稲田大学文学部美術史学科卒。英米の若者向け小説、児童文学、動物関連のノンフィクションなどの翻訳を主として行う。
志村 正道(しむら まさみち、1936年(昭和11年)4月5… 志村 正道(しむら まさみち、1936年(昭和11年)4月5日-2017年(平成29年)7月23日)は、日本の情報工学者。位階は従四位。 情報工学、特に人工知能や機械学習の分野における研究の発展に貢献を果たした。 東京都世田谷区出身。東京工業大学名誉教授、東京都市大学名誉教授。人工知能学会第四代会長、全国理工系情報学科協議会会長、大学評価・学位授与機構審査会専門委員、文部省教科用図書検定調査審議会調査員、文部省私立大学研究設備費等補助金選定委員、日本学術会議情報工学研究連絡委員会委員、新エネルギー産業技術総合開発機構全国地熱資源総合調査委員等の要職を歴任。また情報通信分野において顕著な功績のあった者を顕彰する大川出版賞の審査委員を長年務めた(1992年 - 2017年)。
鈴木 寛一(すずき かんいち、1936年(昭和11年)4月5… 鈴木 寛一(すずき かんいち、1936年(昭和11年)4月5日 - 2020年(令和2年)4月6日)は、日本の声楽家(テノール)、音楽教育者。妻は元うたのおねえさんの中川順子。 大阪生まれの京都育ち。1959年(昭和34年)東京藝術大学卒業。長坂好子、ロドルフォ・リッチに師事。はじめは古典と宗教音楽の研究及び演奏から活動を開始したという。1959年(昭和34年)捜真女学校の音楽教師に着任。同時に岩城宏之の推薦でモーツァルト『ドン・ジョヴァンニ』ドン・オッタヴィオでオペラ界にデビュー。以来、プリモテノールとして数多くの舞台を経験。1977年(昭和52年)ウィーンに留学。海外ではリリー・コラーに師事。
鈴木 徹(すずき とおる、1936年4月4日 - 2004年… 鈴木 徹(すずき とおる、1936年4月4日 - 2004年12月22日)は、宮城県大崎市古川(旧・古川市)出身のプロ野球選手・審判員。 宮城県大崎市古川(旧・古川市)の古川高校を卒業後、1955年に内野手として大洋ホエールズに入団。同期に伊藤春男がいる。一軍出場のないまま引退し、1963年にセ・リーグ審判員に転じる。1963年~1993年まで31年間審判員を務め、2539試合に出場したのち、1993年シーズン終了後引退。また、1992年から1993年までは審判部主任を務めた。審判員袖番号は17。 日本シリーズの出場はないが、オールスターは4回出場、1992年第2戦(7月19日・千葉マリンスタジアム、ヤクルトの古田敦也がオールスター史上初のサイクルヒットを達成した試合)では右翼線審、出身地(宮城球場)での開催となった第3戦では球審を務めた。
若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、1936年4月4日 - 没… 若ノ國 豪夫(わかのくに たけお、1936年4月4日 - 没年不明)は、岐阜県海津郡南濃町(※現役当時、現在の同県海津市)出身で花籠部屋(入門時は芝田山部屋)に所属した元大相撲力士。本名は伊藤 照夫(いとう てるお)。現役時代の体格は181cm、125kg。得意手は右四つ、突っ張り、寄り。最高位は東前頭8枚目(1960年7月場所、1963年7月場所など)。 16歳の時、元前頭3枚目・大ノ海が率いる芝田山部屋に入門し、1953年3月場所で初土俵を踏んだ(その後、師匠の年寄名変更に伴い、同年5月より所属の部屋名が花籠部屋となる)。 2年近く幕下10枚目以内にあって足踏みをしたが、四股名を「照錦」から「若乃國」に改めた1959年1月場所では東幕下2枚目で7勝1敗と大きく勝ち越し、翌3月場所で十両に昇進。
御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - … 御法川 英文(みのりかわ ひでふみ、1936年4月3日 - 2003年4月24日)は、日本の政治家。自由民主党衆議院議員を4期務めた。秋田県仙北郡田沢湖町(現・仙北市)出身。秋田県立大曲農業高等学校を経て明治大学政治経済学部卒業。衆議院議員・御法川信英は長男。 自由民主党職員を経て、1975年に仙北郡選挙区から秋田県議会議員に初当選。3期務めた後、衆議院議員選挙に立候補。2度目の立候補となる1990年の第39回衆議院議員総選挙で初当選。1996年の総選挙以降は、自民党の村岡兼造衆議院議員とコスタリカ方式で比例区と小選挙区から2回おきに交互に立候補することで合意し、中選挙区(旧秋田2区)時代2期、比例選出2期を含め連続4期当選。
佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 … 佐善 明(さぜん あきら、1936年〈昭和11年〉4月3日 - 1991年〈平成3年〉3月23日)は、日本の洋画家。千葉大学工学部工業意匠学科教授。 新潟県新潟市東大畑通(現 新潟市中央区東大畑通)出身。1955年(昭和30年)3月に新潟高等学校を卒業、1960年(昭和35年)3月に新潟大学教育学部芸能科絵画科を卒業、4月から千葉大学工業短期大学部工業意匠科で教務員として勤務。 1976年(昭和51年)10月に文化庁芸術家在外研修員としてアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校とマサチューセッツ工科大学で客員研究員として研修。 1985年(昭和60年)10月に文部省在外研究員として再びアメリカに渡り、1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校芸術学部デザイン科で客員教授として勤務。
金谷 浩一郎(かなや こういちろう、1936年4月3日 - … 金谷 浩一郎(かなや こういちろう、1936年4月3日 - 2005年1月25日)は、日本の経営者。同和鉱業社長を務めた。 熊本県出身。1960年に東京大学工学部鉱山学科を卒業し、同年に同和鉱業に入社。1989年6月に取締役に就任し、1993年6月に常務、1997年6月に専務を経て、1998年6月に副社長に就任し、1999年4月には社長に昇格。2002年4月に会長に就任。 2001年4月に藍綬褒章を受章。 2005年1月24日に心不全のために死去。68歳没。 この項目は、実業家に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:経済学、PJ:経済)。
西村 昭夫(にしむら あきお、1936年4月3日 - 199… 西村 昭夫(にしむら あきお、1936年4月3日 - 1992年9月22日)は、日本のサクソフォーン(テナー・サックス)奏者。 高知県土佐清水市三崎平の段出身。4人きょうだい(男2・女2)の末っ子(次男)として生まれる。両親は音楽を愛好し、宴の席では母が三味線、父が歌をよく歌ったという。幼少期はアコーディオンを演奏していた。 早稲田大学に進学。在学中は相撲部に所属し、全国学生選手権で2位となった経験を持つ。1959年、東京でプロの音楽活動を開始。同年7月に発売された水原弘の「黒い花びら」(第1回日本レコード大賞受賞)にはテナー・サックスで伴奏に参加。当時は原信夫率いる「シャープスアンドフラッツ」に所属していた。
田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017… 田中 和男(たなか かずお、1936年4月3日 - 2017年7月8日)は、福井県出身の日本の編集者。 福井県武生市に生まれる。1955年(昭和30年)、武蔵野美術大学に入学するが学校の方針に反発し中退。その後日本文学学校で文章の基礎を学び、平凡社の雑誌『太陽』など多くの編集の仕事に携わる。 1968年(昭和43年)、自身の他にデザイナー、カメラマンらと編集プロダクション「ル・マルス」を設立し、富士ゼロックスの発行するPR誌『グラフィケーション』の編集を始める。以降、48年にわたり同誌の編集責任者を務めた。 2017年(平成29年)7月8日、大腸癌により死去。享年81歳。 美術評論家の藤枝晃雄、直木賞作家の有明夏夫とは勝山精華高等学校(現福井県立勝山南高等学校)時代の同窓。
今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 … 今野 勉(こんの つとむ、1936年(昭和11年)4月2日 - )は、日本の演出家、プロデューサー、脚本家、実業家。文化功労者。 株式会社東京放送での勤務を経て、株式会社テレビマンユニオン取締役、武蔵野美術大学造形学部教授などを歴任した。 秋田県河辺郡仁井田村(のちの秋田市)出身。4歳から高校卒業まで北海道夕張市で育つ。今野の小学生時代は終戦直後の混乱期で、教育も大きな変遷の時を迎えていた。特にレコードを使用した国語の授業や、誰かが読んだ詩を皆んなでリフレインしたりする全く新しい形式による教育を自著、今野勉のテレビズム宣言においてこう回想している。『ア、人生っていうのは、相当自由にやって許されるんだなっていうのが突然わかった。
瀬谷 俊雄(せや としお、1936年〈昭和11年〉4月2日 … 瀬谷 俊雄(せや としお、1936年〈昭和11年〉4月2日 - 2025年〈令和7年〉3月11日)は、日本の銀行家。位階は従四位。 東邦銀行頭取、地域経済活性化支援機構社長、全国地方銀行協会会長、福島商工会議所会頭などを務めた。 福島県白河市出身。東邦銀行の前身となる白河瀬谷銀行の創業家に生まれ、福島県立白河高等学校、慶應義塾大学経済学部を卒業。 父・誠一と祖父に渋沢栄一の銀行だからと勧められ、第一銀行に入行。枢要店である虎ノ門支店長を務め、当時の東邦銀行頭取の内池佐太郎から請われ、1986年(昭和61年)に東邦銀行に転じ、常務取締役に就任した。 副頭取を経て1990年(平成2年)から2007年(平成19年)まで17年間にわたって、頭取を務め、県内金融、経済業界を牽引。
中尾 哲雄(なかお てつお、1936年4月2日 - )は、日… 中尾 哲雄(なかお てつお、1936年4月2日 - )は、日本の実業家。インテック社長、インテックグループCEO、カターレ富山代表取締役社長、ITホールディングス会長を歴任。 富山県魚津市出身。高校3年のときに結核にかかり、大学進学を志して上京するも喀血して帰郷せざるを得なかった。富山大学経済学部卒業後、証券会社に入り、不二越の創業者井村荒喜の紹介で富山商工会議所に入所。課長時代に、金岡幸二のコンピュータ会社創立に加わり、地元企業への根回しを担当する。金岡急逝後、インテックの社長に就任。 アイザック最高顧問、北国インテックサービス相談役、マイテック相談役、富山経済同友会特別顧問のほか、社団法人テレコムサービス協会会長、富山県とやま起業未来塾塾長、富山県公安委員会委員長を歴任。
岩崎文哉(いわさき ふみや、1936年 <昭和11年> 4月… 岩崎文哉(いわさき ふみや、1936年 <昭和11年> 4月1日 - 2024年 <令和6年> 11月18日)は日本の大蔵官僚。血液型は型。国際金融局総務課長、神戸税関長、大臣官房審議官(国際金融局担当)、国際金融局次長、印刷局長などを歴任した。位階は従四位。 東京府東京市杉並区出身(父は福島県、母は岡山県)。東京都立新宿高等学校、東京大学経済学部経済学科卒業。1959年4月 大蔵省に入省。銀行局金融制度調査官付。1966年7月 八王子税務署長。課長補佐時代は主に国際金融局で勤務。1983年6月 国際金融局総務課長。1984年6月 神戸税関長。1985年6月 大臣官房審議官(国際金融局担当)。1987年6月 国際金融局次長。
静田 靖(しずた やすし、1936年4月1日 - )は、日本… 静田 靖(しずた やすし、1936年4月1日 - )は、日本の数理科学者・物理学者。奈良女子大学・大阪工業大学元教授。理学博士(京都大学)。元京都大学数理解析研究所研究員。 専門は、数理科学・物理学・量子アルゴリズム、数値解析/数値シミュレーション。 1959年京都大学理学部物理学科卒業。1961年同大学大学院理学研究科物理学専攻修士課程修了。1965年同大学大学院理学研究科博士課程修了、理学博士(京都大学)。京都大学数理解析研究所研究員などを経て、1986年奈良女子大学理学部教授。1999年大阪工業大学情報科学部教授。2002年同学部情報科学科(現:情報知能学科)教授。2006年大阪工業大学退職。
若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年〈昭和11年〉4月1… 若松 孝二(わかまつ こうじ、1936年〈昭和11年〉4月1日 - 2012年〈平成24年〉10月17日)は、日本の映画監督・映画プロデューサー・脚本家。宮城県出身。本名は伊藤孝(いとう たかし)。 宮城県遠田郡涌谷町出身。父親は馬喰で獣医師をしていたが大酒飲みで、孝は幼いときからこの父に反抗しながら育った。農業高校二年時中退、家出し上京。職人見習いや新聞配達、新宿安田組の大幹部だったヤクザ(荒木恷)の下働きなどを経験。1957年、チンピラ同士のいざこざから逮捕され、半年間、拘置所に拘禁され執行猶予付の判決を受ける(その時の経験により後に監督デビュー作の『甘い罠』は“警官を殺すために映画監督になった”と豪語した通りに警官殺しの映画になっている)。
鈴木 邦芳(すずき くによし、1936年4月 - )は、日本… 鈴木 邦芳(すずき くによし、1936年4月 - )は、日本の警察官僚。元中国管区警察局長。 福島県会津出身。1956年皇宮巡査となり、皇宮護衛官を務めながら中央大学法学部(夜間部)で学んだ。 中央大学法学部卒業後、1962年警察庁入庁。入庁同期に、亀井静香、井上幸彦、金田雅喬(内閣情報調査室長)、有馬浩一郎(四国管区警察局長)、古川定昭(中部管区警察局長)、望月秀一(科警研総務部長)など。1962年入庁組は、ノンキャリア警察官から転身した者、民間企業から転身した者など異色な人材が揃っていた。 入庁後は、刑事畑を長く歩んだ。神奈川県警察本部刑事部長時代には、現職警部による職安法違反容疑女性への覚醒剤注射事件など相次ぐ警察官による犯罪への対応に追われ、大阪府警察本部刑事部長時代には、グリコ・森永事件が発生し、任期の大半を事件に費やすこととなった。
清家 新一(せいけ しんいち、1936年(昭和11年)4月[… 清家 新一(せいけ しんいち、1936年(昭和11年)4月[要出典] - 2009年(平成21年)12月30日)は、日本のUFO研究家。 愛媛県宇和島市出身。東京大学理学部大学院修了後、茨城大学機械工学や愛媛帝京短期大学物理学教室で教鞭を取る。本人の弁によれば、学生時代に火星人の女性からのラブレターを受け取ったという。1969年(昭和44年)に「超相対性理論」を発表し、1973年(昭和48年)に宇和島市長堀、三島神社下に「重力研究所」(現「宇宙研究所」・同市、野川)を設立してUFO研究や宇宙人の研究に本格的に取り組む。重力消滅の実験、「空飛ぶ円盤」の試作やタイムマシンの理論と試作、重力子反応炉などの研究に取り組み、完成間近であるかのようなタイトルの著作を何冊も刊行と論文発表したが、未だに完成はしていない。
毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 … 毒蝮 三太夫(どくまむし さんだゆう、1936年3月31日 - )は、日本の俳優、タレント、ラジオパーソナリティ。まむしプロダクション所属。本名及び旧芸名:石井 伊吉(いしい いよし)。。愛称は「まむちゃん」「まむし(さん)」。 江戸弁の要素がみられる話し方が特徴的な東京・浅草育ちの俳優で、1969年から開始した『ミュージックプレゼント』(TBSラジオ)の中継先レポーターとして長年活躍し、聴衆一人一人に語りかける際の愛のある悪口が人気を呼び、長寿番組となった。 関東地方では高い知名度を誇るラジオスターの一人である。 聖徳大学短期大学部客員教授も務める。 大工の息子として大阪市住吉区に生まれたが、生後3カ月で東京市荏原区中延(現:東京都品川区中延)に転居。
上坂 吉則(うえさか よしのり、1936年3月31日 - 2… 上坂 吉則(うえさか よしのり、1936年3月31日 - 2019年7月20日)は、日本の情報工学者。東京理科大学名誉教授。元山梨英和大学副学長。元視聴覚情報研究会会長。 1959年名古屋工業大学工学部電気工学科卒業、NHK放送科学基礎研究所入所。1970年東北大学工学博士。1973年金沢大学工学部教授。1979年東京理科大学工学部情報科学科教授。退職後、東京理科大学名誉教授、山梨英和大学教授、山梨英和大学副学長、山梨英和大学特任教授、山梨英和大学顧問、山梨英和大学非常勤講師を歴任。1993年から2001年まで視聴覚情報研究会会長。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - … 田原 藤太郎(たはら とうたろう、1936年3月30日 - 2018年12月30日)は、北海道札幌市出身のプロ野球選手(投手)。兄は、元プロ野球選手の田原基稔。 兄の影響で野球を始め、北海高では、1年夏の甲子園に控え投手としてベンチ入りするなど将来を嘱望された。2年次からエースとなるが、1952年夏の北海道大会では、1回戦で太田侃(元近鉄)・橋本力(元毎日)・渡部久仁男(元巨人)らを擁する函館西高に0対10と7回コールド負けを喫する。以後は当時の監督であった筧智の指示で、1日800球の投げ込みや走り込み、100本ノックなどの猛練習でスタミナをつける。同年の秋季大会では、決勝で再び函館西高と顔を合わせるが、8対1で快勝して雪辱を果たし、翌1953年の選抜出場を果たす。
志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は… 志方 俊之(しかた としゆき、1936年3月30日 - )は、日本の防衛評論家、帝京大学名誉教授、星槎大学客員教授、元陸上自衛官(最終階級:陸将)。工学博士(京都大学、1968年)。 静岡県浜松市出身。金沢大学附属高等学校、防衛大学校本科(土木工学専攻)を卒業(第2期)。京都大学大学院工学研究科博士課程修了(工学博士)。 岩見沢駐屯地第102施設大隊長(1974年3月16日~1976年3月24日)、アメリカ陸軍戦略大学研究員、在米国大使館防衛駐在官、陸上幕僚監部人事部長、第2師団長、防衛大学校幹事、北部方面総監などの要職を歴任する。北部方面総監在任中の1991年には陸上自衛隊としては初の方面隊規模の災害対処訓練「ビッグレスキュー'91」を統裁した。
原 貢(はら みつぐ、1936年〈昭和11年〉3月30日 -… 原 貢(はら みつぐ、1936年〈昭和11年〉3月30日 - 2014年〈平成26年〉5月29日)は、佐賀県神埼郡三田川町(現:吉野ヶ里町)出身のアマチュア野球監督・社会人野球選手。東海大学硬式野球部名誉総監督。 長男は元プロ野球選手・監督の原辰徳。孫(長女の長男)はプロ野球選手の菅野智之。 佐賀県立鳥栖工業高校卒業、立命館大学中退。社会人野球の東洋高圧大牟田を経て、福岡県立三池工業高等学校野球部監督に就任。1965年に無名校を初出場にして夏の甲子園大会の優勝へと導き、三池工フィーバーを起こした。 その後、三池工での戦いぶりと原の生き様に感銘を受けた東海大学の創設者:総長松前重義の招きで1966年12月9日に大牟田を発ち、翌10日に神奈川県着。
藤崎 康夫(ふじさき やすお、1936年3月30日 - )は… 藤崎 康夫(ふじさき やすお、1936年3月30日 - )は、日本の評論家、移民史研究者、児童文学作家。 ブラジル日本語新聞「ニッケイ新聞」(旧名パウリスタ新聞)東京支社名誉支社長。雑誌『児童文学』編集長。 熊本県生まれ。1944年朝鮮から引き揚げ。1958年熊本大学教育学部理科学科卒業。天草、東京で中学校教師等を経て、著作活動へ。南米の日本人移民の調査などを行った。 第17回日本児童文芸家協会賞受賞。弟子に奥野修司などがいる。