倉澤 行洋(くらさわ ゆきひろ、1934年3月15日 - 2… 倉澤 行洋(くらさわ ゆきひろ、1934年3月15日 - 2023年1月21日)は、日本の哲学者、宗教学者。神戸大学名誉教授。元宝塚大学教授。 1956年京都大学文学部哲学科卒。1962年、京都大学大学院文学研究科(宗教学)を修了後、神戸大学国際文化学部教授。神戸大学定年退官後は宝塚大学教授。 初めドイツ哲学を専攻していたが、のちに日本の藝道研究に携わる。京都学派の哲学者、久松真一に師事。主著『藝道の哲学』では歌、能、茶道などの諸藝道に通じる稽古論・求道論を整理・体系化した。日本宗教学会理事、茶の湯文化学会会長、心茶会会長等を歴任。号は無庵。
桜井 順(さくらい じゅん、1934年3月14日 - 202… 桜井 順(さくらい じゅん、1934年3月14日 - 2021年9月25日)は、日本の作曲家、作詞家。東京都(麻布)出身。本名は櫻井 峯夫(さくらい みねお)。作詞の際のペンネームに「水木 ひろし(みずき ひろし)」「能 吉利人(のう きりひと)」。櫻井 順と表記される場合もある。 曾祖父(父方の祖母の父)は貴族院議員・慶應義塾長を務めた小幡篤次郎。父方の祖父は三井物産砂糖部長・三越常務取締役・二幸取締役などを歴任した櫻井信四郎。幼稚舎(小学時代)より慶應義塾に学び、慶應義塾大学経済学部を卒業。祖父、父、自身と3代続けて幼稚舎〜経済(理財)を卒業した。 慶應義塾大学経済学部卒業。就職先が決まった頃には朝日放送主催の『ABCミュージカルスポット・コンクール』に応募し、2位に入賞していた(1位は越部信義)。
志垣 澄幸(しがき すみゆき、1934年3月14日 - )は… 志垣 澄幸(しがき すみゆき、1934年3月14日 - )は、日本の歌人。現代歌人協会会員。 台湾台北州台北市生まれ。敗戦後に引き揚げて、母の故郷である宮崎県西都市妻に移住。宮崎大学教育学部卒業後、教職に就く。宮崎県立小林高等学校、宮崎県立宮崎大宮高等学校など県内の公立中高校に勤務。退職後も私立高校に勤め、宮崎第一高等学校校長。 20代で個人誌「丸木舟」を創刊、一人で作歌していた。やがて仲間を得て同人誌に拠るが、1968年に「原型」に入会し斎藤史に師事する。1976年には発起人の一人として、伊藤一彦や浜田康敬らとともに現代短歌南の会を結成する。吉川宏志は宮崎大宮高校時代の教え子であり、京都大学に進学するにあたって永田和宏に紹介状を書いた。
鴨下 重彦(かもした しげひこ、1934年 <昭和9年> 3… 鴨下 重彦(かもした しげひこ、1934年 <昭和9年> 3月13日 - 2011年 <平成23年> 11月10日)は、日本の医学者。専門は小児科学。学位は、医学博士。東京大学名誉教授。国立国際医療センター名誉総長。北海道室蘭市出身。位階は正五位。
加藤 栄一(かとう えいいち、1934年3月13日 - )は… 加藤 栄一(かとう えいいち、1934年3月13日 - )は、元官僚の学者、筑波大学名誉教授。俳誌『樹』主催、俳名・国彦。教徒名はPeter Eiichi Kato。 大阪市生まれ。1958年国家公務員上級職合格。1959年東京大学法学部卒業、自治省に入り行政局等に勤務後、1973年より自治大学校教授。1976年総合研究開発機構(NIRA)主任研究員。東大、東京工業大学講師などを経て筑波大学社会工学系教授(都市行政・政策分析)、同国際関係学類第二代学類長。1997年の定年退官後は常磐大学教授。2007年退職。現在[いつ?]は統一教会系メディアの『世界日報』常連寄稿者、同じく世界平和教授アカデミーのオピニオン寄稿者でもある。
中山 吉一(なかやま よしかず、1934年3月13日 - 1… 中山 吉一(なかやま よしかず、1934年3月13日 - 1997年6月7日)は、日本の銀行家。 沖縄県出身。1957年に東京大学経済学部を卒業し、同年に琉球銀行に入行。1962年にはアメリカのミシガン州立大学経済学部を卒業。1974年に取締役に就任し、1979年6月に常務、1981年6月に専務を経て、1989年6月に副頭取に就任し、1993年6月には頭取に昇格。 1997年6月7日に悪性リンパ腫のために死去。63歳没。
今泉 健一(いまいずみ けんいち、1934年3月13日 - … 今泉 健一(いまいずみ けんいち、1934年3月13日 - 2018年12月23日)は、新潟県出身の元バスケットボール選手である。 明治大学卒業後、日本鉱業に入社。全日本チームに選ばれ、メルボルン・ローマの五輪2大会に出場した。 2005年、bjリーグ・新潟アルビレックスBBホーム開幕戦に来場(元新潟GMでbjリーグコミッショナーの河内敏光は明大の後輩に当たる)。 2006年から2010年まで明治大学校友会我孫子地域支部長を務めていた。 この項目は、バスケットボール関係者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:BASKET)。
米田 憲三(よねだ けんぞう、1934年(昭和9年)3月12… 米田 憲三(よねだ けんぞう、1934年(昭和9年)3月12日 - )は、日本の歌人、文学者、教育者。富山県歌人連盟名誉会長。1997年、「神苑の森厳寒」で第15回とやま文学賞を受賞。2004年、春の叙勲で瑞宝小綬章を受章。 教職の傍ら作歌を続け、越中万葉や富山県や石川県の郷土文学に関する調査研究に携わる。1962年、戦後歌壇を代表する女性歌人・齋藤史が設立した短歌結社「原型歌人会」にて、歌誌「原型富山」の創刊にかかわり、「原型歌人会」の活動に尽力。1968年に歌集『海蝕』でデビュー。代表作に歌集『ロシナンテの耳』(2004年、角川書店)、『風を抱く』(2024年、青磁社)、エッセイ集『風の落とし文』(2004年、短歌時代社)などがある。
神谷 聰一郎(かみや そういちろう、1934年3月12日 -… 神谷 聰一郎(かみや そういちろう、1934年3月12日 - 2022年5月11日)は、日本の銀行家。 東京都出身。1956年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、同年に静岡銀行に入行。1983年6月に取締役に就任し、1987年7月に常務、1991年6月に専務を経て、1993年9月に頭取に就任。1999年6月に会長に就任。 2013年4月に旭日中綬章を受章。 2022年5月11日、死去。88歳没。
星川順一(ほしかわ じゅんいち、1934年3月11日- )は… 星川順一(ほしかわ じゅんいち、1934年3月11日- )は、日本の経済学者、大阪市立大学名誉教授。 愛媛県松山市出身。1956年松山大学経済学部卒、1961年大阪市立大学大学院経済学博士課程満期退学、72年「価格体系と経済機構」で経済学博士。立命館大学講師、大阪市大経済学部助教授、教授を務める。97年定年退官、名誉教授、大阪経済法科大学教授。2014年退職。
渡邊 文麿(わたなべ ふみまろ、1934年3月11日 - 1… 渡邊 文麿(わたなべ ふみまろ、1934年3月11日 - 1990年3月7日)は、パーリ仏教研究者(Ph.D)である。 山口県小野田市に生まれる。高等学校を卒業後、龍谷大学文学部、龍谷大学大学院でパーリ仏教を学ぶ。1965年、カナダに留学し、トロント大学大学院に入学する。パーリ仏教研究者のA.K.WarderやH.Saddhatissaの指導を受け、1976年にPh.Dの学位を授与される。その後、近畿大学(言語学)の教授を経て、愛知学院大学文学部国際文化学科の教授となる。 また、1979年からPali Text Societyの日本代表を務め、海外の仏教研究者との交流にも力を注いだ。 1990年3月7日、胃ガンのため他界。
阿吾寿朗(あご じゅうろう、1934年3月11日 - 199… 阿吾寿朗(あご じゅうろう、1934年3月11日 - 1990年 没)は、漫才師、元吉本新喜劇の役者で一時は座長も務めた。本名:高橋享。 青森県十和田市生まれ、法政大学在学中に映画のエキストラを経験、役者になる為、大学を中退し晩年の榎本健一の元に弟子入り、あごぼん十の名で喜劇の舞台に立つ。喜劇役者のかたわらはせさん治と漫才を組む。1968年に角座に出演の為に来阪。1970年11月、吉本新喜劇に入団。翌年に阿吾十朗の名で準座長に昇進。1972年に座長に就任。1974年に座長の座を若い座員に譲る。1980年2月より今喜多代と組み漫才に復帰。その後コンビを病気の為に解消、引退した。後に通っていたスナックのママに看取られつつ死去。
椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 … 椙山 拳一郎(すぎやま けんいちろう、1934年3月10日 - 2015年4月)は、日本の俳優である。本名は杉山 健一郎(読み同じ)、初期芸名は杉山 健(すぎやま けん)、杉山 拳一郎(本名と読み同じ)。「椙山挙一郎」は誤り。 1934年(昭和9年)3月10日、東京府東京市芝区新橋(現在の東京都港区新橋)に生まれる。 1949年(昭和24年)4月、当時日本橋兜町にあり、戦後男女共学になった東京都立紅葉川高等学校に入学、1952年(昭和27年)3月、同校を卒業、同年4月に明治大学法学部に進学する。同学在学中は演劇活動を行っていたが、健康上の理由で満21歳になる1955年(昭和30年)に同学を中途退学した。
中本 忠子(なかもと ちかこ、1934年3月10日 - )は… 中本 忠子(なかもと ちかこ、1934年3月10日 - )は、日本の元保護司・ボランティア活動家・慈善家。食べて語ろう会理事長。居場所のない子供たちに約40年食事を振る舞う活動をしており、子ども食堂の元祖とされる。関わってきた子供たちから「ばっちゃん」と呼ばれ慕われている。 広島県の大柿町(現:江田島市)に生まれる。 1980年に保護司となる。この頃から、居住している広島市中区基町で、居場所のない子供たちに手料理を振る舞う活動を始める。保護司は2010年まで務めた。 2015年8月、「食べて語ろう会」を設立して理事長に就任。これまでの活動を「食べて語ろう会」で引き継ぐ。 2017年1月7日、NHKスペシャルにて『ばっちゃん〜子どもたちが立ち直る居場所〜』が放送される。
籠尾 良雄(かごお よしお、1934年3月10日 ‐ 200… 籠尾 良雄(かごお よしお、1934年3月10日 ‐ 2002年11月23日)は、日本の高校野球指導者。高知県出身。 高知県宇佐町(現在の土佐市)生まれ。土佐中学校・高等学校に進学。高校では野球部に入らず、溝淵峯夫監督からコーチ術を学び、休日に帰郷して宇佐中学校で教えていた。早稲田大学教育学部でも野球部に入らず森茂雄監督にコーチ術を学び、宇佐中学校野球部監督として指導していた。当時の教え子に片田謙二、横山小次郎、有藤通世、浜村孝、山下司、井本隆がいる。卒業後は帰郷して中学校教師となり、1963年に高知市立高知商業高等学校教諭に転じたが、野球部の部長しか空きがないため1学期で退職、母校の土佐高校教諭に転じた。
藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー(エイ)、本名:安孫子 … 藤子 不二雄Ⓐ(ふじこ・ふじお・エー(エイ)、本名:安孫子 素雄(あびこ もとお)、1934年3月10日 - )は、日本の漫画家。コンビ解消後は本名で紹介されることも多い。大垣女子短期大学客員教授。座右の銘は「明日にのばせることを今日するな」。血液型はA型。
和田 八束(わだ やつか、1934年3月10日 - )は、日… 和田 八束(わだ やつか、1934年3月10日 - )は、日本の経済学者。立教大学名誉教授。専門は、財政学・税制論。東京都生まれ。
石原 舜三(いしはら しゅんそう、1934年3月10日 - … 石原 舜三(いしはら しゅんそう、1934年3月10日 - 2020年3月2日 )は、日本の地球科学者。専門は鉱床学。理学博士(東京大学・論文博士・1970年)。 広島県安芸郡府中町生まれ。1956年に広島大学理学部地学科を卒業後、工業技術院地質調査所(地質調査総合センターの前身)に入所。ウラン探査プロジェクト担当となる。1963年アメリカ合衆国コロンビア大学にて斑岩モリブデン鉱床の研究で修士の学位取得。1970年東京大学より理学博士の学位を取得。学位論文の表題は、Molybdenum mineralization in Daito-Yamasa area, eastern Shimane Prefecture, Japan (島根県東部大東-山佐地域のモリブデン鉱化作用)。
中山 真彦(なかやま まさひこ、1934年3月10日 - 2… 中山 真彦(なかやま まさひこ、1934年3月10日 - 2018年9月23日)は、日本のフランス文学者、比較文学者、東京工業大学名誉教授。正しくは中山眞彦。 京城府(現・ソウル特別市)生まれ。本籍地佐賀県、後に東京都。東京大学文学部仏文科卒、1959年同大学院修士課程修了、同博士課程中退、1963年千葉大学文理学部助手、1968年東京工業大学助教授、教授、1991年定年前に退官、名誉教授、東京女子大学教授、2002年退任。1998年フランス政府から教育功労章を授与される。 フランス文学研究のほか、日本文学の仏訳についても研究。
梶川 孝義(かじかわ たかよし、1934年3月10日 - )… 梶川 孝義(かじかわ たかよし、1934年3月10日 - )は、日本の元競泳選手。早稲田大学出身。第15回ヘルシンキオリンピック競技大会代表選手選考会を兼ねた第28回日本選手権水泳競技大会の100m平泳ぎで優勝し、200m平泳ぎで3位となり、オリンピック代表選手に選出された。その後1952年ヘルシンキオリンピックの競泳競技・男子200m平泳ぎに出場し、5位入賞した。 日本選手権水泳競技大会においては、前述のように1952年の100m平泳ぎで優勝しているほか、1951年・53年の200m平泳ぎで優勝している。
奥田 陸子(おくだ りくこ、むつこ、1934年〈昭和9年〉3… 奥田 陸子(おくだ りくこ、むつこ、1934年〈昭和9年〉3月10日 - )は、日本の研究者。 東京府東京市淀橋区(東京都新宿区)百人町生まれ。富山大学薬学部専攻科修了。大学卒業後は研究員となる。 1960年(昭和35年)、結婚に伴い名古屋市に移住。翌年の1961年(昭和36年)から1963年(昭和38年)にはフランスに生物化学研究のために留学。帰国後すぐ双子を出産。子供をもうけたことにより、研究者としてのキャリアは断念するも、翻訳を生業とすることで薬学や生物化学との関係を継続することを選択する。また、子供の生育環境、また、それに関わるまちづくりの分野に興味をもつようになる。 奥田が居住したのは、名古屋市内とはいえ未だ人間の手が入っていない自然が残る地域であり、また公共図書館も近くにないような場所であり、「天白ミニ文庫」と称して自宅を開放する活動をはじめた。
脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016… 脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016年9月27日 )は、日本の歴史学者。滋賀県立大学名誉教授。文学博士(京都大学、1969年)(学位論文「中世商工業座の構造」)。兵庫県西宮市生まれ。父は俳人の麻野恵三(微笑子)、夫は歴史学者の脇田修。子は経済学者の脇田成。
別府 輝彦(べっぷ てるひこ、1934年3月9日 - 202… 別府 輝彦(べっぷ てるひこ、1934年3月9日 - 2023年11月10日)は、日本の応用微生物学者、東京大学名誉教授。位階は従三位。 東京府出身。1952年東京都立戸山高等学校卒業。1956年東京大学農学部農芸化学科卒業。1961年東京大学大学院化学系研究科農芸化学専門課程博士課程修了、農学博士。 1969年東京大学農学部助教授、1977年教授となり、1993年同大生物生産工学研究センター長を兼任。1994年定年退官、名誉教授、日本大学生物資源科学部教授。1996年、紫綬褒章受章。2006年総合科学研究所教授。1998年微生物機能の開発とその利用に関する基礎的研究で日本学士院賞(山田秀明との共同研究)。
石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) … 石川 佐智子(いしかわ さちこ、1934年3月9日 - ) は日本の教育評論家、政治運動家、右翼。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011… 千葉 卓朗(ちば たくろう、1934年3月8日 - 2011年5月31日)は、日本のフェンシング選手、指導者、政治家。宮城県本吉郡本吉町長(4期)。 宮城県本吉郡本吉町(現在の気仙沼市)津谷松岡出身。実家は味噌醤油で知られるカネセン徳田屋。宮城県仙台第一高等学校、明治大学卒業。 仙台一高ではフェンシング部を創設。大学時代には、全日本選手権エペ3位、フルーレ5位の成績を収めている。 1955年、宮城県鼎が浦高等学校フェンシング班コーチに就任。同校にフェンシング同好会を発足させた顧問と共に、鼎が浦高校を宮城県高校総体団体・個人優勝に、さらにインターハイ団体優勝、1958年には4連覇に導いた。教え子には1964年東京オリンピック出場の大和田智子などがいる。
町田 行彦(まちだ ゆきひこ、1934年3月8日 - 202… 町田 行彦(まちだ ゆきひこ、1934年3月8日 - 2025年9月22日)は、長野県長野市出身のプロ野球選手(外野手)・コーチ・監督。 長野北高校では、2年生次の1950年夏の甲子園予選信越大会決勝に進むが、松商学園に敗退し甲子園出場を逸する。同年の秋季北信越大会では優勝を飾るが、翌1951年春の選抜には選出されなかった。高校通算36本塁打。高校同期に松橋慶喜、1年下に山岸静馬がいた。 1952年に国鉄スワローズへ入団。入団後まもなく強肩を見込まれて、本来の守備位置である三塁手から外野手にコンバートされた。1953年には開幕から右翼手として起用され、7月には杉浦清に代わり初の四番打者も経験。1954年には初の規定打席(29位、打率.250)に達する。
宮尾 すすむ(みやお すすむ、1934年〈昭和9年〉3月8日… 宮尾 すすむ(みやお すすむ、1934年〈昭和9年〉3月8日 - 2011年〈平成23年〉7月12日)は、日本のタレント。本名は山口 進。 満洲国(現在:中国東北部)で生まれ、敗戦後は鹿児島県阿久根市へ引き揚げ、そこで青春時代を過ごす。鹿児島県立阿久根高等学校卒業。 鹿児島県川内市(現在:薩摩川内市)で洋服店を経営していたが(当時は、まだ珍しい月賦販売をしていた)、事業に失敗し倒産。その後、上京してデパートの紳士服売り場に勤め1969年に漫談家の宮尾たか志に師事。 森進一のショーなどで歌手の司会などを務めた後、タレントとしてテレビに進出しバラエティ番組の司会やリポーターなどの仕事を中心に活躍。特にフジテレビ系『スターどっきり(秘)報告』のレポーターとして一気に名を馳せた。
磯田 啓二(いそだ けいじ、1934年(昭和9年)3月8日 … 磯田 啓二(いそだ けいじ、1934年(昭和9年)3月8日 - 2019年(令和元年)11月12日)は、日本の映画プロデューサー。 京都府京都市出身。妻は映画プロデューサーの大西悦子(本名:磯田悦子)。 松竹京都撮影所、松竹大船撮影所を経てフリーランスとなり、個人事務所「株式会社磯田事務所」を設立。多数の映画・テレビドラマを手掛ける。 2019年(令和元年)11月12日午前3時8分、多臓器不全のため、東京都渋谷区の自宅で死去。85歳没。 この項目は、映画に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(P:映画/PJ映画)。
佐藤 俊夫(さとう としお、1934年〈昭和9年〉3月7日 … 佐藤 俊夫(さとう としお、1934年〈昭和9年〉3月7日 - 2019年〈令和元年〉5月18日)は、日本の会計学者、経済学者。元国士舘大学学長。会計学専攻。 群馬県前橋市出身。1957年3月、中央大学商学部卒業。1959年3月、青山学院大学大学院修了。 1964年4月より国士舘大学政経学部専任講師となり、1966年から助教授を経て、1973年より教授。1985年8月、政経学部長に就任。1991年12月より国士舘大学の学長に就任。国士舘短期大学学長を経て学校法人国士舘顧問を務めた。 2019年5月18日、心不全のため東京都内の自宅で死去。85歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
貞木 展生(さだき のぶお、1934年3月7日 - 2025… 貞木 展生(さだき のぶお、1934年3月7日 - 2025年6月12日)は、日本の経済学者、山口大学名誉教授。 山口県出身。山口大学経済学部卒。神戸大学大学院博士課程満期退学。1998年「所得循環と資金循環」で広島大学より経済学博士の学位を取得。山口大学経済学部助教授、教授、1997年定年退官、名誉教授、徳山大学経済学部教授。2004年退職。 2012年11月瑞宝中綬章受章。 2025年6月12日、山口市内で死去。91歳没。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
正木 久司(まさき ひさし、1934年3月7日 - 1995… 正木 久司(まさき ひさし、1934年3月7日 - 1995年6月17日)は、日本の経営学者。 兵庫県高砂市出身。1967年同志社大学大学院経済学研究科博士課程満期退学、1983年「日本の株式会社金融」で立教大学経済学博士。同志社大学商学部助教授、1975年教授となる。1995年6月17日、肝不全のため61歳で死去。
浅香 年木(あさか としき、1934年3月6日 - 1987… 浅香 年木(あさか としき、1934年3月6日 - 1987年4月25日)は、日本の歴史学者。 金沢市生まれ。1956年、金沢大学法文学部卒業。 高校教師を経て、1965年に国立石川工業高等専門学校講師、1971年に助教授、1980年に教授。1987年金沢女子大学教授。 日本古代・中世の手工業史と北陸地域史研究を専門とした。 1979年に「北陸古代史の研究」により、明治大学から文学博士の学位を授与される。
桑島 久男(くわしま ひさお、1934年3月6日 - )は、… 桑島 久男(くわしま ひさお、1934年3月6日 - )は、日本の実業家。名古屋テレビ放送社長を務めた。 神奈川県出身。1958年に早稲田大学第一政経学部新聞学科を卒業し、朝日新聞社に入社。西部本社編集局長、大阪本社編集局長、取締役、出版局長、常務を経て、1997年2月に全国朝日放送顧問に就任し、同年6月には専務に就任した。1998年3月から2004年6月までに名古屋テレビ放送社長を務めた。 2002年から2004年までに日本民間放送連盟副会長を務めた。 2005年11月に旭日中綬章を受章した。
伊藤武(いとう たけし、1934年3月5日 - 2020年7… 伊藤武(いとう たけし、1934年3月5日 - 2020年7月5日)は、日本の経済学者、大阪経済大学名誉教授。 宮城県仙台市生まれ。宮城県仙台第二高等学校卒、1957年東北大学経済学部卒、63年同大学院経済学研究科博士課程中退、84年「マルクス信用論の解明」で経済学博士。1963年大阪府立商工経済研究所所員、1968年大阪経済大学講師となり、72年助教授、81年教授。87-89年経済学部長を務め、2004年定年、名誉教授となる。
森 今日子(、1934年3月4日 - )は、日本の女優。大連… 森 今日子(、1934年3月4日 - )は、日本の女優。大連市(現中華人民共和国遼寧省)出身(後に東京都へ引き揚げ)。東京都立三田高等学校卒業。 東宝第5期ニューフェイスとしてデビュー。同期には平田昭彦や青山京子がいた。 1950年代には本名の森 啓子名義で活動していたが、1959年より森 今日子へ改名した。 東宝の俳優専属システム崩壊後も、1970年代前半まで活動していた。
森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 -… 森岡 賢一郎(もりおか けんいちろう、1934年3月4日 - 2018年8月19日 )は、日本の作曲家、編曲家。 熊本県八代市出身。熊本県立八代高等学校卒業。指揮を平井哲三郎、高階正光、ピアノをポール・ヴィノグラドフ、作曲を團伊玖磨にそれぞれ師事。 「君といつまでも」「恋のしずく」「ブルー・シャトウ」「今日でお別れ」で日本レコード大賞編曲賞を受賞。作・編曲の傍ら、映画やテレビ番組の音楽監督・プロデューサーとして活動。主な作品に、映画音楽「若大将シリーズ」「宇宙からのメッセージ」「山下少年物語」「典子は、今」など。 またカーティア・リッチャレッリのレコーディング、サルバトール・アダモのコンサートのプロデュースなど外人アーティストの音楽制作プロデュースも積極的に手がける。
奥本 英一朗(おくもと えいいちろう、1934年3月4日 -… 奥本 英一朗(おくもと えいいちろう、1934年3月4日 - 2014年4月4日)は、株式会社大和総研顧問、元日本証券業協会会長。 東京都に生まれ、東京都立青山高等学校、早稲田大学第一政治経済学部経済学科を経て1957年に大和証券に入社する。同代表取締役副社長を経て1989年に株式会社大和総研代表取締役社長、1996年に代表取締役会長となる。2000年7月からは日本証券業協会会長を務めた。 このほか、日本銀行参与、政府税制調査会特別委員、特定非営利活動法人エイプロシス理事長を歴任し、早稲田大学ファイナンス稲門会会長として後進の指導にも取り組んだ。 2007年、旭日重光章を受章。2014年4月4日午後7時、前立腺癌のため東京都内の病院で死去。
加藤 充(かとう みつる、1934年3月3日 - )は 東京… 加藤 充(かとう みつる、1934年3月3日 - )は 東京都生まれ、京都府育ちのベーシスト。通称「カッペちゃん」。サンズ・オブ・ウェストやザ・スパイダースのメンバーとして活動を行った。 マンドリンを嗜む母の影響でギター教室に通うも単調な練習に耐えられず挫折、その後独学で古賀メロディーなどを習得する。 その後ウェスタンミュージックに憧れて、同志社高校時代には同志社大学のカントリーバンド「ゲーリー石黒&サンズ・オブ・ウェスト」に欠員要員として参加、ギター・ベース・アコーディオンを担当し、米軍キャンプ廻りなどで鍛えられる。同志社で賛美歌に慣れ親しんでいたため、曲の構成やコードが似ているウェスタンミュージックの習得は容易だったという。
高森 泰男(たかもり やすお、旧姓:景山、1934年3月3日… 高森 泰男(たかもり やすお、旧姓:景山、1934年3月3日 - 2016年以前)は、岡山県出身のサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはFB。 関西高等学校時代の1951年に全国高等学校蹴球選手権大会(後の全国高等学校サッカー選手権大会)でベスト8進出。1952年に立教大学に入学。在学中の1953年には高林隆と共に日本学生選抜に選出され、第3回国際大学スポーツ週間(英語版)(ユニバーシアードの前身)に出場した。 大学2年次の1955年に日本代表に選出され、1月2日のビルマ(保健大臣チーム)戦で初出場を果たした。大学4年次の1956年にメルボルンオリンピック予選の日本代表に選出・出場し、同年11月の本大会にも出場した。
北野 タダオ(きたの タダオ、本名:北野董郎(きたの ただお… 北野 タダオ(きたの タダオ、本名:北野董郎(きたの ただお)、1934年3月3日 - 2018年10月3日)は、日本のジャズピアニスト。和歌山市出身。 中学校の頃から独学でピアノを学び、17歳のころ、ドラムの猪俣猛と、サックスの津田清とともに、ジーン・クルーパースタイルでトリオを編成、アメリカ軍のキャンプでジャズの演奏会を行った。高卒後、関西学院大学に進学。 大卒後も、関西を本拠地としてジャズピアニストとして活動し、1958年、大阪・キタのナイトクラブ・アローの専属ジャズバンド「北野タダオとアロージャズオーケストラ」を結成。リーダー兼ピアニストとして活動し、その卓越された演奏は関西屈指のビッグバンドとして知られ、ジャズの演奏の編曲は延べにして3000曲を超える。
坂出 祥伸(さかで よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月3日… 坂出 祥伸(さかで よしのぶ、1934年〈昭和9年〉3月3日 - 2020年〈令和2年〉6月10日)は、日本の中国哲学者。関西大学名誉教授、森ノ宮医療大学名誉教授。専門は中国哲学(近代思想)、道教、医学養生思想、占術(術数)。 1934年鳥取県生まれ。大阪外国語大学(現在の大阪大学外国語学部)中国語学科で学び、卒業した。その後は、京都大学大学院文学研究科で中国哲学史を専攻し、福永光司らの下で学んだ。1961年に修士課程を修了。 その後は、関西大学助教授となった。1986年に教授昇格。1985年、学位論文『中国近代の思想と科学』を名古屋大学に提出して文学博士号を取得。1989年から1990年、関西大学在外研究員としてフランス国立高等研究院へ研究留学し、道教を研究。
山口 英世(やまぐち ひでよ、1934年3月3日 - )は、… 山口 英世(やまぐち ひでよ、1934年3月3日 - )は、日本の真菌学者、帝京大学名誉教授。 山形県東村山郡山辺町出身。1958年東京大学医学部医学科を卒業後、1963年同大学院生物系研究科第三基礎医学専門課程博士課程を修了し、医学博士の学位を取得。 1964年東京大学応用微生物研究所助手、1966年東京大学医学部講師、助教授を経て、1982年帝京大学医学部教授となり、帝京大学医真菌研究センター長を兼務、1999年帝京大学医真菌研究センター教授、2004年退職、名誉教授となる。 2014年、瑞宝中綬章を受章。
石川 迪夫 (いしかわ みちお、1934年3月2日 - )は… 石川 迪夫 (いしかわ みちお、1934年3月2日 - )は、日本の原子力工学者。原子力発電とその溶融、廃炉、安全性を専門とする。現在は日本原子力技術協会最高顧問である。 兵庫県に生まれる。東京大学工学部卒業後、1957年(昭和32年)日本原子力研究所へ入所。安全解析部長、動力試験炉部長、東海研究所副所長などを経て、1991年(平成3年)より北海道大学工学部教授となる。退官後、2005年(平成17年)4月13日から2008年(平成20年)3月15日まで日本原子力技術協会の初代理事長を歴任、理事長退任と同時に同協会の最高顧問へ就任した。 1972年 東京大学より工学博士号を得る。論文の題は「暴走出力により誘起される即発性減速材加熱効果の解析」。
和久田 康雄(わくだ やすお、1934年3月1日 - 201… 和久田 康雄(わくだ やすお、1934年3月1日 - 2017年4月13日)は、日本の鉄道研究家、元官僚。栃木県生まれ。 父親の転勤とともに東京、仙台、広島に移り住む。1957年東京大学法学部卒。在学中に東大鉄道研究会を組織。1984年まで運輸省に勤務。本省の他、福岡陸運局、仙台陸運局等に勤め、その後、2003年まで交通関係の団体に勤務。日本民営鉄道協会常務理事、日本鉄道建設公団理事、JTBトラベルカレッジ校長などを務める。日本交通学会、鉄道史学会、赤門鉄路クラブの各会員。「鉄道ピクトリアル」編集委員を務めた。私鉄を研究対象とした。2017年に死去。83歳没。
鈴木 康之(すずき やすゆき、1934年3月 - 2022年… 鈴木 康之(すずき やすゆき、1934年3月 - 2022年10月)は、日本の言語学者、日本語学者。大東文化大学名誉教授。 1934年3月、現在の東京都大田区で誕生。東京都立大森高等学校を経て、東京教育大学文学部言語学科卒業。1969年4月より、大東文化大学(日本文学科)専任講師、その後、助教授。教授。2004年3月、定年退職。名誉教授。 東京教育大学在学中から民主主義科学者協会言語部会に参加し、同会の解体後は言語学研究会に入会、今日に至るまで、同会および教育科学研究会・国語部会の会員・指導者として活動している。現在、学習塾・数学教育研究会の国語科顧問。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。
菊池 和子(きくち かずこ、1934年3月 - )は、秋田県… 菊池 和子(きくち かずこ、1934年3月 - )は、秋田県仙北郡豊川村(現在の大仙市)出身の卓球選手。きくち体操の創始者である。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。
工藤 敬一(くどう けいいち、1934年3月 - 2026年… 工藤 敬一(くどう けいいち、1934年3月 - 2026年1月24日)は、日本の日本史学者、熊本大学名誉教授。 熊本県鹿本郡来民町(現・山鹿市鹿本町)生まれ。1956年京都大学文学部史学科卒業。1961年同大学院文学研究科博士課程単位取得退学。1968年「九州荘園の構造と特質」で文学博士。 1962年熊本大学講師、助教授、教授、1999年定年退官、名誉教授、九州産業大学国際文化学部教授。2004年退職。
清水 靖夫(しみず やすお、1934年(昭和9年)3月 - … 清水 靖夫(しみず やすお、1934年(昭和9年)3月 - )は、日本の地図学者。 東京生まれ。法政大学大学院修士課程修了。立教高等学校教諭、法政大学講師、国士舘大学非常勤講師を経て、日本地図センター研究顧問、日本国際地図学会評議員、地図情報センター理事。
今鷹 真(今鷹 眞、いまたか まこと、1934年2月28日 … 今鷹 真(今鷹 眞、いまたか まこと、1934年2月28日 - )は、日本の中国文学者。名古屋大学名誉教授。 中国上海生まれ。京都大学文学部中国文学科を経て、同大学大学院博士課程修了。1966年、京都大学文学部助手、1967年名古屋大学教養部講師、1970年同学部助教授。1972年名古屋大学文学部助教授、1978年教授。2001年、定年退官、名誉教授、金城学院大学教授。 この項目は、学者に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(PJ:人物伝/P:教育)。
卜部 博文(うらべ ひろふみ、1934年2月28日 - )は… 卜部 博文(うらべ ひろふみ、1934年2月28日 - )は、日本の実業家。卜部グループ、サンデーサン等の創業者。 1957年、明治大学商学部卒業。1965年、トヨタカローラ山口代表取締役社長に就任後、外食事業のサンデーサン(後のジョリーパスタ)などを創業し、傘下に繊維メーカー・自動車ディーラー・レンタカー・不動産・外食など多くの企業を抱える企業グループ、卜部グループを築き上げた。 この項目は、人物に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(プロジェクト:人物伝、Portal:人物伝)。